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7月26日 横須賀オフ会

2003/07/26

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


 霊査事例1

 『祈願成就』の祈りに対して……

 あなたが志している事、それをどう発展させていきたいのか、また、誰を潤したいのか、を考えてみてください。ちょうど、あなたの夢・志を一本の縄のようになっていき、その端が神の元に届くように、あなたと神との間をあなたの夢・志で結びつけるようにどんどん夢を膨らませ、伸ばしていってみなさい。あなたの周りをふわふわしているだけの夢ではどんなに祈ろうともそれなりの力しかえられぬものですよ。

 霊査事例2

 なにやら願い事がチラッと見えたのですが、すぐに終わってしまってよく見えませんでした。願い事があるならはっきりとイメージするようになさってください。

 「別に祈願も無く、ただありがとうございましたと祈っただけです」

 では漠然とした心配事があるのでしょう。

 霊査事例3

 子として親を心配するときには、親を甘やかさぬ様になさい。わが子を育ててこそ親なのですから、両親共に自分のことはしっかり出来るもの。それをしないのも一つのコミュニケーションであるのです。そのコミュニケーションに迷って、わが親を手の掛かる子供のように勘違いしない事です。

 霊査事例4

 『祈願成就』の祈りに対して……

 あなたの願いは無理もない事です。ただ求める心で他人とぶつかり、子供の喧嘩のようにならぬように気をつけなさい。

 霊査事例5

 お父様のわがままはそのままになさい。「自分の意思で行なう」のは、大切な事です。それがわがままであっても、自立の呼び水になります。逆にだめというと他の事までやる気をなくすのが人の性《さが》です。

 霊査事例6(いくつかをまとめて)

 あなた方は、心霊を学び、また向上心もあるということで、願い事はいずれ成就しようし、難に巻き込まれそうな時にも、誰かしらの助けを得られよう。いちいち祈祷だなどと気張らなくても常日頃の精神統一だけで事が足りよう。

 だから、せっかく神社に参拝するなら、『わが家族を見守りください』とでも、『家内安全』を祈るが良かろう。

 いくら心霊を学んでいても、関心の無い家族に足を引かれては修行の妨げになるし、いかに大望・志を抱いていても、家族が不健康では思うように働けまい。何をするにしても家族が無事であればこそ自分の実力も発揮できるというもの、だから、勉強は勉強として、神社などを訪ねる際には、自分のことよりも家族の無事を祈りなさい。祈られればこそ私たちも忘れずにあなた方の家族の様子を見て、必要なる処置を施すから。

 霊査事例7

 あなたは売り込みもせずに自分の仕事を高く買ってもらいたいと強く願っています。そんな事なら教職に付くべきです。すると生徒たちを批判するだけで済みますからね。でも、それはあなたのやりたい事ではありませんよね? 自分を売り込む事が難しくと思うのならば目指すべきものを変えるべきです。それが嫌ならできる範囲で努力をなさい。その努力は必ず報われます。

 霊査事例8

 精神統一が辛そうでしたね

『なんだかまぶしくて』(他にも同意者あり)

 統一中に光を感じる事はよくあります。大抵は守護霊が顔をのぞき込んでいく時に光を感じます。ですが、その光を他者と思うと、自他の間に断絶が生まれます。他があると感じるとその間に反発が生じ、酷ければ敵愾心が生じます。

 光、この場合は高き霊の存在を感じたら、それが何であるか、誰であるかなどは考えないで、その光に溶け込むように気持ちを誘導なさい。

 統一中に他者の存在を感じるのは、誰かに頼りたいという気持ちが生じたときです。しかし、統一で大切なのは、一心になって行う事で、頼りがいのある霊を求めていては一心に離れません。自分が必要とする力が自分に流れ込んでいくようにするのが、本当の統一です。

 『過去に私は、人を頼るのが下手だといわれましたが?』

 人の心は時により変化します。あるときは甘えたがり、あるときはそれではいけないと思う。その中間(中庸)を会得してください。なお、頼るか、頼らぬかはともかく、頼るのが下手であるには変わりありません。

・ ・ ・ ・ ・

注: 心は指で指し示せるものではありませんし、人はとかく強がってみたり虚飾したりするものです。だから、『誰かを頼りたがっている』という表現をされるとどうしても反発の念を生じてしまう事はよくある事です。ただ、この場合、いわんとするのは、「自他を分ける心の働き」があるという点です。他を感じたら、それに溶け込む……無論低級霊や悪霊に溶け込むのはいけませんが……力を当てにするにせよ、知恵を当てにするにせよ、また導きを当てにするにせよ(そう、自分以上を目指す……つまり修行……には、他に頼る気持ちが無いはずが無いのです。)心霊的な問題としては、他者として導くのではなく、霊的な交感・合一によって「同一心」として働く事が目標なのです。

 霊査事例9

 皆さん、シャチホコばって精神統一するより、お風呂に入った後にうとうとしているときの方がよほど精神統一になっていたようです。素直な心で、安心していること、それが最良の精神統一状態なのです。日常でも、仕事の最中でも、必要ならば、そのような素直さ、安心という自信を保てるように勤めてください。

 のんきな時間を恥じたり、もったいないと思うのではなく、それを目標として、日々の生活をそれに近づけるようにしてください。

 質疑1

 Q 「葛藤が生じた時には、気持ちを切り替えなさいと他の霊媒にいわれましたが?」

 A(霊媒)『それが出来るものならそうなさい。でも難しいでしょう? だから私は守護霊に預けなさいと教えます。守護霊が信じられるようになれば、大分楽に葛藤を預けられるようになります。さらに守護霊との信頼関係が育つと、預けなくても切り替えられるようになります。最初からプロの真似は無理ですよ』

 質疑2

 Q 「滝行は他人の捨てた穢れを拾う事があるので危険だと聞きました。どうせなら家で水垢離をするほうがいいというのですが?」

 A(霊媒)『世の中にあるものは、善悪が入り乱れています。なるほど滝行にはマイナス面の効果もあるけれど、同時にその滝を守る神霊の加護を得るというプラスの効果もあります。ですから、マイナスの効果はなるべく遠ざけ、プラスの効果をよりいっそう受け止めるように努力する事が大切です。

 ハイリスク・ハイリターン、ローリスク・ローリターンというわけですが、一般的に霊力を高めようとか、心霊術を鍛えようといった、小手先の術、利己心を持ち込まない限り、人の穢れなどは拾わないものです。そのために神霊が守ってくれていますし。』

 質疑3

 Q「前向きに進め、と思っても、前ってどちらなんでしょう?」

 A(盧)『前とは後ろの反対である』

     霊媒以外爆笑

『前向きに生きるといっても、人を惑わすものは至って多く、前を見ていればついついわき道にそれるのが人である。だから、自分が進むべき道を思うならば、反対に自分が一番嫌な道(方法)をまず思い浮かべてみるが良い。その正反対が正しい道である』

 進みたい道は絞りきれないのが人情、だけど嫌なものというのは案外絞り込みやすい。だから、嫌なものをまず見極めて、その反対に目を向けると進みたい道が絞り込めるという。

 例1:『私は諦めるのが嫌だ』

 ならば、その反対は諦めない事、求め続ける事である。だが、求め続けるというのはちょっと間違えれば執着心につながる。つまらないものを追いかけて大切なものを失う事にもつながるだろう、これが欲しがるものが陥るわき道である。だから時々は反対向きに考えてみて、執着心ではない諦めない事を再確認すべきだ。

 例2:『私は間違った生き方が一番嫌だ』

 ならば、その反対は正しく生きる事だ。でも、正しく生きるというのはあまりに漠然としていて自分が進む道を見失う事もあるだろう。だから時々は反対向きに考えてみて、罪を犯さぬ生き方をしている事を確認すべきである。

 質疑4

 Q「仕事に関する霊査が多いのですが、私には今の仕事の指導霊が付いているのでしょうか。」

 A(霊媒)「まだ仕事の指導霊は付いていません。ただ、あなたは自分の仕事を先入観で縛り上げて、可能性を狭めている傾向があります。だから、いろいろな可能性があることを事あるごとに指摘して、もっと広く関心を持つように仕向けているのです。おいおい、あなたの好みが広がるにつれて、それに見合う指導霊がつくと思います。が、今は仕事の指導霊というのはありません。また、こうしなさいという指導でもありません。ただ、思い込みを捨てる事が大切な時期です」


 

病について

2003/07/26

Q 「知人にガンに掛かった女性がいる。相談を受けたわけではないので当人には黙っているが、私は助からぬと感じた」

 霊感のもつ特性を加味せよ。――その女性が、真に助かるか、助からぬか、それを尋ねるのに霊感を用いるのは難しい。なんとなれば、この世に生きている人がどれほど多いというのか。みな、流されて、生かされている。自ら進んで生きているのではなく人生を甘受しているのである。

 その女性が助からぬというのは、彼女の平然とした態度に原因がある。今はまだ痛みが共なわぬから自分の病に対して恐れていないのである。そして、真にわが身の健康を考えてはいない。真に生きることの意味を考えてもいない。決して容易ならざる病なのに、その病を受け止める心の準備がまるで出来ていない。

 恐怖はわが身を害するものだから、恐れを抱かぬことはよい。現代の医学もなかなかに力を発揮する。だが、一度痛みを感じたらどうなるか、今までの平静さが嘘のようにその心の中に恨みと憎しみの大暴風雨を迎える事になる。自分の不幸を誰かのせいにしたくなる。そうなっては誰も彼女を救えない。

 今となっては何を説いても無駄である。平常心とは健康な時にこそ育めるもので、今の彼女に平常心を説いても見下して聴かず、熱心に説けばその家族にまで下心を疑われるだろう。そして、痛みを感じ始めたときにはもう手遅れである。

 手術は成功するだろうが、運命に対する信念の弱さが、不安に対する弱さを生む。そして、一度疑心暗鬼に陥った人を救い出すのは容易ではない。今の彼女にとって最大の敵は病気ではなく、自分自身である。生きぬく信念と生かされている事に対する感謝の念こそが彼女を救いえる。しかし、いかなる第三者も今の彼女は救えない。

Q 「普通の人ならば動揺するだろうに、彼女が冷静であるのはなぜか」

 生の価値を侮蔑しているがゆえの冷静さ――現代人はクールであるという者がいる。下界を眺めていても、このように大切な局面なのにどうして冷静でいるのだろうと、むしろ呆れる事がよくある。

 現代の人々を観察していると、行動に際する心構えが非常に冷淡である。情熱もなく、感動も無い。それが怜悧で理知的であるならば時代を重ねたるがゆえの進歩であると褒め称える事もできよう。だが実体は、人々の心の働き、特に感受性が鈍感になって、精神的な価値観が育たずにいるのである。

 かつて、人は病に陥ると為すすべも無く、また、短き間に多くの人が命絶えていくのを見て育ったものである。それゆえに、命を大切にし、養生を大切にするのである。多くの病を治癒できるようになった今、養生の大切さを人々は忘れ果てている。その一方で、心の癒しを求めているのだから呆れてならない。わが身を天の使いと心得て、日々、大切にもてなすならば、どうして癒しなどが必要だというのだろう。人々は、わが身をいつも疎かにして、辛い辛いと嘆いているのである。

 まるで封建の時代に領主が民に重税を課すようなものだ。貪欲に快楽を求める心がかけがえの無い身体を痛めつけ、衰えているのに税の取立てをやめようとしない。民主主義とは、一人の暴君が民を支配するのではなく、すべての民が暴君になることだというのか。人は進歩などしてはいない。ただ、配役が変わっただけである。

 葛藤が病の原因――忘れてはならぬ。人は病原に負けて病になるのではなく、心の葛藤を病原に付け込まれて病になるのだ。仮に病原を全て取り除けるとしても葛藤に押しつぶされて人は死を択ぶだろう。人は苦を嫌うと思われがちだが、人を死に追い込むのは苦ではなく、葛藤と矛盾である。相反するものを同時に追いかけ、得られぬ事を知りながらも追いかけることをやめようとしない。絶対に得られぬものに執着して身を焦がして、苦しみもだえているのが人である。

 誰もが痛みから逃れたがるが、その一方で努力も嫌がる。努力と苦しみのどちらを択ぶ事も出来ずにいるうちに、努力ではどうにもならぬ苦しみを得ることにもなる。

 健康と長寿は万人が望む事だが、何のために健康を求めるかというと、身体に悪いものを暴飲暴食してみたり、徹夜で遊び歩いたりする事だというのだから呆れてならぬ。長生きも、何のために生きるのかを考えていないから、老体が生み出す苦しみと死の恐怖との間に板ばさみになって、生命力が尽きるその時まで何をなすわけでもなく、ただ矛盾と葛藤の中で生かされ続けてしまう。私などが地上を見ていて、病に罹らぬ不健康な人や、祝いがたき高齢者のなんと多いことか。かく生きることが人生であるなら、人はまるで呪われているかのようである。

 ……ほかならぬ自分自身に。

Q「現代人は我慢が苦手といわれているが、あなたの話を聞いているとそうではない様だ。」

 両面を見る――物事を一面で捉えてはならない。確かに現代人は忍耐が苦手に見えるだろし、長時間の肉体労働に耐えがたい人は増えている。だがそれは困難に耐える力が弱くなったからではない。困苦に耐える力が弱まったのではない。誘惑が多くなったのである。

 かつては、かつては労働を放り出してまでやりたい事はさして多くは無かった。だが、現代はあまりに誘惑が強く、そして多くて労働に気乗りがしないのである。

 物事を見るのに大切な事は、一面の働きの、その背後を見通すことである。人は退屈に陥れば労働さえも楽しむものなのだ。

Q「しかし、考え方を変えるだけで病気が治るものだろうか。」

 目的を持てば雑念が減る――勘違いしてはいけない。病気の治療の為に生き方を変えようとしてもうまくは行かぬ。病の苦しみと不安に心かき乱される事から人は逃れる事は出来ぬ。一時の情熱に病を忘れても、痛みはたちまち現実に引き戻す。闘争は人に永遠の勝利を与える事は無いのだ。

 病と争ってはならぬ――病から逃れられぬなら、その許す範囲の中で命を燃え尽きさせるべく勤めよ。その情熱があなたに人知を超えた力を導き、また、その集中があなたから雑念を遠ざける。そうして人は葛藤を乗り越え、目に見える限界が矛盾をもてあそぶ事をやめさせ、神気が身体に漲るのを許すのである。

 考え方を変えることで病気を治すのではない。考え方を変えることで健康になるのである。

Q「自分と仲良く出来ない人が病で苦しむ事はよくわかる」

 単に、病を身体の不調と捉えるのならば、医学の進歩は全ての病を根絶しえるだろう。それは決して遠い未来の事ではない。金さえあればいくらでも長生きできる時代はもう目前に迫っているのである。それはなんという不幸な時代の予兆であろうか。運命と支配者の定めた死ならばこそ、人は汲々とそれを受け入れなければなるまい。だが、金が無いから死なねばならぬというのならば、人は世のあり方に憎しみを持たずにいられようか。まして地上で養える人の数はそう多くは無い。上手に分け合い、譲り合う事が出来なければ、闘争によって全てを失うだろう。あなた方はそういう時代を目前に向かえている。人々は、一層、その魂の修練を求められているのに、むしろ退化しているのが現代である。

 無論、暗黒の時代に手をこまねいているわけではない。私はただあなた方の不安を煽ろうというのではない。各人の自覚を促しているのである。

 闘争は勝利をもたらしても、安らぎは与えぬ。調和を求めよ、そして静けさを。調和を求める心無ければ、人は死しても尚、安らぎは得られぬものである。

(2003年7月25日)


7月16日

2003/07/16

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


 ここに、一本の棒があったとします。この棒を杖と名づければ杖になり、剣と名づければ木剣となり、柱となずけて地に突き立てれば柱になります。棒のままでいれば応用次第で何でも使えるのですが、名前の付け方次第で往々にして応用が利かなくなります。名前をつけることは時として用途を狭めて縛り上げる呪文のような働きがあります。男だから、○○しなければいけない。女だから、○○しなければいけない。そういう自負心は大変結構ですが、自負心が自分を縛る事もあります。

 人間はありのままを扱いきれないから、ついつい記号で置き換えて物事を考えます。でも、記号をいじって考えるのは、あくまでも記号をいじっているだけで、本体をいじっているのではないのですね。最初から記号などに頼ることなく、ありのままで付き合えればいいのですが…………

 霊査事例1

 お母様の風邪が抜けないとの事ですが、これは年齢のせいというより緊張がほぐれないからです。あなたもお母様も、どうも嫌な事、特に自分の失敗については後々まで引きずる傾向にあります。風邪が辛いとしたら、それは気分転換が下手だからだ……とお考え下さい。

 霊査事例2

 あなたはとても責任感が強い人で、一度始めた事はよほどの事情が無ければ途中でやめる事が出来ない人です。同時に、いくら「やめろ」と言っても絶対にやめない人ですよね。その粘り気がいつかあなたを成功に導くかもしれません。でも、それ以前にあなたがすりつぶされなければの話です。

 霊査事例3

 是非、省みて欲しい事があります。あなたは何か新しい事に出会ったときに、うまく行く予感と、うまく行かない予感のどちらが多いでしょうか?

 どうもあなたは、うまく行かない予感にとても敏感ですよね。

 確かに世の中、危険がいっぱいですが、思い切って飛び出したときなんだかんだ言つてあなたは軟着陸を繰り返していますよね。もうちょっと冒険を楽しんでみませんか。身を危険にさらすというのではなく、「だめでもともと!!」というのを、もうちょっと乗り出してもいいと思います。

 例えば子供が何かをしでかせば、すべては親の責任ですから子供はすべての行動を慎まなければなりませんし、結婚すれば配偶者に迷惑をかけるような冒険はやはりいけませんよね。でも、あなた個人で出来る冒険もあるはず。違うジャンルの音楽を聴いてみるとか、食べた事の無い食材に手を出すとか。失敗したっていいではありませんか。笑い話の種ぐらいにはなりますよ。その程度の冒険を心がけてください。。

 霊査事例4

 世の中、言葉で表現できないような、そういう体験はたくさんありますよね。あなたはそういう体験をたくさんしているのですが、そのたびに、どうやって表現しようかを懸命に考えてしまいます。……いいではありませんか、表現は、「ちょっとびっくりした」とでも言っておけばいいのです。そんな事よりも様々な体験を素直に楽しむ事です。

 注:姉弟子と共に先生のお宅に遊びに行ったとき、あちこちを観光しつつ、私は懸命に記録写真を取っていました。その時聞こえたのです。『皆に見せようとして、自分はちっとも楽しんでいないね、あなたはそれで楽しい?』 無論、楽しくありません。

 そして言外に感じたのです。『私はこれほどみんなの為にがんばっているのに、みんなはぜんぜん報いてくれない!!』って、そういう台詞を吐いたりはしないだろうな……て。

 自分が楽しんで、そのあまりを皆に配るのならば、要らないといわれたって平気ですよ。でも自分が楽しむのをやめてみんなの為に記録していたら、誰も見てくれなければやはり寂しいですよね。

 ですからあなたも、心霊を楽しんでみてください。

……実は悩み事が見えるのだけど、私には取り越し苦労と聞こえます。表現が難しいのだけど、「取り組み方が違うのではないか……」との事です。

 霊査事例5

 ちょっと打ち明け話を。

『本当は関心も無いくせに、精神統一をあざ笑わぬだけ良い。ほめれば戸惑い、貶せば知らぬ振りをする。何度も警告した事を真剣に受け止めぬから苦労もするが、そんな事はどうでもいい。人の良いところを真剣に探そうとするところ、人の悪いところを見てみぬ振りをするところが、思わぬところでほめられているぞ。

 これにて順風満帆とは行かぬがな。

 ああ、だがまあ何ということか、この世には不幸の種が多すぎる。いくら君がいい事をいっても、その程度では楽が出来ぬとこぼす人のなんと多い事か。豊かさは自分で勝ち取るべきものなのだがな……』

 とまあ、ようするに、眼前に苦労が待ち構えているみたいだけれど、でも、あなたなら乗り越えられると、背後はたかを括っているようだ。あなたの可能性を信じるべきか、あなたの苦労に同情すべきなのか、ちょっと判断しかねます。

 霊査事例6

 反省する事は大切ですよ。でも、どうもあなたはすぐ自分いじめに走ります。どうでもいいような失敗でも、どうも誰かのせいにしたがります。

 ご両親の責任追及が厳しかったのだろうけれど。それが間違いだと思うのならば、せめて自分には寛大になりましょう。

 いえ、あなたは自分苛めのおろかさに気が付いていて、すぐやめるのだけど、その代わりすぐに誰かのせいにしてしまいがちです。誰が悪いかなんて、どうでもいい場合もありますよ。笑い飛ばすようにしましょう。

 霊査事例7

 あまりうまい表現ではありませんが、

 『生まれてきた理由を見つけなければ、納得のいく人生は歩めんぞ、だが、理屈で解けて、言葉で表せるような理由なんて、つまらないと思えるぐらいの直感は残ってる。言葉で表現できるなら、その人生ってつまらないものだとは思わんか?』

 別口からの話です。

 『君がおおらかに付き合ってくれているから、気がめいる事もなく人生が楽しい。これで私は無駄な考えに取り付かれずに済む、君と出会えて私は幸せだ』と男性の声で聞こえました。同時に車のラジコンが見えていました。

 他人の評価って自分では判りにくいし、はっきりいわれても照れくさいものですよね。まあ、信じてみたらいかがでしょうか。


守護霊が語る 2

2003/07/16

守護霊が語る 2


 1

 2003年7月15日、雑用中の事です。『負けず嫌いは、死後にすぐ堕落するのよ』と、女性の声が聞こえました。と同時に、つまらぬ話が売り言葉に買い言葉で喧嘩に拗れていく光景が見て取れました。

 ふと興味を引かれて私がメモを取り出しますと、女性は続けて語りだします。

『喧嘩というのは、情動に支配された霊格の低い者が売るのだけど、負けず嫌いはわざわざ自分よりも霊格の低い相手と感応して困るの。辛いとき、嫌なときには神様を念じないと、地上ではやり直せても霊界では喧嘩しているうちに気が付いたら悪霊の仲間入りしている事もあるわ。だってそうでしょう。暴力を振るう人や、醜い想念を振りまく人なんて、素敵な世界を汚すだけよ。「そういう浅ましい人はどこへでも行って頂戴」と霊界の住人は思うわ。無論、私たちだって多少の我慢はします。でも、人に我慢を強いるのは善良な人のやる事ではないわ。

 だから、争いにはなるべく関わりあわない事、仲裁にゆだねて、自分では応じない事。だって、争いごとを当事者同士が話し合って冷静でいられるのはよほどの霊格者だけだから。でもね、喧嘩を買わなくても負けず嫌いが陥る失敗があるの……』

 どんな失敗でしょう? こういう話には時間を割く価値があると思います。そして、仕事は放り出して、熱心に耳を傾けました。

 『では改めて……私、◇◇の守護霊を勤めております。申し訳ありませんが、名前はまだ名乗れません。何しろあの子が守護霊の名前を知りたがるのは、人の守護霊自慢を妬んでの事なのですから、このままの気持ちでいるときに名前を明かしたところでよい事はありません。もうしばらくお待ち下さい。さて、この度、あの子の精神統一の欠点を正したく、お時間を頂きます。』

 2

『この子はものすごく霊視・霊聴等を体験したがっております。それには精神統一が不可欠である事を知っていますので皆様と比べて一人でも黙々と精神統一に励んでおりますが、たまに感じるのみでやはり霊視・霊聴等を苦手としております。

 むろん、背後の者も当人も、人様の事まで霊視・霊聴しようなどとは考えておりません。この一点において私どもはとてもよい信頼関係を築いております。これもまた心霊研究を学んだ結果と感謝しております。しかし、自分の事につきては自分で霊視・霊聴致してその内容を霊媒に審神してもらうのが、心霊主義者として、また、精神統一行者として理想であるには違いありません。

 このたびは時間を頂きまして、そのことについて少々お伝え願いたく思います。また、「○○」さま宛通信の反省を共有するつもりで通信したく思います。』

 3

 『まず、私が担当しております庇護者のことについて、私が思う事を述べさせていただきます。その性格に付いて自分も当てはまるところがあるとお感じの方は、以後の私の助言がお役に立つかもしれません。

 少々贔屓《ひいき》目かもしれませんが、私の庇護者は美的なセンスもよく、審美眼というか観察力もあり、またライフスタイルを楽しむ事が出来ます。ところが美しくあろうという気持ちは、往々にして負けず嫌いという欠点を伴ないます。世の中を見回して、ただ自分の内面を厳しく磨いて美しくあれる人はまさに奇跡に近く、生前に相応の修行をしなければ成しえる事ではありません。

 私が、この庇護者の精神統一行の障害として感じるのは、まさにこの負けず嫌いな点です。困るのは、直接的な負けず嫌い、つまり、ただ本当に人から負けたくないという負けず嫌いならば、ご自分でも負けず嫌いな事に気がつくわけですが、人よりも美しくありたい、また、善き人生の形式美を追求したい……実際に良い生き方かどうかよりも、まずライフスタイルに凝るのです。人からは見栄張りに見られるかもしれませんが、先にルールを作る人は後はまっしぐらに進めるという利点もありますので私はこれも美徳であると考えております……ただ、こういうタイプの人は、どうも問題をすりかえてしまいがちで困ります。自分では負けず嫌いを、敵愾心ではなく、向上心と感じているわけです。つまり、相手を攻撃して負かすのではなく、自分を向上させて相手を負かそうとするのです。そして、これは敵意ではなく向上心であるのだからいいではないかと自分に言い訳しているのです。

 確かに、動機が負けず嫌いでも、向上心があることはやはり守護霊としてはやり易い事です。これまた決して欠点とはいえませんし、むしろ頼もしくも思います。そして、私としてはこういうこの子を深く愛しております。ただ、長所も生かしどころを間違えれば欠点と化すわけで、その点を私はいずれ諌めなければいけないと考えておりました。

 と申しますのは、結局負けず嫌いというのは、自己の内面よりも、他にある相手に強く反応を示すという事でありまして、それは結局、統一を邪魔されやすい人だということなのです。周りがどれほど騒がしくても、相手をせずにただ淡々と精神統一ができる人ならば、実に統一の修行がたちまち身についていくものです。ですから同じ精神統一をしている仲間たちを見回しても、楽々と10分でも20分でも精神統一をこなす方々を見て、ああ、この子も早くこれぐらいは出来るようになってもらいたいと思わざるをえません。そう思う私もやはり負けず嫌いなわけで、それがこの子の守護霊を勤める意義なのでございます。

 特に困るのは、負けず嫌いというのは、関心のあるものに対しては強く発揮されるということです。そして、精神統一行に対して関心を持っているこの子はなおさら精神統一中に雑念に弱くなってしまいます。いえ、霊媒の方が見守ってくださっていてお気づきでしょうが、この子はもうだいぶ雑念を消し去る事が出来、静かに坐っていられるのです。問題は、皆様が雑念を生じても心の柔軟さを失わずに流れるままに出来るのに、この子は、雑念が生じるたびに、つい力んで追い払おうとして、それ故に私どもが声を掛ける隙がないのですね。そう、精神統一中のこの子の心はとても硬くて私どもが手を出せないのです。』

 4

 『ですから今後、この子に心がけてもらいたいのは、人生において負けず嫌いでも構わないが、精神統一はただ素直になるように心がける事と、精神統一中に湧き上がる雑念は無論のこと、誰かから受けた誹謗中傷などの記憶がこみ上げてきても、精神統一中には絶対にけんか腰にならず、それこそもう守護霊に言いつけるぐらいのつもり、あった事全てを守護霊に任せるぐらいのつもりで湧き上がるものはそのまま垂れ流しにしてもらいたいのです。たとえこの子に非があろうとどうして私どもが責めましょう。悪い事は悪いとせよ良い方向に向かうように手を貸さぬはずがないのです。

 とにかく霊媒能力というのは心の底から他の話に耳を貸せる力なのです。他の似非人格者は、話を聞くと言いながらも、その心は相手に同情を寄せることなくただ相手の話の弱点や欠点、そして矛盾を捜しているものですが、こういう態度は弁論には向いていても霊媒には全く向きません。さらにいえば弁論の技術などは、地上ならではの技術であって、あと何十回も地上に再生するつもりであるなら……退学追い込まれるまで留年したいならともかく、いち早く高級霊界を目指すのならば、とにもかくにも敵愾心を燃やすことなくまず何よりも相手の話を聞ける人に成らなければなりません。失礼な相手に怒るのは当然で、私どもは絶対に怒るな、とは申しません。ただ、怒るのは話を全て聞いてからのことです。全てを把握した後でなければ見当違いのことで腹を立て、その過ちがわが身を滅ぼしてしまう事でしょう。』

 5

 『最後に、まじめに精神統一を修行している人ならば、無論本人のコンディションも大きな制約の一つですが、その合間合間を縫って、ささやかであろうとも自信を持ち、自覚を育めるかのようなインスピレーションの一つや二つを、時に応じ、また修行の折々に受け取れるように私どもは常に努力しています。「受け取れぬのは努力が足りぬ」というあきらめも、また、「受け取れぬのは背後が弱いから」と逆恨むのも正しくはありません。心霊家が大切にする精神統一というのは、自分とその背後の霊達との感応であり、協調であり、調和なのです。

 全てに対して素直になれというのは正直、私は好みません。なんとなれば世の中あくどい者も多く、そういう相手に対してまで素直でいながら同時に善良である事はとても難しいのです。多くの人々はあくどい者に素直に接して悪事の片棒を担いでいるのですから、意地の悪い相手や何か勘違いしている相手と一線を引くのはむしろ守護霊としても安心の出来る態度です。それでなくても利のある相手には素直に従いたいのが人間の心情、気がつけば悪事の片棒を担いでいる人のなんと多い事でしょう。ああ、悪い友人を作って、堕落に流されなければいいのにな……そう思いながら見守るのは守護霊としてとても辛くもあります。ですから、わがままは困りますが、人を嫌って一線を引いて付き合おうとするのはむしろ守護霊にとっても願ったり適ったりといえます。

 添いて共に人生の終わる時まで連れ添って歩む守護霊らと協調できぬ事は、気の合わぬ二人三脚のようにお互いが足手まといになるやも知れません。素直になるべき相手と、素直になってはならぬ相手に対して、もっと見識を高めて理性で考えられるようになってください。感情で敵味方を択ぶのは最低の人間のする事です。

 往々に人は自分に都合の悪いものを悪といいがちですし、自分と同じ欠点の持ち主をひどく嫌う傾向があるのです。まして負けず嫌いは、自分がもっとも必要とする人が、自分の意のままにならぬと いうだけで相手を憎みがちです。それはなんと不幸な事でしょう。自分が本当に必要とする相手を憎まねばならないなんて! そういう矛盾を持っていながらどうして幸せが得られるというのでしょうか。

 たとえば多くの夫婦喧嘩、恋人同士の痴話げんかが、お互いを必要とするから起こるという現実を皆様はどう受け止めるでしょうか? 愛すればこそ傷つけあうのは、神や運命の気まぐれでしょうか。それとも愛情の持つ暗黒の一面なのでしょうか。それとも当人達の精神性が未熟だからなのでしょうか。もしも、神や運命の気まぐれであるなら、または愛情が人を苦しめる性質を持っているのならば、人を愛する事は人類普遍の災難ですらあります。でも、世の中にはかくも不幸な愛情ばかりでありましょうか。

 私は思います。霊媒力を育むというのは無論精神統一も大切ですが、それ以上には人付き合いの才能が大切なのです。交霊相手、守護霊らに素直になれというのも、何も交霊に限った事ではなく、対人関係にだって当てはまる事です。誰が、偏見を押し付ける人や、欺瞞や虚飾の多い人、話の内容よりもレトリックを楽しむような人と誠実な付き合いが出来るというのでしょう?

 精神統一を通じて上手に背後からのインスピレーションを受けられるようになれば、その話の内容の真偽、また、職業霊媒になれるかどうかは別として、少なくとも、人の話の要点を掴む事が上手になります。そして、無駄な人付き合いのばかばかしさも悟るようになるでしょう。自分の雑念を上手に受け流せる人であれば、他人のたわ言だって聞き流せるようになるのです。

 心静かな時を楽しむ……そういう精神統一も大切ですが、対人関係の訓練としての精神統一もあることを心にとめて修行に励んでください。』

 6

『最後になりましたが、あの子に是非お伝え願いたい事があります。』

『私はあなたの事を常に見守っています。そして苦労少なく、楽しく人生の課題をこなしていけるように、出来る限り手を差し伸べるチャンスをうかがっています。あなたは手助けの少なさを、こんなものだと思ってみたり、時には恨みがましく思っている事を私はとても切なく感じております。それを詰るつもりはありません。今までこんなに長くお話する機会はなかったのですから。ただ、辛い時には、覚悟を決め、がむしゃらにぶつかっていく、その前に、ちょっと無心に立ち返って私に気持ちを向けてみてください。そうすれば段々に私達は気持ちをあわせて共に困苦を乗り越えていく事が出来るようになるでしょう。あなたに限らず、誰の魂も一人ぽつねんと地上に置き去りにされたのではありません。ただ、あなたが私達の言葉に耳を傾ける時が来るのを待っているのです』

注意: こういう霊査は望んで取れるものではありません。ご要望いただいても応じかねますのでお含みおきください。

2003-07-15


某守護霊が語る 1

2003/07/15

 ある日、病気についての霊査を取っていたのですが、なにやら話題がずれていき、そこにある常連さんの守護霊の来訪を受けました。

 『あの子は本来、霊感が強い性質《たち》であるはずなのに、どうにもまったく働きません。あなたも精神統一の指導を通じてもどかしく思っているでしょうし、私ども守護霊たちが何をしているのだろうかと、内心ではいぶかっておいででしょう。今すぐ伝えろというのは忙しくもありましょうが、少々お時間を頂き、その事についてお話したく思います。』

 上記は、言葉でいただいたメッセージですが、実は感覚の共有で得たビジョンがあります。

 ……お腹にぽっかり穴があり、力んでも力が入らないのに重荷を背負わされている感覚です。……生臭い表現をすれば、下痢をしているのに力仕事をするといえましょうか。

* * * *

注:下記霊査は、某守護霊が、他の方々の守護霊を代表して発言した部分があります。該当するのは心霊に関心を持ち、感受性を大切にしているのだけれど、他人の意見に振り回されてる人、特に他人に急かされてしまうと思考力を失ってしまうタイプの人に当てはまるものです。

 さて、改めて霊査を取ってみました。

 1

 『あなたもご存知の通り、霊感というのは霊媒の意思だけではどうにもなりません。心の表面的な意思が霊感を受け入れる準備が出来ても、奥深い部分で別な事に関心を持てばうまくはいきませんし、通信相手の準備にだって手間が掛かるものです。慣れないうちはどうしても霊感の利用には手間取るもので、これはひとえに慣れに掛かっている問題でもあります。

 ところが現代社会というのはいたって気ぜわしく、また、周囲にせっかちがいれば尚の事、霊感を用いる暇がない事はまったく悲劇ですらあります。本来持っている長所を発揮する暇がないというだけで愚図、無能呼ばわりされるのですからたまりません。

 ここで申し上げている霊感というのは、要するに直感・インスピレーションの類で何も、職業霊能者になる方法というわけではありませんが、どうも世間では、すばやくアイデアを出せる人をインスピレーションの強い人と考えるようで、その実態は、インスピレーションを生かせる人と生かせない人とがいる事に無頓着ですらあります。要するにこの世というのはどう善良ぶったところで、競争社会であり、助け合うというのは気難しい人が困り果ててのみ初めてできることのようであります。

 2

 さて、かような話をせねばならぬのは、こういうことであります。

 もともと感覚を大切にする人というのは、目先の事を無視して自分の感覚に注意を傾けてこそ持っている能力を発揮できるものです。しかし、やさしい人は往々にすべてを無視する事が出来ません。たとえば、大人の言葉ならいくらでも無視して統一できる人も赤ん坊の泣き声をきけば落ち着かなくなる事もままあるのです。これは未熟とはいえましょうが、泣く子を放置してまで修行するような人が果たしてどれだけ立派になれるかといえば、その滑稽さがお分かりの事でしょう。

 それぞれが自分の才能を開花するにはそれなりの環境が必要なもの。ところが良い子というのは環境を選ぶ事を遠慮して、自分の生きにくい環境ですら順応しようとして無理をします。魚に空を飛べと強いるのも、鳥に水の中で暮らせというのも一時はともかく長続きはしないものなのです。

 とかくあの子は、考えるよりも感覚で動いてよい結果を出す子なのです。それが夢想的に見えてなんだというのでしょうか? どうせ人々は、自分の永遠の生を忘れて地上の中での繁栄を追いかけているのみ。わずか百年程度の短い期間を要領よく生きたからと言ってそれだけで魂の満足が得られるわけでもありません。死んだら灰になるようなそういう生き方と夢想的な生き方との間に、どれほどの差があるというのでしょうか。

 この世に生きるうえで理屈を大切にする事もまあ付き合いとしては大切な事です。しかし、自分が納得のいく生き方が出来なくて何の人生だと言うのでしょうか。もっと胸を張って自分の利点を信じて生きていただきたく思います。

 あの子に大切なのは、こういうことです。心を鎮めて感じる事を楽しむ事。感じるものは理屈で分類するのではなく、音楽を楽しむつもりで、その旋律を読み取るつもりで感じていればよいということです。理屈を論じるのが苦手であるのは、克服すべき障壁ではないのです。前世で理屈が先走って苦労したから今生ではより感覚を大切に生きるように仕組まれているのですから。甘受して幸せを掴んでもらいたいと思います。

 3

 なお、この件については、多くの方々もご覧になるとの事、縁あってお話しする以上、他の皆様にもお役に立つように一言付け加えたく思います。

 大切な事はご自分を信じなさる事です。「自分を信じる 」というのは、「自分が正しいから何をやってもいい」というのではなく、「自分はよく生きるために生まれてきたのだ。そのための手段は全部持って生まれてきたのだ」ということを信じて頂きたいのです。もって生まれた特徴を欠点と思い込んで隠そうとしたり、反対に持って生まれた欠点を特徴であると他人に押し付けたり、こういう形で人間関係を壊しているのは情けなくもあります。

 他人には無いからこそ特徴なのです。長所なのです。たとえ使い道が無く思える特徴だって工夫によっては人世に役立てる事も出来ます。欠点であるか、長所であるかを思い悩むよりも、どうしたら自分をこの世に役立たせられるかを考えてください。そうすれば、いかに無駄な考えで自分を飾り立てようとしているかが受け止められるようになります。自然に生きて誰も苦しくは無いはずなのです。それに気が付けばこそ、真に魂を主体にした生き方が出来ますし、心底、神と通じることも出来ます。本当は苦しみを感じながら私は神を信じますという心の浅ましさ。自分が生み出す苦しみと決別できれば、信じなくても神がそばにいる事を感じる事ができるのです。

 私は縁あって、自分が庇護する者にこうして通信を送る事が出来ますが、皆様の守護霊もまた、話す機会が無いだけで、私と同じように皆様の幸せを願って止まぬものです。どうぞ不幸にあって逆恨みなどをいたしませぬように。不信感ほどお互いの間に溝を生むものはありません。どうぞお幸せにお過ごし下さい。』

2003-07-14


7月2日

2003/07/02

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


 霊査事例1

 思いますに、大切な事は有益であるか、また、どうしたら無駄が少なく……つまりより有益になるか、ということだと思います。それは無論、利己的に生きよというのではなく、自分を偽る事に努力する事は大きな無駄だし、自分を居食して見せる事も大分無駄なのではないか、そんな事に費やす時間があるなら、もっと有益な事に時間を使った方が、何よりもあなた自身が楽しいと思うのです。

 霊査事例2

 私が思うに、人のために生きるのは、自分のために生きるよりも疑問が少ないと思えるのです。

 なぜ、自分が生まれてきたのか。その基本的な部分に目を向けられないいかなる理由を人はもっているのでしょうか。

 自分がつまらないものに思えてしまうのが辛い……人は皆、そういう、虚飾の心が邪魔をして真実が見えなくなるのではないかな……と思います。

 霊査事例3

 相手を思えばこそ、辛らつな言葉が出ます。……相手にしてみれば、余計なお世話ですが。

 もっと独りよがりに、そして幸せに生きてよいと思うのです。心のそこから幸せそうにしている人からならば、人生にまつわる様々な事にもっと話を聞いてみたいものだと、誰もが思うのですから。しかし、疲れた顔をして、お説教ぽい事をいえば、相手の心に、人の心配よりも自分の心配をなさい、という気持ちが生まれます。

 霊査事例4

 そろそろ活動期ですね。こういう時には出し惜しみするより得点を稼いでおくべきです。

 『最近どうも深みが足りなくて』と聞こえます。ちょっと勘に頼りすぎて、考えたり、案じたり、そういうことがおろそかになってはいませんか。計画する事を楽しむのも、あなたには向いている事ですよ。何でもかんでも即実行ならば、達成感だけで満足が少なくなりますから。別な言い方をすると、義務感と、義務感の変種の奴隷になっていませんか。

 霊査事例5

 中休みの時機かな?

 それともまったく精神統一をしていないのか。

 郵便ポストは今日は空でした……そういう感じです。

 霊査事例6

 物事を悲観的に考えすぎてはいませんか。楽観的に生きる事が良いとはいいません。ただ、感情にいかほどの力があるというのでしょうか。大切なのは感情よりも覚悟・決意なのです。

 口をあけてまっていたって、おせんべ・あられの類ならもらえるかもしれませんが、ご馳走は食べられませんよ。

 霊査事例7

 幸せに生きるのは簡単です。いやな事から目をそむければいいのだから。しかし、油断は将来の災難を育てます。恒に前を見よとはいいません。しかし、安全確認は怠りなきように。


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