以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。
総論
今日の霊査の傾向は、「息がつまる」と「腹を据える」に要約されるようです。
事例1-1
『息がつまる』と聞こえます。スタミナ不足を感じるのは呼吸が浅いからでしょう。ですから、「時々は深呼吸をしながら仕事なさって下さい……」と申し上げたい所なのですが、どうも私の見る所、職場は息がつまりそうな所で、あまり空気も良くない感じです。
空気の良さそうな場所、くつろげる場所を見つけて下さい。
事例1-2
『腹に力を入れよ、今のままでは根無し草ぞ』と聞こえました。人に流された生き方は空しいものです。
事例1-3
人生の目的を考える上で大切な事……
『妄想するな。夢は何かと問えば荒唐無稽のことばかり、現実に戻れといえばせせこましい事ばかりを考えて居る。もっと中道を行きなさい』
事例2-1
我が強く出すぎて息がつまっているようです。統一の姿勢も肩をいからせている割にはお腹が座っていません。
これはどうも仕事や生活に対して、覚悟を持たず、肝が据わっていないのを、頭で考え、感情的に「不退転」の覚悟を決めているのでしょう。つまり私の目にはへっぴり腰なのに、気持ちだけが対決姿勢に見えるのです。これでは疲れて仕方がありません。
軟弱な基礎の上に立派な建物があるようなもので、ぐらぐらして仕方がないでしょう。
こういう問題が生じるのは、自分の為に生きるのではなく、他人の為に生きているからです。つまり、人からよく思われたり、褒められたりする為に一生懸命になっているので、こういう人は、ある時フッと冷静になり、自分の人生のつもりが結局誰かの奴隷になっていた時がついて馬鹿馬鹿しくなり、突然、自殺を選んだりいたします。そこまで周囲に気遣って生きるのは、善い人なのではなく、(皆の都合の)良い人なのです。
もっと、自分らしさ、自分なりの目的をはっきり、しっかりとお持ちになる事です。
事例2-2
『男として生れ来て、大望の見えざることなし』と力強く、大きな声で聞こえました。
その後に小さな声で、『まずは生活を固めよ』とも聞こえました。
つまり、あなたの人生は最善のコースを辿っているのです。とはいえ、物事には限界もありますし、環境には共有者もいるものですから、最善であってもあなたが望むほど早くは物事が動きません。要するに、確実に前には進むけれど、焦って無理をなさらぬことです。
事例3
小心であるがゆえに身体を痛めています。心配しすぎてストレスで具合が悪くなるのです。また、あなたの周りには祖先の霊の気配が濃厚に感じられるのに、あなたはどうも、祖先の霊の気配ですら怯えてしまいがちです。
お住まいになっている土地の霊的雰囲気が悪いと感じます。だから、なおさら神経質になるのでしょう。出来たら引っ越した方が良いのですが。
質問……買ったばかりなので……
返答――まあ具体的な問題点も見えませんし、ご先祖様も守って下さるので何とかなるでしょう。花を飾ったり、インテリアを工夫するなどして気分の転換を図って下さい。
補足
レポートの整理中に気がついたのですが、「霊的雰囲気」というより、あなたの土地に対する信頼感、すなわち、「引っ越してきたは良いけれど、付近の住人は信頼できるのだろうか。この土地は危なくないか」という心配の現れかも知れません。引っ越し、転入の際に付近の神社にお参りなさいましたか? あなたの宗教がどうであれ、その土地を守っている霊に挨拶をする事は決して無駄ではないし、相応に効果もあるものです。神霊って人間の宗教教義には囚われずに働いているからです。
事例4-1
物事を思いのままにしようとすると、責任まで背負い込んでしまいます。居心地の良さに重点を置いて下さい。
これは仕事にも家庭にも当て嵌まります。
質問……考えてみると、私は将来の為を思って懸命に努力するのですが、その為に返って苦労するかのようです。以前、HPにあったように、人は業《カルマ》を解消する様に行動するという事ですが、私の業《カルマ》も重いのでしょうか。
返答――人は業《カルマ》を解消する為に行動するというのは、業《カルマ》の存在を意図的に無視している人が、わざわざトラブルに首をつっこむような真似をするという意味です。ところが、本日参加の皆様は、皆、自分の業《カルマ》を自認し、また自認するように努力して、人に迷惑をかけないように真剣に考え、悩み、悩む事で苦しんでいらっしゃいます。いわば、自分の中だけで解決しようとしているわけですから、人と争う業《カルマ》はお持ちではありません。
ただ、将来の事を思って努力するというのは、皆が甘えて必要以上に働かざるを得なくなるという、世の不合理が働きやすいのです。もうちょっと合理的な行動をお考えになるべきです。
事例4-2
『人を知りなさい。あなたが物事を勝手に決めたからといって怒る人は、決められた事に起こっているのではなく、自分が意見を言えなかった、主張するチャンスが失われた、ひいては自分がおろそかにされたと怒っているのです。相手の立場、メンツを立てる事も考慮なさる事です。』
事例5-1
「ああしろ、こうしろが多すぎる」と聞こえました。これは部外(老神霊団や参加者の守護・祖霊以外の霊)からによるものです。
某霊、『私の守っている土地を通る時に、「ああでもない、こうでもない、これが悪いのはあいつのせいだ」といった、不平の強い思念を蒔いている。だが、人は皆事情に縛られているのだ。立場が変われば仕方のない事もあるだろう。非難するより協力しては呉れまいか。』
老 『いつも申し上げているように、答えは中にあり、外に答えを求めるのは現実逃避だ、不平がでるのは自分の欠点を認めたくないからと言える』
某霊、『本音を言えば、車の運転中に、不平で興奮すると事故が起こるやも知れぬ。私の縄張りで事故は避けて貰いたい』
事例5-2
『邪気を吐きなさい』と聞こえます。地上に生きている限り、不満や不平のネタは尽きぬものですが、それに注目すると、不平不満が育っていくものなのです。そして、考えて解決するものならいざ知らず、大抵の不平不満は考えてもどうにもなりません。だったら、そういう不平不満から気持ちを切り替えた方がよほどあなたの為になります。
事例5-3
『腰が重いのは不健康の証』
不平不満が出るのは、身体が思うように動かぬから、それは結局あなたが不健康であるという事です。心の問題であるというより、むしろ身体に問題があるようです。
腰が悪くなって運動が出来なくなってしまい、それでストレスの発散のチャンスがなくなったのではありませんか。
質問……考えてみれば、私は運動以外の趣味を持たないものですから、腰を痛めてから楽しみがなくなりました。魚釣りでも始めようと思うのですが。
回答――心霊の勉強を始めた人は、殺生を趣味には出来ないものです。食べる分の魚釣りならば罪悪感を持たなくとも、スポーツフィッシングはたぶん精神的に出来ないでしょう。腰が悪くても出来る、水泳などに挑戦したらいかがでしょうか。
事例6
『考えるのではなく、見なさい』と聞こえました。あなたは事実を見て、それを言葉に直して考えるていらっしゃいます。しかし、事実を表現するのに言葉はとても未熟な手段なのです。その未熟な表現手段で事実を置き換えて考えても、面倒で間違いやすい処理しかできません。それよりも見た事や感じた事から直接感じ取れる事を大切になさって下さい。
なお、あなたの背後に、霊視の得意な霊がいると感じます。いずれ霊視の才能が現れる事でしょう。その時勘違いしてはならないのが、その力を人の為に用いようなどとはしない事です。見える時、見えるままを人生に生かすのはよいのですが、人の為に働こうなどとすると無理が生じて結局不幸になるからです。
回答――あなたの家系は信心深いはずですが。
質問……祖母は霊視が出来たらしいのですが、色々いわれた為か両親は宗教とかが大嫌いです。
回答――先ほどもお話しした通り、心霊を強く否定するのはそれを恐れる人です。信じていなければ恐れる事もないわけで、強く否定するご両親は、恐れるほど信じているのです。信じているから否定しようと躍起になるのです。
この辺が霊査と現実認識の難しさです。
事例7
『人の顔を作るものが何であるか。顔とは心の表現である。その顔を見て行動を決めるのではなく、顔を作る元である心を感じて働きなさい。表面的な事に囚われすぎています』
事例8
上記、事例7と関連していますが……
『結びつきが大切なのです。人の話だけで判断するなら、腹が立ち、許せぬことも多いでしょうが、腹が立とうが何であろうが、人と人との結びつきに注目するなら、わざわざ争う必要もなくなります。行き違いから争いが起こる事もありますが、すべてのコミュニケーションは結びつきを強める為のものなのです。
本当にイヤなら、相手にもしないはず。お互いが必要としているから、相手にして、相手にするから争うのです。必要としている事をよく自認なさる事です』
質疑1
質問……霊査の際にいつも、武士、僧侶の霊の話が出ますが、実は僧侶と話をする夢をたびたび見ます。いつも疲れている時に見るのです。
回答――一般の人々は、『自分には交霊能力などあるはずない』と思いこんでいるので霊感を発揮できないだけです。でも案外と夢の中でインスピレーションを得ている人は多いもの。あなたのその夢も霊夢と考えて良いでしょう。疲れている時に見えるというのは、心の中の否定因子が弱っているからです。精神統一に慣れると元気な状態でも霊信が受け取れるようになるはずです。
質問……その僧侶が変な事をいうのです。『瀧が落ちるのはなぜか。そこに瀧があるからだ』といった感じなのですが。疲れている時に見ているので、意味も分からぬうちに寝付いてしまうのです。
回答――おそらく、禅問答なのでしょうが、交霊というのは意念の伝達が重点なのです。それに対して禅問答というのは、伝えにくい意念を無理矢理言葉で表現しているのですが、意念がストレートに伝わってしまうと、言葉遊び的なやりとりが出来なくなります。交霊で禅問答は成立しがたいのです。
なお、その問答はこういう意図のようです。
『瀧が落ちるのも、水の流れ。あなたは人生の急変にたいそうショックを受けたが、それは落差が大きなだけで、水が高きから低きに流れるのと同様、いわば自然の流れである。人は死を免れぬのだから、健康に見えても突然に死ぬ事はあり得ぬ事ではないのだ』