‘心霊掌編’ カテゴリーのアーカイブ

心がけておくこと

2011/10/02

少しでも良いことをする。悪いことをしない。

 

激しいこと、難しいことは避け、出来ることを、諦めずにコツコツと片付けていく。・・・目立ちたい心を遠ざけるため。

苦しみを忘れることが幸せではなく、心にゆとりがある幸せ。・・・生活に創造を。


・・・当たり前な生活の中で、知らずに犯す罪の多いこと。良い行いの少ないこと。

不器用だから

2007/02/01

2007年02月01日


不器用だから、困ったことに陥る……

無自覚だから、陥るまで気が付かず……

陥っているから、自力が生かせず、ただ諦めるか、救われるかの両極端の中にいる。

何度苦境に陥っても、そこから抜出す方法を学べず、ただ自信だけが失われていく。

・・・・・・・

自分を信じることは大切だ。なんとなれば、自分以外の誰を信じるべきなのか?

だが、信じるためには先ず知るべきだ。……不器用な自分を知ればこそ、早めに手を打つなり、練習するなり、回避するなりの手も選べようものを。

己を盲信することを自信と勘違いしているから、避けられる痛みを、更に痛くして、痛くてたまらないのに、痛くないフリをして生きなければならない。

苦しんだ挙句に、「神も仏もないものだ」とうそぶく……それが、己の盲信の結果とも気が付かずに、天を恨む。

神仏が居ないのではなく、信仰心が歪んでいると気が付かない。……不器用だから、信仰心まで歪む。


謎かけ

2007/01/29

2007年01月29日


この言葉の意味が分るなら、あなたはきっと十年以内に大きな幸せを掴んでいるだろう。

人の手を煩わせる。それこそが孤独でない証だ。

人の手を煩わせる。だからこそ人は孤独となる。

・・・・・・・

一得一失――何かを得るのに代償を支払う。

貪るな。自分の未来を今、食いつぶすな。

明日のために何かを残せる人が、明日、幸せを掴める人なのだ。


異なる見方

2007/01/28

2007年01月28日


人の行為は思わずして大きな影響を及ぼすこともある。

だからといって、自分の行為が相手に及ぼす影響を心配しすぎるのもナンセンスだ。送る側にも責任があり、受取る側にも責任があるのだから。

・・・・・・・

人を信じよといい、信じなくても良いという。

大きな影響があるといい、影響を心配しすぎるなという。

その時々で言うことが違うと、戸惑う人もいる。……だが、人生というのは決断の繰り返しではないか。ただ、同じ事だけを繰り返して生きられるほど人生は単純でない。

私は、人生の指針を与えているのではない。ただ、あなたとは異なるであろう視点を提示しているのだ。違う見方があるということを、あなたが認識すれば、それが最大の成果なのである。


己を磨く

2007/01/25

2007年01月25日


悩みにも人それぞれ、色々とある。

自分を取り繕う者もいれば、

最善を尽そうとする者もいる。

つまり、今ある姿を歪めようとする者もいれば、

今ある姿を研ぎ澄まそうとする者もいる。

……君は後悔しているのではなく、身をすり減らして、磨いているのだ、と、言えないことの切なさ。いや、その切なさには希望がある。だが、苦悩で身を切り刻むだけの人もいる。その切なさには希望がない。

どちらが正しい、という問題ではない。

あなたにも夢があるだろう。……よろしい。

だがその夢には希望があるか? それとも絶望が支配しているのか?

希望のある者は、希望を受け止めるために身を慎み、

希望のない者は、絶望に支配されるが故に身を慎むことがない。

古来、聖人は身を慎んだというのは、つまり、希望を抱いているからなのだ。一方、小人(つまらぬ人)は、絶望に支配されているが故に身を慎むことがない。……どうせ失う物など何もないのだから。


誰を信じないのか?

2007/01/24

2007年01月24日


天気が悪いから信じない、

体調が悪いから信じない、

あいつの声が嫌いだから信じない、

あいつの雰囲気が悪いから信じない、

あいつに裏切られたことがあるから信じない、

要するに不機嫌だから信じない。

……論理をおろそかにして感情で信じるか、どうかを決めていないか?

人として大切な判断をするのに、人として恥じるべき手段で決めていないか?

人は生かされているのに、信じるものがなければ、何を頼れるのだろう?……流されるだけの人生では、疲れ、そして心細い。

「信じよ」といわれて「信じられない」といい、「信じなくていい」といわれて、戸惑う。……問題は本当に、信じるか、否か、ということなのだろうか?

巧く行かないことに苛立っていないか?

突破口が開けぬ事に苛立っていないか?

振り向いて貰えぬ事に苛立っいてないか?

失うものの多さに苛立っていないか?

信じるべき相手に、八つ当たりしていないか?

相手を信じるか、信じないか、それ以前に、ちゃんと自分を信じているのか?

判らないのではなく、判りたくないのだ。信じられないのではなく、信じたくないのだ。……自分の本心に気がつかずに、他者に翻弄されてはいないか。


正義の未熟さ

2006/12/27

2006年12月27日


正義……という言葉が、地上のものだと誰が知るだろう?

たとえば、あなたに二人の子供がいるとする。その二人の子供が、おかずの取り合いで争うとしよう。あなたはどちらの肩を持つだろうか?

正義を守るよりも仲良きことを願うのではないか?

兄弟とは人生最初のライバルというが、親から見ればどちらが正しいかという問題よりも、わが子等が互いに争うことのほうが悲しいものだ。

ならばもしも、神が我らの親の様なものであるなら、正義よりも調和を大切にするのではないか。

私は決して不正に寛容な訳ではないが、正義や裁きを絶対視する事も出来ない。

……が、が、である。寛容であっても事態が破綻すればどうにもならないではないか。裁くのは人ではない、そう思う。


悲しい出来事

2006/12/27

2006年12月27日


世の中には悲しい出来事がある。すると多くの人は思う。悲しみを無くしたいと……。

だが私は思う。本当の問題は、悲しい思いをせずには学べぬ事ではないか?

または、悲しい思いをしてもなお、学べぬ事ではないか?

悲しみとは結論であり、原因が有って生じるものである。原因を放置したまま、悲しみだけを無くそうとするのは空虚な方策だ。


不満は助けを遠ざける

2006/12/11

2006年12月11日


「風邪をひいて具合が悪い」……良く聞く定型文だ。だが、私は違うと思う。

「体調が悪いから風邪をひいた」ひいては「具合が悪いから風邪をひく」のであろう。

日常生活の乱れや、無理、無駄、虚弱……そういう自己責任を棚に上げて、病気を敵視しているから、なかなか治らない。風邪を治しても、具合の悪さ、ひいては生活態度を改めないから……

不幸は嘆き、救われないことを呪う。――相手だけが悪いのか? 自分に非はないのか?

状況が悪いことにふて腐れていては、誰があなたの状況を良くするのだろう?……誰があなた自身の生活に責任を持つというか?……みな自分の事だけでも、充分に忙しいのに。

そして、自分を改めず、周囲の変化だけを求める者を……自分を改められぬ者が、一体誰を、そして何を変えられるのか?

色々言い分はあると思う。だが、誰の人生なのだろう?


言い訳

2006/11/26

2006年11月26日


11月25日深夜……

私は他人の心を覗くものではない。ただ、見せられるものを見ているだけだ。……で、見てしまった。

また言い訳している……拗れるだけなのに。

言い訳とは、つまりは嘘である。嘘とは本来罪である。

自分を守るために嘘をつく……多くの人はそれを当たり前のこととして肯定する。だが、嘘には被害者がいるのだ。被害者がいる限り、罪は償いを必要とする。

時として言い訳は必要だ。だが、自分の為の言い訳は自分にとって利があろうとも利己的である事を免れない。

言い訳とは、相手の為にこそ必要なのだ。

利他的な嘘……それこそが適切な言い訳である。利己的な行為は決して何も肯定はしないのだ。


愛していると言いながら、利己的な嘘を言い、相手を傷つける。

相手を傷つけていることに気がつくこともなく、言い訳を繰り返す。

……なぜ……つまりは自分を守るため。

……自分を守るため、自分を守るため。

あああ!

あなたは自分を守るために、人を愛すというのか?

……そんな愛は、破綻せずにはいないだろう。


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