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色情因縁

2002/02/27

色情因縁

最終更新日 2002年02月27日

 色情因縁について、質問を受けましたが、非常に解説が難しい問題です。というのは、そもそも、因縁という言葉は、悪い影響だけを意味する言葉ではありませんし、いまだ、この世には色情と無関係に生を受けた人間はいないからです。

 つまり、色情因縁を持たない人はいないわけで、『あなたには色情因縁があります』というのは『あなたには赤い血が流れています』というのと何ら代わりがありません。ということは、「色情因縁」という言葉は、普遍的な言葉とはなり得ず、大した意味がないということになります。

 なるほど霊査には、「色情因縁」というのは、多々出てきます。ですが、それはただのヒントにすぎず、「色情因縁だからこうすればよい」という、方程式は成立しません。結局、『色情因縁だからなんなんだ?』という疑問をもてない人には、なんの意味も価値もない、中身の空っぽな脅し文句の一つなのです。

 ハッキリ言えば、心霊実務者や開運業内部の業界用語であって、一般人にたいして使うべき言葉だとは思いません。何よりも、品の悪い言葉です。

 しかし、品の悪い言葉ではあっても、色情因縁と判定される要因が、肉体的な特徴に表れることから、便利な使い方もあります。やはり恋愛の相手に色情因縁の強い人は選ばない方が無難なわけです。

 もっとも、どんな因縁を持とうと結ばれるべき二人は結ばれてしまうものですし、結ばれるべくして結ばれたカップルも、別離がないとはいえないわけです。色情因縁の強い人を避ければ幸せな恋愛が出来るかといえば、今度は相手が見つからなかったりもします。その意味においても色情因縁という言葉は本当に空虚です。


交際相手に霊の影

2005-07-14

 

Q 「交際中の彼に、女性の霊が憑いて居るのを感じます。どうしたら取り除けるでしょう?」

 浮気心を生き霊の働きと見たり、色情因縁霊のせいと思うのは、オカルトマンガの読み過ぎです。――昔の人、または、素直な人ならば、こういうときは文字通り、「女の影がある」と理解します。つまり、他にも交際中の女性がいると見なすのです。

 ここでいう影とは必ずしも比喩ではありません。実体がもたらす影響を直感的に感じ取ったものだから「影」と呼びます。そして、影とは実体があり、照らす光があって初めて生じます。実体なしの影もなければ、照らすものなく影は生じません。実体をそのままで影を消そうとするのはナンセンスな話ですし、ここでいう照らすものとは即ちあなたを導く光なのです。

 要するに、あなたの守護霊や祖先の霊が、交際相手の誠意の不足を知らせてくれているのです。

 そもそも道義的にいっても、このような除霊はうまく行きません。あなただけを見ている人なら、生き霊や因縁霊が働きかけても、相手にしないことでしょうから。


事例: 熟年者の駆落ち阻止

 

参照: 憑依霊の害は誰の責任か

 横の繋がりが弱いのが普通の心霊業界のこと、専門用語もそれぞれが勝手に使っていて混乱が甚だしいが、ここで扱うのはいわゆる世間で言うところの色情因縁の事例である。色情因縁というと、性欲に自縛した霊魂による障りと解釈できるだろうが、拝み屋的には、道ならぬ恋、端的にいうと「浮気封じ」なども含まれる。ネット上で無料心霊相談をやっていたときも原則、恋愛問題などは断っていたが、そういう原則を確立する以前の「浮気封じ」の話題を掲げたい。もっとも以下の事例は厳密な意味での浮気封じではない。そして私は厳密な意味での浮気封じをしたことがない。

 そもそも必然の結果は変えようがないのである。乱暴な例えであるが、色情因縁を解いたら、悪因縁が元の結婚が壊れて、本来の縁である現在の愛人と結ばれた、などということが無いとも言えない……

 なお、「色情因縁」という、仏教用語を安易に借り入れた心霊用語を私はあまり好んでいない。むしろ、「性欲障霊」などと呼ぶべきであろう、以下は「性欲障霊」と表現をする。

・・・・・・・

  ある老婦人が、夫の浮気……というより、本気について悩んでいた。出稼ぎのタイ人女性、しかも本国には夫も子供もいる人に熱を上げた夫が、仕事を辞めてタイに移住すると宣言したというのである。親子ほども年の差がある女性にである。

 妻は健気に耐えていて、ある時私に、静かに涙をこぼしながらその事情を語った。

 この問題は私になんの悩みも与えず、すんなりと回答が口から出た……「四月にその女性は一人で国に帰る事情が生じます。ご主人は取り残されるでしょう。」 私はこの回答に自信を感じ、自然と解決を信じた。ところが、その後の展開は私の想像を絶していたのだ。

 二月後、私のいうとおりにこのタイ人女性は一人で帰国することとなった。それでハッピーエンドかと思っていたら、妻が夫を猛烈にいびり出したのである。「あんたは勝手が出来ない。私には神様がついている」……慰めの言葉として、たしかに、「大丈夫、あなたはきっと守られます」とは言った。だが、やり過ぎではないか。一体、いままでの健気な忍耐はなんだったのだろう?

・・・・・・・

 相談に応えるだけであった私が、考えてもいなかった話ではある。それは、霊媒として充分な職責を果たしたと言えるのだろう。だがその結果に釈然としなかった私はしばらくしてようやく気がついた。

・・・・・・・

 この老夫婦は、長年、互いに遠慮しながら暮らしていたのである。そのストレスに耐えきれずに夫は別な女性を求めた。外国人女性に惚れた理由は、結局の所、言葉が充分に通じなかったからであろう。充分な意思疎通が出来なかったからこそ、相手の考えていることを勝手に妄想し、妄想であるからこそ自分に都合良く、また、自分にとって好ましく感じて、残る人生をその女性に賭けようとしたの。

 だがストレスを感じていたのは妻も同様。浮気騒ぎの最中は、逃げられることを恐れて黙っていた妻が、浮気が壊れた途端に歯止めも無くなってストレス発散に動き出し、亭主虐めを始めたのである。夫をいびり出す勢いの虐めがあるのを知って、私はあきれ果ててしまった。どうせ追い出すのであれば、タイに送り出してやれば良かったではないか…… そうすれば慰謝料などにも色が付くのでは無かろうか、と思ったものだ。

 以後は、老夫にとって地獄の日々であったと思う。愛人を失うと共に老い先短い者の夢も消え、それが神罰であると妻から宣告されたのである。愛人を信じたい夫にしてみれば、騙されたのではなく神罰であったと思いたい半面、神罰よりも騙されたと信じる方がよほど不安が少なくもあっただろう。

 そうこうしているうちに、この老夫婦との縁が薄れて、私もすっかりと忘れていた。それからもう十年は経ったであろう最近になって、この老夫婦が仲睦まじく暮らしていることを知った。

・・・・・・・

 いわゆる足止め、縁切り、などという祈祷もある。それは別段様式が問題なのではなく、単にそれを背後の霊達に申し入れれば良い。許されれば行われ、許されなければ断られるだけだ。……その意味においてこの事例は、色情因縁対策とは言えない。わざわざ止めなくても出ていけないといわれたのだから。でもそれはつまり、背後の霊達が離婚させる気はなかったと言うことでもあろう。

 ただ、夫が、道ならぬ不毛な恋に熱を上げていたので、それを色情因縁といえば言えるだろう。確かにその時、性欲障霊の存在を感じてもいたが、ただ、それが決定的、または、支配的とはとうてい思えなかった。結局の所、当事者夫婦間の話し合いで解決すべき問題を、夫が現実逃避的に不倫を始めた不自然さが低級霊を呼び寄せていたとは思う。

 だがそれも結局、作用と反作用の間の綱引きでしかないのだろう。夫にしてみれば妻に不満があるから他の女性に気持ちが動き、妻も身勝手だから、夫に振り回されてストレスを溜め、溜めすぎてようやく浮気を止めた夫を危うく追い出しかねなかったのである。

 まったく、夫婦喧嘩は犬も喰わぬというが、喰った私は犬以下であろう。…… その教訓を生かしたくても生かせないのはきっと神々が私のことを犬以下として扱っているに違いない。


健康問題

2002/02/17

健康問題

最終更新日 2002年02月17日

 明日を癒す

 往々にして、「病気になって始めて、健康の大切さを知った」と言う人が見受けられます。知識として、健康の大切さを知りながら、病気になるまで、知識を人生に生かせなかった、というわけです。

 知識は経験によって磨かれるのです。あなたが病気に 掛かったとき、病気の治療に熱中するばかりではなく、日常的な健康の留意点を学べたなら、今現在の病気を治すだけでなく、未来に掛かるであろう病気も治すことが出来ます。

 霊障か、病気か

 病気の原因を心霊に求める人もいますが、人間を心の源の霊的な部位と、物質的な肉体の部位に分けて考えてみてください。そして、心や魂といった霊的な部位が、なぜ、目に見えないのかを考えてみてください。

 霊的な部位は、物質的な影響力がほとんどないから、一般の人には霊魂が見えないのだ、感じられないのだ……と考えれば、感じることが出来ない霊魂が、物質的な部位に危害を加えられるのは、変だといえましょう。

 私も心霊相談に応じていて、感じるのですが、霊的な障害を受けている人は、病気になる前に、霊的な重圧を感じているものです。その重圧に精神が耐え切れなくなって、健康を害するのです。

 ですから、病気だからといって、霊障を疑うのは、順番が逆となります。

 身体的な病気

 医学の未発達の時代にあっても、身体的な病気については、比較的早くから迷信と決別し、医師による治療が行われてきました。ただ、平行して祈祷が行われた事を、迷信と侮蔑すべきではないと思います。現代医学ですら、すべての病に勝利したわけではなく、人の心は拠り所を求めるものだからです。

 病人と、その家族は大なり小なり、神仏にすがるもので、ただ、現代では、おおっぴらに仰々しい祈祷が行われなくなったというだけのことです。

 病気の治療には、精神的な心構えが大切だから、霊能者が病気の相談に積極的に乗ることは、むしろ良いことだと思います。ただし、診断や治療といった医師の専門分野に、専門知識も公的な資格も持たないものが手を出すべきでないのは、ごく常識的なことです。

 精神的な病気

 精神的な病気については、近代まで心霊現象と考えられてきました。ですが、生きている人間が何かを表現するには、必ず、脳を含めた、肉体を必要とするのです。

 人の精神の源がその魂であり、脳や神経を通じて肉体から表現される……その過程のどこか一部にでも、損傷が起これば、心を直接除くことが出来ない人からみれば、精神を病んでいるように見えるものです。

 つまり精神病が霊障であるというのはとても大きな迷信といえます。

 また、人間を精神という情報を処理し、肉体という外部機器を持ったコンピュータにたとえると、機械的な故障もあるでしょうが、ソフトウエアに障害があっても機能が適切に働きません。

 霊障とは、霊が病原体として病気を起こすのではなく、ソフトウエア的な障害を起こすものだ……と、おおよそ理解して、決して霊障を大げさに万能視しないでください。たとえ霊障であっても、除霊せずに解決する問題も、実にたくさんあるのです。

 そして、不適切な情報処理を強いれば、肉体は混乱してしまいます。心霊相談の事例でも、自分の限界を超越した課題に取り組んで、うまくいかずに、自分がうつ病であると思い込んだり、自分に無理を課して、他人への責任が果たせなくて対人恐怖症にかかる人もまま見受けられます。

 「薬を飲んでも楽にならないから、霊障では……」というのが相談の動機のようですが、無理をやめない限り、心も身体も適切には働かないのです。


心霊的・病気論

最終更新日 2002年04月27日

一般に病気と呼ばれるのは、心霊家からみて、前世にその原因が求められる業病と、心霊体の不調和の二種類あります。

そして、不調和は治せても、業病は基本的に治らないものです。

 心・霊・体の不調和

 心霊学では、心・霊・体の不調和を指して病気と考えます。この三者のうち、「心」と「霊」の違いを知る人は少ないでしょう。「霊」とは死後も存続する人間の意志の中枢を指します。しかし、空腹を感じれば「お腹が空いた」と考え、異性への肉欲を感じれば「性的な妄想」を抱くのは、主に肉体的な要求といえます。つまり心霊学で「霊」と「心」とをわざわざ区別するのは、一般に心と思われている精神的な働きには、死後も残る部位と、肉体と共に滅びる部位の二種類あるからなのです。

 そして、肉体とは本来無関係な「霊」の部位が強くなりすぎれば、肉体の限界を無視すれば肉体は損なわれますし、肉体が指示に従わなければ適切に動くことが出来なくなります。そして心が弱くても霊と体との調整が取れなくなるわけで、こうして、三者がばらばらに動いていると互いが足を引っ張り合って、それぞれの機能が発揮できずに、事故を起こしやすくなったり、病気にかかり易くなるというわけです。

 ですから、一般的な病気の定義に拘れば、「心・霊・体の不調和が病気の原因になる」というべきでしょうが、人間が正常な状態ではないという意味において、心霊的にはすでに不調和であるだけで、その状態を病気と見なすわけです。

 心霊治療とは

 心霊治療とは、心霊体の調和を整えることを目的にします。その具体的な方法は説明いたしませんが、ちゃんと霊感を持っている人は、教わらなくても皆、同じようなことをしているものです。むしろ、我流を誇る人が上手であると感じたことがありません。

 業病

 インドの古典的な輪廻転生論では、人がさまざまな困難と出会うのは、前世の悪行の結果と考えますが、これは、人間の思想であって、霊界通信にそのような記述はありません。

 人は霊性向上の修行のために地上に生を受けるのであって、困難とは魂を鍛えるための試練であると考えます。たとえ、病気で七転八倒の苦しみを味わった挙句、命耐えたとしても……どうせ訓練するならもうちょっと易しいコースを選びたいものですが……魂の向上に必要ならば仕方がないというわけです。

 まあ、訓練目的の困難であれ、制裁目的の困難であれ、苦しいことには違いがありません。ただ、苦しんでいるのは、一見善良そうに見えても前世の罪を償うためにであって、本質は悪人であるというのが、古典的な輪廻転生論であり、善悪を問わず、解決力があるからこそ、より大きな試練を与えられたのだ、と考えるのが心霊思想なのです。

 さて、業病とは、ただの難病の意味でも使われますが、字義的には、前世の悪業の原因の病気となります。しかし、上述のように、困難は霊性向上の試練と見なすのが近代心霊思想で、その人の良い特質をのばし、悪い特質を抑える忍耐を学ぶために、試練が選ばれるとされます。

 中にはなるほど、前世で病人を嘲笑したり、人の健康を害するような不衛生な行為を行ったものが健康の大切さを魂に刻み込ませるために業病という試練をあてがわれる場合もありますが、それにしても、苦しめることが目的なのではありません。

 そして、心霊学的には、試練を免れられないと言い、業病は治らないのが基本です。(ただし難病の克服が試練となっている人も多い)

 ですが、人は病気の中の何に痛みを感じるのでしょうか?

 趣味に憑り依かれて一日中家にこもる人もいれば、人は健康でも家族や環境に縛られて、外出もままならない不自由な人もいます。痛みだって、不安だって、病人にだけ与えられた苦しみではありません。身に覚えのない災難だとしても、災難とはそうしたものではありませんか。

 肉体的な苦しみも辛いでしょうが、登山などのスポーツを趣味とする人たちは、苦痛を乗り越える喜びを感じています。なぜ、病人は苦痛を喜びに変えられないのでしょうか。結局のところ、苦難に意義を見出せないことが一番の苦痛ではないでしょうか。人生に時間は限られているのに、無益な行為を強いられるのは、その時間分だけ殺されたに等しいのですから。


質疑

最終更新日 2006年04月15日

Q 「年のせいか体調が悪いことが多く、いろんな健康法を試しております。」

 心霊体の不調和こそが病気の原因です。そして不調和はまず、「億劫《おっくう》・めんどくさい」という形で現れます。つまり、不健康な人は、どんな健康法も長続きはしません。それが不健康という意味なのです。

 世間には様々な健康法がありますが、なによりもまず、長続きするものを見つけて下さい。それがあなたにとって一番基本的な健康法といえるからです。


不妊問題

最終更新日 2002年04月16日

子は天からの授かり物

 人の誕生も死も、人の意志ではままなりません。ですから人は不可知なものに対して、もっと謙虚になるべきです。例えば「子供を作る」という表現があります。しかし、作るといいながら、頭脳や肉体的な才能は天に任せるしかありません。

 そう、子供は天からの授かり物、預かり物なのです。我が物と思うから、子供の生き様に一喜一憂させられるのです。自分の手の届かないところは、神仏や天に任せる。それぐらいの大きな懐を持たないと、親のエゴで子供の可能性をつぶしかねません。

 注:ここで「天」という言葉は、摂理、理《ことわり》として用いています。

跡継ぎの不出来は祖先の不始末

 ドラマなどでは 「ご先祖様に申し訳ない……」という台詞も聞かれますが、「親に似ぬ子なし」といい、「親の因果が子の因果」とも言います。

 子供が出来ないことを、霊障と心配なされる方もいらっしゃいますが、どちらかというと、祖先がだらしないからという見方も出来るのです。

 そもそも、一般の人は自分の体内のどこに、脾臓や膵臓があるのか知らないのが普通でしょう。なのに子供を作るという。とても傲慢なことだと思います。


生理痛

2002年04月16日 

私は病気のすべてが霊的、または精神的な原因があると主張するものではありません。

この回答事例が、万人に当て嵌まると誤解なさらないでください。

嫌いと言えない

 男女に限らず、『嫌だ』という一言が言えず、無意識的に病気になることで自分の意志を守る人がいます。しかし、それは人間の肉体の本来の用い方ではないのです。それでなくても、病気になるまで『嫌だ』と言えない人は、意思が弱いのではなく、意志が強すぎて身体を押さえつけてしまうのですから、その意思の向け先を間違うと、大変な事になります。

 自分を犠牲にしても人を傷つけまいとするのは、一見立派なようですが、病気を理由に断るのなら、結局、なんの問題解決になっていません。やはり人間は、知恵を磨いて、他人だけではなく自分を含めて皆が幸せになれるように努力すべきでしょう。

 また女性にとって、妊娠出産に関する障害は、思いのほか心に傷を残すようで、男性霊能者である私には、思い至らずに見過ごす事も多いのです。 同様に生理痛の重さに関する相談も苦手な相談の一つですが、そのような相談には、必ず(#1)母娘関係の葛藤が有りました。心の中の葛藤は、女性に限らず、案外と健康に害を及ぼすものなのです。

 そして、この母娘間の葛藤は、私などが指摘したからといって、どうにかなる類のものではなく、むしろ、あからさまに否定される場合が多いのです。はっきり言えば、触れられたくないし、真の問題を直視出来ないからこそ、身体の不調などの形で表現しているのです。

 ですからこのような相談者に対しては、真実を説明するよりも、むしろ、水子霊の祟りと説明したほうが建設的な取り組みが行なわれる場合が多いのです。

 注1: 必ず母娘関係の葛藤があった……?

2004年08月7日補足

 この表現が誤解を呼び、多数の女性から、「私も生理痛が重いが、思い当たることがない」との反論を頂きました。

 この誤解の種は、「1, 生理痛を心霊相談する人」「2, 生理痛を心霊相談しない人」の違いにあります。そして、母娘関係の葛藤があるというのは、前者の「1, 生理痛を心霊相談する人」に限られた話なのです。

 ではなぜ、生理痛を心霊相談するのでしょうか。……相談者自ら、生理痛を霊障と思っているというより、先に「漠然とした悩み」があり、たまたま口実として「生理痛が重い」ということを相談してくるのだろうと、私は分析しています。

 ところがここに重大な問題点がありまして、「漠然な悩み」というのは、要するに当人が問題と認識出来ない……理解出来ない問題を抱えているということなのです。すると、理解力の向上無くして問題解決が出来ないことを意味します。勉強しなければ「悩み」が判らず、悩みが判らないから解決もしない。ただ、漠然と悩ましい思いを抱きながら暮らすことになるわけです。

 結局、霊媒が少々時間と言葉を費やして説明したぐらいでは解決の目処がつかないのですが、相談者は大抵途中で飽きて去っていきます。(誰の人生かと思うのですが、まあそれも人生です)


病は気から?

2000年

 

 俗に、「病は気から」と言います。統計的に裏付けられているといわれますが、そもそも誰が好んで病を起こすような気の持ち方をするというのでしょうか。まともな人ならば、陽気に楽しく暮らしたいはずです。

 病が気から生じるというなら、そういう気の持ち方をせざるを得ない事に原因を求めるべきです。そう、「人は病にかかりたくて罹っている」ということなのです。

 仕事の忙しい最中、気力はいつまでも続きませんし、さびしければ病に罹って大切にされたいという無意識の働きも生じます。病を起こす気の持ちようにも、原因があるのです。そして病気は、病原を取り除かなくても、身体が十分に免疫機能を働かすようになるだけで健康を取り戻せるものですが、弱気の原因を取り除かなければ、なかなか気持ちは変わりません。

 人の苦しみには原因があります。そして人々が困苦を乗り越えられないのは、苦しみや痛みを見ているばかりで、苦しみの原因を見定めないからといっても過言ではありません。そして、誰かを癒そうと思うのならば、隠れた原因を探す努力が必要です。

 しかし、大抵の人々は、病になってまで逃れようとした問題が、明らかになることを好みません。黙って問題を解決してあげるか、さもなければ目をそむけるか、どちらかしかないのです。


調和への祈り

2000年

 

自己治癒

 あなたが、癒しを願う時、祈りは不要です。精神統一への祈りを除いて、むしろ祈りは邪魔になります。 思念は純粋なものほど、肉体に伝わりやすく、些細な欲念でも肉体に弾かれてしまいます。それこそが人間が持つ憑依霊や恨みの念から身を守るシステムなのです。

 考えてみてください。神はあなたを病気にまみれて暮らすことをお望みでしょうか。あなたの健康を害しているのは、神ではなくあなたなのです。あなたが神に祈る時、それは我が務めを忘れた身勝手なものとならないことを心がけなくてはいけません。

癒しは気から

 あなたが右手を上げようとすれば右手が上がり、左手を上げようとすれば左手が上がります。身体とはなんて意思に忠実な存在なのでしょうか。いえ、それどころか、恥ずかしいと顔は赤らみ、怒ると顔色が青みを帯びます。本当の思いを押し殺した、うわべだけのあなたの心に忠実なのではなく、あなたの意識全体に対して肉体は忠誠を誓っているのです。この忠実なる肉体を苛めてはいけません。

 あなたが嫌な仕事に直面すると、身体は言い訳を用意しようと具合が悪くなります。あなたが出来もしない何かを行おうとすると、身体は戸惑います。あなたが誰かの気を引きたい時、身体は病気のふりをします。あなたの身体は、あなたにとても忠実なのです。病気になったとき、身体を悪者にすべきではありません。身体の具合が悪い時はあなたの思いに無理や無茶が無かったか、良く振り返ってみましょう。

 体調が不調な時、その不具合はあなたが望んだことではないか、冷静に反省してみましょう。自分の意思が認められない嫌なこと、その嫌なことから逃げる為に身体を壊して見せるのは、決していつまでも続けられる方策ではありません。いずれ、破綻する時がきます。あなたの肉体があなたの精神を見捨てる前に、そして何より、あなたに忠実な肉体を大切にする為にも、あなたの心中の、肉体を苛める要因を見つけ出して断固たる態度をとって下さい。

 肉体はあなたの精神に忠実です。ならばこそ、あなたが精神上の様々な悩みや葛藤を適切に処置し、明るく人生を歩むように努力するのなら、あなたの肉体はあなたの精神の歩みについていかないはずがありません。

 精神統一

 必要なのは、安定と調和なのです。人間の三位一体、すなわち魂と精神と肉体とが、調和を失い、安定を失う時に病に落ちるのです。あなたに必要なのは安定であり、体内にあふれる不快な鳴動を吸収し、安定に導くバッファ・緩衝材なのです。そのために成すべきは、精神統一です。


 治癒への祈り

2000年

 

 あなたが、人の癒しを願う時、祈りは不要です。精神統一への祈りを除いて、むしろ祈りは邪魔になります。 思念を純粋なものほど、他者に伝わりやすく、些細な欲念でも肉体に弾かれてしまいます。それこそが人間が持つ憑依霊や恨みの念から身を守るシステムなのです。

 ですから、あなたが欲心から……例えば、自らの能力をひけらかそう、自分が他とは違うことを見せ付けようというような心がけで、癒しを望むのなら、それはことごとく相手の肉体によって跳ね除けられてしまうでしょう。

 必要なのは、安定と調和なのです。相手の三位一体、すなわち魂と精神と肉体とは、調和を失い、安定を失った為に病に落ちているのです。あなたに必要なのは安定であり、相手の不快な鳴動を吸収し、安定に導くバッファ・緩衝材の役割を果たすことです。相手があなたの中に安らぎを見出した時、相手は自らの健康を取り戻す準備が出来たことになります。

 あなたが相手の癒しを思う時、湖の水面が鏡のようになる様を思い描きます。自分の思念を、静めて、静めて、あなたの思念も心の鏡になるまで静めます。そして、その静けさを相手に注ぎ込むのです。必要なのは病気を叩き出すことではありません。暴力が病原菌を打ちのめす時、相手の身体をも打ちのめしていることを忘れてはいけません。必要なのは相手の身体が調和を取り戻すことなのです。

 もしも、あなたが『気』または、『大宇宙エネルギー』などと呼ばれる、『何か』を感じられるのならば、幸いです。あなたは自分の意識を明鏡のように澄まし、その気を相手に注ぎ込むことが出来るからです。時として心身のアンバランスは、何者か……そして、何らかの事情により付け込まれ、不快な鳴動を増幅させつつある事があります。このような時に、ただ相手の気持ちが静まるのを待つよりも鳴動を引き起こす原因を吹き飛ばし、浄化することは癒しへの近道となるからです。

 祟り

 病気が低級霊・悪霊の祟りと考えるのは、一面的な見方としかいえません。心身の不調和が呼び寄せるのは不健康だけではなく、不定な思念を好む霊たちも呼び寄せてしまうからです。つまり、病に罹るような状況であれば、低級霊や悪霊の影響を受けていてもなんら不思議ではありません。

 もしも病気の原因が霊的なものであるなら、医師や薬には除霊能力があることになるでしょう。低級霊の介在は、心身のアンバランスを増大させる働きがありますので、除霊は特に精神的な安定を得るのに効果があります。除霊はまったく無駄ではありません。しかし、本当に必要としているのは心身の安定なのです。

 前世の因縁

 人間が生を受けるのは決して、苦しむためにではありません。前世でいかなる悪行をなそうと、それを悔い改めさせるために地上に下ろすことを霊界はいたしません。もし、罪ある魂を責めるために地上へ下ろしたら、その苦しみは多くの人に影響を及ぼさざるを得ないでしょう。一人の罪を償わせるために、多くの人々を悩み苦しませることは霊界の本意ではないのです。

 とはいっても、前世の因縁による苦しみが、この世にないわけではありません。そもそも魂の持つ欠点を修正するために人はこの世に生れるのですから、人生で味わう、困苦や痛みのほとんどが前世の因縁と呼べなくはありません。

 ヒーリングの能力を持った人が、心身の不調和を整えようとするなら、面白いように身体が良くなるのを見ることが出来ます。しかし、因縁については容易に症状が緩和しません。良くなったと油断した途端に逆戻りすることも多々あります。

 このような場合、前世の因縁を調べないと解決策が見出せないことがあります。


霊感発現

2002/02/17

霊感発現

最終更新日 2002年02月17日

霊感が発現した直後の注意事項です。

 霊感発現初期の人が犯す、最大の過ちは、自分の霊感を周囲に認めさせようと、余計な事まで公言してしまうことです。しかし、突然発現した場合、正しいメッセージを受け取っていることはまれで、大抵は、それこそ、「マイクテスト」なのです。この時期にあまり公言してしまうと、後に引けなくなります。

 なるべくならば、冷静になって省みる事ができるまで、気のせいということで、穏便にしたほうがよいでしょう。また、突然霊感が開いたというのは、大抵、ストレスが絡んでいます。そして、不安定な精神状態で働く霊感は、低級霊しか呼びません。また、霊的な意味があるにせよ、無いにせよ、低級霊と関っているなら、傍目からはノイローゼや分裂症と何ら代わりありません。

 つまり霊感、そして、交霊のなんたるかを理解するまで、沈黙が大切なのです。

 少なくとも、まともな思慮のある霊は、準備期間もなく突然霊感、具体的には、霊聴、霊視などを行わせることは在りません。本当に危険が迫っているなら、言葉や視覚ではなく、もっと劇的な行動をとるものなのです。これは、体験した者だけが理解できます。

 大地震やその他の災害の時にも、虫の知らせで、九死に一生を得た人が大勢いらっしゃいますよね。難を免れた人と、免れなかった人はどう違うのか……難を逃れない人は、思い込みや、面倒がって勘を信じない人に多いのです。

・・・・・・・

 多くの人は話を散々こじらせた後に、このページにたどり着いているはずです。霊感発現初期にトラブルに見舞われるのは、そのまま、あなた自身が抱えている悪因縁と考えて差し支え有りません。その意味で誰よりも先にこのページにたどり着いた人はなんと幸せな事でしょう。そして、突然始まった霊感に、恐怖を覚えて誰かに信じてもらいたいと思うのは、むしろ当然です。

 ですが、あなたが霊との関わりに恐怖を感じるのと同様に、あなたの相談を受けた周囲の人たちも、恐怖を感じる事でしょう。あなたがどれほど恐怖しようと、周囲の人々はあなたの苦悩を理解する事は出来ないのです。そして、あなたさえいなければ、恐怖する必要はないのです。

 あなたを狂人として、精神病院に押し込めたほうがよほどいいと、思いつめる人がいないとは限りません。沈黙こそがあなたを救います。くれぐれも心がけてください。


質疑: 霊が見える

最終更新日 2002年04月27日

 

 質問、霊が見えて怖い、どうしたらいいか?

 世の中には良い人もいれば、悪い人もいるのです。霊界にも悪い霊ばかりがいるのではありません。なのに、霊に怯えなければならないのは、無意識に低級霊ばかりを探して、高級霊と感応しようとしないからです。

 もうひとつ問題があります。そもそも、人は死ねば肉体を失うのです。姿も声も、肉体と共に滅びるのに、死んでも人は生前のように、肉体的な特徴を持って姿を見せると思うのは誤解というべきです。

 きちんと霊界に入れた霊なら、肉体的な特徴に拘るのはナンセンスである事を理解しています。言葉など話さなくても意志を直接交わせるなら、外国語や方言の違いなどを心配することなく、多くの霊とコミュニケーションが出来るのです。なのになぜ、いつまでも霊言現象にこだわるのでしょうか。

 結局、霊感をお持ちの方が、姿が見えて、言葉を話す存在だけを霊としてみて、それ以外を無視するから、結局、生前の姿に束縛されているような低級霊ばかりを感じ取ることになるのです。そういう霊を感じたなら、あなたの感覚が低級霊向けになっていることを理解し、もっと高級霊に波動をあわせる努力が必要になります。

 あなたは死んだ後、あなたが感じ取れる霊たちと共に暮らす事になるのです。ぜひ今のうち、練習を積まれるようにお勧めします。もっとも、その方法を言葉で伝授するのはとても難しいのですが。

 

 質問、神社やお寺には低級霊がいっぱいだ。

 「霊の問題で、神仏に助けられたくて、社寺におまいりしたが、低級霊が一杯いて怖かった。または、社寺から連れて来てしまった、どうしよう」

 という話を良く聞きます。上述のように、姿かたちを見せる霊は、基本的に低級霊に分類すべきなのに、姿かたちがない霊を無視すれば、低級霊しか見えなくて当たり前です。

 また、評判の良い病院には患者が集まり、評判の悪い病院は患者が避けることを考えてみてください。社寺に低級霊がいるのはむしろ当たり前で、予約制でもない限り、低級霊がいなければ評判が悪いのだと考えるべきです。

 そもそも、霊というのは、場所の制約を受けない存在です。また、低級霊こそ、神仏の援助が必要なわけで、低級霊のは入れない聖域というのは存在しません。そして、聖域というのは低級霊のいない場所ではなく、高級霊と接しやすい場所である事を勘違いしてはならないのです。

 また、自分の霊感を鼻にかけた人が、 「あの、社寺はもぬけの殻だからお参りしても無駄』 ということが有ります。こういう話を聞くと、私は「ああ、嫌われて居留守を使われたな」と思います。神仏というのは高い精神性の象徴なのです。精神性と物質的な欲望とでは、扱う問題の次元が違います。

 その違いの分からない人では、相手にするだけ無駄といえましょう。私の相談者の中にも、金銭問題を持ち込む人がいますが、断られた後の態度がみな強盗のようにひどいものです。

 

 質問、成仏(または除霊)させたいがどうしたらいいか?

 一見、まともそうな質問ですが、実におかしな問題を含んでいます。「さ迷うことなく、自分のいるべき場所に行ってくれ……でもそれは、どこに行けば良いのでしょう?」

 あなたは、自分が死んだ時、迷うことなく、霊界に入る事が出来ますか?

 自分の行き先を知らない人が、迷っている人に早く行けといっても、戸惑い困るばかりではありませんか。人(霊)の成仏、供養を心配なさるよりも、自分が死んだ後の事を心配なさったほうが良いと思います。いえ、はっきり言えば、自分の行き先さえ判らない人だから、さ迷う霊と関わり苦しむのですから。

 それこそ、『私にも行き先は分かりません。もしもあなたが見つけたときは、私にも教えてください』とお願いすべきであって、低級霊だ、未浄化霊だと馬鹿にして、実は自分も同じ境遇にあることを見落としてはならないと思います。

 そして、霊界の事は霊界に任せるのが基本なのです。迷える人を見たら、守護霊や祖先の霊にお願いして導いてもらえば、間違いなく、いくべき所に行き、何の誤解も感情のもつれも起こりません。霊がいる=除霊が必要!というのは、非常に乱暴な考え方で、そんな事では敵を生み出すばかりであることを良くお考えください。

 

 質問、知人の背後に霊が見える。どうしたらいいか?

 正しい心霊知識を持たないまま、霊と関わると、物事をこじらせるだけです。

 悪意を持ってついている霊には、対処が必要ですが、霊感の持ち主に目撃される霊で一般的なのは、随伴霊(ずいはんれい・心霊用語辞典を参照のこと)で、放置しておいても危険がないのが普通です。

 むしろ、放置しておけば何の悪さをしないものを、霊感の持ち主がちょっかいを掛けたがために怒らせて悪意を持つ場合もあります。こうなると非は霊媒にあるのですから、ちょっとやそっとでは除霊出来ないとお考えください。

 なお、あなた自身が、霊を見て恐怖を感じるように、誰かに「霊がいる!」と指摘すれば、相手も不安に思うものです。むやみに人を不安に陥れないように注意いたしましょう。また、この不安感に付込んで、謝礼をせしめる心霊詐欺も存在します。詐欺師に疑われない注意も必要です。

 

 質問、霊の話をしたら狂人扱いされた。

 突然の霊体験に、恐怖を感じるのは良く分かりますが、その体験を人に話しても、理解されないのが普通です。無理に信じさせようとしても、相手の恐怖心を刺激してしまいます。まして、霊の存在を信じない戸広言する人の中には、実は人並み以上の霊感を持ち、恐怖で自分の感覚を無視している人が多いのです。

 つまり、下手にあなたが自分の霊体験を信じさせようとすると、感情的な反発を受けるのが普通です。特に家族に信じられいない事はとても大きな精神的な苦痛を受けるでしょうが、血縁者にも霊感が強い人が多くて当たり前ですから、無理は厳禁です。

 そして、あなたが精神病院で、狂人であると診断を受けたら、霊の話もすべて狂人のたわごとと忘れ去る事が出来ます。つまり、あなたが身近な人を脅かすと、彼・彼女らは、本気であなたを精神病院に押し込みかねません。


霊感の意義

2002/02/17

最終更新日 2002年02月17日

 

この項では霊感の自覚がある方を対象にしています。

 

 本当に日本では心霊の良書が手に入りにくいとも感じます。ですから、霊感のある人の多くは、オカルト雑誌、職業霊能者の自己PR本や、宗教団体の広告宣伝書籍を見て、心霊を学びます。中には有益な情報も含まれていますが、人の意見というのはその立場によって決まるものです。もちろん私のHPもまた、私の立場から出た意見に支配されています。

 ですが、考えていただきたいのです。

 悪霊や低級霊がいれば、除霊だ、供養だと騒ぐ世の霊能者……まるで、やくざの縄張り争いのようではありませんか。人相が悪いからと人は追い出されなければ成らないのでしょうか。 たとえば、交通事故に巻き込まれて血だらけの人を、人相が悪いからと追い出しますか?

 そして、よく考えていただきたいのです。

 世の中には、良い人もいれば悪い人もいるのです。なのに、世の心霊情報の多くは、まるで悪い霊ばかりが世界に溢れているようではありませんか。それを信じるなら、あなたは死んだ後、一体どこに行き、どのような生活が待っているのでしょうか?

 本当に怖いのは、生きているうちに低級霊に襲われる事ではなく、死んだあと永遠に救われずにいることではありませんか?

 

 増える選択肢

 多くの人々は、この世の中にだけ、答えを探します。

 霊感の持ち主は、この世とあの世に答えを探します。

 多くの人々は、この世の中にだけ、答えを探します。答えがあの世にある場合は、答えを見つけることが出来ません。ですが、霊感を持つという事は、人々が全く見つけることが出来ない答えに触れる方法を持つという事なのです。

 それは同時に、人々よりもはるかに多くの選択肢の中から答えを見つけるということでもあります。

 不可思議な問題であっても、霊界の仕業とは限らないから……霊感の持ち主は、人々よりもはるかに多くの選択肢の中から答えを見つけなくてはならないという事なのです。つまりは、一般の人よりも多くの努力なくして、たった一つの真実にさえ触れられないのが霊能者なのです。

 

 志という名の迷い

 霊感を得た人は、往々にして、「人を助けよう!」という志を抱きます。持つ者が持たざる者に施すのはなるほど美徳ではありますが……人に善意を施したところで、困苦の乗り越え方を伝授できなければ、一時しのぎにしかなりません。それは果たして、助けた事になるのか、はたまた引っ掻き回しただけなのか、どちらでしょうか。

 多くの人が痛みと悩みを抱える現代。「心の時代」というフレーズは、心が豊かな時代ではなく、心寂しさに身もだえして、精神性を追いかける時代ということなのです。 一時的な善意を振りまいても、砂地に水を捲く様なものです。一人一人が互いに潤しあえてはじめて、人々は救われます。心ある人にはどうか、目先の救いに流されず、長い目で見た救いを心がけて欲しいと思います。

 下世話な話ではありますが、皆様も、人の自慢話に付き合わされて辟易とした経験がおありでしょう。今の世の中、心寂しさがゆえに、腹を空かせた獣のように、褒められたくてうずうずしている偽善者がたくさんいます。人を罵倒してでも尊敬を集めたい人も、あまり多くて目がくらむほどです。

 あなたが本当に人知を超えた英知を引き出せると思うなら、どうか、人々の心寂しさの原因に、その英知を役立ててください。他の人ではまねの出来ない事にこそ、あなたの才能を生かす最高の舞台が待っているのですから。

 さまざまな、誹謗中傷を受けた末に私は思います。

 人はしょせん、自分の利害で他人の善悪を推し量るものです。自分に都合の良い相手以外は,すべてあしざまになじる人もいるのですから、他人の評価に振り回されたらきりがありません。

 私が人に感謝されるための努力ではなく、私が助けた人が、人々から感謝されるようになって始めて、私は天から褒められるのだ……そして、人の賞賛はしょせん、身勝手なものだから、人ならぬ天から褒められて初めて、私は素直に喜ばれるのだと思います。

 願わくば、多くの方々と、この喜びを分かち合わん事を。霊感は答えではなく、手段なのです。それを知る方が一人でも増える事を切に願っています。


迷う

2002/02/13

2002年2月13日

 あなたには迷いが多すぎます。

 あなた方が悩み、助けを求める一方で、助けが来ないからと、くよくよと悩み迷っています。あなたが今、右を選んだからといって、私たちが右を応援し、あなたにようやく私たちの助けが届くという時に、あなたが左を選びなおして行動していたら一体どうなるでしょう。

 あなたの努力と、私たちの努力がかち合って、せっかくの手助けが足手まといになってしまいます。あなたが幸せになるために、懸命に悩むのは分かります。でも、迷いがあるならあなたは自分の力だけを頼りに努力しなければなりません。

 最善を尽くしたい気持ちも分かります。でもその結果、あなたを助けようとする人たちの力が発揮できなければ、一体誰のための最善なのかわかりません。懸命に悩み、迷うのは大変結構な事です。ですが、一度決めたらわき目をふるのはお止めなさい。

 物事には時期というものがあるのです。その時期を失すれば無駄になり、早すぎては途中で挫折します。まして、あなたの狭い視野でいくら迷ってみても、答えのすべては見渡せません。どうして良いか分からぬというなら、迷うことを止めて、いっそ全部預けても構いません。でも、答えの出ないものを迷うのは止めなさい。

 人のことで思い悩むのはおやめなさい。相手の非を見つけてあなたが指摘すれば、相手は事の是非よりもあなたへの憎しみを抱きます。あなたはまず、自分を律して人のお手本になる努力をし、相手から意見を求められるようになれば、恨まれる事なく人に注意が出来るようになります。

 あなたにはその道筋も出来ているし、そう努力もしているはず。心の中に湧き上がる無責任な思いを断ち切って、対人関係に臨んで下さい。相手を悟らせるには、つぼを抑えた指摘が必要です。気が付いたらすぐではなく、相手が聞く耳を持つゆとりのある時に、無駄ない言葉で指摘すればそれでよいのです。

 あなたも守られていることを知っているでしょうに、目の前に赤いカーペットを敷き詰めなければ、前に進めないと言うのでしょうか。兄弟姉妹にもそれぞれの人生があり、両親にも両親の人生があります。配偶者にも配偶者の人生がありますが、共に歩けて助け合えているではありませんか。

 人はなかなか、当たり前のように互いに甘えて、助け合う喜びを忘れがちです。しあわせとは、『幸せ』だけではなく、『仕合せ』とも書くのは、一体なぜなのか……、相手が、あなたの努力に答えてくれなければ、そこに仕合せはないのですよ。

 あなた一人でももっと幸せになれるのだから、前を向きなさい。

 あなたの暮らすこの世界は、そんなに治安の悪いところではありません。あなたが押しつぶされそうな不快感を感じているとき、私たちは助けようとその背後で働いているのです。直ちに結果が出ないからと言って、あきらめるのは止めなさい。風邪を引いても治るのに時間がかかるのは、当たり前ではありませんか。

 人の心だって、簡単に動くばかりではないのです。よくよく、思いつめた結果ならば、劇的に変化することもありますが。

 もう少し、襟を正して歩きましょう。世の中を斜に構えることなく。いいかげんな気持ちで世の中に付き合えば、傷つくことも少ないけれど、やはり人の心を動かすのは誠意だし、あなたが心動かされるのも誠意でしょう。

 あなたの軽やかな好奇心を一体どこに仕舞い込んだのでしょうか。感動が言葉で言い表せないように、わくわく、どきどきが無くなったら、あなたの魂が感じるべき、何もなくなってしまいます。

 大人びた態度が、論理的であると言うのなら、心霊を学ぶことこそ、子供っぽいといえますが、霊界にあって、地上の言葉に囚われ、地上の論理に囚われる人をなんと呼ぶかご存知ですか。

 あなたもまた、大地にへばりついて生きるのですか。あなたの足が大地から離れられなくても、心まで大地にへばりつけておくのですか。みんなと一緒にへばりついているのですか。

 ご自身の生き方に責任感を強く感じていらっしゃるのはよく分かりますが、何のための人生なのか、お忘れではありませんか。

 あなたは一体、霊界に何を持ってお帰りになるのでしょうか。


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