霊査事例: 2010年12月5日(アフターケア)
2010/12/06
以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。
ここのところ常に使っている言い訳だが・・・「とても忙しい。」
実のところ、私は本年初頭まで、社会人としては異常な自由時間を持っていた・・・通勤時間は片道30分足らずで、定時に問題なく帰宅できたし、親は略、放っておいても大丈夫だった。・・・ところが、雇用主は変わっていないのに、サービス残業当たり前の昨今。
すっかり更新はご無沙汰になってしまった。・・・が、事態は待ってくれないし、放置すれば拗れもする。
というわけで、霊的残務整理。
事例1
世間では、いまだに、「パワースポット」ネタは価値を失っていないようだ。一方、私はネット上で、パワースポットを取り扱わない。・・・そもそも、相性がある、誰が底に行っても良い影響を受けるとは思わぬからだ。
(それは相性、つまり、Aさんはここ向き、Bさんはあそこ向き・・・というより、「Aさんは放っておいても運はいいです。Bさんは何をやっても運が悪くなります。」・・・つまりは、もっと自分を信じて冒険してみるべき人と、黙々と努力すべき人の大雑把に二種類の人がいるというべきか。)
とはいえ、オフ会などでは、結構、こういうミーハーな話題も口にする。そんなこんなで、11月の東京オフ会でも、「えーっとあれ、私が紹介して行った人がみな絶賛するあそこの・・・」・・・どうしても名前が出ない。(今はちゃんと思い出せる。あのHORIKOSHIね。)
ちなみに、上記、絶賛者は皆、私の元相談者なので、おベッカや偽薬効果の恐れもあるが、たとえ気休めにせよ、それなりに効果が出ているらしいので「アリ」とする。
で、東京(アフター)オフ会では、どうしても思い出せなかったので、「あとでメールします。」と、いっておきながら、もうそろそろひと月が経つ。 別に忘れていたわけじゃ・・・はい。忘れていました。そんなこんなが突然今日、車で信号待ち中にその時の光景が脳裏に現れ、『お前(質問者)には、その前に行くべき場所があるだろう。』といわれて、思い出した。
結局あの時、思い出せなかったのは、『みだりに言うな』ということだったのだろう。
では、どこに行けというのか。・・・あなたのご先祖(おそらくはあなたの配偶者の)と縁のある場所、なのだろう。
事例2
以前の東京オフ会の参加者に、霊査を一々否定されたことがある。先日、その方とお会いしたときに、その事で謝罪を受けた。・・・「あの時は気づかなかったけど、思い当たるところがあった。」というのである。強いていえば、かつて私がいった時にはまだ、認めたくない、避けたかった事柄であったようだ。
人間、嫌なのに避けがたい事柄は、他人には不思議に思えるような解釈で、自分と折り合いを付けていたりする。・・・とくに、子供時分には。
しかし、「他人には不思議に思える」ということは、他人から見て、「痛い」部分が、自分自身にある、ということなのだ。
とはいえ、少なからず、誰にでもあることなので、別段恥じることではない。というより、恥じていると解消が遅れる。さらにいえば、死を目前にする年齢となっても自認出来ない人のほうが多そうである。
つまるところ・・・
あなたは何に追い詰められているのか?
ちょっと嫌なことがあると、身体を壊してしまうあなたは、
いったい心中に何を潜めているのか・・・
と、いうことなのだが、それを直接いえば、相手を追い詰めてしまうのだろう・・・・
事例3
やる気はあるのに、、イザとなると体調を崩す人がいる。 いじわるな表現をするなら、「仮病体質」だ。
当人もそれに気づいているみたいで、私が「頑張らなくてもいいじゃないですか」とメールすると、落ち着くらしいが・・・しばらくするとまた同じことをやる。
当人は、「なんで私はやり過ぎるのか・・・」と、その都度、反省してもいるのだろうが、私は思う。個々の失敗よりも、なんども同じ様な失敗を繰り返すこと・・・繰り返すことこそが真の障害であり、その原因究明こそが解決の糸口である。とはいえ、その克服は困難である、というより、当人が自ら見たくなく、また、認めたくなくて、無意識に問題をすり替えてしまっている結果なのであろう。・・・当事者が嫌がっていたら解決するものも解決しない。たとえどんなに簡単な問題でも、触れなければ解決しようがない。
この場合、さらに困ったことがある。嫌なら嫌でも、のんびりした人ならば、それこそ、風化して解決することもあるが、仮病体質の人は、往々、当人も気付かぬほど頑張り屋で・・・結果を出したことが少ない、もしくは全然無い、または、あっても記憶にないので、結果を出すことにコンプレックスを抱いているらしく、無理に努力する。無理な努力とは何か、というと、つまり、「過ぎたるは及ばざるが如し」を実践する、ということだ。しかも、無駄に頑張ってうまくいかないと、次はもっと努力しようとする。
足りないのは努力ではなく、器用さなのだが・・・いや世間では、例えば児童教育をするのに、器用さよりも無駄な努力を尊んではいないだろうか? 要領の良い人を捕まえて、悪党呼ばわりしていないか? ・・・もしかすると、学校時代に良い子でありすぎた結果かもしれないが。
アキレスは亀に追いつけない、という。つまり、いくら足が早くても、亀のいた場所にたどり着いた時には、亀は前に進んでいるから・・・理屈はともかく実践上はナンセンスな話である。人が何かを追いかけるとき、追いかけるのは「それが居た場所」ではなく、「それ」なのだから。
つまり、まあ、克服困難な問題を抱えているのだろうことは分かる。
でもそれはそれとして、1,自分は努力家(ただし過剰に)であることを自覚する。間違っても「過剰」という文字を取り外さないこと。そして、2,追いかける対象を間違わないこと。である。