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憑依現象を考える

2004/06/09

 久しぶりに霊障に関する相談が舞い込みました。むろんプライバシーが絡みますので詳細な説明は出来ませんが、考え方なりとお役に立つかも知れません。

霊障……憑依を自覚する

 憑依現象とは、『主に悪霊であるところの憑依霊に支配されて、意志とは異なる行動を取らされる』と、一般には考えられていることでしょう。

 ところが現実問題、実務的にいうなら、当人の意に反する行動を強要するのは非常に困難です。

 仮に出来たとしても……その可能性を論じるのは非建設的です。困難だからといって出来ないわけではないし、現実に行われたら対処の方策が必要なのですから。

 重要なのは、憑依によって当人の意志に反する行動を強要することが非常に困難であると言うことです。困難であるというのは憑依霊にとっても苦痛・苦労があり、出来ることなら相手も止めたがるだろうと言うことです。

 俗に、お線香や供養、またはお札や霊媒・行者によって除霊が出来るというのは、憑依霊よりも強い霊力があるからではありません。はっきり言って、お線香やお札に霊力はないし、御経・祝詞などにも霊力は期待できません。

 ただ、憑依霊の面目が立てることで、退きやすくするというのが本音なのです。

 自分が辛い時には相手も辛い。こういう時に意地を張るよりもこちらが折れてやる方が穏やかな解決に向かいます。反対に何者かの助けを得て更に強引に押し出そうとすると、相手も意地になって助けを集めたりします。……戦場になるのは相談者。苦しむのは相談者なのです。

 しかしながら……意に反するのは難しくとも、意に添うことならどうでしょうか?

 たとえば禁酒・禁煙の誓いを立てている人に、その誓いを破るような誘惑をする場合はどうか……これは意に反するわけではないので案外易々と成功したりいたします。正直言って、心霊知識と霊的能力に乏しい方が、自らの憑依霊に気がつくとしたら、それは比較的難易度の低い問題なのです。本当に難しいのは、被害者自身が憑依されているのに気がつかないような憑依霊現象です。……意に反することを強要するのは困難、そういう困難に取り組んでいる憑依霊が相手だから除霊は比較的簡単なのです。でも、意に添うことをささやく霊はむしろ被害者の助けを得て易々と憑依状態を維持します。これを打ち破れる霊媒は果たしてどれだけいるだろうかと思います。

 更に言うと、意に反するのは困難……困難であるにも関わらず実現してしまうとしたら、その被害者には相応の精神的な弱点があると言うことです。――つまりは、一般的にいって、憑依霊現象を自認する被害者は、霊媒でなくても解決しうる問題を抱えているものであり、それが解決するだけで憑依霊現象も解決しうるということです。

 霊媒は決して無能・無益ではありませんが、反対に唯一の解決策とは限りません。つまり、霊媒抜きでも大多数の場合、除霊が成立するでしょう。結局、大半の憑依霊現象は、精神病や気の迷いと言いきることも難しくはありません。

 

強い憑依霊がいる

 たとえば合気道という武術では、相手の力を利用して放り投げたりいたします。相手が強いか弱いかは、さしたる問題ではなく、自分が相手よりも巧みであればそこに勝機はあります。


 災難が続くので、霊感の強い友人に見て貰ったら、『強い悪霊が憑いていて私にはどうにもならない』といわれて不安になった……憑依霊に関する相談にはこういうパターンが多いのです。失礼ながらこう言わざるを得ません。

 中途半端な心霊知識が事態を拗らせている。

 世の中には悪い人もいるけれど、良い人もいます。世の中の善し悪しは、善人、悪人の存在の有無ではなく、善悪のバランスが問題なのです。強い悪霊がいた所でなんだというのでしょう。それ以上に強い祖霊や守護霊がついているなら心配はいません。反対に、守護霊・祖霊がそっぽを向いていたら、どんなに弱い悪霊でも酷い障害をもたらし得ます。

 人はほんの一押しで大きく運勢を変えるのです。問題は悪霊の強弱ではなく、自分を取り巻く環境の善悪のバランスなのです。

 物事の一面(この場合は悪)だけを見て、全体を考えようとするのは、それこそ半人前の霊媒の仕事です。……どんなに霊感が強くても、偏りがあることは否めず、偏りは往々、別な問題の温床となるのです。

 憑依霊の判定に限らず、政治でも何でも、善悪のバランスで考えず、悪なら悪の問題点だけを論じる人を散見します。しかしながら、私は、せめてバランスで物事を見ない人は三流の論者として耳を傾ける気が致しません。そして、バランスで物事を見る人も、せいぜいは二流の論者としてしか受け止めません。

 しかし、世の中には慧眼という表現が当て嵌まる論者をたまに見掛けるのです。そういう人は何を語らせても周囲を唸らさずにはおきません。

 つまり……心霊にある特別な物の見方、視点というのに囚われぬ事です。社会一般にあるのと同様なくだらない視点が多いのが現実なのですから。正しい視点というのはすべてに対して有益な物の見方、考え方であり、それこそが大切なのです。

 霊障に出会っても、人は良識を求められるのです。


2004年 06月 09日

魂を磨く

2004/06/09

霊性の向上

2004-06-08


一体、私たちの心はどこから生まれ、死んでどこに行くのでしょうか。

 無から生じて無に帰っていく・・・だとしたら、なんと寂しい事でしょう。心霊思想の中には輪廻や再生と呼ばれる「生まれ変わり」に関するテーマもありますが、ほとんどの人々は前世に関する記憶がありません。

 もしも、人々が前世に関する記憶を持ったまま生まれてくるのであれば、誰も死を恐れず、科学的な証拠がないからといって、心霊思想を否定する事もないでしょうに、再生論を信じるかどうかは別として、誕生は前世との断絶であり、死は現世との断絶であるのは、こと、心に重点をおく限り一般的な事実として逆らい様が在りません。

 そう、私たちの人生の前には、死が恐怖を伴なって立ちはだかっています。生まれてこなければ死を恐れる必要がありません。もしも、世のオカルト話がみな本当で、死後の世界が怨霊の跋扈する恐ろしいところであるなら死とは単なる恐怖に留まりません。

 反対に、霊界がすばらしいところならなぜ、わざわざ地上に生まれ変わり、労働に従事し、天候を憂い、飢餓や病気、そして老衰と争わなければならないのでしょうか。

 地上に生を受ける事、それに一体いかなる意味があるのでしょうか?


「霊性」の意味が分からない!

2004-06-09

2009-12-26 修正 

 

 シルバーバーチの霊訓を読むと、霊性や、霊性向上という言葉が頻繁に出てきます。この霊性、霊性向上という言葉の意味がわからないという話を良く聞きます。

 自明のことはわざわざ説明しない――それはある意味、当たり前の事で、日本ではスピリチュアリズムが独立した一つの思想体系と勘違いされているようですし、宗教とは別なものと考えている人も多いようですが、物質偏重主義に行き詰まったキリスト教に対する一つの回答がスピリチュアリズムなのです。 世界に広く知識を求める人には自明の事ですが、霊性、霊性向上というのはキリスト教思想から受け継いだもので、「宗教心のあり方」と解すようです。霊性は決してスピリチュアリズム固有の概念ではありません。


寛容と慈愛を学ぶ

2004-06-10

 

 親が子を愛するように、あなたは人々を愛するべきです。相手の未熟さ、思慮の浅さに対して寛容をもって接し、怒りを和らげ、悲しみを慰めるように。

 怒りや悲しみ、そして愚かさで曇った人の心こそ、親が子を愛するような、偉大で寛大な愛を必要とするのですから。

 たとえ相手が報いる事がなくても、あなたが偉大な愛を実践すれば、必ず偉大な愛によって守られます。しかし、我が子は愛しても、人を憎むなら、たとえあなたが難を逃れても、災難はあなたの子供に受け継がれてしまいます。

 あなたが人を害する時に相手の弱点を狙い撃ちするように、復讐もまたあなたの弱点を狙ってくるからです。独善的な愛は、あなたの愛するものを害し、公平な愛は、あなただけでなく、あなたの愛するものも守ります。人を憎むのは簡単であるけれど、人を愛さずには苦しみから逃れられない……それが神の定めた摂理なのです。

 私たちの心から生じた一切は、自らの元に戻ってきます。因果律の定めは誰も曲げる事は出来ません。いかに偉大な宗教や思想を持ち、立派な祈りを捧げたところで、死や病を免れる事も、因果律の定めから逃れる事も出来ません。

 真理を学んで身を律する……悪しき種子を蒔かなければ、悪しき収穫の責めもなく、良き種子を蒔けば、良い収穫という報酬があります。祈るだけで人生が豊かになる事はありません。

 真理を学んで幸せになるというのは、因果律の働きを用いて幸せを生み出すという事なのです。あなたが人を愛すれば、人もあなたを愛します。その愛が公平で寛大なものなら、あなたも公平で寛大な扱いを受けるでしょう。

 しかし、偏狭さを正義と呼び、自惚れを寛大さと呼び、名誉欲を愛と呼び、独善を真理と呼ぶ人が、一体何を受け取るのでしょう。真理の働きは、その呼び名でなく中身に応じて働くのです。

 私たちは寛容と慈愛を学ばなければなりません。それこそが、私たちを見守る力なのですから。寛容さに対して偏狭で答えてはいけないし、慈愛に対してむさぼってはなりません。

・・・・・・・

 あなたが神の愛、真に偉大な愛の助けを切望したところで、あなたが憎悪を振りまいていればどうして神の愛があなたの元に届きましょう。

 慈愛で満ちた心は、自ら大いなる愛を感じられるでしょうが、慈愛を失った人々、寛容と寛大さの大切さを忘れた人々は、人の手を経なければ神の愛を感じる事は出来ません。

憎悪や妬みが、大いなる愛を遠ざけるのです。

 人の憎悪に、憎悪を持って返せばもっと多くの憎悪が戻ってきます。許す事を知らなければ、憎悪は増えるばかりです。

 寛容と寛大さを学ばなければ、この泥沼から這い出ることは出来ません。いかに神の愛が偉大であろうと、私たちの心がちっぽけで浅ましければそれを感じ取る事が出来ません。

憎悪で満ちた自らの心を、洗い、清めて、神の愛を感じる。

 霊性の向上とはそうして行われるのです。


魂を磨く

2004-06-11

 

 霊性向上をテーマにしながら、霊性の意味や、霊性向上法がわからない(多くの人が聖典視する「シルバーバーチの霊訓」中に説明がない)……といった矛盾は、スピリチュアリズムに日本古来の心霊思想を付け加えた、心霊主義では考えられない事です。

 別に心霊主義がスピリチュアリズムよりも優れているという意味ではありません。目指すものが同じであっても、心霊主義ではキリスト教思想よりも神道や仏教思想の影響が強いために考え方が異なるのです。

 具体的には、霊性と霊性向上という表現をあわせて、「魂を磨く」と考えるのです。そして、これはスピリチュアリズム導入以前から日本にある考え方です。もっとも、スピリチュアリズムにおける「霊性向上」の矛盾と同様、心霊主義における「魂の研鑚」にも、大きな葛藤があります。一体誰が、人の心を指差して、ここが魂だと具体的に示す事ができるでしょうか?

 突き詰めれば、愛こそが霊性の本質ですが、では、我が子のためなら人殺しも辞さない……というのが愛・霊性であるのか、好ましい相手の意を得るためには、ストーカー行為も辞さないというのが愛・霊性なのか。……愛を持てば良いというのではなく、愛の質を高めていく事が大切なわけです。

なにしろ魂を見出さない限り、磨きようが無いではありませんか。

 

思想の違い

 蛇足ですが、霊性向上というテーマで文章を作成していたら、

 『かまどではご飯が炊き上がっているのに、わざわざパンを買いに行く。無駄な事だ』と聴こえました。心霊主義もスピリチュアリズムも、同じく霊界の一つの計画の一部であるのにも関わらず、表現方法の違いから微妙に差があることをどう説明したものかを考えていた時の事です。

 日本人に、マイヤースの「永遠の大道」や、「シルバーバーチの霊訓」が不要であるというのではありません。外国産でも良いものは良いのです。しかし、日本古来からある良いものまで、わざわざ輸入品に置き換える必要は無いだろう……というのです。

 まあ、主に古い活字・文体を読むのが面倒という理由から、文献には、スピリチュアリズムの代表であるシルバーバーチの霊訓を活用しつつ、相変わらず、自分では「心霊主義」という表現に拘る霊媒の、その背後霊が言うことですが。……が、事はそう単純ではありません。

 日本人の背後霊に、神道・仏教の思想概念と、キリスト教の思想概念と、一体どちらが扱いやすいと思いますか?

 出来なくは無いが、やり難い……無駄が多いという事なのです。そして、背後の力を生かせないで、交霊主義はなりたちません。

 しかしまあ、背後霊というのは、けなげなものです。人が手枷足枷をかけているのに懸命に働いています。そう、現実として、心霊研究は、研究者・霊媒・背後霊団の同床異夢の葛藤の上に成り立っているのです。


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