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霊感に憧れる

2006/09/17

霊感に憧れる

2006年09月17日

繰り返される質問であるが、質問者の数だけ回答のある質問である。

Q「どうしたら霊感が得られますか?」

A「霊感というのは知るための手段なのです。その得た霊感で何を知ろうというのですか?」

質問者は返事に詰る

A「では、何で霊感が欲しいんですか?」

Q「子供の頃から漠然と憧れていて……」

霊感とは手段。手段は目的に応じて選ぶべきであり、先に手段を選ぶのであれば、何とも主体性がない。……が、逆説的ではあるが、憧れていたから、という理由は格別な不都合は見いだせない。

何となれば、霊媒というのは、コミュニケーションする対象無くして成り立たぬ存在である。その事は、掛ける相手のない電話を思い浮かべてみて欲しい。つまり、霊感の感度が悪くても交霊相手が頑張ってくれれば霊的コミュニケーションは成立するが、霊感の感度が良くても交霊相手がいなければ霊的コミュニケーションは成立しないのだ。その意味で大切なのは、才能よりもむしろ人間性である。

よほど優れた才能に恵まれた霊媒であるなら人間性に多少、眼をつぶっても交霊手段として活用されるかも知れない。が、これから霊感を磨きたいと思う人ならまず第一に大切なのは人間性である。たとえば、イタコやゴミソなどという、職業霊媒等には「神憑け」なる神事があるという。いわば、交霊相手とのお見合いである。霊に受け入れられれば支配霊として霊感の源となる。

だが、好かれるには、まず、好くことが大切である。利用しようという打算には、その打算を逆に利用する悪霊しか寄ってこない。……因縁も絡むことだが、霊感があって悪霊や低級霊しか寄ってこないとしたら、霊に対する態度にも問題があるだろう。

つまらぬ目的、現実逃避的な目的で霊感を欲しがる人では話にならぬが、霊に対して素直で真摯であるなら、目的は手段の後から附いてくるかも知れない。

なによりも、素直であるが故に、霊感への憧れ、霊への関心が霊性の現われであるとも思える。かみ砕いていえば、背後の霊達が促しているから、霊感に憧れ、霊に関心を持っているかも知れないのである。……というか、最初から、ちょっと毛色の違う背後霊が見えていた。

それが誰であるのか、それが何を意味するのか、これからどうなるのか……関心をかき立てられることかも知れない。だが、霊を支配しようとしてはいけないのである。焦りは障害になれど益にはならない。「受取って良いのは相手が与えたものだけ」というのが交霊の基本なのである。


現実逃避的な霊能願望

2006年09月19日

……つまらぬ目的、現実逃避的な目的で霊感を欲しがる人。

・・・・・・・

他の才能と異なり、霊感というのは霊の助けなしには成立しない。それを前提に考えて貰いたい。

「もしも私に○○の才能があったら、困っている人を助けてあげられるのに」……これが、他から独立した才能であるなら立派な心掛けであろう。だが困っている人を救うというのは、……あなたが霊媒であるべき理由とはならない。「霊感があれば……」等という言い訳を口にする間に、手を出せる人こそが霊媒に相応しいからだ。

たとえば音楽の才能で人を潤すとか、料理の才能で人を癒すというのは結構なことだ。だが、霊感に関してはこれが当て嵌まらない。

なにしろ、人々が気付かぬだけで、霊達は懸命に人々を導いている。その霊達の努力に至らぬものを感じる人は多いだろうが……そもそも人生は一体誰が責任を負うべき事だろうか?

為すべき事を為さずに、不平不満をいい、無為に助けを求め続ける……それが人々の有り様であるなら、霊達が導くとはいかなる形になるのか。人々が楽に幸せになる道ではなく、むしろ嫌でも努力する方向にではないか。

霊達に問題があって、霊感が得られぬというのであれば、それを霊達に求めるのはナンセンスだし、人に問題があって霊感が得られぬというのであれば、自分を変えようともせずに霊感を求めるのはナンセンスだ。

ナンセンスなまま、良い結果を求めるのはもっとナンセンスだ。

・・・・・・・

さらにナンセンスな話がある。

その考えでは霊感が得られぬと知ると、いかにも不快という態で……ある人は毒づき、ある人は罵って去っていく。だが、問題は霊感が得られぬ事だろうか?

気に入らない点はなるほど、霊感が得られぬ事であろう。だが、得られぬだけで終わるのか?

意にならぬ目的に向けて散々時間を無為にして……でも、あっさりと諦める。わずか百年ほどの人生、その三分の一は成長と老化の中で、残された時間の三分の一は睡眠などで消えていくというのに。

多くを失ってそれに気がつかず、これから何を失うのかも理解せずに……持っているチャンスをどんどん失いながら、ささやかな獲物を逃した事に腹を立てている。

まずは持って生まれた才能を大切にする事が先決ではないか?

そもそも、いまある物事を大切にしない者に誰が大切な宝物を授けるというのだろう!?


霊媒の職業適性?

2006年09月19日

 

電気関係の職業と関連の深い霊媒は多いが、職業適性が絡んでいるだろう。霊媒も電気技術職も目に見えないものを扱っている。今後は更にIT関連技術職と関係深い霊媒が増えるのではと思う。すると、抽象的な心霊問題に対して論理的説明が上手な霊媒が増えてくるのでは無かろうか。

むろん職業選択は職業適性だけが要因ではないが、目安の一つとなるだろうと思える。というのは、霊的能力に恵まれていても、又は、心霊に関心を持っていても、具象的な対象を扱う職業家はどうも心霊問題も具象的に取扱いやすく、同時に抽象的な問題を取扱うのに不器用であることを感じるからだ。

端的にいえば、見たまましか理解せず、その裏面を想像しがたい人が多いと感じるのである。

私の師なども、本来は主婦、それ故、思想的な問題などは、からきし苦手としていた。私が武断派と呼ぶ所以である。……まあ、師は私を文治ならぬ文弱として扱うが。

・・・・・・・

様々な霊媒がいて良いと思う。ただ、それぞれに長短があり、その長短を互いに補い合えれば、霊界の助けの少ない時代にあっても、それ相応に心霊研究は発達していくのだろう。

ただ、これだけは特記すべきであろう。

霊感とは、霊と人との共同作業であるが、その架橋となるのはやはり感覚の鋭敏さである。互いの友好関係がなによりも大切とはいえ、感覚的な繋がりが太い方がより有意義に友好関係が結べる。

だが、いくら感覚が鋭敏であっても、我が強い人では我を思うばかりで他に気配りが出来ない。つまりいくら高性能の通信機を持っていても、受信のスイッチを入れなければ宝の持腐れなのである。

又は下らぬ話題にばかり関心を持つ人では、下らぬ事しか霊感が生かせないであろう。……同時に素直でないと、霊からのメッセージがいつしか、霊媒の内心のメッセージと化してしまう。霊感が時として隠れた欲望の表現に変るのである。

抽象的な問題を得意とするのは有益な事である。だがそれ以前に素直でなければその霊感に意味・価値がない。

・・・・・・・

「友人の忠告を聞けない人だ」と、いう非難を受けたことがあるが、その忠告というのは素直に相手を思う言葉であるのか、それとも自分の我に他人を従わせようという言葉であるのか。

真心・ワガママのどちらから出た言葉であるのかを見抜けなければ、審神者が務まらないし、自分のいわんとすることが真心・ワガママのどちらかをわきまえることが出来なければ、霊媒は務まらない。

……霊媒の修行はここから始り、ここに終るのではないか。

幸いなことに、今私の周囲に残っている人は、真面目に精神統一に取組める人ばかりだ。


命の価値

2006/09/09

2006年09月09日


命の価値

人は死を免れることが出来ず、また、死は突然に訪れるから……人が死の先にあるものを学ぶことはとても大切なことであろう。だが、人は死ぬために生まれたのではなく、たとえ短くとも生きるために生まれてきたのである。死にこだわり続けることは生の浪費であり、死ぬために生きると誤解するのは生への冒涜である。

死という区切りがあることは、生の価値を卑しめはしない。むしろ、限りがあるからこそ、その貴重さに敬意を払うべきが「生」なのである。

霊媒、または幽明交通の存在意義

死を知ることが大切だとしても、人は生に重きを置くべきなのである。

ましてや、死んでから生を思うことが、情けなき迷妄であるのと、心霊家に考えられているのと同様に、生きていながら死後を思うことの意義を想いはかってみるとよい、それはきっと、死者たちから見れば、情けなき迷妄であろう。

人事を尽くして天命を待つ――そんな覚悟の持ち主が霊達にも加護を祈るのは決して嫌われはしないが、人としての努力をせずに死者の霊達に助けを求めるのは果たしてどうか……低級霊が人に憑依して自らの欲望を果たすのとどう違うというのだろう?

死んでもなお地上に未練を残して、彷徨ってみたり、人に憑依してみたり……そういう悪霊低級霊の類と同様に、あの世のことばかりに思いをはせたり、労力も払わずに祈りに努めたりする人の浅ましさ。心霊主義者はおうおうに顕幽両界のはきだまりとなりやすい。

死後にも個性が存続するなら、人が地上で努めるべきは「生」であり、人が死後に努めるべきは「死」なのである。生きて死を、死んで生を努めることはナンセンス極まりない。

……すると、霊媒の存在意義はどこにあるのか。職業霊媒としては喰っていくために色々と工夫をするところではあるが、本質的に、霊媒の使命とは、「例外処理」にあるのだろう。

すなわち、何らかの事情で、死と生とが絡まりたる問題が生じたときにこそ、役目があるのであって、それ以外には慎むべきが霊媒の心掛けであると思う。

多くの霊媒が、普段は占い師などで生計を立てているのを、霊媒能力の低さであると侮蔑すべきではあるまい。むしろ、何でもかんでもあの世に頼るような相談者ばかりでは、危うい話なのだから。


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あなたは神を知っているか?

2006年0月0日


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参照: 命の価値


心霊を学び、霊達の言葉に耳を傾けていると、どうも既存宗教の教義がつまらなく思える。「本来ならば、こう教えるべきなのに……」という、思いが積もり積もって、誰かに話したくなる。……かくして新宗教が生まれる。

ところで、霊媒はついつい自分の霊能力の副作用を見落としがちだ。しかも、効果が強ければ副作用も強いのである。(一体誰が、自分の弱点を認識したがるというのだろう? 特にそれで飯を食うものが。……そういうことである)

霊的感応には恍惚感が伴う。……感応は快楽なのである。そして人は、快楽を否定しがたい。霊的感応が快楽であるがゆえに霊媒は自らの霊感を否定しがたい。……真実かどうかは、この快楽の前ではさほど問題ではない。本当に大切なのは快楽であって、快楽こそが全てなのである。……霊媒は自ら感じ取った感応を真実と信じたい人なのである。

ここに、真実かどうか解らぬものがあるが、真実と信じたいものがある。

……強烈な信仰心。

その周囲に、真実はともかく、真実を見つけたい人々がいる。

……目的を持たぬ信仰心。

強烈な信仰心の周囲に目的を持たぬ信仰心が集まれば……そこに信仰が生まれる。

かくしてここに新宗教が生まれる。

・・・・・・・

ちょっと想像してみて欲しい。

今まで見たこともないような、美しいもの、素晴らしいものと出会ったとき、あなたはどういう態度に出るだろうか?

……ここで大切なのは、出会いが生んだ感動と、あなたの態度とは比例するということである。つまり、今まで見たことがないという定義であなたが想像するのは、あなたの想像の限界を表わす。だが私の求めている回答は、あなたの想像を超えた部分を含んでいる。

そう、ちょっと良い感動なら、得した気分で立ち去るだろう。

かなり良い感動ならば、その感動を誰かと共有したくて、話す相手を探すだろう。

だが、本当に素晴らしい感動であれば……黙って立ちつくすだけではないか。

……あなたは、どのような感動を想像し得ただろうか。そして、世の中にはどんな感動が存在し得るのだろうか?

・・・・・・・

心霊を学べば、どうしても既存の宗教では飽き足らなくなるが、真に神に気付いたものが一体何を見つめるだろう?

ちょっと得した気分で、立ち去るのか?

感動を分かち合う相手を探しに出掛けるのか?

それともただ呆然と立ちつくすのか?

果たして新興宗教の教祖が得た感動がどのレベルであるのか……

・・・・・・・

心霊思想――スピリチュアリズムであれ、スピリチズムであれ、心霊主義であれ、その他何やら怪しげな名称であれ……その動機となった感動が果たしてどれだけのものだろうか。

果たしてそれは、教師が生徒を導くが如き動機のものなのか? それとも、成績の良い同級生や親切な上級生が、後進の者の手を引く類なのか?

私は私の為していることを説明できる。……私のいう心霊主義とは、上級生・同級生との勉強会でしかない。

それ以上を求める気がないわけではない。だが、私が見回す限り、また、私が出歩いた限りにおいて、私はベストを歩んでいると信じている。……信じたいがゆえに信じるのではなく、実際に試してみたがゆえにこの道を信じている。


悪霊の手口

2006/08/22

2006年08月22日


人は自分が被害を受けるのには神経質だが、他人に禍害を与えることには比較的無神経だ

災難が続けば悪霊の祟りを恐れる人も、他人に禍害を与えることには比較的無神経である。いや、自分の災難に過敏で、他の不幸などかえりみるヒマもない人も多いのかも知れない。

だが、直接禍害を与えるような霊を指して悪霊と呼ぶのはいささか芸が無いと私は思う。この世でもそうだが、大悪党はやはりよく人の心の機微を把握しているものだ。つまり……

目をつけた相手に悪事をさせ、後悔の念で相手の行動を縛ってから、おもむろにとどめを刺すのである。ようするに袋に追い込んでからヒモを縛るわけだ。

霊媒などをやっていると、そういう手口を往々目にするわけだが、なんとまあ、多くの人は行き詰まっても、反省するより妄想して戻ってこようとしない。仮に悪霊が袋小路の出口を塞がなくても……人生が時間切れで詰らぬものになるのではないか?

除霊も大切だし、加護が厚くなるような生き方も大切だが、自分の幸運、もしくは悪運に対する免疫・耐久力を生かすのは、やはり、正しい反省の在り方だろう。


ちなみに、私は常々、「謝罪は不用」と明言している。というと、「格好をつけて……」等と批判を受けるが、何も私は誰かが批判するように、自分の寛容さを自慢したくて「謝罪は無用」というのではない。勘違いであれば、解ってくれればいい。悪意があるなら……謝罪に何の意味があろうか? まして未熟の結果であれば……謝罪しても過ちを繰り返すだろう。

謝罪は不用――出てこなければ、悪霊に口を塞がれるか、塞がれなくても時間切れになるぞ、等と思うのだ。相手には言わないが。なぜなら、未熟の結果の過ちであれば、未熟さを克服するまでに何度も過ちを繰り返すことだろう。私は頼まれもしないのに、そんな過ちに長々と付合いたくはない。自分のカルマだけで充分に重いのだから。


あの世のことはあの世に任せる

2006/08/07

2006年08月07日


友人に相談を持ちかけられて親に電話する……「○○ちゃんから相談を受けて、どう答えたらいい?」

喧嘩で負けたら親に電話して……「ママ(パパ?)、××ちゃんをやっつけて!」

会社でも一々親に電話して……「会社で□□をやれっていわれたのだけど、どうすれば出来るの?」

恋人が欲しいと親に電話して……「ママ(パパ?)、◇◇ちゃんを振り向かせて!!」

・・・・・・

マザコン、ファザコンの話題ではなく、御利益信仰・守護霊信仰を揶揄しているのである。……心霊を勉強するのは、こういう依存心の強い人間に成長(?)するためなのか? はたまた頼りがいのある霊能者を見つけるために勉強をするというのだろうか?

他人の依存心を利用して稼ぐ霊媒は多い。それが果たして悪徳と呼び得るか、どうかにまで、私は踏み込まない。資本主義の社会では価値は需要と供給の関係で決まるからだ。たとえば、正義漢に燃える誰かが、気に入らない霊能者を撲滅したとして、それで悪信仰・依存心の被害者が無くなるのか?

いや、供給が減れば価格が上がるだけだろう。つまり残った数少ない霊媒は相談単価を上げることが出来る。……損得抜きで働く人がバカバカしく思えるような現況であるから、悪徳がはびこるのである。最後まで残るのは果たして「本物」か、はたまた「商売上手」なのか、実に興味深い。

・・・・・・

一体、心霊を学ぶことの意義はどこにあるのだろう?

永遠の生へ確信や、不可視・不可触の心にも価値を見出そうとすることはなるほど大切だ。生死の区別に対する偏見を取り除くもの大切であろう。

だが……

『私たちは常に守護霊に見守られております』

……と、聞いたとき、ならば利用しなければ損と思うのか、恥ずかしくないように生きようとするのか、どちらであろう?

低級霊や悪霊の害をいう人がいても、私は守護霊に守られていますから大丈夫です。……そう胸を張れる人は素晴らしいと思う。また、外で努力して疲れ果てたとき、心静かに守護霊に意念を合わせて癒しを得ようとすることは決して恥ずかしいこととは思わない。だが、「内」を守るべき守護霊を、自分の都合の奴隷として、頻繁に表に引きずり出そうと試みては、大切な「我が家」に泥棒が入るのではないか?

あの世のことはあの世で、この世のことはこの世で、対処するのが筋である。……コミュニケーションは、曖昧な中間にラインを引くためだけでよい。

守られていることの価値をなぜもっと評価しないのだろう? 憑霊の害が及ぶことなく日々暮らせることの価値を、なぜ人々はおろそかにするのか? ……それだけで充分となぜ思えないのだろう?


霊感: 信用は責任を要求する

2006/08/05

2006年08月05日


信用は責任を要求する。

親が我が子を信じるのは当然のこととして、信じるからといって、たとえば小学生の子供に自動車を預けたり、何百万、何千万円といった大金を預けるのは良くないことだ。我が子が悪用しないとしても、我が子を悪用する者が集まってこないとも限らないのである。 ……相手を信用するというのは相手に責任を求めることでもある。我が子に負担を掛けるような信用の仕方は、思慮ある人の為すべき事ではない。

言葉を預けるのも同様である。……神託を指して「預言」というが、「預ける」と表現するのは意味深長と受取るべきだ。同じく、未来を予《あらかじ》め、知らしめるのに、「予言」ともいう。言葉を預けられるからには相応の責任が要求される。その自覚を持たねばなるまい。

猫に鰹節を預ける――原則として、口の軽い人に秘密を預ける事は出来ない。

猫に小判――理解力の足りない人に、重要なメッセージを預けても、話が変質することがある。

……話す相手によっては、知られては困る相手にまで伝わり、話したこととは別な話にされたりする。メッセージを託すなら信用できる相手に限る。適切な相手に、適切な形で伝えてくれる相手を選ぶべきなのである。

さて、メッセージを託すなら信用できる相手に限る――である。ではもし、あなたがメッセンジャーに選ばれたければ、何を心掛ければいいのだろう?

……霊感の直接的トレーニング(?)は無駄ではないが、自身の信用を増すような努力がより大切だ。私の霊能の師は、荒行を蔑視し、社会奉仕を重視していた。瀧行もしなくはないが、一種の禊であってそれで霊感が強くなるなどとは考えてもいない。


霊感の育成

2006/07/06

2006年07月06日

そもそもインスピレーションが必要なのは、判断の材料としてです。判断する気がないなら要はあっても、必《かならず》要すとはいいがたい。……大切な人が必要としているから一生懸命に送るのです。必ずしも必要がないことなら、誰があえて努力し、苦労する必要がありましょうか?

価値ある仕事の出来る人は価値ある仕事で忙しい。……閑人の能力・才能は推して知るべしです。ならば、必要でないインスピレーションを与える霊の能力・才能も推して知るべしです。

必要だから発達するのです。単に要す、というだけならガセネタでも充分に楽しめます。いや、ガセネタで振回されている方が時間を浪費するには結構ではありませんか。……かくして、役に立てぬ人の霊感は品質が下落していきます。

 

無駄に欲しがる

かつての相談者に、やたらなんでも霊査を欲しがる人がいましたが、降りてくるのは説教ばかり…… それでも飽きずに霊査を欲しがる相談者に、私が飽きてしまいました。説教ばかり……身に付かない人に説教を繰返すのは時間の無駄です。

相手が欲しがっているのが説教でないことぐらい、霊感を使わなくても判ります。一方で、何度も霊査を欲しがるのは、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」的な考えで、大吉が出るまでおみくじを引くのと同様の発想でしょう。

善因善果……原因があるから結果がある。良い結果が欲しいなら、その結果が出るような努力や工夫が必要なのです。その、必要な努力を欠いているから説教が出る。説教の原因を取除くことなく、説教が無くなるはずもない……説教が出なくなるのは、その人が変った時ではなく、説教が無駄と思われた時なのですから。

え? 説教が無駄な相手だと気が付かなかったのか、ッて?
霊査を断るにも、手順が必要なのです。

どんな人相手にも小言的な霊査が出ることはあります。むしろ、小言が出ないことの方が珍しい。……大切なのは、その小言の中に建設的な提案が含まれているか、否かです。建設的な提案が出なくなれば、それが無駄な霊査ということになります。

 

霊感が薄れる

元々霊感の強い人が、それを腐らせていくのは、才能の問題ではなく、努力の方向性の問題です。

運動すれば身体は鍛えられます。いや、身体を鍛えるなら、特定の筋肉ばかりを使う肉体労働よりも、何も生産しない体操・器械運動の方がよほど有効でしょう。

ところが霊感の場合、霊媒は座して心を静めるだけ、かけずり回り、頭を下げて情報を集めてくるのは背後の霊達なのです。悪銭身に付かず、といいますが、苦労した得た人は大切に使う一方で、少ない労で得たものは浪費しがち……すると、霊媒はインスピレーションを浪費し、背後の霊達はその浪費を面倒に感じ始めます。

どうせ努力するなら、それに見合う価値ある努力がしたい……かくして無益に霊感を用いれば、有益な霊が去っていきます。練習は決して無駄とはいえないが、何の為に霊感が必要なのか、考えねばなりません。

足元を見ず明日を聴く

2006/05/07

2006年05月07日


私も人の子、功名心が皆無というわけでもない。オフ会での霊査で、参加者の反省を促すばかりではなく、たまには先のことを暗示して驚かせてやりたいものだ、等という気持ちが心中で頭をもたげることもある。……たとえば今夕、母親の買い物に付合って退屈している時に、そんな想いがきざした。すると……

・・・・・・・

『足下の小石につまずくことさえ避けられぬ者に、明日のこと、明後日のことを教えて何になる? 明日の話などを聴いた者が、今日の足下を疎かにし、明日を失う事も良く聴くこと。つまらぬゴシップの種を蒔くのはつまらぬだろう。

『売り言葉に買い言葉で余計な苦労を背負う。言葉に思慮が足らずに恨みを買って後悔の種にする。大切な人を軽んじて別離に至り、人のものを欲しがって自分のものを失い、強がりをいって残りも失う。強情を張って身体を壊し、迷信療法で金を失いさらに身体を壊す。……穴の開いた船に乗っていて、「明日もまた浮いているか?」等と愚問を発する愚者どもめ、明日は浮いていても、明後日には沈んでいるかも知れぬのだ。今為すべきは、穴を塞ぐことである。

『他人に指図されなくても、足下がしっかりしている者なら、霊媒などの助けを借りずとも明日を知れるし、指図されても足下のだらしない者なら、霊媒が何を言おうが、明日の不幸が見て取れよう。……愚問愚問。愚問を発するのは愚者だけだ。愚者を諭すよりもやるべき事がある。

『神仏も救えぬ者に気を掛けたところで、心がすり減るだけである』

そこまでいえば読者が引くぞ。いや、……え? あれ? つまり私が今、小石につまずいていると……?

『杖を持つ愚者は容易に転ばぬな。ハハハァ……』

……やられた。他人への小言と見せかけて、しっかりと小言を聞かされてしまった。


霊感とは

2006/04/15

「私には霊感がない?」

 「私には霊感がない」と自認する人は、ほとんどの場合、人生に非常に悪い影響を及ぼす、重大な誤解を抱いていらっしゃいます。

 人間は、死んで突然、魂に変わるのではなく、肉体を持った魂なのです。生きていても魂なのですから、死なねば他の魂とコミニケーションが取れないというのはまったくナンセンスです。それとも肉体的な障害者と同様に、死者の魂にも障害があるのだろうか……実はありますが……基本的に問題は別な所にあります。

 確かに霊的なコミュニケーションの取り方には、うまい下手があります。この事を指して霊界通信などは、「肉体の牢獄の鉄格子の隙間から外を覗くだけ」等と表現しますが、これは他に手段がないという事ではありません。皆は、他に手段がないと信じきって疑問を抱いていないだけなのです。

 霊感は発想力の源なのです。ですから本当に霊感がない人……周囲から霊感がないと思われるのは、頑固で融通の聞かない人や、それこそ生きる屍となっているような人に限られます。

 そして、魂の障害とは、他の霊とのコミュニケーションの方法・手段の有無というより、他の魂を侮蔑し、認めず、大勢の中にあっても孤独となる魂のあり様のことを指します。

 会話は交わせても、心を交わせない……こういう人にとっては死後の世界の研究よりも、真の意味での心霊を学ぶ必要があるのです。

 

霊感とは?

 死後、肉体を失った後も、視覚、聴覚等の肉体的な感覚を用いたがる霊は、よほどの低級霊に過ぎません。

 肉体を捨て去り、魂の真の自由を得た魂ならば、霊視、霊聴などといった手段を非常に面倒に感じます。言葉によるコミュニケーションでは、心を十分に表現することは出来ませんし、出来ると信じているのは、傲慢というより、薄っぺらな感情しか持ち合わせていないといえるでしょう。

 この様な霊格の霊たちが用いるコミュニケーションの手段は、もっぱら、知識や経験の共有なのです。この様なコミュニケーションがなった場合……霊的交感とよぶ……話し掛けられたというより、「分かった!」という感覚に包まれます。聞くというより理解するという感覚なのです。

 たとえば、職業的な直観、洞察、芸術的な直観や発想などのインスピレーションのすべては、それが自己の魂から生み出されたものであれ、守護霊や背後霊たちの外部の魂から生み出されたものであれ、まさにインスピレーション……霊感なのです。

 多くの人が、霊感と思い込んでいるもの…… 霊視、霊聴などの感覚は、霊媒・霊能者の職業的な技能であり、これらは交霊力、または霊媒力などと呼ぶべきものです。そして、交霊能力は特殊な才能であるだけではなく、特殊な環境を要求されるものですが、霊感自体は誰でもあるのです。


2006-04-14

霊能者の憂鬱

2006/04/15

 学校生活中にクラスに一人ぐらいは、霊感が強い子がいた記憶がないでしょうか。その事から、単に霊を感じやすいといった人は、おそらく五十人に一人以上の割合でいると推測できます。

 中には自分の能力をひけらかす者もいますが、感じ取れない人にとって見れば、「君さえ騒がなければ何の問題もない」事でしかありません。普通には見えない、感じない物を感じ取っている人にとって、霊の存在は大変重要な問題かもしれませんが、それは普遍的な問題になりえないからこそ、多くの霊感保持者は歳を重ねるにつれて沈黙の道を選びます。

 一般常識的にいえば、人に見えない物が見え、感じるというのは、普通ではありませんから、周囲に警戒されるのは当然ですし、何よりも、霊能者という言葉には、超人的な者が期待されているものですから、霊感を口にする事で二重の責め苦にさらされる事になります。

力への期待と、理想と現実とのギャップです。

 実に多くの人が霊能力にあこがれます。しかし霊能力というのは目標ではなく、手段に過ぎないものなのです。霊能力を得たから何でもできるのではなく、次には霊能力を使いこなす努力が必要になるものなのです。いくら霊感を得ても使いこなせなければわが身を傷つけます。実に私に寄せられる相談には、霊感がほしいという相談よりも霊感を止めたいという相談のほうが多いのです。

 そして、欲しい、止めたいという相談の双方に対して、私の回答はただ一つしかありません。「才能は天与のものです。自分の才能を活かすことを忘れたら天罰が下ります」 霊感が欲しいというは、自分の才能を活かすことを忘れて、人の才能を欲しがるという悪行があり、霊感を止めたいという人には、天与の才能を生かすことなく無駄にするという悪行が在るのです。

 それにしても世の中には、人に言えない悩みというのが存在するものです。中でも、人に見えない物が見える、感じる事の悩みは、相談が最も難しい悩みといえましょう。

一体誰に相談すればいいのか?

 常識的にいえば、霊能者ということになるのですが、一匹狼の多い霊能者の世界は、我流や思い込みによって支配されていて、個人から指導を受けると同時に偏見を植え付けられる事も多いのです。そして、霊能力について書かれた書籍は、机上の空論か、または職業霊能者の自己PRが大部分で、霊感の持ち主には役に立たない情報が多すぎ、一方でどれが役立つ情報なのか、判然としない事があります。


2006-04-14

審神術

2006/04/14

 交霊相手の霊格を見抜くのに必要な技術。それが審神術です。机上の空論で審神術は行うのは非常に危険ですが、人間関係においても生かせる有益な技術です。しかし、 「審神者」の章でも説明したとおり、霊格を見抜く方法に、安易な手段はありません。

 また、霊格を計る基本は、相手の知性(教養……知識ではありません)すなわち、相手の反応がどのような境涯かによって測ります。

 審神術

 霊能者と言うのは結局、情報の仲介業なのですから、その情報の確度を高める為に、交霊相手の霊格を見抜く審神術を会得する事が必須となります。しかし、基本的に100パーセント確実な方法はありえないと思います。

 日常会話においては、主観的な会話の比率が高いものです。そして主観的な会話は真偽が問題になることはありません。客が「コーヒーより、お茶が好きだ」といえば、お茶を出せば済む事ですよね。

 しかし、交霊で重視される情報は、真偽が大切な事実と予測に関する事柄です。そして真偽は実際に試してみないと確認出来ないものでから、最初から拒絶するか、騙されるのを覚悟して試してみる必要があります。騙される事を覚悟で信じ、経験を蓄積して、信頼関係を確立していく事が大切なのですね。ですから付き合いの浅い相手の場合、重大な影響を及ぼしそうな事柄は信じないで、信頼出来る相手に検証してもらうこともあります。

 信頼関係の醸造も重要です。通常の人間関係でも、単なる茶飲み友達として信頼出来るというのと、自分の人生や財産を預けられるほどの信頼とは別なものなのです。相手にとっても大切な……必要な人間になるように努めなければ、自分が望むだけの加護を与えてはくれません。

 相手を過信すると、本当に必要な大事件が起こった時に「そこまで面倒見る事は出来ない」と断られる事もあります。それは相手が非常だからではなく、付き合いの深さがその程度だという事なのです。

 次に重要な要素は、個人識別です。たとえ特定の霊と信頼関係を結んでも、偽者に騙されては信頼関係が意味を成しません。そして個人識別はとても難しいものです。

 当掲示板には、突然にハンドルネームを代える人がいますね。ハンドルネームを変えてもわざとメールアドレスなどを残している事も多いのですが、投稿文を読めば、誰の投稿だか、分かる事も多いものです。ただしこの場合、投稿文が短すぎて、例えば挨拶だけであると、どんなに親しい間柄でも投稿主を判断する事は出来ないでしょう。判断材料は豊富な方が間違いが少なくなるものです。

 しかし、多くの人は、ハンドルネームで相手を区別し、どんな物の考え方をし、文章にどんな癖がある人か……といった、内容で相手を区別する事が苦手です。そして、霊媒初心者が低級霊に騙される一番の要因がここにあります。名前は容易に偽れますし、名文・美文も引用する事が出来ます。偽れないのは自在な返答だけなのです。どんなに探しても得られなかった回答を与えてくれた相手は、たぬきを名乗ろうが、狐を名乗ろうが、質問者よりも上位にある霊と判断出来るのです。

 しかし、いくら自分の知識と相手の知識を比べた所で、自分以下の知識の持ち主を見極める事が出来ても、相手がどれほど上位の霊であるかを判断する事は出来ません。まして、実地に試す機会もない、霊的知識を基準に相手を偽者と決め付ける事は、結局、自分の間違いを正すチャンスを失う事になります。

問題を整理すると、

  1. 騙される事は避けられない。 騙される事を前提に交際を広げていく。
  2. 信頼関係を大切にする。信頼関係を片務にしない。
  3. 個人識別をおろそかにしない。
  4. 自分の知識で相手を判断しない。

 となります。そう、技能系の仕事をする人は、最初から難易度の高い仕事に取り組みはしないものなのです。

 無知の智

 人間の理解力には、限界があります。自身の知性を超えたものを理解する事は出来ません。理解出来ないものの正否を断定するのは、僭越を越えて愚かと言えます。しかし理解を超えたものがあるからこそ、勉強に目標が出て励みになるのです。地上において、すべての答えが出たのなら、もう学ぶ必要など無いではありませんか。それは成長の限界に至った事を意味します。

 人は知性や霊性の向上と共に、理解力が進んでいきます。今慌てて、正否を断定しなくても、いずれ正否が自ずと分かる時が来るのです。今まで当たり前に思えてきた事が、当たり前に思えなくなる。それもまた知性の向上の結果なのです。「バラの木にバラの花が咲く」これがどうして、当たり前の事なのでしょうか。人間であるという事は、人間の肉体を持って生まれてきたから……ただそれだけの理由でしょうか。

 世の中にわからない事があるのは、決して恥ずかしい事ではありません。それはあなたの生に意味があるという事なのです。

 世の中にわからない事が無いのは、とても恥ずかしい事です。それは疑問を持てるほどには世の中を知らないという事なのですから。もしも疑問が持てないままなら、あなたの生はすでに、後退期に入った事を意味します。 このような霊性の境涯は夢幻界なのです。

 一を聞いて十を知る

 一を聞いて十を知るのは、知性のなす所です。しかし勘違いしてはいけません。世の中には、一を説明するだけで、十を証明したと言い切る人の何と多い事か。小手先の手品や、口先だけの美言で偽真理を売り込むの者を見抜く事こそ、智性を持った者に望まれる事です。まして、一を聞いて十を知ったつもりになるのは、机上の空論しか扱わない証といえます。真理は戸棚の飾り物ではなく、人生に有益な実用品なのです。そして真理を生かさずして霊性の向上はありえないのです。

 もとより高級霊界の事柄は、言葉では表現できない美しさと精妙さを持っている物なのです。それを物質的世界の言葉での表現に拘れば、地上界の智慧と差が無くなってしまうのです。まったく高級霊界の叡智をわざわざ色褪せさせてから、智慧として取り込もうというのは、なんというおろかな事でしょう。

 このような過ちをするのも、変化と向上を嫌う夢幻界の住人でしょう。

 真理は智性に宿る

 真理は智性に宿るのであって、知識に宿るのではありません。辞書や聖書に出てくる言葉は、容易に引用出来ます。霊訓からの言葉も同様でしょう。しかし、意味を理解して使っている者は希だという事を認識して下さい。

 例えば、あなたが何かの商品を買い求めたとします。その商品が偽者でないかどうかは、ラベルや容器ではなく、中身である事に留意して下さい。ラベルは付け替える事が出来ます。容器は詰め替える事が出来ます。しかし、容器やラベルが違ってもあなたが必要とするのは中身のはずです。

 霊的な叡智を確かめるのに、誰でも引用出来る言葉や、知識さえあれば智慧なくても答えられるような質問で相手を確かめるような真似をせずに、自分には気が付かないような、ハッとする気付き……「感じる」事を大切にして下さい。

 少なくとも物質的な豊かさよりも精神的な豊かさを貴ぶ者であるのなら、ラベルや容器を集めて喜ぶような真似はしないはずです。

 知識や記憶を引き出すのに必要なのは、霊性ではありません。物知りが必ずしも人徳者ではないのです。人が学ぶのは必ずしも楽しいからではなく、人を見下す事に喜びを感じている場合もあるのです。相手の霊性を測るのはあくまでも相手が、大智を備えているかによります。そして真に知識を理解しているかによるのです。

 木を判断するのに実を見る事はとても良い事です。どんなに立派な名前が付いた大樹であっても、その実が苦く、食べられない物であるのならそれはあなたが必要とする木ではありません。どんなに見てくれが悪くて名前が汚くても、あなたの喉を潤す実を付ける木ならばそれはあなたが必要とする木なのです。まして、名前など何とでも付けられます。名前や言葉や目先の知恵に騙されてはいけません。

 記憶

 人間の生前の体験は、魂に刻まれてその霊性を方向つけます。例えば苦労をした魂なら、人の苦労を見捨てられなくなるか、人の苦労であっても見るのも嫌になるか……というように魂に刻み込まれるわけです。

 同時に記憶として、脳に蓄えられるのですが、当然、死後に魂は脳を放棄せざるを得ないのです。もちろん魂は、必要に応じて記憶の大海(永遠の大道・記憶の章を参照のこと)より、記憶を引き出す事が可能ですが、それは安易な行為……少なくとも交霊中においては簡単な行為ではありません。つまり交霊中の霊にとって経験的な回答は容易でも、記憶的な回答は苦手なのが普通なのです。

 また、交霊中において、その中継の霊は、霊媒の脳にある言葉を利用して、返答を構成します。つまり脳内に収めらている、短文をつなぎ合わせて、長文を作成しているのです。これは単に効率的なだけで選択されているのではありません。霊媒の言語機能を完全にのっとる事が困難で、しかも危険であるためにとられる手段なのです。

 このことは、審神者(さにわ)を行うのに当たって、霊媒の安全確保上決して忘れてはならない事です。

 むやみに本に書かれているような調べればわかるような事を、交霊において頻繁に求めてはいけないのです。知識は霊格に比例しませんから知識を求める事は審神にとって無価値ですし、まして、知識比べなら、自分以下の知識の持ち主か、どうかの判定は出来ても、自分の知らない知識を持っている相手の、レベルを測る事など出来ない事に留意しましょう。結局、高級霊たちから見れば、このような質問は見下した態度と受け取られる事でしょう。そして、このような非建設的な交霊に応じるのは審神者(さにわ)の霊格相応の霊ですから、意地悪で知識だけある低級霊しか降りてこない事でしょう。これは、結局、霊媒に対して危険な行為を強いて、しかも、低級霊しかおろせないといった、やってはならない行為なのです。

 審神

 相手の霊格を見抜くのに重要なのは、まず欲心を捨てる事です。相手を利用しようとするから、付け込まれるのです。

 第二に重要なのは、おのれの慢心を捨て去る事……無知の智を悟る事です。人の心を見透かせる霊たち相手に既存の知識で勝負をしても意味がありません。まして本に書かれているような知識をわざわざ霊界から取り寄せる事に何の意味がありましょうか。むしろ、現在抱えている問題の解答を求めて御覧なさい。あなたに思いつかないような、そして実現性あふれる回答を得られたとしたら、少なくとも相手の霊は、あなたよりも高い知性と霊性を持っていることが伺われます。仮にあまりに高度で理解が及ばない答えが返ってくるのならそれはだまそうという意図をもつ霊と考えて差し支えありません。

 この手段でも基本的に、自分よりはるかに高い霊性の持ち主を測る事は出来ません。ただ自分より上である事を測れるだけです。そして注意すべきは、本当に高い霊性の持ち主は、その霊性をひけらす事がなく、懸る霊媒、対する審神者(さにわ)の霊格にあわせ、それよりもやや高めの回答を心がけるという点です。すなわち慈悲深く、知性あふれる霊は、相手に合わせて発言する能力の持ち主だという事なのです。

 反対にいくら立派な発言をしても無意味であったり、杓子定規であったりするのは背伸びをしている低級霊に間違いがありません。このような霊に騙される霊媒は多々いるのですが、それは分不相応な霊と一足とびに交霊をしようという意図に付け込まれるからです。結局、交霊術も、審神術も人間の他の才能と同様に分相応で、努力を要求するものなのです。


2006-04-14

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