2004年03月12 日
・・・霊魂の組成に関する質問を時折受けます。そこには非常に根の深い誤解がありまして、間違った前提の上に考察を重ねては、出るはずの答えも出なくなります。・・・
霊魂には重さがある……か?。
近日公開予定(掲載当時)の映画「21グラム」の広告に、「命が消えるそのときに、人は21グラムだけ軽くなるという。 」とあります。確かにそういう研究結果が過去、それも百年ほど昔にありまして、心霊著作集の、 参考文献: 淺野和三郎著「精神統一と第六感」 (三) 心霊から観たる人間 ……中にも、「死に際して体量が約2オンス軽くなる」という記載があります。しかし、2オンスはグラムに換算すると約60グラムとなります。また、近年日本で追試験が行ったが体量変化は見られなかったといいます。……映画のタイトルの「21グラム」はおそらくは語呂・語感から選ばれたもので、心霊研究の裏付けはないと思われます。(実は他の研究があった)
さて、霊魂には重さがあるのか否か、この問題を考える前に、まず霊魂の意味を整理する必要があります。その為にはまず、誰もが感じ取れる「心」を叩き台に考えてみましょう。
果たして心に物理的な重量があるでしょうか? または重量を量る手段があるでしょうか?
少なくとも心を科学的に検知する手段はありません。たとえば脳死患者や、いわゆる植物人間と呼ばれる人に心があるのか、否か……映画「21グラム」はどうやら臓器移植に関するテーマのようですが……心は肉体という表現器官を通じてのみその存在を認識できます。従って、肉体の無い心は科学的に認知できず、また、心のない肉体も検証手段がありません。つまり、肉体の無い心は無いと考えれば、人間の体重はそのまま心の重さと見なせます。と同時に、心だけの重さを量る手段はありません。
ここで私が申し上げたいのは、意識・心・精神等と呼ばれる情報的な存在は、肉体などの物質的な存在と同列(同次元)で考えることが出来ない点です。
たとえば、フォーマット済みのフロッピー(記憶媒体)または書き込み前のCD-R(記憶媒体)の重さと、データを一杯に書き込んだ後徒で重量の変化が起こるでしょうか? 摩耗などによって使用後の重量が微妙に減るかも知れませんがその重量の変化は情報量を意味しません。
これを前提に考えてみて下さい。霊魂(死者の個性…意識)に重量があるか否か?……意識の媒体、意識の表現手段に重量はあるかも知れないが、意識そのものには重量が無いと考えるべきでありましょう。
つまり、霊魂に重さがあると考えるのは、心霊研究的、論理的に考えられぬ事で、重量があるとすれば、それは「意識の媒体」であります。
意識の媒体
さて、問題の「意識の媒体」ですが、霊媒を通じたリサーチによると、「肉体」(当然ですね)、幽体、霊体の三重になっていると言われていますが、霊体よりも深層に別な媒体が無いとは言い切れません。また、淺野和三郎氏は復古神道の影響から、肉体、幽体、霊体、真体の四重構造であり、真体は霊媒の感知能力を超えているから観念としてだけ知られていると主張しました。しかしながら、浅野氏のいう真体なるものは情報媒体ではなく、情報体そのものを指すと考えると霊媒の観察としっくり合います。
ただし、ここにもう一つやっかいな問題があります。私の師などは、「神様は光そのもの」といってはばかりません。これを要するに「高級霊はその雰囲気から光として感じ取れる」(「光そのもの」ではなく「光の様な」)という言い換えに合意してくれると話は楽なのですが、科学思想のバックボーンの違いか、「『光の様』という曖昧な答えではなく、『光だ!』」と主張して譲りません。実際、毎日、朝日を拝んでいますが……電球は拝みません。人間が努力しなくても朝日は登りますが、努力と手入れを忘れたら電球は消えてしまうのですが……
整理しますと、実体(媒体)は不明ながら、実相は「光」として感じられるのが高級霊だと考えるべきでしょう。ちなみに、人間の見掛けも光を媒介して知覚できるわけで、光がまるでなければ視覚的に知覚することは出来ません。ですが、人間は光そのものではあり得ません。また、当然の事ながら、実相・表現にも重量や組成はありえません。……というわけで、異論もありますが、基本的には、意識の媒体として、肉体、幽体、霊体の三つがあると考えて良さそうです。
媒体に重量はあるか。
意識の三つの媒体の内、肉体に重量があるのはいうまでもありません。残りの二つですが、霊体については物質的な性質が皆無であり、幽体は物質・非物質(霊的)二つの中間の属性があるとされています。
この幽体の、物質・非物質の二つの中間というのが判然としにくいのですが、常時中間という曖昧的な存在ではなく、ある時は物質、ある時は非物質的と二種類の相を行き来するものとされています。
この幽体に重量があるとすれば、たとえば「東京…大阪二カ所の霊媒がほぼ同時刻に同一の霊と交霊することが出来た」という交霊実験が説明できなくなります。電話やインターネットで見るように、光や電磁波を媒体とする情報と見なせば決して不可思議ではありませんが、仮に霊魂の重さを60グラムと見なして、それが東京大阪間を数秒ないし数分で移動するならその運動エネルギーはいかほどになるのか、もし途中で何かにぶつかったら大事故が起こることでしょう。そもそもそれだけのエネルギーがどこから来て、何が受け止められるのか……霊魂そのものも科学的に認知することは難しいでしょうが、東京大阪間を一瞬に行き来する物体という観念の方がもっと理解しがたいものです。
しかし、同時に幽体は重量を持つことも知られています。具体的には、幽体そのものに重量があるのではなく物質を吸い付けることで力学的な仕事をするのです。
たとえば、物理霊媒による様々な実験時にエクトプラズムと呼ばれる一種不可思議な素材がテーブルを持ち上げたりすることが報告されていますが、(いわゆるテーブルの空中浮遊現象等というのは、なんの支えも無くテーブルが浮き上がるのではなく、不可思議な支柱に支えられて浮かぶのです。)エクトプラズムは、ある時はガス状で、必要に応じて一瞬に硬化し、変幻自在、堅くも柔らかくもなると伝えられます。
このエクトプラズムは、人間の体から抽出した様々な物質が使われていて、分析するとほとんどが水分で唾液に似た成分構成、顕微鏡で見ると白血球なども見えたそうで、霊媒によっては、物理実験中何十キロもの体重減量が見られ、実験後にはまた戻るということを繰り返したそうです。
参考文献:淺野和三郎著「心霊研究とその帰趨」 九、卓子浮揚並に物品引寄現象
さて、この幽体の性質を考えると、死の前後で体量の変化があることが、すなわち霊魂(またはその媒体)に重量がある事と繋がらないことが見えてきます。むしろ私はこういう仮説を立てております。
霊魂実証実験に応じた、患者とその家族は、おそらくスピリチュアリストであったろう。すると、患者は死の直後に一般人よりも強く、何らかの挨拶・合図を周囲に残そうとしたのではないか。その動機が微力ながらも物質的霊媒能力を発揮して、有力な霊媒の数十キログラムという量にはとうてい及ばないまでも60グラム前後のエクトプラズムを成立させ、それが体量の変化に繋がったのではないか……
現状では確認の方法もありませんし、実験方法に無理があった、というのが一番ありそうにも思えますが、一応、こう考えると、追試験が成功しない点も納得が行きます。
補足…応用
一般の人々が心霊を論じる時、往々にして情報媒体と情報とを混同しています。これはまるで生のCD-Rとデータ記録済みのCD,CD-ROMを同列に扱うようなもの……必要なのはディスクなのか、書き込まれた情報なのか、どちらなのでしょうか。
または、生きている人と死体とを同列に扱うようなものです。
音という信号(本質)は、空気(ガス)も水(液体)も固体も媒体にして伝わります。しかし、空気を指して音とはいいません。また、音は、光や電磁波に変調して遙か彼方に伝送することも出来ますが、光や電磁波が音であるとはいいません。同様に、質量を伴おうが、光を伴おうが、ガス状の姿を伴おうが、それが霊魂であるとは言えません。
そして、世間では、白いもや状のものが写っている写真を「心霊写真」などと表現しますが、上述のように、意識と媒体とは明確に区別されるべきで、なんの意識、または意図、表現などを読み取れないものは、いかに不可思議であろうとも心霊写真とはいえません。実際、吐く息が当たり前に白くなる場所で撮影した写真が多いのもそれを裏付けています。
霊魂とは、ガスなのか、光なのか、その他の電磁波、素粒子なのか……そのどれもがただの媒体であり、表現手段であり、霊魂そのものとは言えないのです。
……媒体抜きの意識はどうせ読み取れないのだから、媒体を霊と見なしても良いではないか?
いえ、意識無き媒体もあるのですから、やはり媒体と霊とを混同できません。
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