‘心霊相談(事例)’ カテゴリーのアーカイブ

厄年

2006/08/13

2006年08月13日


オフ会参加者から質問が上がった。

Q 「厄年なんですが、何か特別な注意がありますか?」

あなたの場合、心配がないと思います。……

俗に、厄年の頃に親を亡くした、等という話もありますが、それは、悪い出来事がたまたま厄年にあった、ということで印象づけられているだけで、親の健康までも、自分の厄年の所為にするのではきりがありません。……心配しても不毛でしょう。

また、男性の42歳、女性の33歳の厄年の場合、年齢的に病気が出やすいというのもあるでしょうが、それ以上に危険なのは、男性の場合、自分の将来性への焦り、女性の場合は、容貌の衰えに対する焦りが大きくて、無理をしたり、不誠実な行為に走ったり、ということなのです。

しかし、昔と違って婚期が遅くなった現代のこと、厄年の頃に結婚を前提として交際できる人を見つけたのであれば、不誠実な行為も何もないわけで、それについて、あなたには心配の必要がありません。

そもそも、人生には浮き沈みがあり、外に向かって努力すべき時と、内に向かって努力すべき時があります。衰えがあったり、焦りがあったりする時機は、内に向かって、精神的内容充実に努めるべきなのに、外交的、発展的な成果を求めると、衰えから支えきれず、焦りから失敗しやすく、得るよりも多くを失いがちです。

したがって、新たな伴侶を求めるのではなく、今の伴侶と内容充実に努めているのは、厄年といわれる時期に良い態度であります。

……他のメンバーから……

Q 「そういえば、私の会社の創業メンバーは、厄年の頃に一肌上げようとして今の会社を作ったみたいです。」

ですから、収益率にこだわるけれど、新しい方向への転換努力が足りず、景気の変動や新製品の採用などをチャンスとして生かせずにいるでしょう。

忍耐は無駄に強いられるわけではなく、次のチャンスに飛躍するために必要な、充実を図るべき時期なのです。この時期に無駄に動く人は次のチャンスを生かせません。

……端的にいえば、あなたの勤め先は逆境に弱い会社です。


とにかく、吉と聞いても奢らず、凶と聞いても心を乱さず、その時々に為すべき事を為していれば、大過がありません。

むろん、それでも事件は起るでしょうが、何となれば人生は魂の修行の場だというのですから、試練の全てから免れることは出来ません。……避けられないものを不安に思うよりも、やはり、為すべき事を為すだけのことしか出来ようはずもありませんよね。


最近ケガが多いが?

2006/08/11

2006年08月11日


Q 「夫がこの頃よくケガをします。占いでいうと今年は大殺界に入ったのですが。……何か手立てはあるでしょうか。それとも心配し過ぎかとも思うのですが。」

回答に躊躇する事情

間に人が入る「間接相談」は回答に難があります。仮にどんなに素晴しい答を用意したところで、質問者が適切に理解できなければ意味をなさないわけで、場合によっては真実よりも、嘘も方便的な回答の方が適切な事もあります。つまり、当事者に相応しい回答こそが適切な回答と呼びえるわけです。では、いかなる回答が適切であるのか、それを判断する上で、当事者自身の言葉で質問を受けることがとても重要になります。

また、なによりも当人の自覚が必要な問題の場合は、やはり、当事者本人からの質問が大切です。

さらに私が回答に躊躇するのは二点です。

まず、ケガをしやすい人には負けず嫌いが多いこと。当事者が助言を素直に聞くと考えることには無理があります。むしろ、逆効果になることが多いものです。

つぎに、霊査をとったときに眼前に立った霊が女性であり、恐らく質問者の守護霊であろうと思われること。するとどうも、助言というより、意見になるのではないか、そうなるとなおさら当事者が素直に受入れるだろうか、と思えるわけです。

さらにいえば、この件に関する一般的な回答そのものが、女性からいわれたくない言葉を含んでいることも躊躇の理由に挙げるべきかも知れません。まあ、そこまで書けば回答したのと同じでしょうが。

……まあ、私も一緒になって心配しすぎても話が進みません。

ケガをしやすい人

ケガが多くなるのは、むろん、無理をしているときに多く見られますが、むしろ注意すべきは、身体感覚の異常……自分の身体の大きさを適切に把握していないためにくぐれると思って入り口に頭をぶつけたり、当らないつもりで手や足を打ったりということが多いかと思います。これはたとえば車をぶつけたり、こすったりというのにも当てはまります。車両(の大きさ)感覚が適切であれば避けるように運転するのに、避けたつもりでこすったりするのは、認識している車両の大きさと、実際の運動との間に差があるからです。

こういう時には、まず身体感覚の再認識が必要であって、焦っても、心配しても意味がありません。そのほか、イメージトレーニングや目をつぶって壁にぶつかるまで歩く、といった練習法が考えられるでしょう。

もう一点、人間、22歳程度が身体発達のピークで、それまでは特別な工夫をしなくても体力の衰えを感じないのに対し、以後は努力を怠ればどんどん体力が落ちるのを感じるようになるという生理的な問題があります。……考えてみれば当たり前なことなのですが、その事情が気に入らなければ、適切な対応が出来なくなってしまいます。

……まあ、この辺は常識的ではありますが、だからといって、誰もが特定の年代にケガをするとは限りません。

・・・・・・・

危機に際した時、またはストレスを感じた時、ぎゅっと手を握るタイプ(集注型)の人と、ぱっと手を放すタイプ(うっ散型)の人の二種類に大別できますが、恐らく御主人は後者で、危険を感じると過剰的な行動をとりがちなのだと感じます。しかもストレスを溜め込んでいて身体感覚にずれが生じているのではないか、と思われます。

つまり、ご主人は、気質・体質的に過剰な行動をとりやすく、よくいえば頑張りや、悪くいえば負けず嫌い的性格から、身体感覚・運動能力と、自覚の間にズレが生じやすい人なのだろうと感じます。すると結論的にケガをしやすい人であろうと思われるわけです。

大殺界

私は新聞の四コマ漫画を見る程度にしか、占いに興味が無く、「大殺界」なるものを聞いたことはあっても詳しく知る者ではありませんが、私が教えられてきたのは、人には外に向かって盛んに勢力を伸ばす時期と、表に出るのを慎み内容の充実に努めるべき時期がある、ということで、例えるなら、晴れた日に家で勉強していたら所得は寂しくなるし、風雨の強い日に仕事に出ては、稼ぎも少なく、ケガや病気をしやすく、益よりも害が多いであろう、ということです。

つまり、占いで大凶が出ても恐れることはなく、ただ、考えるべき事があるとすれば、自分が外・内のどちらに向かって努力すべきかという判断でしょう。

外に向かって枝葉を伸ばすばかりであれば、人としての内容が薄くなりますし、内に向かって掘り下げるばかりでは、内容が濃くても社会的な意義を持ち得ません。……占いでいう吉凶とは、そのまま吉凶なのではなく、吉凶の時機の利用法こそが真の吉凶だと思います。

凶といわれたら家で勉強三昧、吉といわれたらせっせと外出して新たなチャンスを掴むべきなのです。

Q「昔、ある霊能者の方に、旦那が事故を起こしやすいからお払いをといわれても、本気にしなかったのですが……」

昔から、「(いきなり無事は虫が良いから)大難は小難小難は無事に……」と祈れ、といったものです。

「大難が無事に」という、虫の良い祈祷を望めば、開運業界の方々に良いカモにされてしまうでしょう。

その祈祷が偽物であると思う根拠もありませんし、一方で、私も、あってもいないご主人ですが、「気質・体質的に事故を起しやすい人」と感じているのですから、その霊能者さんを偽物とは思いませんが、そもそも神は騙せず、因果は眩ませず……祈祷が効いて事故に遭わなくても、大病するなど、金銭抜きで因縁的な帳尻が合うだろうな、とは思います。

お祓いよりも大切なのは、ご自分の気質をよく把握して、日常では無理をせず、ストレスを溜めず、安全なストレス発散法を身につけて、これからも年齢相応に自分らしく生きられるようにすることがより効果的だとおもいます。

そもそも、奇道とは、たまにやるから効果的なのであって、日常、正道を歩まない人が奇道を選べばかえって害が生じます。……不安だからと安全祈願の祈祷をするよりも、危険を感じる都度に、行動を反省し、自分なりに改善案を立てることの方が効果的でしょう。そして実際に実施する段になって、初めて加護を祈るのが本来の神頼みなのです。


回答不能

2006/08/09

2006年08月09日


どんなに素晴しい答を用意したところで、質問者が適切に理解できなければ意味をなさないわけで、場合によっては真実よりも、嘘も方便的な回答の方が適切な事もあります。つまり、当事者に相応しい回答こそが適切な回答と呼びえるわけです。

では、いかなる回答が適切であるのか、それを判断する上で、当事者自身の言葉で質問を受けることがとても重要になります。……とはいえ、当事者の言葉で質問を受ければ、なおのこと返答に詰る事も多々あります。

たとえば支離滅裂な質問は、途方に暮れざるをえません。……日本語能力に難のある人にも理解してもらえるような平易な回答が存在すれば良いのですが。

又は礼儀知らずや無茶な要求も、回答に難があります。……いえ、特別な作法や文体、書式を問題にするのではありません。ただ、相手に対する思慮の不足している人と関わっても不快な思いをするだけですし、そういう生き方をしている人ですから、対人トラブルや霊的トラブルを続々生み出していてもなんら不思議はないのです。

もしも当然の帰結として今があるなら、その理由を尋ねられて答えることに意義があるでしょうか? 目の前にある答が見えないのであれば、きっと知りたいのではなく、知りたくないのです。知りたくないものをわざわざ教えてなんの意味があるのでしょう?……向上心のある人なら、背中を押すことで新たな境涯に入れるかも知れませんが、それはあくまでも可能性の話に過ぎません。いや、どうも過去の事例を思い起しても、まったく可能性の話であって、可能性の話でしかなかった事例以外は思い出せません。

当事者に関する情報に不足があったとしても、霊査で補うことも場合によっては可能です。ですが、当事者が上記のような人であれば、霊査の表現方法に悩む、という以前に、回答をするか否かに悩んでしまいます。


難を避けるには

2006/08/03

2006年08月03日


関連記事: 「産土神」にて、旅行中に事故にあう予感がしていたという話を書きましたところ、以下の質問を頂きました。


Q 「事故に遭う予感がしたなら、旅行を取りやめるべきでは?」

心霊が扱っているのは宿命論ではありません。難をどう転じていくかが大切なのです。その意味で、ある程度以上に霊感を得た人にとって、自身でキャッチした悪い予感への対処法はとても重要であります。

さて、事故の因縁は以下の三つに大別できるでしょう。

  1. 過失や慢心、または過労による無理といった自業。
  2. 過去世が原因などの宿業。
  3. 霊障など。

当然、原因が異なれば対処法も異なります。

1,原因が自分にある自業であれば、旅行を取りやめ、延期することにより、たとえば疲れが取れて穏やかになり、気の高ぶりがおさまることで難を逃れることも出来ます。このような場合は、いくら神仏に縋っても運気が変ることは期待できません。自らの責任をおろそかにして神頼みするのは文字通り罰当りなことだからです。……諸般の事情がありましょうが旅行は延期すべきでしょう。

2,過去世が原因である……宿命であるとしたら、まさに延期しようが中止しようが結果は同じとなります。むしろ、難から逃れようとあがくと、あがいた分だけ、利子・おまけがついて事故が大きくなります。しかし、人間知恵には計り知れなくても、結局は最善の選択がその事故なのですから、神に祈ろうがどうしようが避けようもありません。ただし、別な犠牲への置換えが許されることもあります。つまり、旅行を止めても別な運転中に交通事故のおそれがあるが、旅行費用相当額を慈善団体に寄付するなどしたなら、事故を免れるという可能性です。

3,霊障であるなら、事故を画策する霊魂を取除かなければやはり結果は同じとなります。旅行費用相当額を寄付したとしても、悪霊・低級霊を引寄せがちな心境を改めなければなかなか運気は変りません。


さて、私の事故予見の事例では、数日前から、周囲の車の運転がとても乱暴であることに気づかされました。これは必ずしも特別な出来事ではなく、私が乱暴な運転の車に神経質になっていた可能性もあります。どちらにせよ、私はこれを予兆と受止めていました。さらに当日は、追突事故の光景……私の車の後半がぐしゃぐしゃに潰れている姿も見えていたのです。そして、これが霊障がもたらすものだとすぐさまピンときました。

私とて、最近はあまり積極的に名告りはしませんが、霊能者としての自負心を持っていますので、それなりに対処可能と考えてはいたのですが、すぐさまその過ちに気が付かされました。

出発して30分後、母が薬を忘れてきていることに気が付き、取りに戻ることになった……そこでハッと気が付かされました。つまり、この旅行の主導権は霊媒である私にはなく、母にあるということなのです。

さて今回の旅行の目的は両親の故郷の墓参でしたが、その実は、足腰が悪くて旅行が難しくなった母親の(もしかすると最後の)里帰りだったのですが、やはり身体が弱った年寄はどうしても愚痴っぽくて、私も精神的に持て余し気味であったのです。また、足腰が弱ったからといって、すぐさま世間との付合い方を改めるわけにも行かず、身体の問題以外にもいろいろと悩みを抱えているようで、母の紡ぐ悪因縁もまた私の悩みの種だったわけです。……なにしろ負けず嫌いで意固地なのです。

悪霊の顔まで見えているのに、除霊をしようとすると背後霊に止められます。……「母親にも落ち度はあるのに、相手の霊だけを責めるな」、というのです。道理とはいえ、被害を受けるのは私の車です。これには困りました。……母はなにしろ負けず嫌いで意固地な人ですから、ヘタに指摘すれば、かえって感情的になって悪業を増すやも知れません。

結局、目前の低級霊には眼をつぶり、産土神に全てを委ねて難を逃れたわけですが、渋々と選んだ選択肢は恥ずかしながら正しい対処法であり、悪霊・低級霊が見えたから除霊するというのは、かつて私がさんざん主張したところの、乱暴な対処法な訳です。

自分自身の問題となると冷静な対処が難しいのは確かですが、さすがに長距離運転と母の相手と、低級霊への対処を同時に行うのはとても荷が重いことでした。


複数人で旅行に出掛ける際の運不運は、その旅行計画立案に支配的影響力を及ぼした人で決まります。たとえば、一人が遅刻してきたとします。その結果スケジュール変更が余儀なくされると、遅刻者の持っている因縁が参加者全員に影響を及ぼすのです。

むろん、遅刻によって難を逃れた……という話もありますので、これは吉凶、両方に働くことです。従って、闇雲に遅刻やワガママを責めるべきではありませんが、私が危険に感じるのは、無思慮、無頓着な人が主導権を握る旅行は、運が良かった試しがありません。


疲労・過労

2006/07/17

2006年07月17日


「心霊主義掲示板」より

Q「スケジュールを間違え、仕事に遅刻してしまった。仕事に対して傲慢になっているのではと反省している。」

あなたは、「慢心」というキーワードに特別な感情を持っていらっしゃいますので、「自分が慢心していた」という発想に思考停止するところがあります。くれぐれも気をつけてください。
反省なさるのは大いに結構ですが、順番を間違っては意味をなしません。人は、感じ、思考し、行動するわけですが、行動に過ちがあるとすれば、原因は思考か、それ以前の感覚にあると考えられます。ところであなたは、約束の時間を間違えるという感覚上のミスから、スケジュールの立案という思考をしたわけですから、思考よりも感覚に問題がありと認めるべきです。
単調な仕事に飽きが来たのか、それとも注意力が散漫になっているのか、いずれにせよ、私ならば、それを過労のサインと受け止めます。仕事の変更に不満を抱いたということですが、それもまた、疲労・過労のサインと見なせます。
……まずは疲れをとることです。本当の反省はそれからでも間に合います。

学ぶということ

どうも現代人は、学ぶことと知識を得ることを混同しています。しかも、その混同は単なる勘違いではなく、繰り返し反復仕込まれた一種の習性、いわば癖であることに気がついていません。

癖であるのに、「ハッ!」と気がついた瞬間に、それを悟り、会得したつもりになるけれど、「ハッ!」とした10分後ぐらいにはもうほとんど覚えていないのです。

なによりいけないのは、知ることを学びと誤解しているから、知っただけで満足して、検証せず、応用せずに終わらせてしまうことです。だから誤解があってもいつまでも気がつかない。

そもそも、学ぶとは「まねる」が語源だとか。まねることをせずに知るだけで知れると過信する……つまり人の仕組を知ることから始めなければ、知識が生かせないのです。

身体を動かしながら休む!

いくら教養があっても、応用が出来なければ価値は激変しますし、正しく知らなければ迷信に陥ります。

疲れたら休む……さほど間違った話ではありません。

ですが、休む=家でダラダラする……これは迷信です。身体を動かしながら休まなければ、身体の芯に疲れが溜まります。この誤解の事例として、疲れが抜けないから温泉でも行ってゆっくりしたい……等という話がありますね。でも、体の芯を温めたいなら、特に気温の高い時期では、表で身体を動かすだけで十二分です。逆に、身体を動かさずに温泉につかっていたら、充分に汗をかくよりものぼせる方が早いでしょう。

もしも、家でダラダラしたいと心底感じているなら、それは「疲労」というよりも「他人の視線に負けている」のです。いわゆる引き籠もりといわれる人々も、事情は色々あるでしょうが、その行動の決定的な要因は他人の視線に負けていて、視線を避けているのでしょう。

むろん、疲れて闘争心が萎えている場合にも、他人の視線に負けがちですが、だからといって家でゴロゴロするというのは最悪(非効率)の選択肢です。ならば、家族や友人等と表で発散する方がよほど効率よく疲れが取れます。

さて、疲れは身体を動かしながらとる……という考えが不可思議に思える人もいるでしょうが、体育授業を思い返してみてください。激しい運動の後には、必ず、クールダウンのための軽い体操などを行ったはず。……知っているのです。でもやらない。激しい運動の後にはクールダウンをするのに、仕事で体力や脳力を酷使した後には、何もしない人が多いのです。

一事毎に良い方法を必要として、一つの方法を他の事々に応用できずにいる……つまり、せっかくの自分の教養を利用できず、他人の浅知恵に頼っているのです。

いやむしろ、疲れが取れないことよりも、疲れの取り方すら知らないことの方が大問題です。それは単に知らないのではなく、詰め込むことに満足して、使いこなすことを忘れていることの問題なのです。……しかも、知るだけで満足してしまうのも、誤解というよりは習性・癖なんです。

自分の疲労に気がつかない!

自分で自分を気遣うのは確かに大切です。……ところで、ここにも知識の落とし穴があります。

人には、疲れていてもやり遂げなければならないことがあります。少なくとも仕事の最中に、疲れたからといって、勝手に休憩することは出来ません。……どうしても過労が多々生じるでしょう。

が、疲れは過ぎると、感覚が麻痺して自覚が難しくなります。……ここで思い起こしてください。疲れをとる一番効率の良い方法は、動きながらとることなのです。当然、疲労の自覚が無くなり、無意識に疲労をとろうとすると、身体(反射)は、最短コースを選ぼうとします。

ある場合は昂奮。場合によっては苛立ちという形でそれが現われます。つまり、身体を動かす事を促されるのです。……この場合、困るのは苛立ちです。つまり、誰かを虐めたり、喧嘩するという形で身体を動かそうというのですから、同僚や家族、友人は迷惑します。

疲れている人にとってなによりも必要なのは、やはり、周囲のいたわりでありましょう。……それをしないでいると、大切な人を過労・病気で失ったり、過労から来るイライラから仲が悪くなることもあります。

(こういう自然な流れが生み出す帰結を指して「摂理」と呼び、心霊思想では論理薄弱な霊感よりもむしろ、正しく摂理を理解することを重要視します。本来霊感は摂理に視線を導くのです)

運が窮する

2006/07/17

2006年07月17日


不景気からくる不機嫌

その日、ばったりと出会った知人は怒気を含んだ雰囲気を漂わせていた。……不景気で不機嫌なのだろうと察した私は、そうそうに辞した。

助けが必要な時ほど雰囲気が悪くなる人は多い。……当人は、「神も仏もないものか」等と思っているのかも知れないが、神も仏も追出しているのは誰であろう? いや、それ以前に問題があるのかも?……ここでいう「神仏」とは、宗教的な存在や心霊でいうところの高級霊の話ではなく、抽象的な概念である。

この不機嫌さは、不愉快なことがあったためか、はたまた病気が原因か……不愉快であれば問題収拾の努力が、病気であれば治す努力が必要だ。自ら為すべき事が多いだろうに、怒気を周囲に放っているのは、内省するよりも外攻、つまり関心が外に向いている。これでは自らの問題は拗れ、周囲との摩擦で別な問題も生じる。

以前、試みに声を掛けたことがある。

「不機嫌にしていると、幸運が去るというよ」……相手はますます不機嫌になり、そして感じた。彼は幸運が去ることを恐れていない。そもそも幸運と縁がないのだ。

不愉快な事態になって神仏を追出しているのではなく、神仏不在の生き方をしていて不愉快な思いをしているのではないか。……自らが不愉快な事態を生み出しているなら、なるほど運不運は関係ない。

・・・・・・・

井戸が塞がっているなら掘り直せば済むが、水源が枯れた井戸には打つ手がない。せめて山に雨でも降れば水源がよみがえるかも知れないが……

 

墓参で心機を転じる

以前、行き詰り、悩んでいる人に、「墓参して心機を転じては」と勧めた。果してその後に事態は好転し、彼は先祖供養の有難さを理解したかのようだった。

その後、この人の言葉遣いが荒れているのに気が付き、私は再び墓参を勧めた。が、彼は面倒がって拒んだ。

・・・・・・・

貧すれば窮するというが、窮するから貧するのではないか。つまり、金が流れなくなって行き詰るのではなく、金の流れが窮するから貧し、そしてすべてが窮するのだ。そして私は霊感云々以前に、言葉遣いの荒れ、つまりは心の荒れに気が付き、その転機を計るべく墓参を勧めたのだった。

さらにいえば、墓参を面倒がる時点で、既に窮しているといえる。道がなくても人は窮するが、いくら道があっても行動しなければ身動きが取れない。こういう自主的な窮地に陥っている人のなんと多いことだろう。たとえば引き籠りや自殺は、他にとるべき道のない、やむを得ない選択であるのか、それとも自ら他の可能性を拒絶しての結果であるのか?……いずれにせよ窮地ではあるが、自ら他の可能性を拒絶しているのであれば、第三者には救い出すすべもない。

同様に、面倒だから墓参しない、というのであれば、道がなくて窮するのか、道があっても窮するのか、どちらであろう?

 

不機嫌で貧する

自営業者が、不機嫌であれば客が遠退くというのは理解しやすい。では、勤め人、特に固定給の勤め人が不機嫌な場合になぜ貧するのかは、判る人には自明であろうが、分らない人には現況脱出の大切なヒントかも知れない。つまり、いくら大金を稼いでもそれ以上に出費が多ければ貧乏となる。金が入らぬ者が貧乏なのではなく、入る金よりも出る金が多いことが貧乏なのである。……往々、不機嫌な人は無駄な支出が多くなりがちで、それ故に貧しやすい。これが、不機嫌で勤め人も貧乏になる原因だ。同様に、自営業者であれば、同時に入金も減って更に貧しやすいかもしれない。

 

間違った先祖供養

ところで、墓参にどういう効果があるか、も、知っていた方が良いと思う。むろん心霊的に見れば、祖先の霊の加護が増えて……ということだが、別段、墓参したからといって新しく祖霊が増えるわけではなく、自身の謙虚さが祖霊の意念を通じやすくする……祖先の霊の働きやすさを増すと考える。だから、幸運を買取るつもりで、先祖供養に大金を掛け、大騒ぎしたところで、無心に墓前で頭を垂れる素直にはかなわない。むしろ、「これだけやったのだから……」という、代償を求める観念が祖霊の働きやすさを阻害する事が多い。

というより、私は墓参で運気を変えるという考えがそもそもナンセンスに思える。人間が死んだからといって、急に神仏に転じて神威を具えたり、万能になれる筈もなく、大抵の祖先霊はおろおろするだけの役立たず、むしろ足手まといである。人の運不運を左右するのは、孫を溺愛する亡くなった祖父さん、祖母さんというより、もっと普遍的な慈愛を備えた霊達であり、そういう霊達に墓や仏壇、線香や生花といった供物などは無用の筈である。

要は、当人の心掛け、ただ、日常の強がり、頑張りから離れて、素直な自分を取戻す時間を作るのに、適当な場として墓参を勧めているのだ。……ならば精神統一などの修行者には、墓参は不用である。が、正しい修行を経た人ほど墓参を好むのは、親しい者と感応する歓びに気が付くからだろう。

先祖供養の諸儀礼は真の目的ではなくただの過程であり、その過程の先にある真の目的が先祖供養……親しい者と感応する歓びなのである。


相談して良いこと

2006/07/12

2006年07月12日


「こんな事を相談したら、厚かましいと思われないか?」……あなたがそう躊躇したとすれば、あなたは善良かつ……おそらく間違っている。

妥当か、厚かましいかは、一体どうやって線引きするのだろう? その線引きが、単に回答者の主観に関わるのであれば、とりあえず訊いてみなければ分るまい。まして、それが客観的に区別が可能であれば、ぜひ訊ねるべきである……厚かましいとはどういう事かを。

幸いにも私は、その問いを受けることなく……そして今は、おそらくそれに答えられる。

・・・・・・・

私が元々無料心霊相談を解説したのは、至って単純な悟りの結果である。トラブルの大部分はケアレスミスが原因であるという認識だ。例えるなら……この文章を読む人のほとんど全部はPCを利用しているはず。ならば……

PCが動作しないとする。……その原因が操作ミスや電源の入れ忘れ、ケーブルの緩みなどであれば、単純な助言で解決するだろう。

そして、ひょっとすると……そう、ひょっとするとだが、心霊相談を職業としている人が、そのケアレスミスを大袈裟に騒いで見せて大金を稼いでいるかも知れない。稼ぐ人にとっては好都合でも、稼がれる人から見たら霊障よりも、たかられることの方が甚大な被害をもたらすかも知れない。ならば、無料相談には重大な意義があるのでは、と思えた。

だが、現実には本当の故障もある……霊障の大部分は、相談者の思い過ごしであるにせよ、全てが思い過ごしとは限らない。再度、PCに例えるなら、実際に故障があった場合は、部品交換などの実費が生じる。問題がこういうレベルであれば、無料相談で応じるのは難しい。

具体的に実例を挙げるなら、祖先が悪行で財産をなし、それを相続したり、利用したりしている人は、その因縁から無料で逃れることはまず無理だ。得た以上に出費するまで霊障に責められるだろう。これは、嫁ぎ先の因縁であっても同様である。

自分の実力を発揮できない人が、充分に発揮できるようになるのは、つまり、ケアレスミスの問題であって、無料で応じることも出来るだろうが、実力以上の結果を得ようと思うのは、厚かましいの部類である。それは有料相談ならば何とかなるという問題ではなかろう。何となれば、軽自動車に大馬力のエンジンを積んでも、車体やブレーキに無理がかかるばかりで、高級車にならぬのと同様である。……妄想に過ぎない。

つまり、実費不用のレベルであれば、無料で質問・相談しても、厚かましいといわれるほどの話ではないと思う。だが、実費が生じるようなことまで無料で願う人は厚かましいというべきだろう。

どうせ無料なんだから、頼んで受けて貰えばめっけもの的な発想の人も多いが、愚問を発すれば、利口には思われまい。つまり、自分の評価、信用を下げることに通じるし、自己の評価、信用を疎かにする人は、大切にされない……つまり、実力よりもランクが下げられる事を恐れるべきだ。

・・・・・・・

ところで、実際の心霊相談の内容だが ケアレスミスどころか、操作方法が分らずに、「動かない」と騒いでいるユーザーばかりが実体であることに気がついた。操作方法を説明して、「分らない、動かない」と騒ぐだけ……結局、心霊相談を中断したのは、心霊相談が出来ないのではなく、本来の意味での心霊相談が来なくなったからなのだ。……人の手を煩わせるのに、挨拶も出来ず、挨拶もないといえば、挨拶の仕方がわからないと返事が来るのだから、私ももう、途方に暮れてしまう。……相手の守護霊も、祖先の霊も途方に暮れるばかりで、助ける手段が見いだせないのである。

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守護霊(ガイド)とのコミュニケーション

2006/06/08

2006年06月08日


Q 「苦境に立った時、自分の守護霊(ガイド)とどのように相談するのがよいのか?」

技巧を凝らさなくても伝わっている

守護霊とその被護者(つまり自分)との位置関係は、船上の監視人と潜水夫との関係に似ています。船上では色々なことを把握しているのですが、潜水夫は自己管理すら難しい有様……様々な注意を受けてもそれを生かすどころか、息をするのもままならぬ状況は決して少なくありません。

つまり、被護者の希望はしっかりと守護霊等に伝わっているもので、むしろ隠し事をする方が難しい(というより不可能)のです。

話が噛み合わない

意図が守護霊に伝わっているのに返事が受け取れない――これを心霊家などは、「波長が合わない」と表現します。……この波長が合わないという表現を、物理学的に解釈しては意味を取り違えます。この場合の表現は、人間同士で用いられるのと同様、つまり、志が違うとか、趣味が違う、受け止め方の次元(レベル)が違うの意味であり、たとえば被護者が「金が欲しい、金がなければ生きていけない」……などと祈ったとしても、守護霊等は『喰うに足りるだけの金はあるはず。贅沢・ワガママのための金は額に汗して稼げ!』といった返事があったり、「意地悪な人がいてとても辛い」と祈っても、『お前が高慢な態度だから敵が多いのだ、反省しろ!』などと叱られたりもいたします。

ようするに守護霊と通信が困難な理由は、交霊の難しさや、祈り方の難しさといった「手段の不備」ではなく、現実認識の差から話が噛み合わないという、「目的意識の違い」が主な理由なのです。

手段を選ぶ効果

手段を選ぶことは副次的な効果をもたらす場合もあります。……守護霊に語りかけるようにして心の中で色々と問題を整理することで解決の糸口が見つかることもあるでしょう。守護霊に手紙を書くようにして文章を纏めることは、問題整理にはなお良い効果が期待できます。

このような時は、霊視・霊聴といった具体的な作用がなくても、守護霊の薫陶というべき染みこむような感化力が働き、出口の見えない迷宮状態から、良い答に導かれることも多いものです。

つまり、守護霊に自分の考えをしっかり伝えようと努力することは、むしろ自分の考えを整理することで、結局は問題解決の近道となり、無駄にはなりません。

苦境時のインスピレーションは役に立たない

ただ、大きな勘違いが見られます。どうも多くの人は、苦境に立ったときには、神仏や守護霊・祖霊が懸命に助けてくれるものだと思い込んでおられますが、穏やかな時でさえ通信できない人が、焦っている時にきちんと通信できるという考えは無理があります。

実際、占い師や霊媒が自分の運命を見抜けなかった……などと揶揄されるのは、自分の危機に際して適切にその予知能力を働かせられないことの証です。そして、プロですら難しいことを不慣れな素人ならばもっと困難でしょう。

確かに火事場の馬鹿力といい、泳げない人が水に落ちて溺れている内に泳げるようになった、等という話も聞きますが、多くの人が火や水で命を落としているのです。焦っている時に潜在能力を発現しても、冷静な対処を望むことは出来ません。

追いつめられないと仕事が出来ないとか、アイデアが出ない、という人も多いものですが、人間がそんなに便利に出来ていれば、うつ病やノイローゼになる人はいないはずです。……このようなことは、精神統一行をしている人には容易に理解できます。ようするに疲れて無駄な考えが出なくなった状態が、ちょうど良い精神統一状態になって霊感が働きやすくなっているだけなのです。しかし、いくら良い精神統一状態に入ってもくたびれていては丹念な仕事が出来ません。

いや、端的にいうなら、苦境に陥ってから相談しようという考え方に大きな間違いがあります。……なぜ、苦境に陥らぬように相談しないのでしょうか?

すでに苦境にはまり込んで仕方なく……としても現にある苦境と、そこから抜け出すための苦労の両方から逃れることは出来ませんし、その苦しみの中にあっても正しい生き方を貫くのはなかなか出来ることではありません。

溺れる者は騙しやすい

まして、溺れる者は藁をも掴むといいますが、騙されやすい状況なのです。そんな時にインスピレーションを期待しても、自分の妄想を霊感と思い込んだり、低級霊や悪霊の誘惑を信じて騙される事が多いもの。……こういう症例は沢山あります。精神統一や霊感が開いて頭がおかしくなった等といわれる人はほとんど皆、自分が困っている時に己の霊感に活路を求め、結局、物事を拗らせると同時に、自信を失って理性を崩壊させているのです。

困っている時に、自分のインスピレーションを信じるのはほぼ間違いなく裏目に出ると考えるべきです。むしろそれを逆手にとって、楽観する時ほど慎重に行動する覚悟の持ち主でないと、守護霊等は助けてくれません。何しろ、ジタバタしている相手を救うのはとても難しいのです。

苦境の脱出法

これは質問にはありませんが、質問の真意を苦境脱出法と解釈して、手掛かり程度に纏めてみます。

そもそも、苦境とは自身の手に余ることを指します。従って、自分一人の力で脱出するという考えは限りなく無理があります。助けを求めるにしても、インスピレーションは苦境の中では信頼に足りません。

また、苦境に陥ってから救いを求めるという考え方が、そもそも強引な生き方を暗示します。つまり、わざわざ平穏な道を外れるから苦境に陥るのでは、ということです。……端的にいえば、「楽をしようとして苦労する」という、本末転倒な行動をとっているのではありませんか。

いずれにせよ、人は因果律から逃れることは出来ません。すると幸せを得るには、苦境の生む苦痛の他に、苦境からはい出る苦労が必要……より辛い道を選ばざるを得ないわけです。

結局、その迷宮の抜け道は、進んで苦労を引き受ける生き方の中にあるでしょう。

再回答

以上を踏まえた上で改めて質問に付き、回答するなら……

守護霊は、被護者が無駄なく幸せになる努力を助けはするが、労無く幸せになる努力は絶対にしてくれません。むしろ、苦労から逃れようとする被護者に苦労を科す義務すらあります。

ですから、守護霊と苦境の脱出法について相談したいのであれば、なによりまず、苦労から逃れず、苦労を積極的に受け入れる努力が必要ということになります。

また、当相談者がそうしているというのではありませんが、言い訳、愚痴やワガママは、相談の邪魔になっても助けになることはありません。


質問の纏め方

2006/06/04

2006年06月04日

質問の纏め方

 

数日前、熱心な質問メールが届き、熱心に返事を書いて酷く疲れ果ててしまった。……無理な力みが無かったわけではないが、文章を書くのは慣れている。するとどうも他に原因があると見るべきであろう。

深い精神統一にはいるまでもなく、原因はすぐに明らかになった。……私が返事をすることを、先方の背後霊達が嫌ったのである。こういうことは時々ある。

難しい返事であればそれなりに霊査も取るので、先方の意向も汲みやすいが、内容によっては義務感と脳力とで返事をしてしまう。すると、先方の意向を確かめる間もないこととなる。……要は、一つ一つのメールの返事に、どれだけ手間暇を掛けるか、ということになる。

さて、私の問題は本題ではない。返事を書いてはならない理由こそが重要であろう。先方の背後霊達の言い分を列記する。

まず第一に、「もっと詳しく教えてください」という問いに対して、『もっと自分で考えよ』という。たとえば、新聞などで知らぬ言葉に出会ったとしよう。辞書で引けば、求める言葉の意味だけでなく、類似・関連する多くの言葉、多くの知識と出会えるかも知れない。だが、人に尋ねたらどうか? 求める言葉の意味だけしか知ることは出来ないし、どちらか、もしくは両方に勘違いがあって、間違った意味を学んでしまうかも知れない。

いや、原点に立ち返ろう……自ら考え、自ら探し求めたならば、その経験は他にも応用が効く。だが、人に尋ねて得た答ならば、自分一人なら何も出来ないことになる。

第二に、『応用がない』ともいう。確かに、これはとても困る。霊感というのは本来、ヒントであって回答ではない。この差はとても大きい。一々回答を他から求めては、人の意志と、存在意義とがかすれてしまう。あの世の言葉は、それこそ草葉の陰のヒソヒソ声を越えるべきではない。

第三に、『目の付け所が悪い』という。いささか辛辣だが、その理由もまた厳しい。人が求めるべき助言は、『自分では気がつかぬことであるべき』というのだ。自分で気がつくことなら、まず、自分で掘り下げるべきであって、他に求めるべきでない。自分の見えぬ背中こそ、見守って貰えて安心できるのではないか。

背後霊とは、霊媒等が霊視したとき、そのものの背後に立っている姿から来る表現であるが、背後にいる者に、自分の目の前のものを見て教えよと言うのは、なるほど間の抜けたことかも知れない。

たしかに、心霊に興味があるものならば、霊媒に色々と聞きたくなる気持ちは分るが、質問もまた一つのコミュニケーションである。相手に呆れられたり、嫌われたりすることのないように注意すべきであろう。……もっとも、人と霊との間に立った、霊媒・審神者(さにわ)が率先して注意すべきことであるのだが。


見えないときもある

相談者・質問者から見えるのは霊媒だけだが、霊媒は、霊と人との双方に気を配る必要がある。……この視点の違いから生じる溝もある。

霊が明かそうとしないことを人は知りたがる。だが、霊媒がそれを遮るなら、人はいかなる感情を霊媒に抱くか?

心霊相談上の解釈

往々、こういう時に人の本性は現われる。苦境にある人が焦るのは当然に思えるだろうが、他に迷惑を掛けるような焦り方はいかがなものか。この時の人となりで見えるのは、無分別な人が焦って苦境に陥り、焦ってさらに深みに落ちようとしている姿か、努力家が苦境を乗り越えていく過程かの二つに一つなのである。

つまり、霊達の助言を聞くまでもなく、相談者が浮沈が理解できようというものだ。

霊媒業務的な解釈

相談者によってはビンビンと見えてくる場合もあれば、いくら統一してもさっぱりなにも見えてこないことがある。…… 霊が言いたがらぬ事は言わぬが良い。

無理に見ようとすると、相談者の心の迷路に迷い込みやすい。……霊的メッセージがないのに無理に霊視しようとすると、間違って、相談者の心を読んでしまうのである。

これを避けるにはいくつかのテクニックがある。まず、自分の守護霊なり、支配霊なりが霊視できない状況では、「一切の霊査を辞める」というのも一つの手だ。

だが問題は残る。相談を受けても霊査が出来なければ回答が出来ない。……ここにプロの腕の見せ所がある。

私は、見えないときには成るべく相談を断ることにしている。先方の守護霊が助けようとしていないのに、私が助けようとするなら、それこそ相手の因縁の全てをかぶることに成りかねない。……保証人のいない人に金を貸すようなものだからだ。

では、他の霊媒はどうしているのか。……話題をそらしたり、すり替えたりしていることが多いようだ。

意味がありそうで価値がない……そういう気休めを与えて、不満の行き所を自分自身(霊媒)からそらすのである。

こんな姑息なテクニックは、なるべくならば使わぬが良いが、使わざるを得ない相手もまた多い。

そもそも、人が困難に陥るのには原因があるはずだ。そして、その原因は誰にあるのか?……もしも自身に原因があるなら、自分自身が変わるより他ないではないか。ところが、往々、第三の方法を思いつく者がいる。

「一人で抑えきれないなら共犯者を募ればよい。」……早晩破綻する愚案であるが、こういう考えの人が相手では霊達も沈黙せざるを得ないだろう。


「壽《ことほぐ》

何やら今朝方より、呼ばれている気がして訪れた知人宅でのことである。出掛ける予定を繰り上げてまで待っていてくれた、先方のお嬢さんから相談を受けた。

「結婚を考えている相手がいるが、どうか」というものであった。統一しようとしたが、回答を拒絶するような感じで統一に入れない。……ので、それを回答とすることにした。

「何も見えないときには、大きな心配がない、または、当人にもっと考えさせよ、という意味があります。小さな心配事はいくつか感じます。会っているときにはいつも同じ面ばかりで、相手の違う面と出会うチャンスが無いようです。これでは、何かの拍子に白けてしまう恐れがありますが、大きな問題とはならないでしょう」

実はこのお嬢さんが留学中から、何度かお母様経由で相談を受けていて、信頼を得ての事である。で、まあ、いくつか質疑を繰り返した後、ようやく見えてきたことがある。つまり、回答を求めるべきは、自分が見えていないことについてなのである。

「子供を生みたくないけれど、でも、養子でも良いから子供が欲しいというのは、血のつながりを恐れていることですね。血が繋がっていなければ素直に付き合えると言うことでしょう。……それはつまり、お母様との間にシコリがあるということです。

「こういうのは危ないのです。片目をつぶっていながら、両目が見えている気でいる。でも実際には視野が狭いから溝に足を取られやすい。罰当たりという言葉もありますが、お母様を嫌うことで罰を受けるのではなく眼をつぶっているから痛い思いをするのです。ですから、とんでもなく大きな害を受けることもあり得ます。

「子供が授かるかどうかは、神様の配慮ですから、あらかじめあれこれ考えるよりも、授かってから考えればよいでしょう。そもそも、あなただって神様の配慮で生まれてきたのですよ。

「脾臓だとか、膵臓だとか、身体には色々な臓器があるけれど、何がどこにあるか知りもしないのに、人々は『子供を作る』などというのです。つまり、神様の働きに気がついていないのです。でも考えてご覧なさい。神様が送り出してくれたから生まれてきたのだとしたら、人は神様から愛されているということです。

「ならば神様が引いてくれた道を素直に生きれば、人はなにより幸せに生きられるはずなのです。それを色々と考えて脇道に逸れてしまうから不幸になる。心配するよりも試してみることです。」

とまあ、さすがに親の前でその娘に同棲を勧めるのはずいぶんと気が引けたが、なんのことはなかった。すでに同棲の準備中だったのである。

そうこうするうちにお嬢さんは出掛け、残された親に向かっていくつか補足することになった。

  1. お嬢さんは、負けず嫌いですから、反対したり、必要以上に意見すると、無理をして傷を拡げます。……もっとも、ご先祖の加護が篤くていますから、一見失敗しそうに見えても大丈夫、お嬢さんは転んでもただでは起きませんから、傍目には失敗に思えてもかえって幸運を掴んで立ち上がります。
  2. むしろ心配なのは、結婚問題よりも今の仕事ですが、結婚を理由に配置転換を申し出るところなんて、なかなか逞しいですよ。(心配性の親御さんよりも……と思ったが、当然言わない)
  3. ただ、一番問題なのは、お嬢さんが何を持って幸せと見なすのか、幸せとは何か、が掴めていないのに結婚するところです。目標が無ければ達成できるはずがありませんから、結婚してからそれを探すことになります。探さなければいけないのだから、幸せになれますか、と問われても答えられないのですよ。人が保証できることではなく、見つけなければいけないことなのだから。
  4. 負けず嫌いで、逸れやすいところもありますが、普段はとても素直ですし、自分に自信を抱いているから、ちゃんと答を見つけられますよ。

……ちなみに、「自信」とは、「自《みずから》を信じる」の意ですから、「自分に自信がある」というのは本来、助長な表現ですが、この時の他の話題に、「あの人は家産に自信があっただけで、財産を失った途端にダメ人間に戻ってしまった。あれが本来の姿だから今さら元には戻りませんよ……」等という話があったために敢えてこのような表現をした。


自己評価の手段

2006/06/03

Q 「自分に優しすぎるという罪悪感がある。」


 自分に優しいかどうかは、どうでも良いのです。

 たとえば、明日早起きしなければならない晩に、好きなだけ酒を飲んだとします。……それが自分に甘い優しい事になりますか?

 今日の楽しみは明日の苦しみで相殺、いやむしろ赤字でしょう。一時的な苦楽だけで物事を考えるから罪悪感が生じるけれど、長い目で考えれば必ず帳尻……つまり因果応報、努力は報われる……は合うのです。すなわち、苦楽ではなく最善を考えなければならないのです。

 無理をすると、周囲の人々や、背後霊を遊ばせて、自分一人の労働となるから苦労が大きいのです。いわばそれは第三者の責任まで自分が背負い込むという愚かな行為です。

 反対に周囲の人々や背後霊と共に片づけるようにタイミングやリズムを合わさせるなら相応に楽になります。これはつまり、おのおのが責任を分担するという事で、収支決算にインチキはありません。要するに問題は、自分の苦楽ではなく全体の苦楽なのです。

 しかし、自他だけで物事を考え、また、表面的な苦楽で考えるから、自堕落という罪悪感をもったり、余計な苦労を背負い込んだり、下手をすると無意味な行動に走ったりもします。いわば、自分の進むべき道を正しく評価する手段を知らないという事です。


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