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心霊体の食い違い

2010/03/06

還元水

 私事、母が脳梗塞で入院中である。幸い倒れる前に病院に行くことが出来て、症状は軽く、いまでは上げ膳据え膳の病院生活を楽しんでいる節さえある(私は振り回されて大変であるが)。どうも神様は、私になかなか楽な道を歩ませてくれないが、最悪な事態だけはギリギリ避けてくださっているようだ。 ……まあそれも、実は長く苦しめるためにやっていることではないか、と疑心暗鬼になりそうなレベルで、であるが、状況に振り回されて自分の霊格を貶めぬことが大切なのは常に自戒するところである。

・・・・・・・

 さて、もう少し説明する。

 事情により一人暮らししている母が、朝起きたとき腰が立たない、と感じて知人の整体師を呼んだ。が、母のろれつの回っていないのを見た整体師が、気がついて病院に連れていってくれたとのこと。

 ありがたい話である。……人によっては「私が治してやる!!」と意気込んだ挙句に、症状を拗らせたり、手遅れにさせたりという話を聞くだけに、良識的な対応をしてくれたこの整体師に感謝せずにはいられない。……が。

 田舎から出てきた伯母とともに見舞いに行ったとき、たまたま、この整体師も見舞いに来てくれた。そしてペットボトルに詰めた「還元水(水素水?)」を母に勧め、おそらくは伯母たちに聞かせたかったのであろうが……

「血液がサラサラになるからいっぱい飲みなさい、血栓がみるみる溶けて行くんだから。」という。 ヘェーっと感心して、なんだか伯母もその気になっている。

『……でもその水、あなたに勧められて、母は脳梗塞で入院する前から毎日飲んでいたんですが。』とは、我が心の声である。

・・・・・・・

 別にこの整体師が悪意の所有者であるとか、母を騙そうとしているなどとは思わないが、健康機器の販売会社に騙されているのでは……と思いつつ、でもそれを指摘するのは慎重でなくては、と自分を戒めている。

 なにしろ、生活の糧を得る根幹部分であろうから。

癒しの原因は?

 まあ、私は整体などにかからぬから、これまた母を通じて得た体験であるが、ある評判の整体師が、より良い治療を目指して機械をいろいろ導入したところ、客(患者)が減ったとか……これまた当の整体家にはなかなか言えない事ではあるが、果たして、今までの治療器具・治療法に効果があって客の評判が良かったのか、それとも、誰かに心配されること、誰かに思われること、もしくは実際に手でカラダに触れて、いたわられることが嬉しくて、健康(というより元気)を取り戻していったのか……つまり機械が良かったのか、人(整体師)が良かったのか、果たしてどちらであろうか?  

…… うちの母の場合、料金が高くて通い切れなくなったらしいが。

 え? 整体師ばかりが悪いのかって? そりゃそうだ、だいたい心霊相談だって、愚痴の聞き役がいるから悩みが解決した、という面が少なくないのも確か。それじゃちっとも心霊研究の役に立たないわけで……

健康機器

 何人もの整体師と知り合いになるぐらいだから、母も所得相応(おそらくは所得以上)に健康機器や健康食品に関心を示すが、果たしてその効果の程は、還元水の話題だけでも知れようものだ。まあ、その散財のおかげで今もまあ、なんとかほどほどに……つまりは寝たきりにならない程度に元気にいられるのかもしれないが。

 とはいえ、私が忙しくて顔も出せないような時程、IP電話と契約したりと、事件を起こすのだけは本当に困る。まるで、子どもが親の気を引くためにグズるのに似ている。自覚が無いだけに治る見込みも無い。そういえば、良く同じ時期に揉め事を起こす相談者もいたっけ。

 ところで母の入院直後、師匠の出迎えに姉弟子等と集まったのだが、母より年下の参加者は私だけなのに、みな元気なんだよね。さすがにほとんど皆、食が細くなって、せっかくの「うな重」を大半の人が残していたけれど。 ……まあ、時代はエコだし、仮に地球温暖化がデマであっても、異常気象と人口増大で食糧難が起こりそうなのは確かだし。……適応?

 まあ、血統よりも霊統の方が親しみを感じてしまうのは決して家庭環境だけの問題ではないと思うが。……これ、重大な話題だけど関心を持つ人がどれだけいるだろう?

 

 下世話な追記

 読み返して表現に難があったのを直したついでに、少々下世話な追記を行う。

 昨年冬の大阪オフ会でも話題になったが、Twitter の人気でも判るとおり、人々は誰かに繋がっていないのだろうと思う。

 繋がっていたい……露骨にいえば「寂しい」ともいえようが……それは決して子どもっぽい感情でも恥ずかしいものでもないはずで、そもそも、人の目を気にするからこそ、人はなおのこと善良に生きようとするのと同様、他者の視点を気にしないというのは立派というより、むしろその人がいかなる道徳性を身につけているのか、気になるところである。……寂しくないと言いながらも、支配欲が強い人のなんと多いことか。

 実のところ、「寂しい」と素直に言える人の方が、姑息なことをしない分だけ、まだ、救われていると思える。

 それゆえに、老いれば人は尚の事、人との繋がりに大きな価値を見いだすように私には見える。

 若い頃には、世話を焼かれることが迷惑に感じて、反抗したりもするのに。……でも、寂しいと素直に言えない人が……もしくは、寂しいというべき相手のいない人は、 一体その思いをどこに向けるのだろう?

 医師や看護師……いたわってくれる相手に老人が群がるのは、若者(?)が、Twitterや携帯サイトに群がるのとどう違うのだろう?

 繰り返すが、寂しいと思うのは恥ずかしいことではなく、むしろ当たり前のことだ、と私も思う。だが、その表現方法、寂しさを癒す方法の中には、いささか恥ずかしい、いや、それどころか極めて悪しき方法があると私は思う。

 とはいえ、問題は、善し悪しではない。……あなたは良い家族、良い友人を持っているか? それこそが大切だと思う。残念ながら家族は選べないが、友人は選ばねばならぬのである。あなたは良い友人を持っているか?……あなたが良いと思う友人の有無をいうのではない。あなたの運命を好転させる友人を持っているのか、というのである。

 

 

霊査事例: 静岡オフ会(2010年2月13・14日)

2010/02/15

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


2月13日

事例1

  • 『早もう刻の開ける時。急がず、立ち止まらず、前に進む。思いは必ず形になる。』……最初のフレーズは私には意味が良くわかりませんが。まあ順調ということでしょうか。

 

事例2

  • 『・・・その思い無駄にせず。修行を進めよ。』……例えば霊査で「良い」と出たとしても、じつは試行錯誤をしていることを指して、良い、と言われているのかもしれません。でも、それが人が歩むべき必然の道なのでしょう。

2月13日

事例1

  • 他人の子をあやしている姿を指して……『求められているのは、まあ、そういう仕事だ。』……べつに難しいことを要求されているのではないのですね。

事例2

  • 『自分という、一山の主(たれ)』

事例3

  • 『良く生きることを楽しみなさい。その中に修行があります。』……修行というと、苦しいことをすることのように誤解されがちです。でも、目的とするのは善良に生き、悪事は働かぬこと。そうであれば、苦行など不要のはずです。
  • 営業に行く際には……『意気込みすぎです。深呼吸してから顧客を訪ねましょう。』

事例4

  • 『目的を誤らぬことです。過ぎれば必ず我が身に返ります。』……大変であるとか、簡単であるとかで物事を判断しないように。結果として苦労するのでは決して近道とはいえません。

事例5

  • 『せめて顔はおだやかに。』……子育てが大変なのはわかりますが。

Q 「精神統一行の良さとは何か?」

A 『心の落ち着きなかりせば、その味わいはわからず。飢えたるものが好みしものを(普通の)人はもとめず。……くどい。』

霊査事例: 2010年2月6日

2010/02/07

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


霊査事例1 

  • 『梅花は散りて果を残す。人も死を恐れずに結果の残せないことを恐れなさい。』
  • (比喩ですが)『お腹の掃除、汚物を出し切るまでは格好をつけても仕方がない。』……心の汚物、といっても別段、あなたが悪い考えの持ち主、という意味ではありません。でも、世の中必ずしも綺麗事ばかりではありませんし、作用反作用で必然的に汚れをもらうこともあります。さらに深い意味があるのですが、それは後日。
  • あなたの守護霊様が、『華梅』 と名乗られました。前世の名前というのではなく、あなたとの間で使うための名前とのことです。
  • 『一輪の花、一本の(線)香、正座し自分と向き合う。嫌いな人は自分の弱点の象徴です。』
  • 『腹で考え、腹を鍛え、腹を括る。(腹は)肝心要、まよったら自分の腹に聞け。』……あなたの精神統一のコツですね。

霊査事例2

  • 『一意専念に神宿る』……仕事を始める前に、まず、神仏に祈ることです。自分の力だけを頼みにするのではなく、神仏と力をあわせて仕事をするのです。
  • 『(人の苦しみを自分の)体重で受け止めないで、気持ちで受け止めることです。』……人の悩みを聞いている人の体重が増えて行くのはワリと良く聞く話ですが、「気持ちで受け止める」というのはなかなか解釈が難しい話で、むしろ逆に考えるとわかりやすいでしょう。同情心で人の悩みを聞くことが、自分のストレスになるのだとしたら、その気持には何処か無理があるということです。受け止め損なっているのですね。
  • 『結構です』……よい統一をなさっています。
  • 『素直に上手に生きよ。』……あなたは本来素直な人だと思いますが、それが裏目に出て気持ちが萎縮しているのだと感じます。上手に生きましょう。
  • 『知らぬことを学ぶのではなく、知っていることを思い出すために学ぶ。内から出るものは強い。』……特別な教えなどないのです。あるのは当たり前のことを当たり前に出来る実践力。覚えようという圧力に負けぬことです。

霊査事例3

  • 『頭に上る』……エネルギーが頭に上る、とはつまり、雑念・妄想が激しくなるの意味です。
  • 『目標を見失っていらっしゃいます。(挫折する前に)早めに行動することです。』……回るコマは立っているのに、止まったコマは転がる。雑念が湧きやすいのは目標を持たぬからです。
  • 『自信のなさがすべての原因。』……無駄な自己反省が多くありませんか?
  • 『よし行け、大丈夫。』……覚悟を決めて進むことです。後はついてきます。

霊査事例4

  • 『思えば当てが外れる、ただ専心専念、眼前のことを行う。』……こうしろ、というよりも現状追認ですね。
  • 『考えてどうにかなる問題じゃないし……』
  • 『稲を育てるのは大変であるが、実りは多い。楽しめ。』……子育てのことですね。いろいろと不自由はありましょうが、長い目で考えましょう。

霊査事例5

  • お気づきでしょうが……『流されながらも結果は出しています。ただ、それは貯金(ゆとり)に乏しいということです。』
  • 塩分を取りすぎではありませんか。ものすごく具合が悪そうですね。……理由は思い当たらないとのこと。
  • 『(その疲労は)忙しかった時のリバウンドである、休むのが下手だ。』
  • 『腹を括れ。前途洋洋なり。』……これ、質問なかったけど? 今ある問題に突き進め、ということなのか、近日、大事件が起こるのか、どちらでしょう?

霊査事例6 

  • 『感ずるままに行うならば、体調の悪い時には良い思いが湧かない。……理の大切さである。』……これも現状追認だと思います。悪感情に流されずに、でも温情を忘れずに良くやっていらっしゃる、という意味でしょうか。
  • 『家を忘れたら修羅になる。人を助けるなら今の苦しみを取り除くだけでなく、あるべき姿に行くように助ける。』……ここで「家」というのは、帰るべき場所、あるべき立ち位置、の意味です。ぶちゃけいうなら、腹をたてるなら、壊すためではなく、守るためだよ、その目的を忘れてはいけない、ということでしょうか。あなたの持っていらっしゃる行動力が、善の中に留まりますように。
  • 『チャンスには応じてから考えなさい。』……考えすぎてチャンスを逃さぬように。
  • 『なるようになる、道は用意されている。』……頑張ってください。

新作。霊査事例: 2010年1月9日(東京)

2010/01/10

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


事例1

  • (あなたが)涙を流している姿が見え、それからお祖母様でしょうか? 老齢の女性が見えました。悲しんでいらっしゃるのでしょうか。その一方で、金色の龍があなたを取り囲み、『我が守る』と言っています。
  • 先程の龍ですが、『植白の龍(瀧)なり』と名乗られました。ただ、「龍」というのにサンズイをつけて見せられたので、どこかの瀧の守り神かと思うのですが。
  • この龍いわく、『守りたる我ら、喜び満ちて。』・・・あなたのことを誇りに思っているようです。多くの人が悩みから心霊の道に入ることが多いのに、あなたは信仰への関心から心霊の道に入ったことが誇らしい、というようです。
  • 『無理せず、自ずと行くようにせよ、己を生かすように生きよ。』・・・あなたは割と、思いが叶う方だと思います。上手くいかないのは不自然な願い事だからでしょう。自然に、なるようになるような生き方を心がけましょう。
  • Q 「私が祖母を悲しませているのでしょうか?」
    A 「いえ、あなたが泣いていると感じました。なるほど話がつながりました。あなたがご家族の心配をしなくても、家の守り神に任せておけば良いよ、というのが最初の霊査ですね。」
  • 『青空はどこまでも続いていますが、大きく見上げるために、しっかりと地に足をつけましょう。これは神を敬うものは、親、祖先を大切にせよ、との意味です。あなたは、神仏祖先を大切にしています。つまり、物事を正しく見る準備が出来ていること、という意味です。直感を信じましょう。』


事例2

  • 数人の男性が、杵を持って地面を突き固めている姿が見えます。『地盤固めをしている』と聞こえました。
  • 頭でっかちになっていらっしゃいます。 (精神統一の重心が高い)
  • もっとおへその下に気を集めましょう。『頭で考えるから騙されます。腹をくくることです。』と聞こえました。
  • 『心配性は体質(遺伝)、でもあなたは強く、明るく生きて(不安に負けず)、すばらしい。』・・・境遇に流されない強さは大切ですよね。
  • 『お前についている神は、泥臭い神ではあるが、お前がつまずき、転んだ時でもつかず離れずいる神だ。事故を憎んでも神を憎まず、一歩一歩進んでいこうぞ。』
  • 『人を信じることは、人を生かすことぞ。』・・・あなたがご存知のことですが。

 

事例3

  • きれいに統一なさっていますが『自意識過剰』と聞こえました。
  • 『理解と信じることは別物』・・・あなたはその違いを理解なさっています。
  • 『素直に見(省)ればなかなか良い。もっと自分を認めて。』
  • 『雑然と思えば、自ずと道険し。』・・・自分の行く道はきちんと望画することです。堂々と行く気であれば大道にぶつかりましょうが、適当に思えば小道にはまり込みます。
  • 『大きな宝を与えらずとも、大きな悩みは貰わない。それで良いではないか?』・・・十分幸せですよね。
  • 『ホワイトボード(黒板)を消すように、嫌な思い出も消せれば良いが、そう出来ぬのが人の有り様(仕組み)。良い思い出で上書きしようとするから、(嫌な思い出が)時々は強く表に出ます。他の罪を許すように、未熟な自分を許すのです。(そして)未熟な自分を許すように、他の罪を許すのです。そうして精算した後に真の自由が得られます。』・・・あなたは嫌な思い出から逃げようとして、失敗している人かもしれませんね。

 

事例4

  • これは上辺だけの評価ですが『好き嫌いしない!!』とのことです。あなたにはそれなりに理由のあることでしょうが、それについては、『原のくくり方が大切。焦っても辛いのは自分だ。』とのことです。
  • 『願いは叶う。忘れるべからず。』・・・時間がかかるよ、というのでしょうか。
  • 『頭でなく、腹で当たれとは、つまり、直感を生かせと言うことだ。(その仕事を)手伝いたい霊がいるのに、好き嫌いの念が邪魔をする。』・・・背後霊とに二人三脚。自分だけの仕事ではありませんからね。
  • 『霊感の鋭い者ほど、想念の恐ろしさ、とくに悪想念の害を知るものです。自分の思いを吹きにして、物事を変えようとしてはいけません。無理を通せば歪が生じるのです。』

 

事例5

  • 『楽天的なのは良いけれど、現実を見て萎縮するな。』・・・小声で『世間知らずだから』とも聞こえました。
  • 他の参加者に守護神を名乗る霊がいたのを受け、なぜ守護神が表に出られないかについて・・・『祖先が悪いわけではないが、実力と加護とを取り違えて、神が表に出られない。』・・・神様が手助けする前に、ご先祖様(近親)が、わっと手をだすのです。
  • 親族の話題から『家の恥、との自覚するが故に意固地になる。「どうでも良い、当たり前で良い」、それがなかなか伝わらぬ。』・・・ご先祖様も手を焼いているようですが一方、『人と同じではなくてもまあ、良い人生を生きるだろう』とのことです。
  • 『(善悪を)思わず、許すことです。「許す」というのは、理屈(帰結)でなくて、納得・受け入れる懐の広さなのです。故に、頭で考えるな、と教えます。受け入れ可能かどうか、あなたは腹で考えなければなりません。』 正いかどうかよりも、あなたがそれを許せるかどうか、その懐・人としての器の大きさを育てましょう。

 

事例6

  • 『悟れぬ自分から目を逸らすな。悩むのも想定内だ。』・・・足踏している気がしているかも知れませんが、それも含めてスケジュール内に収まっているようです。
  • 『なまじ知りたる知識を楯に、工夫を忘れて寂しがる。』・・・霊感(インスピレーション)は、知識、たとえば読んだことのない本の内容を教えてくれるようなことはありません。ただ、工夫・考案の手助けをしてくれるのです。知識から離れて工夫・考案、もしくは公案しなければインスピレーションが働かず、それゆえに心さびしく感じることでしょう。
  • 『しゃきっとせんか!!』・・・精神統一中の姿勢について。
  • 『肥桶に落ちるものがあるとしても悪人とは限らない。頭から香水を浴びた人がいても善人とは限らない。臭い人になるな。』・・・染まらないことが大切です。
  • 『良く見よ。真の謎は足下に散らばっているのに、お前は絵に描いたような謎ばかり解きたがる。取り組むべきは己の弱さ。その克服のために仏の教えがあるのに。』

東京オフ会 12月20日

2009/12/20

事例1

  • 『心身一如、何事か、ならざらん。』・・・身体を鍛えることは大いに結構です。
  • もうすこし軽々とした気持ちで精神統一なさってください。
  • 『この己はどこの己か?』・・・自分をもっと客観的に見えるような立ち位置につくことです。
  • 『走っても辿り着けない彼岸かな。立ち止まることを知るためにも、走れ、走れ!』・・・沈思が必要としても、その静けさは、走り疲れてみないとわからないものかもしれません。
  • 『世の中、回りまわって出会った物を、自分のものと誤解しています。』・・・天からの預かり物、なんです。
  • 『あなたがそこにいることにも意味があります。疎かにしないこと。意味(真理探究)を疎かにすることは自分の人生を疎かにすることで、ひいては自分を卑しめることです。自分を大切にするとは、つまり、自分を取り巻くものの意味を大切にするということなのです。』・・・来年への注意点です。

事例2

  • 飲みすぎ、食べ過ぎにご注意を。
  • 『夢を見るのも結構だが、寝言は寝て言え!』・・・リスクを勘定に入れ忘れていませんか?
  • 『働きなさい。忘れた頃に投資は実ります。』
  • 『我が子等を思う時あり冬休み、荒田の成長に見合った、心を育てましょう。』
  • 『世のために働かずして、世の中に養われず。たがために働くのか、未だ知らず。』
  • 『金持ち喧嘩せず。』・・・お父さんは大変ね、だそうです。・・・来年への注意点です。

 

事例3

  • 思うほどには儲かりません。・・・『苦労も修行のうち。』
  • 『必要以上を求めると重荷になるのが人の常です。』・・・仕事も子育ても。
  • 『わが子を人と比べるな。用は足りる。』・・・十分ではありませんか。
  • 『(二者択一の)どの道を選ぶにしても、流されがちな恐れあり、手を抜くから水が漏れ、水が漏れるから手一杯。すなわち、何が大切なのか、仕分けることが大切です。』・・・来年への注意点です。

事例4

  • 『夢は実現す。ただ、足元に注意を。』・・・願いが叶う、ではなく、夢は実現する、です。霊たちの助けが無くても形になる、とのことです。
  • 『誇りを持って日々(人々と)を過ごす。なんと幸せなことか。往々、誇りを得るために人々は日常を過ごすのに。』
  • 『あなたが人に与えているのは誇り、なのです。(それゆえ、あなたは)誇りの何たるかを学ぶ必要があります。』
  • もっとリラックスして。
  • 『楽な話題に走らずに、必要な事を成しましょう。』
  • 『他者の評価に頼ると、指導(霊)を失います。』
  • 『日々あれこれと、出会う日常はあなたにとって辛いものでも、必要があってのことだから、手を抜かない。(義務に)追いつけば楽になります。』・・・来年への注意点です。

霊査事例: 2009年11月29日 (大阪オフ会)

2009/11/30

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


事例1

  • ご家族が心配で参加されましたね。
  • 『いろいろな人生があり、あなたの人生もいまだ終わらず、これからも色々ありますが、出来る時には楽しむことも心がけましょう。』
  • (良いことなんてあるものか、と思っていらっしゃるようですが。)『あきらめず、楽しむことです。』・・・さすがに宝くじが当たってウハウハ、という意味ではなさそうですが、面倒がらずに遊びに出かけることも大切ですよ。
  • 『お年寄りにも親切で、誠実な人ですね。』・・・仕事ぶりを褒める声でした。

事例2

  • (精神統一中に)ご自分を取り繕う必要はありません。(もっと無心に!)
  • だいぶ、上手に精神統一されていますが、まだ頭に意識が集中しています。お腹に気を集めましょう。
  • (霊感というのは)『言葉に出来ないメッセージも多いものです。』・・・何を言わんとするかは判らなくても、気持ちが感じられませんでしたか?
  • 『メッセージを貰うよりも、その気分に浸ることを楽しみましょう。あなたは繋がっています。大切に思っていますよ。』

事例3

  • 「人の期待が重い」様ですが、50パーセント程度応えていれば良さそうです。
  • 『(あれこれと)心配するよりも、為すべきことを無心に為しなさい。道は必ず開けています。』・・・あなたの進む道は行き止まりではない、とのことです。また、あれこれと事前に準備しなくても臨機応変に対処できる器量をお持ちなのですから、心配はほどほどに致しましょう。
  • 樹形図・系統図的な映像を見せられて、『つながっているなぁ~~~』と、ちょっと間延びした感じで聞こえました。祖先があって、あなたがあり、子供、孫、と、いう具合に子孫が増えていく、との事です。
  • 『皆、どうして良いかが分からずにいます。あなたには信じるものがあり、信念もある。それはとても幸せなことです。』

事例4

  • 『枯れ枝の掃除は大変だが、生きた木であれば抜くのが大変。』・・・事の終わった後の感情整理と違い、現在進行中の問題は取り扱いに注意が必要です。
  • 『花咲くや・・・』伝々、と歌声が聞こえた後、『思うようになさい、あなたはまだ、枝葉を伸ばす時機ですから。』と聞こえました。・・・いろいろなことに挑戦してみてください。
  • 『家が治まっているから(あなたは)いろいろなことも出来ます。あなたは幸せですね。』
  • 『問う、質問することで、あなたの理解が深まります。(質問を恐れない)あなたはよい資質をお持ちです。』

事例5

  • 『詫びるより、感謝の気持ちが良く通じる』・・・先祖供養として、仏壇やお墓に金をかけるよりも、常日頃から、ありがとう、おかげさまで・・・という気持ちを持つほうが大切です。
  • 船頭多くして船山を登る、といいますが、あなたの背後は少々、意見が多いようです。ですが、あなたは信念のある人ですね。
  • 『意志は強いが我を張るわけでなく、それ故、他に頼られる人です。』
  • 『人の心配も程々に・・・』・・・いろいろな霊が集まってくるのは、人の悩み事に真剣につきあっているから、では? あなたと波動の合う霊ではない(影響力が弱い)様ですから、それほど気にする必要はありませんが、ありがたいものでもありません。

事例6

  • 『反省よりも未来のことを考えましょう。』・・・この問題は自分を責めてもどうにもなりません。
  • いうべきは、「お母様に悪いから」ではなく、「お母さんいつもありがとう」です。遠慮していると見えないものがあります。・・・また、気持ちもうまく伝わりませんよ。
  • 仕事の志望は変えた方が良さそうです。『やりたいことよりも、自分の幸せを優先なさい。』
  • あなたが赤ちゃん(男の子)を抱いている姿が見え、『この坂はあとわずか、もうすこしがんばりましょう。』と聞こえました。今日明日、今月・来月の事ではなさそうですが・・・

事例7

  • 『(まだまだ先のことですが)、死後に勝手に明るい方向に進んで行くのではなく、迎えが来るのを待ちましょう。』・・・人のために進んで働いてきた人ですから、死の直後ぐらいは待っていても良いのです。
  • 『「ありがとう」という気持ちの大切さをよくご存じですね。』
  • 『目に見える結果だけではありません。目に見えない結果も大切なのです。』・・・たとえば、知らずに悪事を手伝っていたら、いくら気分が良くても罰が当たりますよね。
  • 『まだ終わりません。ゆっくりと歩み続けましょう。』・・・慌てても良いことはありませんよ。

事例8

  • 『目的意識は大切です。待っていてもチャンスは落ちていません。』
  • 『他に大切にされると当たり前に思えて狎れが生じます。程々にしましょう。』・・・当日は仕事がらみかと思ったのですが、どうも義理の親族を言っているようです。
  • 『功徳は価値あるものでも福徳にあらず。・・・もう少し利己的に生きても良いのです。』・・・確かに良いことをしてもお腹はふくれませんしねぇ。
  • 『理解者は必ず現れます。諦めないこと。』

事例9

  • 『良し悪しを論じるより、今の状態でどう生きるかが大切です。』
  • 『手段と目的・・・目指すものが出来ると自ずと身体も締まってきます。』
  • 『口は半分に、考え事は十分の一に、手足はもっと動かしましょう。』
  • 『良い行いは必ず芽が出て発展します。信じること。諦めぬ事です。』

成長の助けに

2006/12/08

自分を知る

2004-12-07

 

基礎を大切に

 地上には千年を経た建物は滅多に見られませんが、数千年前の建物の基礎は、各地で見つかります。立派な建物、豪華な建物も人々の前には見えない、又は、人々が見ようとしない基礎の部分が支えているのです。

 さて、あなたがなにかを学ぶに当たって指導者に師事すれば、たとえ面倒であっても、基礎からキチンと指導されることでしょう。ところが、独学者は往々に、自分の興味の対象を追いかけるばかりで、基礎をなおざりにしてしまいます。

 ただし、「人はすでに霊界で正しい心霊知識を学んでいるから、学習の意味と目的を間違えない限り、独学でも一向にかまわない」と心霊知識は教えています。ですが、傲慢な人であれば、いかなる素地素養があろうとも、何を学ぼうと、誰に師事しようと、結局は身勝手な解釈しか出来ないものです。結局、あなたが学べるものは、あなたの人間性なりのものでしかないのです。

 しかし、学校の勉強ならば、成績は知識の目安に過ぎませんが、心霊の勉強というのは人間性をどう磨くか……であり、正しいか、否かというのは、そのまま人間性の評価に結びつくのです。 つまり、傲慢な人が勝手な解釈で心霊を学べば、その人はますます傲慢に見えるようになるでしょうし、謙虚な人が心霊を学べば、謙虚であることを幸せに思えるようになるのです。

未熟さを楽しむ

 趣味や芸事に命をかけるのも、その人の人生ですし、何事も突き詰めてみると、異なるものが見えてくるものです。ちょうどふもとから見ると雲にさえぎられて山並みの山頂が全く見えなくても、一つの山に上れば、雲の上に飛び出た数々の山の頂きが見えるようなものですね。

 ですが、心霊は知識の多さを競うものではなく、自分の人生を賭けた大勝負である事をご自覚ください。心霊を学べば否応無く、自分の欠点や未熟さ、何よりも悪行の数々、それも前世に及ぶ悪行の数々があらわになっていきます。それらをひとつずつ償い、繕いながら学ばなければならないのです。

 自分の過去を振り返った時、羞恥心を感じないとすれば、立派な人生を歩んだのではなく、成長が無いという事なのです。過去の自分の未熟さを喜ばしく思える人でないと、心霊はとてもとても学びつづける事が出来ないのです。

 知識の矛盾

 高度な医学に支えられながらも人々は出産に苦しみ、犬や猫は誰の介助がなくても子を産み育てます。人は大自然に生かされているのであって、知識に生かされているのではありません。むしろ、知識があるために人は不安におののき、妄想に時間を無駄にするのです。

 知識を尊ぶ人こそが尊び、人生を尊ぶ人は実践に裏付けられた知識だけを尊びます。人がただ生きるだけならそう多くの知識を必要とはしません。ですから、どんなに莫大な知識を蓄えても、その知識で人間を屈服させることは出来ないのです。

 一体何が行えるのか。それこそが真の知識の有無を計る目安となるのです。


人生の意義

2004-12-08

 

  一体、私たちの心はどこから生まれ、死んでどこに行くのでしょうか。

 

 無から生じて無に帰っていく……だとしたら、なんと寂しい事でしょう。心霊思想の中には輪廻や再生と呼ばれる「生まれ変わり」に関するテーマもありますが、ほとんどの人々は前世の記憶を持ちません。

 もしも、人々が前世に関する記憶を持ったまま生まれてくるのであれば、誰も死を恐れず、科学的な証拠がないからといって、心霊思想を否定する事もないでしょうに、再生論を信じるかどうかは別として、誕生は前世との断絶であり、死は現世との断絶であるのは、こと、心に重点をおく限り一般的な事実として認めざるを得ません。

 そう、私たちの人生の前には、死が恐怖を伴なって立ちはだかっています。

 生まれてこなければ死を恐れる必要がありません。もしも、世のオカルト話がみな本当で、死後の世界が怨霊の跋扈《ばっこ》する恐ろしいところであるなら死とは単なる恐怖に留まりません。

 反対に、霊界がすばらしいところならなぜ、わざわざ地上に生まれ変わり、労働に従事し、天候を憂い、飢餓や病気、そして老衰と争わなければならないのでしょうか。

地上に生を受ける事、それに一体いかなる意味があるのでしょうか。

 人生の意味、それを知らずに、どうして人生の意義を感じ取ることができるというのでしょう。


調和

2004-12-09

 

「人は死後も個性を保ち、肉体が滅んだ後も人生は継続する」

 この「死後の個性存続」こそが心霊主義の大前提といえます。そして死後により良い環境を得ることは、心霊知識の正しさを測る、一つの試練といえます。

 さて、物質的な助けがなければ人生を維持できない人の世において、助け合うのは義務というより必然性が大きい事は誰でも思うことでしょう。様々な雑事に付き合わされてなかなか、自分のやりたいことに没頭できない。その事に苦悩する人のなんと多いことでしょうか。

 しかし、必然性があればこそ、どんな嫌われ者でも、全くの孤独に陥ることがありません。理解者がいないというだけで、人は十分に孤独ですし、孤独は人を死に追いやることもありますが、必然性に結びついた人間関係がある限り、理解者を得るチャンスは無ではないのです。

 それに対して、霊界では衣食住の心配がありません。義務さえ負わなければ、好き勝手にいくらでも時間を浪費することが可能です。それは同時に、身勝手な人が容易に完全なる孤独、全くの虚無の中に閉じ込められかねない事や、理解者を得るチャンスが地上よりもはるかに少ないことも暗示しています。

 それ以外にも、人は死後にとても孤独に陥りやすい様々な事情があることを、心霊を学ぶ上であなたは知ることになります。しかし、あなたはまだ、地上にあってこの文章を読んでいます。そして死後の苦しみを少しでも減らしたいと考えるなら、調和の大切さを理解しなければなりません。

 霊界では人間同士が助け合う必然性がとても薄いのです。ですから、仲良くする、調和を保つという感覚に薄い人は、人間関係も同様に希薄になります。何より、あなたに調和の気持ちがないなら、どうして霊界からの援助や支持を受けられるというのでしょう。


善悪を論じない

2004-12-10

 

口を持って生まれた以上、誰も罪なく生きることはできません。

正しく善悪を論じるなら、裁きの刃からは誰一人逃れることができません。

人々にできるのはただ、罪よりも多くの善事をなして死の時を迎えることだけなのです。

 

 私どもは、ことさら善悪を論じません。それは善を軽視するのでも、悪に寛容なのでもありません。誰にでも多少の罪があり、そして純粋に善悪を語れる人はごくわずかです。結局、善悪を論じようとすれば、自分を守ろうとして真実をゆがめ、その矛盾が議論を非難合戦に変えてしまいます。

 いくら互いに思い遣りを抱いていても、真実を語れないなら、そこに友好はあっても誠実さがありません。目の前の誰かを庇おうとすると気が付かぬうちに別の誰かを非難しかねません。気配りは小さな誠実さであって万人に対する誠実さとはなりません。

 たとえ真実は、避けがたく痛烈な刃だとしても、真実こそが万人に対して平等に誠実なのです。何よりも、真実を受け入れられぬことほど哀しい人生がありましょうか。配慮すべきは、真実を隠すことではなく、痛み少なく真実を受け入れる助けをすることと言えましょう。

 特に心霊学は、よりより善い心を持つことが楽に生きられること、悪しき心の持ち主が葛藤の泥沼に陥ることを提示します。すべてはあるべき様になるから、ことさら罪を裁く必要を感じません。それが天、又は、神の摂理に従うということです。


何を求めるのか

 2004-12-11

 

 「健康は大切です!」……確かに、しかし、健康に関心を持つのはどういう人でしょうか。 溌剌と日々を過ごしている人なら、わざわざ健康論に関心を抱く必要はありませんね。健康論に関心を持つのは、むしろ不健康な人でしょう。

 たとえば、手の存在を認識するのはいつか考えてみてください。手が不自由なときか、怪我などで痛みを感じているときではありませんか? もしも手足が順調に動いているなら、人はわざわざ、『腕を挙げ、ひじを伸ばし、指を伸ばして、物を包み、指を閉じて掴み挙げる……』などと考える事はありません。順調に動いている限り、人は手の存在を忘れているものです。

 では、人はいつ自我を認識するのでしょうか。多くは迷い、悩み、そして葛藤する時に、ふと、『私とは何者だ?』と思う瞬間があるのでしょう。自分自身が思うように成らぬとき、初めて人は自我に直面するのですね。

 さて、私ども心霊主義者は、死後の個性存続を信じ、そして、感情のうねりに自己を任せず、永遠不滅の魂を自己の中心としようと努力をしているわけですが、その肝心な、魂が果たしてどこにあるのか、いったい何時《いつ》気がつくというのでしょうか。魂に気がつく瞬間が無ければ、どうして自己の中心を魂に置くなどといえるのでしょう。

 その多くは、霊障などの障害時であることは、以上のたとえから容易に想像がつく事です。でも、それが全てだとは思いません。


すべてを大切に生きる

 2004-12-12

 

 よい人生を歩みたい……人として生まれてきて、そう思わずにいられるものでしょうか。

幸せに生き、そして心安らかに死んでゆく。

 今はまだ若さにあふれ、老いや死などカスミの向こうにあると思っている人も多いでしょうが、死の直前にあわてても手遅れであることは、賢明な方々にはいうまでもありません。仮に死の直前に、救いや意義を見いだしたところで、急場しのぎの安易な結末を免れません。

 あなたが人生の中で体験してきた様々な経験、その中には決して思い出したくない辛い想い出もあるでしょう。そして恥ずかしい想い出、愉快な想い出、暖かな想い出、ハッピーエンドには終わらなかったけれど、時折は回想に浸りたい甘酸っぱい想い出……これらの想い出のすべてはあなたそのものです。

 人生の意義を考えるに当たって、過去の記憶を振り返えるなら、楽しく、美しい想い出は、決して外したくない大切なもののはず。では、辛い記憶や恥ずかしい記憶はどうでしょうか。たとえどれほど消し去りたくても、忘れたくても、あなたの人生の一部であり、捨てたいという願いが叶ったとしても、一部なりとも捨て去れるような、あなたの人生とはそんなに軽薄なものなのでしょうか。

 辛いからこそ、恥ずかしいからこそ、そして記憶から消し去ることが難しいからこそ、それを成功や大成にむすびつけたいものですね。

 『あの時は、辛かったけど、それを乗り越えて今の自分がある。私の人生はいい人生だった』……今は忘れ去りたい失敗も、振り返って良い思い出になる、いえ、それどころか、『私以外の誰が、これらの苦難を乗り越えてこれだけの成果をあげうるのか!』……そう誇れるのならなんと素敵な人生となるのでしょうか。

 人生は無駄に出来ない。無駄にすべきではないのです。人生を無駄にするのは、生きた自分を無駄にする事なのです。死の直前、いえ、可能であるなら死後においても、人生を、生前を振り返ってみて、『ああ、いい人生だった』と思える。そういう人生を歩むために私たちは生まれて来たのです。それが出来ないなら、生まれて来たのは愚か者でしかありません。

 苦しむために生まれてきた愚か者なのか、人生の真義に気がつかぬ愚か者なのか、いずれにせよ、いい人生を歩めた人から見たら、不幸とは愚かと同義であるといえましょう。

 幸せになりたい。幸福に暮らしたい。あなたが自らを幸せにしないで、誰が幸せにしてくれると言うのでしょう。そして、あなたが自分をおろそかにするなら……一部とはいえ自分の記憶を消し去らんとして……誰があなた以上に、あなたを大切にしてくれるのでしょう?

 ご自分を大切に生きてください。それが幸せへの第一歩です。人生の全てを、何一つおろそかにせず生きてください。悲しみも、苦しみも、別れも、そして老いや病気さえも、あなたが幸せに生きるためにあるのです。そして、死さえもあなたを生かすためにあります。…… その苦しみの意義がわからぬだけで、自分を不幸と決め付けるのはやめましょう。


死もまた生の為にある

2004-12-13

 

 ここで問題になっているのは、人生の最も基本的な葛藤です。

「己の心の赴くままに生きたい」……独善的な動機に思えても、自由への渇仰が人間の本質である事は否定できない事です。

 しかし、どんなに強く願おうと、人は境遇や環境の全てを覆す事は出来ません。長生きしたくても永遠には生きられず、人の心は変えられず、時が移り行く事は止めようも無いのです。

 人と文化の向上によって、人間の自由度は増したかもしれません。でも、何もかもが自由になるわけでもありません。……やりたい。でも出来ない……私たちは、より自由に生きるべく努力を重ねる一方で、現実と妥協する事も必要になるのです。

 つまり、「老病死苦」といった諸問題を人生の敵としてみなせば、その闘争に多くの時間を費やし、闘争はまた苦痛も生み出しますが、これら諸問題を人生の味方とみなせば、人生のより多くの時間を幸せのために費やす事が出来ますよね。

 たとえば、一生同じ楽しみを追いかけたければ、老いは楽しみを奪う敵となりますが、年齢なりの楽しみを見つければ、人生を通じてさまざまな楽しみを味わう事が出来ます。

 また、死を恐れればこそ、一瞬一瞬を大切にもするでしょう。明日は死別するかもしれないと思えば、大切な人と喧嘩していつまでも仲直りせずにいることは到底出来なくなるでしょう。「続きは明日にしよう」……そうやって、明日の自分に雑用を押し付ける事も減る事でしょう。

敵味方は心得次第。敵が多い人生は、無駄が多い人生でもあります。

 確かに世の中には、「他人との闘争・競争が無ければ人生がつまらぬ」とばかりに、わざわざ敵が多い生き方を選ぶ人もいます。砥石がなければ刃物は研げませんから、わざわざ摩擦を生むような人と同じ世界に暮らすのも、いわば修行の一課題ともいえます。

 しかし、人生が魂の修行の場である事を知ったなら、もっと静かで敵の少ない生き方を選ぶべきです。たとえば、宝石を得るには、ハンマーで余分な部分を落とす作業も必要ですが、未だ光らぬ原石を扱うための初期の一工程に過ぎません。研磨とは、乱暴な課程をすぎた後のデリケートな作業なのです。


虚栄と誇り

2004-12-14

 

 苦しみが耐え難いのは、誇りを失ったときです。周囲を侮蔑してまで己を誇ろうとする……「虚栄」は醜いものですが、逆境や差別にも自分らしさを捨てない……「誇り」は人を強くします。

 「虚栄」と「誇り」の違いは、むろん、自分の価値を正しく評価できるか否かにあります。そして自分が虚栄に陥っているか否かを自己判断するのは難しいものですが、自分に不都合な意見に対して、どれだけ客観的になれるかが一つの目安となるでしょう。他の意見に耳を貸す事は大切とはいえ、感情的になりやすい人の意見は、大抵が独善的で役には立ちがたいものです。

(役立たぬというのは、人生を無駄にする事であればこそ、役立たぬ意見からも学べることがあります。)

 他人の感情的な意見が嫌だと思えばこそ、人には意見をするときは、冷静・平静で、かつ論理的であるように心がけなければなりますまい。そうでなければ相手にとって自分はつまらぬ相手になるということであり、それはつまらぬ自分であるということなのです。まして、不都合に対して感情的になるというだけで、虚栄家である事を世に知らしめているのですから。こんなばかげた事はありません。

 そして、他人の感情をぶつけられてもなお、平静さを失わず、感情論に妥協しない事が誇りであるということであり、感情論にさらされるのは誇りを試されていると言う事なのです。

・・・・・・・

 「誇り」の宿敵を「侮蔑」であると勘違いしてはなりますまい。誇りとは自分らしく生きるということであり、人の数だけ生き方がある以上、誇りのありようも人それぞれで、他人の評価、特に侮蔑が入りこむ余地はありません。

 むろん誹謗中傷は不快なものですし、なにより、誹謗中傷を行う人が不快なものですが、他人に見せびらかそうとする虚栄心だからこそ他人の侮蔑が苦痛に思えるのです。もしも、人の侮蔑で傷つく事があるなら、自分が誇りと信じてきたものは、虚栄心であったと知るべきでしょう。

 己の誇りを真に汚すのは己の増長であり、増長を許すのは、誇りと虚栄の区別をしない自分自身なのです。

・・・・・・・’, ‘

「虚栄と誇り」を最後までお読みの方へ

 あなたの未来には希望があることをどうぞ確信なさってください。己の虚栄心を恥じ入り、暴かれた事に苦痛を感じたからといって絶望する必要はありません。

人間社会、特に競争を重視する社会には、虚栄を必要とする仕組みがあります。

 虚栄心を持たずに生きられる人は稀というより奇跡と呼ぶべきでしょう。いえ、虚栄心を持たずに生きたいというのは生に対する甘えと呼ぶべきかもしれません。

 そうであればこそ、虚栄と誇りの違い対する知識は、魂の修行において大きな分岐点を成すのです。つまり地上で生き抜く上での技術(虚栄)と善く生きるための技術(誇り)とを混同してはなりません。生活の糧を得るのに虚栄しても、善良であるかのように虚栄してはいけないのです。

善悪で物事を捉えずに、適うか、適わぬかで判断してください。

 虚栄と誇りの違いを知り、そして誇りの大切さを知った人は、少なくとも虚栄のもたらす袋小路に囚われる恐れは無いのです。そうであるなら、あなたが学びの途中で羞恥や悔悟に苦しんだとしても、それはより向上するための一経過を歩んでいると言うことなのです。


復讐の形

2006/04/25

2006年 04月 25日

 

 あまりに苦しい体験を持つ人が、いつまでもその記憶を振払えないとする。……過去に囚われるのは良くある話である。むしろ、その状況からの脱却を求めて、当サイトを訪れる人も多い。だが、設問を誤れば正しい答えに行きつけない。

 過去に囚われているのである。……囚われているのは問題だけであるのか。実はその方法論にも囚われている。

 なぜ、その時ちゃんとした行動が取れなかったのであろう? 若さゆえ? 未熟さ? 勇気の不足? 決断力の不足? 

…… 確かにそういう場合もあるだろう。だが他にも要因はあり得る。

 たとえば、その時には、こんなにも自分が苦しむことになるとは想わなかったという場合だ。それの類似要因として、「硬直して反応できなかった」、というのもよく見るが、硬直する理由を正しく理解していないことも過去に囚われる強力な原因である。

譬喩

 車を運転する人でないと、イメージするのが難しいかも知れない。たとえば他の車と接触事故を起したとする。その事故原因が、どちらかの信号無視や、ハンドル操作ミスなどであれば、たとえ感情の整理が必要であっても、これからは気をつけよう、で、ほぼ納得がいく。

 が、普通に走っていたのに、急にハンドルが回らなくなった、とか、ブレーキが効かなくなってぶつかった、としたらどうだろうか? たとえ修理が終っても、怖くてその車に乗れなくなるだろう。ましてや、修理が出来ていなければどうか。…… 事故の記憶にいつまでも囚われるのは、事故の衝撃だけでなく、車へのぬぐえぬ不信が在るからなのだ。こういう場合、たいていの人は車を買換えて、事故の衝撃と訣別するのである。

……が、車は乗り換える事が出来るが、人生はそう簡単に変えられない。

解決は霊性の欲求

 行動すべき時に行動できなかった――その体験がもたらす混乱は非常に強烈である。それも当人が理解できないほどに……人は往々、理解できないことを無理に忘れようとするからこういう逆説的なことが生じる。わざと手がかりを消しているのだから、後でやはり問題を解決しようと思い立ったときに苦労する。

 むろん、しっかりと忘れて気持をきちんと切替える事が出来るのであれば、面倒はなかっただろう。繰返し同じ過ちを犯すにしても、その都度忘れられるのであれば、ある意味人は幸せだ。それが出来ないからこそ解決を図らなければならない。いや、解決策を身につけなければならない。

 だから過去に囚われるのは、霊性から生じる欲求と見做すのがよい。つまり、人生の命題なのである。なにしろ、自身を上手に使いこなすことなくて、どうして良い人生が歩めるというか。何のための人生か、というわけだ。

 宗教的意義まで引張り出すのを大げさに思う人も多いだろうが、「嫌な事は忘れろ」的な合理的(鼻元思案的)解決が多いからこそ、問題対処能力の貧弱な、他人に頼る事多い自分を形作っているのである。当人は、その時々は必死で気がつかないだろうが、他人を頼る人は老いても頼り、頼られる人は若い頃から頼れる人物であるが、その差は、困難に対する姿勢の違いである。

 その姿勢の差が、結局は人生の善し悪しを左右する。立ち向う人よりも、逃げる人の方が背負込む苦労は少なく見えるかも知れない。だが解決した問題も少ないのである。残された課題がいつ請求されるかは来世の課題であろう。

体癖・体質

 解決策はさておいて、原因は案外容易に手の届くところにある。

 同じく、車の運転に例えると……

 交差点中で急に信号が変ったとき、急いで走り抜いてしまう人と、とっさにブレーキを踏んでしまう人がいる。交差点の真ん中で、である。

 または、荷物を持っている時に、突然驚かされたとき、荷物を投げ捨ててしまう人と、しっかり握りしめてしまう人がいる。

 これらの対処は、論理ではなく、また、性格的な問題と見なすのには無理がある。むしろ身体の特性であり、整体で「体癖」と呼ばれるものである。体癖の概念の説明を省くためには、「体質」と呼んだ方が話が早いかも知れない。

 さて、この体質を踏まえて考えてみよう。あなたは苦しい思いをしたときに、攻撃的に乗り越えるタイプの人間か、それともアルマジロのように身を守ろうとするタイプであろうか?

 攻撃的になれる人なら、苦難にあっても発散してストレスが残らない。だが、アルマジロのように身を守るタイプの人間であるなら、苦難が去っても容易にストレスが抜けていかない。過去の出来事をいつまでも引きずり、いつまでも根に持ち続けるだろう。そう、よほど特殊な事情がなければ、過去に囚われるのは、この体癖・体質の持ち主である。

処方間違い

 困難にあって身を守ろうとする体癖・体質の持ち主であるなら、復讐をあれこれと実践したところで、すんでの所…… 盛り上がった所で手が出せずに悔しい思いをし、かえってストレスを昂進させるだろう。

 頭で考えても解決しない問題に頭を悩ませるのは、つまるところ自分を正しく理解していないからだ。

内なる敵には勝ち難し。

 内なる敵としっかり話をつける前に、手のつけやすい外の敵と戦おうとするから、内と外、両方の敵に挟み撃ちに合うのである。

 では一体どうすべきか? 闘争を放棄して泣き寝入るのが一番被害が少ないかも知れない、が、それでは明日を生きるのが不安になるだろう。

 体質改善し、しっかりと戦える人間を目指すか……それも一つの手である。相当に下品な方向性ではあるが、愚者にも分りやすい方針だ。

 ちょっと歴史小説を囓っている人なら、覇道よりも徳治の道を選ぶかも知れない……なるほど、その道は迂遠ではあるが、上品でもある。 ……同時に宗教臭い話題となる。

 いずれにせよ、道は様々にあるとしても、自分に合わない、また、自分に理解できない道なら、考慮することがそもそも時間の無駄であろう。適切な選択肢と巡り会わぬのなら、とりあえず全てを忘れて遊び呆ける方が、次のチャンスを生かすのに良くもある。

それは愚痴じゃない。

2006/04/23

2006年 04月 23日


 愚痴を聞かされて喜ぶ人はいないと思う。以前聞かされた愚痴であるが、

「いつも私に愚痴をこぼしている人に、一度だけ愚痴を聞いて貰ったら、『毒気を吐いているのが見えるようだ』といわれて腹が立った。」 ……という。あなたの愚痴はちゃんと聞いてあげているのに、私の愚痴を遮るのは何たることだ! というわけだ。

 はしなくも、ここに愚痴の持つ性質が端的に表われていると思う。

  1. 愚痴は聞きたくないというのは論理ではない。
  2. 愚痴をいうのも論理ではない。
  3. 遮られるとかえってストレスが昂じる。

 愚痴は心の安全弁である。――精神的必然から愚痴が生じるのだから、愚痴は押さえない方が良いという所以である。もっとも、自分が押さえる気がなくても他人から押さえられては安全弁の存在がかえって危険をもたらしかねない。

・・・・・・・

 ところで、友人から愚痴メールが届いたが、私はまんまとそれを遮った。

 確かに、どうにもならないことは愚痴るしかないけれど、日常生活や日常業務とは直接関係ない事柄に不平不満をいうというのは、私から見て愚痴ではない。それはむしろ、言い訳を発掘しているように思える。

 念のために言うが、「言い訳を発掘している」というのは、その友人に対する非難ではなく、客観的な指摘のつもりである。

 ようするに、嫌になったのは、何か別な原因があり、その原因が認識できないから(おそらくは認めたくないから)、無意識に探し出した言い訳だと思うのだ。

 問題を正しく認識して、でも、今は忍耐するしかない事柄なら、愚痴をこぼすしかない。だが、問題を正しく認識しないまま、愚痴をこぼすのは、内在する危険因子が成長する危険がある。

 だから私は敢えて愚痴(もどき)を遮り、注意を喚起するのである。

 それは愚痴じゃない。その不満の原因をしっかりと、あきらかにすべきだ!

・・・・・・・

 では、その原因がどこにあるのか、と問われるだろうが、これは、人の数だけ答があって然るべきで、一般論で括るわけにはいかない。ただ、物事には手順があることをわきまえれば、ある程度の自己判断は可能であろう。

 一番に疑うべきは、体調である。……特に高血圧とか、糖尿病であるとか、身体に怠さをもたらす病気を疑うべきだと思う。


真実

2006/04/17

 時折、新興宗教や、特定の霊能者を指して、「インチキ」と表現する人がいます。宗教や霊能者に限らず、人々を啓蒙しようという人には、長短、可否が付きまとうものです。その真偽をいちいち論じていては切りがないので取上げはしませんが、世の中にインチキがある事よりも、もっと重要視すべき問題があると私は思います。

真実の追求方法です。

 インチキを駆逐するのが真実であれば、迷いは、正しい答えの求め方を学ぶチャンスとして人生に生かす事が出来ます。しかし、インチキを駆逐するのがただの否定、非難であれば、迷いはますます昏迷を深める事でしょう。

 溺れるものはわらをも掴むといいますが、我が身を引き上げるにはあまりに頼りないわらであっても、そっと引くなら岸に近づく助けになりましょう。なのに、溺れるものを助けもせず、ただわらを取り上げようとする偽善者の何と多い事か。

 まして、永久不滅の真理、真実をわずか百年程度の生しか持たぬ身がどうして明らかに出来ましょうか?

 そして、人生にいかなる価値があるのか、人生を全うもせずに、誰が「これこそは真実」と語れるというのです。出来る事はせいぜい、自分が信じている事だけではありませんか。つまり程度の差こそあれ、だれもが人生の狂信者である事には間違い無いのです。

 貧者の一灯は、仏教でもキリスト教でも貴ばれる奉仕ですが、人に光を与える事もせずに、吹き消してまわるのは何と罪深い事でしょう。


2006-04-16

お知らせBy老神いさお。

ただいま、メールヘのお返事が遅れています。今しばらくお待ち下さい。

移行途中のデータが時折、トップページに掲載されますが、編集作業の都合ですので、今しばらくご容赦ください。旧作については、本文右上に日付が記載されます。

東京オフ会: 3月度の東京オフ会は3月20日(土)午前に開催いたします。参加申し込みは、メール・フォームメールなどでお申込みください。

大阪オフ会: 大阪オフ会は4月11日(日)午後に開催いたします。参加申し込みは、メール・フォームメールなどでお申込みください。
 打ち合わせ用のページを作成しましたが中身はありません。今後参加者の皆様にパスワードをお知らせすると共に内容を追加して行きます。

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