‘心霊小論’ カテゴリーのアーカイブ

心がけておくこと

2011/10/02

少しでも良いことをする。悪いことをしない。

 

激しいこと、難しいことは避け、出来ることを、諦めずにコツコツと片付けていく。・・・目立ちたい心を遠ざけるため。

苦しみを忘れることが幸せではなく、心にゆとりがある幸せ。・・・生活に創造を。


・・・当たり前な生活の中で、知らずに犯す罪の多いこと。良い行いの少ないこと。

開運方法の解説(かも?)

2011/09/19

横浜オフ会の後で、出た3つの話題と、それから派生するパワースポット論。構成の都合上、後の質問から先に解決していきます。

1, 占いってどう思います?

多くの人々の都合の結果、社会は動いているわけで、例えば、自分に受け取る準備ができていても、送り主の準備ができていなければ、良い知らせを待ち続けなければいけません。

結局のところ、個々人の都合の善し悪しにかかわらず(都合の総和で)物事は動き、その動きの中に、人はなんらかのリズムを感じることがあります。そのリズムの研究が占いといえば占いでしょう。

でも、その運勢的なリズムが、どこまで暦や、星の運行と一致するものでしょうか? 正直、私にはわかりません。わからないというより、私は星を信用していないというべきかも知れません。

その一方で、信じても良いのでは、という気持ちもあります。 例えば、北極星。自転する地球から見て、ほぼ常に同じ点に一つの星があることは、奇跡(必要な偶然)にも思います。 方位が容易にわかる手段として、この偶然は、砂漠や海の旅にどれほど役立ったことでしょう? 結果論かもしれませんが、人類文明を育てた要因の一つでは、と思います。

数万年後には北極星も、地球の北を指し示さなくなるそうですし(星の運行により)、いまさら、正規の学問として占いを取り上げるべきと思っているわけでもありませんが、総てを迷信と決め付けるのはいささか早計と思います。

 

たとえば、心霊を学ぶ中で、基本的なこととして、「待つことの大切」があります。

・・・何事も途中で諦めてしまえば、運や実力に恵まれていても、良い結果を得られません。すると人間は、挫折しそうであっても、耐えるべき時があり、一人で耐え切れなければ、励まされる必要もあるでしょう。例えば学業などであれば、励ますことに是非もありませんが、一方、人生には一か八かのバクチ的な判断もつきまといます。成功してもそれが不幸に繋がるかもしれないような時、当事者は果たして頑張っても良いのか、周囲の者は果たして応援して良いのか?

例: 占いではなく心霊相談ですが。 知人のご主人が、南アジアから出稼ぎに来ていた女性に熱を上げて、離婚して、相手の国に移住すると言い出したそうです。その相談を受けた私は、「その女性はもうすぐ、一人で帰国しますから、ご主人のことは抛っておきなさい。今無理に反対すると、ご主人は引っ込みがつかなくて、一人で移住してしまいます。」・・・この奥様は、数ヶ月忍耐し・・・・・・

私は思うのです。努力や工夫で成果が出ることなら、科学に頼るべきでしょう。でも、努力の結果がどちらに転ぶか分からぬ場合なら、大切なのは信念となり、科学の適用するところではないと思います。

そして、信念が必要な場面において、占の価値はおそらく、当る、当たらない、というところよりもむしろ、人生でめぐり合う様々な問題に対して、どのような態度で望むべきか、その助言にこそ価値があると私は思います。

そのうえで、困苦を乗り越えることが出来たなら、その占いを有意義と思うでしょうし、困苦の欠片もなく平穏無事に過ごしていたなら、ただの興味で終わるか、または、当たる当たらないのレベルで論じて、迷信と決め付けるかもしれません。一方、困苦を乗り越えることが出来ず、それでもまだ占いを信じていたなら、それこそ迷信を深めるだけかも。

 

2,四柱推命とか、当たるんですかね?

占いに関して、よく引き合いに出すのですが・・・

例えば血液型占い、人間を4つに分類するというのは、あまりに大雑把すぎるのでは、と思います。それこそ、当てずっぽうにいっても、4分の1の確率なわけで・・・という話を、したところ、「あなたは、AB型でしょう。」と笑われた・・・

でも占いで、「恋愛運が最高で、運命の人とめぐり合う」と出て、しかも本当に異性(または同性)と巡り合ったとして、さて、一体誰の目から見て、最高の相手なのか、はたまた、何時の目から見て最高の相手なのか。または、何に使うのに最高の相手なのか・・・しかも、伴侶として選ぶ、またはそれ以前に、互いをよく知るための努力を始めるかどうか、という選択権は、その時の当事者にあるわけです。果たしてその出会いを有効に生かせるかどうか?

うだつの上がらない人に見えて、将来は大発明をしたり、商売を当てたりするかもしれません。それを見抜くのは難しい。難しいというより、相手の将来と自分の将来を見切った上で、目の前の人を選べる眼力の持ち主なら、占いなんて、頼る必要がありません。・・・そもそも相手がとても良い人だとして、こちら側が充分に大切にすることなく、せっかくの出会いを無駄にするかもしれません。

一応、心霊サイトということで、あえて心霊問題とかけ合わせますが・・・霊媒が、自らに罹る霊の、善悪・高低を量るのに、まあ、一応、審神《さにわ》術みたいなものもあるわけですが、結局のところ、短期間で見切るのは無理、すると比較的安全なのが、自分の守護霊ら、確実なことの判っている霊のつながりで判断するか、自らの守護霊の鑑定ともなれば、時間をかけて(短期間なら芝居出来ても長くなればボロが出る)、信頼関係を創り上げるしかありません。

同様に、出会った人の善悪・高低を見るのに、時間を掛ける以上の手はないと思います。・・・その掛ける時間がないなら、一か八か、という判断も仕方がないとせよ、同時に、つけこまれぬように気をつけましょう。

要は、占いがあたろうが、当たるまいが(私的には四柱推命に対して敬意を払っていたりする)、あなたはその運命を活かすことが出来るのか、どうか、ということです。・・・物事は必ず一得一失。または、作用には反作用。最高の出会いが拗れたら、最悪の敵(例えば近親憎悪的なもの)となるかもしれないことを心の片隅に止めておきましょう。

例: 上記事例で、熱を上げた南アジア出身の女性に、置いて行かれたご主人は、その後数年間、奥様に猛烈にイビラれ・・・好きの対語は無関心。いじめるのも、縁が繋がっているゆえのこと。

 

3,霊査で仕事の助言ばかりなんですけど? (プライベートの霊査は無いの?)

してるつもりなんですが・・・気づいていないのかも。

物事の受け止め方は、大きく2つに分類できます。内向:受け身・防衛的と、外向:指導支配的・攻撃的。最近はやりの、草食系・肉食系も当てはまるかもしれません。

ただ私が思うに、例えば仕事では内向的だけど、人間関係では外向的、といった具合に、一つ反応を見るだけで、種類の違う問題にまでこの分類があてはまるとは限らないでしょう。

さて、この大雑把な分類(他には、遅いとか早いとか、ストレートとか、婉曲とか、上手・下手に出るとか・・・)をふまえて話します。

例えば、異性がアプローチしてきたとします。外向的な人なら、相手が気に入る、気に入らないに関わらず、言い寄られることを喜ぶかもしれません。それに対して、内向的な人なら、好きな相手以外がアプローチしてきたら、生理的に嫌悪感を抱くでしょう。

でも、相手をよく知らないうちに、好きだとか、嫌いだとか、ということは、つまり、表面的な部分だけで、出会いを制限してしまうということですから、同じだけチャンスを持っていても、成立の可能性が少ないということです。

しかも、私の知る範囲で、外向的な人は、他人への評価を変えやすいのに対して、内向的な人は、他人の評価を変え難い所があります。これは、人間性の問題ではなく、もう生理的なものでしょう。つまり、内向的な人に嫌われたら、高評価を得るのは難しく、それが、恋愛においては、愛情を確保するのは難しい、・・・ああ、つまらない話だ。要は肉食系・草食系の分類か。

それはともかく、内向的な人はチャンスを活かしにくい、とすると、つまり、占い的な意味で、運勢が良くても、それがそのまま人生の開運には繋がらないということです。そうであるなら、チャンスの有無を霊査として伝えるよりも、眼前のチャンスを無駄にしないような生き方に変えていくことが大切だというのが、私(と、その背後霊団)の判断です。

たとえば、人間として自信を持つことで、内向的な部分が外向的に変わっていくように促すとか・・・または、家族に流されて、気に沿わぬ人を選ばぬようにするとか。または、仕事の運気が、プライベートまで影響するとか。

 

4,(蛇足)パワースポット巡り

私も、疲れた時には、逃げ込みたい場所があり、それはいわゆるパワースポット的なところです。ただし、癒しとして好ましいのは(私にとって)、やはり、静な場所ですから、最近、書店・コンビニなどでみかける情報誌に掲載されている場所かどうかは知りません。

むしろ、雑誌類に掲載されているような有名所では、落ち着かなかろう(つまり、私は行かない)と、思っています。

また、人混みが雰囲気を汚す、という環境的な問題だけでなく、物事は一得一失、安易に幸運を求める者は、同時に災難も抱えてくるはず・・・といった、心情的な、いや生理的な嫌悪感を抱きもします。ぶっちゃけ、マスメディアやネット情報で取り上げられているパワースポットが、心霊的な意味で機能しているとは、全く考えていません。

ところが、「私にもご利益があった!」という話は、他所を向いていても飛び込んできます。

これ、やはり私は、心霊的な意味での機能が働いているとは考えません。むしろ、反対に、「運が悪くなった(バツがあたった)」ということなら、心霊的な「愛(安易に幸運を求めるな!)」を感じることもあるでしょう。

では、パワースポット、または、神社仏閣のご利益は何処から来るのでしょう?

私が理解するに・・・そういう、巷の情報を受け入れ、実際に行動するような、外向的:行動的な人であれば、目の前にあるチャンスを受け止め、活かしやすい、・・・故だ、と思うのです。

人間、チャンスの数には、そう大きな違いは無いでしょうが、個性によって、チャンスを生かせる人と活かせない人がいます。

ものすごく世俗的な言葉でいえば、「買わぬ宝くじは当たらない」・・・でも、内向的な人は往々、当たりくじが天から降ってくるのを待っています。

以前、幸運が待っているから!と、活動を促した人が、まさかの、家の中だけで活動していて、幸運が来なかった、と抗議してきたことがあり・・・

そして、内向的な人が、無理をしてこういうパワースポットを訪れても、たぶん、他の参拝者の因縁やら、毒気にあてられてくたびれ、挙句、「お前まで下品なことをするな!」とばかり、ご先祖の霊に叱られたりするのがオチだと思います。・・・安易な行動の結果の障害って、解消するのに高く付くものですけど、どう高くつくかはいささか下品なので割愛します。

 

実は、微妙な問題で、外向的な人についていえば、「鰯の頭も信心から」で、どこでもいいじゃないか、とも思うのですが、いわゆるパワースポットの地主霊の中には、人が集まるのを好む霊もいるようですし、なにより、パワースポットの話題で食べている人もいらっしゃるようなので、パワースポットの真偽については口を挟みません。

そもそも、心霊的な影響には相性もあり、(というか、やはり、信心論に落ち着くが)、私が大阪オフ会出席時には、必ずよって充電する場所も、露骨に信心の強さで効果が違っているように見受けられます。

というわけで、パワースポットの位置・真贋についてのお問い合わせはご遠慮下さい。

答え合わせ

2011/04/11

 夕食のさなか、地震があった。私は泰然と構えて食事を続けたが、東日本大震災以後、余震続きで、地震には慣れっこだ。 

「慣れ」は、恥じることではないと思う。人間に備わったメカニズムで、慣れがなければ、刺激の多いこの世の中、たちまち神経が参ってしまうだろうから。・・・と、私が落ち着いていられるのは、多大な被害を受けた地域から遠くはなれて住んでいるからにほかならない。

 世界には、今も、辛い思いをなさっている方が数多くいる。・・・大きすぎる恐怖には慣れ様もない。

・・・・・・・

 今回のテーマは、上記に矛盾するかもしれない。

 あなたは様々なものに慣れていないか?

 国内の東日本大震災の事はさておき、世界に目を向ければ、

 戦争、内乱、弾圧、飢餓、貧困、疾病、人身売買などなど・・・

 大変だ! 何とかしなきゃ!! でも皆、ちょっとずつしか解決の手伝いは出来ない。いやそれどころか、知らず知らずに世の不幸を増やしているかもしれない。

・・・・・・・

 震災被害者への援助も大切である。でも、震災被害者だけが苦しんでいるわけではない。

 慌てて何かしようとしても、巧くは行かない。・・・古くからある問題は、解決にも長い時間を要するものだ。それは仕方が無い。・・・ただ、目を閉じ、耳をふさぐのはやめよう。

 たしかに、不幸な話ばかりなら、気も滅入ってくるだろう。・・・でも、時々は、「自分にできる何か」を、考えてみるのも良くはないか?

 例えば仏教行事(日本に根付いている)、先祖供養の季節(お盆等)に、人々の幸せのために、ささやかでも献金するとか。

 無理を必要としているのではない。心構えのことである。

他者の不幸を糧に成長できるなら、多少耳が痛くても、充分に有難い話だ、とは思わないか? お互い様、とはよくいったものだ。

・・・・・・・

  世の中、耳に痛いのは、不幸な話ばかりではない。自分にとって有益な・・・でも、ちょっと面倒・不愉快な話も多々ある。もしもそれらの話題から逃げることなく、ただ、消化不良にならない程度に、吸収し、自分のものに出来るなら、きっと良い人生を歩めるだろう。・・・それは、他者から見て幸せかどうかは、あえて言わない。でも、満足して生きた人なら、きっと良い笑顔を失わずにいられるのではないか?

 この一文をお読みくださった方に、いかなる福徳・・・財産や、美貌や、頭脳やらをお持ちであるかは知らない。もしかしたら、何も持たぬ心寂しさに苦しんでいるかもしれない。いやそれどころか、負債の重さにあえいでいるかもしれない。

 苦しみの中にいる人なら、「良い笑顔」に、さしたる価値を感じられないかもしれないが・・・笑顔は、決してみすぼらしい財産ではないはず。

 世界は案外に示唆に飛んでいて、裁きの時には大抵、「知らなかった」では済まない。

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皆で幸せになろうよ

2011/03/24

 ちょっと、時期を失した感もあるが、静岡オフ会でのこと。スケジュールの都合もあって、全員いっぺんに精神統一できなかったが、乞われて一人の霊査をとった。

『我が身のことを思って、人を助ける。上手に助けられないからといって、相手を恨んだりせぬように。』・・・自分を犠牲にしてまで、誰かを助けようとすれば、報いられないと痛みが生じます。するとつまり、相手の為を思うつもりでいて、実は、自分の利害に振り回されることになります。(あえて書くと)弱者から、金品を奪わぬ代わりに、無形の何かをせびっているなら、それはやはり、利己的行為といえましょう。


  仙台で、被災した方からの、「平穏無事な日常生活のありがたさがわかった」とのメールを読んでいるときに、霊信を受けた。ところがいささかキツイ内容なので、それを先方に伝えることにしばらく躊躇した。・・・まあ、背後たちは、よほど相手を信用しているようなので、思い切って相手に伝えることにした。

 意地悪なようだけど、とてもとても大切な事で、しかも、とてもとても良い機会だから、我慢して以下を読んでください。

  1. 何も考えずに上手く行くことなど、本来、有難(あるのがむずかしい)事なのです。それを古来日本人は、「有難(ありがたい)」と表現します。 あなたは、平穏な生活のあることに、感謝することの出来る人です。でも、どれほど有難いか、その事を思ってください。
  2. 現実でなければ良い、と思えるのは、恵まれている、または、誰かがやってくれる、と信じているからです。つまり、あなたの心には重大な甘えがあり、それは、今生だけでは拭いきれないでしょう。良し悪しの話ではありません。そこにあなたの課題がある、ということです。とはいえ、今慌てる話でもありません。
  3. 辛いのは、楽しんでいないからです。・・・当たり前ですが。 でも、人類が、「万物の霊長」などと、威張るのは、数々の危機を克服したからです。そして、克服するなら、楽しむほうが良いのです。工夫することはとても楽しいし、それで誰かの命が救われ、また、生活が向上するなら、それほど有難い事はないはず。長く、苦しいのは、工夫していないからです。いえ、(バカにするのではなく)あなたは、素直で良い子だから、逆境を楽しむ、他者の苦しみを命の糧とすることが苦手なのですよね。
  4. 被災者のために祈ることは良いことです。でも、災難に苦しむ人は世界中にいるのに、身近な人の無事だけを祈るのでは、いささか視野が狭いでしょう。

 とくに、これは言っちゃいけないな、と我ながら思うのは、「それは、今生だけでは拭いきれないでしょう。」という部分だ。霊媒が来世をいえば、相談者を不安に追い込みかねない。(・・・金品とかは要求してませんよ) が、あえてこの表現はそのまま使った。

 そして、災難に苦しむ人は世界中にいる。・・・この人はやさしい人だからこそ、手の届かぬ不幸から眼を背けてしまったのだろう。

 その気持は私にも判る。でも、血を見るのが嫌だから、といって、(例えば)血だらけのケガ人を放置して良いはずもない。

  人の好意を受けて、「幸せだな」と思えたなら、ひとつ、人を幸せにする方法を学んだ、ということだし、

  自分が、怖い、嫌だ、と思うことがあれば、ひとつ、人を守る方法を学んだ、ということのはず。

 すぐに、すべてを幸福に変えられないのは、人である以上、仕方がない。でも、人である以上、少しは何かを変えられるのではないか?

 自分の幸せを忘れて、人のために働け、というのではない。むしろもっと、利己的な方法の誘惑である。

 人の不幸から眼を背ければ、人生に死角が出来、災難は知恵ある如くそこを攻めて来る。たとえ見るのが辛くても、人の不幸に関心を払っていれば、自分を守る助けになるのだ。

・・・誰かを幸せにせよ、というのではなく、皆で幸せになろうよ、と私はいう。


 

 

地震雑話

2011/03/20

 私の心霊の師匠に当たる人は、ナガサキ被爆者である。当日、学校をサボって買出しに出かけて難を逃れたという。真面目に授業にでていた生徒は皆、亡くなったというのに。師の姉は、電話ボックスに入っていて難を逃れ、師の母は、飛んできた戸板に庇われて助かったという。

 たとえ運がよい人でも、行動の自由を持たぬ人なら、災難を逃れられようはずもない。選択肢が多いほど、難を逃れ得る。

 ・・・何々、しなくっちゃ。という考えに縛られていては、天も救いようがないのでは?

 または、・・・あなたは誰かを救えるだろうか?  ・・・親切の押し売りをせずに?


 何年前のことだったか。

 神奈川県から、千葉県北西部に引っ越そうとする友人から相談を受けた。

 「うーん。好ましくない、って、聞こえるのだけど。理由は教えてもらえない。でも、どうしてもダメ、というわけじゃないみたい。」

 結局、ご主人の仕事の都合もあって、友人夫妻は引っ越した。

 昨年の暮には、クリスマスプレゼントをもって、この友人の新居(といっても引っ越してからずいぶんたつが)を訪れた。

 ・・・ちょっと高台で、水はけも良さそうだ。地震が来ても平気だろうし・・良いところに住んでいるのに、何が悪いというのか?

 それが分ったのが、今回の福島の原発事故である。

 神奈川よりも、千葉県北西部の方が、原発に近い。それゆえ、釘を刺されたのだろうと思う。・・・『選んだのはお前だ。』

 たしかにいろいろ不安かもしれない。でも、『ダメ』とは言われなかったことに、救いもあると思うのだけど。

・・・・・・・

 物事には必ず、一長一短がある。・・・長所だけに目を奪われても、短所を厭うだけでも、結局、人は行詰る。

 時には大きな代償を強いられることもある。かつて、時として、大きな報酬を得たことは、いずれ支払いもあるということなのである。

 ・・・強いられる代償が支払い難く思えても、きっと払えるよ、今まで通り、誠実に生きるなら。


逃げれば無事か?

2011/03/16

『流言は智者に止まる』・・・くれぐれもデマの片棒を担がぬように。


 私がもともと、霊能の師匠の失笑を買ってまでサイトを開いたのは、当時、ノストラダムスの予言ブームに一家言表したかったからだ。

『予言通り、1999年に人類が滅びるとして、あなたはそれまで生きられるのか?』・・・地球の終わりのその前に、ガンに罹るかもしれない、事故に遭うかもしれない。

 そして今回。

 誰もが昨日と同じ今日、今日と同じ明日が続く・・・いや、迎える週末の予定を思って楽しんでいたかもしれない・・・その当たり前の思いが、もしかしたら妄想だったのでは、と、恐れ、戸惑うような思いをしたであろう、東日本大地震である。

(茨木・郡山の知人の安全確認済み、私事、我が宮城の知人の無事も確認済み。仙台市内から東京オフ会に参加してくださった方の無事も確認)

 福島の原子炉事故を、不安に思う方も多いだろう。

 また本日/昨日(2011年3月15日)、「1都4県で過去最高の放射線量(核実験時除く)」が、観測されたと公表された。その数字は、私は「平均値?」か(最大値はもっとずーーと多いのでは?)とも思うが、それはともかくとして・・・

 その放射線の影響で生命を失うまで、あなたは生きていられるのだろうか?

 地震や津波や・・・交通事故や病気で死ぬこと無く?

 あなたは昨日と同じ今日、今日と同じ明日が続くと信じているのか?

 この期に及んでもまだ?

 原子力発電所で何が起ころうとも、あなたは無事だ!!・・・と、いうわけではない。申し訳ないが、不特定多数の霊査などとれないし、何でもかんでも解る便利な霊能者では・・・少なくとも私はそうではない。

 でも、あなたは原子力発電所の心配だけしていれば良いのだろうか?・・・いやそれ以前に、(少なくとも当サイトの読者は・・・)、原子炉の心配などしたところで何が救えるというのか?

 少しでも西に、または、南に逃げる?

 うん。まあ現時点ならばそれも良さそうだ。いや、頭で考える限り、それは最善でもあろう。

 ・・・とはいえ、明日のことは誰にも判らず、逃げた先で大地震に合うかもしれず、逃げる途中で事故に合うかもしれない。または、隣国の核実験でもっと多くの被曝を受けたり・・・

 あなたは、自分の知力の範囲内で、本当に安全・無事を確保できるのだろうか?

  もしくは、あなたが思う限りの安全策に、誰かの同意を得ることで、安心感を得ようとしていないか?

そういうのをデマと呼ぶのだが?


絶望とは、望(のぞみ)が絶える、と書く。

文字の順番が違うなどと、低レベルなリアクションは断る。
無くならなくても、諦めれば望は絶える。

 たとえば、原発なんて作るな! という意見がある。

でも、原発無くして今の日本の繁栄があったかどうか?

 いや、仮定の話をしたいのではない。『何事も、一長一短である』と言いたいのである。

 今、短所が出ているのは、今まで長所(安価な電力)を甘受してきた反動だ。その事から目を逸らしてはいけない。・・・いま、福島にある原発の危機から眼を背けたとして、原発は、福島にだけあるのではない。東北地方にだけあるのでもない。日本国内だけにあるのではない。まして、隣国の核実験も避けがたい。さらには、今安全な原発も、いつまで安全であるというのか?

『逃げるな!』というのではない。でも・・・逃げればほんとうに安全なのか?

 恐怖感にかられて、ドツボにハマらないように。あなたの命を害する要因は、福島の原発以外にザラにある。それこそ、鉛筆の刺さりどころが悪くて死ぬ人もいれば、飛行機が落ちても、助かる人がいるのである。

 冷静に。そして出来れば霊性に従い、なすべきことをなすように。


 もしくは、あまり無様に心配して見せて、人としての信用を失わないように。

 どうせ逃げるなら静かに。

  

なぜ人は迷うのか?

2010/09/25

 関連:  道標


 目の前にぶら下がったエサに気取られ、己が行いの行き着く先をおそれもせずに。

 欲にかられて、足元も看ずに駆けまわり、気づけば、多くを失い、過去に戻りたくても戻れない。

・・・・・・・

 当たり前のことを大切にしなければ、人は迷わずにはいられない。

 そして、迷う人は、迷いながらも、当たり前のことを大切にしない。

 ・・・・・・・

 失ったものは滅多に返らないというのに、失って初めて価値に気づくようなら、もとより、失うべき運命にあるといえよう。

 大切にもせず、失ったこと、失うかもしれぬことへの恨みつらみ。

 日々を恨みつらみに塗れて、さらに多く失いかけていることに気付かない。

 嘆き、失い、嘆き、失う。・・・不幸の連鎖。

 失ったものよりも、今持っているもの、これから得るものを大切にするなら、この不幸の連鎖から抜け出す糸口が得られそうなものを。

 何を大切にすべきかを知らないから、失うまで大切にしない。

 大切にしないから。真に価値有るものを知らないから。・・・気がつけば、己の価値まで失い、頼る者から軽んじられ、頼った者から重荷に思われて居場所がない。・・・その人生の中でなにを想うのか?

 苦しみ、嘆き、哀しみ、やるせなさから、あれこれと怨む。

 その境遇も、その心境もまた、◯◯の住人そのもので、それゆえに心に光が差さない。

 自ら幕を引けば、強い痛みと共に少しは残るものもあるのに、決断できないからすべてを失う。

 ・・・・・・・

せめてその苦労から、なにを学ぶのか?

失敗を嘆くだけの者は、哀しみしか学ばない。

その問は迷いの表れ

2010/08/16

 東京オフ会のあと、食事をしながらよもやま話をしていて、私はどうも深い森の中に迷い込んだ気がしていた。

「心霊主義では、魂は永遠の修行中なのだから、たとえ間違った行いをしても、魂の向上につながるのですよね。」・・・確かにそういう思想ではある。が、どうもその昔に、同じような話を聞いた記憶がある。

 私は、「何も進んで過ちを犯す必要はないでしょう?」と切り返し、相手はそれにハッとした様子ではあるが、また、同じような論点の話を始める。数カ月前に辛い思いをしたと知っているから気遣ってあまり深く矛盾をつくこともせず、また、他にも参加者がいることでもあって、私はその話にあまり深入りしなかった。

 が、帰宅後、考えて見れば話がおかし過ぎるし、なにより、会話中、深い森をさまよう感覚があったのも暗示的である。 この話を霊たちは相手にしていないのだろう。

 そもそも、『間違いも魂の向上に役立つ』というのは、慰めの時に使う言葉であって、自分の行動を正当化するときに使う言葉ではない。まして、自ら進んで言うなら、巻き込まれた人から見ればいい迷惑、というより、確信犯なら犯罪行為と呼ぶべきだ。

 さらにいうなら、当人にしたところで、過ちでありそうなら、慎重に是非を判断すべきであろう。なにしろ、対人関係のWin-Win関係ならぬ、Lose-Lose関係である。自滅行為どころか、周囲にも被害をもたらす破滅行為である。

 当人にすれば周囲にも眼を配っているつもりが、結局のところ酔っぱらいの千鳥歩きと同様っであろう。・・・なんども同じ話を繰返すのも、深夜の飲み屋の光景に似ていなくもない。

  下手に同情してその時はいえなかったが、帰宅後に確信した。まさにあれこそが「迷い」である。


 迷いといったって、例えば初めてのデートに着ていく服を、赤にするか、青にするか、黄色にするか、という迷いではない。 その迷いの結果、対局を失う・・・当人は、小さなことでも、真面目に悩んでいるのだろうが、小さなことに悩むあまり、大きな問題を見過ごすなら、それは大きな迷いというべきだ。

 洋服選びの結果としてデートに遅れては相手の心象を悪くするだろうし、待たせても構わないというなら、それもまた、人として歩む道が間違っている。または、遅れを取り戻そうと焦って事故のリスクが増えたり、汗をダラダラかいて行ったり、というのが果たして好都合かどうか。

 たとえ小さくても考えるに値はしよう。だが、まずは大局から片付けていくべきであろう。


 本当は何をしたいのか。・・・それとも本当はどう成りたくないのか。

 そりゃなるほど人生の一大事に関する悩みであろう。だけど心霊の問題ではない。

 いやまあ、友人として話を聞かなくもないが、それならばもっと論点を整理すべきだ。それが出来なければ、誰と話しても拗れるだけだろうし、何よりも自分自身で整理が付くまい。・・・それとも整理したくないのか。

 もしもそうなら、その悩み、疲れはてて忘れてしまうまで、解決する機会がなさそうであるし、忘れてしまえば、なおのこと解決しないのではなかろうか。

 迷いというのは、問題が難しいというより、解決が難しい。

祈る相手は絞れ

2010/03/15

だいぶ以前のこと、気難しい老紳士の説に異を唱えて失敗したことがあるのを、ひょんな事で思い出した。

わが師は、祈る相手は絞るべきという。私も同意見なのは、素直な弟子だから、というより、『人によって方法論は異なり、船頭多くして船山のぼる。』……というのを、見聞きしたからである。

ところが老紳士いわく、『神様仏様と呼ばれるような方々なら、よろしく協力して力をあわせて結果を出してくれれば良いのに。』……そりゃそうだ。が。それをいうなら、神様仏様と呼ばれるような方なら、お願いしなくたって、何とかしてくれれば良い。いちいち祈らなければ判らぬ神仏なんて滑稽であろう。

といえば論争は不毛に陥る。だいぶ以前のこととはいえ……まあ私もそれほど成長はしていない。

 

残るのは哀しみだけか。

2010/03/14

2010年3月14日


「誤った努力をする人は、あとに哀しみしか残さない。」……という言葉があるとする。

さて、この人(誤った努力をする人)は、誰の心に哀しみを残すのだろう?

・・・・・・・

 つらいことが長く続けば、人は誰かを恨まずにはいられない。それが例えば自業自得と気づいていても、人は苦しみに耐えるために誰かを恨まずにはいられない。……それが人間だといえば、その通り。だが、誰かを恨んで、それで問題が解決するのか。……気休めに浸りながらも事態はどんどん悪化して行くなら、自傷行為であろうに。

 もしもそれが「仕方の無いこと」であるなら、おそらく、あなたが不幸になるのも仕方の無いことで、さらにいえば、努力をしても無駄なことであろう。

 そうであってはならず。――時として災難に遭うことは、人として生きて避けがたいことかもしれない。だが、自分で自分を苦しめるようなことは、努めて避けるべきであろう。……当然のことだ。

 幸せになろうと努め、いやせめて、不幸になるまいと努力していても……独りではない。家族の中に自傷する人がいれば苦労するし、油断する人がいれば一切の警戒が意味を為さない。

 幸せになるために、努力し、工夫をしたところで、意味をなさぬなら……人はただ不幸になるために生まれてきたというのか。

・・・・・・・

 懸命に生きる。せめて大切に生きることが、つまるところ、家族の義務であり、ひいては社会の義務であるけれど、多くの人は、自分の義務を考えずに、自分の不幸を嘆いている。自分の不幸ばかりを大げさに思い、姑息な事をするから結局、皆の(例えば家族の、さらには社会の)負担が増えて行く。

 世の中、上手く行くのを当たり前に思って、上手く行かずにいる自分の境遇を憐れむ人は少なくないが、注意せずに行うなら、上手くいかないのが当たり前であるのに。どうしてこうも、思慮の薄いひとが多いのだろう。

 ……途中で過ちに気づいた人も、年老いて今更改められず、結局のところ、生まれ変わって来世で正しく、もしくは適切な方法で生きると誓うのみ。……だが死後に財産を持っていけぬように、死後に負債も持ち越せない。結局、地上に苦労だけが残される。 


 誰かの生き方を指して、「悪」と非難したいわけではない。いや、私にその気持が全く無いとはいわないが、ただの非難は無意味であろうと思っている。

 その上で考えるのだ。人が、些細なことと思える過ち、失敗の、または手抜きの結果、その損失額は果たしてどれほどのものだろうと。

 人はもっと自分の人生を大切に生きるべきだと思う。その「大切」とは、嫌なことをせず、楽しいことばかりをしていきるというのではなく、無駄にせぬ、無駄を作らぬ、良いことを為す、ことにあろう。


お知らせBy老神いさお。

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みにみにぶろぐ
  • ・その後悔の帳尻が合う生き方をしているか?
  • ・我が国だけが原子力を全廃しても、隣国が原子力発電を推進すれば、危険性は無くならない。
  • ・生きるとは生むことである。
  • ・いろいろなる不平不満はあるだろう。だが人は歩んでいる。
  • ・与えられる事を当たり前に思っている者が飢える。
  • ・なぜ、争うのだろう? 事態はただ現実への妥協を求めているだけなのに。
  • ・ 見せられると信じたくなる
  • ・豊かな者は足りぬものに気が付かず、知りたる者は、知らざることに気が付かぬ。……
  • ・ 心に不満が生じるのは、あなたが焦っている証。もう少しゆっくりと生きなさい。
  • ・不平不満が生じるから醜いというのではない。不満を溜めたままでいるから醜いというのだ

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