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見えるもの、見えないもの

2007/02/15

2007年02月15日


私は普段、眼に見えぬものを扱う仕事をしている。(電気設備の設計ともいう)……そして、どうも眼に見えるものを対象とした職業の人と折り合いがわるい。仕事もかち合うが、価値観も論法もそりが合わない。

たとえば工事中、扉の開く方向を変更したとする。……多くの方々はただ、扉の使い勝手の違いしか思い描かないかも知れないが、電気のスイッチは、取手側に取り付けるのが普通だ。すると、ドアを開けたその手をちょっと動かすだけで電灯が点けられる。……自然な動作として。そして、この位置が変わると扉の蔭になってスイッチが押しにくい。

扉の方向を変更するのは、大工にとっては簡単なこと。簡単ついでに、電気工に、「スイッチを動かせ」と言うのだが……スイッチは壁の内部で電線が繋がっている。

眼に見えるものを扱う者と、眼に見えないもの、壁に隠れているものを扱う者との相互理解は、なかなか難しい。(眼に見える部分だけで事足りる人には、往々配慮が足りないと思うが、先方にも言い分はあるのだろう)

たとえば霊感の持ち主が、二人の霊を見、そう主張したとする。私は思うのだ。『影響を及ぼしているのはその二人だけか?』……手の内を簡単に表すのは素人だ。もしも私が悪霊の親玉なら、手下を交互に襲わせて、何人で祟っているか判らないようにするが……敵(祟られている者)は、見えざる相手(存在しない敵)にまで対策を立てなければならなくなるだろう。

いや、悪意が無く、ただクレームをつけているだけの霊であれば、手の内を安易に表すのは不思議でもないが……それにしてもだ。ただ不愉快だからといって化けて出ることが出来るなら、世の中、もっと心霊に対する認知が多くて良さそうに思う。

たとえば、幼い子供を残した母親、熱愛中に死別した恋人は、なぜ想い人の前に姿を見せることが出来ないのか、不思議に思ったことはないか? 恨みならば化けて出られるのに、愛する人の前に姿を見せられないとしたら、霊とは、愛とは、何と非力なものだろうと思わないか?……どんな仕組があって、生きている人の前に姿を見せる事の出来る霊と、出来ない霊とがあるのだろうか……単純に考えれば、一個人の都合では手に余るのが化けて出ることなのだろう。(実際にそういう霊界通信もある)するとだ、霊が姿を見せたとしたら、その背後にある仕組、または黒幕の意図についてまで思いを巡らせるべきではないか?

霊が見えるという人は、ちゃんとそこまで気を回しているのだろうか?……どうにも私には、霊媒の中にも、見えるものだけを対象にする気性の持ち主と、見えない部分にまで気を回す気性の人があると感じる。

私が内心で『表面的な捉え方だけで』等と思っている相手も、私のことを『何をクドクドとうるさい奴だ』などと想っているのだろうが……。

まあ、その違いは必ずしも、正否の問題とは言い切れない。見方の違いがあればこそ、多くの人が納得しやすい環境が出来るのだから。

だが、車の運転だって、見通しの悪い交差点での飛び出しを警戒しなければならないはず。多くの車は狭い路地もビンビンと走るが……やはり私は、見えないものをおろそかにする人々とは、どうも相性が悪い。


主たる業(カルマ)の在りか

2007/02/07

2007年02月07日


人の思考は合理的であろうとする。無駄なことを嫌い、最短コースで成果を得ようとする。

だが、身体は動かさないと怠くなるし、頭がヒマになればくだらぬ事を考え出す。ヒマであろうと時間が来れば腹が減る。そう、身体(脳や内臓も含めて)は、毎日、一定量の活動を必要とする。現状を維持するためだけでも……である。

人は合理的に行動しようとするが、身体は合理的理由が無くても活動を必要とする。……意志と身体との必然性/利害の違い。ここに大きな矛盾のタネがある。

理由が無ければ身体を動かしたくない。……だが、身体は活動を欲する。衝動に駆られて結局は身体を動かすわけだが、動き出すに当って、思考は身体のわがままに対して、理由をコジツケずにはいられない。

「買い忘れを思い出したからちょっと買い物に!」、「ヒマだから散歩」……という程度ならばまだ良い。ただの思いつきを天啓やお告げ、といった、不思議系 のコジツケ解釈をしたらどうなるか? 非論理的な論理に当たり前に思えるようになると、人として危うい。……変な人と思われるだけならまだ幸せだ。

活動を欲するのは身体だけではない。脳もまた活動を欲する。……妄想を妄想と思える人、「夢見て何が悪い」と開き直れる人であれば、まだ良い。

無駄な考え、非合理的な思考を嫌う人ならどうか……マイナーな思想にかぶれたり、自己中心の思想に走ったり、無闇に論争を好んだり……良識を保っていられるなら幸いだ。

内臓や生理的器官の欲求も難しい。止らぬ飲酒癖は果たして低級霊の誘惑によるものか?……果たしてそれだけなのか?

疲れる恋、不幸な恋はいかにして生まれるか?……淫欲の霊の誘惑によるのか?……果たしてそれだけなのか?

……自分を不幸にするために努力する人。その努力の在り方は決して合理的ではない。理知的でもない。ならば、その動機は一体どこから生じるのか?――悪霊・低級霊? それもあるだろうが……身体・脳・内臓や生理的器官の退屈は侮りがたい。

いや、単なる身体的欲求だけならば害の生じるはずもない。ただ、本来ならば単純極まる身体的欲求に、合理的に解釈しようとして陥る、論理的矛盾こそが重大な問題を引き起こす。

ただの身体的欲求、運動などの発散で解消される類の物……を、大袈裟な話にして、引っ込みがつかなくなっている人の何と多いことか。

本当は単純な問題なのに、引っ込みがつかなくなって大騒ぎにしてしまう……わざわざ自分を不幸にする人々。自分で自分を振り回していては、なるほど難か ら逃れにくい。それを、業が深い、カルマだ、といわれて納得してしまえば……いや、納得してしまうのは、そもそもコジツケ論に弱い人だからだろう。

コジツケ論に弱いだけならばまだ幸せかも知れない。真実よりも迷信の方が人受けする……迷信の方が信じられるという人は決して少なくないのだから。

人間の動機というのは案外にくだらない。……人の動機のくだらなさを知って、幻滅するのは哀れである。身体というのはしょせん、一つの動物。社会性は備えていても獣なのである。それを飼い慣らし、誘導し、有益に働かせるのが人の心、ひいては霊性ではないか!

恥じるべきはくだらぬ動機を持つことではなく、くだらぬ動機に支配されることだ。頑張るためには、自分自身のくだらぬ動機を利用しても良いのである。たとえば努力した後に美味しい物を食べるとか……


補足: 霊障が酷い

2007/01/18

2007年01月18日


題には「補足」と入れたが、最近の投稿に対する補足ではなく、常日頃私が周囲に漏らしている言葉への補足である。有り体に言えば、霊障の問題に対して充分な取り組みを避けただけである。


長期間霊障に悩んできた、という人に感じる共通性は、悩める霊に対する同情心である。

……相手のきっと悩み苦しんでいるのだから、無碍に扱うわけにはいかない。取り除くのではなく浄化・説得しなくては。

一見正しい。しかし、大きな勘違いがある。私たちは何をしに地上にいるのか。そして死者はなにゆえに死者なのか?……それが判れば答は明白だが、判らなくても答に容易にたどり着く。

死者が生に拘るのはなにゆえか?……理由も分らずに拘るとは何事か? そしてあなたは理由を明らかに出来るか!?

あなたがその理由を明らかにし、相手を説得できるのであれば問題は解決するだろう。それが出来なければ、つまり、あなたには手に余る問題だということだ。その手に余るの意味をあなたは本当に理解しているだろうか?

あなたには、悩める霊に同情する力はないということだ。……力もないのに同情し、決着をつけなければ、お互いに時間を無駄にすることになる。いや、いくら時間が掛ろうとも解決するならばまだ良い。解決しなければ希望が裏切られるのだ。……時とすれば、拒絶されるよりも、希望が裏切られることのほうが辛いものだ。

あなたは果たして、相手のために同情するのか、相手を苦しめるために同情するのか、一体どちらだろうか?

あなたに解決力があるなら良い。解決力がなければ任せるべきなのだ。……誰にか? そう誰に任せるべきかそれが大切である。

あなたがこの世に生まれ出た理由は何か? ……たとえそれが分らなくても、偶然に生まれたのではないと、あなたは信じているはずだ。理由があるならそれをおろそかにすべきではない。つまりあなたは生きることに専念すべきである。……そしてあなたが生きることに専念すべきであれば……死者は死に専念すべきなのである。

この世のことはこの世で、あの世のことはあの世で解決すべきなのだ。

死者に同情して、生きることの大切さをおろそかにしていないか?

生をおろそかにする、その事情が複雑であることを私は知ってはいる。だが、それはそれだ。あの世のことはあの世で解決すべきである。

死者を導くべき、産土の神々。その産土神に背いているのが迷える霊なのだ。……地上ではなく霊界で救いを求めよ、と答えるべきなのである。


知らずに手先

2007/01/17

2007年01月17日


穏やかならぬ話題である。

「未熟な霊媒は悪霊・低級霊の手先に成りやすい」といわれる。この話を聞くと、霊視、霊聴が出来る人は一笑に付すし、霊視、霊聴の出来ない人はいたずらに霊媒を蔑視する。……どちらも誤解である。

未熟な霊媒が、悪霊・低級霊に操られ、支配されて、その手先になる……と解釈してはいないか? それでは霊感の持ち主にしてみれば、己が状態を把握して一笑に付すし、霊感の鈍い者は、見えざる悪霊の働きを信じて余計な妄想を逞しくする。……何となれば、未熟な霊媒の霊感と、霊感の鈍い者の妄想と、一体どちらが有害であろうか? 影響力はともかく、絶対数では圧倒的に妄想が多いだろう。

霊媒が注意すべき状態である「悪霊・低級霊の手先」とは、もっともっと単純・安直な行為を指す。

本来霊媒とは、霊と人との媒介者、仲介者であらねばならない。ところが、霊感の強い者は、どうも人よりも霊に対して共感し、霊の代弁者、死者の代弁者としてだけ振る舞う。

つまり、媒介・仲介ではなく、一方的に霊の意志だけを人に押しつけてしまうわけだ。これでは正に、霊の手先……霊媒に自覚が無くても、相談者から見ればとても心細い状態である。

さらにいえば、人は今、地上に生きていることを念頭に置くべきである。……当たり前と思うかも知れない。が、こう表現を変えたらどうか?

風呂に入っているときに一々電話で呼び出すな!

面食らっただろうか? 人はいずれ死ぬ、霊魂の永続性と比べたら人の命の何と短いことだろう。ならば、あの世の都合は、その人が死ぬまで待てぬ物であろうか?……待てぬとしたら、何とせっかちなことか。

あの世のことはあの世で、この世のことはこの世で、が、大原則なのだ。

地上への未練を理由に挙げる場合も多いが、たとえば我が身に当て嵌めて考えてみればよい。酒やたばこ、その他の悪習慣、悪癖を改めることが何と難しいことか。にも関わらず、死者が一度や二度の供養(?)で、未練を断ち切れる物であろうか? いや、極端な話だが、これで終わりにするからもういっぺん泥棒させてくれ、とか、麻薬をくれ、等といわれて、はい、そうですか、と認められるだろうか?

まして、あの世にはあの世の楽しみがあるだろうに、それに触れられぬ霊達がである。……人情的には、霊の要求がエスカレートしていくことを恐れるべきだろう。

「いや、除霊に成功したこともあるよ」……という話もあるだろうが、見落としてはいまいか? 人に善人と悪人がいるのと同様、死者にだって善悪二種類いるのである。つまり、秩序を守るために働いている霊がいるのだ。霊媒の努力だけで、人々が悪霊・低級霊から守られているわけではない。むしろ、霊媒が足手まといになっていないか、常日頃から我が身を省みる必要がある。つまり、目立つことをすれば、悪霊等も捕まる……霊媒等が被害者に供養等を要求するのは、時として目立つことをしているだけかも知れないのだから。


私は、霊媒として、霊媒に向けて助言した。

あなたが親切で人に対して行うことで、非難されないように注意すべきだ、と。

……だが、霊を見えざる人々が、いかなる非難を行うのかを考えてみると良い。より良い結果に向けて人々が力を合わせるための、仲介の労を執るのではなく、ただ、人の足らざるところをほじくり出して言葉で攻撃する。

まるで、「あなたが中絶した水子の霊が、供養を求めています」というのと、人格・霊格の水準的に、つまりレベルが……どう違うのか。同じレベルであれば、長く苦しい闘争が続くであろう。それはつまり、あなたが人間として、より社会の調和のために働くようになるまで、心身を削る修行を強いられるということなのだ。 ……無駄ではなくてもつまらぬ修行である。ケンカは無用、大切・必要なのはは人々のために働くことなのだから。


一過性の関係

2007/01/11

2007年01月11日


霊達が霊媒を通じて、「心霊思想が重要である」と説いているにも拘らず、大正から昭和初期にかけての心霊ブームがなぜ廃れたのだろう。――そして現代の心霊ブーム。

もとより、心霊思想の信奉者が必ずしも精神的に優れているわけではない。だが、ブームの便乗者はマナーが悪いのは免れない。……明日は棄てているかも知れないシロモノを大切にするはずもないからだ。

長い付合いになると思えばこそ大切にする。どうせ一過性と思えば大切にしない。……意識には登らなくても人は自然にその選別をしている。

だがそれは必ずしも人間サイドだけの問題ではない。ブームの便乗者に冷淡な霊達の意志もある。が、それは善悪、良否、巧拙、高低の問題とは違う。むしろ摂理と呼ぶべきものだ。

もとより、良縁は切れやすく、悪縁は断ちがたい。依存心の強い者になまじ親切にするとしつこく頼られるし、自立心が強い者に干渉しすぎるのは良くない。

つまるところ、関わるべきでない相手には冷淡に扱い、関わるべき相手にはその自我を尊重する。……上善水如……人の親切は、真夏に飲むジュースのようなもので、疲れている時の糖分はありがたくても、さらなる喉の渇きの元となる。……まあ、そういうことだろう。

初めての人からの質問に回答を送る。……別に私は相手の感謝を求めているわけではないが、ほとんどの場合、礼もいってこない。

私もどうせ、「長く付合う相手ではない」と思っているから、必要以上に深入りもしない。別な表現をすれば回答をする以上の親切をしない。霊媒の私も、だ。

だが、霊媒とは、霊と人との仲介者である。

質問者・相談者の守護霊や祖霊等はどういう気持で、私に回答の中継ぎを依頼しているのだろうか。

愛情が無くはあるまい。だが今すぐに何かが変ることを期待してはいないのだろう。だからこそ私も、淡々と礼もいわぬ質問者と接することが出来る。


真剣に想えばこそ、小さな事も見過せなくないものだが……だからといって、すれ違う人々の霊障・因縁を気にかけ始めたら切りがない。


瑞兆

2007/01/07

2007年01月07日


瑞兆……良いことが起る前触れ。

私は人相見の勉強をしたわけではない。ただ、我が師と、霊聴からいくつか教えられていて、要所要所でヒント、というか、チェックポイントとして使うことがある。

つまり、面接時の霊査で良いことがあると聞けば、瑞兆を確かめる。悪いことがあると聞けば、凶相のあることを確かめる。まあ、これが百発百中であるなら詳細に解説もするのだが、事情はいささか複雑である。

たとえばある人に瑞兆を見出したときのことである。霊聴で、

『この者は不平不満ばかりで努力が無い。義務を果たすだけで努力しているつもりになっている。幸せになるための何の努力もないから、せっかくのチャンスが生かせぬが、あと一歩の努力で大きな幸せを掴むであろう。面倒を見てはくれぬか?』

私は努力したのだが……相手の不平不満は増すばかり。そうこうしているうちに瑞兆が消えてしまった。

チャンスは誰にでもあるが、誰もがチャンスを生かせるわけではない。……その事を思い知らされた事件であった。

以後、なんどか、『努力すれば何となかる』という霊査を得たが、皆何ともしない。……霊界がいう努力とは、おそらく現代人が思う努力のレベルではないのだろう。そもそも人は皆、幸せになろうと努力している。ライバルがいればなおのこと努力するだろう。……相手に打ち勝つための努力でなければ、何ともならぬのだ。

いや、私の後押しが無駄というわけではない。その典型的な実例が毎年、一月三日に訪ねる家のお嬢さんだ。

まあ、それはそれ。……瑞兆が消えた者は一体どうなったのか。当らなかった霊査の価値を冷静に判断するのは難しい。だが、なるべく平等な点に注目していうなら……彼・彼女が望むよりも大きな幸運は逃してしまった。いや、望むだけの幸運も逃してしまっただろう。少なくとも彼・彼女は以後の運命に満足していないようだ。

そして再び瑞兆が現われる可能性はあるだろうか?……いくら瑞兆が現われてもそれを活かすだけの真剣さがあるかどうかが本当の問題ではないか?

つま先立ってもダメであれば、以後は分相応を心掛け、大きな獲物を掴むよりも、今の幸せを失わぬ努力が大切だろうに、大抵の人は、一度得掛けた幸運を、つまりは逃したチャンスを、時機を外れてもなお追い掛けて不幸をさらに増大させているかのようだ。

ガンバレといわれて頑張れなかったのであれば、謙虚に生きることが大切なのに。

瑞兆を失うとは、当たり前の幸せさえも得られなくなるということかもしれない。天の与えたチャンスを疎かにする者は天罰が当るというわけだ。……その推論の反例を見たことがない。


霊格

2006/12/26

2006年12月26日


発作的な霊感は誰でも受け止め得る。ただ、霊感を自覚し、また信じるべきものを信じ、拒絶するべきものを拒絶するかどうかが問題だ。

ある者は霊感を「動機」と受け止め、またある者は、誘惑を霊感と受け止める。……善悪の見境なしに。

私は人としての欲望を否定しない。ただ、「弁《わきま》えるべきだ」と主張する。他人を傷つけることはいずれ我が身に返ってくる。人を喜ばすことも、いずれは我が歓びとなって返ってくる。……皆が幸せになるように努力することが結局は自分の幸せなのだ、と。

だからこそ、人は善悪を見極めるべきだ。または、可・不可の区別をするべきだ。または、良い結果を求めて不幸になるような愚行を慎むべきだ。

弁えてこそ、良い霊感を受け止められる。問題は能力ではなく、どこに視点を向けるか……精神性の問題なのである。


興味本位の話題だけで、真の友情が育つだろうか?……利害が合わなければ「さようなら」 逆にいえば、そこに利が有れば、「相手の迷惑顧みず」……それもまた精神性の問題だ。

この二つの精神性の問題は、つまりレベルの問題なのだ。もしくは霊格。


声(霊?)が聞こえて辛い

2006/12/12

声が聞こえて辛い (1)

2006年12月12日

「(霊から?)声が聞こえてつらい」という悩みは、心霊に関心のある人の良く聞く悩みである。今まで、この件に関して、私は深く掘り下げることを敢えてしてこなかった。敢えてこの話題を避けた理由も含めて、そろそろ解説することにしたい。

矛盾

いの一番に指摘したいことは、私は、多方面からこの問題について解説してきたことである。だから、多くの人が得心がいかずに突っ込んだ質問をしたくてうずうずしていた(はずである)。それどころか、『どうせ判ってくれないのだから!』と、立ち去った人も多い。

第一の問題点がそこにある。……なぜ、ちゃんと質問できないのか? はっきり言われたくないが、でもしっかりと聞きたい話、そういう矛盾をはらんでいるからこそ、私ははっきりと書くことをしなかったのだ。

羞恥心

次の問題点は、私は解決策を提示しているが、実行する人があまりいないという点だ。……道路や公園などの掃除、つまりは社会奉仕だが、一方では、人目に触れやすく、慣れぬ人だと羞恥心からなかなか実行できないことだ。

矛盾羞恥心、と、整理されてピンと来た人は幸せである。

さらに気が利く人であれば、これがどれほど危険な話題かも予測が可能だろう。……秘密を守るために人は何をするだろうか?’


声が聞こえて辛い(2)

2006年12月13日

声の源

いわゆる霊感・霊信として感じられる声は、三大別して考えるべきである。

  1. あなたを必須の相手とする通信。
  2. 聞いてくれるなら誰でも良い通信。
  3. 聞こえた気がするもの。

1項が、本当の意味での霊界通信であるが、これは心霊相談として持ち込まれることは滅多にない。互いに充分に理解し合えるため、誰かの助けを必要とする程、拗れないからである。従ってここでは論じない。

3項となると、通信ではなくただの勘違いであるが、そもそも、勘違いであろうともそれを自身の霊感と信じられるなら、それなりに経験があり、つまりは感覚が発達している人であろう。……だが、霊感があろうと無かろうと、人に誤解や勘違いはつきものであるし、なによりも問題なのは、なぜ勘違いで苦しまねばならぬのか、という点だ。

2項の問題点とは、たとえるなら、「他人の愚痴」と似ている。相手が真剣で「聞いてくれ」というので耳を貸してみれば、話の内容がまるで要領を得ない。『一体、私に何をさせたいのか?』……長時間、話を聞かされた挙げ句にようやく気がつく。用事があるのではなく愚痴を言いたいのだ。……そして、愚痴は聞き苦しいものと相場が決まっている。

愚痴の判別法

具体的なアクションはむしろ邪魔、ただ「あなたが悪いんじゃないよ、」といって欲しいのだ。それが非現実的であったとしても。いや、言っている者が、愚痴を愚痴として自覚していることは稀である。むしろ、当然の意見、正規な意見と信じているだろう。……では、それが愚痴であるのか、そうでないのか。

その判別は、案外簡単だ。……正しき結果に至るのは正しい過程だけなのである。たとえ間違って選んでも、その結果が正しければ、選んだ過程は正しいということだ。

正しい意見・正しい考えの持ち主であれば、努力の果てが良い結果に結びつくであろう。だが、巧く行かぬから他者に意見を求めるのではないのか?……これが「自覚無き愚痴」である。

自覚ある愚痴、というのもある。たとえ正しい見識を持っていても、時期や状況が忍耐を強いることもあるのだ。すると、時機(チャンス)を得るまでは、耐えなければ仕方がない。が、耐えることに辛いときに誰かの共感に触れたいと思うこともあるだろう。そういう時の愚痴には薬効がある。……用法・用量さえ間違えなければ。

少なくとも、愚痴を、愚痴と指摘されて、ハッと反省できるならば、まだ大丈夫だ。だが、愚痴を愚痴と認められないと、あとは話にならない。

羞恥心が邪魔する愚痴

「声が聞こえてつらい」という問題の、解決を邪魔している最大要素は、羞恥心、もしくは自負心の強さである。そして、羞恥心・自負心が強い人は愚痴をこぼすことを潔く思わない。愚痴をいったという事実さえも、認めることに苦痛を感じるものだ。

ここにもう一つの障害が存在する。愚痴を愚痴として認めないから、どんどん嘘、言い訳が厚くなってしまう。


声が聞こえて辛い(3)

2006年12月15日

狂気に見える

「声が聞こえてつらい」のであれば、声を無視するように努めればよい。……実際、そう指導する霊媒もいる。だが、それが出来ずに苦しむ多くの人がいる。……まずそこからしておかしい。

さすがの霊媒も思う。たとえば私だって第一印象は……ゆとりがなければ……相手を信じようとする気持ちがなければ……適切な、合理的な思考が出来なければ、それは狂気と呼ぶしかないのではないか?

嫌ならばなぜ、その声を無視することが出来ぬのか? 私はそこに、別な問題を感じ取る。相談者は自覚しつつ、または、無自覚で、真の問題を隠す。自覚があるならまだ上手に隠す。だが、無自覚に隠すと、どうもボロが出る。それも不自然に。

たとえば会話に置換えてみると、隠すから話がよく見えず、時々現われる秘密は突拍子もない。脈絡もなく、馬鹿にした印象すら受ける。

それらを一言で表わすと……狂気だ。

当人は、精一杯に、誠実に対応しようとしているのだろう。だが、当人にはどうしようもない理由から、言動に矛盾が生じ、それが周囲に狂気を感じさせる。そして周囲から狂気を疑われて……孤立していく。だが、脳、もしくは身体の故障から来る狂気ならば、医者で治るかも知れない。しかしもしも、何かを隠そうとして無意識に振る舞っているなら?

真の狂気は治るかも知れない。だが無意識の演技を誰が直せるのか? 当人以外に。

刺さると抜けない

解決の難しさばかり列挙されると、解決に焦る人々は、逃げ口上を並べているように思うかも知れない。だが、この問題は、釣り針などのように、刺さり易く、抜きにくい返しが附いているのだ。

そう、私が列記する「解決の障害」は、何一つ、治療者を苦しめない。苦しみの対象はあくまでも当事者なのである……つまり……つまり……つまり。

刺さるよりも抜く方が痛い……であれば、矢を抜く患者がいるだろうか?

刺さったままでは痛いが、抜くのはなお、痛い。

抜くのが痛い、それゆえに、当事者にしてみれば、治療者が下手だからと結論をしやすい。だが、痛みもなく解決するという人を信じて歓び、そしていずれ気がつくのであろう……治っていないことに。

私の相談者の中には、治すよりも恋人をつくって慰めて貰う方が楽だと気がついた者がいる。だが、慰められるのは楽しくても、慰め続けるのは楽しいのだろうか? その通りに、何度も破綻したようだが、痛みを嫌うだけで、治す気の不足する人では、この問題を解決できるはずがない。

もっともこれは、痛みの強さと、恋人の忍耐力や人柄、さらには当事者の魅力も絡んでいるから、必ずしもこの選択が破綻するとは限らないが……世の中の公平さとは、チャンスの公平さであって、結果の公平さではない。


声が聞こえて辛い (4)

2006年12月16日

なぜ拒まぬのか?

「(霊)声が聞こえてつらい」という問題は、インターネットの利用者にとって、「BBS(電子掲示板)の荒し問題」に例えると、冷静に考えやすいかも知れない。

「相手にしないのが一番だ」……声の源を三大別(実は五大別)した理由がここにある。

1項、あなたと話をする必然を持っている霊であれば、あなたがどんなに無視を決め込んでも、何とか話に持っていこうとする。……友好的に。あなたと会話する必然があるのに、敵対的ということは考えられない。真に敵対的ならば恐喝するより、油断させて攻撃する方が利口だからだ。

2項、誰でも良い霊であれば、一時的にはあなたの態度に腹を立て、仕返しを続けたとしても、いずれは興味深い相手を見つければそちらに移っていくだろう。……従って相手をしないことは有益な対策である。

だが、そもそも、会話とは一方の気持ちだけで成立するわけではない。少なくとも最初の一言に、あなたが答えてしまったからこそ、相手も話しかけてくる。そう考えるなら……後述する。(#1)

3項、その声があなたの錯覚であれば、無視を決め込むその態度が、結局、あなたを冷静に戻し、錯覚を消し去るだろう。

だが、なぜあなたは声が聞こえると思うのだろう。そして、その声はなぜあなたをいらだたせるのであろう?……後述する(#1)

(#1)

真の問題は、聞こえる声ではなく、何かを聞き出そうする、あなたの潜在的な欲求にあるのだ。しかもそれは、単に答を聞きたいのではない。状況変化への予言である。……本当に欲しいのは状況の好転であって、単なるお追従やおべっかではない。開運を待ち続けている者にしてみれば、単なる知らせですらありがたく感じる。だが、お知らせが実現しなければ、なまじ喜んでいただけ現実の冷酷さがなおさら辛く感じられる。

これは、霊感の使い方としては最悪である。……有る物を分けて貰うこと(融通)は出来る。だが無い物をねだって何になろうか?……しつこくねだれば高級霊は嫌がり、低級霊は隙を嗅ぎつける。いや端的な表現がある。波動の低い者に低級霊は群がるのだ。

かくして事態は拗れに拗れる。

本来であれば、努力で乗り切るべき事を、霊の力をあてにして援助が得られず、援助の代りに亡者を呼び寄せて健康を害し、集中力を失い、精力も奪われて根気もなく、努力で出来ることも、努力が出来ずに諦めねばならなくなる。……解決策のつもりが全てを失いかねない大失策なのだ。

……いや、念のために明言する。「声が聞こえてつらい」……というのは、心得違いの結果であると思うのではない。多くの場合には、無理からぬ必然がある。強いていうなら、楽そうな道を選んで破滅するのではなく、一番安全そうな道を選んで破滅しかけているのである。

……努力を嫌うのではなく、安全を求めているだけ。だが、往々、安全を求める心は依存心と相性がよい。しかも、失敗が続けば自信を失い、自信を失えばなお依存心が強まる。

もう一つの問題がそこにある。……痛みと共に育ってしまった依存心が問題解決の障害になるのだ。

くどいようだが、整理する。「声が聞こえてつらい」という問題の、苦痛要素はただ一つであっても、問題そのものは悪意有る誰かを原因とする単純な結果ではなく、多くの条件が重なった結果、いや、過程である。それらの諸条件の全部、少なくとも充分を取り除かなければ快方には向かわない。

あなたが一人で解決できないのは、弱いからではなく、問題が複雑だからなのである。


声が聞こえて辛い (5)

2006年12月21日

雨漏り

雨が漏るのは雨が悪いのか、屋根が悪いのか?

声が聞こえて辛いと考える人は、どうも雨(霊)が悪いと考えているようだ。だが、環境は誰もが同じである。

……因縁に差があるにしても……屋根を治さずに天気を呪っても、あまりスマートな態度には見えない。いや、そういう態度が事態を拗らせている。

傾向と対策

欠点の無い者はいないだろうが、他者の言葉になぜ振り回されるのであろう? たとえば失敗した、失恋した、等といった触れられたくない話題が有るからこそ、声に対して神経質になる。触れられたくない話題に触れられるから無視するよりも復讐に走るのではないか?

これには二つの対処法がある。……ただし、魔法ではない。

1,『それが何だ?』という態度を貫き通す。……あなたは秘密を守れるつもりでいるかも知れないが、どうせあの世では皆、明らかになるのである。霊媒が気がつかぬとしても、それであの世を騙し通せるわけではない。なんとなれば、知れば責任が生じるから、見て見ぬフリをしていることも多いのだから。まして、他人に意地悪をしているようなヒマな輩なら、きっともっと酷い失敗をたくさん抱えているに違いないのだ。だからこそ成仏せずにいるのだから。

2,『笑い飛ばすことだ』……秘密を探るにの「カマを掛ける」わけだが、人間よりも霊の方がよほど探りを入れるのが巧い。隠そうというのはナンセンスである。ならば、隠すよりもバレることを前提に生きる方がよい。

私の感想

私が取り扱った事例では、当人は一様に認めていないものの、誰かに何かを言いたくて言えない、何かを持っている様に感じられた。他者に言えないことが心の弱みとして存在するようだ。

たとえば両親の生き方に意見がある。具体的にいえば侮蔑しているわけだが、両親の方が自分よりも社会的地位や経済的な優位に立っている。……正しいと思うが現実に合わないことと、間違っていると思うが現実に合っていること……そのギャップに沈黙を守っている人も多い。

第三者的意見をいえば、論理に問題があるのではなく、行動力に差があるのだ。

ここにも解決策の一端が見える。……思考に行動がついていかない人が妄想に走る。いや、見えざる者の声に悩むのだ。

いや、こうもいえる。

他者から秘密を守ることは可能かも知れない。だが、自分の内面にも秘密を守ることが可能であろうか? ……葛藤、または、自己嫌悪。屋根に穴が開いていれば雨漏りは直らない。

低級霊に悩まされるとする。……一体なぜ、あなたの守護霊や祖先の霊は、低級霊何ぞに手を焼くのか? あなたを守る者はいないのか? 低級霊の害よりも、あなたが霊的な保護を失っていることのほうが問題ではないか?

何となれば、あなたは死後にどのような境遇に行くのか、考えてみると良い。 低級霊になぶり者にされて、しかも助けのない境遇。声に悩む以前に、地獄に堕ちることを恐れるべきではないか?


声が聞こえて辛い (6)

2006年12月22日

大多数にとっては無駄な助言

この話題に関しては、書き出しを除いて筆が重かった。また、私の覚悟に反して纏りも悪い。……背後の霊達が無駄と判断したのであろう。インスピレーションは天(霊界)の支持が合ってこそ豊富に得ることが出来る。

何が問題なのだろう?

姿無き声を問題にするのは、声が聞こえることではなく、霊を利用できないことではないか? 例えるなら、ドブに落ちても良い匂いをさせて上がってくるとか、転んだら宝石や大金を拾って起きあがるとか……そういうことを目論んでいる。

よほど福徳があるならそういう局面もあり得るが、もしもあなたがドブに落ち、または、転んでも、損ばかりで得ることがないと悩んでいるなら、利益を忘れてまずは復することを心掛けるべきだ。損を最小に押さえることが回復の第一歩なのだから。

自分の強欲さに押しつぶされてはいないか? または、両親や自尊心の強欲さに?

体質・気質

この問題に悩むのは、いわゆる、石橋を叩いても渡らない、慎重なタイプの人だ。たとえば、考えるよりも先に行動する人であれば、いかなる声が聞こえようともそれが問題になることはない。……つまり、声が行動を左右することもない。すると、行動よりも考えることを重視する人ほど、この問題で悩むのだ。

私も、考えることを重視する人間であるが、同時に奇をてらうところがある。考えても答が出なければたちどころに行動に移すし、考え方を改めもする。その変化に富んだ気質が、自分を救ったのだろうと振り返れば思う。

体質・気質、もしくは体癖によって、この問題の影響力が違う……であるから、こう考えることも出来る。

もしもあなたが行動を尊べる人であれば、利を得ることを諦めて、損を減らすように直ちに行動すべきだ。それは単にあなたを救うどころか、最後にあなたに利……勝利をもたらす。

もしもあなたが、充分に考えることを欲するなら、根本に帰って考えるべきだ。少なくともマンガ・アニメを参考に心霊問題を考えるべきではない。何となれば、大衆娯楽はしょせん、大衆に理解しやすく問題を簡素化しているのだから。

もしもあなたが、利を最優先にするなら、私などをあてにすべきではない。一得一失、無料相談の与える物などあなたに満足できるはずもないのだから。むろん、どこにあなたの納得する物が有るのかは私は知らない。だからこそ、私は無料で相談に乗ってくれる師を持ち、そして私も無料で相談に乗っていたのだから。


声が聞こえて辛い(7)

2007年02月05日

霊聴がうるさくて、というかつての相談者がどうしているのか気になって、精神統一を試みた。すると、私の心に飛込んできたものは、霊達からの激しい非難であった。

『間違った方向に心を向けて、それでうるさいだの、しつこいだのとイライラしている。本当ならば投出したいが、世の中、悪霊ばかりだと思われるのもしゃくに障る。でも本当の問題は、その人の心が悪霊と同調しているのだからどうにもならない』

社会に不満を持つ……チャンスさえ与えられれば、決して愚かではないのだからそれなりに成果を出せるとしても……そのチャンスも又、代償無くして得られぬものであると知っているだろうか?

それでなくても社会は、利己心で廻っている。他者の才能を活用しようなどという御仁(ひと)は、なかなかお目にかかれない。大方の雇用主・使用者は、いわ れ たことを充分にこなせばそれで善しとし、それ以上も、それ以下の働きも嫌うのが普通である。……機構的にそれで巧く廻っていくはずもないのだが。

世に不満を持つ者等の主張に、間違いがないとしても……大抵は大きな欠落をもって居る。……努力不足、経験不足、認識不足に、人脈なくて、人徳・人望もな い。――だれもが『こいつに大事な仕事を任せて大丈夫か?』と不信を抱かれているのに、望みの大きさと実際の能力とのギャップが、更に周囲の不信を助長し ている。

正しいことを主張するばかりで労せずばうだつが上がらなくてむしろ当然。いや、たいていの場合、出る杭は打て、とばかりに阻害されるのが落ちではないか?……役立たずの小うるさい小僧という世間のイメージを壊すことが出来るだろうか?

いや、そんなことは当人も充分に理解しているのだろう。だが目を背けたい。なんとなれば、依るべきものがすでに正義しかないから。だから、他者の間違い ばかりに目がいって、他者の善い部分が目にとまらない。……たとえ多くの欠点があるにせよ、長所もあるから仕事をこなしている。(いや、中には仕事を混乱 させているだけの人もいるだろうが、長所もあるからクビに成らない)、それを、自らの長所を伸すことを忘れて、ただ、相手の欠点と自分の誇りとを比較して 他者を見下すのは、なんのことはない。自信を失っているからだ。

自分より優れているものを認めたくない気持が、世の中を暗く悪いものにイ メージさせる。暗いものしか見たくない気持が、悪霊・低級霊と感応する……本来 なら目を背けるべきもの(悪)に目を向け、本来目を向けるべきもの(善)から目を背けている。……高級心霊に眼を向けようとしても、気持が利に囚われて、 お守りとかおみくじとかばかりが気になる。"印刷された紙様"を見るばかりで、人のイメージを超越する"神様"を信じられない。

巧く行かぬなら、巧く行くように方向を定めるべきなのに、巧く行かないままに悪循環にはまり込む……この様子では日陰から、まだまだ出てきそうにない。


うるさくて仕方がない!

2008年02月05日

このページは騒音問題や耳鳴り治療の解決法ではありません。――当サイトは心霊サイトです。

目的は霊障問題、とくに霊感が制御されない場合の対策を暗示(解決ではなく)するものですが、霊感なくして人は死後、他とコミュニケーションが成立しないことにご留意下さい。……

以下は、霊感発現以前に、精神統一の実習をしたことのある人ならば判りやすい。または、瞑想や座禅のたしなみのある人なら、ば、である。

ひっきりなしに霊の言葉が聞こえて、うるさくて仕方がない、という人がいる。ハッキリ霊の声とはいわず、または自覚せずに、物音や耳鳴りや、動物の鳴き声に平常心を揺らがされている場合もあるが、上述のようにこのページで扱うのは騒音問題ではない。

その音が他者の耳には聞こえず、また、健康上の問題もなく、さらにはお札やお守りが効果なく、お祓いもまた効果なく、霊能者に相談しても効果なく(この場合、事情を知って相手にしないのかも知れない)……

このような問題は、精神統一の実習や座禅の指導を受けた経験(自己流は勘定に入れない)があれば、本質的な取り組み方が間違っていることを理解しやすい。

無念無想を心かければ雑念が沸いてくる。

雑念を懸想とすればするほど雑念が強くなる。

……湧き上がる雑念は、心では抑えきれない。例えるなら、網戸で風が防ぐようなものだ。 つまり、本質的に手段と目的が適合していないのである。

さて、霊感というのはつまり感応であり、共感であり……話題が合わなければコミュニケーションが成立しないのと同様……合い応ずるところがなければ本来成立しないわけだが、自分ではコントロールできない雑念に感応している場合は、どうなるだろう? ――そう、止めたくても止められなくなるのだ。

……では、「どうすれば解決するか?」という、問いが寄せられそうなものだが、それに答えるのは難しい、比喩は必ずしも答にならないが、「戸締まりもせずに泥棒に入られない方法はないか」と問われるようなものだからだ。そんな都合の良い方法を私は知らない。


おめでた(妊娠について)

2006/09/28

2006年09月28日


友人から、「おめでた」のメールが入った。出産予定は五月とのこと。五月に結婚する人有り、出産する人有り。私の周囲に慶事の気配はさらに続く。……返事をしたためるに当って、妊娠について、得たインスピレーションをいくつか気がついたことをまとめる。


つわり

以下はむろん体質の差もあるだろうし、病的原因もあるだろう。参考にしていただければ私としても嬉しいが、くれぐれも依存なさらぬようにお願いしたい。

そもそもケガや病気の痛みというのは、身体が発する警告信号であり、つまり危険の存在を自己主張している。自己主張というのはつまり意識に無視をさせないような形で働くということだ。

(簡単に無視できるようであれば警告の意味をなさないし、危険を無視するようでは子孫を残せないであろう……合理的な仕組なのである)

つわりも同様。女性の身体が、妊娠という特殊な状態に移行しているのである。気持ちもそれに合わせる必要があるだろう。その為の警告信号であるのだから、気持ちを紛らわせようとするのは摂理に反している。

むしろ、つわりがあれば、子供を抱くイメージトレーニングをするなどして、母親になる幸福感を育てる方が良い。

ところで、母親になる幸福感と一括りにするが、最低、二大別すべきと感じる。母となることに歓びを感じている女性は比較的お産が楽で、子供を持つことに歓びを感じている女性はお産で苦労しているみたいである。私が感じ取っている差は、おそらく心身の準備の差なのだろう。表裏の調和がとれた歓びと、表面意識的な歓びの、いわば深・浅に差があるだろうと感じる。

これは霊性云々の問題というより、状況・境遇の影響も大きいだろうし、体質的な問題も大きい。……論理や納得では克服しがたい問題である。

命名について

ハンドルネームや会社の名前についての相談は、採用率が非常に高いが、子供の名前に関しては採用率がゼロである。……相談を持ちかけておいて、と思えなくもないが、当たり前でもある。

ハンドルネームは個人の持ち物である。だが、子供の名前というのは親と子供の共有財産なのだ。いずれは独り立ちし、一個人の物になるとしても、幼少期においては特に、名前への好感が親子の間の好感にも影響するだろう。

親が我が子に責任を持つという意味においても、やはり、名前は親が付けるべきだと思う。……仮に天の政庁においてすでに名前が決まっているとせよ、安易に霊媒にそれを聞き出させるのではなく、夫婦でしっかりと話合って決めるべきだ。その過程で思い描く我が子の未来が、同時に両親からの祝福(霊的・精神的な)でもある。我が子の命名は、人生最初の霊的、精神的な贈り物なのである。つまり、我が子の未来はなるべく多く思い描くべきだろうと思う。その空想を恥じるべきではない。それがわが子を思う気持ちを強く育てるのだから。

が、翻って考えれば、世間では霊性のかけらも感じられない、安易で浅薄な命名が多くはないだろうか。我が子を天からの贈り物と思って、親の好みで名を付ける……それはそれで我が子への好意を育てはするだろうが、名は我が子への贈り物であるという意識がないと、結局、親が煩がられないか? まあ、余計なお節介であろう。何となれば相性などというのは、互いの霊性なりであって、論理では割り切れぬ物だ。命名にいくら気を配ったところで、親子の相性は、成るようにしかならない。


生まれてくる子供の性別

2006年09月29日

生まれてくる子供の性別は霊査してはいけないと昔からいわれている。だが、医学の進歩により、生まれてくる子供の性別はかなり早い時点で判明する。従って、この問題の倫理的責任について、随分と軽減したと思う。

ところで、妊娠中の友人に関して、生まれてくる子供の性別について霊査を取ろうとしたところ……ああ、実をいえば霊媒は皆、霊査はするのである。ただ結果を口にしないだけで……

「男の子!!」 という大声が聞こえた。……どうも夫の母親の意志らしい。

これは生まれてくる子供の性別を表わしているのではなく、期待している性別を表わしているのだ。……ああ、こうも周囲の雑音が多ければ、霊感が適切に働くとも思えない。

いずれ臨月が近づけば、周囲の者達も、「無事に生まれてくれば男の子でも女の子でも構わない」という気になるだろうが、妊娠したとなれば、夫婦の両親、特に気遣って子供の話題を避けてきた祖父母等は勝手なことを口にする。その物言いを聞けば腹も立つだろうし、下手に口を開けば角も立つ。ならばこの話題は笑って誤魔化すが最善であろう。

誰よりも一歩早く、どちらでも良いから無事に生まれてきて……そう思うことが大切だろう。

誕生は争いの種ではなく、祝福の対象なのだから。


つわりの話題 2

2006年09月30日

(水子供養)

妊娠報告のメールでは、まず、最初につわりの話題があった。その後、メールを読み進むと、どうも文体が普段と違うし、なにより語尾の結び方が男言葉、いや報告書風であることが目についた。

……だ。……である。……思う。

どう返事を書くかを思い描きながらメールを読み進むと、どうも男の顔が浮かんでくる。で、ハタ、と気付いた。……つわりで苦しんでいる女性に、女性の霊は懸りにくいのではないか、守護霊などもその被護者に感化しにくいのではないか、ということである。一緒につわりの悪感覚を共有してしまえば、守護霊の仕事が勤まらぬのではないか。

……少なくとも当事者が懸命に冷静さ、平常心を保とうとしているのが感じ取れた。メールではしきりに、きつい表現であることを詫びていたが、きつく感じられたのは、内容ではなく表現であった。

・・・・・・・

「いや、女性にとって妊娠というのは大変なことだな。」

変な感心の仕方かも知れないが、わざわざ守護霊の代行役までが付くのである。それほどの大事なのか、と感心してしまった。いや、詳細を訊ねてみると、単につわりだから守護霊の代役がつくのではなく、情をなだめるよりも、情に流されそうになる時に、感化力に劣る補助霊がつくのだという。

まあ、それはさておき、妊娠は大変なことだ、と思ったとき、ふっと、見覚えのある女性の霊を感じた。

・・・・・・・

『家族・周囲の人々は、赤子が生まれて、初めて実感が湧きます。でも、妊婦(母)にとっては出産前から我が子が現実なのです。一度も抱かなくても我が子が現実。ですから、生まれてくる前に我が子が死んだら、その現実、その変化を受け止めるのがとても難しいのです。

『早世した子供達に、特別な宗教儀式は不用である、というの確かに一つの心霊事実です。でも、残された者、肉体的な束縛のある者が、(内在的?)事実をしっかりと認めるためには、何らかの儀式が有益なのです。ですから、水子供養は、むしろ母親、特に真剣な母親にこそ必要なことなのです。』

むろん、友人の子が早世するという話ではなく、つわり対策の心構えと繋がっている。……生まれる前から我が子として扱え、という。だが、生まれてくる前に早世したらどうなるのか。実体ある物の損失は認めざるを得ないが、感覚的な損失は認めがたい。なんとなれば、信じることに肉体は反応しやすいからだ。

女性が霊的な物を感じやすいというのは、おそらく潜入観念ではないか、と私は考えている。人間の才能に男女差が在るとは思いがたい。だが、才能の有無に関わらず、女性は、見えざる者を見、聞こえぬ声を聞く才能を必須としているのかも知れない。

まず第一は妊娠という形で。育児だってそうであろう、物言えぬ赤子の必要とするところを察して世話をしなければいけないのだから。

・・・・・・・

そうしてみると、幼児の虐待死などは、単に人々の心の荒廃等ではなく、見えざる心、聞こえざる意志を感じる力……本来人間が持ちながら、ただ、数値化が難しいが故にあまり議論されてこない感覚・能力が、退化しつつあることを示しているのかも知れない。

反対に、最近の心霊ブームも、自ら感じ取ることを諦めた人々が増えている証なのかも。


霊障も必然の結果

2006/09/22

2006年09月22日


同僚が盛んに具合が悪いとこぼしている。医者に診せてもたいしたことがないといわれるのにちっとも治らないのだそうだ。……それはさておき、今日も、私が事務所の観葉植物の世話をしていると、その脇をすーっと通り過ぎる。彼は手伝ったことがない。

自分が困るときは大騒ぎするが、周囲のために積極的に働くことをしない……観ていて、なるほどなぁー、と思う。廻りに何人かの霊が佇んでいる。思わずそれらの霊に目配せしてしまった。

『自分の事しか考えない奴じゃ、助けられないよねぇ。でも、それ、迷惑だから野放ししないでね。』

・・・・・・・

若かりし頃、霊的因縁は、見える者が黙って解決してやるべきでは……と、覚悟を決めていた事もあった。だが、年齢を重ねて気が付くこともある。

水は高きから、低きに流れるのが自然なのだ。それを堰き止めたらどうなるか。……永遠に支え続けられるはずもない。いずれは放水せざるを得ないのである。霊障も同様、霊的因縁もまた同様である。

必然があるから事が生じる。心がけや日常の態度に絡むものがあって、周囲に淀みが生じる。……不平不満を心にためて笑顔の裏で世を恨むから、同様の低級霊が集ってくる……いや、霊視的には集ってくるように見えてるが、実態は、湿地に穴を掘れば水が湧出すようなものではないか?

それぞれが解決し、乗越えるべき問題、それぞれの責任において克服すべき問題を棚上げし……死後の世界は想念の世界である。もしも自分の想念を、清く保つ事が出来ぬなら、その人は死後にどの様な場所/境涯で暮すことになるのだろう?

すこやかで、さわやかな死後の生活を欲するなら、心をすこやかに、さわやかに保つ必要がある。それは、一個の魂として必須の技術である。少なくとも他の世話を掛けずにいるためには。

穴を掘って水が出るなら、排水が必要なのである。心に不満を抱くだけで低級霊が集ってくるなら、心中の掃除が必要なのである。……低級霊を取除いても、霊媒の自己満足でしかない。その人の霊的境涯が上がらぬからだ。

自宅に大量のハエやゴキブリが出たら……必要なのは殺虫剤よりもむしろ、片付け忘れたゴミの処分なのである。だが、虫さえいなくなれば、後は殺虫剤漬のゴミを抱えていても、さわやかに暮せるというのだろうか?

ああなるほど……除霊の後は神仏や守護霊を信仰する……ゴミの放つ悪臭を、抹香・芳香剤で誤魔化すという手もあるか。忙しい家庭では当り前に見られる風景ではあるが、いつまでそのような不健全な生活を続けるのだろう?

殺虫剤と芳香剤……除霊と御利益信仰……どちらも生活に必要であるが、必要になるのは不健全な暮しの結果だ。つまり、日常的に頼るのは不自然である。


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