静岡オフ会準備中
2004/05/11東京/横浜オフ会では、単に精神統一し、座談し、食事をして……その後時間があれば、遊びに行ったり、飲みに行く事もありますが……基本的に、一カ所に集まり、その後は出たところ勝負というところで、準備は簡単です。日取りを決めて、会場を確保すればそれで終わります。
ところが、静岡オフ会の準備はとても煩雑です。参加希望者の調整から始まって、宿泊先の確保、車の手配、時間調整の手間も掛かります。また、単にホテルなどの場合、人数の増減によってはキャンセル料がかかる恐れもあります。
まあ、この辺は、強引な主催者が一方的に決めて、料金も事前徴収すれば簡略化できるのですが、なにぶん、知識の詰め込みと技能の習得……とは相反する、自己発見を目的とする会ですから、なるべく自主的、かつ積極的に皆さんにご参加頂かなければなりません。とはいえ、待っていては埒があかないので強引に仕事を割り振る事もあり……
今回は人数の都合もあり、現地でレンタカーを借りる事となりました。そのレンタカーの手配を男性陣に促した時、誰からも声が上がりません。まあ、いろいろ事情があるのでしょう。そこに一人の女性が手を挙げて……言い出したら責任を取れとばかりに、この方にレンタカーの手配係をお願いする事となりました。
で、お願いするに当たり、「野郎共はつかえねえ。」と、まあ私流の軽口が出たわけです。……むろん、別段私には悪意もないし、また、野郎共が、それほど横着というわけでなく、いろいろと事情を持っているのも分かります。いわば必然の結果、出来る方に負担がのし掛かるのは一種の真理ですらあります。……そして、次が本題なのですが、ほんのちょっと、意地悪な霊界の意図もあって――まだ、うちのオフ会の雰囲気を飲み込めていない人から
「ホントに役立たずで申し訳ありません。」と返事が来たのです。
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手間暇かけるに当たって、恐縮してみせるのも日本語の常識といえますね。ある意味、私の「野郎共はつかえねえ。」という言葉は、その中に私も含まれると考えれば、いわば悪いお手本として一種恐縮して見せているわけです。
いや、「役立たずで申し訳ありません。」という言葉には、案外、当人の本音が含まれていたかもしれません。一生懸命尽くしているのだけど、なんか不器用で人から評価されない、とか、努力が裏目に出て仕方がない等という人は大勢いますし、そういう状況を改善しようとして、私のオフ会に飛び込む人も多いものです。……内心で、『あれ、私の言い方もちょっときつかったなあ……』と思った瞬間、こう聞こえたのです。
『(この者は)出来ん男じゃないが、うまく行かぬ男だ。つまり間が悪い。間が悪いのはコミュニケーションが下手という事でもある。ここで自分を卑下するよりも、相手を持ち上げてお願いするのも大事と気がつけば、無理に自分を変えようとしなくても相応、人から評価されるのにな。
自分がやらなきゃ、という気持ちに追われるのではなく、「助けてくれてありがとう」という気持ちが、大事である事に気がつかなければならん。
そう、ただ、「ありがとう」といえたならもっと楽に生きられるのだ。』
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謙遜したのに小言の種にされたのでは、全く、付き合いにくいと思われるかもしれません。思えば他にも、謝り方が悪いといつも叱られる人が何人かいます。この問題についてはもう少し掘り下げたいと常々思っていましたが、忙しいと表面的な問題解決に終始してきました。 また、私も世間一般に対しては、必要以上に謙遜してみせるかもしれません。ただ霊媒としての発言に限り、また、当サイトでの対話に限って、私が心掛けているのは、必要充分な訂正であって、おもねりや狡猾さを必要とする謝罪(霊媒から見れば反吐の出るような想念)ではないという事です。
なんと言えば分かってもらえるでしょう?
世の人々が、何かにつけて謝罪を求める事は重々理解しています。訂正だけでは気が収まらず、体内のアドレナリンが消費され尽くすまで、相手に卑屈な謝罪を求める輩のなんと多い事でしょう。反対に、謝罪すれば訂正しなくても良いと考える盗人常習犯的な輩も多い。私は、今よりも良い明日を迎えるための努力に意義は感じますが、世間一般で謝罪と呼ばれているのは、一種の駆け引きであったり、詐欺や騙しあいであったりと、不可思議な人間ゲームに見えるのです。
何よりも腐敗臭が漂うのは、親が子を叱る態度です。「やめないと、あのおじさんに叱られるわよ」と責任転嫁してみたり、「そんな事をするとお母さん悲しい」と、利益誘導してみたり。そういうしかり方では、親が子の「非を正す」のではなく、「要領の良さ」を仕込んでいるように見えてしまう。意図しないまでもそう仕込んで、それ以後、子供にだまされている親も多いことでしょう……少年犯罪の増加にそう思います。
訂正する事をおろそかにして、ストレスの発散と、立場の取り繕い、上下関係の確認作業といった事ばかりが優先されていく世の中。変であるとは誰もが感じているのに、その本質に気がつく人がどれだけいるのでしょうか。こういう集団は、動物の群れと比較すべき低劣な集団なのです。(こういう魂の集まりは群霊と呼ぶ。低級霊の集団を指す言葉です。)
そして、このような集団における弱者とは、養護すべき仲間ではなく、ただ自分の順位を保つための道具なのです。……群れの構成員は自分が最下層に置かれるのをいやがるものだから。 一方、共通の目的を達成するために、それぞれが自分の得意とする働きをし、互いの弱点を補い合って共に前進する、そういう性質の集団もあります。(心霊用語では霊団と呼ぶ、構成員は一定以上の霊格を必要とする。)
……謝罪の仕方、挨拶の方法一つとっても、あまりに卑屈な態度は、私には群霊的なあり方を感じて仕方がありません。それは、私から注意された人々が、まさに群霊レベルの低級な魂の持ち主であるというより、群霊的な集団に属した経験しかない事を意味するのだと思うのです。
私が心掛けている、コミュニティーは霊団的なものです。
出来る事は自ら申し出て、力不足を感じたら協力を求め、出来ない事は他の人に頼る。その時は何も出来なくても、いつか必要とされる時がくるだろうし、参加して間もなければ手の出し方も分からぬでしょうが、馴れるのも手伝いの内です。……各自がそう努められる集団こそ、私の魂が所属できるものだと思うのです。
しかし、地上の中にあって、人は複数の集団に属さなければなりません。中には群霊的なあり方の変えようのないものもあり、こらえて所属することも避けらません。しかし、努力して変えられるものは変えていくべきですし、生活上の必然のない集団……心霊主義者同士の集まりに、わざわざ群霊的な要素を持ち込む必要もないはずです。
群霊的な態度を見たら、霊団的な心得を伝えればいいのに、表面的な注意に終始する。私の指導力にも問題はあるでしょうが……と、私も日々、学習していくのです。
2004-05-11