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霊査事例:2004年1月17日

2004/01/18

以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


総論

皆様は何を楽しみに心霊を学ぶのでしょうか? 楽しみ方には数限りありませんが、こう分類してみて下さい。自分の外にある楽しみと、中にある楽しみです。そして、外にある楽しみは容易に失われ、中にある楽しみは人が奪うことは出来ません。

皆様は、奪われぬ楽しみをお持ちでしょうか? それを持たぬ限り、自分が幸せである。人生が楽しい……そんなのは幸運・幻想に過ぎぬのです。

「精神統一は大切だ、それはよく分かる。でも精神統一が何か、それがよく分からない」

自分の中に幸せがあるなら、黙って座っているだけの精神統一の中にも楽しみが見いだせるはず。世の中に貧しさを嘆く人は大勢いますが、そういう人たちはみな、心の豊かさを潜在意識の奥深くにしまい込み、欲望の向こうに押しやって苦しんでいるのです。重要なのは精神統一の意義を見いだせないことではありません。自分の中にある幸せを見つけられずに、自分の外に幸せを追掛けているという事実なのです。それで果たして幸せになれましょうか?

世間や家族などに不平不満を募らせる。これらはみな、自分の幸せを外に求めて、報われないからではありませんか。……そのような生き方がいつか報われると思いますか?

確かに、霊界には無償の奉仕の精神が渦巻いています。しかし、魂同士の連携・感応には共感という必然があります。すなわち、あなたが自分の幸せのために人に奉仕する気持ちがなければ、あなたを助ける霊が働けないのが心霊知識の教える所です。すなわち、あなたがより強く助けられたいなら、まず、あなたの内面を磨く必要があるのです。……いや、助けるとか、助けないとかという表現は誤解受けるかも知れません。

たとえば、親は子供を慈しみ、助け、時には甘やかします。しかし、親には親の思慮があり、子供を無制限に甘やかすことはせず、時には強い口調で叱りもします。叱るのも愛情があればこそ……あなたが自分を正す覚悟をお持ちであればこそ、正しい霊はあなたの為に働ける。反対にあなたが自分を正せぬ人なら、守護霊に叱られイジケて終わってしまうかも知れません。

廬氏より

あなたはまず、冷たい水で顔を冷やし、心身が引き締まることを待つべきである。おもむろに深い精神統一を目指す必要はない。ただ、自分を救わんとする霊達が働きやすいように自我を僅かに横にそらせばよいのである。

ある者は座して救われることに罪悪感を覚え、ある者は自己の悟りを過信する。だが、人一人の力はしょせん僅かなものである。

私は死して知った。生前の私の心身を満たしていた気力は、私の魂の産物ではなく、私の魂を好む者達の力の結集であることを。あなた方は知らない。あなたの人生があなただけのものであるなら、それは世にもみすぼらしい人生に過ぎぬ事を。あなたの生き方が、志を同じくする魂の集いの場となってこそ、あなたの人生は世に輝きをもたらすのである。

あなたは救われるのではなく、また救うのでもない。ただ、共に働くのである。そこに罪悪感の働くべき余地はない。何となれば、あなたは社会に寄与し、そして多くの善意があなたの幸せに寄与するからである。あなたの善意がたとえ不純物を混じらせようと、社会全体の善良なる働きに溶けて一体となっていくなら、あなたは恥じる必要もなく、気負う必要もないのだ。

霊査事例1

あなたは舌足らずなのではない。表現が下手だと己をせめるべきではない。何となれば、世の中に必要とされるのは弁舌ではなく行為である。あなたは生前、行為で人を救うよりも、歌舞や祝詞で人を救わんとしてきた。それは虚飾である。偽善である。あなたは今、本当に必要な方法で世に向けて働くことを求められている。それは制約にも思えるが、あなたの人生の科せられた明白な課題でもある。

納得が行かぬのは、誤っていた前世のやり方を、今生でも用いようとするからである。無心になって必要なことを行え。あなたは必要な力を持って生まれてきたのだから。

霊査事例2

あなたは大変に頭の良い人である。だがなぜ、肝腎な事実が見えぬのか。それはただ、あなたがつまらぬ一個の人間の視点の奴隷になっているからである。

確かにあなたは逼塞《ひっそく》している。それは辛い事実である。だが、なにゆえに逼塞しているのか。そこに会社の持つ限界があり、限界とはすなわち弱点である。そして弱点はつけ込んでこそ勝利が得られるのである。あなたは会社の中にあって不平不満を抱いている。だがそれは、会社の持つ弱点に触れずに居てのことではないか。

会社はあなたよりも大きく強いのだから、あなたが懸命にその弱点をついた所で、会社に押しつぶされるのが落ちであろう。そんなことは分かり切っている。まして、会社がつぶれては意味もない。だが、敵の弱点は勝利の糸口であり、味方の弱点は立身出世の糸口なのである。

あなたは人に使われて働くことの意義を見失っている。誰もが給料分だけ働けば会社はつぶれてしまうのである。会社が発展するのは、みなが給料以上の働きをしてこそなのだ。たとえ平社員でも社長のつもりで会社を思って悪いはずもない。イヤ、そのぐらいのつもりが無ければ、在籍していても素浪人である。

霊査事例3

よい。少々、小姑が出ているが、大したことではない。誰もがあなたのことを少し口うるさいと思っているが、誰もあなたを嫌っていない。しかも、気がつけば困った時にあなたの言葉を反芻している。

もしもあなたの有益さが、みなから感謝されているのならば、その感謝の念であなたの善行はチャラになる。すぐに報酬が得られる仕事は誰にでもやりやすい仕事である。だが、誰もがあなたを必要としているのに、だれもがその事実に気がついていないというのは、あなたはより多くの霊的報酬を受けられるということである。

強いていうなら、あなたも又、雑念の影響を受けやすい人だ。構わぬ事である。

霊査事例4

様々な気持ちが去来する。あなたの人生に多くの後悔がつきまとうことは見て取れる。それを癒す言葉を私は持ち合わせない。だが、これだけは事実である。あなたは多くの人から頼られ、また、多くの人から仲間として認められている。事例3

へのメッセージにもあるように、自然な有益さは他人からはなかなか評価されないが、しかし、これほど人々の心にしみこむ力は他にないものである。

あなたの心は善であり、あなたは善を行おうとしている。あなたにとって辛辣な霊的メッセージも訪れただろうが、それはあなたの魂の品性が招いたことではなく、あなたの迷いが招き寄せた戯言に過ぎない。

とまれ、より強き善はより強き試練を招く。それは、神の心が険しいが故ではなく、より強き魂が、より激しき試練を求めるが故である。挑戦に失敗はつきものだ。だが、一時の失敗はより大きな成功を得るための準備に過ぎない。あなたが不幸と感じるものは、ただ、僅か100年前後の短い期間で物事を判断するからである。

多くの人は、より些細、より単純な理由で不幸を味わう。あなたの苦悩と努力は決して少ないものではないが、より僅かな苦悩と努力で、世をのろい、神仏を恨む人と比べて、あなたはより自分を信じられるだけ幸せではないか。

世に、不幸になるために不幸なものは多い。だが、あなた方は、幸せになるために不幸を得たのである。その不幸は永遠には続かない。共に幸せを掴めなくても、いずれはそれぞれに幸せを得るのである。

霊査事例5

あなたは懸命に人のために生きる。これほど人のために生きられる者は、世の中にそう多くはない。あなたはその事を誇りに思って良い。あなたの霊界にいる家族達は、実際に誇りに思っているのだ。だが、あなたの人生はあなたの為のものである。あなたはまず、自分の人生を達成せねばならない。

あなたがもしも、人の為に努力して、結果、自分の運命を呪うなら、それはあなたの努力が間違っていると神に知らしめるようなものである。顧みよ。人の為に尽くして幸せを感じられぬなら、それは善行を施しているのではなく、己が善行を相手に押し売りしているのだ。

霊査事例6

あなたは今、ささやかな幸せに浸っている。その判断は決して間違えではない。しかし、かつてのあなたならば、今のあなたの幸せを「自己満足」と嘲ったことだろう。

あなたは有能な人である。それ故に周囲の誰もが愚かに見えて仕方がなかった。結局、その周囲を侮蔑する心が、人並みの幸せを得ても己を惨めにしていたのである。

今、ようやくあなたは人並みの幸せを楽しむことを覚え始めた。今までのあなたが、当たり前の人を見てもどかしく思えたことを思い起こせば……あなたは人並みの幸せに不平不満が生じるのはむしろ当たり前と理解できよう。それがすなわち、貧乏神と呼ばれる憑依霊である。己が分よりも多くを求めたら、足りないのは当たり前なのだから。

今のあなたは、あなたにとって認めがたいかも知れないが、しかし、世間一般よりも幸せである。その事実を否定するものは、すべて、その貧乏神の働きである。

決して争わず、しかし、迎合してはならない。

個人指導をお求めの方へ

以前、若さに任せていろいろと行っておりましたが、最近では私も「分別」なるものを身につけてしまい、手を広げることをやめております。

個人指導をどうしても受けたいという方は、遠方で御苦労さまではありますが、せめて年一度成りともオフ会に参加頂きたく思います。

見ず知らずの人を信じて、定期的(結構さぼっておりますが)に霊査をとるのは私にとりてもやはり精神的に負担の大きな事なのです。ですから、それなりに誠意を示して頂きたく思います。


廬氏より


あなたは大切なことを見失っている。それは愛である。ここでいう愛とは、誰があなたを愛しているかということではなく、あなたが誰を愛しているかということだ。あなたは誰も愛さぬのに、誰からも愛されないと嘆いている。あなたの心が世界に開かれていないのに、どうして見ず知らずの人の愛情を、受け入れることが出来ようか。

愛されないのではない。あなたはえり好みをしているのだ。

霊査事例1

あなたの野望に一番足りないのは、配下である。大事には手足となって働く人が欠かせない。あなたを友人と思うものは多いが、あなたを主人と思うものは少ない。残念なるかな。これはあなたの志の低さでも、徳の少なさでもない。現代日本が持っている精神的荒廃の一端である。申し訳ないが、これを救う為の助言を私は持ち合わせていない。なぜなら、このような現象は人々が共生する事の大切さを見失ったあげくの結果だからである。

あなたに強いて助言をすれば、人を救うよりも、己一人が快く生きられる道を探せということである。それが出来なければ(そうであることを願う)あなたの前には苦難が待ち受けている。

霊査事例2

子供の言葉に耳を傾けなさい。子供なりの言葉ではあるが、素直にあなたが見失っているものを語るだろう。むろん、子供はあなたにより多くの時間をもとめる。だが、あなただって、子供と過ごす時間が楽しいはずである。

あなたはなるほど忙しい。だが、その忙しさの大半は決して報われぬ。子供との時間を大切にせよ。無駄に見えるようで居てその時間ほどあなたを癒し、励まし、そして有益な時間はない。あなたが今、関わっている人々の中で、50年後も付合っている相手は、あなたの子だけである。よいか、50年後である。

霊査事例3

言い訳を探してはなるまい。あなたに誠意が足りぬのではなく、あなたの誠意が素直に受け取れぬほど世の中は、そして、人々の心は歪んでいるのである。あなたが言い訳や、または自分の味方を探せば探すほど、あなたの心には惨めさが折り重なる。

あなたはよくやっている。それ以上どうすれば良いというのか。夢のようなことを語るよりも、現実をよくしていこうと強く主張せよ。さもなければ、あなたの好意が結局、後ろめたさに汚れてしまうのだ。

霊査事例4

あなたには求めても得られぬものがある。その事は私にもどうしようもない。そして、それを除いてしまえば、あなたの心は空しい。それも致し方がない。あなたの願いは理解する。だが、それは第一の目的とすべき事ではない。速やかに新しい第一の目標をお作りになることである。

今は多くを語れぬが、あなたの求めるものはあなたのすぐ側に常に控えているのだ。


1月14日

2004/01/10

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


 整体術の大家が若い頃、淺野和三郎氏の心霊実験会に参加して、心霊に幻滅したのだとか。

「確かに不思議だ。でも闇夜をボールが飛び回ったりすることで人が幸せになるのだろうか?」

結局、この方は、ご自分の霊能力(表向きは否定している)を健康法の追求にのみ用いた。

 我が師のお嬢さんなども、米国で精神統一会に参加したけれど、余り長くは通わなかったとのこと。私は指摘しました。「背後にこういう霊がついている、等という霊査ばかりではつまらなくなるのでしょう。」……師も不承不承、頷いていました。

 霊なんて観たって幸せにはなりません。背後にどんな霊がついていようが、自分が変わらなければ幸せにはなりません。

 皆様は何を楽しみに心霊を学ぶのでしょうか? 楽しみ方には数限りありませんが、こう分類してみて下さい。自分の外にある楽しみと、中にある楽しみです。そして、外にある楽しみは容易に失われ、中にある楽しみは人が奪うことは出来ません。

 皆様は、奪われぬ楽しみをお持ちでしょうか? それを持たぬ限り、「幸せで楽しい人生」が、実は奪われぬ間の一種の幻想に過ぎぬ事となります。

「精神統一は大切だ、それはよく分かる。でも精神統一が何か、それがよく分からない」

 自分の中に幸せがあるなら、黙って座っているだけの精神統一の中にも楽しみが見いだせるはず。世の中に貧しさを嘆く人は大勢いますが、そういう人たちはみな、心の豊かさを潜在意識の奥深くにしまい込み、欲望の向こうに押しやって苦しんでいるのです。重要なのは精神統一の意義を見いだせないことではありません。自分の中にある幸せを見つけられずに、自分の外に幸せを追掛けているという事実なのです。それで果たして幸せになれましょうか?

 世の中や、家族などに不平不満を募らせる。これらはみな、自分の幸せを外に求めて、報われないからではありませんか。……そのような生き方がいつか報われると思いますか?

 確かに、霊界には無償の奉仕の精神が渦巻いています。しかし、魂同士の連携・感応には共感という必然があります。すなわち、あなたが自分の幸せのために人に奉仕する気持ちがなければ、あなたを助ける霊が働けないのが心霊知識の教える所です。

 すなわち、あなたがより強く助けられたいなら、まず、あなたの内面を磨く必要があるのです。

廬氏より

 あなたはまず、冷たい水で顔を冷やし、心身が引き締まることを待つべきである。

 おもむろに深い精神統一を目指す必要はない。ただ、自分を救わんとする霊達が働きやすいようにエゴを僅かに横にそらせばよいのである。

 ある者は座して救われることに罪悪感を覚え、ある者は自己の悟りを過信する。だが、人一人の力は所詮僅かである。

 私は死して知った。生前の私の心身を満たしていた気力は、私の魂の産物ではなく、私の魂を好む者達の力の結集であることを。あなた方は知らない。あなたの人生があなただけのものであるなら、それは世にもみすぼらしい人生に過ぎぬ事を。あなたの生き方が、志を同じくする魂の集いの場となってこそ、あなたの人生は世に輝きをもたらすのである。

 あなたは救われるのではなく、また救うのでもない。ただ、共に働くのである。そこに罪悪感の働くべき余地はない。何となれば、あなたは社会に寄与し、そして多くの善意があなたの幸せに寄与するからである。あなたの善意がたとえ不純物を混じらせようと、社会全体の善良なる働きに溶けて一体となっていくなら、あなたは恥じる必要もなく、気負う必要もないのだ。

霊査事例1

 あなたは舌足らずなのではない。表現が下手だと己をせめるべきではない。何となれば、世の中に必要とされるのは弁舌ではなく行為である。あなたは生前、行為で人を救うよりも、歌舞や祝詞で人を救わんとしてきた。それは虚飾である。偽善である。あなたは今、本当に必要な方法で世に向けて働くことを求められている。それは制約にも思えるが、あなたの人生の科せられた明白な課題でもある。

 納得が行かぬのは、誤っていた前世のやり方を、今生でも用いようとするからである。無心になって必要なことを行え。あなたは必要な力を持って生まれてきたのだから。

霊査事例2

 あなたは大変に頭の良い人である。だがなぜ、肝腎な事実が見えぬのか。それはただ、あなたがつまらぬ一個の人間の視点の奴隷になっているからである。

 確かにあなたは逼塞している。それは辛い事実である。だが、なにゆえに逼塞しているのか。そこに会社の持つ限界があり、限界とはすなわち弱点である。そして弱点はつけ込んでこそ勝利が得られるのである。あなたは会社の中にあって不平不満を抱いている。だがそれは、会社の持つ弱点に触れずに居てのことではないか。

 会社はあなたよりも大きく強いのだから、あなたが懸命にその弱点をついた所で、会社に押しつぶされるのが落ちであろう。そんなことは分かり切っている。まして、会社がつぶれては意味もない。だが、敵の弱点は勝利の糸口であり、味方の弱点は立身出世の糸口なのである。

 あなたは人に使われて働くことの意義を見失っている。誰もが給料分だけ働けば会社はつぶれてしまうのである。会社が発展するのは、みなが給料以上の働きをしてこそなのだ。たとえ平社員でも社長のつもりで会社を思って悪いはずもない。イヤ、そのぐらいのつもりが無ければ、在籍していても素浪人である。

霊査事例3

 よい。少々、小姑が出ているが、大したことではない。誰もがあなたのことを少し口うるさいと思っているが、誰もあなたを嫌っていない。しかも、気がつけば困った時にあなたの言葉を反芻している。

 もしもあなたの有益さが、みなから感謝されているのならば、その感謝の念であなたの善行はチャラになる。すぐに報酬が得られる仕事は誰にでもやりやすい仕事である。だが、誰もがあなたを必要としているのに、だれもがその事実に気がついていないというのは、あなたはより多くの霊的報酬を受けられるということである。

 強いていうなら、あなたも又、雑念の影響を受けやすい人だ。構わぬ事である。

霊査事例4

 様々な気持ちが去来する。あなたの人生に多くの後悔がつきまとうことは見て取れる。それをいやす言葉を私は持ち合わせない。だが、これだけは事実である。あなたは多くの人から頼られ、また、多くの人から仲間として認められている。●●(事例3)氏へのメッセージにもあるように、自然な有益さは他人からはなかなか評価されないが、しかし、これほど人々の心にしみこむ力は外にないものである。

 あなたの心は善であり、あなたは善を行おうとしている。あなたにとって辛辣な霊的メッセージも訪れただろうが、それはあなたの魂の品性が招いたことではなく、あなたの迷いが招き寄せた、戯言に過ぎない。

 とまれ、より強き善はより強き試練を招く。それは、神の心が険しいが故ではなく、より強き魂が、より激しき試練を求めるが故である。

 挑戦に失敗はつきものだ。だが、一時の失敗はより大きな成功を得るための準備に過ぎない。あなたが不幸と感じるものは、ただ、僅か100年前後の短い期間で物事を判断するからである。

 多くの人は、より些細、より単純な理由で不幸を味わう。あなたの苦悩と努力は決して少ないものではないが、より僅かな苦悩と努力で、世をのろい、神仏を恨む人と比べて、あなたはより自分を信じられるだけ幸せではないか。

 世に、不幸になるために不幸なものは多い。だが、あなたがたは、幸せになるために不幸を得たのである。その不幸は永遠には続かない。共に幸せを掴めなくても、いずれは互いに幸せを得るのである。

霊査事例5

 あなたは懸命に人のために生きる。これほど人のために生きられる者は、世の中にそう多くはない。あなたはその事を誇りに思って良い。あなたの霊界にいる家族達は、実際に誇りに思っているのだ。

 だが、あなたの人生はあなたの為のものである。 あなたはまず、自分の人生を達成せねばならない。

 あなたがもしも、人の為に努力して、結果、自分の運命を呪うなら、それはあなたの努力が間違っていると神に知らしめるようなものである。顧みよ。人の為に尽くして幸せを感じられぬなら、それは善行を施しているのではなく、己が善行を相手に押し売りしているのだ。

霊査事例6

 あなたは今、ささやかな幸せに浸っている。その判断は決して間違えではない。しかし、かつてのあなたならば、今のあなたの幸せを「自己満足」と嘲ったことだろう。

 あなたは有能な人である。それ故に周囲の誰もが愚かに見えて仕方がなかった。結局、その周囲を侮蔑する心が、人並みの幸せを得ても己を惨めにしていたのである。

 今、ようやくあなたは人並みの幸せを楽しむことを覚え始めた。今までのあなたが、当たり前の人を見てもどかしく思えたことを思い起こせば……あなたは人並みの幸せに不平不満が生じるのはむしろ当たり前と理解できよう。それがすなわち、貧乏神と呼ばれる憑依霊である。己が分よりも多くを求めたら、足りないのは当たり前なのだから。

 今のあなたは、あなたにとって認めがたいかも知れないが、しかし、世間一般よりも幸せである。その事実を否定するものは、すべて、その貧乏神の働きである。

 決して争わず、しかし、迎合してはならない。


1月10日 横浜オフ会

2004/01/10

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


霊査事例1

 あなたは自分を、「雑念が多い」と思いこんでいらっしゃいますが、実は、雑念を拾いやすいのです。ですから雑念の中にあっても確固とした自分を持っていらっしゃいます。ですが、考え事をしている最中に雑念が湧き上がると、それを打ち消すために取っ組み合いをしてしまい、興奮して我を忘れてしまいがちです。

 何かをなす時、雑念がわき上がったとしても、雑念と取っ組み合うのではなく、雑念の中にあっても確固とした自分を信じ、それに主導権を与えて断固、前に進んで下さい。

 なお、「あなたは今まで辛抱してきた分、三年間は願望が叶いやすい」と聞こえました。時流にのっているようです。

霊査事例2

 会社であなたを引き立ててくれた方が、失脚します。でもあなたは条に流されることなく仕事に誠意を尽くして下さい。あなたを見守る眼は多くあります。

霊査事例3

 とてもすっきりした顔になっています。

 家族のことについて、あなたの思いが通じるにせよ、通じないにせよ、その人にとって一番良い結果が迎えられる、その準備が整いました。あとは、その一番良い結果があなたの思う通りであるように、「すっきりと努めましょう」

 次は実家の掃除ですね。

 「すっきりと努める」……というのは、自分の利益を優先したり、つまらぬ妄想といつまでも遊んでいたりというような、邪な、そして愚かなことを遠ざけて気持ちを清らかに、努力を重ねるという意味です。

霊査事例4

 うまくやろうとするから、頭で考えられるベストで終わってしまいます。創造力や結果というのはすべて神の被造物と割り切り、良い結果は、自分の頭ではなく、神の道具になることで得られる……よく考えるよりも、良い道具であるように努力なさって下さい。

 人の頭で考えられることは、その時代のニーズにマッチして人気を得るかも知れません。しかし、インスピレーションで得たものでなければ、時代を超えた作品が生まれないものなのです。

霊査事例5

 お祖父様があなたの成功を大変に喜んでいらっしゃいます。なお、あなたも、あなたのお父様、お祖父様も大変な勉強・努力家ですが、その性格の背後には、「慢心」という陰の属性があります。自信を持つことは良いことですが、それを慢心と誤解する人が必ずいることですから、なるべく誤解を受けぬように立ち振る舞いに気をつけて下さい。

霊査事例6

 「私は前世で異性に大変な迷惑をかけた」……と聞こえました。まあ、あなたの前世というより、そういう祖先の霊を背後に持っているようです。いずれにせよ、私は余り前世の罪を償うという考えを好んではおりません。前世で罪をなしたのならそれは霊界で償った後に生まれ変わってくるのが筋ですから。

 それはさておき、

「夜寝る前に、『私が知らずに迷惑をかけた方が幸せになりますように』と祈ったならば、開運するだろう」と聞こえました。これは、心がけた方がよいと思います。

霊査事例7

 内臓を痛めているようです。『安酒を飲むな』と聞こえました。具体的には、居酒屋などで銘柄も記載していないような酒(合成酒など)は避けなさいということです。又、時々は、心を静めて、自分の身体のどこが悪いかを自分自身に尋ねてみて下さい。

 たとえば、手はどうか、脚はどうか、胃はどうだ、心臓はどうだ、と、自問自答し、心に引っかかるものを感じたらそこにしばらく手を当てるだけでも、ずいぶんと違うものです。

霊査事例8

 服装にもっと気を配りましょう。お金をかけなくても良いし、また、服装ばかりで中身の無いのも困りますが、だからといって、服装で誤解をされるのも損ではありませんか。

霊査事例9

 言葉を少なく、効果を考えて発言して下さい。

 あなたの新しい仕事はどうも余り合理的な計画を持っていないようです。するとどうしてもあなたの目から見てズサンなところが数多く気がつくことでしょう。しかし、気をつけて発言しないととんでもない人を敵に回すことにもなります。

 ですから、相手に教えるというより、相手がが気がつくように上手に発言して下さい。

霊査事例10

 情に流されずに、合理的に考えて行動すること。あなたの祖先の霊が大変に心配して涙ぐんでいるのが見えます。同情はとても有難いものですが、感情に流されて合理性を失うとすべてをフイにしてしまうかも知れません。

質問1 「転職を考えているが、面接を受けて良いだろうか」

 まず、忘れて頂きたくないのは、人生の選択肢というのは必ずしも明白に良否が判るとは限らないことです。すなわち、どちらがより被害が少ないか、という、どちらを選んでも必ず痛みの伴う選択は人生においてあたりまえなのです。こういう選択を他に委ねると、ついつい『もっと良い選択肢があったのではないか、別な人に相談した方が良かったのではないか』などという妄想に囚われてしまうことがあります。ですから、貰うのはヒントだけで判断はご自分でなさって下さい。

 さて、転職をすべきかどうか、それ以前に、本当に転職が必要なのかを考えるべきではありませんか?

 ついつい、頭で考えてうまく立ち回ろうとして、結局の所、無益な行動になるのはよくあることです。本当は必要もないのに、精神的に「転職すべし」と思い詰めては居ませんか?

質問2 「仕事に使う機材が、中古で安く売られている。中古品にイヤな因縁がついていないだろうか。またこれを買って良いものだろうか?」

 やむなき事情で嫌々手放した品物には、よからぬ因縁がついている場合があります。ですから、なるべく中古品は避けるのがよいのですが。

 いずれにせよ、その機材を単体で価値を考えるのではなく、全体を通じて考えるべきです。また、人はどうも欲しいものがあると、その利点ばかりを数え上げて欠点を考えず、購入後に、欠点を数え上げてイヤになることがあります。ですから、買う前によく欠点を洗い出すと良いでしょう。

 (オフ会あとの初詣の際に)

『あなたが思うほど役には立たぬ機材です。だから、手放す人があったのですよ』と聞こえました。


死を嘆く

2004/01/09

04年 10月 09日


 知人の死を嘆くメールを頂いた。実に苦手な話題だ。

 別段メールの相手は、私に何かを求めているのでもなかろう。だからただ、「ご愁傷様」と返事をすればよいのだとは思わなくもない。むしろ、下手な返事は、嘆く人に塩をふりかけるようなものに違いない。少なくとも眼にはしみると思う。

 霊感の比較的強い方々は、むしろ死者の方が付合いやすいぐらいに言い出しかねない。「そういうことは言うな」といってみても、内心では私も同意していたりする。とはいえ、残された家族にとってみれば、失うことの悲しみと同時に欠員が生み出す悩みも生じる。更にいえば、中途半端に霊感が強いと、死者の都合よりも残された家族の嘆きに強く反応してしまう。

 泣いても悲しんでも問題解決の助けにはならないが、せめて泣くぐらいは大目にみなくてはいけないと思う。

 霊界通信によると、死者を嘆くのは生者のワガママだという。つまり死者は、次の生活をはじめるための準備が必要なのに、それを励ます祈りは少なく、「なぜ死んでしまったの!!」という悲しみの念ばかり家族から送りつけられては、修行など手につくはずもない。まして、好きこのんで死ぬ者は滅多にいない。たとえば自殺者だって、大抵の場合は病的な原因で死ぬのだ。「死ぬな」と言われてどうにか出来るの者は滅多にいない。従って、その死を嘆かれて、反省すべき霊(人)など滅多にいない。すなわち、「なぜ死んでしまったの!」と思われては、それを苦痛に感じない人は稀だと言うことだ。

 又これは世の中の道理として言うと、そもそも悪行を進んで行うものは責められて悔い改めず、過ちを犯したのものは、責められなくとも悔い改めるものだ。つまり、相手が善人であるほど、責め言葉を真剣に考えて苦しむ。結局、地上の葬式のあり方、というか、死者の送別方法は、善良な魂ほどそれを苦痛に思う不公平さがある。……実を言えば、顕幽交通や心霊研究などは、善人が苦しむような、地上の死生観の改革を行うのが目的と行っても過言ではない。しかし、その道は遠く険しいと思わざるを得ない。

 人が死ねば、悲しみが生じるのは致し方ない。でも、悲しむことが誰の幸せに繋がるというのだろう?


‘顕幽問答(1)

2004/01/06

問 「霊媒・行者の中には、火を通した食品を食べない者がある。湯さえも嫌うらしいが、霊界が霊媒にこのような事を強いて、いかなる意味があるのだろうか?」

――専門の者(霊)に説明さす、といわれて眼前に現れたのは、白き髯をはやした、見るからに……それらしい霊である。

答 「物質には記憶する力がある。サイコメトリー等という能力は、本来誰にでもあるが、殊に霊媒には強くあり、煮炊きといった刺激を与えた食品は、霊感に与える刺激も多い。そもそも、霊感を磨くに当たっては丁寧さが必要で、霊感に刺激を与えにくい食材を選ぶのは、レンズを磨くのに肌理《きめ》の細かい研磨剤を必要とするのに似ている。

 むろん肉食、とくに四つ足の肉を食すことを忌むのは、複雑な動物ほど死に際して痛みを強く感じ、その身に記憶しているからである。これは野菜などにもあてはまる。丁寧な育てられた野菜や穀物と、機械で収穫したような乱暴な扱いをされた野菜・穀物では霊感に対する刺激は違う。多少の刺激が有ろうが霊感を磨くことは出来るが、荒い研磨剤で磨いたレンズのように、傷だらけで少々見えにくくなるだろう。」


問 「(愚問な気もするが)では、私なども火食を忌めば、霊感が高まるだろうか?」

答 「汝ならばすでに知りたるように、霊媒・霊能の力は、人そのものの力にあらずして、霊界・霊達の援助に負う部分も大きい。飛び上がったからといって引き上げる者がなければ天まで届かぬのだ。そう支配霊から指示されない限り、絶食しようが、瀧に打たれようが、とくに霊感が高まることはない。もっとも、汝らが滝行を楽しむのは結構であるし、食べ過ぎて身体を壊しがちな現代人が、適度に絶食をするのはかえって身体に良い。身体が良くなれば、自ずと心の働きも良くなり、霊感がよく働くとは言える。しかし、一般の人、特にストレスに晒されている人々が火食を断っても健康を維持するのはなかなかに難しい。かえって胃腸を痛めるのが普通と思うべきだ」

問 「すべての人には霊感があるといわれるが、霊界の手助けがなければ霊感が向上しないのであれば、精神統一の修業などは無駄ではないか?(これまた愚問な気もするが)」

答 「自分のための霊感を受けるのと、他人のためにまで霊感を受けるのとではその責任が違う。誰もが自分のためのインスピレーションを自ら受け取るべきは言うまでもない。そして、その手助け役の人材育成のために、霊達は霊媒を養成するのである。長南敏恵のような霊媒は、人々に待望されもするだろうが、そのような大袈裟な霊媒は、かえって人々が修業をおろそかにしてしまう。あれは特殊な事例である。」

問 「では、人々が霊感を高めるために心がけるべきは何だろうか?」

答 「他でも話したる通り、人がその精神性の発揮に一番困難を感じるのは、悪霊低級霊のたぐいではなく、むしろ自分の心に救う欲望や迷いである。それを知りたる者は、欲望や迷いを棄てようとしてまた別の業を生み出しもする。迷いに負けぬ強い霊感を求めるのはそれがそのまま迷いそのものであって、本来は、自分の迷いや欲望を、相手にせぬ霊感で充分なのだ。迷っても良いが、祈る時はただひたすら祈ることだ。その切り替えを大切にすればよい」

答 「ではこちらからも言おう。まず、霊感が欲しいと思うならば、漠然と思うのではなく、心中で語りかける相手を見つけることである。それを、答えが得られるまで続けるのではなく、ある程度問うて、答えがなければ別な相手を選ぶようにするがよい。もっとも、大抵の人々は、質問する際に、自分の思う以外の答えを拒絶する覚悟を持つものだ。これでは答えをもらっても気がつくのは難しい。実を言えば、霊感が得られぬ人の大部分は、先入主であるのだ。」


問 「霊能と霊格・人格は別だといいますし、霊感の持ち主が素直であるとは限りませんが」

答 「霊感、ことに、霊能力は、感情的な素直さとはさして関係がない。意念の純粋さが大切なのである。邪な者であっても、心根に一点ぐらいは利用価値があるものだし、そもそも、霊感の強い者は一様に単純さを持ち合わせている。
 扱いにくいのは、心に裏表やら、隠しポケットやらをたくさん持っている複雑な人物である。」

問 「心が複雑な人は救いにくい、扱いにくいと言うことですか?」

答 「上達の遅い早いの違いはあっても、教える内容に違いはない。手間が掛っても難易度が変わるわけではない。この事は汝(霊媒をさし)特に注意せよ、扱いの難しい相談者というのはいないのだ、いると思うのは勘違いである。
 心の複雑な人間は、自分の思いこみの外へ出ては来ない。従って、こういう者を救うことも教えることも出来はしない、ただ、言葉の応酬で時間を潰すだけのことである。心のひだの奥底に潜んで、自らの妄想を弄び、他人の言葉を妄想の種にするだけで自分の心の糧には出来ずにいる……それでは指導の方法などあるはずもない。そういう相手は、指導せず、さりとて無視せずの、時間の無駄で応じるより無いのである。」


問 「脱線かも知れませんが、霊界通信や霊界訪問記などで、異教徒の末路について悲惨な報告が多くあります。事実でしょうか? それとも霊媒の思いこみでしょうか?」

答 「単に説明不足なだけである。学校の授業にたとえると、国語の授業中に英語の勉強をしたり、数学の時間に国語の勉強をしていたりすれば、その生徒がどんなに熱心に勉強していようが、担当の教師から叱られるであろう。まして、その内容を深く知ることもなく、新しいものに飛びついて有り難がっているようではその心根はやはりさもしい。神道には神道に学ぶ所有り、仏教にも仏教の叡智有り、キリスト教にも素晴らしき奉仕の念がある。だが、どれか一つだけを学んで充分という智慧は、未だ地上には現れてはいない。
 まして残念は、言葉ではドグマに囚われることの悲劇を理解しつつも、寛容さを会得しないが為に、大きなドグマを棄てて、小さなドグマに囚われることも多い。おいおい解消していかねばならぬ事である」

問 「そのたとえ通りであれば、英語を勉強すると地獄行き、とか、国語を勉強すると地獄行き、といった、結局はデタラメな心霊知識が増えていることになりませんか?」

答 「人間の理解力には限度があり、心霊事実はその限度を超えている。従って、これで充分という心霊知識は皆無と言って良い。大切なのは、先覚者の言葉を丸飲みに信じることではなく、それを手掛かりに真実に至る理解力である。どのみち、地上で学んだことは死後に改めてその価値を洗い出し、間違いを正した上で次に進むのである。間違いを学ぶことを嫌うよりも何も学ばずにいることの方が過ちとしては大きい。」

問 「デタラメを教えても構わないと?」

答 「場合によっては地上の法に触れるであろう? 従って歯止めはある。また、地上の試練を他人の答え丸写しで自分の答えにするのは、試験でいう所のカンニング。カンニングして落第したからといって、『悪いのは答えを見せてくれた奴で、私じゃない』等という言い訳は通らない。通らないどころか、カンニングの罪の方が重いのだ」

問 「カンニング幇助で善人ぶる偽善者も多いと……」

答 「答えのなんたるかを知らぬ者にはそもそも受験資格すらない。ただの見学者に過ぎない。見学者に気を取られて試験を落としては成らぬぞ。ライバルは別にいる目の付け所を間違うなかれ」

問 「共同研究は許されぬと……」

答 「比喩の矛盾で揚げ足を取っては成らぬ。」

問 「最後に精神統一のコツなどがありましたら教えて下さい」

答 「最初から最後まで受け身であっては意味がない。語りかけ、ひたすら聞き、そしてまた問うて、また聞く。その繰り返しが大切だ。また、濃淡・強弱でメリハリをつける方が、疲れも少ない。なにより退屈が人の心を疲れさすからな」

問 「ありがとうございました。また質問が生じたらお答え願いますか?」

答 「いつでも……というわけには行かぬが、週に一度ぐらいならば時間は割けよう。では……」


2004-01-05

 

お知らせBy老神いさお。

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