‘異界の窓’ カテゴリーのアーカイブ

最初の一歩

2018/04/28

神(仏その他)の愛を信じられる人であれば、答えは自分の手の届くところにあると理解するはず。

その事に気付かぬことは罪ではないが、正しい答えを知らなければ、正しいことを行えるはずも無い。

手の届かぬものを追いかけて、周囲を疎かにするのは、魂の生まれ変わりの代々続けてきた過ち。

それは容易には直らない。過ちを重ねた数だけ意固地になって直せない。

 

手に入るものだけで我慢できれば良いものを、あなたは手が届かなからといって、つま先立ち、さらに手を伸ばして転ぶ。

差し出された手をはね除けるのは、転ばぬことより、得ることを尊ぶ愚かさ。

転ばぬようにと差し出された手なのに。

 

助けようとする手があると信じられないなら、一体何を信じるのか?

あなたの信じるものは、あなたの何を助けているのだろう?

霊媒が、知ろうとしてはいけないもの。

2016/10/10

禁忌といえば大げさだけど、霊能者・霊媒、おそらくは占い師らも、関わってはいけない問題というのが多々ある。

生まれてくる子供の性別であるとか、老人の死の時期とか・・・

ダメというのは、それなりの理由があるもので、関わりたければ関わってみると良い。もしかしたらたまたま事情があって答えられるかも知れない。・・・べつにふて腐っているのでは無く、私自身、自らの失敗から学んだ事が多い。

生まれてくる子供の性別というのは、本当にばからしい。真実を見抜くより、目の前の相談者、子供の性別を聞いてくる親の「好み」を読み取り、惑わされるのがオチである。

まして「死の時期」を見るなんて、悪行に荷担するのも同じ、余計な事に首は突っ込むまい。

例えば、「将来、自分と結婚するのは、どんな相手であろうか?」・・・というのも、実に危険だ。時至れば、「この相手こそ好ましい」と思うかもしれぬものを、あまり早く知りすぎると、「そんなのは嫌だ!」と変更を試みるかも知れない。好みの相手と、必要な相手は違うのである。相手の好みに反した答えは、得てして変更の圧力を受ける。だが、必要な相手をどうして変更できようか?

人は己の定めを知りたがるが、知る事への責任を担えるものは少ない。善悪は時代と共に変るし、好き嫌いも時代と共に変る。社会の基準が変るだけで無く、己の好みも時と共に変る。・・・丁度その時に知れば良い方向に向かうものを、知るべきで無い事を知ったが為に必要なものを捨て去るとしたら、それはとても大きな損害だ。人は無知なのである。特に、未来に対して無知であり、無知ゆえに恐れる。信じる。主には信仰というカタチで、自分の未来を信じる事も大切だ。

好まぬ未来を提示されても、「それこそが自分にとって一番良い道なのだ」と、信じられるなら、そういう人であれば、天機は全て明かされるであろうに、季節外れを好むものは無駄な出費に後に苦しむ羽目になる。・・・わかる。私だって、待たされ、焦り、手を出そうとして苦しみ、未だに手に入らぬ事でまた苦しんできた。

遅れるには訳があり、訳というのは大抵、聞けば聞くほど不幸になるものだから、黙って待つのが一番良い。・・・のである。

男女が結ばれ・・・いや、表向きとは異なる事情もあるが、つまりは、男女が結婚すれば、次は子供を求めるのは、自然な形だ。求める事に関しては。・・・得られるかどうかは別な話。「子供を作る」は、言葉の綾である。本当に作るというなら、時期も選べよ、性別や容姿、性格も選べよ・・・この夫婦からなら絶対に美男美女、とか、スポーツ万能間違いなし、などと、遺伝的な視点から意見をいうものも多いが、その仕組みは解き明かされたとは言いがたい。例えば、いわゆるハイリスク、ハイリターンな組み合わせも多い。そう、紙一重、と表現される様な人は生み出しがたい。

子供は、得さえすれば良いのか? それだけで無いなら、あまり自分で作るとか、作らぬとか言わず、神仏に任せるが吉。

 

そして、何事にせよ、上記のような疑問(愚問)を思うのは、つまり、心を空っぽにする努力をしていないからだ。自分の希望への回答を受信できずにいる。そういうのも大きな目で見ると、自業自得の範疇だけど。

どんな子供を作ろう、等と不遜な事を考え出す前に、天に預けるべきは、天に預けよう。

霊界通信再開しなくては…

2016/09/21

最近、ページの更新といえば霊査事例ばかりなのは、霊能力が失せた、とかいう話ではなく、まあ大きい理由は、心霊相談を打ち切ったので、霊界側が通信の必要性をあまり感じていないというのが多い。

もう一つは、個人的な理由で、私自身を取り巻く環境が、とても生臭くなっている事にある。仕事が変り忙しくなって事もあるし、老親の生活が成り立つように、努力と工夫、そして大きな犠牲が必要となったことも大きい。これが自分の老後の話であれば、「ああ、カスミ喰っていますからお構いなく。」ともいえる/いってみたい? 事も出来るだろうが、年金だけで生活費がまかなえない親に向かって、「カスミ喰っていれば、金いらんよね?」というわけにもいかない。

別に背後の霊たちに後ろめたいことをしているわけでは無いが、いかんせん・・・これが自分の事であれば、不満をどうするかについて、とことん背後と話しあう必要があるが・・・親の不足・不満と折り合いを付けている最中に、超然的な意思なんて、老人イジメ以外になりようが無い。痴呆って病気(身体の異常)なのに、真剣に悩んで論理的な返答を組み立てたって意味が無い。見守り、先回りし、危険を取り除くのがせいぜい、しかも、一人で出来ずに、人の助けを借りなければならないからこそ、私は、超然とした部分を進んで捨て、人で有らねばならない。この状態で霊界通信なんてもらったって、うっとうしいだけ。ほぼ、そういう理由で、あまり心霊にリソースを回せない状態が続いている。まだ当分先まで続くだろう。

仕方がない。人間としての義務なんだから。これに王道は無い。・・・別に誰かの同情を求めているわけでは無く、淡々と、ケアマネージャーの助けを借りて、この件は進めている。

まあ、時期…であるから、ジタバタしても仕方がない。以上、この件の話は終わり。

 

私も、一社会人なので、色々付き合いもあり、それなりにSNS等も使っている。で、ある時、というか、この投稿のそう遠くない時間帯に見かけたキーワード・・・あー、心霊家がよく使う言葉だけど、まあ、別なページで論じる、かも。・・・を見た時、ふと生理的な不愉快を感じた。

べつに、上司の命令というわけで無く、私が被告の裁判で裁判長が下した判決というわけで無く・・・SNSで、だれが、何を言おうと、それが私にとってなんであるというのか? 個人的な誹謗中傷だって、真っ向から関わって良いことなど無いはず。どうでも良い話に、自分の心が揺らぐのは、何か別な問題があるだろう。

つまり、自分自身が、今の状況を詰まらなく思っているのだ。生きるために生きている今の状況を。明日への投資が出来ていない状況に。

うわぁ。自分の背後達と、ゆっくり話したいなぁ。生活費とか、生活消費センターへの相談なんて、今は考えずに、ひたすら自分の修行について助言を受けてみたいな・・・と思う。・・・または、SNSにある、つまらぬ記事、下らぬ記事なんて見たくない。(嫌なら見なきゃいいんだが)・・・どうせ時間を割くなら、それなりに価値のあるものと触れ合っていたい。

心霊家だって、悩むよ? でも、今考えても仕方のないことなら、気を揉む代わりにインスピレーションを待つ。すぐに答えは出なくても、一人で延々と考えるより、インスピレーションを待つ。言い訳じゃ無くて・・・つまり、見栄えの良い言葉を待つのでは無く、よりよい結果が期待できる、具体的な行動プランが沸き上がるのを待つ。

心霊て、善く死ぬための思想では無く、善く生きるための思想なんです。終わり(死)を意識することで、死までの過程を、大切に、そして活用しきるための思想なんです。今を思い切り生きるから、いずれ力尽き、眠るように死んでいけるのです。一見、無駄に見えても、遠回りに思えても、仕方がないのです。一人の人生では無いから、どうしても各々との時間調整が発する、ただその待ち時間を大切に使うことが、よりよい明日を求めることに繋がります。

私の背後がざわめいているけれど、それはそれ、これはこれ。今はただ、「時には良いものに触れよう」・・・その時間を作りたいと思っていることを、結びとしたい。

職業に貴賎なし。

2014/10/13

私のことを思いやっての事と思うが、「霊能者は堕落しやすいもの、気をつけてください」と、注意してくださった方がいる。

そういう言い伝えがあることを私も知っているし、いささか、自慢の嫌いもあるが、私が未だ二十代前半の頃には、『虎は死して皮を残すというが、私は弟子を残したい。今の弟子たちは皆金に汚くて・・・』と、暗に弟子入りを求められたことがある。

今から思えば、人情的には・・・すでに師事をしていたし・・・どうかと思うが・・・可能ならば弟子入りして、他派の知識を得ることも・・・いや、それは人としてはどうかと思うし・・・いや、やれば良かったかな・・・なんて、思ったりして・・・

話を元に戻す。私自身は『霊能者は堕落しやすい』という言葉を不審に思っている。もちろん、自分だけは堕落しないと思うわけでは内。

堕落するのは、貴賤・職業・性別・年齢に捕らわれる話ではあるまい。裁判所の職員や銀行員が痴漢で捕まったりするご時世である。なぜ、わざわざ霊能者だけの堕落をいうのか?

例えば、自分の弟子をいさめる言葉だとする。でも私なら別な表現をするだろう。「人は堕落するものだ。だまされるな。だますな。」 ・・・のように。そもそも、物事は一得一失。作用には反作用。物事の一面だけを言い表して、いったいいかなる真理を説くというのか?

ゲスな憶測をあえてするなら、『霊能者は堕落しやすい」とは、「自分以外の霊能者を信じるな」といっているようにも思えてしまう。それは論理的帰結というより、論理が破綻しているが故に感じる侮蔑の言葉である。

「おまえは堕落するな!」であれば、私は常に心がけている。正直、高尚な思想の元にそうであるより、目先の利益より、長い目で見た安定を重視するだけかもしれない。・・・だからといって自分を卑下することをしない。何となれば、世の中には結果として自分に返ってくるような悪口をとくとくと語るものが多いことに気づいているからだ、

私も、私なりに、私の論理で、日々、自分を律する努力をしている。

職業、性別、年齢に貴賤なし、ただ、その人の生き方にのみ貴賤がある、と。

 

 

蛇足かもしれないが。

どうも、宗教や心霊を学んでいる人には、基本的な人権を軽視する人が多い気がする。いささか下品な表現をするなら、「あんたはどれほど偉いのか?」などと思うこともある。・・・いえ、関わらない方が利口ですよね。

私に触るな!

2012/04/05

注: この原稿は、数日に分けて編集されます。編集終了後に、この注意書きは削除します。


  問題としては具体的だが、説明が抽象的になるので、言葉で説明するのが難しく思えて、放置してきた問題を取り上げる。まあ、相談されたも事もないし・・・とはいえ、悩みとしては案外多いと思われる事例である。

多分、霊障(ここでは「霊的な障害」を指す。「心霊的な障害」と表現すると心理的な問題まで含まれてしまうので下記とはそぐわない。また、霊的=病気の場合を例外とする。)というと

1, 思考を読まれる、または、干渉される。

2, 行動を抑制される、または、強いられる。

3, 災難 (偶然かも?)

4, 何らかの事象を体験する (気のせいかも?)

等がある。本来なら、行動を強いられることが事故の原因にもなって大問題のはずだが、自身の思考に影響がない限り、当人としては「戦える」と判断できるらしく、一番嫌われるのは、思考に対する干渉のようである。

とはいえ、人間は希望があると無駄にあがき、苦しみを長引かせることがある。病気でもケガでも、自分ではどうにもならない、と思えばこそ、急いで医者・専門家に相談するものを、「寝ていれば治る」等と軽視することで、往々、手遅れになったりする。

つまり、手口の悪辣さからいうと、自力で何とかできそうな問題のほうが、巧妙で逃げ出しにくかったりする。

また、これまた悪辣な話だが、たとえささやかな嫌がらせでも、どうしても抜け出せなければ、やはり自力での解決を諦めてしまうだろう。

例えば、寝ようとすると話しかける。これは迷惑だ。会議中やテスト中に話しかけられるのも気が散る。無意識に返事をしようものなら、立場が危うくなるだろう。

また、入浴中やトイレなど、他の視線が不快なときに声、とくに異性の声が聞こえたら落ち着かないどころではすまない。

または、手で触れられる感触がある、首や脇、さらには陰部に感触があるのは、人間の尊厳に触れる冒涜である。

・・・こういう嫌がらせが続くのは、やはり大問題ではあるが、その嫌がらせが、たとえば、念を送ったり、手で振り払うことで退けることが出来るとしよう。すると、やられたらやり返す、やられたらやり返す、という繰り返しに陥りかねない。

反撃しているつもりでいると、往々、自分の苦しみが紛れてしまって気付き難いが、一方的にやられている時よりも気が散っているし、意識せずに異様な行動を撮り始めたと、周囲に疑われかねない。

しかも、振り払うどころか、真剣に反撃している時ほど、相手の抵抗が強かったりすると・・・要するに反撃可能というのは、いいように遊ばれていることがある。

 

獅子身中の虫

・・・いいように遊ばれる? では、敵はどこに潜むか?

もしもあなたが、いたずらを仕掛けるなら、その結果をどこで見たいか?

または、身を隠し、身を守る上で一番都合のよいのはどこだろう?

相手の後ろ?

相手の上? ・・・または???

隠れるなら、また、仕掛けるのに一番便利なのは、敵の中であろう?

そして、偽の情報を与え、混乱させ、あわよくば、同士討ちをさせる。

さらには・・・延々と争い続けさせ、相手の心が荒むように仕向ける。

 

人を呪わば?

敵と戦う。・・・もしかしたら、いや、多分、それは正義の戦いかもしれない。だが、戦い続けるあなたは、正義を忘れずにいるだろうか?

「とにかく敵を倒す!」・・・手段と目的の混同。それがないといえるか?

ましてや・・・相手の手口も気づかずに、相手に弄ばれていたとしたら、あなたに正義はあるのか?

暴力の言い訳に「正義」という言葉を用いていないか?

多くの、多くの霊能者が「除霊」が必要という。・・・暴力で解決するのか?

多くの、多くの霊能者が「浄霊」が必要という。・・・洗脳が正義か?

戦い続ける「修羅」を生むのが正義なのか?・・・そんな選択は、きっと誰かが悲しむだろう。

あなたは戦い続けて、いつか勝つかもしれない。だが、それは神の勝利となるだろうか?

あなたが勝って(自称)、神が負けたなら、この世は滅びに向かうだろう。

あなたは、この世の滅びに手を貸していないか

 

基本に帰る。

では、どう解決するか、するべきか?

 

まずは、正論が、往々、不快であることに注意すべきだ。

正しいと分かっていても、不快で選びがたい。・・・つまりは、そこに自身の修行の余地があるということだ。

正しい行い、他者のための行いなのに、それを行う自分自身が不快という壁に阻まれる。まして、その苦痛の先にある結果は、相手が向上した果てに与えられるとしたら・・・葛藤。

だが、葛藤が生じるのは、道に迷うがゆえ。・・・ヒヨコのオスメス選別のようなものだ。分かる人には解り、分らぬ人には解らないのである。

だから私は、二者択一の正解は三番目、三者択一の正解は四番目という。

今の答えより明日の正解。今日のベストより明日のベスト(それは往々今日のベター、比較的良い答え)という意味でもある。いや、そうあるべきだ。

 

繰り返すが、為すべき解決法は不愉快なものである。

なぜなら、人間は、その時々で終わらせたいものだからだ。創作者にとって「・・・続く」という結末は、次回への布石、露骨にいえば利益への誘導である。だが、読者にとってはストレスでしかない。

続くの次は続く。そして最後は、「なんちゃって?」・・・誰もがそれを恐れている。・・・人生の多くはそのように振舞うがゆえに。

・・・でも、あえて言う。私が思うに、あの世のことはあの世に任せるべきだ。つまり、不快であるなら尚の事、自ら速やかに追い払おうと思うより、霊たちに解決を任せて自身は我慢すべきだ。

勝つか負けるかではなく、自ら、「戦わぬ」「争わぬ」ということが大切と悟るべきである。

これは例えば、「世界平和に反する奴はとんでもない!!!」と怒るような、戦闘的平和主義者(世の中には案外多い)を見たなら、我が身を振り返って、為すべきを為すべきだ。

勝てるかどうかではなく、不戦こそが、神の道であろう。

 

 

 

・・・続く

座を開けて待つ。

2011/12/31

人として、ひとつの信念を持つことは大切だろうと思う。・・・周囲に振り回されていては、人生を棒に振る。

とはいえ、その信念が頑なであれば、他者の拒絶となり、他者の拒絶は同時に、周囲からの拒絶に繋がる。

そして、

心霊を学ぶ者に、気をつけるべきことがある。

「頭」は、信念のみの容器ではないし、単なる思考器官でもない。

創造性や、直感、いわば霊感(インスピレーション)を受け止める受信機でもあるのだ。

 

自分を、または、家族をも・・・無防備にさらしてまで、答えを出したり、迷いと格闘せねばならぬか、どうか?

または、答えが出ずに迷っているのか? 自身の心と頭の使い方に迷っているのか?

霊感は、座を開けて待つ必要がある。心にゆとりを。

あなたの至った真実は本物か?

2010/11/09

「霊感かと思っていたが、違ったようだ。」と、古い友人からメールがきた。

・・・・・・・

 人生は概ね、儘《まま》ならないものだ。霊感があろうとなかろうと、その点に大きな差異はない。

 例えば飲食店が百軒並んでいたとして、霊感があれば、その中の美味しい店を見いだせるかもしれない。もしくは、まずくない店を避けられるかもしれない。

 だが、どんなに優れた霊感を持っていようと、無い袖は振れない。店が一軒もない場所で、飲食店を見つけられるはずもない・・・。

モノには限界があるし、無理を強いればどこかで破綻する。

 あなたは、無理を強いて、我が身を害していないか? ・・・これは例えば、神仏に祈ることも含まれる。・・・天に唾する・・・無理な祈りを重ねて、神仏を従わせようとしてもうまく行かない、というより、それで精神を病んだ人を何人か知っている。

 (ほら、あなたと一緒に一泊オフ会に参加した人も、その一人ですよ。)

 そもそも、祈って『応《おう》!』という返事がなければ、それはつまり「その祈りが正解」ではない、べつな答を探せ、という無言の返答と思うなら大過は無かったはずだ。

 ねだって上手くいけばめっけ物・・・いや、相手が許す以上を求めるなら、それは盗もうとするに均しい。しつこいのは罪と知るべきだ。それに気づかないから、我が身を害しても許されない。

・・・・・・・

 霊感といえば、超常現象などに例えられるが、単にそのルールが知られていないだけであって、常識をすべて超越しているわけではない。
 その証拠に・・・。  (は、最後の方に)

・・・・・・・

 統計を取っているわけでもないので、つまりは経験的に思うのだが、霊感は伝染する。といっても、細菌やらウイルスやらが霊感の原因だというのではない。

 おそらく、己の直感を口にする・・・他者にいうことに抵抗が無くなって行くのだろう。

 だが、抵抗を減らす、または、ブレーキを外す・・・今まで動かなかったものが急に動き出せば、そこに衝突の機会も生じることになる。

 動くものを制御できなければ危険が生じる。それゆえ、制御できないものを動かすのは無責任である。

 それゆえ、霊感を得た者が、まず真っ先に行うべきなのは制御、端的にいえば、「いかにそれを止めるか」ということになるのだが、人が動かしているのを見てきた人は、動かすことの危険を思うより、動かすことの便利さを思う。事故を起こすまで、なかなか危険性が腑に落ちないようだ。・・・抵抗がない事には同時に長短がある。

 むろん、霊感の発現、すなわち動き出すのは、当事者の意思とは無関係で、予想外のことであろうから、当面の危機管理も容易ではない。概ね、失敗を繰り返して学ぶしかあるまい。

 だからこそ、 「失敗したのは霊感が悪い」と思うのは、それこそ、己を使いこなすことの出来ない者の考え方だ。失敗は辛いが、それを財産とせずにはいられまい。・・・なにしろ、人は死を免れることが出来ないのだから。なんとなれば、死後に霊感を使わずにいられようか? 引きこもって誰とも合わずに過ごすのか? または、断ってもつきまとい続ける霊たちにしがみつかれて過ごすのか?

 他の成功ばかりを真似するから、他の失敗の跡を追うことになる。成功を学ぶには、同時に、相手の失敗からも学ばなくてはなるまい。

・・・・・・・

 さらに悲劇的なのは、失敗して始めて「霊感を自覚した」という場合で、逃げ出す前より事態が悪くなり、逃げ切れなくなってとうとう、「その霊感が(思うものと)違うものだ」と気づく場合だ。

 その霊感(・・・なるもの)は一種の現実逃避であり、現実逃避は、本能的な選択であって、そこに理性を期待するのは間違っている。それゆえ、いくら尊敬する相手から「その霊感を信じてはいけない。その内容は絶対に変だ。」と注意されても信じようとしない。説得するのもまず無理であろうし、そもそも、その話題を口にするだけで相手に苦痛を与えることだろう。・・・真実はなによりひどく人を傷つけるのである。

 事故を起こしたがゆえに、動かすことを恐れてしまうのは仕方のない。だが、動かすことにはかけがえの無い利便性もあるし、そもそも人が霊としての一面(死後の個性存続)があるとするなら、霊感を使うことには必然性もある。

・・・交通事故の多くは、運転する人の側にあるのと同様だ。まあ、多少は車の機械的な原因もあり得るが・・・それを人間に喩えるなら、霊感と思っていたが実は精神病であった、という場合もあろう。

 果たしてそれは霊感か、それとも精神病の結果か。・・・それはどちらに主体があるかを思えば、悩む話でもない。

 ヒラメキがあるから問題が打開できる。自分で考える上での手段としてヒラメキを使うなら、それは必ず人生の力になる。 だが、ヒラメキに流されていては落ち着きがあるまい。・・・または・・・霊感を超常現象と信じる人は、大切なことを見落としているかもしれない。

 そもそも、事態を解決するのは行動である。行動なく解決すると信じるのは妄想であろう。・・・手を出さずに口だけを出すようになったら、それは無駄に加齢したか、きっと気付かぬうちに身体を病んでいるのだろう。

 あなたは、あなたが迷惑と嫌っていたあの人に、近づいているのである。

 問題は霊感にあるのではなく、霊感の使い方にある。別な言い方をするなら、知識の不足が不幸の原因である。ならば、知らずにはさらに苦しむ。・・・心の眼を塞いではさらに苦しむ。

 眼を開ければこそ、汚いものも見えるのだけれど、汚いものを見ればこそ、それを避けることも出来る。

 あの時、霊感と信じていたものが、果たして真に霊感であったか、それとも、ただの妄想、または病的な妄想であるか。・・・それが果たして問題であろうか?

 その能力が正しくても、つながった相手が嘘付きならば、騙されずにはいられないのだから。

 さらにいえば、言葉の真偽を思わずに騙された、としたなら、あなたを騙した本当の相手はだれか?

・・・・・・・

 確かに、騙されたなら、嘘をついた者が悪い。・・・だが、嘘付きがなくならない世の中で、嘘を避けて生きることが出来るだろうか? 

「◯◯の霊」と名乗る相手や、神や仏を名乗る霊を尊ぶのは、果たしていかなる心の現れか。 たとえば、子供の戯言や、酔っぱらいの世迷言にも時には真実は潜んでいるだろうし、学識者や宗教家のいうことにだって、時には嘘や間違いがあるかもしれない。・・・肩書きを信じて、その内容を検証しないのは誰の非で、誰の損か?

・・・・・・・

 そもそも、人が死んで皆・正直になると思う人はいなかろうが、死んでこの世に未練を残すのはどういう人か、想像してもらいたい。 ・・・遣り残す事のある人。であろう。ではその、遣り残しとはなにか? 事件・事故の結果という強烈なものもあるだろうが、霊感の強い人が振り回されるのは概ね、考えるばかりで行動しない人、生前は(肉体的)行動力を持たずに、ただ精神的な行動ばかりを行った人と思うと、霊感の自覚のある人の、腑に落ちるはずだ。

 または、頼まれもしない人宛にいろいろメッセージを送ってくるのは、概ね、こういう霊である。大げさな話なので、見分けるのは比較的簡単だ。

 グズグズいわずに行動しろよ! という、生活態度の人なら、端から相手にしない筈である。(・・・とはいえ、誰もが、最初から安全対策に詳しいわけではないし、ベテランだって初めて知る話題もあるだろうから、知っていて当たり前というのではない。)

「ではどういう霊を信じろというのか?」と、問う人もいるだろうが、◯◯なら信じて良い、という単純な判別法があると信じるのは、 肩書きを信じるのと変わりない。ただ、いわゆる霊感初心者と話をしていて違和感を感じる点が、ヒントになるかもしれない。

 姿を見せたり、声で聞こえたり・・・というのを霊感の標準と考えてはいないか? それは本来姑息な表現と割り切るべきだ。

 本来、匂いもあれば、手触りを感じもする。または、なにやらうそ臭いとか、余裕がなさそう、といった雰囲気も伴うし、行動力の伝染・・・ヤル気が乗り移ったりもする。

 とくに、言葉ばかりが伝わってくるなら、「口先だけの相手」と思うのが無難で間違い無い。たとえば、職業霊能者のリップサービスをみて、こういうモノだと思うべきではない。

 それはともかく、石橋を叩いても渡らないタイプ、考えるだけで行動を惜しむタイプの人で、霊感が強かったとしたら、その体質を変えない限り、霊感は騙されるためにあるといってよさそうだ。もっとも、霊障(この場合はつきまとう霊が多い)を持つと、行動力が失われがちで・・・悪循環だ。

・・・・・・・

 そういえば、私がメールで心霊相談を始めたことを知った、私の霊能の師(私は「霊感」と「霊能」という言葉を使い分けています。) から、

「メール一本で、足も使わずに相談したって、解決なんてするはずない!」と、いわれたことが有った。実際のところ、メール相談といっても、切っ掛け・手段の一つであって、無駄ではなかったと思うが、さすがに、無料相談に甘えて、明日の天気まで訊いてくる人がいることを思うと、私は師から大切なことを確認された、と痛感する。なにしろ私の師は、結構な年齢なのに行動力があって、私は未だに煽られぱなしであるから・・・

 

(さらに…)

霊感が強ければ、憑霊は避けられない。

2010/08/11

 霊感の強い友人たちによく言うのですが・・・(これはもともと左遷問題とは別な人宛です。)

 物事に対して、好き嫌いを口にしていると、事態が拗れるものです。

 すなわち、嫌いとは弱点を暗示し、庇護者である守護霊、さらにはその上位の産土神、産土神が決定してしまえば、否応もなく祖先の霊たちまで試験官役となって、弱点克服のために嫌なことに立ち向かわされる・・・ということになりがちです。

 苦手なことを免れれば、浮かれるのも人情ですが、それが往々、試練の引き金になったりしますが、まあ、他人の目から見れば、目先の苦労で、長い目で見た災難を克服できるなら、意義もあるかとは思います。とはいえ、何も好き好んで不意をつかれる必要はありますまい。

 そもそも、守ってくれるはずの守護霊が、「やむを得ず。」と思ったのなら、事態は重大です。責められるばかりで庇うものがいなければ、霊界不信に思うのも仕方がありません。それほどの危険を犯してまでも、守護霊が突き放すなら(どうせ適当なところで手を差し伸べるとしても)、それはリスクに見合う事態なのです。・・・極楽行きを諦める、というか地獄行きを覚悟せよ、と思うべきでしょう。

 まあ、別段、怖がらせようという話でもありません。・・・が。


 霊感の強い友人から電子メールで質問がきました。 (語法の差は、年齢差です。^^)

「憑依と、神憑りはとどう違うか?」・・・・この二つは、懸かる霊の目的意識に違いがあるだけで、手段は同じです。

 あえていえば、低級霊の憑依は努力で克服できますが、(真の)神憑りは抵抗するだけ無駄です。とはいえ、低級霊に憑かれても恥ずかしいだけですが、神憑った仕事の一つもできなければ、人生は寂しいものです。

・・・まあ、霊憑って、苦しくていらっしゃる方には、ある意味、答になっていませんが。

 いわゆる高級霊というのは、いざとなればひどく強引な手にでます。が、概ね、「嫌!」と言われれば手を引きます。でも、悪霊・低級霊の手合いは、嫌と言われればむしろチャンスと見ます。  (この差を理解しない人は多いのですが、悪霊・低級霊は手を出してはいけないときに手を出し、いわゆる高級霊は、手を引いてはいけない時に、往々、手を引く、ということです。・・・つまり、霊憑るのを嫌う人は、いざという時に弱いのです。)

 つまり、悪霊・低級霊を拒絶する巧い方法なんて無いのです。どんな手管を使おうが、相手はその裏をかきます。私達人間が、如何に強い霊能力を持っていようが、生きている限り、寝なければいけないし、食わなければいけません。すると、霊たちから見れば隙だらけなのが人間なのです。

 ではどうするか、どうすべきか。

 憑霊を防ぐ方法なんてありません。なにしろ、如何に強い霊能力を持っていようとも、生きている限り、寝なければいけないし、食わなければいけません。世俗はうるさく、身体的な欲求は引きも切りません。それでは、霊たちから見て隙だらけなのです。

 ならば、発想を逆転すべきです。

 憑霊が防げないなら、せめて、憑依する霊を選ぶ。

 ・・・昔から、霊感の強い人はそうしてきたのです。

 眷属を得るとか、式神を得るとか・・・へりくだって、守護神を得る、・・・・または、だいぶ民主的な表現として、背後霊・背後霊団(支援者)を持つとか。

 現代の考え方では、霊たちの助けを得て生きるというのは、おしりの座りが悪く感じるかもしれませんが、実を言えば、当人が意識しているか、いないかの違いに過ぎず、意識しなくても出来る仕事もあれば、出来ない仕事、というか、乗り越えることの出来ない試練もある。そう思えば・・・抵抗が無駄、とは言いません。でも、嫌がるよりもまず、受け入れた先に得られるメリットを確認すべきだと思います。なにしろ、いずれ一人では乗り越えられない試練にぶつかるのですから。 

 協力した経験のないままに一人では出来ない試練に立ち向かうより、協力した経験を持った上で、一人では出来ない課題に立ち向かうべきだとは思いませんか?

強さと伝わりやすさは違う。

2010/03/28

 これは再三繰り返している言葉。

 過ぎたるは及ばざるが如し――「強く願えば叶う」というのは真理というより心理、願望というべきではないか。……なにより、「適宜」を知らぬなら無様だ。と、いうのは個人的視点であり、周囲に目を配るなら迷惑だ。極論に走るのは机上の空論家のなす事、と言うのは果たして言い過ぎか。

 そもそも、心霊家……少なくとも実践を疎かにしない心霊家であるなら……霊たちとの協力関係を疎かにすべきでない。で、協力するとは、大声を上げることだろうか?

 ……なぜ、大声(強く願う)を上げるのか。

 霊達よりの返事が無い……少なくともそれを感じ取れなかったからだろうとは思う。だが、返事が聞こえないなら、為すべきことはクドクドと話しかけることであろうか。……質問者は果たして、心静かに耳を傾けているのだろうか、と。


 ところで、聞くことが下手な人に、果たして「聞くことの大切さ」が、伝わるだろうか? まあ、いつかは、誰かに伝わるかもしれない。……べつに、冗談でも、嫌味のつもりもない。だが、良く考えてみてもらいたい。

人の話を聞かない人に、いかなる助言が可能であろうか、と。

 返事がもらえるまで強く念じ続ける……というのは、それだけを見れば些細な問題である。だが、どうしてそのような選択をしたのか、といことまで思いを巡らせれば、とても大きな問題であることに気付く。

 であるから私は、精神統一を大切にする。祈るためではなく、聞くために。

 

 しかし往々、聞く人は騙される。あげく、聞くことを辞める人がいるのはいささか不思議である。信じることの大切さをいかに考えているのだろうか?

 

 

嗚呼悩ましい

2010/03/25

 自分の霊感がアテにならなくて。……という人が多い。尋ねられたことはないが、「どうしたら克服出来るのだろうか。」と考えているのだろう。が、気を付けるべきは、設問を間違うと良い答えには至らぬということである。

 誰もが経験するであろうことだが、行きたいところと行かねばならぬところは往々異なる。行きたいところにこだわっている限り、人は、行くべきところに着くのが遅れる。

 故に思う。あなたの霊感がアテにならないのだろうか? それとも、質問が不適切であるのか。

 むろん、質問の出来が悪いのもあなたの責任であろう。だが、その二つは、解決策の違いでもある。霊感がアテにならなければ霊感を磨く修行が必要であろうし、質問が不適切であるなら、自分が何のために生まれてきたのかを内観する必要がある。もしくは、発想の転換が。

 ところで私も判断に迷うことがある。これは果たして私の霊感がアテにならないのか、それとも私の質問が不適切なのか?……まあ、いいじゃないか、と私は思っている。慌てて答えを出さなくても、その時に近づけばまたヒントを得るし。なにより、悩むことも大切であろう。悩めば悩むほど、自分で結果を得たかのように錯覚出来るではないか。

 結局の所、人生にはどれほどたくさんの選択肢があろうとも、至る所は同じで、ただ、進んで行うか、背中を押されて行うかの違いしか無い(かのように見える)のだから。

 

 

 

お知らせBy老神いさお。

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