2006年06月04日
質問の纏め方
数日前、熱心な質問メールが届き、熱心に返事を書いて酷く疲れ果ててしまった。……無理な力みが無かったわけではないが、文章を書くのは慣れている。するとどうも他に原因があると見るべきであろう。
深い精神統一にはいるまでもなく、原因はすぐに明らかになった。……私が返事をすることを、先方の背後霊達が嫌ったのである。こういうことは時々ある。
難しい返事であればそれなりに霊査も取るので、先方の意向も汲みやすいが、内容によっては義務感と脳力とで返事をしてしまう。すると、先方の意向を確かめる間もないこととなる。……要は、一つ一つのメールの返事に、どれだけ手間暇を掛けるか、ということになる。
さて、私の問題は本題ではない。返事を書いてはならない理由こそが重要であろう。先方の背後霊達の言い分を列記する。
まず第一に、「もっと詳しく教えてください」という問いに対して、『もっと自分で考えよ』という。たとえば、新聞などで知らぬ言葉に出会ったとしよう。辞書で引けば、求める言葉の意味だけでなく、類似・関連する多くの言葉、多くの知識と出会えるかも知れない。だが、人に尋ねたらどうか? 求める言葉の意味だけしか知ることは出来ないし、どちらか、もしくは両方に勘違いがあって、間違った意味を学んでしまうかも知れない。
いや、原点に立ち返ろう……自ら考え、自ら探し求めたならば、その経験は他にも応用が効く。だが、人に尋ねて得た答ならば、自分一人なら何も出来ないことになる。
第二に、『応用がない』ともいう。確かに、これはとても困る。霊感というのは本来、ヒントであって回答ではない。この差はとても大きい。一々回答を他から求めては、人の意志と、存在意義とがかすれてしまう。あの世の言葉は、それこそ草葉の陰のヒソヒソ声を越えるべきではない。
第三に、『目の付け所が悪い』という。いささか辛辣だが、その理由もまた厳しい。人が求めるべき助言は、『自分では気がつかぬことであるべき』というのだ。自分で気がつくことなら、まず、自分で掘り下げるべきであって、他に求めるべきでない。自分の見えぬ背中こそ、見守って貰えて安心できるのではないか。
背後霊とは、霊媒等が霊視したとき、そのものの背後に立っている姿から来る表現であるが、背後にいる者に、自分の目の前のものを見て教えよと言うのは、なるほど間の抜けたことかも知れない。
たしかに、心霊に興味があるものならば、霊媒に色々と聞きたくなる気持ちは分るが、質問もまた一つのコミュニケーションである。相手に呆れられたり、嫌われたりすることのないように注意すべきであろう。……もっとも、人と霊との間に立った、霊媒・審神者(さにわ)が率先して注意すべきことであるのだが。
見えないときもある
相談者・質問者から見えるのは霊媒だけだが、霊媒は、霊と人との双方に気を配る必要がある。……この視点の違いから生じる溝もある。
霊が明かそうとしないことを人は知りたがる。だが、霊媒がそれを遮るなら、人はいかなる感情を霊媒に抱くか?
心霊相談上の解釈
往々、こういう時に人の本性は現われる。苦境にある人が焦るのは当然に思えるだろうが、他に迷惑を掛けるような焦り方はいかがなものか。この時の人となりで見えるのは、無分別な人が焦って苦境に陥り、焦ってさらに深みに落ちようとしている姿か、努力家が苦境を乗り越えていく過程かの二つに一つなのである。
つまり、霊達の助言を聞くまでもなく、相談者が浮沈が理解できようというものだ。
霊媒業務的な解釈
相談者によってはビンビンと見えてくる場合もあれば、いくら統一してもさっぱりなにも見えてこないことがある。…… 霊が言いたがらぬ事は言わぬが良い。
無理に見ようとすると、相談者の心の迷路に迷い込みやすい。……霊的メッセージがないのに無理に霊視しようとすると、間違って、相談者の心を読んでしまうのである。
これを避けるにはいくつかのテクニックがある。まず、自分の守護霊なり、支配霊なりが霊視できない状況では、「一切の霊査を辞める」というのも一つの手だ。
だが問題は残る。相談を受けても霊査が出来なければ回答が出来ない。……ここにプロの腕の見せ所がある。
私は、見えないときには成るべく相談を断ることにしている。先方の守護霊が助けようとしていないのに、私が助けようとするなら、それこそ相手の因縁の全てをかぶることに成りかねない。……保証人のいない人に金を貸すようなものだからだ。
では、他の霊媒はどうしているのか。……話題をそらしたり、すり替えたりしていることが多いようだ。
意味がありそうで価値がない……そういう気休めを与えて、不満の行き所を自分自身(霊媒)からそらすのである。
こんな姑息なテクニックは、なるべくならば使わぬが良いが、使わざるを得ない相手もまた多い。
そもそも、人が困難に陥るのには原因があるはずだ。そして、その原因は誰にあるのか?……もしも自身に原因があるなら、自分自身が変わるより他ないではないか。ところが、往々、第三の方法を思いつく者がいる。
「一人で抑えきれないなら共犯者を募ればよい。」……早晩破綻する愚案であるが、こういう考えの人が相手では霊達も沈黙せざるを得ないだろう。
「壽《ことほぐ》」
何やら今朝方より、呼ばれている気がして訪れた知人宅でのことである。出掛ける予定を繰り上げてまで待っていてくれた、先方のお嬢さんから相談を受けた。
「結婚を考えている相手がいるが、どうか」というものであった。統一しようとしたが、回答を拒絶するような感じで統一に入れない。……ので、それを回答とすることにした。
「何も見えないときには、大きな心配がない、または、当人にもっと考えさせよ、という意味があります。小さな心配事はいくつか感じます。会っているときにはいつも同じ面ばかりで、相手の違う面と出会うチャンスが無いようです。これでは、何かの拍子に白けてしまう恐れがありますが、大きな問題とはならないでしょう」
実はこのお嬢さんが留学中から、何度かお母様経由で相談を受けていて、信頼を得ての事である。で、まあ、いくつか質疑を繰り返した後、ようやく見えてきたことがある。つまり、回答を求めるべきは、自分が見えていないことについてなのである。
「子供を生みたくないけれど、でも、養子でも良いから子供が欲しいというのは、血のつながりを恐れていることですね。血が繋がっていなければ素直に付き合えると言うことでしょう。……それはつまり、お母様との間にシコリがあるということです。
「こういうのは危ないのです。片目をつぶっていながら、両目が見えている気でいる。でも実際には視野が狭いから溝に足を取られやすい。罰当たりという言葉もありますが、お母様を嫌うことで罰を受けるのではなく眼をつぶっているから痛い思いをするのです。ですから、とんでもなく大きな害を受けることもあり得ます。
「子供が授かるかどうかは、神様の配慮ですから、あらかじめあれこれ考えるよりも、授かってから考えればよいでしょう。そもそも、あなただって神様の配慮で生まれてきたのですよ。
「脾臓だとか、膵臓だとか、身体には色々な臓器があるけれど、何がどこにあるか知りもしないのに、人々は『子供を作る』などというのです。つまり、神様の働きに気がついていないのです。でも考えてご覧なさい。神様が送り出してくれたから生まれてきたのだとしたら、人は神様から愛されているということです。
「ならば神様が引いてくれた道を素直に生きれば、人はなにより幸せに生きられるはずなのです。それを色々と考えて脇道に逸れてしまうから不幸になる。心配するよりも試してみることです。」
とまあ、さすがに親の前でその娘に同棲を勧めるのはずいぶんと気が引けたが、なんのことはなかった。すでに同棲の準備中だったのである。
そうこうするうちにお嬢さんは出掛け、残された親に向かっていくつか補足することになった。
- お嬢さんは、負けず嫌いですから、反対したり、必要以上に意見すると、無理をして傷を拡げます。……もっとも、ご先祖の加護が篤くていますから、一見失敗しそうに見えても大丈夫、お嬢さんは転んでもただでは起きませんから、傍目には失敗に思えてもかえって幸運を掴んで立ち上がります。
- むしろ心配なのは、結婚問題よりも今の仕事ですが、結婚を理由に配置転換を申し出るところなんて、なかなか逞しいですよ。(心配性の親御さんよりも……と思ったが、当然言わない)
- ただ、一番問題なのは、お嬢さんが何を持って幸せと見なすのか、幸せとは何か、が掴めていないのに結婚するところです。目標が無ければ達成できるはずがありませんから、結婚してからそれを探すことになります。探さなければいけないのだから、幸せになれますか、と問われても答えられないのですよ。人が保証できることではなく、見つけなければいけないことなのだから。
- 負けず嫌いで、逸れやすいところもありますが、普段はとても素直ですし、自分に自信を抱いているから、ちゃんと答を見つけられますよ。
……ちなみに、「自信」とは、「自《みずから》を信じる」の意ですから、「自分に自信がある」というのは本来、助長な表現ですが、この時の他の話題に、「あの人は家産に自信があっただけで、財産を失った途端にダメ人間に戻ってしまった。あれが本来の姿だから今さら元には戻りませんよ……」等という話があったために敢えてこのような表現をした。