私に触るな!
2012/04/05注: この原稿は、数日に分けて編集されます。編集終了後に、この注意書きは削除します。
問題としては具体的だが、説明が抽象的になるので、言葉で説明するのが難しく思えて、放置してきた問題を取り上げる。まあ、相談されたも事もないし・・・とはいえ、悩みとしては案外多いと思われる事例である。
多分、霊障(ここでは「霊的な障害」を指す。「心霊的な障害」と表現すると心理的な問題まで含まれてしまうので下記とはそぐわない。また、霊的=病気の場合を例外とする。)というと
1, 思考を読まれる、または、干渉される。
2, 行動を抑制される、または、強いられる。
3, 災難 (偶然かも?)
4, 何らかの事象を体験する (気のせいかも?)
等がある。本来なら、行動を強いられることが事故の原因にもなって大問題のはずだが、自身の思考に影響がない限り、当人としては「戦える」と判断できるらしく、一番嫌われるのは、思考に対する干渉のようである。
とはいえ、人間は希望があると無駄にあがき、苦しみを長引かせることがある。病気でもケガでも、自分ではどうにもならない、と思えばこそ、急いで医者・専門家に相談するものを、「寝ていれば治る」等と軽視することで、往々、手遅れになったりする。
つまり、手口の悪辣さからいうと、自力で何とかできそうな問題のほうが、巧妙で逃げ出しにくかったりする。
また、これまた悪辣な話だが、たとえささやかな嫌がらせでも、どうしても抜け出せなければ、やはり自力での解決を諦めてしまうだろう。
例えば、寝ようとすると話しかける。これは迷惑だ。会議中やテスト中に話しかけられるのも気が散る。無意識に返事をしようものなら、立場が危うくなるだろう。
また、入浴中やトイレなど、他の視線が不快なときに声、とくに異性の声が聞こえたら落ち着かないどころではすまない。
または、手で触れられる感触がある、首や脇、さらには陰部に感触があるのは、人間の尊厳に触れる冒涜である。
・・・こういう嫌がらせが続くのは、やはり大問題ではあるが、その嫌がらせが、たとえば、念を送ったり、手で振り払うことで退けることが出来るとしよう。すると、やられたらやり返す、やられたらやり返す、という繰り返しに陥りかねない。
反撃しているつもりでいると、往々、自分の苦しみが紛れてしまって気付き難いが、一方的にやられている時よりも気が散っているし、意識せずに異様な行動を撮り始めたと、周囲に疑われかねない。
しかも、振り払うどころか、真剣に反撃している時ほど、相手の抵抗が強かったりすると・・・要するに反撃可能というのは、いいように遊ばれていることがある。
獅子身中の虫
・・・いいように遊ばれる? では、敵はどこに潜むか?
もしもあなたが、いたずらを仕掛けるなら、その結果をどこで見たいか?
または、身を隠し、身を守る上で一番都合のよいのはどこだろう?
相手の後ろ?
相手の上? ・・・または???
隠れるなら、また、仕掛けるのに一番便利なのは、敵の中であろう?
そして、偽の情報を与え、混乱させ、あわよくば、同士討ちをさせる。
さらには・・・延々と争い続けさせ、相手の心が荒むように仕向ける。
人を呪わば?
敵と戦う。・・・もしかしたら、いや、多分、それは正義の戦いかもしれない。だが、戦い続けるあなたは、正義を忘れずにいるだろうか?
「とにかく敵を倒す!」・・・手段と目的の混同。それがないといえるか?
ましてや・・・相手の手口も気づかずに、相手に弄ばれていたとしたら、あなたに正義はあるのか?
暴力の言い訳に「正義」という言葉を用いていないか?
多くの、多くの霊能者が「除霊」が必要という。・・・暴力で解決するのか?
多くの、多くの霊能者が「浄霊」が必要という。・・・洗脳が正義か?
戦い続ける「修羅」を生むのが正義なのか?・・・そんな選択は、きっと誰かが悲しむだろう。
あなたは戦い続けて、いつか勝つかもしれない。だが、それは神の勝利となるだろうか?
あなたが勝って(自称)、神が負けたなら、この世は滅びに向かうだろう。
あなたは、この世の滅びに手を貸していないか
基本に帰る。
では、どう解決するか、するべきか?
まずは、正論が、往々、不快であることに注意すべきだ。
正しいと分かっていても、不快で選びがたい。・・・つまりは、そこに自身の修行の余地があるということだ。
正しい行い、他者のための行いなのに、それを行う自分自身が不快という壁に阻まれる。まして、その苦痛の先にある結果は、相手が向上した果てに与えられるとしたら・・・葛藤。
だが、葛藤が生じるのは、道に迷うがゆえ。・・・ヒヨコのオスメス選別のようなものだ。分かる人には解り、分らぬ人には解らないのである。
だから私は、二者択一の正解は三番目、三者択一の正解は四番目という。
今の答えより明日の正解。今日のベストより明日のベスト(それは往々今日のベター、比較的良い答え)という意味でもある。いや、そうあるべきだ。
繰り返すが、為すべき解決法は不愉快なものである。
なぜなら、人間は、その時々で終わらせたいものだからだ。創作者にとって「・・・続く」という結末は、次回への布石、露骨にいえば利益への誘導である。だが、読者にとってはストレスでしかない。
続くの次は続く。そして最後は、「なんちゃって?」・・・誰もがそれを恐れている。・・・人生の多くはそのように振舞うがゆえに。
・・・でも、あえて言う。私が思うに、あの世のことはあの世に任せるべきだ。つまり、不快であるなら尚の事、自ら速やかに追い払おうと思うより、霊たちに解決を任せて自身は我慢すべきだ。
勝つか負けるかではなく、自ら、「戦わぬ」「争わぬ」ということが大切と悟るべきである。
これは例えば、「世界平和に反する奴はとんでもない!!!」と怒るような、戦闘的平和主義者(世の中には案外多い)を見たなら、我が身を振り返って、為すべきを為すべきだ。
勝てるかどうかではなく、不戦こそが、神の道であろう。
・・・続く