‘2003/05’ カテゴリーのアーカイブ

5月30日(静岡オフ会)

2003/05/31

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


 霊査事例1

 家族に辛らつな目を向けている姿が見えます。どうも八つ当たりになっているようです。

 あなたは本来情熱的な人で、エネルギーをもてあましていますから、もっと積極的に行動する方が、結局、あなたも家族も幸せにするでしょう。

 解決策として、絵画・音楽を始めることも良いでしょう。

 

 霊査事例2

 いろいろと知りたい事はあるけれど、本当に知りたい事が見えてきませんね。

 あなたは人生の目的を掴んでいないのです。磨く目的、向上の目的を見つけないで、手段ばかりに目が向いています。

 (オフ会後に感じたこと)

 あなたは独特のリズムの持ち主なのです。それを他の人と同じように感じ、反応しようと努力してもチグハグな感がいなめません。大切なのは自分らしく生きる方法を見つけることです。人のやっている事を丸呑みしてもあなたには役に立たぬ事でしょう。

 

 霊査事例3

 あなたはストレスを感じても発散する事が下手ですね。というより、ストレスを掴んだまま、手放そうとしないところがあります。

 公平で人のために懸命に働ける人なのですが、今までは、そういう努力していると、『何か裏があるのではないか、実は騙そうとしているのではないか』などと、悪意に取る人がまわりに多すぎました。それがようやく素直に認められるようになりましたね。

……よく我慢したと思います。

 

 霊査事例4

 順番はちがっても、それはあなたが持って生まれた宿命なのです。誰の人生も決して一様ではありません。しかし、順番が違おうが、あなたの進むべき道が間違っているわけでも、人から比べて遅れているわけでもありません。

 

 霊査事例5

 お母様が頼っているのが見えます。でも、いくらあなたを頼ったところでお母様の考え方が変わらなければ満足できるはずがありません。

 お母様を心配するよりも、『もっと楽しみなさい、嫌な事よりも楽しい事を見つけなさい』と、声をかけてあげてください。

 

 霊査事例6

 最近では、表面的なことばかり追いかけ、表面的なことばかり見ていましたね。しかし、内面な事も大切になさってください。

 また、自分を世に認め支えるのは簡単です。世間に媚びればよいのですから。でも、流されてはいけません。

 周囲の意を察する事のできるあなたは、需要を敏感に察する事ができます。ところが、周囲に流されてしまえば、その気配りがあだとなってしまい、次々と「好意」を要求されて疲れてしまいます。ですから、周囲をうかがいつつも、一歩前を歩くのです。一歩前に行く……主導権を得る事で、与え、しかし、奪われなくなるのです。

 

 霊査事例7

 頭が先に動いて、腹が働いていません。つまり覚悟がうまくできていません。

 もっと統一してください。

 あなたは自分の気の向いた事に懸命に努力します。ですが、世界はあなたの好みとは無関係に、成り行きに従って流れているのです。あなたの努力と、周囲の流れがかみ合うのはほんの一瞬、その一瞬にこそあなたの願いがかなうのです。

 思い通りにならぬからといって、世を恨むのも間違いですし、自分を無理に変えようとするのも間違いです。今はかみ合わなくてもいずれはかみ合って大きな力になる事もあるのです。


 

 質疑

 

 心と身体の繋がり

「身体を鍛えている人が必ずしも精神的に健全であるとは限らない。」

 そうです。大切なのは、動機であって行為ではありません。

 

 瞑想

「毎日瞑想しているという人の中にも、精神的に不健全に思える人もいる」

 瞑想は、大切な修行の一つです。しかし、誤った動機で行なうならば、瞑想は妄想と変わりません。やはり大切なのは動機なのです。

 

 努力

 努力には、二つの形があります。

 一つは、「自分+」の努力で、たとえるなら、レースに出場するのに、足回りはそのままにエンジンだけ大型化してスピードを上げようとして、車体に無理が掛かる方法です。

 「自分+」の努力の場合、無理があるから、ブレが起こり、そのブレを止めようとして、さらに力が必要となります。これでは努力するほど無駄な力を必要として疲れます。努力する為には多くの気力を必要として、事が済んでも気力が溢れて緊張が解けないことでしょう。すると、休んでも疲れが取れないからますます緊張が生じるという悪循環におちいります。

 もうひとつの努力とは、エンジンをそのままに、足回りのチューンナップで、効率を上げる方法です。いわば、「自分100%」ですね。これを全生思想と呼んでいます。

 これは一見、非力なようにも見えます。しかし、無理は続かないし健康を害したり、気が回らなくなったりと、無駄が多いものなのです。結局、歩みがのろくても堅実に前進する方が、結局はより早くゴールにたどり着けるし、ゴールにたどり着いたあとでも余力を残す事ができます。

 努力なさるのは、とても結構な事です。ですが、努力でわが身を害さないように気をつけてください。

 

 道中にて

 間違った列車に乗っている事に気が付いても、直ちに行き先を変える事はできません。最寄の駅で乗り換えるよりも、その先の駅で別な路線に乗り換えた方が好都合な事もあります。

 過ちに気が付いたときに、あわてて修正しようとしてかえって事態をもつれさせる事も多いものですが、回り道に思えても実は近道の場合もあるのです。

 過ちに気が付いたときほど、冷静に事態を観察する事です。


霊感・異界の窓

2003/05/29

霊媒は異なる世界への窓となります。

あなたがもしも霊媒能力の持ち主であるなら……

天国と地獄、一体どちらに向いた窓を開きますか?


 世間の心霊話といえば、幽霊の目撃談、悪霊の恐怖、怨霊の祟り、低級霊の障りなどに関する話題が主ですね。しかし、死後の世界とはそれほどまでに暗く、恐ろしく、醜く、浅ましいところだけなのでしょうか?

 人は誰も死を免れる事が出来ないというのに、死後の世界がそんなにひどい所だというなら、死後の世界があるということよりも、無に帰すほうがよほど幸せに思えるかもしれません。死後の世界への関心は、そのまま、死に際する心構えに直結しているのに、机上の空論や目先の好奇心に囚われて、その先に関心を向けようとしない人が大勢います。

 世の心霊知識は、とても偏っていると思います。地上に善人・悪人がいるように、善良な人だって死を免れないのです。善良なる霊だって、死後の世界には大勢いるはずです。

 人は死を免れませんし、一生霊障を感じることなく死出の旅立ちを迎える人もいるのです。霊的な障害への対策知識も大切ですが、人々が無事に善霊たちに迎え入れられるようにすること、悪霊に騙されたり、怨霊に囚われたり、低級霊に捕まったりしない、そのための知識もとても大切であるといえます。

 善良な人々(霊たちとも)と力を合わせて、社会をよりよくしていく事も、幸せになるためにはとても大切な事でしょう。自分の力だけを頼みにすれば、どんなに努力してもしょせんは一人分の力に過ぎませんが、人々と助け合うなら、何十、何百、何千と増大していく可能性を得るのです。

 「寛大で、慈愛と奉仕に満ちた世界へ、人々の参加をいざなう」

 心霊知識の究極的な目標はそれに尽きます。その目的をしっかりと胸に抱いて、人々の疑念や相談に応じる霊媒が、一人でも多く増える事を、私も祈ってやみません。悪霊や低級霊への知識は、人の不幸を救うかもしれませんが、だからといって人を幸せにするものではないのです。


霊媒・交霊危険論の矛盾

2003/05/29

 死後の個性存続論者(心霊家)の交霊危険論。

最終更新日 2003年5月28日

 交霊能力をもち、そして頻繁に交霊を行う霊媒ですら、危険を感じる事があるのです。霊媒に頼って交霊を行おうとするのは、なおの事、危険といえましょう。

 ですが、全ての人はいずれ死に、霊界に行かねばならないのです。そこに危険はないというのでしょうか?

この世の中には一体……

未熟な霊媒と、未熟な人と、どちらが多いことでしょう?

嘘つきな霊媒と嘘つきな人と、どちらが多いことでしょう?

詐欺や嘘・謀略の被害者が無くならないのは一体なぜでしょう?

「霊媒だから信じられない」と決めつける人が果たして信用に足りる人なのでしょうか?

 まして人は往々、自分の利益になる事を善と呼び、利益にならぬ事を悪と呼ぶのに。

 そもそも交霊の危険から身を守れない人が、

 死後に我が身を守れるというのでしょうか?

 その程度の心霊知識で果たして死後に役に立つのでしょうか?

 死後に役立たぬ事を学ぶ。趣味も大切ではありますが、それが果たして自身の向上の役に立つのでしょうか。私はなにも、「危険に飛び込むべきだ」と主張するのではありません。

 「危険を免れるためにも学ぶべきだ」と、主張しているのです。

 スピリチュアリズム誕生から間をおかずして、サイキックリサーチ「心霊研究」が生じたのは、信じるだけでは旧来の宗教と変わらぬからです。もちろん、心霊研究が万全で、学べば安心というわけではありません。そして、何より大切なのは分を超えたことには手を出さない事です。

 しかし、霊媒は信じられないけれど、スピリチュアリズムは信じられるというのはナンセンスです。信じる事と、知る事は別だからです。

 実績を積み重ね、分析を重ねる事を忘れて、個人の好き嫌い、または、感情論で物事を決めつけて、どうして心霊研究など出来ましょうか?


霊媒偏見の欺瞞

最終更新日 2003年5月28日

 霊媒は、心霊否定論者から嘲笑を受けるだけでなく、心霊肯定論者である自称スピリチュアリストらの偏見にも晒されています。しかし、霊媒に対する偏見は、スピリチュアリストらが信奉する「シルバーバーチの霊訓」とは相反するものです。霊媒の助けなくして、いかなる霊訓も地上には降りないのですから。

 霊媒に対する偏見は、真理に対する偏見を伴いますし、霊媒に対する偏見は、真理の間違った解釈を正す機会をなくす事でしょう。偏見の責任は、スピリチュアリズムや、シルバーバーチにあるのではなく、あくまでも個人の勝手によるもので、摂理によって裁かれます。

 いうまでもなく、摂理というのは個人の復讐や、霊障害、悲劇的な運命を意味しません。ただ、偏見の持ち主は真実から遠ざかるという意味です。

 確かに霊媒も人間です。そして人である以上弱点も持って生まれてきます。しかし、虚栄心、自惚れ、守護霊・支配霊崇拝に陥る霊媒と、虚栄心、自惚れ、守護霊・支配霊崇拝に陥るとでは一体どちらが多い事でしょう?  (霊媒でない人が、心霊を語って信用がおけるのか、霊媒偏見論者が心霊を語って信用がおけるのか・・・)

 いや端的に、心霊詐欺を行う霊媒と、心霊詐欺を行うただの人とではどちらが多いでしょうか? 「霊媒だから~~だ」と決めつける、その根拠に個人的な恨みを読み取れぬとしたら、あなたにも偏見が宿っています。

同じ障害に出くわして、

不平・不満をいうだけの人もいれば、

対策に翻弄する人がいる。

一体どちらの人格が高いと、あなたは考えますか?  (霊格はここでは語りません)

 

 もっとも、私が、スピリチュアリズムやシルバーバーチの霊訓について弁護した所で、鼻も掛けない霊媒も多いのです。自分にとって必要な事は、自ら霊界に訊ねれば良いのですから。ひけらかすために学ぶなど、卑しいとさえいうでしょう。

 そう、言葉で表現できない、人間には理解できない霊界の有様を勉強してどうなるというのです。その知識が正しいかどうか、または、自分の認識が正しいかどうか、どうやって理解できるのでしょう。地獄の様相すら、私たちの想像を絶するかもしれないのです。

 するともう一つの問題が見えてきます。誰でも必要な叡智に自由にアクセスできるなら、受売りの知識を誇る者の居場所は有りません。口舌の徒に使い道があるのは、この世だけです。

釈迦に説法という言葉があります。

 自分の人生に必要な知識の価値は、いかなる事があろうと減じる事はありませんが、人にひけらかすための知識は本物の前では意味を失います。人々の霊媒への偏見は、霊能力に対する妬みであるより、自己の存在意義損失のほうがよほど重要な問題なのです。


倹約の心構え

2003/05/28

 なにやら倹約の話が話題とか。

 私が思いますに、倹約の第一は、居住まいを正す事です。

 (普段)だらしない態度を取っていればこそ、(いざという時)無駄金を使わねば体面が保てなくなり、いざという時に人を使わねばならぬから、そこで礼金を用意しなければ成らなくなります。

 普段から居住まいを正し、要所要所に労力を惜しまずにいれば、おのずと無駄が減っていきます。忙しくなれば無駄金を使う機会も無く、居住まいが正しければ、高価な服、きらびやかな服などを着なくても、泰然と威厳が整うものです。

 普段だらしない人々が、冠婚葬祭の質を落とせば世から嘲られますが、普段から居住まい正して暮らしている人は、冠婚葬祭を謹んで世から尊敬を受けるもの。

 豊かさは、金の有無に決まるのでなし、あなたの生活態度一つで決まるのです。


 なに、肥満について答えよとか――私は、人の身体の仕組みは深く知りませんが、背筋を伸ばし、姿勢正しく暮らすだけで、息は深くなり、気は身体に巡り、無駄食いは減り、酒も減る事でしょう。

 だらだらと暮らしているから、酒飲みの霊などに付け込まれます。

(2003年5月27日)


価値ある奉仕か?

2003/05/24

 川の対岸(彼岸)には、素晴らしい世界が広がっていると聞きます。

 しかし、川に架かった橋は、腐っていて向こう岸にわたるのは危険であると人々はいいます。

あなたは渡らずに、ただ対岸を眺めて済ましますか?

 渡ることが出来ないけれど、向こうの世界はとても素晴らしいと、自慢げに話す人がいます。渡れないならどうして、素晴らしい世界があると知っているのでしょう。

その人は、本当にあなたを危険に晒すまいとしているのでしょうか。

 川の対岸に素晴らしい世界が広がっている。しかし、橋は腐っていて渡ると危ないという。

ではなぜ、誰も橋を直そうとしないのでしょう?

 進歩とは身を危険に晒すことではありませんが、危険だからと前に進まないことも進歩ではありません。腐って危険な橋なら、通れぬようにするのも確かに大切な事です。ですが、橋を直す努力は、よほど崇高な仕事といえましょう。


 いや、あの橋は本当に腐っていて、渡るのは危険だ。私も落ちた事があるからよく解る。

橋が腐っていなくても橋の欄干や手すりによじ登るのも危険ですよ。

 交霊には確かに危険が伴います。しかし、無茶をしても危険がなく、そして有益なものというのが一体世の中のどこにあるというのでしょうか?


 川に架かった橋は、腐っていて向こう岸にわたるのは危険であると人々は言います。……では、誰一人渡った事がないのでしょうか?

 危険だからと「橋を渡るな」というのは、本当に価値ある奉仕でしょうか? 橋をなおしたり、道案内をしたり、そういう建設的な奉仕こそに価値があるのではないでしょうか。まして、人は望まなくても交霊に直面する事もあるのですから。

 いかなる意図の元に無意義な奉仕をするものがいるのか。様々な人がいるものです。

心霊否定論者にも無理なことをいう人が少なくありません。


最終更新日 2003年5月28日


人生の完全なる意義を知るために

2003/05/03

霊感・異界の窓



 人は非力な赤子で生まれ来て、育まれ、学び、愛し、そして成長します。肉体は両親から受け継ぐとして、その精神・魂は一体、どこから来て、どこへ行くのでしょう。幼ければ理解力にも限度があるから、人は成長と共に、より難解な事柄を理解する力を得て、その時々の理解力に応じた自分の人生の意義を考え続けます。

 

 人の数だけ存在理由があり、人生の形が有ります。意義を見出した人が心静かに生きる一方、とりあえず、人から必要とされることに人生の意義を見出す人もいます。また、自己の人生の無益さに恐れを抱き、意義を考えることを忘れるために無駄が多く忙しい生き方を選ぶ人もいます。

 ただ生きているだけで甘美で、力あふれる青年期はたちまち去りゆき、肉体は次第に老いて行き、いずれは維持するだけで苦痛に責められるようになります。人がもし、老いという苦しみに責められるために生まれてきたのでなければ、人生の意義という答えは、肉体ではなく、その精神性にこそ求めるべきなのでしょう。

 ですが、人の精神性もまた、肉体の老化と無縁ではいられません。身体の力が衰えるにつれて精神力も衰えていく……ならば、人は死と共に消えていくのでしょうか。そして、死んだ後に何も残らぬものなのでしょうか。

 人は無益であることを嫌います。「わずか百年前後の栄衰が人生であり、その後はわずかな土くれの価値しかない」と、認められる人はめったにいません。健康で力あふれるうちは死者を人生の敗者として侮蔑し、死後の個性存続、死者の精神活動を嘲笑する人々が、老いて死期を感じ始めたとき、永遠に変わらぬ存在、自己の霊性に関心を持ち出し始めます。

 一体、霊性とは無益に費やした時間の重みでしか、その価値を量れぬものなのでしょうか。遠のく意識、孤独な闇が迫りくる中で、後悔と恐怖をかみ締めながら人生の終わりの時を迎えるために、人は心をもって生まれきたのでしょうか。

 肉体に備わった五感を通じて感じ取れる世界、いや、この宇宙にある答えは、死と共にその意味を失います。あなたは死と共に消え去るのか、それとも残るのか、一体どちらなのでしょうか。
 あなたが人生の完全なる意義を見出すのには、一体何が必要なのでしょう?


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