霊感に憧れる
2006/09/17霊感に憧れる
2006年09月17日
繰り返される質問であるが、質問者の数だけ回答のある質問である。
Q「どうしたら霊感が得られますか?」
A「霊感というのは知るための手段なのです。その得た霊感で何を知ろうというのですか?」
質問者は返事に詰る
A「では、何で霊感が欲しいんですか?」
Q「子供の頃から漠然と憧れていて……」
霊感とは手段。手段は目的に応じて選ぶべきであり、先に手段を選ぶのであれば、何とも主体性がない。……が、逆説的ではあるが、憧れていたから、という理由は格別な不都合は見いだせない。
何となれば、霊媒というのは、コミュニケーションする対象無くして成り立たぬ存在である。その事は、掛ける相手のない電話を思い浮かべてみて欲しい。つまり、霊感の感度が悪くても交霊相手が頑張ってくれれば霊的コミュニケーションは成立するが、霊感の感度が良くても交霊相手がいなければ霊的コミュニケーションは成立しないのだ。その意味で大切なのは、才能よりもむしろ人間性である。
よほど優れた才能に恵まれた霊媒であるなら人間性に多少、眼をつぶっても交霊手段として活用されるかも知れない。が、これから霊感を磨きたいと思う人ならまず第一に大切なのは人間性である。たとえば、イタコやゴミソなどという、職業霊媒等には「神憑け」なる神事があるという。いわば、交霊相手とのお見合いである。霊に受け入れられれば支配霊として霊感の源となる。
だが、好かれるには、まず、好くことが大切である。利用しようという打算には、その打算を逆に利用する悪霊しか寄ってこない。……因縁も絡むことだが、霊感があって悪霊や低級霊しか寄ってこないとしたら、霊に対する態度にも問題があるだろう。
つまらぬ目的、現実逃避的な目的で霊感を欲しがる人では話にならぬが、霊に対して素直で真摯であるなら、目的は手段の後から附いてくるかも知れない。
なによりも、素直であるが故に、霊感への憧れ、霊への関心が霊性の現われであるとも思える。かみ砕いていえば、背後の霊達が促しているから、霊感に憧れ、霊に関心を持っているかも知れないのである。……というか、最初から、ちょっと毛色の違う背後霊が見えていた。
それが誰であるのか、それが何を意味するのか、これからどうなるのか……関心をかき立てられることかも知れない。だが、霊を支配しようとしてはいけないのである。焦りは障害になれど益にはならない。「受取って良いのは相手が与えたものだけ」というのが交霊の基本なのである。
現実逃避的な霊能願望
2006年09月19日
……つまらぬ目的、現実逃避的な目的で霊感を欲しがる人。
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他の才能と異なり、霊感というのは霊の助けなしには成立しない。それを前提に考えて貰いたい。
「もしも私に○○の才能があったら、困っている人を助けてあげられるのに」……これが、他から独立した才能であるなら立派な心掛けであろう。だが困っている人を救うというのは、……あなたが霊媒であるべき理由とはならない。「霊感があれば……」等という言い訳を口にする間に、手を出せる人こそが霊媒に相応しいからだ。
たとえば音楽の才能で人を潤すとか、料理の才能で人を癒すというのは結構なことだ。だが、霊感に関してはこれが当て嵌まらない。
なにしろ、人々が気付かぬだけで、霊達は懸命に人々を導いている。その霊達の努力に至らぬものを感じる人は多いだろうが……そもそも人生は一体誰が責任を負うべき事だろうか?
為すべき事を為さずに、不平不満をいい、無為に助けを求め続ける……それが人々の有り様であるなら、霊達が導くとはいかなる形になるのか。人々が楽に幸せになる道ではなく、むしろ嫌でも努力する方向にではないか。
霊達に問題があって、霊感が得られぬというのであれば、それを霊達に求めるのはナンセンスだし、人に問題があって霊感が得られぬというのであれば、自分を変えようともせずに霊感を求めるのはナンセンスだ。
ナンセンスなまま、良い結果を求めるのはもっとナンセンスだ。
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さらにナンセンスな話がある。
その考えでは霊感が得られぬと知ると、いかにも不快という態で……ある人は毒づき、ある人は罵って去っていく。だが、問題は霊感が得られぬ事だろうか?
気に入らない点はなるほど、霊感が得られぬ事であろう。だが、得られぬだけで終わるのか?
意にならぬ目的に向けて散々時間を無為にして……でも、あっさりと諦める。わずか百年ほどの人生、その三分の一は成長と老化の中で、残された時間の三分の一は睡眠などで消えていくというのに。
多くを失ってそれに気がつかず、これから何を失うのかも理解せずに……持っているチャンスをどんどん失いながら、ささやかな獲物を逃した事に腹を立てている。
まずは持って生まれた才能を大切にする事が先決ではないか?
そもそも、いまある物事を大切にしない者に誰が大切な宝物を授けるというのだろう!?
霊媒の職業適性?
2006年09月19日
電気関係の職業と関連の深い霊媒は多いが、職業適性が絡んでいるだろう。霊媒も電気技術職も目に見えないものを扱っている。今後は更にIT関連技術職と関係深い霊媒が増えるのではと思う。すると、抽象的な心霊問題に対して論理的説明が上手な霊媒が増えてくるのでは無かろうか。
むろん職業選択は職業適性だけが要因ではないが、目安の一つとなるだろうと思える。というのは、霊的能力に恵まれていても、又は、心霊に関心を持っていても、具象的な対象を扱う職業家はどうも心霊問題も具象的に取扱いやすく、同時に抽象的な問題を取扱うのに不器用であることを感じるからだ。
端的にいえば、見たまましか理解せず、その裏面を想像しがたい人が多いと感じるのである。
私の師なども、本来は主婦、それ故、思想的な問題などは、からきし苦手としていた。私が武断派と呼ぶ所以である。……まあ、師は私を文治ならぬ文弱として扱うが。
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様々な霊媒がいて良いと思う。ただ、それぞれに長短があり、その長短を互いに補い合えれば、霊界の助けの少ない時代にあっても、それ相応に心霊研究は発達していくのだろう。
ただ、これだけは特記すべきであろう。
霊感とは、霊と人との共同作業であるが、その架橋となるのはやはり感覚の鋭敏さである。互いの友好関係がなによりも大切とはいえ、感覚的な繋がりが太い方がより有意義に友好関係が結べる。
だが、いくら感覚が鋭敏であっても、我が強い人では我を思うばかりで他に気配りが出来ない。つまりいくら高性能の通信機を持っていても、受信のスイッチを入れなければ宝の持腐れなのである。
又は下らぬ話題にばかり関心を持つ人では、下らぬ事しか霊感が生かせないであろう。……同時に素直でないと、霊からのメッセージがいつしか、霊媒の内心のメッセージと化してしまう。霊感が時として隠れた欲望の表現に変るのである。
抽象的な問題を得意とするのは有益な事である。だがそれ以前に素直でなければその霊感に意味・価値がない。
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「友人の忠告を聞けない人だ」と、いう非難を受けたことがあるが、その忠告というのは素直に相手を思う言葉であるのか、それとも自分の我に他人を従わせようという言葉であるのか。
真心・ワガママのどちらから出た言葉であるのかを見抜けなければ、審神者が務まらないし、自分のいわんとすることが真心・ワガママのどちらかをわきまえることが出来なければ、霊媒は務まらない。
……霊媒の修行はここから始り、ここに終るのではないか。
幸いなことに、今私の周囲に残っている人は、真面目に精神統一に取組める人ばかりだ。