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霊査事例: 2004年5月27日

2004/05/27

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


霊査事例1

 仕事というか、将来というか、そういったものに思いを巡らせているあなたの姿が見えます。

『とても良いプランだが、人々が求めるプラントは良いプランというよりも、自分のメンツが立つプランだ。』

 すなわち、あなたが一つの計画を立てるのなら、認証権を持つ方々のメンツを立てるプランである必要があります。そうでないと実現は難しいかも。更にいうと、あなたの上役の方々は、これから三ヶ月は人の話を聞く耳を持ちません。

霊査事例2

 現象に目を奪われぬことです。舞台や映画のセットは見栄えはするけれど中身がありません。何かを主張すれば何かが犠牲になる。それが現実です。

 あなたが心霊に思い描く矛盾や葛藤は、実はあなた自身が基本的な事に気がつかぬ処に原因が見られます。あなたがどうしてこの世に生を受けたのか。それが不思議に思えなければ一体何に心がときめくというのでしょうか。

霊査事例3

 今期のあなたは好調で、精神的にも大過なし。しかも、あなたは、幸せの意味を知らなければ幸せになれない事をよく知っている。

 無事な時には思うべきです。あなたは何に縛られているのか。自分を不幸(というより不平の元)にしているのは何であり、どうすればそれに負けずに済むか。

 あなたは不幸ではないが、どうにも今を楽しめない。チャンスがあれば、その原因をほぐしていく事です。

霊査事例4

 人間というのは鈍感なもので、最中には幸せである事に気がつかず、幸せが去った時に始めて幸せだったのだと気がつきもします。

 不平不満をいえるのも自由があればこそ。いわば、幸せだからこそ不平がいえるのです。世界中には不平さえも恐れて漏らせない多くの人がいます。

 ……それでなくとも、自分の境遇を不幸であると自認できな宗教邸な背景のあるあなたの事ですから尚のこと考えるべきです。

 あなたは不幸でも「自分は幸せだ」と主張なさいます。その自分を基準に人の幸せを考えぬ事です。すなわち、相手が感謝して見せなくても、ましてや言葉で「しあわせだ!」と表現して見せなくても、あなたが出来るだけ尽くしたのなら、それに感謝せぬ相手に執着(つまり相手に感謝を強要せぬ)ことです。

 と同時に、相手の満足感を基準に努力せぬ事です。それは決して報われません。特に、あなたの周りにいる鈍感な連中が相手では、あなたの価値観が狂う一方です。

 自分に嘘をつくと、いずれ何が本当かが判らなくなります。くれぐれも、相手に満足だ、幸せだという言葉を言わせる為に努力をせぬ事です。

霊査事例5

 精神統一をなさっているあなたを感じます。自分らしさを懸命に探している。その努力は正しいのですが、力んではいけません。

 自分を内面から客観視する事には無理があります。自分を第三者として観察するのです。

 会社内での周囲の評価は上々です。後はあなたが無理せずそれを維持する方法を見つける必要があります。まあ、それほど難しくはないはずです。

霊査事例6

 物凄いストレス、緊張感を感じます。褒めて貰おうとして無意識に背伸びをしている姿が目に浮かびます。

 落ち着きなさい。私が褒めるのは、努力ではなくその人の実力なのです。無理を続けては身体を壊したり、過ちが増えたりもします。あなたは愚かではないし、実力もあるし、頑張る時には頑張る人です。が、どうにも無理をしすぎて自分も周りも疲れさせる所があります。

 あなたは、自分の実力を当たり前のように出せばいいのです。それが判りにくいのならば、腹八分目、腹六分目、すなわち、『こんな手抜きでは良心がうずく』と思えるぐらいの努力に止めるのがよいのです。それぐらいなら無駄な敵を作らず、過ちも犯さず、そして、人生を楽しめます。

 あなたはやらずに失敗するのではなく、やりすぎて失敗する人なのです。手の抜き方を上手にするべきです。


死後の幸福

2004/05/21

04年 05月 21日


 ゴールデンウィークと縁のない私は、その翌週、比較的道路などが空いている時期に有給休暇を利用してささやかなバカンスを取る習慣がある。まあ、自慢するほどの事ではないけれど……休暇前には、なるべく肩の荷を降ろしたいのが人情。私も人間である以上、人情の影響は免れない。

……ああ、早く返事を書かなければ……

 と思えるメールがある。実はまだ返事を書いていない。なぜならどうも霊査が漠然としていて、確信が持てないからだ。すると……「作為に利用されても困るので、覚えていて貰いたくはないが……」という前置きの元、一つの一般的な霊査が降りた。

『はっきり見えないのは、問題が相談者の主観にあるからである。主観は一瞬、一瞬に大きく揺らぐ、ゆえに明瞭な回答を提示するのは嘘になる。ゆえに不明朗な形で示す事になる。』

 つまり……この質問に回答するという事は、まず不可能だという事だ。うん。少なくとも私が安易に答えようとしているうちは。

・・・・・・・

 もう一つの問題について、面白い話を聞いた。まあ、何が面白いかは主観的な問題だが……

 霊界の階層について、古今東西の通信者は、様々な意見を開陳した。それぞれの違いは実は分類法の違いである。そして、私(老神の支配霊)も、一つ提示したい。その切り口は自他の扱い方である。

 人間の認識力を、自と他という二つの観点から分類すると、三・四種類に分ける事が出来る。すなわち……

  1. 自他共に協調。
  2. 自他が対立(他を否定する)
  3. 自他が対立(自を否定する)
  4. 自他共に否定

 この分類により、その人が死後にどのような境遇に至るかが判別する。

1,自他共に協調。

 いわばこれが霊界である。あなたは多くの人々の影響を受け、また、多くの人々に影響を与えて、霊的進化の道を歩む。その結果、あなたが惨めさを感じたとしても、あなたが向かっている道は栄光への道である。

2/3自他が対立

 死後の正解は想念が風景となる。ところが、他と想念を共有できない人にとって、固定的な想念=風景とは、他のいない孤独な風景(境涯)である。そういう風景(境涯)では、何でもあなたの思い通りになるが、つまりそれは孤独であるという事だ。

 このような精神レベルの人にとって、どれほど大勢の友人があろうともやはり孤独である事には変わりがない。所詮、この境涯では、人形の王国しか作れぬから。……古人はこれをサマーランド(常夏)と呼ぶ。想像力が続く限りその世界・境涯では常夏だから。でも、想像力が潰えたらそこは常冬の世界となるのだ。

4,自他共に否定

 それではいかなる精神的風景=境涯が成立しようか。驚くなかれ、こういう、精神的な境地は決して珍しくはないが、それは結局何も生み出さない。

・・・・・・・

 以上の分類が、面白いのは、実はこういう事である。

 「幸せとはなんぞや?」と、人に問うと、その答えは僅か二分割にできる。

 1,○○である事……積極的な幸福感。
 2、○○でない事……消極的な幸福感。

 積極的な幸福感の持ち主は、いずれそれを獲得する。何せ、道は一つしかないのだから、そこに議論の余地はない。しかしながら、消極的な幸福感の持ち主……すなわち、苦や労力を嫌う人にとって、その結末は相当に微妙だ。

……月ロケットが、月に向かうのならば、月につくかも知れない。しかし、どこに向かうか判らぬロケットが月に到着するのだろうか?

 すなわち「苦労を嫌う」というのは、一体どこに向かう為の努力なのだろうか?

 自分の夢を実現する為に、私のページを訪れている人はいずれ、それを手にするだろうと思うのだけど、苦労がイヤだからと私のページを訪れている人は、一体どこに向かうのだろう?


女難の相

2004/05/19

 先日、明々白々の事実からある人に、「女難の相が出ているぞ」と冗談交じりに警告したところ、相手は妙に浮かれている。その時は『おかしな奴』ぐらいに思っていたけれど、振り返ってみるとどうも「女難の相」という言葉から想像するものが、私と相手との間に大きな差があるのではないかと気がついた。

 遡って数年前に、別な人にふと感じる物があり、やはり「女難の相」を指摘した時にも違和感があったのだけれど、これも振り返ると同じ理由に思える。私としては他愛もない話として、「女難」という言葉を使っているのに、相手の反応はどうも大げさだ。

 念のため、「女難」という言葉を学研の “Super 日本語辞典” で引いてみた所、”女性との関係がもとになって、男性がこうむるわざわい。「女難の相」” とある。うーん。表現が曖昧でちょっと釈然としがたい。私が明白にしたいのは次の一点である。この「女性との関係」とは、いわゆる「性的関係」か否か? もしも女難という言葉が、性的関係に伴うトラブルだというのなら、私の使い方は一歩間違えば、それ自体が女難の恐れがある。つまり、私に注意された男性の伴侶や恋人が、「女難」という言葉に浮気心や浮気に対する関心があると錯覚して争いが生じるかも知れないのだから。

 しかし、性的関係が元の災難であるなら、「色難」という言葉もある。また、浮気が元で災難に遭うなら、それは自業自得というべきであって、「女難」と外に向かって警戒させるのではなく、「慢心」として内面に向かって警戒させしめるべき事だ。……むろん、すべての災難には慢心の要素がある。だが、女難と色難は明白に区別すべきものに思える。

 私がなにゆえ「女難」という言葉を用いたのか、その初心に戻ってみると、こういう霊的なメッセージが動機になっていると思える。

『良い所を見せようと鼻の下を伸ばしていると、自分の足に蹴躓いて転ぶぞ』

 むろん、相当な意訳ではあるけれど、こういうニュアンスがあると思える。実際に詳細を求められて、「モテるとか浮気するとかという意味ではなく、頼られて調子に乗ってしくじるという暗示」と注意した事がある。騙されるとか、寄せつけてはいけないとかいう事ではなく、調子に乗った結果としての失敗を戒めているつもりなのだ。

……すると、女難も色難も、慢心が原因で起こる災難と言えるけれど、私の使い分けのポイントは、役得があるのが色難、役得がないのが女難という事か。


 どうせなら女難よりも色難の方が良いって? ――難の種類に苦楽の大小はなく、慢心の大きさに苦楽の大小があるのです。災難を舐めていると……高くつくぞー。


(さらに…)

当て物の矛盾

2004/05/18

 ここでいう当て物とは、要するに透視など、霊媒能力を用いて、相手の今をいろいろと当ててみせる事です。


 かつて、『相談に乗ってもらう前に霊媒の真偽を見抜くために私の人相を当ててみてくれ』という申し出を受けた事があります。

 私が理容関係(美容院とか、理髪店とか)の知識が人並み(?)ならば良かったのかも知れませんが……困りました。髪の毛が特に長いわけでもなく、特に短いわけでもなく、変わった髪型ともいえず、えーっとぉ、こういうのはどう表現すれば良いんだろうとさんざん悩んだものです。……結局、合格点を頂いたようですが、振り返ってずいぶんと馬鹿馬鹿しく思ったものです。こちらは別に自分の能力を売り物にしているわけでもないのに、何でテストを受けるのだか。「むしろそちらが真面目な相談者である事を証明すべきではないか?」と思った次第です。誰のことでもない自分の人生を、他人に切り開いてもらうことに夢中になって、自分のなすべき事を忘れてしまえば本末転倒なのですから。

 まあ、当て物で霊媒をテストするのも、相談者に真面目さの自己弁護をさせるのも、等しくナンセンスな話ではあるのですが。


 心霊研究団体が、霊媒をテストするのに当て物をさせるのは、まあ、判らぬでもありません。それでこそ科学的心霊研究であるのと同時に、その心霊研究団体の背後霊団の品位が問われる事ですから。ところが、相談者が当て物で霊媒の真偽を見抜こうとするのはあまりに素人的な判断、机上の空論です。

 数年前に心霊詐欺の被害者から続々と霊障の有無の問い合わせを受けた事があります。大抵の人はただ霊障が見えると脅かされただけなのですが、中には(自称)霊媒から私生活の事を当てられて信じ、大金を入れ込んだあげくに、あまりの出費に冷静になり、変だと気がついた人が何人かいるのですから。

 この場合はおそらく、紹介者が事前にいろいろと私生活を聞き出し、それを(自称)霊媒に伝えた上で、(自称)霊媒が一芝居打ったのだと推測しているのですが、なにぶん、被害者の方々は、だまされた事を恥じてなかなか事情を明かそうとはしません。私は心霊研究をテーマにしているから無料で相談に乗っていて、いろいろな事例の収集を行っているのに、一方的に受け取ってそのままの人が多いのです……


 更にいうと、当て物というのは(本来)あまり強い霊感を必要とせず、このようなテストで見分けられるのは妄想と霊感の違いぐらいな物です。私も霊感発現の初期には当て物に走って親を恐怖のどん底にたたき込み、危うく抹殺(病院送り)されかかりました。興奮した親が子供を精神病院に入れるのは簡単なんです。

 また、人には本音と建前があり、建前以上に本音に踏み込まれることを、死ぬよりも恐れる事があります。特に偽善的な性格の人、外面は良いけれど……といわれる人などは腹の底を見透かされると簡単に激怒します。たとえそれが当て推量でも……。だから、外面の良い人にはやたらに冗談がいえないと気がつくまでに、私もずいぶんと時間が掛かったものです。いや、いまだに判っていないかも知れません。

 まあ、そういった苦労をしていますので、霊感が強くて、生き方が定まらず、そうして苦しんでいる人を見ると棄てておけないと思った時期もありますが……案外自業自得なのです。まあ、それは別の事。

 当て物で霊感の有無を判断するのは、出来なくはないけれど、あまり意味もない。私は経験からそう考えます。


 更にいうと、相談者が当て物に拘るのは矛盾を生じます。霊媒に求めるべき本質的な能力は事実認定ではないのです。たとえば、占いを考えてみて下さい。フリーソフトとして流通している占いソフトでも、今の自分を当てる事は案外上手で面白くもあります。うんうんそうだよなぁ~とうならしめる占いソフトは案外多いし、占い師ならばそれに話術まで加わります。また、霊媒のインチキを見抜くと称する方々は、霊媒の話法が誘導尋問的であると指摘します。(事実と自己認識の違いを試している場合もあるのですが……つまり、相談者がまともな精神状態でないことが多いわけで……)。というわけで、当て物には色々手段があるとします。

 で、その結果、たとえば『あなたは明日死にます』という、運命鑑定がでたとします。誰がそれを黙って受け止められるでしょうか?

 「そんなはずはない! あんたは間違っている!」……等といえば、相手を侮辱する事になります。その相手が霊媒であるなら、間違いを認める事は霊媒の情報ソースである所の支配霊への冒涜になります。そして、支配霊の否定は霊媒の否定そのもので……という以前に、運命鑑定の結論を否定されて嬉しい霊媒も占い師もいないはず。

 結果を生かせなければ運命鑑定など不毛です。霊媒に望むべき事は、運命鑑定ではなく、好転術、運命鑑定の結論を覆す事なのです。当て物があたる霊媒を見つけるのは、要するに運命というレールの上だけを走ろうとするだけの事。そういう人々を見て思います。良いレールの上を走っているなら、レールからはずれない方が幸せだけど、それだけで済むと思うのか、と。


 裏技に凝り、怪しげな道ばかりを選ぶのはかえって危険ですが、同時に偏見から起死回生のチャンスまで捨て去る人がいる事は人生の面白さの一つです。


 当て物をしすぎて危うく精神病院に封じ込められる所だった私ですが、後日、今の師匠に出会った時、その体験を問うた私を師匠は一言に切り捨てました。

『人の腹の底なんて覗いてしまったら誰とも付き合えなくなる』

 以後、私は自分をこう戒めていました。

……相手がどんなに悪い奴でも、一度ぐらいは騙されてみるか。

 もっとも最近は、理想が霞んで、かわりに経験が幅をきかせつつあるのは、私も老いたという事なのでしょう。間違いを恐れず生きるのはかなり疲れるものですから。


(さらに…)

霊査事例: 2004年5月15日(東京オフ会)

2004/05/15

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


総論

 今日の霊査の傾向は、「息がつまる」と「腹を据える」に要約されるようです。

事例1-1

『息がつまる』と聞こえます。スタミナ不足を感じるのは呼吸が浅いからでしょう。ですから、「時々は深呼吸をしながら仕事なさって下さい……」と申し上げたい所なのですが、どうも私の見る所、職場は息がつまりそうな所で、あまり空気も良くない感じです。
 空気の良さそうな場所、くつろげる場所を見つけて下さい。

事例1-2

『腹に力を入れよ、今のままでは根無し草ぞ』と聞こえました。人に流された生き方は空しいものです。

事例1-3

人生の目的を考える上で大切な事……

『妄想するな。夢は何かと問えば荒唐無稽のことばかり、現実に戻れといえばせせこましい事ばかりを考えて居る。もっと中道を行きなさい』


事例2-1

 我が強く出すぎて息がつまっているようです。統一の姿勢も肩をいからせている割にはお腹が座っていません。

 これはどうも仕事や生活に対して、覚悟を持たず、肝が据わっていないのを、頭で考え、感情的に「不退転」の覚悟を決めているのでしょう。つまり私の目にはへっぴり腰なのに、気持ちだけが対決姿勢に見えるのです。これでは疲れて仕方がありません。

 軟弱な基礎の上に立派な建物があるようなもので、ぐらぐらして仕方がないでしょう。

 こういう問題が生じるのは、自分の為に生きるのではなく、他人の為に生きているからです。つまり、人からよく思われたり、褒められたりする為に一生懸命になっているので、こういう人は、ある時フッと冷静になり、自分の人生のつもりが結局誰かの奴隷になっていた時がついて馬鹿馬鹿しくなり、突然、自殺を選んだりいたします。そこまで周囲に気遣って生きるのは、善い人なのではなく、(皆の都合の)良い人なのです。

 もっと、自分らしさ、自分なりの目的をはっきり、しっかりとお持ちになる事です。

事例2-2

 『男として生れ来て、大望の見えざることなし』と力強く、大きな声で聞こえました。

 その後に小さな声で、『まずは生活を固めよ』とも聞こえました。

 つまり、あなたの人生は最善のコースを辿っているのです。とはいえ、物事には限界もありますし、環境には共有者もいるものですから、最善であってもあなたが望むほど早くは物事が動きません。要するに、確実に前には進むけれど、焦って無理をなさらぬことです。


事例3

 小心であるがゆえに身体を痛めています。心配しすぎてストレスで具合が悪くなるのです。また、あなたの周りには祖先の霊の気配が濃厚に感じられるのに、あなたはどうも、祖先の霊の気配ですら怯えてしまいがちです。

 お住まいになっている土地の霊的雰囲気が悪いと感じます。だから、なおさら神経質になるのでしょう。出来たら引っ越した方が良いのですが。

質問……買ったばかりなので……

返答――まあ具体的な問題点も見えませんし、ご先祖様も守って下さるので何とかなるでしょう。花を飾ったり、インテリアを工夫するなどして気分の転換を図って下さい。

 補足 

 レポートの整理中に気がついたのですが、「霊的雰囲気」というより、あなたの土地に対する信頼感、すなわち、「引っ越してきたは良いけれど、付近の住人は信頼できるのだろうか。この土地は危なくないか」という心配の現れかも知れません。引っ越し、転入の際に付近の神社にお参りなさいましたか? あなたの宗教がどうであれ、その土地を守っている霊に挨拶をする事は決して無駄ではないし、相応に効果もあるものです。神霊って人間の宗教教義には囚われずに働いているからです。


事例4-1

 物事を思いのままにしようとすると、責任まで背負い込んでしまいます。居心地の良さに重点を置いて下さい。

 これは仕事にも家庭にも当て嵌まります。

質問……考えてみると、私は将来の為を思って懸命に努力するのですが、その為に返って苦労するかのようです。以前、HPにあったように、人は業《カルマ》を解消する様に行動するという事ですが、私の業《カルマ》も重いのでしょうか。

返答――人は業《カルマ》を解消する為に行動するというのは、業《カルマ》の存在を意図的に無視している人が、わざわざトラブルに首をつっこむような真似をするという意味です。ところが、本日参加の皆様は、皆、自分の業《カルマ》を自認し、また自認するように努力して、人に迷惑をかけないように真剣に考え、悩み、悩む事で苦しんでいらっしゃいます。いわば、自分の中だけで解決しようとしているわけですから、人と争う業《カルマ》はお持ちではありません。

 ただ、将来の事を思って努力するというのは、皆が甘えて必要以上に働かざるを得なくなるという、世の不合理が働きやすいのです。もうちょっと合理的な行動をお考えになるべきです。

事例4-2

『人を知りなさい。あなたが物事を勝手に決めたからといって怒る人は、決められた事に起こっているのではなく、自分が意見を言えなかった、主張するチャンスが失われた、ひいては自分がおろそかにされたと怒っているのです。相手の立場、メンツを立てる事も考慮なさる事です。』


事例5-1

 「ああしろ、こうしろが多すぎる」と聞こえました。これは部外(老神霊団や参加者の守護・祖霊以外の霊)からによるものです。

某霊、『私の守っている土地を通る時に、「ああでもない、こうでもない、これが悪いのはあいつのせいだ」といった、不平の強い思念を蒔いている。だが、人は皆事情に縛られているのだ。立場が変われば仕方のない事もあるだろう。非難するより協力しては呉れまいか。』

老 『いつも申し上げているように、答えは中にあり、外に答えを求めるのは現実逃避だ、不平がでるのは自分の欠点を認めたくないからと言える』

某霊、『本音を言えば、車の運転中に、不平で興奮すると事故が起こるやも知れぬ。私の縄張りで事故は避けて貰いたい』

事例5-2

 『邪気を吐きなさい』と聞こえます。地上に生きている限り、不満や不平のネタは尽きぬものですが、それに注目すると、不平不満が育っていくものなのです。そして、考えて解決するものならいざ知らず、大抵の不平不満は考えてもどうにもなりません。だったら、そういう不平不満から気持ちを切り替えた方がよほどあなたの為になります。

事例5-3

『腰が重いのは不健康の証』

 不平不満が出るのは、身体が思うように動かぬから、それは結局あなたが不健康であるという事です。心の問題であるというより、むしろ身体に問題があるようです。

 腰が悪くなって運動が出来なくなってしまい、それでストレスの発散のチャンスがなくなったのではありませんか。

質問……考えてみれば、私は運動以外の趣味を持たないものですから、腰を痛めてから楽しみがなくなりました。魚釣りでも始めようと思うのですが。

回答――心霊の勉強を始めた人は、殺生を趣味には出来ないものです。食べる分の魚釣りならば罪悪感を持たなくとも、スポーツフィッシングはたぶん精神的に出来ないでしょう。腰が悪くても出来る、水泳などに挑戦したらいかがでしょうか。


事例6

『考えるのではなく、見なさい』と聞こえました。あなたは事実を見て、それを言葉に直して考えるていらっしゃいます。しかし、事実を表現するのに言葉はとても未熟な手段なのです。その未熟な表現手段で事実を置き換えて考えても、面倒で間違いやすい処理しかできません。それよりも見た事や感じた事から直接感じ取れる事を大切になさって下さい。

 なお、あなたの背後に、霊視の得意な霊がいると感じます。いずれ霊視の才能が現れる事でしょう。その時勘違いしてはならないのが、その力を人の為に用いようなどとはしない事です。見える時、見えるままを人生に生かすのはよいのですが、人の為に働こうなどとすると無理が生じて結局不幸になるからです。

回答――あなたの家系は信心深いはずですが。

質問……祖母は霊視が出来たらしいのですが、色々いわれた為か両親は宗教とかが大嫌いです。

回答――先ほどもお話しした通り、心霊を強く否定するのはそれを恐れる人です。信じていなければ恐れる事もないわけで、強く否定するご両親は、恐れるほど信じているのです。信じているから否定しようと躍起になるのです。

 この辺が霊査と現実認識の難しさです。

事例7

『人の顔を作るものが何であるか。顔とは心の表現である。その顔を見て行動を決めるのではなく、顔を作る元である心を感じて働きなさい。表面的な事に囚われすぎています』

事例8

 上記、事例7と関連していますが……

『結びつきが大切なのです。人の話だけで判断するなら、腹が立ち、許せぬことも多いでしょうが、腹が立とうが何であろうが、人と人との結びつきに注目するなら、わざわざ争う必要もなくなります。行き違いから争いが起こる事もありますが、すべてのコミュニケーションは結びつきを強める為のものなのです。

 本当にイヤなら、相手にもしないはず。お互いが必要としているから、相手にして、相手にするから争うのです。必要としている事をよく自認なさる事です』

質疑1

質問……霊査の際にいつも、武士、僧侶の霊の話が出ますが、実は僧侶と話をする夢をたびたび見ます。いつも疲れている時に見るのです。

回答――一般の人々は、『自分には交霊能力などあるはずない』と思いこんでいるので霊感を発揮できないだけです。でも案外と夢の中でインスピレーションを得ている人は多いもの。あなたのその夢も霊夢と考えて良いでしょう。疲れている時に見えるというのは、心の中の否定因子が弱っているからです。精神統一に慣れると元気な状態でも霊信が受け取れるようになるはずです。

質問……その僧侶が変な事をいうのです。『瀧が落ちるのはなぜか。そこに瀧があるからだ』といった感じなのですが。疲れている時に見ているので、意味も分からぬうちに寝付いてしまうのです。

回答――おそらく、禅問答なのでしょうが、交霊というのは意念の伝達が重点なのです。それに対して禅問答というのは、伝えにくい意念を無理矢理言葉で表現しているのですが、意念がストレートに伝わってしまうと、言葉遊び的なやりとりが出来なくなります。交霊で禅問答は成立しがたいのです。

 なお、その問答はこういう意図のようです。

『瀧が落ちるのも、水の流れ。あなたは人生の急変にたいそうショックを受けたが、それは落差が大きなだけで、水が高きから低きに流れるのと同様、いわば自然の流れである。人は死を免れぬのだから、健康に見えても突然に死ぬ事はあり得ぬ事ではないのだ』


天与の才、パートナーを選ぶ

2004/05/14

 以下は、個人的な相談を元としています。プライバシーが絡んで事情を説明できない為に脈絡のない話に想えるかも知れません。


 天与の才の持ち主は、自分の才を往々、「技術」と表現します。この表現に惑わされてはなりません。真に技術であるなら伝授も可能な筈なのです。人から人へ伝授できない……これこそが天与の才というべきものです。……しかし、ここでは天与の才を論じません。

 反対に、天与の才が乏しい人は、懸命に「技術」を習得します。これは往々、天与の才のまがい物、模造品に過ぎません。

 正直、興味を持つべきは、天与の才の獲得法、または、隠れた才の発揮法であるわけですが、人は人との関わりの中で上手に生きられてこそ、その才も生きてくるものです。世間を向こうに回して独り、自分の才だけで生きられるような人なら、私(老神いさお)の話などに関心を持つ必要もありますまい。……つまり、天与の才を補う「技術」の中に、消極的な活路が見いだせるのです。

 まず、上述のように、天与の才に溢れる人が、自分の才能を「技術である」と表現しても、それを真に受けぬことです。懸命に手口を真似て、追いつけ追い越せ、とばかりに努力しても、吹く風を追い掛けるようなもの。風に乗って舞い上がる人に追いつける人はいないのです。……この時あなたの目が追い掛けるのは「舞い上がる人」ばかりですが、本当に見るべきは「風」なのです。風が見えない人は、風に飛ぶ人に追いつけるはずがありません。

 次に注意すべきは、天与の才の代替品としての「技術」です。代替品はどこまで行ってもまがい物……まがい物を追い掛け始めたら才能の光が増す事は望めません。

 技術に走る人は、才能の枯渇した人……いわば落ち目の人なのです。

 そして、創造力の源が霊感と同義である事を考え合わせると……苦労が人当たりを丸くはしても、人格的にも下降線を辿っている事を示します。

 技術と才能を見誤らぬことです。そして、芸術品と工芸品を見誤らぬことです。まして……昇り行くものと、降りつつあるものとを見誤らぬことです。


 仕事で手を組んでよい相手か、そうでないか。……目の付け所さえ間違わなければ、霊感がなくとも看取る事が出来ます。ところがなまじ霊感が強い人ほど、こういう道理が理解できません。その原理は至って簡単です。

 利や理で割り切るつもりでいて、案外情に振り回されてしまうのが人間です。……この「振り回される」というのは、自己をしっかりと把握していないから起こる事で、ここに心霊的な意味でいう修行の余地があるわけですが、修行が出来ていないと人間は無意識に自分の業を解消しようとしてしまいます。つまり、欠点を直す為の試練を選んでしまいがちなのです。

 霊感の強い人は無理さえしなければ身の危険には陥りませんが、小さなトラブルはたくさん集まってくるものです。ただし、トラブルに巻き込まれる事は単純に善悪・可否では計れません。試練無くして修行は捗らぬからです。……すると、自分が間違った道を歩んでいるのか、修行という名の坂道を登っているのかはどう見分ければよいのでしょうか。……


 以前、「某所で、霊能開発のトレーニングを受けているが、果たしてこの成果は本当に霊感なのだろうか?」という質問を受けました。

 私は、「自分に納得の行く成果が出ていないのなら、それは成果とは呼べないだろう。成果に疑問を持つぐらいなら、そのトレーニングを理解していないのだろう。私にはあなたの努力は無駄に想える」と、返答致しました。

 人生の苦労、出会うトラブルにもこの価値観をあてはめるべきだと思います。ただ問題なのは、霊能開発のトレーニングならばすぐに止められても、人生の苦労には止める手だてがない事です。

 つまり、あなたが苦労の価値を知り、また、その苦労から改修するものがあるなら、あなたの生き方は辛くはあっても間違いではありません。平坦な道をただ行く人よりも多くの成果を手になさるはずです。……では、得るものがないとしたら?

 人がもし、道を間違えたのなら、正しいと確信の持てる所まで戻ろうといたします。人生にもこのような後戻りの努力が必要でしょう。しかし、正しい道に出るまでには時間が掛かり、また、その間の苦しみを免除されるわけでもありません。つまり、ごく当たり前な回答しかあり得ぬことです。……道を間違うな。間違っても文句を言うな。


 

 回答として

 私の一連の回答に対して、あなたが釈然としないものを感じているのはよく分かります。あなたとビジネスパートナーの双方が幸せになる回答を私が為したのなら、あなたは諸手をあげて私の信者になるのでしょうが……しかし、相手は自分の技術に酔い(安酒は悪酔いするのです)、あなたは業《カルマ》の解消の為に相手と縁が切れません。

 相手の運気はこれからも下がります。それが判りながらも縁が切りがたく感じられるのはあなたの業《カルマ》。その業《カルマ》が減っていない事の暗示です。しがみつけば難が降りかかり、切る為には情の整理が必要です。

 

 一得一失

 何事にも代償がついて回ります。縁を切るのも、難を受け止めるのも、その苦しみには大差がありません。ただ、正しい道を選んだものは、苦労に見合った報酬が期待できるというだけの事です。

 私が提示した選択肢は二つ。ではあなたが選ぶべきは何番目の選択肢でしょうか?

 そう、私の他の助言にも耳を傾けている方ならば判るはず。眼に見える選択肢を選ぶだけなら、心霊を学ぶ事に意味がないという事を。

天与の才、パートナーを選ぶ

2004/05/14

 以下は、個人的な相談を元としています。プライバシーが絡んで事情を説明できない為に脈絡のない話に想えるかも知れません。


 天与の才の持ち主は、自分の才を往々、「技術」と表現します。この表現に惑わされてはなりません。真に技術であるなら伝授も可能な筈なのです。人から人へ伝授できない……これこそが天与の才というべきものです。……しかし、ここでは天与の才を論じません。

 反対に、天与の才が乏しい人は、懸命に「技術」を習得します。これは往々、天与の才のまがい物、模造品に過ぎません。

 正直、興味を持つべきは、天与の才の獲得法、または、隠れた才の発揮法であるわけですが、人は人との関わりの中で上手に生きられてこそ、その才も生きてくるものです。世間を向こうに回して独り、自分の才だけで生きられるような人なら、私(老神いさお)の話などに関心を持つ必要もありますまい。……つまり、天与の才を補う「技術」の中に、消極的な活路が見いだせるのです。

 まず、上述のように、天与の才に溢れる人が、自分の才能を「技術である」と表現しても、それを真に受けぬことです。懸命に手口を真似て、追いつけ追い越せ、とばかりに努力しても、吹く風を追い掛けるようなもの。風に乗って舞い上がる人に追いつける人はいないのです。……この時あなたの目が追い掛けるのは「舞い上がる人」ばかりですが、本当に見るべきは「風」なのです。風が見えない人は、風に飛ぶ人に追いつけるはずがありません。

 次に注意すべきは、天与の才の代替品としての「技術」です。代替品はどこまで行ってもまがい物……まがい物を追い掛け始めたら才能の光が増す事は望めません。

 技術に走る人は、才能の枯渇した人……いわば落ち目の人なのです。

 そして、創造力の源が霊感と同義である事を考え合わせると……苦労が人当たりを丸くはしても、人格的にも下降線を辿っている事を示します。

 技術と才能を見誤らぬことです。そして、芸術品と工芸品を見誤らぬことです。まして……昇り行くものと、降りつつあるものとを見誤らぬことです。


 仕事で手を組んでよい相手か、そうでないか。……目の付け所さえ間違わなければ、霊感がなくとも看取る事が出来ます。ところがなまじ霊感が強い人ほど、こういう道理が理解できません。その原理は至って簡単です。

 利や理で割り切るつもりでいて、案外情に振り回されてしまうのが人間です。……この「振り回される」というのは、自己をしっかりと把握していないから起こる事で、ここに心霊的な意味でいう修行の余地があるわけですが、修行が出来ていないと人間は無意識に自分の業を解消しようとしてしまいます。つまり、欠点を直す為の試練を選んでしまいがちなのです。

 霊感の強い人は無理さえしなければ身の危険には陥りませんが、小さなトラブルはたくさん集まってくるものです。ただし、トラブルに巻き込まれる事は単純に善悪・可否では計れません。試練無くして修行は捗らぬからです。……すると、自分が間違った道を歩んでいるのか、修行という名の坂道を登っているのかはどう見分ければよいのでしょうか。……


 以前、「某所で、霊能開発のトレーニングを受けているが、果たしてこの成果は本当に霊感なのだろうか?」という質問を受けました。

 私は、「自分に納得の行く成果が出ていないのなら、それは成果とは呼べないだろう。成果に疑問を持つぐらいなら、そのトレーニングを理解していないのだろう。私にはあなたの努力は無駄に想える」と、返答致しました。

 人生の苦労、出会うトラブルにもこの価値観をあてはめるべきだと思います。ただ問題なのは、霊能開発のトレーニングならばすぐに止められても、人生の苦労には止める手だてがない事です。

 つまり、あなたが苦労の価値を知り、また、その苦労から改修するものがあるなら、あなたの生き方は辛くはあっても間違いではありません。平坦な道をただ行く人よりも多くの成果を手になさるはずです。……では、得るものがないとしたら?

 人がもし、道を間違えたのなら、正しいと確信の持てる所まで戻ろうといたします。人生にもこのような後戻りの努力が必要でしょう。しかし、正しい道に出るまでには時間が掛かり、また、その間の苦しみを免除されるわけでもありません。つまり、ごく当たり前な回答しかあり得ぬことです。……道を間違うな。間違っても文句を言うな。


 

 回答として

 私の一連の回答に対して、あなたが釈然としないものを感じているのはよく分かります。あなたとビジネスパートナーの双方が幸せになる回答を私が為したのなら、あなたは諸手をあげて私の信者になるのでしょうが……しかし、相手は自分の技術に酔い(安酒は悪酔いするのです)、あなたは業《カルマ》の解消の為に相手と縁が切れません。

 相手の運気はこれからも下がります。それが判りながらも縁が切りがたく感じられるのはあなたの業《カルマ》。その業《カルマ》が減っていない事の暗示です。しがみつけば難が降りかかり、切る為には情の整理が必要です。

 

 一得一失

 何事にも代償がついて回ります。縁を切るのも、難を受け止めるのも、その苦しみには大差がありません。ただ、正しい道を選んだものは、苦労に見合った報酬が期待できるというだけの事です。

 私が提示した選択肢は二つ。ではあなたが選ぶべきは何番目の選択肢でしょうか?

 そう、私の他の助言にも耳を傾けている方ならば判るはず。眼に見える選択肢を選ぶだけなら、心霊を学ぶ事に意味がないという事を。

四路五動

2004/05/11

04年 05月 11日


ここに無いものは見つからぬ

 伊勢オフ会の時です。少々寂しい土地で食事が出来る所を探す事になりました。『どこか良い店はありませんか……』と統一しつつ問いかけると……『そもそも店が少ない場所で安くておいしい店を紹介する事も出来ない。食べられればよしという気持ちでいて欲しい』と、霊査が降りました。……この一件は、あまりメンバーの関心を引かなかったのですが、私には目から鱗の気分でした。

 困り果てた人から、「何とかならないですか!!」とねじり込まれても、選択肢が無くなってから相談されてもどうにもなりません。

 

今、無いものは見つからぬ

 たとえば、旅の途中で大河に出会い、船で対岸に渡る事になったとします。船の運航は船頭任せ、どんなに焦った所で船が来て、向こう岸に渡るまでは足踏みしかできません。
……船が来るまでは待たねばならぬ。……

 困り果てた人から、「何とかならないですか!!」とねじり込まれても、時期が悪ければ相談されてもどうにもなりません。

 

四路五動


 道は前後左右と四路あると見なすと、当然、動きには前後進、右左折の四動作ばかりが思い浮かびがちですが、実際には他に「不動」という選択肢もあるのです。すなわち>「四路五動」というわけです。……己の努力だけで生きている人は、どうにも四路四動しか思いつかず、また、見ても聞いても気がつかないものですが、現実には、動かぬ、または動けぬ、というのも動作の内、待つのも選択肢なのです

・・・・・・・

不動の差

 霊感や占いに自信のある人が、投機や投資に手を出して失敗したとします。(良く聞く話です)……果たしてその霊感やら、占いの技能が低いのか……むろん、その可能性もありますが、私はむしろ、「不動」という動作を知らないがゆえと考えます。時期が悪い時に動けば無駄が生じるのは当たり前なのです。一つ一つの運不運に拘っていると、全体の低調・好調を見失いがちです。囲碁や将棋などでは傍目八目《おかめはちもく》といって、実際に指している人よりも脇で見ている人の方が大局を見ている者なのですが、霊媒や占い師も、こと自分の事となると大局を見失いがちです。更にいえば、お金が絡むと本当に視野が狭まるものです。

・・・・・・・

癖の中にも真っ直ぐあり

 まあ、曲がった木の枝にも、真っ直ぐ伸びた部分が多少はあるもので、真っ直ぐな部分だけを上手に使えば物差し代わりにもなる……人も自分の全部を「真っ直ぐだ」と思いこまなければ割合と使い道もあるものですが、癖のある人ほど自分を真っ直ぐだと信じているもので……大局を見失いがちなのは、それ以前の自己観察にも問題があるのかもしれません。

・・・・・・・

分岐点

 人生には様々な分岐点があります。どう進むか……その選択によって未来は変わります。かつて良き友人であった人との別れが待っているのもこの分岐点です。……自分で選ぶべきです。くれぐれも友人にならってついて行かぬように。そうして選んだ道が良い道であればそれは友人の業(あなたが善悪を知っているのではない)。間違って選んだとしたら(友を選び違えた)それはあなたの業なのです。どう転んでも良い事にはなりません。
 今、同じ道を行けなくても、いずれ先で再び道が交わるかも知れません。進むべき道を選ぶのに目的を見忘れぬことです。

 人生を考えるのに、進む事を忘れる人は人生の本質を失います。また、戻るべき時に戻れぬ人は人生を危険に晒します。さらに「四路五動」・「不動」の時期を見抜けぬ人は、人生に無駄が多くなります。

 あなたが、どう進むかと考えた時、そこが人生の分岐点です。どんなにささやかな違いであっても、時と共に行く道の違いは大きくなるものです。「四路五動あり。」――選択肢のすべてが人の眼前に並ぶわけではありません。知り得る人がより多くの選択肢を選び得るのです。どれほど未来を知る術と才能を身につけようと、選択肢を扱う知識に欠けている人ではより多くの恐怖と不安を感じることしかできません。たとえば、「明日、交通事故に遭う」と予知したとして、それで終りにして誰が幸せになるというのでしょう?


静岡オフ会準備中

2004/05/11

 東京/横浜オフ会では、単に精神統一し、座談し、食事をして……その後時間があれば、遊びに行ったり、飲みに行く事もありますが……基本的に、一カ所に集まり、その後は出たところ勝負というところで、準備は簡単です。日取りを決めて、会場を確保すればそれで終わります。

 ところが、静岡オフ会の準備はとても煩雑です。参加希望者の調整から始まって、宿泊先の確保、車の手配、時間調整の手間も掛かります。また、単にホテルなどの場合、人数の増減によってはキャンセル料がかかる恐れもあります。

 まあ、この辺は、強引な主催者が一方的に決めて、料金も事前徴収すれば簡略化できるのですが、なにぶん、知識の詰め込みと技能の習得……とは相反する、自己発見を目的とする会ですから、なるべく自主的、かつ積極的に皆さんにご参加頂かなければなりません。とはいえ、待っていては埒があかないので強引に仕事を割り振る事もあり……

 今回は人数の都合もあり、現地でレンタカーを借りる事となりました。そのレンタカーの手配を男性陣に促した時、誰からも声が上がりません。まあ、いろいろ事情があるのでしょう。そこに一人の女性が手を挙げて……言い出したら責任を取れとばかりに、この方にレンタカーの手配係をお願いする事となりました。

 で、お願いするに当たり、「野郎共はつかえねえ。」と、まあ私流の軽口が出たわけです。……むろん、別段私には悪意もないし、また、野郎共が、それほど横着というわけでなく、いろいろと事情を持っているのも分かります。いわば必然の結果、出来る方に負担がのし掛かるのは一種の真理ですらあります。……そして、次が本題なのですが、ほんのちょっと、意地悪な霊界の意図もあって――まだ、うちのオフ会の雰囲気を飲み込めていない人から

「ホントに役立たずで申し訳ありません。」と返事が来たのです。

・・・・・・・

 手間暇かけるに当たって、恐縮してみせるのも日本語の常識といえますね。ある意味、私の「野郎共はつかえねえ。」という言葉は、その中に私も含まれると考えれば、いわば悪いお手本として一種恐縮して見せているわけです。

 いや、「役立たずで申し訳ありません。」という言葉には、案外、当人の本音が含まれていたかもしれません。一生懸命尽くしているのだけど、なんか不器用で人から評価されない、とか、努力が裏目に出て仕方がない等という人は大勢いますし、そういう状況を改善しようとして、私のオフ会に飛び込む人も多いものです。……内心で、『あれ、私の言い方もちょっときつかったなあ……』と思った瞬間、こう聞こえたのです。

『(この者は)出来ん男じゃないが、うまく行かぬ男だ。つまり間が悪い。間が悪いのはコミュニケーションが下手という事でもある。ここで自分を卑下するよりも、相手を持ち上げてお願いするのも大事と気がつけば、無理に自分を変えようとしなくても相応、人から評価されるのにな。

 自分がやらなきゃ、という気持ちに追われるのではなく、「助けてくれてありがとう」という気持ちが、大事である事に気がつかなければならん。

 そう、ただ、「ありがとう」といえたならもっと楽に生きられるのだ。』

・・・・・・・

 謙遜したのに小言の種にされたのでは、全く、付き合いにくいと思われるかもしれません。思えば他にも、謝り方が悪いといつも叱られる人が何人かいます。この問題についてはもう少し掘り下げたいと常々思っていましたが、忙しいと表面的な問題解決に終始してきました。 また、私も世間一般に対しては、必要以上に謙遜してみせるかもしれません。ただ霊媒としての発言に限り、また、当サイトでの対話に限って、私が心掛けているのは、必要充分な訂正であって、おもねりや狡猾さを必要とする謝罪(霊媒から見れば反吐の出るような想念)ではないという事です。

 なんと言えば分かってもらえるでしょう?

 世の人々が、何かにつけて謝罪を求める事は重々理解しています。訂正だけでは気が収まらず、体内のアドレナリンが消費され尽くすまで、相手に卑屈な謝罪を求める輩のなんと多い事でしょう。反対に、謝罪すれば訂正しなくても良いと考える盗人常習犯的な輩も多い。私は、今よりも良い明日を迎えるための努力に意義は感じますが、世間一般で謝罪と呼ばれているのは、一種の駆け引きであったり、詐欺や騙しあいであったりと、不可思議な人間ゲームに見えるのです。

 何よりも腐敗臭が漂うのは、親が子を叱る態度です。「やめないと、あのおじさんに叱られるわよ」と責任転嫁してみたり、「そんな事をするとお母さん悲しい」と、利益誘導してみたり。そういうしかり方では、親が子の「非を正す」のではなく、「要領の良さ」を仕込んでいるように見えてしまう。意図しないまでもそう仕込んで、それ以後、子供にだまされている親も多いことでしょう……少年犯罪の増加にそう思います。

 訂正する事をおろそかにして、ストレスの発散と、立場の取り繕い、上下関係の確認作業といった事ばかりが優先されていく世の中。変であるとは誰もが感じているのに、その本質に気がつく人がどれだけいるのでしょうか。こういう集団は、動物の群れと比較すべき低劣な集団なのです。(こういう魂の集まりは群霊と呼ぶ。低級霊の集団を指す言葉です。)

 そして、このような集団における弱者とは、養護すべき仲間ではなく、ただ自分の順位を保つための道具なのです。……群れの構成員は自分が最下層に置かれるのをいやがるものだから。 一方、共通の目的を達成するために、それぞれが自分の得意とする働きをし、互いの弱点を補い合って共に前進する、そういう性質の集団もあります。(心霊用語では霊団と呼ぶ、構成員は一定以上の霊格を必要とする。)

……謝罪の仕方、挨拶の方法一つとっても、あまりに卑屈な態度は、私には群霊的なあり方を感じて仕方がありません。それは、私から注意された人々が、まさに群霊レベルの低級な魂の持ち主であるというより、群霊的な集団に属した経験しかない事を意味するのだと思うのです。


 私が心掛けている、コミュニティーは霊団的なものです。

 出来る事は自ら申し出て、力不足を感じたら協力を求め、出来ない事は他の人に頼る。その時は何も出来なくても、いつか必要とされる時がくるだろうし、参加して間もなければ手の出し方も分からぬでしょうが、馴れるのも手伝いの内です。……各自がそう努められる集団こそ、私の魂が所属できるものだと思うのです。

 しかし、地上の中にあって、人は複数の集団に属さなければなりません。中には群霊的なあり方の変えようのないものもあり、こらえて所属することも避けらません。しかし、努力して変えられるものは変えていくべきですし、生活上の必然のない集団……心霊主義者同士の集まりに、わざわざ群霊的な要素を持ち込む必要もないはずです。

 群霊的な態度を見たら、霊団的な心得を伝えればいいのに、表面的な注意に終始する。私の指導力にも問題はあるでしょうが……と、私も日々、学習していくのです。


2004-05-11

霊査事例: 2004年5月8日(横須賀オフ会)

2004/05/08

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


事例1

(オフ会では未公開)

 感受性が鈍い人は、うるさいぐらいに言葉での説明を望みます。しかし、感覚の鈍い人が正しく言葉の意味を理解する事は希です。正しい理解の為に「質問」は重要な役割を果たしますが、感受性の鈍い人は質問するほど理解から遠くなる事もあります。

 尋ねるのではなく、聞くことが出来ると……霊視、霊聴という意味ではなく、普段の会話にも気を配り、聞き落としのない様にしているだけで、実は、わざわざ尋ねなくても必要な事がしっかりと言葉に盛り込まれているものなのです。

 鈍い人は理解も鈍い……聞けば判るはずという、誤解があるから前に進めない人もいるのです。

事例2

 階段で上ればすぐの処でもエレベーターを使う……行動は心の現われです。あえて階段を上る事で人生観が変わる事もあるのです。

事例3

 「上役がそっぽを向いている」状況が見えます。あなたに関心を払っていませんが、それを不平に想わぬことです。

事例4

 「気配れば皆が甘える。」……自覚とは自らに目覚める事です。教えようとしても教えられず、助けようとして助けられぬもの。教えよう、助けようとして逆効果にならぬように。

事例5

 困っている友人の話題の後に……

 自分に出来る事を探して、自分が為すべきことを忘れる。……それを無責任といいます。人の為に働くつもりでいて、実は自分の問題から目を背けている部分が見て取れます。

事例6

 「友人の苦しみを見捨てられぬは、汝も救いを求めたれば。なれど、救いは人の業にあらず。ただ、神に祈れ」

 あなたが苦しい時に、優しくしてくれた人だからこそ、あなたも大切にしたいと思うし、あなたが苦しい時にも、やはり見捨てずに助けて欲しいから、友人を篤く思う気持ちは決して否定すべきものではありません。しかし、あなたに出来る事はそう多くはありません。助けようと懸命に知恵を絞るよりも、友人の幸せを祈る方が先決です。その内に出来る事が見えてくるかも知れませんし、でも、考え事ばかりしていたら思いばかりが湧き上がって必要な事を見落とすかも知れませんよ。

事例7

 いま、その事に悩んでも、出来る事は何もありません。今は、果たすべきことを果たし、体調を整え、明日の準備をする事です。

事例8

『人は天と地の間にあるもの。ふんぞり返れば大地が見えず、うつむいては天が見えぬ。両方見るのに何が必要か?』

 統一中、少々傲慢さが心に湧き上がっていたようです。でも、傲慢さを叱ろうとはいたしません。いかなることがあろうとも自分の思いを実現する為に行動する事も必要です。が、熱中すれば脚下がおぼつかなくなる事もあります。両方に気を抜かぬことです。

事例9

『君が呼ぶ、我が子にもはや面影薄し、昨日《きのう》より 明日の子を見よ』

事例10

『海原に、この住む国を想えども、海より広き母の心知らず』

事例11

『友想う、心にぞ花開く、利他、他信じて、忘我あり。その心美しきかな。』


通信

某 「(参加の)みな様に申し上げます。お座り(精神統一)になられるのは結構でございますが、心に神様をお持ちにならぬご様子。」

私 「私どもは、心を磨いて、神様を過たずに見る為の統一を実習しています。それぞれの信仰は、それぞれが別々にいたします」


質疑1

……同僚の苦悩の話題1……

答 『あなたは、その人の悩みを見て原因まで見抜いたのですね。ならば次は、解決策まで見抜けるように心眼を磨くと人生が頼もしくなりますね』

質疑2

……同僚の苦悩の話題2……

問 「同僚と同じ性質や欠点を抱えているから、気を引かれてしまうのではないかと心配しています」

答 「知識はより適切な思考の助けとなるのです。『気が引かれる』ということから連想できる原因の数が違えば、選択肢・見方も変わります。私はむしろ、その方の背後霊や、その方自身の霊性が助けを求めているのではと想像します。自分の欠点を恐れるよりも、むしろ積極的に相手の悩みを解決してあげようと想う事です。むろん、『解決してあげる』といえば、相手のプライドを傷つけるかも知れませんし、期待させた上で、何も出来なければ相手の落胆も大きくなりますから、最初から解決しようと意気込む必要はありません。むしろ大切なのは、人の悩みを見て自分が学ぶ、そういう手法を会得する事が大切です。それが会得できればわざわざ苦しむことなく多くの叡智を身につける事が出来るのですから」

質疑3

問 『良い友人の条件とは、何でしょうか?』

答 『人は困った時に同情を寄せられると、その相手を良い人と考えがちです。でも、その良い人とは、いわば、あなたの利になる人という意味です。情が情を呼ぶ……情の働きというのは本来、とても独善的なもので、そもそも人があなたに同情を寄せるのも、相手の独善の結果かもしれません。そして、互いに共通の利益や共通の敵がいる時は仲良くできても、ひとたび、利が相反したら一体どうなるでしょうか。同情を寄せたその人が、今度はあなたを憎むかも知れません。

 たとえ自分にとって不利になるとしても、それでも正しい事を貫こうとするのを「義」とよびます。義侠心からあなたを助けようとする人ならば、利害が合わなくとも必要な時にはあなたの味方になってくれるかも知れません。

 例を挙げましょう。「君のやっている事は正しい。大いに頑張りなさい」と言ってくれる人がいれば、その人が善良であろうが悪漢であろうが、あなたはその人に好感を持つでしょう。反対に、「君のやっている事は間違いだ。直ちに止めよ」と言われたら、その人が善良であろうと悪漢であろうと、その人に反感を抱くでしょう。これが「情に感じる」ことであり、あなたが利害で人を見るという事です。むろん、人は生きていく為にはある程度の利己心は必要ですから、こういう価値観のすべてを否定するわけには参りません。

 推し進めて考えて下さい。

 「君のやっている事は私の不都合。直ちに止めよ」と義に反するいわれ方ならば素直に反感を持つでしょう。そして、「こういうことは私にとって好都合。頑張ってくれ。」と言われたら、義と情とに挟まれてあなたの気持ちは複雑でしょう。しかし、「君のやっている事は、目先の利益をもたらしても結局君の為にはならない。止めなさい」という義に訴える言い方であればどうですか? 内容は否定であっても好感を持ちはしませんか?

 人は情に敏感なのは、子供にとってなによりも必要なのが同情であるからです。ですが、社会に責任を持つべき大人になれば、情よりも義を優先すべき時があります。情に流される付き合いでは利害の合う間だけの付き合いになりがちですが、義に応じた付き合いならば、一時は敵味方に分かれて争っても、争う事でより深く知り合う事が出来るでしょう。

 情に流されず、義をおろそかにせずに人と付合って下さい』


お知らせBy老神いさお。

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移行途中のデータが時折、トップページに掲載されますが、編集作業の都合ですので、今しばらくご容赦ください。旧作については、本文右上に日付が記載されます。

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