‘心霊研究’ カテゴリーのアーカイブ

貸借(バランス)感覚

2012/06/05

先日の横浜オフ会で質問があった。

「身内に病人が多いので、ある霊能者に相談したところ、お墓に問題がある。と、言われた。」とのこと。

私が、「でも、(病人の)皆さん、いいお歳(年齢)でしょう?」と、問うと、そうだ、とのこと。

私はお墓の問題を軽んじはしないけど・・・

 

もう少し、わかりやすい事例でいうと、

「あなたには背後霊(?)が付いている。それはよくない。」と、占い師(?)にいわれた、という相談者がいた。でも、背後霊のいない人なんて、私は見たことがない。もっとも、鑑定を頼まれると面倒なので黙ってはいるが。


仮に霊的な障害(いわゆる「霊障」)を借金に例えてみる。

たとえば数万円の借金だって、支払い能力が無い人ならば大問題だ。

一方、 一千万の借金を持っている人であっても、・・・たとえば年収が数億円もあって、支払い能力が十分にあるなら、その借金は問題とはなり得ない。いやむしろ、金貸しは喜んで貸すのではないか? ・・・この不景気なご時世、優良な投資先は貴重であろうから・・・


よく聞き話として、たまたま霊感に目覚めた人が、神社・仏閣を訪れた時に、その聖域に、案外、低級霊が多いことに驚くという。

だが、患者のいない病院が良い病院であろうか?

客のいない料理屋で、味が期待できようか?

たぶん、町で行列を見かけたら、並んでみるのも一興だと思う。特に、頑張っている人は往々、冷静な周囲を愚かに思ったりもするけど、多数意見を無視すると大抵損をするものだから。

 

同様に、徳の高い祖先霊がいる家系(余力のある)の人に低級霊を預けて、修業を積ませる事例も多々あるようだ。こういう預けられた霊のことを「随伴霊」と呼び、油断すると悪事をなす低級霊ではあるが、いちおう、守護霊や高級祖霊の目こぼし・承認を得ていることから、背後霊の一柱に勘定されることがある。


心霊相談を求める人の目的は、「難を逃れる」にあるだろうが、相談者が想定する解決方法は、払う、取り除く・・・霊障を借金に例えると、「借金から逃れる方法を求める」と例えられる。これ、難しいというより副作用が強い。

「私が借りた金じゃない!」・・・と、ゴネル人もいるかもしれないが、それはさらに副作用を増やす。

そもそも人間は、知らぬうちに不幸の種を捲くもの。いや、良かれと思った行いが非難の対象になったことは誰しも経験があるだろうし、それが嫌だと引き籠れば、誰かに養ってもらわねばならない。親が面倒を見てくれるうちはまだ良いが、甘えた態度が嫌われて、周囲から相手にされなくなれば行き詰る。

災難・障害に出会ったときは、責任追及の前に解決に努め、

不満があっても誠実に努めるが吉である。

人をなじっても解決しないし、不満だらけなら周囲から人が去る。

反対に、いわれなき苦労(他人の目から見て)を黙々とこなす人は、人の同情を得て助けの手が入りやすい。

人が助けてくれなくても、見えざる者の援助、いわば陰助を受けやすくなる。

そして、陰助を持つ人が、霊能者にすがって救われやすく、不満を持つものは低級霊に構われやすい。・・・迷いが難を呼び、難がさらに迷い深くして、誰も信じられなくなる。・・・当事者にとっては。これを第三者が見ると、「苦しむために努力する」=「業が深い」となる。

ゆえに私は、障害は逃れるよりも乗り越えようとする。

・・・借金の肩代わりをしてくれる人は期待するだけ無駄。

つらい時、人の助けがほしい時ほど、他者への親切を心がける。

・・・心の柔軟さを心がけるため。

迷う時ほど、人の言葉に耳を傾ける。

・・・救いは人の手を借りてやってくる。

とはいえ、我の強い人、支配欲の強い人から、遠ざかるように努力する。

・・・随伴霊はあの世の奴だけで沢山だから。


利を追う者はいずれ損に追いつかれ、損から逃げる者は当然利を逃す。

損得勘定に敏い者と、付き合うのは疲れるかもしれない。・・・特に私は、最初は、損得抜きで付き合おうとするので、計算高い人間と付き合うのはうんざりとする。

でも、利(または理)だけを追って、他は見えないとか、リスクから逃げるばかりの責任転嫁魔などと比べると、計算高い人間のほうが、よほど信頼できる気がする。・・・何しろ、裏切りがコントロール可能なのだから

最初から裏切る気・満々なのに、そもそも裏切りとは気づかない身勝手(傲慢)な人間と付き合うより、よほど良い。


せっかく購入した家の家相が悪くても、家族一致団結して工夫をすればなんとかなるが・・・互いに責任転嫁していては・・・

私の知る限り、家族仲に問題のある人ほど、家相の悪い家を選びやすい・・・奇をてらうとしくじる。

むろん、3.11以降の放射能問題やら、今年五月のホルムアルデヒド問題などは、家相問題ではなく、とうぜん家族仲に原因を求めるのは間違っているだろうが。

私に触るな!

2012/04/05

注: この原稿は、数日に分けて編集されます。編集終了後に、この注意書きは削除します。


  問題としては具体的だが、説明が抽象的になるので、言葉で説明するのが難しく思えて、放置してきた問題を取り上げる。まあ、相談されたも事もないし・・・とはいえ、悩みとしては案外多いと思われる事例である。

多分、霊障(ここでは「霊的な障害」を指す。「心霊的な障害」と表現すると心理的な問題まで含まれてしまうので下記とはそぐわない。また、霊的=病気の場合を例外とする。)というと

1, 思考を読まれる、または、干渉される。

2, 行動を抑制される、または、強いられる。

3, 災難 (偶然かも?)

4, 何らかの事象を体験する (気のせいかも?)

等がある。本来なら、行動を強いられることが事故の原因にもなって大問題のはずだが、自身の思考に影響がない限り、当人としては「戦える」と判断できるらしく、一番嫌われるのは、思考に対する干渉のようである。

とはいえ、人間は希望があると無駄にあがき、苦しみを長引かせることがある。病気でもケガでも、自分ではどうにもならない、と思えばこそ、急いで医者・専門家に相談するものを、「寝ていれば治る」等と軽視することで、往々、手遅れになったりする。

つまり、手口の悪辣さからいうと、自力で何とかできそうな問題のほうが、巧妙で逃げ出しにくかったりする。

また、これまた悪辣な話だが、たとえささやかな嫌がらせでも、どうしても抜け出せなければ、やはり自力での解決を諦めてしまうだろう。

例えば、寝ようとすると話しかける。これは迷惑だ。会議中やテスト中に話しかけられるのも気が散る。無意識に返事をしようものなら、立場が危うくなるだろう。

また、入浴中やトイレなど、他の視線が不快なときに声、とくに異性の声が聞こえたら落ち着かないどころではすまない。

または、手で触れられる感触がある、首や脇、さらには陰部に感触があるのは、人間の尊厳に触れる冒涜である。

・・・こういう嫌がらせが続くのは、やはり大問題ではあるが、その嫌がらせが、たとえば、念を送ったり、手で振り払うことで退けることが出来るとしよう。すると、やられたらやり返す、やられたらやり返す、という繰り返しに陥りかねない。

反撃しているつもりでいると、往々、自分の苦しみが紛れてしまって気付き難いが、一方的にやられている時よりも気が散っているし、意識せずに異様な行動を撮り始めたと、周囲に疑われかねない。

しかも、振り払うどころか、真剣に反撃している時ほど、相手の抵抗が強かったりすると・・・要するに反撃可能というのは、いいように遊ばれていることがある。

 

獅子身中の虫

・・・いいように遊ばれる? では、敵はどこに潜むか?

もしもあなたが、いたずらを仕掛けるなら、その結果をどこで見たいか?

または、身を隠し、身を守る上で一番都合のよいのはどこだろう?

相手の後ろ?

相手の上? ・・・または???

隠れるなら、また、仕掛けるのに一番便利なのは、敵の中であろう?

そして、偽の情報を与え、混乱させ、あわよくば、同士討ちをさせる。

さらには・・・延々と争い続けさせ、相手の心が荒むように仕向ける。

 

人を呪わば?

敵と戦う。・・・もしかしたら、いや、多分、それは正義の戦いかもしれない。だが、戦い続けるあなたは、正義を忘れずにいるだろうか?

「とにかく敵を倒す!」・・・手段と目的の混同。それがないといえるか?

ましてや・・・相手の手口も気づかずに、相手に弄ばれていたとしたら、あなたに正義はあるのか?

暴力の言い訳に「正義」という言葉を用いていないか?

多くの、多くの霊能者が「除霊」が必要という。・・・暴力で解決するのか?

多くの、多くの霊能者が「浄霊」が必要という。・・・洗脳が正義か?

戦い続ける「修羅」を生むのが正義なのか?・・・そんな選択は、きっと誰かが悲しむだろう。

あなたは戦い続けて、いつか勝つかもしれない。だが、それは神の勝利となるだろうか?

あなたが勝って(自称)、神が負けたなら、この世は滅びに向かうだろう。

あなたは、この世の滅びに手を貸していないか

 

基本に帰る。

では、どう解決するか、するべきか?

 

まずは、正論が、往々、不快であることに注意すべきだ。

正しいと分かっていても、不快で選びがたい。・・・つまりは、そこに自身の修行の余地があるということだ。

正しい行い、他者のための行いなのに、それを行う自分自身が不快という壁に阻まれる。まして、その苦痛の先にある結果は、相手が向上した果てに与えられるとしたら・・・葛藤。

だが、葛藤が生じるのは、道に迷うがゆえ。・・・ヒヨコのオスメス選別のようなものだ。分かる人には解り、分らぬ人には解らないのである。

だから私は、二者択一の正解は三番目、三者択一の正解は四番目という。

今の答えより明日の正解。今日のベストより明日のベスト(それは往々今日のベター、比較的良い答え)という意味でもある。いや、そうあるべきだ。

 

繰り返すが、為すべき解決法は不愉快なものである。

なぜなら、人間は、その時々で終わらせたいものだからだ。創作者にとって「・・・続く」という結末は、次回への布石、露骨にいえば利益への誘導である。だが、読者にとってはストレスでしかない。

続くの次は続く。そして最後は、「なんちゃって?」・・・誰もがそれを恐れている。・・・人生の多くはそのように振舞うがゆえに。

・・・でも、あえて言う。私が思うに、あの世のことはあの世に任せるべきだ。つまり、不快であるなら尚の事、自ら速やかに追い払おうと思うより、霊たちに解決を任せて自身は我慢すべきだ。

勝つか負けるかではなく、自ら、「戦わぬ」「争わぬ」ということが大切と悟るべきである。

これは例えば、「世界平和に反する奴はとんでもない!!!」と怒るような、戦闘的平和主義者(世の中には案外多い)を見たなら、我が身を振り返って、為すべきを為すべきだ。

勝てるかどうかではなく、不戦こそが、神の道であろう。

 

 

 

・・・続く

ご予定は?

2012/01/31

教科書があるわけでなし、社会的にきちんと認知されているわけでもないので、ある意味当然のことで、曖昧であるが故に、「心霊研究」の対象として、しっかり定義を行い、その広報に務めるべきなのに・・・未だ至らず・・・放置しながら、人の揚げ足を取る用にして、ちまちま説明するのも面映いが・・・

人は論理を組み立てるのに記号を用いる。数式や図形や言葉・・・では、その記号が間違っていたら?

間違っていなくても、不足があれば、どうか? 例えば日常の買い物だけなら、四則計算だけで事足りるだろう。でも、現代社会生活を送る上で四則計算だけで足りるか?

・・・・・・・・

ある人のこと、「相手の運命がわかる」という。ただ、「心情や欲情でその運命は変わる」のだという。

相手に質問することなく、いろいろ判るのであれば、「相手の運命がわかる」という表現もまあ、それなりに実用的な解釈であろうと思う。ただ、心情や欲情で変わるようなものなら、生かせるのは会話中位ではないか?

さらにいえば、「運命」という言葉の意味を誤解していよう。運命は、本来、天命が動くことを表す。例えば、学校に通うつもりが、家の都合でいけなくなってしまうような場合である。

反対に、行くつもりがなくても、周囲から強いられて断りきれず、学校に行くことになったなら、それは宿命と表現する。

動くか、宿る(とまる)か・・・・動詞に着目すると正反対の言葉を、世間では混同している。

私がこの言葉を、明確に区別するのは、つまり、

  • 動いているなら・・・執着しない。
  • 決まっているなら・・・ジタバタしない。

未来を受け入れるのに、心がけを決めなければならないと思うからだ。

また、上記事例では、学校に行くか行かないか、という個人的な問題が、当人の意志に反して決まることを命・天命としている。反対に、心情・欲情で変わるものであれば、それはつまり、その人の「思惑・予定」と呼ぶべきであろう。・・・まあ、運命が分かるといえば神秘的だが、予定が分かるというなら、占い以下のくじ引きレベルの話になってしまうだろうが。

相手の予定をピタリと当てるのは、それはそれで関心のある人にとって興味深くあるだろう。

ただ、私は自分の事として思うなら、「思惑や予定のことは抛っておいてもらいた。」と思う。むしろ重大な関心事は、この先(未来)にある避けがたいこと、と、進んで行うべきことを、少しでも早く、また、見落とすことなく知ることが出来るように、ということだ。

つまり、私は運命を知りたいし、宿命も知りたい。そのためには、運命と宿命を見分けることも大切にしている。

そして、私が誰かに助言するとき、「避けがたい」か、「避けられる」か、「どうでも良いか」を区別して説明している。つまり私が未来をいう時、宿命と運命と相手の予定を私の出来る範囲で判定しようとしている。

それは往々、相談者の関心よりも更に深く掘り下げることを意味するが・・・労力は受益者こそが払うべきであろう? すなわち、未来に関心を持ちながらも、未来への道筋に感心を払わぬ人には、どうにも同情心が失せて、相手の未来が見えなくなってしまう。

 

(さらに…)

痛みは自分持ち

2011/04/20

 霊障絡みの相談が二件ある。

・・・・・・・

 一件は、かなり前から、たびたび相談メールが来る。少なくとも一度は、お断りの旨を返信したが、最近では黙殺している。

 なるほどお苦しみらしいことは文面からも感じる。しかし、私は別段、他者の苦しみを肩代わりしよう、などという、もしかしたら高尚かもしれない志を持ち合わせていないので、自分の苦しみだけを書き連ねたメールには、まったく関心が生じない。

 同情だけで問題が解決するなら、私も同情を寄せはする。が、 痛い辛いは自分持ち、医者の処方した薬が効かないなら、相談すべきは霊能者であるより、医者であるべきだ。

 というわけで、本件の相談に応じる気はない。

・・・・・・・

 もう一件は・・・当初は、離婚危機についての相談で、私もさして精神統一することもなく、「ああ、当事者がのぼせてるな・・・」と思ったので、「あまり深刻にならずに、話しあってみれば?」と、答えておいた。

 するとしばらくして、「自分につきものが憑いたらしい。深酒になり、髪の長い女性の夢をみる。また、配偶者が言うには、自分がうなされている時に、塩をまいたら止まったとの事・・・」と電話があった。その話を聞きいている私の脳裏に映像が見えるので、本件は相談に応じると決めた、

 精神統一して、いろいろ念を込めても手応えがない。もっとも、塩で退散するような、物分りのいい霊であれば、手応えがなくて当然であろう。

 相手は無法者ではない。正当な何かを伝えようとしているだけなのである。それがたとえ、怒りを伴う姿であっても。

 例えば、嫁さんに苦労をかけている男性が、『孫娘を苦しめるなよ!!』と、怒れる祖母(きちんと霊界入りしている人なら、姿は若く見えるはず)の訪問を受ければ、さぞかし、怖い思いをするであろう。・・・そういう理由であれば、その男性の守護霊も拒否することも出来ないし、霊媒・霊能者も除霊は出来ない。とはいえ、塩まで蒔かれたら、プライドもあるだろうから一時、手を引きもする。

 似た様な理由もあり・・・まあ、他にも理由があって、私が相談者に伝えたのは、

 『(当事者に)不平不満が多いと、霊障は解決しない。真の原因は霊というより、現実逃避が霊を呼んでいる感じ。生き方を変えないと。』ということ。

それに対して相手は、

『耳が痛い。不満を言わぬようにします。』であったが・・・それに対してはいまだ返事をしていない。ただ、以心伝心が霊界の理(ことわり)。言わなければ良いというわけではない。とはいえ、婚姻者が往々陥るのは、配偶者に良いところを見せようとして一人で悩むことが、結局、心の重荷になって、離婚への衝動に繋がること。

 または、親に良いところを見せられなくて、老親を虐待したり・・・子供(配偶者)に格好を付けられなくて、子供(配偶者)を虐待して・・・暴力で支配して自分の心の平衡を保ったり・・・というのはもう、心霊相談ではなく、精神的なカウンセリングの対象か。


 霊を感じたから除霊が必要・・・というのは、ごく当たり前の反応かもしれないけれど、出来れば、「己に非がないか?」と思う方がいい。己に非がある場合、まず逃れられないし・・・たとえ一時は逃れられても反動がひどいはずだ。そして、少なくとも私なら、たとえどれだけ哀れな泣き言を連ねても、身代わりで火中の栗は拾わない。

・・・

 では、(自身の)不平不満とはどう付き合うか、という問題は、私が大阪オフ会から戻ってきての話題とします。

(さらに…)

3月度東京オフ会延期のお知らせ

2011/03/11

 3月度東京オフ会にお申し込みの皆様。

 第二土曜日定例の、3月12日の東京オフ会は、中止に致します。

 交通機関が復旧しても、現状の帰宅困難者が一斉に帰宅することも考えられますし、余震のおそれもあり、たとえ皆様が無事に参加されましても、帰宅が困難になるかもしれません。

 節度を持ち、外出は控えることと、いたしましょう。

 なお、代替日は未定です。なにとぞ、ご理解、ご協力をいただきますよう、お願いいたします。

・・・・・・・

  私は幸い、普段どおり・・・むしろ普段より早く帰宅することが出来ました。自宅は、エレベーターが止まっていて健康に良いという、一長一短、あとは、多少散らかっていたけれど、これまた、木を隠すなら森の中、という塩梅です。

 どうも、私のご先祖さまは、金儲けや学業には全く無関心ながら、地震だけは神経質に守ってくれているのを常々感じます。最初の揺れの際は運転中で、サスペンションが壊れたのかと思っていたり、二度目の大きな揺れの時には、某所の非常対策センターにて、仕事の打ち合わせをするところでした。緊急放送をする傍らに立ちあって・・・結局、打ち合わせどころではなくなって、お流れでしたが。……出来すぎとも思えます。

 明日予定の東京オフ会延期は、いささか残念ではありますが、私的には、これは非常時の対応を測られているのだと思っています。

 中止・延期の判断というのは、難しいのですよね・・・

私に分からない所

2010/12/23

 私に向かって、「回りくどい言い方をせず、ストレートに言え」という人がいたが・・・ネチネチと話題にされれば腹を立てる人もいようが、当事者を無視して、あえていう。 時として、ハッキリとした答を聞きたいことは、私にも多々ある。だが、答える立場になってみるとハッキリ言っては不味いことも多々ある。例えば相手にわざわざ言質を与える必要・・・自分を縛るようなことをいうのはナンセンスだ。 (であるから、「お前なんぞの質問に答えていられるか!!」と思わなく無かったことはさておく)

 つまり私も往々、「回りくどい言い方をせず、ストレートに言え!!」と、度々思うのである。が、多くの問題について、口を濁されてしまっている。ゆえに、私が嘘をつきたくなければ、相談者に「まあ、待て」というしか無い。 ・・・といえば、私が言わぬ理由に気づく相談者も少なくない。

 ところが一方で、ハッキリ言われなくても、解ることも少なくなくて、相談者に伝えないまでも、私なりに「ああ、なるほど、そりゃ言えないわな」と思うわけである。

 つまるところ、憶測するわけで、その憶測は、どうも妄想に似ていなくもなく、従って、あまり想いすぎると自分が捕まってしまうところがある。

 ・・・で、私がヒント付きで捕まりかけた問題を一つ、皆にも考えてもらいたいと・・・私の意思というより誰か意地悪が居るということで。 

(あ、正直言って、最近の疑問じゃありません。ネタだ、ぐらいに思ってください。)

・・・・・・・

 以前、第二子がなかなか授からない、とこぼす人が・・・某震災に巻き込まれた。もしもその願いどおり子供を授かっていたら、さぞかし大変だっただろうな、と思わずにいられない。

 で、それはともかく、子どもが出来なくて悩んでいる友人が何人かいて、うち何人かは不妊治療を受けていたりもする。・・・その夫婦が子供を成すのに、今、時期ではない、としたら、その理由は何であろう? または、良い時期はいつか?

 一方、次々と子供を成している友人も居る。

 その両者の差はといえば、私が気づくだけでも幾つかあるようだが、私が思いつくに一つは、その住居・居住地の耐震性の優劣・・・なぜか多分、この話題のサンプルはかなり踏破済み(関西除けば百%)。もう一つは、当事者(夫婦どちらか)の霊感の有効性(つまり、難を逃れる能力の多少)・・・うーん、断言に難有り。

 で、おそらくこの辺が無難か、と思える答は、苦労がどうあれ、子どもがいるのは幸せと思えるか、どうか、か。・・・ただし、ここでいう子どものいることの幸せか、どうか、という判断基準は・・・難しいというより、公言しづらい。

 つまりまあ、あなたはなるほど不幸かもしれないけれど、この人(?)を前にして、子供の愚痴をこぼして恥ずかしくないかどうか、というところか。

・・・・・・・

 そういえば、私がまだ十代の頃、師匠の前で我が親の愚痴をこぼした時、『親が子を選ぶのではありません。子が親を選ぶのです。愚痴をこぼしてはいけません。』と、師から言われたことがある。これは強烈な印象をもたらしたのだが、数年後、我が師と、そのお嬢様の前でこの話を蒸し返した私に、わが師は、「あら、そんなこと、言ったかしら?」と言い・・・多分本当に忘れていて・・・または、お嬢様に当て付けて・・・

 多分、子供の出来ない苦しみというのは、子どもを育てる苦しみのほんの一部なのであろう。であろうから、「目先の苦しみに喘いでいないか?」・・・と問うて、この話題の筆を折る。 

 ・・・・・・・

 ・・・勿体ぶらずに言えばいいのに・・・

 そう、でもあえて言わないなら、どのような理由があるというのだろう?

きな臭い

2010/12/21

読者の方は、風評を振りまかぬようにご注意下さい。


「(己の)霊感が上手く働かない」という話をよく聞く。または、「霊感・チャネリングの訓練中」という話も時々来る。


 私事、忘年会参加時のこと、結構豪華な景品(大型液晶テレビ2台! その他)の抽選会があった。・・・そのルールは、まず司会が抽選し、それで選ばれた人が、目の前に並べられた看板を選んで、その裏に書かれた景品を貰えるというものだった。

 つまり、一番最初の人が一番高価な景品を貰えるかもしれないわけだ。

 で、始まってすぐに、私は液晶テレビが隠れている看板に(直感・霊感で)気づいた。・・・すると同時に、(推測で)もうひとつの事実に気づいた。私は抽選で選ばれないのである。 だからこそ、霊たちから早々に景品の在り処を教えられたのだろう。案の定、液晶テレビも、IPODも目の前で皆、誰かに持って行かれてしまった。

 どこに景品があるか分かっていても、選択権がなければ役に立たない。とはいえ、宴席でシラケた顔を見せるのも変なので、それなりに騒いでいたけれど・・・


  そもそも情報源があって、初めて受信に意味が出る。霊がいて(相談者もいて)こその霊媒である。・・・教えて貰う内容を選り好みしていては情報源からは嫌がられる。

 霊能力は、決して引き落とし自由のATMカードではない。むしろ、お金を拾って喜んでいたら、実は自分の落とした金であった・・・というのに近い。だからといってがっかりするのはナンセンスで、もしも自分で拾わなければ、己の財産が減るのである。

 ただで糧を充てがわれるのではなく、無理ムダを省くことで豊かになれるのが心霊の道なのである。世の中では超能力とか、超常現象とかいうが、派手なら中身がないのが心霊でもある。地味に信じるのが良い。そして、無駄遣いを好む者、少なくとも是とするものはあまりよい情報源を得られない。というか、騙されたとか、当たらないとかいう人の話を聞いていると、そうなっても無理もない質問、もしくは、答えるのに無理のある質問をしている人が多い。


 もう一つ。

 隣国は、砲火できな臭い。・・・では、戦争がおこるのか? 起こらないのか? 戦争は怖いね、いやだね、日本はどうなるのだろう???

 私は知らない。というか、朝鮮戦争は未だ停戦中であって、停戦中というのはつまり、戦争は継続しているんだよね・・・ならば、「戦争がおこるかどうか」という質問はナンセンスだ。で、「砲火を交えるのか、どうか」といえば、もう交えている一方で終結は宣言されていない。「悲惨なことが起きなければ良いが」というのであれば、北はなにやら飢餓で大変な様子。

 すると、『隣国の戦争を心配するというのは、自分の安寧のみを心配する質問か?』という話になってしまう。それこそ、相手にされなくて幸せ、まともに返事をされたら面白くないことになってしまうだろう。・・・叱られるとか、担当する通信霊が格下のものと入れ替えられたり・・・

 でもね、戦争のことは以上のような理由から教えられないとしても、他に考えるべきことはあるはず。

 例えば、自動車に乗っている人なら、今まで赤ランプがつくまで燃料補給していなかったとしたら、それこそここしばらくは一目盛りでも減ればすぐガソリンを補給するとか、非常食や消耗品も無くなるまで待たずに買い置きしておくとか、停電に備えて電池の用意、カセットコンロの準備とか・・・

 何事もなければそれはそれで良いし・・・年末に来てガス欠で慌てたり、ガソリン値上げで面白くない思いをするよりは、価格が低めの今がよい機会であろう。多少の散財であるとしても身のある買い物であるから後悔は少ない。

 で、とりあえず私は、車のガソリンを満タンにして、灯油もタンクを満たし、ミネラルウォーターを一箱用意し、停電時に火の気がないのも困るのでカセットコンロのガスボンベを用意した。・・・戦争絡みだけではなく、単純に雪の重みで電線が切れたらどうなるか、イメージしてますか? 石油ファンヒーターは、電気がなければ暖を取れない。

 さらに、賞味期限に余裕のある缶入りクッキーその他を親の家に。非常食というより、非常時用のおやつのつもりで。

 別にモノが買えない時代が来ると思っているのではない。また、戦争が起こると知らされたわけではない。でも、隣で戦争が起こって日本船籍のタンカーでも沈むことになれば、パニックが起きて買い物もままならなくなる恐れはあるよね? または便乗値上げとか。

 無くて焦って商店に並ぶよりも、しばらくは様子見出来る余裕があることが大切だと思う。

 そうやって備えておけば、人より冷静でいられるし、危機の時の冷静さは、平時の下手な霊能者の助言よりもはるかに大きなインスピレーションをもたらすものだ。

 (そりゃそうだ、必然性が違うのだから。でも、いざという時に聞く耳持たなければ話にならない。)

・・・だけど、こういう話をしても半分ぐらいの人がどうも腑に落ちないらしい。自らの困窮がイメージできないのだろうか?

 そこでもう一つ。

 例えば隣国で戦争が起きそうであっても、原子力発電所が爆破されたらどうしよう・・・とか、核爆弾が落ちてきたらどうしよう・・・などというのは、個人が心配しても仕方が無いし、無理に備えて数カ月分の水と食料を用意しても、その結果、荷物が多くて避難が出来なくなってしまうだろうからナンセンスだ。

 ほどほどに、無駄なく・・・行動すべき時、行動しないことが無駄な時に、行動しなければ、その他の無理や無駄を教えてもらえると思うか?

 繰り返すけど、山ほど買って置け、というのではない。足りないものが無い様に心がけるべき時期だ、というのである。それをしてこそ、次がある。

 あえて心霊問題に引き戻すと、つまり、助言を受ける意味ある人であるだろうか、各々(私も含めて)、時々反省するべきであろう。

 私だって大げさすぎたかな、と思わないわけではない。・・・親はお土産と、私の心配りに喜んでいたみたいだが。


   個人ではどうにもならない戦争の問題を、あれこれ思うよりも、自分に出来る範囲で出来ることを考え、少しずつでも実行しておくほうが、無駄な考えが湧きにくい。無駄な考えが湧きにくいのは、つまり、己の守護霊の側にいる証だ。

ありがとう。

2010/12/18

 私事多忙のため、メールへの返信が遅れております。ご丁寧なる礼状(イヤミ付きの礼状は省く)と、お見舞いのメール、ありがとうございました。 しかしながら、思うところありまして、お返事はしばらく棚上げさせてください。


  霊感は誰もが持っている。

 ・・・といえば、「ではなぜ私には霊感が無いのか?」と思うであろう。

 おそらくそれは、当事者が、自身の発想・妄想と、霊感の区別が付いていないのだろう。

 ・・・だって私の思いつきは当たらないし・・・

 あれ? そもそも「死後の個性」である、「霊魂との通信」が霊感のはず。

 人が死ぬのに善人・悪人の区別はないし、はっきり言って世の中に賢人は見出し難いものである。無論、死者は膨大であるから、霊界には多数の賢者が控えてはいる。だがそれ以上に、意味も思わずに行動する者は多いので、はっきりいって、霊界通信を高度に維持するのは難しい。

 それ故、私は思う。・・・(つまらぬ相手からの)霊感を持て余さないだけ幸せじゃないか。と。

・・・・・・・

 いや、むろん、私レベルのちっぽけな霊感であろうと、多分、差引プラスであろうと感じるので、使えないほうが幸せ、とは言わない。ではあるが、おそらく霊感を向上させるのに必要なのは、直感(表現が難しい)の訓練というより(まあ無駄ではなかろうが)ではなく、良き通信者と縁《えにし》を結ぶことであろう。・・・というか、ぶっちゃけ、霊能者と言われる人々は、およそ当人の自覚有無に関わらず、また、相手の自覚有無に関わらず、死者・生者双方の霊媒と関わりがある。

 まず間違いなく、必ず霊媒経験者(霊)が関わる。なぜなら、良い霊界通信には知識も大切であるが、霊界通信自体はどちらかというと技能に近いからだ。

 (例えば、音声通信だけで、地図を書くのにどうするか考えてみて欲しい。メールに添付、などという当たり前な方法しか思いつかない人であれば、多分、霊界通信には向かない。少なくともむちゃくちゃすごい感覚の持ち主でないと役に立たない。)・・・その意味で、情報通信技術の発展は、霊界通信技術を退化させていくかもしれない。

 ちょっと脱線すると、天与の才であることを憎んで、霊能者に反感を抱く人も少なくないが、霊感は天与の才というより、血統・霊統(天ではなく人)の賜であって、怨むのは意味が違う。なにしろ、簡単に他を恨む人に味方したがるのはどのような人か思うべきである。おそらくは攻撃的で、他者に敬意を払わぬタイプの霊ばかりと縁《えにし》を結ぶことになるだろう。それは自然な帰結であって、逆らうのは難しい。となれば、それで霊感が悪い方に開かなければ、ものすごく有能な守護霊がついていると信じるべきである。・・・とはいえ、大人目線の守護霊で、あなたの願いはろくに認めてくれないだろうが。

 ともかく、人の世は大勢の人々の意思で成り立っている。いや往々、人々の意志とは関わりなく動くことも少なくないのである。・・・つまるところ、あなたの意志、あなたの願いを実現する働きは極めて少ない。それが現実である。概ね、思い通りに生きているかのように見える人も世の中には決して少なくないが、そういう人々は大抵、無意識のうちに需要を読んで先回りしていることに気づくべきだ。(言い換えれば、実現を願うというより、実現するべきことが実現するように願っているだけ、ある意味、世間に便乗しているのである。)、そう、思い通りに生きるには別な才能が居るのである。

 で、己が思いをなにより大切にして、他の思いを(露骨に)軽視しすると、思い通りにならないという形で苦しみを得るのである。

 おそらくは、世の人々は皆不幸(霊界の自由さと比べれば間違いなく)で、ただ、不幸ゆえの苦労を、苦にしない人と苦にする人、もしくは思い通りにならないというだけで苦しむ人が居るのであろう。

 または。つまり、私が思う理由であるが・・・もしくは私の抱く価値観であるが・・・

 

 人は時間と空間に縛られ・・・約束の時間に間に合わないと悩み、想いの強さ(霊性)が、世の中の事情という物質的な制約に支配されているのが、我らが地上の生、詰まりは人生なのである。・・・まともな霊性、(だいぶおまけを差し引いて精神性)の持ち主が、この世で生きて幸せなはずがない。

 ・・・もしくは・・・・これを他者に教えるのはとてももったいなく思えて、それゆえもったいぶる訳であるが・・・今生(現世)の苦しみを難なく思えるのは、来世の幸せを知るが故か。

 そして・・・あなたが苦しいのは、来世の幸せを知らぬが故か。または、来世の不幸を知らぬが為に汝の守護霊に責められるが故か。

 不幸の原因を見出すのは注意が必要だ、不幸の種が潜むからとは限らない。幸せの種が少なければ、ささやかな不幸があなたをどん底に突き落とすのである。

 

 

 

 

 

(さらに…)

霊格の判定 2

2010/10/20

関連; 霊格の判定


 低級霊の除霊法についての質問が複数から来た。

 メールにはそれぞれ返事を書いたのだが、読み返してみると、われながら何を書いているのかよく判らない。解答というより、謎掛けであろう。・・・反省してみると、まあ、私もついついご丁寧に返事をしようと心がけた結果、かえって迷路に踏み込んだ感がある。そのあげくに、私も迷い、いささか下品な用語を多用して返事をしたというのは不毛と言うに尽きる。

 要するには、迷いのある者(低級霊)に真剣に関われば、一緒に迷うことになる、ということである。 これは、霊に限らず、人も同じだ。

 ・・・といえば、「その上から目線がイヤ! 嫌い!」といわれるわけだが、では、同じ目線にたって、悩みを理解したらどうなるのか?・・・一緒に迷って苦しめば満足するのか?

 確かに、一緒に苦しむ人がいれば、一時はいい気分を味わえるらしいが、一人で苦しんでいるのを、二人で苦しめば幸せ、などという、トンマな話を、ここで続ける価値を私は見出さない。その後、皆に自分の苦しみが連鎖していくのを見て、さらに重荷に思うことになるのは、自業自得と切り捨てるのは(少なくとも他人にとって)容易いが、むろん、問題解決につながらない。

 迷う人に必要なのは同行者か?・・・ともに迷うための? ナンセンスだ。

 迷う人に必要なのは道案内(ガイド)であろう。・・・が、道を知る道案内(ガイド)に嫉妬してどうなる?

 迷う人は迷うべくして迷っているのである。それを救おうというのは、論理では無理、ならば、いまさら論じてどうなる?

・・・つまらぬことを。どうせ語るならば志を。

 まあ、迷い人も寂しかろうから、迷うためでなく、癒すための同行者・または伴侶を欲して不思議もない。・・・その場合、上から目線で小うるさいガイドは、打ち解ける対象外であろうのも仕方のないことだ。だが、道案内(ガイド)を不要と考える人ではどこに向うというのか?・・・まあ、良き伴侶を得れば、そこらの小路で行ったり来たりするのも楽しかろう。それを、とやかくいう無粋は避けよう。

 ところで、悪縁は断ちがたく、良縁は切れやすい。・・・道案内(ガイド)は優秀なほど、嫌われればたちどころに去られ、同行者や伴侶は飽き・嫌っても容易に・無傷で分かれることはできない。 好きならばこそ大切にしたいのは当たり前だが、嫌でも大切にしなければならない者を、どう扱うかで、人の価値を量ることが出来るのである。

 好きな者だけを身の回りに置きたいのは人情であろうが、往々、自分さえも好きになれない人が、いったい誰を好くことができるというのか・・・幸せなのは知らぬうちだけだ。知らぬから出来る、それもまた迷い。・・・そして、失うことを恐れて、知ることを拒絶する。それこそ迷い。

 結局、迷う者はしつこくなる。低級霊もしつこくなり、「除霊なんて、拗れるだけだから止めろ。」という話になる。

   出来れば相手にしない。

   相手にするならおだてて扱う。

   時々は脅かす。

   そしてやっぱり相手にしない。


 「3」に続く。

霊格の判定

2010/10/16

 悪縁は断ちがたく、良縁は切れやすい。・・・まず、これを前提に考えてもらいたい。

 身内ならば、馬鹿な子であれ、いや、馬鹿な子ほど大切にする。だが、赤の他人が擦り寄ってくるとしたら何故か。いや別に、「人を見たら泥棒と思え」というのではない。

 子供のいたずらを、その親が見ていない時に周りの大人が叱る、というのは判る。だが、親をさて置いて叱るとしたら、それはそれで問題だ。

審神者《さにわ》

 低級霊をどう見分けるか、を、考えてみたい。

 結論からいえば、あまりにかけ離れた霊を見分けるのは困難である。俗に、何とかは紙一重、であり、いろいろなヒントがあるにしても過信は禁物・・・というより、過信は淘汰の手段であると思うべきだ、それは決して最終試験ではないが、昇進試験ではある。すなわち、過信による失敗は、腰を落ち着けて解決に着手すべきことである。

 また、霊を見分ける手段について、それを霊だけに当てはまると思うべきではない。もしも、私達人間が、霊界通信からその相手の霊格を測らねばならないとしたら、それは事実上、相手の人格を測るに均しい。なにしろ、実力行使があったなら、結果を見ればその霊格が明らかだからだ。

 

実力行使

たとえば、霊感の強い人が、頭痛や、不快感(霊から来ると感じられる)に悩まされていたとする。

「一体、私の守護霊様は何をしているのだろう?(もっと働けよ!)」・・・と思うわけだが。

 だが、立場が違えば利害も異なる。何らかの注意を発したかったり、または、誤った事柄の保証人にはなれないと思われたり。・・・具体的には、守護霊以外との霊界通信、または、守護霊が認めた以外の霊界通信をしているとこういう事が起こる。・・・その結果は関知せず、いや、ここで庇えばさらに悪い方向に行く、と思われるわけだ。

 守護霊が認めた以外の霊界通信(以下「不許可霊信」と表現)の害は大きい。・・・守護霊が無視・・・低級霊が入り放題・・・しかも騙しやすいと思われて・・・集まってきて内輪もめまで始めて・・・収拾が困難になる。

 低級霊を呼び寄せるのは、霊媒、もしくは、霊感の強い人だけではないが、霊感の強い人は悪循環に陥りやすい環境にある。

 

 人格

 ものには言いようがあるはずだ。例えば、緊急性があるなら「ダメ!!」と大声を出すことに躊躇してはいけない。だが、もしも時間があるなら、「ダメ」と相手を否定するより、「こういう方法もいいですよ。」と、代わりに誘導をすることも出来るはず。

 誘導といえば言葉も悪いが、否定よりはましだし、そもそも、人は一般的に否定を拒絶する一方、誘導はやり方次第である。・・・煽てられれば、水火を厭わない人は決して少なくないのだから・・・いや、ただ闇雲におだてろ、というのではない。相手を見て言葉を選ぶことが大切なのだ。

 さらには、受け売り、権威付け、レトリック・・・議論は趣味の一端を担えるかも知れないが、理解できぬからこそ信じるのだ(ゆえにすべての霊を判定できない)、理解できぬのに議論が出来るか? 理解せずに議論するならそれはただの空論である。そして空論を繰り返すのは誰か。古人は、生むより多く費やす者を「穀潰し」と呼ぶ。

 そう、私の手の届かぬ高級霊のことはいざ知らず(実はおもしろいテーマであるけれど)、人(そして霊)の言葉は、創造的な言葉と、消費的な言葉に分けることが出来る。そして、消費的な言葉は語るに値しないのである。

 話題に反して、あえて受け売りを言う。

「噂話は賢者で止まる」・・・見たり聞いたりしたことは、みだりに他者に漏らしてはいけない。それを口にする時には、もう、誰の話でもなく、あなたの話になるのだから。そして人々は、あなたの話を聞いて、あなたの人格を測る。

 霊媒が、霊の話を聞いて、霊格を測るのと同様に。・・・受け売りを言うなら、その結果を甘受する覚悟が必要である。

練習台

 たとえば、霊感の強い人が、自分の得た霊感を第三者に話して鑑定して貰うというのは、むろん自信に繋がるし、大切な練習でもある。・・・さらには、霊感を得ている時というのは往々、一種酩酊状態で、その善し悪しを判断するのが難しいのも事実である。

 難しいからこそ、克服する価値があるし、過ちが多いからこそ、努力の意義もある。

 そもそも、世の人々に霊感のない人はあり得ない・・・もしも霊感が無いなら、その人は死後、何も見えず、何も聞こえず、暗闇に閉ざされて生きるというのか。まあ、そういう境涯の人もあるだろうことは古典的霊界通信に書かれていることでもある。

 誰もが、少なくとも多くが霊感をもっているのに、「霊感が無い」と自称するのはなぜか? ・・・問題は有無ではなく、自分自身が己の霊感を信じるか、どうかにあるのである。それこそ、間違った自信も実力の内であり、それは、自信のなさ故に実力を発揮できずにいる人が多い世の中であればこそ、でたらめが通用するという、心霊の暗部の表れでもある。

 そう。多くの人は、実力があるのに、自信がないからこそ、声援を求めている。それゆえ、声援するだけで何とかなってしまうから、占いが職業として成り立ち、偽霊媒も商売が成り立つのである。それを非科学的と論じる人は間抜けと言うしかない。科学が人々を勇気づけているなら、心霊などと言うあの世のことが、社会の表に出る必要もないのだから。

 そして、声援が必要であればこそ、批判や、体験の裏付けがない受け売りや、単なるレトリックが不毛であると言われ、非生産的であると言われるのである。そして、霊感は有無が問題なのではない。その質が大切なのである。

 

 

 

 

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