愛することの難しさ
2006年11月05日
愛されないからと世を憎む。
世を憎むから人々から嫌われるのに。
……憎む以外に為す術のない。
愛すれば愛されると言うが、一体どう愛せよと言うのか?
愛の意味を知らぬから、愛に飢えているのに。
悪意は改められるが、未熟さの克服には長い努力が必要なのだ。
が、待てない。
為すべき事を為さずに来た、その結果が「世を恨む」という選択なのだ。
何が大切か?
2006年11月05日
悩める人に必要なのは、説教か、支援か。
支援を受けるのに、必要なのは祈りか、自助努力か。
何が大切なのか? 自分が必要とするものを自分自身をおろそかにするのか?
誰のせいか?
2006年11月07日
安易な方法を探すには、それなりの理由がある。……気持ちが焦るには焦る理由がある。
……人生が巧く行っているなら、焦る必要もない。焦る必要がなければ、安易な方法を求める必要もない。
行き詰まり、遅れているから焦るのだ。――急いでいるから手軽な方法を求めるのである。
悠長な方法に目を向けるヒマなどない。たとえそれが本来の道であろうとも……たとえ遅れた理由が、遊びに夢中だったからだとしても。
だが、焦ると油断が生じ、油断すれば魔に狙われる。……ここでいう魔とは、仏教用語の「天魔」や、心霊用語の「悪霊・低級霊」の場合もあるだろうが、おそらく一番危険なのは、悪徳商法の被害だろう。
そもそもその遅れは、誰の責任において解決すべき問題であるのか。……因果律。原因があって結果が生じるのである。原因を変えることなく結果だけ変えようとするのには無理があり、無理があれば油断が生じる。
安易な方法を探すのにはそれなりの理由があろう。気持ちが焦るのにもそれなりの理由があろう。だが、その挽回の為にあなたは正しい努力をしているだろうか?
急ぐが故に焦り、近道のつもりで遠回りしていないか? いや、行き先の定かでない脇道に迷い込んでいないか?
気がついているだろうか? 道を間違えたら、もと来た道を戻る苦労のあることを。
若いのだからやり直せばいい……確かにそういう答えもある。だが、安易な道を選ぶにいたる事情に、果たしてやり直させるゆとりがあるのか?
・・・・・・・
苦労するために苦労していないか? ……霊の祟りよりも自分の愚かさこそが恐ろしいものだ。何となれば、霊は除霊できるが、自分の卑しさはどう捌けるのか? 捨ててもなお離れられない自分の業……無責任に捨てようとしてかえって苦悩を増やしはしないか。……まるで、苦労を増やすために努力してきたかのような人生を歩みながら、いざとなれば逃げる算段を持つというのは、何とも太平楽というべきか。
捜し物が見つからぬ時、答が無いのではなく、一番あって欲しくないところにある。……人生は霊性向上の修行の場、である。つまり、解答は巧妙にセットされている。
友人が引っ越し先を探している。……二人して片目をつぶって探してはいないか? 互いに触れたくない事情がある。
あるはずがないと思うから視野が狭まる。あるけれど、仕方がないと思えればもっと視野が広がるのに。
見つからないのは誰のせいか?
誠実であれ!
2006年11月09日
相談者に「誠実に祈れ」と助言すると、二言、三言、返ってくる。 「ああなるほど!」という答がない。
分りきったことをいうなというのか、はたまた、バツが悪いのか?
どちらにせよ、誠実に祈ろうとしたことが有り、なおかつ、余計なことも考えたのだろう。
余計なことまで考えるのが、不誠実だというのだが……私は責めているのではない。何となれば、私に何の責める義務、そして権利があろう?
誠実であれ。―― 代償を求めるために誠実であれというのではない。それこそが不純の極みである。だが、不純を感じるからこそ、その祈りを顧みる者がないことはあなたにとって大きな損失ではないか?
誰もが利を中心に考えるのが当たり前……その開き直りは何の利があろうか? 強い者が多くを奪う考えでしかないのに。
分かち合うことの大切さに気がつくなら、分かち合うためには誠実さが大切であると気付くはず。
重要なのは、欲を隠し、いや、消し去ることではなく、欲を越えた誠意に尽すことなのだ。
たとえ損でも、たとえ嫌でも、果たすべき勤めがある。それは素直に受け止める覚悟を示すことが大切なのだ。