‘心霊掌編’ カテゴリーのアーカイブ

正義の未熟さ

2006/12/27

2006年12月27日


正義……という言葉が、地上のものだと誰が知るだろう?

たとえば、あなたに二人の子供がいるとする。その二人の子供が、おかずの取り合いで争うとしよう。あなたはどちらの肩を持つだろうか?

正義を守るよりも仲良きことを願うのではないか?

兄弟とは人生最初のライバルというが、親から見ればどちらが正しいかという問題よりも、わが子等が互いに争うことのほうが悲しいものだ。

ならばもしも、神が我らの親の様なものであるなら、正義よりも調和を大切にするのではないか。

私は決して不正に寛容な訳ではないが、正義や裁きを絶対視する事も出来ない。

……が、が、である。寛容であっても事態が破綻すればどうにもならないではないか。裁くのは人ではない、そう思う。


悲しい出来事

2006/12/27

2006年12月27日


世の中には悲しい出来事がある。すると多くの人は思う。悲しみを無くしたいと……。

だが私は思う。本当の問題は、悲しい思いをせずには学べぬ事ではないか?

または、悲しい思いをしてもなお、学べぬ事ではないか?

悲しみとは結論であり、原因が有って生じるものである。原因を放置したまま、悲しみだけを無くそうとするのは空虚な方策だ。


不満は助けを遠ざける

2006/12/11

2006年12月11日


「風邪をひいて具合が悪い」……良く聞く定型文だ。だが、私は違うと思う。

「体調が悪いから風邪をひいた」ひいては「具合が悪いから風邪をひく」のであろう。

日常生活の乱れや、無理、無駄、虚弱……そういう自己責任を棚に上げて、病気を敵視しているから、なかなか治らない。風邪を治しても、具合の悪さ、ひいては生活態度を改めないから……

不幸は嘆き、救われないことを呪う。――相手だけが悪いのか? 自分に非はないのか?

状況が悪いことにふて腐れていては、誰があなたの状況を良くするのだろう?……誰があなた自身の生活に責任を持つというか?……みな自分の事だけでも、充分に忙しいのに。

そして、自分を改めず、周囲の変化だけを求める者を……自分を改められぬ者が、一体誰を、そして何を変えられるのか?

色々言い分はあると思う。だが、誰の人生なのだろう?


言い訳

2006/11/26

2006年11月26日


11月25日深夜……

私は他人の心を覗くものではない。ただ、見せられるものを見ているだけだ。……で、見てしまった。

また言い訳している……拗れるだけなのに。

言い訳とは、つまりは嘘である。嘘とは本来罪である。

自分を守るために嘘をつく……多くの人はそれを当たり前のこととして肯定する。だが、嘘には被害者がいるのだ。被害者がいる限り、罪は償いを必要とする。

時として言い訳は必要だ。だが、自分の為の言い訳は自分にとって利があろうとも利己的である事を免れない。

言い訳とは、相手の為にこそ必要なのだ。

利他的な嘘……それこそが適切な言い訳である。利己的な行為は決して何も肯定はしないのだ。


愛していると言いながら、利己的な嘘を言い、相手を傷つける。

相手を傷つけていることに気がつくこともなく、言い訳を繰り返す。

……なぜ……つまりは自分を守るため。

……自分を守るため、自分を守るため。

あああ!

あなたは自分を守るために、人を愛すというのか?

……そんな愛は、破綻せずにはいないだろう。


悲しめることの幸せ

2006/11/24

2006年11月24日


悲しい思いを重ねてきた人ほど、永遠・不変に憧れる。そして、成功に向かって努力してきた人ほど、永遠・不変を侮蔑する。……永遠不変であれば、一体どこに幸福を掴むためのチャンスが生じるというのだろう?

悲しむ者は、失うことを悲しむ。

成功を求める者は、得られぬ事を悲しむ。

失うものを持っている事に感謝することもなく、また、未だ手の内に残っているものを大切にすることもなく、失ったものを嘆き続ける。……悲しみに沈むのは確かに不幸だ。だが……自分を哀れむことが出来るなんて、とても豊かだとは思わないか?

たとえ愚かで、非力な自分であろうと、自分だけが財産であるなら、人はそれを使いこなして幸せを掴まなければならない。自分を哀れんだって、幸せにはなれないのだから。

不幸を嘆くヒマもなく、幸せを得ようと努力を重ねている身にとっては、悲しむ人こそ羨ましい。


どこに在るのが幸せか

2006/11/10

2006年11月10日


神の御許へ、いざ帰らんとする者を引き留める。

神の御許よりも、あなたの許にいる方が幸せだというのか?

さらなる生を祈る先はいずこ?

神の御許へ行くことを拒みながら、その神に祈る。

命は大切なもの……その言葉の蔭に動いているのはエゴではないか?

大切なのは生死にあらずして、それぞれが果たすべき勤めを、その時々に果たすこと。

人の勤めをおろそかにして、生死輪廻の自然を拒む。……そこに罪があるから人は苦しむ。

死が不幸なのではなく、残された人の心に不幸がある。


当たり前なことだけど

2006/11/05

愛することの難しさ

2006年11月05日

愛されないからと世を憎む。

世を憎むから人々から嫌われるのに。

……憎む以外に為す術のない。

愛すれば愛されると言うが、一体どう愛せよと言うのか?

愛の意味を知らぬから、愛に飢えているのに。

悪意は改められるが、未熟さの克服には長い努力が必要なのだ。

が、待てない。

為すべき事を為さずに来た、その結果が「世を恨む」という選択なのだ。


何が大切か?

2006年11月05日

悩める人に必要なのは、説教か、支援か。

支援を受けるのに、必要なのは祈りか、自助努力か。

何が大切なのか? 自分が必要とするものを自分自身をおろそかにするのか?


誰のせいか?

2006年11月07日

 

安易な方法を探すには、それなりの理由がある。……気持ちが焦るには焦る理由がある。

……人生が巧く行っているなら、焦る必要もない。焦る必要がなければ、安易な方法を求める必要もない。

行き詰まり、遅れているから焦るのだ。――急いでいるから手軽な方法を求めるのである。

悠長な方法に目を向けるヒマなどない。たとえそれが本来の道であろうとも……たとえ遅れた理由が、遊びに夢中だったからだとしても。

だが、焦ると油断が生じ、油断すれば魔に狙われる。……ここでいう魔とは、仏教用語の「天魔」や、心霊用語の「悪霊・低級霊」の場合もあるだろうが、おそらく一番危険なのは、悪徳商法の被害だろう。

そもそもその遅れは、誰の責任において解決すべき問題であるのか。……因果律。原因があって結果が生じるのである。原因を変えることなく結果だけ変えようとするのには無理があり、無理があれば油断が生じる。

安易な方法を探すのにはそれなりの理由があろう。気持ちが焦るのにもそれなりの理由があろう。だが、その挽回の為にあなたは正しい努力をしているだろうか?

急ぐが故に焦り、近道のつもりで遠回りしていないか? いや、行き先の定かでない脇道に迷い込んでいないか?

気がついているだろうか? 道を間違えたら、もと来た道を戻る苦労のあることを。

若いのだからやり直せばいい……確かにそういう答えもある。だが、安易な道を選ぶにいたる事情に、果たしてやり直させるゆとりがあるのか?

・・・・・・・

苦労するために苦労していないか? ……霊の祟りよりも自分の愚かさこそが恐ろしいものだ。何となれば、霊は除霊できるが、自分の卑しさはどう捌けるのか? 捨ててもなお離れられない自分の業……無責任に捨てようとしてかえって苦悩を増やしはしないか。……まるで、苦労を増やすために努力してきたかのような人生を歩みながら、いざとなれば逃げる算段を持つというのは、何とも太平楽というべきか。


捜し物が見つからぬ時、答が無いのではなく、一番あって欲しくないところにある。……人生は霊性向上の修行の場、である。つまり、解答は巧妙にセットされている。

友人が引っ越し先を探している。……二人して片目をつぶって探してはいないか? 互いに触れたくない事情がある。

あるはずがないと思うから視野が狭まる。あるけれど、仕方がないと思えればもっと視野が広がるのに。

見つからないのは誰のせいか?


誠実であれ!

2006年11月09日

 

相談者に「誠実に祈れ」と助言すると、二言、三言、返ってくる。 「ああなるほど!」という答がない。

分りきったことをいうなというのか、はたまた、バツが悪いのか?

どちらにせよ、誠実に祈ろうとしたことが有り、なおかつ、余計なことも考えたのだろう。

余計なことまで考えるのが、不誠実だというのだが……私は責めているのではない。何となれば、私に何の責める義務、そして権利があろう?

誠実であれ。―― 代償を求めるために誠実であれというのではない。それこそが不純の極みである。だが、不純を感じるからこそ、その祈りを顧みる者がないことはあなたにとって大きな損失ではないか?

誰もが利を中心に考えるのが当たり前……その開き直りは何の利があろうか? 強い者が多くを奪う考えでしかないのに。

分かち合うことの大切さに気がつくなら、分かち合うためには誠実さが大切であると気付くはず。

重要なのは、欲を隠し、いや、消し去ることではなく、欲を越えた誠意に尽すことなのだ。

たとえ損でも、たとえ嫌でも、果たすべき勤めがある。それは素直に受け止める覚悟を示すことが大切なのだ。


蓮の如く咲けるか?

2006/10/17

2006年10月17日


蓮は泥中で育ち、美しく花開かせる。

美しいがゆえに人が見る。

泥中で育つゆえに人を感動させる。

だが蓮は、人の都合で咲きはせぬ。

人が蓮に都合をあわせるのである。

人の都合で泥中には居らぬ。

蓮は好んで泥中を選ぶのだ。

それこそが真の価値、美しい大輪の花の価値。

人に都合を合わせる花は、造花のような価値しかない。


自ら価値を棄てる一方で、価値を求めている。――葛藤です。

泥中にあって、蓮はいずれ咲きます。ではいつ咲くか?

人が望むときに咲くのではなく、蓮の準備が整ったときに咲くのです。

……咲くのを願うよりも、蓮を……可能性を適切な状態に置くことが先決です。


死刑の批判

2006/10/14

2006年10月14日


奈良女児殺害事件の被告、小林薫の死刑が確定した。

罪を憎んで人を憎まず……等と訳知り顔でいうつもりはない。

ただ、死後の世界の存在を信じる者の一人として、殺人犯をあの世に送るのはなるべく先に引き伸ばすべきだ、と思う。

少なくとも、生に生きがいを見出さぬ者を、安易にあの世に送るのは、制裁ではなく救済であると思うべきだ。


明日がある。

2006/09/21

2006年09月21日


そうかー!……と思う。

「明日に希望を抱く!!」……太く、太い希望。明るい希望。いや、まぶしい希望。

彼は、明るい未来を知って希望を抱くのではない。

彼は、明日のあることを知って希望を抱くのだ。

明日があるから、良い明日を作れる。……良い明日があるから希望があるのではなく、明日があるから明日を良くしようと思うのだ。

楽天的ではなく、向上心があるのだ。

なるほど!……と思う。

良い明日に希望があると思う者は、思い通りの明日が来なければ挫折する。

だが、明日があると思うものは、たとえ良い明日が来なくても、次の明日に希望を抱ける。

ああ。この子は強いんだ。……と思う。

……友人の子供を霊査して感じたこと、いや学んだこと。

いや待てよ。……と思う。

あの子だけじゃない。生まれたばかりの子供は皆、明日があることに希望を抱いている。

ならば、人はいつ、希望を忘れるのだろう?

『そんなに巧くいくはずがない……』と、自分に言い聞かせて。希望を棄てたんじゃない。自分の明日を棄てたのだ。……その違いも分らぬうちに希望を省みない大人になっていく。


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