皆で幸せになろうよ
2011/03/24ちょっと、時期を失した感もあるが、静岡オフ会でのこと。スケジュールの都合もあって、全員いっぺんに精神統一できなかったが、乞われて一人の霊査をとった。
『我が身のことを思って、人を助ける。上手に助けられないからといって、相手を恨んだりせぬように。』・・・自分を犠牲にしてまで、誰かを助けようとすれば、報いられないと痛みが生じます。するとつまり、相手の為を思うつもりでいて、実は、自分の利害に振り回されることになります。(あえて書くと)弱者から、金品を奪わぬ代わりに、無形の何かをせびっているなら、それはやはり、利己的行為といえましょう。
仙台で、被災した方からの、「平穏無事な日常生活のありがたさがわかった」とのメールを読んでいるときに、霊信を受けた。ところがいささかキツイ内容なので、それを先方に伝えることにしばらく躊躇した。・・・まあ、背後たちは、よほど相手を信用しているようなので、思い切って相手に伝えることにした。
意地悪なようだけど、とてもとても大切な事で、しかも、とてもとても良い機会だから、我慢して以下を読んでください。
- 何も考えずに上手く行くことなど、本来、有難(あるのがむずかしい)事なのです。それを古来日本人は、「有難(ありがたい)」と表現します。 あなたは、平穏な生活のあることに、感謝することの出来る人です。でも、どれほど有難いか、その事を思ってください。
- 現実でなければ良い、と思えるのは、恵まれている、または、誰かがやってくれる、と信じているからです。つまり、あなたの心には重大な甘えがあり、それは、今生だけでは拭いきれないでしょう。良し悪しの話ではありません。そこにあなたの課題がある、ということです。とはいえ、今慌てる話でもありません。
- 辛いのは、楽しんでいないからです。・・・当たり前ですが。 でも、人類が、「万物の霊長」などと、威張るのは、数々の危機を克服したからです。そして、克服するなら、楽しむほうが良いのです。工夫することはとても楽しいし、それで誰かの命が救われ、また、生活が向上するなら、それほど有難い事はないはず。長く、苦しいのは、工夫していないからです。いえ、(バカにするのではなく)あなたは、素直で良い子だから、逆境を楽しむ、他者の苦しみを命の糧とすることが苦手なのですよね。
- 被災者のために祈ることは良いことです。でも、災難に苦しむ人は世界中にいるのに、身近な人の無事だけを祈るのでは、いささか視野が狭いでしょう。
とくに、これは言っちゃいけないな、と我ながら思うのは、「それは、今生だけでは拭いきれないでしょう。」という部分だ。霊媒が来世をいえば、相談者を不安に追い込みかねない。(・・・金品とかは要求してませんよ) が、あえてこの表現はそのまま使った。
そして、災難に苦しむ人は世界中にいる。・・・この人はやさしい人だからこそ、手の届かぬ不幸から眼を背けてしまったのだろう。
その気持は私にも判る。でも、血を見るのが嫌だから、といって、(例えば)血だらけのケガ人を放置して良いはずもない。
人の好意を受けて、「幸せだな」と思えたなら、ひとつ、人を幸せにする方法を学んだ、ということだし、
自分が、怖い、嫌だ、と思うことがあれば、ひとつ、人を守る方法を学んだ、ということのはず。
すぐに、すべてを幸福に変えられないのは、人である以上、仕方がない。でも、人である以上、少しは何かを変えられるのではないか?
自分の幸せを忘れて、人のために働け、というのではない。むしろもっと、利己的な方法の誘惑である。
人の不幸から眼を背ければ、人生に死角が出来、災難は知恵ある如くそこを攻めて来る。たとえ見るのが辛くても、人の不幸に関心を払っていれば、自分を守る助けになるのだ。
・・・誰かを幸せにせよ、というのではなく、皆で幸せになろうよ、と私はいう。