‘2004/06’ カテゴリーのアーカイブ

会社を辞めたい

2004/06/30

 内容は例によってご紹介できませんが、返信部分の抜粋をご紹介いたします。


……以前の会社勤めの苦労など……

 企業はそうまで人を追いつめても、業績を伸ばそうとするのです。たとえば、本来、草食性の牛に肉骨粉を与えて狂牛病を起こしたり、養殖の魚はナフタリン(ホルムアルデヒド)付け、豚は抗生物質付け、すべからず、家畜は成長ホルモン漬け……ね、世の中に食料問題が絶えないわけです。

 企業が利潤追求のために無理をするのはむしろ当たり前、たとえあなたがあらがっても、社会の大波は人を家畜化します。でも、仕事に縛られても、心まで家畜として差し出す必要はありません。世の中は確かに悪いが、悪い中にも幸せに暮らす工夫を絶やすべきではありませんよ。


……辞める時に悪態をついた人から又働いてくれと頼まれた……

 あなたの働きぶりを見て不満があったとしても、あなたほど働ける人は珍しい。そういう大事なことを、あなたがいなくなるまで分からぬところに、人を見る目のなさが伺えますね。幸運は去ってから後悔しても遅いのですよ。それはあなたにも当てはまることです。自分が手にしている幸せの価値をしっかり知らないと、大事にせずに失ってしまいます。大事なものなら、大事に扱わねばならないのに、なくして大騒ぎする……そんな愚か者に、誰が良いものを与えましょうか?

 子供の頃、親におねだりするのにも、「大事にするから!」と約束して買ってもらったものですよね。でも、人はそれを簡単に忘れます。ものを大事に出来ない子供に高価なおもちゃを買ってやれるのは金持ちだけですからね。人も物も、大事にすればこそ、次々と与えられるのですよ。チャンスも、また、手に入れたものも、おろそかにしないことです。


……自分から縁を切るのは苦手で……

 悪縁は結びやすく、断ちがたい。
 良縁は結びにくく、切れやすい。

 たとえ自分の欠点に気がつかぬ愚者であっても、数少ないチャンスを逃さぬ程度の知恵は心得ているものです。だから、ろくでもない奴ほど縁に執着します。

 それに対して、善良で努力家だった人は、チャンスに恵まれて、一つ一つに拘る必要を感じません。それ故に、善い人ほど縁が切れやすく、悪い奴ほど縁が切れにくいのは、その人が持つ可能性の大小でもあるのです。

 人の気を引くために嫌うそぶりをする等という姑息な手がありますが、そういう手に引っかかって、引き留めてくれるのはろくでもない相手だけなのです。大事にすべき人ほど立ち去るのは早いものだから、大切な人は大事に扱わねばなりません。


……子供が元気すぎて心配、神社で祈祷して貰おうか……

 危険なことをするのは元気すぎるからか、または、親の気、大人の気を引きたいのか。それを見極めてください。

 子供に向かって、「あなたはもう大人なんだから……」と言うのは、大人が子供を利用するための嘘ですよ。世話を焼いてもらいたがる内はたとえ60歳になっても子供なんです。反対に、誰かの世話を焼きたがるようになれば10歳でも大人なんです。見てくれにだまされないようにしてください。

 また、あなたがお子さんを心配して安全祈願をするというなら、それは間違いです。心配というのは不安から生じ、不安というのは知らないから生じることです。あなたが、お子さんをよくよく理解できたなら不安はだいぶ減るでしょう。となれば、祈るべきは安全よりもむしろ、「親子が善く理解し合えますように」であるべきでしょう。その事は別な問題の解答でもあります。あなたもまた、あなたの親とよく理解し合えていませんね。そして、あなたは「所詮親子は理解し合えぬ」と偏見を抱いてはいませんか。


……苦難が和らいで、神様にお礼も言わないと……

 事実を追いかけて終わりにしないことです。今まであなたは苦しみの中にいて気がつかなかったかもしれませんが、痛みには原因があり、原因を取り除かなければ痛みが消えないのならば、問題にすべきは痛みよりも原因なのです。

 今あなたは痛み止めが効いてきたところです。今度こそ本当に治療に専念しなければあなたの人生に痛みが必ずつきまといます。

 楽にしてくれるのが神様と思ってはいけません。治してくれるのが神様と思うべきです。今、一息つけたのは、あなたが幸せを感じるためではなく、あなたが幸せを考えるため、いや幸せになるための方法を考えるためなのです。むろん、その事はあなたも充分気がついていらっしゃいますが、同時に油断も見受けられます。今まで必死に答えを探してきたのに、今では、このままでもいいかな……という気がしている。多少、ゆとりを楽しむのも良いのですが、冬きたらば春遠からず……しかし、春の次は夏、夏の次には秋、秋の次には冬が来るのです。

 楽しめる時に楽しむのは構いません。でも、油断はしないことです。為すべき事を為すべき時にやらなければ、残りの時を後悔で埋めなければならないからです。


2004年 06月 30日

殺伐とした世

2004/06/29

 人の世に殺伐としたものを感じる。無理もないことである。人は己の理解できる範囲で物事を考え、理解できる範囲で解決しようとするもの……他を理解しない者が、自分だけの好都合で努力をすればお互いに住みづらい世の中になっていく。

 今の世の中、学校で多くを学ぶ、科学、数学、外語学、だが肝心の自分を学ぶ機会はなかなか持てぬ。親も教師も子供が萎縮するまで叱りつけて、善悪の違いを考えるいとまを与えぬ。反省を強いるのではなく、禽獣《けだもの》に芸を教えるがごときを躾《しつけ》と呼ぶ。

 物事がうまく行かぬなら、どうすればいいのかを考えねばならぬ。だが、世の中の仕組みは、うまく行かぬ者をだめといい、うまく行く者だけを大事にする。世の仕組みはまるで悪人を生み出すために働いているように見える。

(2004年6月29日)


霊査事例: 2004年6月23日

2004/06/23

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


霊査事例1

 夜明けの空を見上げると、星々が陽光にかき消されていくことに気がつきます。夜の星は雄弁に季節を表し、昼の光は尊大に行動を促します。

 あなたが求める答えを、この地上のどこにも見いだせないと思う時、あなたが見ているのは世の中の現実です。あなたがまぶしさの中で大切なものを見失いかけている時、あなたが直面するのは悩むよりも行動することです。

霊査事例2

 素を忘れてはいないか。かつては素にあこがれた君は、今は技巧を凝らして生きることに懸命になっている。技巧は技巧の中にあっては巧劣を競うのみだが、素の上にある技巧は揺るぎなく活躍するものだ。つまり用い方である。多

く用いればよいというものではない。

霊査事例3

 あなたはとても不幸せな人です。人の喜びの中にしか自分の幸せを見いだせないから。

 あなたの苦しみは、あなたの未熟さというより、あなたが人のために働きすぎることより生じます。それはつまり、あなたが他人の評価のほかに、自分の幸せさや、有能さを計るすべを見失っているからです。

 あなたは自分を正せないと悩みます。しかし、それは、あなたがおろかなのでも頑固なのでもなく、人の求めに使えようとしすぎるからです。それは善行ではなく、相手の怠惰を育てているだけの悪行です。

 あなたに感謝する人は多く、あなたをほめる霊は少ない。それでは生きて辛く、死んでも報われません。

 まず、自分が幸せに思える暮らしを思い浮かべることです。今ならまだ間に合います。

霊査事例4

「出来ることはすべて、なるべく早めに片づけて♪」

 ……楽しそうだけど、でもちょっぴり義務感に押されて生きている。

「あれがやりたい、これがやりたい、だから仕事は早めに片づけて♪」

 あなたがもっと楽しそうに見えたら、私たちももっと幸せになれます。

霊査事例5

 道が行き止まりなら他の道を差がします。

 歩いている時に景色が違うなら、道を確認します。

  生きていることに苦しみを感じたらどうします?

  がんばっているのに違和感があったらどうします?

 融通が利かないと、間違いを正すチャンスを失います。

霊査事例6

 走ったり、泳いだり……その成績は一様ではありません。体調の善し悪しで、早かったり遅かったり、頭の働きや感情の働きだって、やはりリズムがあります。うまく行く時もあれば、自分が扱いにくい時もある。うまく行く時に自分を信じ、扱いにくい時には難しいことは避ける……そういう工夫が出来れば生きるのがもっと楽になります。デモ今のあなたは、そのすべてを自分として、調子が悪くても出来て当たり前、調子が良くてもこんな事は出来ない、という具合に自分を充分に使いこなしてはいません。

 もったいないですよ。あなたは実際に知っているはずです。自分の調子の良い時の実力と、調子の悪い時の無能さを。それをどうも、運がよい時の実力と普段の無能さと思い違いしている。それはただ、あなたが自分のリズムを知ら

ないからなのです。いやリズムどころか、自分の心身の働きに浮き沈みのあることすら気がついていらっしゃらない。もっとご自分を研究なさることです。


霊的背景の鑑定

2004/06/17

 あなたは地上で学んだ心霊知識だけで、死後に低級霊や悪霊に惑わされたりしないと確信できますか。きちんと霊界でのガイドにめぐり合う事ができるでしょうか。

 交霊の専門家である、霊媒が、どうやって守護霊の鑑定を行うかご存知ですか。『あなたの守護霊は○○命様です』といって鑑定が終わったら、それだけで死後は安泰と言えましょうか。最近、亡くなったばかりの祖父母が守護霊だと言われて、それだけで安心できますか。

 まして、心霊関係者は勝手に造語して用いている場合が多いのです。人によっては、一般的な背後霊を守護霊と呼び、その責任者を主護霊と呼んでいる場合もあります。

 その場限りの縁の人(霊媒)を信じるのは危うい事だし、その人が紹介する人(守護霊や自分の前世など)を信じるのはもっと危うい事です。

 霊媒と長く付き合うこともなく、霊媒であるからと信じれば危ういのは当たり前の事です。では、霊媒とどうしたら長く付き合えるか……せめて礼儀正しく、誠実な人でないと、霊媒も人ですから嫌って遠ざかるのはむしろ当たり前の事です。


 信頼の醸造には時間がかかるものです。これは鋭い霊感と洞察力を持つ霊媒同士だって同様のことです。

 確かに人間の魂は、知識や経験を共有し、共感する力があります。それどころか、他の魂を認識する力も備わっているのですから、全ての人は霊感を発揮できないはずがありません。では、なぜ、霊能力を使えないのか?

 全ての人々が霊能力を発揮できないのは、人がわざわざ鈍重な肉体を持つ理由に帰結します。安易に判れば工夫や努力を忘れてしまいます。意気地のない人、見栄が先に立つ人、ばかりで人間関係に対する努力や工夫が、魂の働きに深みをもたらすからなのです。


2004-06-17

スピリチュアリスト

2004/06/17

元相談者から、一通のメールが届きました。

「霊能者というと、心の敏感な人なのに、自分の心の痛みを知ってもらおうと相談されたら、さぞかし辛い事でしょうね。身勝手な相談をお願いして苦しめたのではないかと心配しています。」


 昼間働いて、疲れて帰ってきたのに、見ず知らずの人のわがままと愚痴のメールを読まされた挙げ句、「あなたには私の苦しみがわからない!」となじられたら辛い事、まあ、あなたには私の苦労は想像もつかないでしょうね。…… というのが正直なところ。とはいえ、私も多少世慣れして、少々の嘘ならつけますので、「いえ大した事はありません」と、返事をしましたが……

 まったく、悲しみや苦しみは、人の心に深みをもたらすものです。そして苦労と努力もまた、人の心に深みをもたらします。彼女が懸命に生きるあまり周囲を傷つけていた事に気がつかなかったように、私も懸命に答えようとして自分の痛みを忘れる事があります。

 ほっと一息ついたとき、ふと、頑張りすぎて心身をいためている自分に気がつくのです。全ての相談者を幸せにできるわけではないけれど……この礼状は相談回答から一年以上後のものなのです。私の中の葛藤は長い人生のほんのさざなみに過ぎません。

 人から「ありがとう」と告げられる事はとても嬉しいものですが、かつては自分のことだけを考えて周囲を傷つけていた人の気持ちが優しくなっていく姿を見るのは、もっと嬉しい事です。

・・・・・・・

 ただ優しい人よりも、優しさの価値を知る人のほうがすばらしい生き方ができる事でしょう。

「私も苦労したけれど、あの子も修行させられたんだね、霊界のお手配に」……嫌味が効いたのか、はたまた、試練は残っているという意味なのか、背後は何も答えません。

・・・・・・・

 心霊思想の持ち主が、スピリチュアリストを自称するのは勝手です。でも誰かをスピリチュアリストと呼ぶのであれば、人の心を察する事ができる人、霊性の導きを具現できる人を選びたいと思います。

 深みのある優しさを会得しつつある彼女には、幸せになって欲しいと思います。ただし、心霊主義者である私が思う幸せなんて、彼女には嬉しくないかもしれません。

 「試練は乗り越えられる人を選んでやってくる。実力ある者ほど大きな試練が課せられる」

 私が思う幸せとは、楽な人生ではなく、腹の底から笑って死ねる人生ですから。そう、私があえて祈らなくても、彼女は自分なりの幸せを掴んで行くでしょう。

・・・・・・・

 さて、私は彼女に幸せになって欲しいと思いました。しかし、祈りはしません。

 祈りは、歌に置き換えられます。誰も歌わなければ私が歌わなければなりません。ハーモニーの美しい合唱も良いものですが、ソロならではの美しさもあります。そして、美しい歌声が聞こえるのに、私が歌ってリズムを乱す必要はないのです。

 祈りは、時と場所を選ぶのです。調和が取れなければ素人合唱に陥るのですから。

 心が変わり、霊性の目覚めが始まった人は、その背後に歌声が聞こえます。歌詞は聞き取れず理解も出来ませんが、歌声に聴こえるのが祈りであることは自明な事です。

 反対に、霊性の目覚めがない人と接する時には、霊感を遮断しておかないと、自己主張の念を感じて頭痛がしてきます。

 世の中には霊媒が生理的に嫌う悪念の持ち主と、生理的に好かれる澄んだ心の人がいるのです。誰も最初から澄んだ心はもちえませんが、努力なさる方が多い事は、私も希望が持てます。


2004-06-16

それが修行なんだ

2004/06/16

 かつて私が足繁く師匠の下に通っていた頃、私が不快の念を抱いたり、やるせない思いに胸がつぶれそうだった時など、師匠が私の想いに耳を傾けながら、一言、『それが修行なんだよ……』とだけ、教えてくださったものです。

 霊媒もまた人間です。感情の動きを止める事など出来はしないし、感情もまた人間の大切な要素なのです。囚われる事は危険でも取り去る事は出来ません。ですが、感情に乱れが生じると、浅ましい念や、憎悪の念を感じやすくなり、心が急に冷えて行くのを感じます。霊感というのは霊媒の心に非常に敏感なもので、わずかでも依存心を抱くと、あからさまに軽薄な甘言が心に伝わってきます。堕落は本当に容易なものです

 自分の境遇に活路を見出す。それ以前に大切なのは自分の境遇を恨まぬ事です。トラブルに巻き込まれる、その原因は世の中にいくらでも求める事が出来ますが、大切な事は、トラブルを自分自身が受け止めてしまったという、その一点なのですから。

 受け止めてしまった……この言い回しは難しいでしょうか。簡単な例をあげると、道端に空き缶が落ちていたとします。拾ってゴミ箱に捨てるなら、ただそれだけの事ですが、空き缶を捨てる人がいる事を憤り、そういう人々を放置する社会を憤っては、見知らぬ誰かと争い、社会と争わなければならなくなって行きます。

 こういう具合に、たかが空き缶一つ、タバコの吸殻一つでさえも、心の受け取り方しだいでは大きな問題、大きな争いに発展しかねないのです。そして気がつけば、世の中には、小さな事で争う人のなんと多い事でしょう。

 その他の問題は、他の誰かに解決を任せる事が出来ても、この自ら「受け止めてしまった」という事だけは、自分自身で解決しなければなりません。全ての問題には、「自身の修行」という一面が必ず潜んでいるのです。

 そして、上記、空き缶の例でいうなら、私自身が空き缶を見て不快なのです。このまま放置すれば一体何人の人が不快に思う事でしょう。捨てた人の悪業はともかく、私が拾って捨てれば、多くの人々が不快の念から救われるのです。善業のチャンスはあちこちに落ちています。

 ただ人々がその価値を知るか知らないかというだけで……しかし、小さな善事をおろそかにして、どうして大事業が成せるというのでしょうか。なるほど、大事の前の小事という言葉もありますが、ゴミ一つ拾う手間さえ惜しむほど、人は毎日そんなに忙しいものでしょうか。

・・・・・・・

 心霊主義を修めた人にとって、霊性という言葉は解釈の余地がありません。自ら実践すべき事だからです。そして霊性向上も議論の余地もありません。ただ修行あるのみなのです。

 ですが、人々が体験を共有するのは困難ですし、過ち無く体験を理解する事も困難です。気が付けば、真理という妄想に憑かれた人のなんと多い事でしょう。

 言葉は心を表しきれないというのに、多くの人々は言葉による解釈を必要としている。そこに霊的なものを扱う事の難しさがあります。


2004-06-15

眠い朝に聴く

2004/06/14

 早起きは、一日の準備にゆとりをもたらす。

 夜遅くまでくよくよと悩むよりも、朝早く、済んだ頭で懸案に取り組む方がどれほど善いか。

 なるほど、悩みを抱えては、眠りが遠く、また浅い。だがそこにあるのは、悩みの中にあって光明の見えぬ一人の凡夫である。己の無力なることを見て、静かに祈り、そして早く寝なさい。朝起きて善い知恵が浮かぶことを信じて。

(2004年6月14日)


因縁解消(編輯中)

2004/06/14

先祖供養と同じく、スピリチュアリズムを学ぶ人が胡散《うさん》臭く思うテーマが因縁解消ですね。これもやはり、仏教から借りた思想概念を理解しそこなっているだけの事で、因縁解消の大切さも、ばかばかしくなるほど当たり前な事なのです。


かたくなであれば変化できず、満たされていれば新しい物が入りません。信念を持たずにいれば心に何も溜まらず、信念が強ければ、開かずのフタとなって何もしまう事が出来ません。

素直であると同時に信念を持つ、そのバランスが適切でなければ学んで向上するのではなく、ただ独善に陥るか、無知で愚かに留まるか、どちらにしても成長はありませんね。

 

例えば、食べ物の好き嫌いを例にとれば、好きな食材にも難あり、嫌いな食材にも必須の栄養が含まれているかもしれません。好き嫌いをいえば身を損ないかねないわけです。

また人間関係で見ると、人は複雑な働きを持ち、多様な性質の持ち主がいますから、相性の問題を避ける事が出来ませんし、精神的な未熟さゆえに無意識の妬みや甘えの反動から嫌う人もでて来るでしょう。

人に好き嫌いが生じるのはある意味、しかたがありませんが、嫌った相手にも短所ばかりではなく長所もあり、反対に、好いた相手にも長所だけでなく短所もあります。ただ場合によっては、好き嫌いが目隠しとなって、相手の長所や短所が見えなくなっている事も在るでしょう。

人の好き嫌いも、あなたに多くを失わせます。

 複雑・高度なレベルに至った人なら、仏教思想の深遠を求めて因縁を突き詰めるのも必要な事でしょうが、一般的な人に必要な事、おろそかにされているけれど案外重大な事は……そう難しい事ではありません。

大切なのは謙虚で素直になるという事なのです。傲慢になるから争い、素直にならないから拗《こじ》れるのですから。

虚栄心や自惚れが起こす不要な争いや、依存心や間違った信仰に、努力と時間を無駄にすれば、十分なものを与えられて生まれて来ても、幸せになれるはずもありません。まして、無駄な行いゆえに不幸な人を、一体誰が幸せにしようと努力する事でしょう。まずは無駄を減らす事を要求してくるに違いありません。


2004-06-13

先祖供養

2004/06/13

先祖供養


 欧米生まれのスピリチュアリズムを学ぶ人は、先祖供養を胡散臭く思う人が多いようです。欧米の霊界通信には、先祖供養の重要さを示すような記述は見られませんし、反対に、先祖供養という大義を掲げて利益をむさぼる葬式産業の害を感じている人も多いでしょう。

 しかし、それは心霊の専門家で在るべき霊能者・霊媒も含めて、仏教から借りた思想概念を理解しそこなっているだけの事で、先祖供養の大切さは、ばかばかしくなるほど当たり前な事なのです。

 先祖供養とは、先祖を神、または、仏として祭りあげる事ではありません。自分ひとりの向上や幸せを求めるのではなく、家族や一族、そして皆で、幸せになろうという事なのです。
 考えて見てください。
 人は死後も、個性が存続するなら、生きていようが、たとえ亡くなられていようが、父・祖父・祖々父、母・祖母・祖々母もまた、家族ではありませんか。目に見え、手を触れられる相手だけを家族と認識するのは、魂の働きが十分とはいえません。

 まして、何十億もの人の中から選んで生まれてきたのに、家族・一族との縁は、決して浅いものではありません。人として暮らしながら、霊的な修行を行うのであれば、この縁深い近親者の協力は不可欠です。それはちょうど、子供が親に学校へ行かせて貰うのと同じ事です。
 血の繋がりや生活の共有といった絆を持つ、家族・祖先をおろそかにして、どうして他人と共に幸せになれるというのでしょう。

 ええ、例えば強すぎる縁が甘えや狎《な》れを生んで、近親者ほど人間関係が拗《こじ》れる場合もありますが、それは同時に、一族の持つ心の絆、そして祖先を含めた霊的な絆が、不適切に絡み、もつれていると言い換える事が出来ます。

 そういうもつれを放置しては、自分を守る霊力が無駄になったり、損なわれたり、挙句の果てに、つまらぬ事が拗《こじ》れて大問題になり、起りえないような災害に出くわしたりと災難が続く事になりかねません。

 先祖供養とは、先祖を神、または、仏として祭りあげ、信仰する事ではありません。自分ひとりの向上や幸せを求めるのではなく、家族や一族、そして皆で、幸せになろうという事なのです。


2004-06-12

霊査事例: 2004年6月12日

2004/06/12

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


2004年6月12日の精神統一会場にて

 会場のホワイトボードの前に立った時、ふと私の手が動きマジックを取って、左隅にこう書きました。

我ままならず
人ままならず

 久しぶりの自動書記に、興が高じて右端にいくつか書いてみたのですが、どうもくだらなく思えて消してしまいました。従って、この二行だけがオフ会中、ホワイトボード上に残っていたのです。

 後、参加者から、この二行について質問を受けました。

 「自分も人もままならないものだよね。ままならないから苦しむんだ。」と知った風なことを言って、この話題を終えます。


総論

「インスピレーションは、気力が萎えた時の方が受けやすいものです。そして、今日の私は朝三時に目が覚めてしまい、気力が衰えております。」

「さて、最近、妄想に関する話題がありました。妄想がどうしても止められない。という時、心霊家は、『拾う』と表現します。これは低級霊を拾って憑依してしまうという意味もありますし、周囲の人々の思念や雑念を受信してしまうという意味もあります。しかしながら、こういう心霊的な解釈を公言すると、どうしても誤解を受けやすいものですから、掲示板などでは極力こういう表現を避けております。

 なお、『拾う』のは、必ずしも心霊的な解釈だけでなく、周囲の人々の意見に流されやすいなどというのも、周囲の雑念を拾う。という部類に属します。このように、心霊で取り扱われるものは霊的現象だけでは解釈できず、心的現象でも解釈が可能なことが多いものです。すべてを霊魂、または、死後の個性存続の証明には生かせないのです。」

「また、インスピレーションというのは誰でも受信しているものなのですが、皆が勘違いしているのは、インスピレーションの品質は一定ではないということです。すなわち、インスピレーションを生かす為には積極的に取捨選択をする必要があります。つまらぬものは相手にせぬ事です」

霊査事例1

 あなたがなさっているのは、心配、すなわち「心配り」ではなく、心痛、つまり自分虐めです。一人で背負わぬように、今は解決の道がまるで見えなくても、時間の経過と共に抜け道が見えてくるでしょう。

霊査事例1-1

 物事がうまく行かぬのは時期もあって仕方がない。そういう時には、積善と貯蓄に勉めなさい。

霊査事例2

 おつかれさま、今件については、あなたの上司がいろいろと考察をしていらっしゃいます。経過に注目し、不利益を被らぬように助言なさることです。

霊査事例2-1

 『大過なし』と聞こえます。目標もしっかり見えて順調です。いや、こういう時には足の心配をすべきと気がつき、確認してみましたが。そちらも大丈夫……引っ張るほどの足も無し、と聞こえたような。

霊査事例3

 気力が(それなりに)充実しています。それなり、と差し込むのは、つまり実力が充分でないからです。こういう時には、何事も順調にいっているつもりで無理をしがちです。くれぐれもご自分を過信しないで下さい。

霊査事例3-1

 『勇気を持って』と女性の声で聞こえました。あなたの守護霊と思われます。同時に私の背後の元僧侶である霊がこう言い改めました。

 『あなたは人を恐れるのか、自分の失敗を恐れるのか。人を恐れるのは慎重さの表れだが、自分の失敗を恐れるのは人生を無駄に生きていることだ』

霊査事例3-2

 人は自信を得ると、人の意見が聞こえなくなりがちです。まして、人の意見を聞かないとなんとのびのびと暮らせることでしょう。しかし、油断していると、聞かないうちに災難が育っていたりします。注意を怠らぬように。

霊査事例4

 もっと自信を持って良いです。あなたが実力を発揮できないのは、人に認めさせる為にがんばっているからです。自分が納得の行くように努力するなら評価は後からついてきます。

霊査事例4-1

 あなたの周囲には沢山のトラブルがあります。でも今のあなたが重点を置くべきは、自分の確立なのです。災難にあっても、事実に振り回されずに自分をしっかり持つことを大切にして下さい。

霊査事例5

 こう言われると、あなた自身は納得いかないかも知れませんが、心身共に調子は上々です。ただ、あなたが不具合を感じているのは、境遇、具体的には上司に対して不満を抱いているから、すなわち、仕事が不完全燃焼しているからでしょう。

霊査事例5-1

 『二年の辛抱』と聞こえました。今までは、ワガママが多すぎましたね。反感が消えるまで好転は難しいでしょう。

霊査事例5-2

 竹を急に曲げればすぐ折れるけれど、ゆっくりと曲げていけば、しなっていきます。変化は何事も時間を必要とします。他人も、自分も。

霊査事例6

 『不信』という字が見えます。人はどうも自分の心と感情の区別がつきません。そして感情とは、浮き沈みの激しいもので、感情にだけ注目していては誰も信じられなくなってしまいます。もっと深い所で人と付合うようにして下さい。

霊査事例7

 『感情論』と聞こえました。答えようがないという意味です。今日のあなたはとても読みにくいのですが。

霊査事例8

 壁に光る穴が空いて見えます。そして、『ビジネスチャンス』と聞こえました。ただし、これは博打ではなく、いわば種まきの意味です。すなわち、一攫千金のチャンスではなく育てて得られる豊かさということです。くれぐれもバカにせず、おろそかにしないで下さい。

霊査事例9

 『妄想気質…体質』と聞こえました。ご家族にも神経質な方がいらっしゃるようですし、あなたも又かんしゃく持ちと思われます。

 しかし、これは病的なものというよりも体質的なものです。つまり、あなたの家系には、突然頭の働きが活性化する時があって、この時、くだらないことに頭を使うから、ヒステリーのように受け止められるのです。上手にこのチャンスを利用し、普段解けない難問に取り組めたら、欠点が長所に変わりますよ。

霊査事例10

 もくもくと草鞋を作っている人が見えます。しばらく意味が分からなかったのですが、手作り精神で、金をかけることなく足下、いやズバリ言えば家庭を固めろ、とのことです。


 三回目に面白い霊査がおりました。

霊査1

 我ままならず・人ままならず

  すべては天からの預かりもの。よく知ってよく生かす。

霊査2

 我ままならず・人ままならず

  ただ真心を尽くすべし。

霊査3

 我ままならず・人ままならず

  つつしみて受け入れるべし

霊査4

 我ままならず・人ままならず

  出来ることから淡々と。

霊査5

 我ままならず・人ままならず

  流れに背かず、ただ流されず

霊査6

 我ままならず・人ままならず

  それを為すのが工夫なり。

霊査7

 我ままならず・人ままならず

  無理は二度と為さぬなり。


質疑1


質問 「気力の弱っている時にインスピレーションを受けやすいといいましたが、引き籠もりの家族を見ていると、しっくりと受け止められません。気力が弱っていてもインスピレーションを受けられない人がいるのでしょうか?」

 つまりそれは、インスピレーションの取捨選択が必要だということです。悪いインスピレーションに囚われて、良いインスピレーションに注意が向かないのでしょう。

 (食事中のテーブルを指さし……)

 くたびれ果てたあなたは、このテーブルの上の食器の山を、とても一人では片付けられないからと、周囲に助けを求めたとします。そして運良く、誰かが片付けの手助けを申し出てくれたとします。

 その時、オフ会参加者の皆さんは、おそらく、手伝って貰いながら一緒に片付けていくでしょう。ところが世の中には、「私はもう疲れてダメだから片付けておいて」と自分だけ休んでしまう人もいます。……共に片付けるか、任せようとするか、それはインスピレーションの善し悪しではなく、受け取る側の態度にあります。

 さて、気力が衰えて、助けを求めた後に、インスピレーションを得たとします。しかし、人に任せようとする人であるなら、寝ている間に問題解決しているといいな的な、妄想的な考え以外に気持ちが向かないものです。「ああしろ」、「こうしろ」、という意見に耳を貸すどころか、逆ギレして怒り出すやも知れません。

 反対に、気力が衰えてもなお、自分で解決しようとする人であれば、「ああしろ」、「こうしろ」、という意見の中にああ! これなら今の私でも解決できる!というアイデアを見いだすかも知れません。

 つまり、インスピレーションを受けるか否か、というのは本質的な問題ではなく、インスピレーションを受け止めるか否か、ということが本質的な問題なのです。

 いくら意見をしても聞かなくて困る相手……そういう相手がどうしてまともなインスピレーションを受け止めるというのでしょう。どんな立派な神様からの通信だって、聞きとばして終りです。……実際問題のところ、霊感が無い人といわれるのは、妄想的な意見にしか真剣に心の耳をそばだてない人と私は考えております。

 

質疑2


質問 「オフ会中に発表された霊査以外に、黙っておいでの霊査はありませんか?」

 本日、一件だけ未発表の霊査がありました。これは霊査というより祈祷でして、以前より個人的に聞いている問題に対して、「是非こうして下さい」という意志を示したことですので皆さんの前での発表は控えました。

 その他、受けたインスピレーションは、取捨選択して変なものは切り捨て、発表いたしません。間違って発表したり、注意付で発表するかも知れませんが、基本的に私は、問題提起と解決策の二つが揃わない霊査はゴミだと考えております。

 また、精神統一を参加者一同の修行と考えておりますから、個人が留意すべき問題点に重点をおき、ご先祖などからの個人的メッセージというのは意義・意味の有無が判りにくく、また無関係な方のいる前で私的な話は良くないと思いますので、基本的に受信いたしません。

 そして、「これはとうてい相手に言えない」、という話題は、基本的に背後達が避けようとして話題に上りません。

 ……この会話後に気がついたのですが、この質問は、オフ会参加時に用意してきた質問に関する霊査が無かったということでしょう。いえ、回りくどい表現で答えていると思うのですが、詳細は個人宛メールといたします。

 今回、あなたは、オフ会参加前にイエス・ノーで答えられるように問題を整理してから参加なさったことと思います。しかし、あなたの想定に穴があった……気がつかない障害の余地があったことが回りくどい表現に繋がったと思うのですが。

 つまり、懸命にイエスノーの二者択一に纏めたつもりでも、纏め方が足りなければやはりズバリとした回答は難しいと思います。むろん、私の霊能力の不備の可能性も否定するものではありません。


お知らせBy老神いさお。

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