‘心霊相談(事例)’ カテゴリーのアーカイブ

向上したいけれど。

2007/05/31

2007年05月31日


友人から相談、というより打ち明け話を聞かされた。私に解決を求めているのではなく、今抱える悩みについて切々と語る。

「どうやったらもっと成長できますか?」……と問われて、私は考え込む。

人生は霊性向上の修行の場である。であるから、向上や成長というテーマは至上命題である。が、私にはどうにも煮え切らない思いがある。

誰もが学んで学びきれるものではなく、誰もが知って理解できるわけではない。

人は本当に学んで、成長できるものなのだろうか? ――出来なくはないと思うが、その言葉通りではないと思うのだ。

人は結局、知っていることしか、理解できないのでは無かろうか?

地上だけが修行の場、すなわち独立した修行のコースなのではなく、霊界で座学、地上で実習を行い、その二つがで一セットなのでは無かろうか。可能性としたら、地上の座学も無駄ではなかろうし、実習の際に教科書を参照していけないはずもない。だが、霊界で学んでいないことを新規に地上で学ぶのはほとんど不可能であるというのが、私の実感だ。

だからたとえば、「二度としませんから許してください」という人がいても、ほとんどの場合、私は相手にしない。許せないからではなく、今さら相手にする意義が見いだせないからだ。一方で、上述の友人の様に、自称「挫折ばかり」だとしても、私はそれを責める気にならない。

私が彼女に伝えたいのは、ただ、「反省するよりも自分らしく生きなさいよ」ということだ。成長することよりも、年齢相応の言動、いや、霊格相応の言動や価値観に立ち戻るべきなのだ。

あなたに必要なのは成長ではない――あなたが求めているのは成長ではなく、出来るはずもない矛盾の実現である――あるべき姿に戻ることなのだ。他者の価値観に振り回されて苦しんでいる。それは結局、あなたが、あなたを傷つけているその人を大切に思っているからなのか(そういう一面もあると思う)、それとも、あなたに自信が不足しているのか、ではないか。

『その悩みは頑張っても解決しないよ』と思う――当人も気付いているとおりに。……「では、どうすればいいの?」というのは正当な疑問であろうけれど、矛盾であり、葛藤であって、論理的な袋小路、すなわち、考えれば考えるほど答が見えなくなる状態なのだ。考えるのを止めるべき時なのである。

今、本当に必要なのは、成長ではなく、自分を信じ(自信)、他者の価値観に振り回されないことであろう。それが出来ればどれほど人生が楽になるか、悩めるあなたは容易に想像がつくはず。――ならば、理想は理想と切り捨てるその前に、どうしたらその理想が実現できるかが大切ではないか。

他者を批判するのも、反省を過剰に行うのも、もう止めよう! ――それよりもお互いの幸福を考えようではないか。往々、あなたを悩ませたその人は、お互いの苦しみに無頓着かも知れないが、それでもお互いの幸福は、あなたの幸福のためには大切ではないか! あなたは自分の幸福のために、お互いの幸福を論じていいのだ。それは恥じるべき事ではない。――何となれば、人は己の幸福に責任を持っているのだから。あなたは、互いの幸せのために提案した。それで充分ではないか。

出来ないことや、どうにもならないことに頭を悩ますよりも、あなたは、あなたが出来ることに集中すべきだ。


そんなに求めなくても

2007年06月03日

何度も書いている話題ではあるが、向上・修行についての話題の補足として改めて書く。


人は生き詰まると、向上や修行の大切さを再認識する。――そして、私は時折、その修行方法についての相談を受けるが、その都度、霊査を取りつつ、やはりと返事につまることがある。

皆、今の実力に不足を感じているのである。つまり、120パーセント、そしてそれ以上を得るための方法を模索している。ところが、私が受ける霊査はせいぜいが、70パーセントか、80パーセントの実力を出す方法に関する示唆なのである。

往々、その事に傷つく人もいるようだが、私が得る啓示を総括するなら、人は実力が無くて苦境に陥るのではなく、実力を充分に発揮できなくて苦境に陥るのである。

道がないのではなく、道はあるのに見つからない。……見つからぬ道を造ろうとしているのである。それは無理の上にさらに無理を重ねようとする努力だ。

努力よりも素直になることが必要なのに。不足を小細工で補おうとするから、かえって拗れる。

向上・修行は永遠の課題ではあるが、人生の一部だけを切り取って、向上の度合いは計れるものではない。いや、私は思うのだ。生と死とが一組になって向上の手はずが組まれているのではないかと。ならば今生が苦悩と悲劇の連続であろうともそれは来世と合わせて正しき道かも知れないし、今生が楽に思えても、それは来世と合わせて間違った道かも知れないのである。


高望みの背景

2007/03/07

2007年03月07日


「あなたは高望みをしている」といわれて、気持ちよく聞ける人はいないだろう。自尊心の強い人ほど「高望み」という批判に対して反感を抱く。……周囲から見れば高望みに見えても、当人にとっては、自我が要求する正当な待遇なのである。

だが、その当たり前に思える境遇を得るために当人はいかなる努力しているだろう? ……つまり、要求に見合うだけの対価を支払っているのか?

周囲の人が見るに、望みに見合うだけの努力が見られないから、「高望み」といわれるのだが……これが、「高望み」を批判する人々の視線である。

別な視線を向けると……なぜ、高く望みながら、それに見合う実力なり、努力なりをしないのか?……ということに関して、私なりに見てきた事をまとめる。

*******

現実感が希薄だから。……人生経験の不足が招く食い違い(齟齬)が、行為ともたらす結果との間に差を生み出す――ということは良く感じる事だ。

身体が不調で、腰が重い(行動に消極的になる)……本当にめんどくさがりであれば、黙ってだれている。身体を動かさずに妄想をするのは、心身の連携が取れていないのだ。

親の干渉がうるさい……面倒見が良いのではなく、リズムが合わない場合。よく見るのは、親がせっかちで、子供の行動を見守れない場合だ。すぐに親がチャチを入れるので子供が上達するヒマがない。結局、行動力が乏しくなってしまう。

自意識過剰……すごい事なら取り組めるが、当たり前な事にはその気になれない。(自分を当たり前な人間と認めたくないから)……当たり前な事をやるのにもいちいち大騒ぎする人がいるが、これも自信過剰の一つの表れだろう。

・・・・・・・

霊障? そう、霊障の場合もある。だが基本的に、霊障の現れ方は、上述のような地上的要因の裏にいる。つまり、原因の原因である場合が多い。ようは、霊媒抜きで克服できる場合がほとんどだ。

なんとなれば……口先だけで、行動力のない人に憑依しているような霊に、どんな行動力があるというのか?

いたずらに霊を恐れるべきではないし、霊障を特別視する必要もない。

とはいえ、私が携わった事例を一つ紹介する。

引きこもりの某氏に対して霊査を取ると、土を盛り上げた塚が見え、その下に人が寝ている。別に怒っているわけでも、呪っているわけでもなく、ただ寝ている姿が見えるのだ。が、意味が分からず我が師に相談したところ、「土饅頭」つまり、土葬の墓だという。(すいません。土葬なんて見た事がないもので……)

『土葬された人は苦しがって空気穴を欲しがるもの、竹の節を抜いた棒を突き刺してあげるといい』……と助言を受けたが、その家ではもはや土葬はしておらず、墓地も石をまとめてある。

実際、その家のお墓を訪ねてみたら、お墓に念的な汚れが感じられたので、せっせと除霊(念掃除)をしたところ……数ヵ月後、引きこもりがちの某氏は、実家を出て行った……よほど身内の霊が、というより、身内の心を重苦しく感じていたのだと思う。


逃げてはいけないのか?

2007/01/09

2007年01月09日


「神は、乗り越えられない試練を人には与えない」……という言葉を前提にして。

Q「困難に遭遇した場合、自殺以外の道を選ぶなら、たとえば逃げ出すことでも、困難を乗り越えたとはいえませんか? たとえば虐めから逃げ出すというのも困難を乗り越えたとはいえないでしょうか? 乗り越える=逃げないで解決する、という意味なのだろうとは思いますが、逃げるという対処もよいのでは?」

問わんとすることの概要は間違ってはいないと思います。ただ、問題の組立て方が非常に乱暴です。

人生には、避ける、迂回する、という選択肢もあるのです。――たとえば歩行者用信号が青であろうと、車が飛び込んできたら、誰もが立ち止まります。進んで車にぶつかっていく者は普通では考えられませんよね? これをして逃げると非難する者がいるでしょうか? 逃げるのではなく、避けるのだ、この二つは違います。

もしもあなたが、それを「逃げるのだ」と感じているなら、あなたの人生には後悔が残るでしょう。反対に、進んで交通事故に遭っても、きっと後悔するでしょう。そう。人は後悔するのです。その時点では判らなくても後になれば、行いの善し悪しが見えてきます。逃げるのか、避けるのか、それが良いのか、悪いのかは後にならなければ判りません。

その意味で、「ケースバイケースで判断すべきだ」、というのも答でしょうし、すでにあなたが「逃げる」と表現した時点で、もう内心では後悔することを受け入れていると見なすことも出来ます。慰めに、「逃げるのも一つの手です」と表現してみても、真実は、「すでにあなたは精神的に負けていて、逃げるしかないのだから、後は敗北者として生き続けなさい」という答えになるでしょう。

いじめ問題

これがたとえば「いじめ」に限定するなら、答は大きく転じます。

説明の都合上、まず、虐められる側にも問題有り、という前提で話を進めます。仕事の足手まといになっているとか、良識が欠如していて周囲の神経を逆撫でしている、等という場合もあるでしょう。……虐められている者にとって見れば、身に覚えが無くても、無思慮な行動が周囲を苦しめているなら、その反動で虐められることもあるわけです。

うそつき

具体的な事例をあげると、私の知人に、考える前に返事をする落着きのない男がいます。ところがどんな平役でも会社組織の中で発言すればそれなりに時間と経費が費やされるわけで、いい加減なことをいえばそれが無駄になります。無駄が生じれば責任者が責められるわけで……理由を問いただされると、彼は焦ってまた考えもなく口を開く。これを繰り返した結果、もうすっかりと「嘘つき」と見なされてしまったのです。

私は、彼が悪意のある者ではない……というより、悪巧みが出来るほど利口ではないと気がついていますから、それとなく助言をしたのですが、私の言葉を聞く態度にまるで真剣味がありません。『理解できなかったのかな? でも自分の問題なのだから、真剣なら質問に来るだろう』と思っていたのですが、後に気がつきました。そして案の定……

縁故を頼って自分の上司に意見をいって貰おうとして、さらに卑怯者のレッテルを貼られてしまったのです。

まあ、どのような人であれ、虐めて良いという理由にはなりません。が、当事者の無思慮な言動が、結果として四六時中上司から叱られることになり、しかもその理由を当人が理解していないという、傍目には滑稽な出来事が生じるわけです。さらにこの場合、解決の方法が事実上ないわけです。何しろ彼には悪意はなく、ただ、思慮が足りないだけなのですから。嘘をつくといわれても、それは意図してのことではなく、むしろ癖、習慣ですから意識しても簡単には変わりません。

ただ、おそらく当人と、事情を知らない人々から見ると、彼は職場で虐めに会っているように見えるでしょう。実際、彼の日常会話には嘘が混じらないのですから。まあ、彼の採用は人事のミスであるとは職場の誰もが認めることですが。

彼の場合、虐めに立ち向かうという態度は、まったくの筋違いであって、害ばかりで誰の利にもなりません。職の確保という点でも、人事処置を受けるまでの時間稼ぎでしか無いわけです。とはいえ、逃げ出せば失業するわけで、しかも原因を克服できなければ再就職にも困難が生じるでしょう。

逃げるとか、逃げないとかの問題とは限らないのです。

被害者意識は逆効果

一口に、いじめの問題といっても、当事者が虐められていると思っているだけであって、実際には指導や警告、という場合もありえるわけです。このような場合、第三者に助けを求めるのはかえって逆効果となるでしょう。

一方で、単なる指導や警告の筈が、当事者が鈍感なために周囲も意固地になってついには目的を忘れて本当の虐めに転じている場合もあるでしょう。または、気晴らしが目的の単なる虐めも世には多いものです。

ただ、総じていえることは、虐めであれ、指導や警告であれ、それを受けた者が被害者意識を持つと、利己的な態度が現われてきます。自分ばかりが苦労して、と思うあまりに、皆が率先して手伝っていることを手伝わなかったり、第三者を詰るような態度(八つ当たり)をします。

すると、今まで中立的、または、好意的な者からも反感を持たれてしまってますます辛く感じるようになります。

たとえば上述の彼なども、私から「考える前に口を開くな!」という言葉を聞いて、重く、辛く、虐められていると感じているでしょうし、「どうせ意見をいうなら叱られているときに庇って見せろよ」と思っているのでしょう。いえ、私は庇ったことがあるのですが……とうとう、忘年会をドタキャンして幹事である私に迷惑らしき物を掛けたわけです。かえって好都合だったのですが……。

逃げるにせよ、避けるにせよ、または立ち向かうにせよ、敵意をむき出しにすることは、問題を低レベル化する事につながります。つまり、誤解を乗り越えてのハッピーエンドを拒絶してしまえば、どっちが勝っても得るもののない……ただ敗北感を避けられるだけという、つまらぬ結果になります。大の大人が時間を掛けて得るものとしては非常につまらぬ、と私は思います。

どちらの問題か?

もう一点。この虐めが単純なる気晴らし目的であるとすれば……試練・問題は加害者の側にあって、被害者には無いと言えます。つまり、逃げ出せば、別な被害者が生じるだけでしょう。

加害者の側に問題があるなら、そこから立ち去ることは逃げるのではなく避けることと割り切るべきでしょう。

敵意を持った第三者を教え導くなんて、聖人君子にとっても難しいことですから。

真理を灯火とせよ

古今東西の聖人達は中道・中庸を尊び、極端を避けました。逃げるとか、立ち向かうというのはどちらも極端であり、そういう観点では妥当な回答は得がたいといえます。

人間に大切な観点は、最終的な行き先であって、本来、一時的な避難や、迂回などというのは、枝葉末節の話なのです。

その意味で言えば、 乗り越える=逃げないで解決する、ではなく、乗り越えるとは、「どういう手段を使おうが、いずれは解決する」なのです。

その手段の中には、逃げるや避ける、迂回するがあってもおかしくはありません。むしろ、小さな問題に囚われて、前に進めずにいるなら、逃げなくても戦略的敗北です。


幸運を手放す。

2007年01月10日

逃げてはいけないのか? 」の補足

むしろ、小さな問題に囚われて、前に進めずにいるなら、逃げなくても戦略的敗北です。何しろ人の使える時間には限りがあるのですから。その限りある時間を無駄にする……動かぬ事も、逃げることも、時間を無駄にするには変りありません。

一時の選択としては、逃げることも、動かぬ事も選択肢の一つでありましょう。でもそれは全体の中の一分としての選択肢なのです。……でも人は、逃げるときには逃げることばかり、動かぬ時には死守することばかりを考えます。そして目的を見失うのです。


魂は永遠の生の中に存在するとしても、肉体を得て活動するのは限られた時間の中です。私たちは、その限られた時間を有意義に使わなければなりません。

たとえばあなたが頼りに出来る人……向上心を持つが故に有力なる人は、向上心を持つが故にその心が留まることをいたしません。もしもあなたが停滞したまま頼っているなら、置き去りにされてしまうでしょう。

動くのはあなただけではありません。誰もが動いているのです。あなたが望む時、望む場所に、待っていてくれると思うことから行き違いが始まります。

つまり……ようやく一つの問題を解決した、と思っていると、果たすべきノルマとして複数の問題が山積みされているのが、不幸というよりも当たり前な姿なのです。逃げ、または避け、様子見に停止していることがあれば、その無駄な時間を取り戻すための努力が必要となります。

失った時間を取り戻すことをしなければ、人生は否応もなく進路変更をせざるを得ないわけです。それは、成果の縮小を意味します。つまり、生まれる前に約束された報酬よりも、受取るものが少なくなるということです。

人々は、己の不幸を嘆いている間に、どんどん幸運を手放しているのです。……たとえば自分に仇なす誰かを罵っている間にも。

不幸になるための努力をしている。何と人は業が深いのか、と私が思う所以です。


2007/01/04

2007年01月04日


ここ数年来、一月三日は川崎の某所にお参りするのが年中行事となっている。そのお堂の近所には私の霊感を知る、母の知人が住んでいて、その家に立ち寄るのも私の年中行事の一つとなっている。

このご婦人はかなりの世話焼きでお嬢さんは過干渉に飽きていささか反抗的な態度であったらしい。

ご婦人曰く、「外面はよいのだけど……」そして、反抗的な娘に一言注意してくれ、といわれて私は瞑目、精神統一して助言を求めた。と、どうも問題があるのは前述の、母親の過干渉の方であってお嬢さんの側には二次的な非しかない。端的にいえば、人生の分岐点で、わざわざ、しかも無意識に母親に心配を掛けるような選択を重ねているのだ。

だから私はお嬢さんに指摘した。「お母様の態度は癖であるから仕方がない。真に受ける必要もない。それよりもあなたにとって大切なのは人生に取り組むことだ。お母様への反抗心で人生を決めたら、それはお母様にとって不本意であってもお母様が選んだ人生ではないか。あなたらしく生きなければ」

昨年の夏に、このお嬢さんと会ったときには、結婚を考えている男性がいるとかで、母娘二人から質問攻めにあって辟易としたが、その後の交際も順調で、結婚後の仕事も決まったとか。

今日のご婦人(お母様)の話では、以前は、「一生結婚しない」と言い張り、料理を覚えるわけでもなかったのに、今は積極的に料理の勉強をしているとか。母娘のいさかいは無くなったわけではないが(世話好きで、世話をしないと寂しくなる二人のこと、いさかいが無くなるはずもない)、時には共感することも増えて新たなる母娘関係に発展したらしい。

でもやはり心配したいのが母心、というか、このご婦人の趣味らしい。

年下の男性では頼りなくて……包容力のない男性はいくら歳をとっても役に立ちません。邪魔なだけです。

もうちょっと稼ぎの良い人が良いのだけど……大丈夫、お嬢さんの方が稼げます。しかも、この男性は妻が稼いでも腐らない希有な人です。

身体も弱そうだし……お二人とも大病の気がありますが、死の気はなく、いずれ二人があなたを看取ってくれます。大病は身体の労り方を天から教えられる良い機会ですから、入院するようなことがあっても心配せずにただ励ましてあげてください。

姑は病気がちだし……若いうちに看取ることが出来れば老後が楽です。お嬢さんは幸運な老後を迎えられますよ。

やっぱり良く見つけてきたと娘を褒めるべきなのかしら……そう、それに亡くなったご主人が彼の世から導いてくれたのでしょう。(ここは霊査ではなく単なる合いの手、イヤ別に嘘というわけでもない)

といわれてご婦人はニンマリ……

そして、背後から本題が告げられる。

『以前のお嬢さんは、他者への対抗心で物事を決めていたから、労多くて益の少ない生き方をしていましたね。でも、今ではすっかり、その対抗心を人生に向けています。他人と競い、争うよりも、自分の人生を創造していくことに歓びを見出しているのですから、幸せです。苦労が全部、実になりますから心配はいりません。お嬢さんの生き方に口を挟むのではなく、家事・料理や、子育ての方法に口出しをされて、一緒に生きることを楽しまれたらいかがですか?』

さて、私がイヤに親切に助言をすることに不可思議な感を抱かれた方もいるだろう。が、タネを明かせば、相応す、なのである。つまり、お嬢さんが霊査に素直であるし、ヒントに過ぎぬ霊査をしっかりと人生に活かして活学しているから、お嬢さんの祖先の霊等が助言を楽しんでいるのだ。むろん、霊媒である私だって、一々突っかかられるよりもしっかり聞いてくれる人を相手にする方が楽しくないはずがない。

それ等を振り返るとしみじみと感じ入るのが「貯金の善し悪し」であろう。つまり、この家のお嬢さんは本来、信仰に対する依存心が無かったために、祖先の霊等の力が無駄にならなかった……一方、心霊に関心の強い人が良くやる間違いは、みだりに霊をあてにして霊等の力を無駄にしやすいのだ。つまり、銀行口座に頻繁に金を出し入れして取扱手数料で赤字となるが如しである。

「良いご先祖様をお持ちですねぇ」といったところで、ご婦人に否定された。

「いえ、私や姉は苦労続きでしたから、前世で悪いことをしたか、祖先が悪いことをしたかとばかり思っています。」

……違うんです。頭で考えすぎるから、せっかくのチャンスが生かせなかっただけなのです。そして子孫が頭で考えすぎるということは、ご先祖も頭の良い方が多かった、ということでチャンスさえ巧く噛み合えば実に頼りになるご先祖様なのですよ、……と私は熱く語ったのだが、信じたかどうか。

世の単純な心霊理論の影響か、どうも人々は加護の強さと、守護霊・祖霊の強さが単純に比例していると考えがちだが、本当に重要なのは効率である。そもそも助言なんて、当事者の理解力を越える事は出来ないのだから。で、自分の理解力を棚に上げて、祖先の守りが薄いとなじる人の何と多いことか、と思う。

力を生かし切れないのに、力を欲しがる。……それでも力が欲しいと思うのは、つまり……判らない人には死んでも分らない話だ。


病気の夢が正夢に

2006/12/31

2006年12月31日


質問メールより。

最初に、「心霊相談ではありません」と釘を刺されたら……果たして心霊相談を断っているからの一言であるのか、はたまた、因縁話は聞きたくないというのであるのか、質問者の意図は色々と考え得るわけだが、回答者としては何を基準に返答をすればよいのか、回答に困る部分がある。

いずれにせよ、下記は一般論として表す。

Q, 病気の夢が正夢になったが、これはどういう事か?

潜在意識が体調を把握していた、と考えるべきでしょう。夢を見るのに当って、守護霊や祖霊の援助が無かったと考えるのも寂しいものですが、人間の(つまり自分の)治癒能力を過小評価するのも依存心を助長して面白くありません。

Q, 病院が休みになる年末年始に、発病しやすい。

それはあなたの加護(祖霊や守護霊の働き)が大変に弱いことを暗示しています。ここでいう、「弱い」とは祖霊や守護霊が弱いのではなく、働きかけが弱い……つまり、あなたが働きにくい相手であるか、低級霊や悪霊の邪魔が多いのか、と判断すべきです。


声(霊?)が聞こえて辛い

2006/12/12

声が聞こえて辛い (1)

2006年12月12日

「(霊から?)声が聞こえてつらい」という悩みは、心霊に関心のある人の良く聞く悩みである。今まで、この件に関して、私は深く掘り下げることを敢えてしてこなかった。敢えてこの話題を避けた理由も含めて、そろそろ解説することにしたい。

矛盾

いの一番に指摘したいことは、私は、多方面からこの問題について解説してきたことである。だから、多くの人が得心がいかずに突っ込んだ質問をしたくてうずうずしていた(はずである)。それどころか、『どうせ判ってくれないのだから!』と、立ち去った人も多い。

第一の問題点がそこにある。……なぜ、ちゃんと質問できないのか? はっきり言われたくないが、でもしっかりと聞きたい話、そういう矛盾をはらんでいるからこそ、私ははっきりと書くことをしなかったのだ。

羞恥心

次の問題点は、私は解決策を提示しているが、実行する人があまりいないという点だ。……道路や公園などの掃除、つまりは社会奉仕だが、一方では、人目に触れやすく、慣れぬ人だと羞恥心からなかなか実行できないことだ。

矛盾羞恥心、と、整理されてピンと来た人は幸せである。

さらに気が利く人であれば、これがどれほど危険な話題かも予測が可能だろう。……秘密を守るために人は何をするだろうか?’


声が聞こえて辛い(2)

2006年12月13日

声の源

いわゆる霊感・霊信として感じられる声は、三大別して考えるべきである。

  1. あなたを必須の相手とする通信。
  2. 聞いてくれるなら誰でも良い通信。
  3. 聞こえた気がするもの。

1項が、本当の意味での霊界通信であるが、これは心霊相談として持ち込まれることは滅多にない。互いに充分に理解し合えるため、誰かの助けを必要とする程、拗れないからである。従ってここでは論じない。

3項となると、通信ではなくただの勘違いであるが、そもそも、勘違いであろうともそれを自身の霊感と信じられるなら、それなりに経験があり、つまりは感覚が発達している人であろう。……だが、霊感があろうと無かろうと、人に誤解や勘違いはつきものであるし、なによりも問題なのは、なぜ勘違いで苦しまねばならぬのか、という点だ。

2項の問題点とは、たとえるなら、「他人の愚痴」と似ている。相手が真剣で「聞いてくれ」というので耳を貸してみれば、話の内容がまるで要領を得ない。『一体、私に何をさせたいのか?』……長時間、話を聞かされた挙げ句にようやく気がつく。用事があるのではなく愚痴を言いたいのだ。……そして、愚痴は聞き苦しいものと相場が決まっている。

愚痴の判別法

具体的なアクションはむしろ邪魔、ただ「あなたが悪いんじゃないよ、」といって欲しいのだ。それが非現実的であったとしても。いや、言っている者が、愚痴を愚痴として自覚していることは稀である。むしろ、当然の意見、正規な意見と信じているだろう。……では、それが愚痴であるのか、そうでないのか。

その判別は、案外簡単だ。……正しき結果に至るのは正しい過程だけなのである。たとえ間違って選んでも、その結果が正しければ、選んだ過程は正しいということだ。

正しい意見・正しい考えの持ち主であれば、努力の果てが良い結果に結びつくであろう。だが、巧く行かぬから他者に意見を求めるのではないのか?……これが「自覚無き愚痴」である。

自覚ある愚痴、というのもある。たとえ正しい見識を持っていても、時期や状況が忍耐を強いることもあるのだ。すると、時機(チャンス)を得るまでは、耐えなければ仕方がない。が、耐えることに辛いときに誰かの共感に触れたいと思うこともあるだろう。そういう時の愚痴には薬効がある。……用法・用量さえ間違えなければ。

少なくとも、愚痴を、愚痴と指摘されて、ハッと反省できるならば、まだ大丈夫だ。だが、愚痴を愚痴と認められないと、あとは話にならない。

羞恥心が邪魔する愚痴

「声が聞こえてつらい」という問題の、解決を邪魔している最大要素は、羞恥心、もしくは自負心の強さである。そして、羞恥心・自負心が強い人は愚痴をこぼすことを潔く思わない。愚痴をいったという事実さえも、認めることに苦痛を感じるものだ。

ここにもう一つの障害が存在する。愚痴を愚痴として認めないから、どんどん嘘、言い訳が厚くなってしまう。


声が聞こえて辛い(3)

2006年12月15日

狂気に見える

「声が聞こえてつらい」のであれば、声を無視するように努めればよい。……実際、そう指導する霊媒もいる。だが、それが出来ずに苦しむ多くの人がいる。……まずそこからしておかしい。

さすがの霊媒も思う。たとえば私だって第一印象は……ゆとりがなければ……相手を信じようとする気持ちがなければ……適切な、合理的な思考が出来なければ、それは狂気と呼ぶしかないのではないか?

嫌ならばなぜ、その声を無視することが出来ぬのか? 私はそこに、別な問題を感じ取る。相談者は自覚しつつ、または、無自覚で、真の問題を隠す。自覚があるならまだ上手に隠す。だが、無自覚に隠すと、どうもボロが出る。それも不自然に。

たとえば会話に置換えてみると、隠すから話がよく見えず、時々現われる秘密は突拍子もない。脈絡もなく、馬鹿にした印象すら受ける。

それらを一言で表わすと……狂気だ。

当人は、精一杯に、誠実に対応しようとしているのだろう。だが、当人にはどうしようもない理由から、言動に矛盾が生じ、それが周囲に狂気を感じさせる。そして周囲から狂気を疑われて……孤立していく。だが、脳、もしくは身体の故障から来る狂気ならば、医者で治るかも知れない。しかしもしも、何かを隠そうとして無意識に振る舞っているなら?

真の狂気は治るかも知れない。だが無意識の演技を誰が直せるのか? 当人以外に。

刺さると抜けない

解決の難しさばかり列挙されると、解決に焦る人々は、逃げ口上を並べているように思うかも知れない。だが、この問題は、釣り針などのように、刺さり易く、抜きにくい返しが附いているのだ。

そう、私が列記する「解決の障害」は、何一つ、治療者を苦しめない。苦しみの対象はあくまでも当事者なのである……つまり……つまり……つまり。

刺さるよりも抜く方が痛い……であれば、矢を抜く患者がいるだろうか?

刺さったままでは痛いが、抜くのはなお、痛い。

抜くのが痛い、それゆえに、当事者にしてみれば、治療者が下手だからと結論をしやすい。だが、痛みもなく解決するという人を信じて歓び、そしていずれ気がつくのであろう……治っていないことに。

私の相談者の中には、治すよりも恋人をつくって慰めて貰う方が楽だと気がついた者がいる。だが、慰められるのは楽しくても、慰め続けるのは楽しいのだろうか? その通りに、何度も破綻したようだが、痛みを嫌うだけで、治す気の不足する人では、この問題を解決できるはずがない。

もっともこれは、痛みの強さと、恋人の忍耐力や人柄、さらには当事者の魅力も絡んでいるから、必ずしもこの選択が破綻するとは限らないが……世の中の公平さとは、チャンスの公平さであって、結果の公平さではない。


声が聞こえて辛い (4)

2006年12月16日

なぜ拒まぬのか?

「(霊)声が聞こえてつらい」という問題は、インターネットの利用者にとって、「BBS(電子掲示板)の荒し問題」に例えると、冷静に考えやすいかも知れない。

「相手にしないのが一番だ」……声の源を三大別(実は五大別)した理由がここにある。

1項、あなたと話をする必然を持っている霊であれば、あなたがどんなに無視を決め込んでも、何とか話に持っていこうとする。……友好的に。あなたと会話する必然があるのに、敵対的ということは考えられない。真に敵対的ならば恐喝するより、油断させて攻撃する方が利口だからだ。

2項、誰でも良い霊であれば、一時的にはあなたの態度に腹を立て、仕返しを続けたとしても、いずれは興味深い相手を見つければそちらに移っていくだろう。……従って相手をしないことは有益な対策である。

だが、そもそも、会話とは一方の気持ちだけで成立するわけではない。少なくとも最初の一言に、あなたが答えてしまったからこそ、相手も話しかけてくる。そう考えるなら……後述する。(#1)

3項、その声があなたの錯覚であれば、無視を決め込むその態度が、結局、あなたを冷静に戻し、錯覚を消し去るだろう。

だが、なぜあなたは声が聞こえると思うのだろう。そして、その声はなぜあなたをいらだたせるのであろう?……後述する(#1)

(#1)

真の問題は、聞こえる声ではなく、何かを聞き出そうする、あなたの潜在的な欲求にあるのだ。しかもそれは、単に答を聞きたいのではない。状況変化への予言である。……本当に欲しいのは状況の好転であって、単なるお追従やおべっかではない。開運を待ち続けている者にしてみれば、単なる知らせですらありがたく感じる。だが、お知らせが実現しなければ、なまじ喜んでいただけ現実の冷酷さがなおさら辛く感じられる。

これは、霊感の使い方としては最悪である。……有る物を分けて貰うこと(融通)は出来る。だが無い物をねだって何になろうか?……しつこくねだれば高級霊は嫌がり、低級霊は隙を嗅ぎつける。いや端的な表現がある。波動の低い者に低級霊は群がるのだ。

かくして事態は拗れに拗れる。

本来であれば、努力で乗り切るべき事を、霊の力をあてにして援助が得られず、援助の代りに亡者を呼び寄せて健康を害し、集中力を失い、精力も奪われて根気もなく、努力で出来ることも、努力が出来ずに諦めねばならなくなる。……解決策のつもりが全てを失いかねない大失策なのだ。

……いや、念のために明言する。「声が聞こえてつらい」……というのは、心得違いの結果であると思うのではない。多くの場合には、無理からぬ必然がある。強いていうなら、楽そうな道を選んで破滅するのではなく、一番安全そうな道を選んで破滅しかけているのである。

……努力を嫌うのではなく、安全を求めているだけ。だが、往々、安全を求める心は依存心と相性がよい。しかも、失敗が続けば自信を失い、自信を失えばなお依存心が強まる。

もう一つの問題がそこにある。……痛みと共に育ってしまった依存心が問題解決の障害になるのだ。

くどいようだが、整理する。「声が聞こえてつらい」という問題の、苦痛要素はただ一つであっても、問題そのものは悪意有る誰かを原因とする単純な結果ではなく、多くの条件が重なった結果、いや、過程である。それらの諸条件の全部、少なくとも充分を取り除かなければ快方には向かわない。

あなたが一人で解決できないのは、弱いからではなく、問題が複雑だからなのである。


声が聞こえて辛い (5)

2006年12月21日

雨漏り

雨が漏るのは雨が悪いのか、屋根が悪いのか?

声が聞こえて辛いと考える人は、どうも雨(霊)が悪いと考えているようだ。だが、環境は誰もが同じである。

……因縁に差があるにしても……屋根を治さずに天気を呪っても、あまりスマートな態度には見えない。いや、そういう態度が事態を拗らせている。

傾向と対策

欠点の無い者はいないだろうが、他者の言葉になぜ振り回されるのであろう? たとえば失敗した、失恋した、等といった触れられたくない話題が有るからこそ、声に対して神経質になる。触れられたくない話題に触れられるから無視するよりも復讐に走るのではないか?

これには二つの対処法がある。……ただし、魔法ではない。

1,『それが何だ?』という態度を貫き通す。……あなたは秘密を守れるつもりでいるかも知れないが、どうせあの世では皆、明らかになるのである。霊媒が気がつかぬとしても、それであの世を騙し通せるわけではない。なんとなれば、知れば責任が生じるから、見て見ぬフリをしていることも多いのだから。まして、他人に意地悪をしているようなヒマな輩なら、きっともっと酷い失敗をたくさん抱えているに違いないのだ。だからこそ成仏せずにいるのだから。

2,『笑い飛ばすことだ』……秘密を探るにの「カマを掛ける」わけだが、人間よりも霊の方がよほど探りを入れるのが巧い。隠そうというのはナンセンスである。ならば、隠すよりもバレることを前提に生きる方がよい。

私の感想

私が取り扱った事例では、当人は一様に認めていないものの、誰かに何かを言いたくて言えない、何かを持っている様に感じられた。他者に言えないことが心の弱みとして存在するようだ。

たとえば両親の生き方に意見がある。具体的にいえば侮蔑しているわけだが、両親の方が自分よりも社会的地位や経済的な優位に立っている。……正しいと思うが現実に合わないことと、間違っていると思うが現実に合っていること……そのギャップに沈黙を守っている人も多い。

第三者的意見をいえば、論理に問題があるのではなく、行動力に差があるのだ。

ここにも解決策の一端が見える。……思考に行動がついていかない人が妄想に走る。いや、見えざる者の声に悩むのだ。

いや、こうもいえる。

他者から秘密を守ることは可能かも知れない。だが、自分の内面にも秘密を守ることが可能であろうか? ……葛藤、または、自己嫌悪。屋根に穴が開いていれば雨漏りは直らない。

低級霊に悩まされるとする。……一体なぜ、あなたの守護霊や祖先の霊は、低級霊何ぞに手を焼くのか? あなたを守る者はいないのか? 低級霊の害よりも、あなたが霊的な保護を失っていることのほうが問題ではないか?

何となれば、あなたは死後にどのような境遇に行くのか、考えてみると良い。 低級霊になぶり者にされて、しかも助けのない境遇。声に悩む以前に、地獄に堕ちることを恐れるべきではないか?


声が聞こえて辛い (6)

2006年12月22日

大多数にとっては無駄な助言

この話題に関しては、書き出しを除いて筆が重かった。また、私の覚悟に反して纏りも悪い。……背後の霊達が無駄と判断したのであろう。インスピレーションは天(霊界)の支持が合ってこそ豊富に得ることが出来る。

何が問題なのだろう?

姿無き声を問題にするのは、声が聞こえることではなく、霊を利用できないことではないか? 例えるなら、ドブに落ちても良い匂いをさせて上がってくるとか、転んだら宝石や大金を拾って起きあがるとか……そういうことを目論んでいる。

よほど福徳があるならそういう局面もあり得るが、もしもあなたがドブに落ち、または、転んでも、損ばかりで得ることがないと悩んでいるなら、利益を忘れてまずは復することを心掛けるべきだ。損を最小に押さえることが回復の第一歩なのだから。

自分の強欲さに押しつぶされてはいないか? または、両親や自尊心の強欲さに?

体質・気質

この問題に悩むのは、いわゆる、石橋を叩いても渡らない、慎重なタイプの人だ。たとえば、考えるよりも先に行動する人であれば、いかなる声が聞こえようともそれが問題になることはない。……つまり、声が行動を左右することもない。すると、行動よりも考えることを重視する人ほど、この問題で悩むのだ。

私も、考えることを重視する人間であるが、同時に奇をてらうところがある。考えても答が出なければたちどころに行動に移すし、考え方を改めもする。その変化に富んだ気質が、自分を救ったのだろうと振り返れば思う。

体質・気質、もしくは体癖によって、この問題の影響力が違う……であるから、こう考えることも出来る。

もしもあなたが行動を尊べる人であれば、利を得ることを諦めて、損を減らすように直ちに行動すべきだ。それは単にあなたを救うどころか、最後にあなたに利……勝利をもたらす。

もしもあなたが、充分に考えることを欲するなら、根本に帰って考えるべきだ。少なくともマンガ・アニメを参考に心霊問題を考えるべきではない。何となれば、大衆娯楽はしょせん、大衆に理解しやすく問題を簡素化しているのだから。

もしもあなたが、利を最優先にするなら、私などをあてにすべきではない。一得一失、無料相談の与える物などあなたに満足できるはずもないのだから。むろん、どこにあなたの納得する物が有るのかは私は知らない。だからこそ、私は無料で相談に乗ってくれる師を持ち、そして私も無料で相談に乗っていたのだから。


声が聞こえて辛い(7)

2007年02月05日

霊聴がうるさくて、というかつての相談者がどうしているのか気になって、精神統一を試みた。すると、私の心に飛込んできたものは、霊達からの激しい非難であった。

『間違った方向に心を向けて、それでうるさいだの、しつこいだのとイライラしている。本当ならば投出したいが、世の中、悪霊ばかりだと思われるのもしゃくに障る。でも本当の問題は、その人の心が悪霊と同調しているのだからどうにもならない』

社会に不満を持つ……チャンスさえ与えられれば、決して愚かではないのだからそれなりに成果を出せるとしても……そのチャンスも又、代償無くして得られぬものであると知っているだろうか?

それでなくても社会は、利己心で廻っている。他者の才能を活用しようなどという御仁(ひと)は、なかなかお目にかかれない。大方の雇用主・使用者は、いわ れ たことを充分にこなせばそれで善しとし、それ以上も、それ以下の働きも嫌うのが普通である。……機構的にそれで巧く廻っていくはずもないのだが。

世に不満を持つ者等の主張に、間違いがないとしても……大抵は大きな欠落をもって居る。……努力不足、経験不足、認識不足に、人脈なくて、人徳・人望もな い。――だれもが『こいつに大事な仕事を任せて大丈夫か?』と不信を抱かれているのに、望みの大きさと実際の能力とのギャップが、更に周囲の不信を助長し ている。

正しいことを主張するばかりで労せずばうだつが上がらなくてむしろ当然。いや、たいていの場合、出る杭は打て、とばかりに阻害されるのが落ちではないか?……役立たずの小うるさい小僧という世間のイメージを壊すことが出来るだろうか?

いや、そんなことは当人も充分に理解しているのだろう。だが目を背けたい。なんとなれば、依るべきものがすでに正義しかないから。だから、他者の間違い ばかりに目がいって、他者の善い部分が目にとまらない。……たとえ多くの欠点があるにせよ、長所もあるから仕事をこなしている。(いや、中には仕事を混乱 させているだけの人もいるだろうが、長所もあるからクビに成らない)、それを、自らの長所を伸すことを忘れて、ただ、相手の欠点と自分の誇りとを比較して 他者を見下すのは、なんのことはない。自信を失っているからだ。

自分より優れているものを認めたくない気持が、世の中を暗く悪いものにイ メージさせる。暗いものしか見たくない気持が、悪霊・低級霊と感応する……本来 なら目を背けるべきもの(悪)に目を向け、本来目を向けるべきもの(善)から目を背けている。……高級心霊に眼を向けようとしても、気持が利に囚われて、 お守りとかおみくじとかばかりが気になる。"印刷された紙様"を見るばかりで、人のイメージを超越する"神様"を信じられない。

巧く行かぬなら、巧く行くように方向を定めるべきなのに、巧く行かないままに悪循環にはまり込む……この様子では日陰から、まだまだ出てきそうにない。


うるさくて仕方がない!

2008年02月05日

このページは騒音問題や耳鳴り治療の解決法ではありません。――当サイトは心霊サイトです。

目的は霊障問題、とくに霊感が制御されない場合の対策を暗示(解決ではなく)するものですが、霊感なくして人は死後、他とコミュニケーションが成立しないことにご留意下さい。……

以下は、霊感発現以前に、精神統一の実習をしたことのある人ならば判りやすい。または、瞑想や座禅のたしなみのある人なら、ば、である。

ひっきりなしに霊の言葉が聞こえて、うるさくて仕方がない、という人がいる。ハッキリ霊の声とはいわず、または自覚せずに、物音や耳鳴りや、動物の鳴き声に平常心を揺らがされている場合もあるが、上述のようにこのページで扱うのは騒音問題ではない。

その音が他者の耳には聞こえず、また、健康上の問題もなく、さらにはお札やお守りが効果なく、お祓いもまた効果なく、霊能者に相談しても効果なく(この場合、事情を知って相手にしないのかも知れない)……

このような問題は、精神統一の実習や座禅の指導を受けた経験(自己流は勘定に入れない)があれば、本質的な取り組み方が間違っていることを理解しやすい。

無念無想を心かければ雑念が沸いてくる。

雑念を懸想とすればするほど雑念が強くなる。

……湧き上がる雑念は、心では抑えきれない。例えるなら、網戸で風が防ぐようなものだ。 つまり、本質的に手段と目的が適合していないのである。

さて、霊感というのはつまり感応であり、共感であり……話題が合わなければコミュニケーションが成立しないのと同様……合い応ずるところがなければ本来成立しないわけだが、自分ではコントロールできない雑念に感応している場合は、どうなるだろう? ――そう、止めたくても止められなくなるのだ。

……では、「どうすれば解決するか?」という、問いが寄せられそうなものだが、それに答えるのは難しい、比喩は必ずしも答にならないが、「戸締まりもせずに泥棒に入られない方法はないか」と問われるようなものだからだ。そんな都合の良い方法を私は知らない。


それは困った!

2006/11/09

2006年11月09日


友人が困難に晒されている。

霊査を求められたが……得られない。こういう時にはそれなりの理由がある。そう、そういう話である。具体的な事例を出すと、とても判りやすいのだが、まあ、天上天下、色々と事情もある。

つまり、悩める友人は、道義的最善(関係者全員の幸福)に抵抗がある。

だが、利己的最善は想像(イメージも湧かない)もつかない。

ならばどうするか?

……困った時の霊媒頼み、何とかならぬか、霊界にお伺いを立ててくだされ……アホウ、と思う。いや、変な表現だが、そうひどく頭が悪いと思うわけではない。「ああ、ここで詰っていたのか!」と思うのだ。

「汝の敵を愛せよ」、というが、理想はともかく現実は難しい。「論理」と「情」とは別物だからだ。

困難を困難と思うのは、解決した状況を想像できないからだ。だが、人の知恵で解決できないことであれば、それは神仏に任せるしかない。そして本来、神仏に任せたが故に霊媒に解答を求めるはずであるのに……変ではないか?

楽しい答なんて、期待する方が間違っている。だが、楽しくなくても正しい答なのである。それはつまり、不快であろうが、それが最善、つまり、失うよりも多くを得る答であるということだ。……もしもあなたが正しい道を歩んでいるなら。そうでなければ相手にもされない。

ひょっとして、いわんとすることが判らない?……つまりこうだ。

頼るなら、不都合な答えでも文句をいうな。

回答に文句をいうなら……それはあなたのゆとりの現われではないか。


家移り

2006/09/30

2006年10月20日


家移り……つまり引っ越しの話題が二件ほど出た。

家、というのは、人が日常必要とする最大のハードウエアだろう。だが、ハードウエアは、ソフトウエアを生かすために存在する。つまり、ライフスタイル(ソフトウエア)があって、それを最大限に生かすべく、選ぶのが家である。これは、購入、賃貸を問わずに当て嵌まる。

さて、肝腎な相談事である。

A、ライフスタイルが確立しないうちに、ハードウエア(家)を決めてしまうと、家に合わせて、ライフスタイルを決めることになるが、それでよいのか?……確かに、それも一つの選択肢である。これがたとえば、先方の親が結婚を機に家を建ててくれるなどという場合は。メリットとデメリットとの間のバランスは取れているだろう。なにせ、家は一生物の買い物なのだから。

だが、新婚生活を楽しみたいが為の転居はどうか?……それはそれ、それも一つの選択であると思う。だが気をつけねばならぬのは、

1,生活感の乏しいカップル……いきなり現実に当って、逃げ場がないと破綻の恐れ有り。

2,相手に任せきりのカップル……よく考えた方が地の利をしめる。後で不公平感が湧かないか?

もう一点。

親との同居問題などが、棚上げ中であれば、それを考慮しないと、結局は落ち着かない。つまり、どのみち一時の仮家にしかならない。だから、どうでも良い(また引っ越すのだから)、とみるか、既成事実を作って交渉を有利にする、とみるか。結局これも、ライフスタイル、というか、将来設計にたどり着く。……将来設計を、将来に任せて、今は今の生活だけを考慮するのも一つの解決策であるが……が、残念ながら帳尻は合うだろう。つまり、どちらにせよめんどくさい。引っ越しの回数か、交渉の回数か。楽に見える方がむしろ苦労が多いと思う方がよい。……何となれば、逃げ腰に本気で付合う者はいないのだから。最終的に一人で全部背負い込むことになる。

住居の問題は、つまるところ毎日のことなのである。もしも不具合があれば、その不具合と毎日対立しなければならない。……ではどうするべきか、という知恵もむろん大切ではあるが、もっとも致命傷になりやすいのは、その毎日のことを軽視して安易に決定してしまうことである。

一人暮らしであれば、話は簡単だが、……二人の問題に一方が不満を抱けば……家相の問題が人生に大きな影響を与えるというのは、家の形や方向がもたらす神秘的な力というより、むしろ、日々の生活、その容器である家に、充分な配慮が出来るか、出来ないかを問われているということなのだ。

……なお、プライベートな領域は割愛する。


おめでた(妊娠について)

2006/09/28

2006年09月28日


友人から、「おめでた」のメールが入った。出産予定は五月とのこと。五月に結婚する人有り、出産する人有り。私の周囲に慶事の気配はさらに続く。……返事をしたためるに当って、妊娠について、得たインスピレーションをいくつか気がついたことをまとめる。


つわり

以下はむろん体質の差もあるだろうし、病的原因もあるだろう。参考にしていただければ私としても嬉しいが、くれぐれも依存なさらぬようにお願いしたい。

そもそもケガや病気の痛みというのは、身体が発する警告信号であり、つまり危険の存在を自己主張している。自己主張というのはつまり意識に無視をさせないような形で働くということだ。

(簡単に無視できるようであれば警告の意味をなさないし、危険を無視するようでは子孫を残せないであろう……合理的な仕組なのである)

つわりも同様。女性の身体が、妊娠という特殊な状態に移行しているのである。気持ちもそれに合わせる必要があるだろう。その為の警告信号であるのだから、気持ちを紛らわせようとするのは摂理に反している。

むしろ、つわりがあれば、子供を抱くイメージトレーニングをするなどして、母親になる幸福感を育てる方が良い。

ところで、母親になる幸福感と一括りにするが、最低、二大別すべきと感じる。母となることに歓びを感じている女性は比較的お産が楽で、子供を持つことに歓びを感じている女性はお産で苦労しているみたいである。私が感じ取っている差は、おそらく心身の準備の差なのだろう。表裏の調和がとれた歓びと、表面意識的な歓びの、いわば深・浅に差があるだろうと感じる。

これは霊性云々の問題というより、状況・境遇の影響も大きいだろうし、体質的な問題も大きい。……論理や納得では克服しがたい問題である。

命名について

ハンドルネームや会社の名前についての相談は、採用率が非常に高いが、子供の名前に関しては採用率がゼロである。……相談を持ちかけておいて、と思えなくもないが、当たり前でもある。

ハンドルネームは個人の持ち物である。だが、子供の名前というのは親と子供の共有財産なのだ。いずれは独り立ちし、一個人の物になるとしても、幼少期においては特に、名前への好感が親子の間の好感にも影響するだろう。

親が我が子に責任を持つという意味においても、やはり、名前は親が付けるべきだと思う。……仮に天の政庁においてすでに名前が決まっているとせよ、安易に霊媒にそれを聞き出させるのではなく、夫婦でしっかりと話合って決めるべきだ。その過程で思い描く我が子の未来が、同時に両親からの祝福(霊的・精神的な)でもある。我が子の命名は、人生最初の霊的、精神的な贈り物なのである。つまり、我が子の未来はなるべく多く思い描くべきだろうと思う。その空想を恥じるべきではない。それがわが子を思う気持ちを強く育てるのだから。

が、翻って考えれば、世間では霊性のかけらも感じられない、安易で浅薄な命名が多くはないだろうか。我が子を天からの贈り物と思って、親の好みで名を付ける……それはそれで我が子への好意を育てはするだろうが、名は我が子への贈り物であるという意識がないと、結局、親が煩がられないか? まあ、余計なお節介であろう。何となれば相性などというのは、互いの霊性なりであって、論理では割り切れぬ物だ。命名にいくら気を配ったところで、親子の相性は、成るようにしかならない。


生まれてくる子供の性別

2006年09月29日

生まれてくる子供の性別は霊査してはいけないと昔からいわれている。だが、医学の進歩により、生まれてくる子供の性別はかなり早い時点で判明する。従って、この問題の倫理的責任について、随分と軽減したと思う。

ところで、妊娠中の友人に関して、生まれてくる子供の性別について霊査を取ろうとしたところ……ああ、実をいえば霊媒は皆、霊査はするのである。ただ結果を口にしないだけで……

「男の子!!」 という大声が聞こえた。……どうも夫の母親の意志らしい。

これは生まれてくる子供の性別を表わしているのではなく、期待している性別を表わしているのだ。……ああ、こうも周囲の雑音が多ければ、霊感が適切に働くとも思えない。

いずれ臨月が近づけば、周囲の者達も、「無事に生まれてくれば男の子でも女の子でも構わない」という気になるだろうが、妊娠したとなれば、夫婦の両親、特に気遣って子供の話題を避けてきた祖父母等は勝手なことを口にする。その物言いを聞けば腹も立つだろうし、下手に口を開けば角も立つ。ならばこの話題は笑って誤魔化すが最善であろう。

誰よりも一歩早く、どちらでも良いから無事に生まれてきて……そう思うことが大切だろう。

誕生は争いの種ではなく、祝福の対象なのだから。


つわりの話題 2

2006年09月30日

(水子供養)

妊娠報告のメールでは、まず、最初につわりの話題があった。その後、メールを読み進むと、どうも文体が普段と違うし、なにより語尾の結び方が男言葉、いや報告書風であることが目についた。

……だ。……である。……思う。

どう返事を書くかを思い描きながらメールを読み進むと、どうも男の顔が浮かんでくる。で、ハタ、と気付いた。……つわりで苦しんでいる女性に、女性の霊は懸りにくいのではないか、守護霊などもその被護者に感化しにくいのではないか、ということである。一緒につわりの悪感覚を共有してしまえば、守護霊の仕事が勤まらぬのではないか。

……少なくとも当事者が懸命に冷静さ、平常心を保とうとしているのが感じ取れた。メールではしきりに、きつい表現であることを詫びていたが、きつく感じられたのは、内容ではなく表現であった。

・・・・・・・

「いや、女性にとって妊娠というのは大変なことだな。」

変な感心の仕方かも知れないが、わざわざ守護霊の代行役までが付くのである。それほどの大事なのか、と感心してしまった。いや、詳細を訊ねてみると、単につわりだから守護霊の代役がつくのではなく、情をなだめるよりも、情に流されそうになる時に、感化力に劣る補助霊がつくのだという。

まあ、それはさておき、妊娠は大変なことだ、と思ったとき、ふっと、見覚えのある女性の霊を感じた。

・・・・・・・

『家族・周囲の人々は、赤子が生まれて、初めて実感が湧きます。でも、妊婦(母)にとっては出産前から我が子が現実なのです。一度も抱かなくても我が子が現実。ですから、生まれてくる前に我が子が死んだら、その現実、その変化を受け止めるのがとても難しいのです。

『早世した子供達に、特別な宗教儀式は不用である、というの確かに一つの心霊事実です。でも、残された者、肉体的な束縛のある者が、(内在的?)事実をしっかりと認めるためには、何らかの儀式が有益なのです。ですから、水子供養は、むしろ母親、特に真剣な母親にこそ必要なことなのです。』

むろん、友人の子が早世するという話ではなく、つわり対策の心構えと繋がっている。……生まれる前から我が子として扱え、という。だが、生まれてくる前に早世したらどうなるのか。実体ある物の損失は認めざるを得ないが、感覚的な損失は認めがたい。なんとなれば、信じることに肉体は反応しやすいからだ。

女性が霊的な物を感じやすいというのは、おそらく潜入観念ではないか、と私は考えている。人間の才能に男女差が在るとは思いがたい。だが、才能の有無に関わらず、女性は、見えざる者を見、聞こえぬ声を聞く才能を必須としているのかも知れない。

まず第一は妊娠という形で。育児だってそうであろう、物言えぬ赤子の必要とするところを察して世話をしなければいけないのだから。

・・・・・・・

そうしてみると、幼児の虐待死などは、単に人々の心の荒廃等ではなく、見えざる心、聞こえざる意志を感じる力……本来人間が持ちながら、ただ、数値化が難しいが故にあまり議論されてこない感覚・能力が、退化しつつあることを示しているのかも知れない。

反対に、最近の心霊ブームも、自ら感じ取ることを諦めた人々が増えている証なのかも。


職業毎の心構え

2006/08/30

2006年08月30日


何度も紹介している話ですが、「群盲象を撫でる」という仏教説話があります。目の不自由な人々がそれぞれに象を撫で、耳を撫でた人は象とはザル(箕)の様だといい、鼻に触った人は蛇の様だといい、腹に触った人は樽の様といい、足に触った人は丸太の様だという……物事の一部だけを取り出して、全体を推測する事の愚かしさを譬える言葉です。

・・・・・・

Q 「不幸を商売のネタにする人の仕事対する心構えについて」

質問者は、事例として、火事がなければ腕が振るえない消防士、事件が起らなければ腕が振るえない弁護士を上げています。

・・・・・・

現実に「マッチ・ポンプ」なる言葉があります。消防士が自ら放火して、消火し、成績を上げることを指したものです。または、法の番人の筈の警察官が犯罪を犯せば、「ミイラ取りがミイラになる」などといわれます。私にとって笑えない事例としては、自称・霊能者の心霊詐欺などが上げられましょう。

ですが、特別な心構えが必要とは思えません。

上記事例でいえば、消防士の大多数は誠実に職務を果たしていらっしゃるでしょうし、放火犯の大多数は消防士以外の人でしょう。警察官だって同様でしょうし、心霊詐欺を働くのに霊感は必要ありません。

・・・・・・

荘子の言葉に、

「馬車作りの大工は、人が金持ちになるように願い、棺桶屋は、人が死ぬのを願っている。これは馬車大工が善人で、棺桶屋が冷酷な人間ということではない。景気がよくならないと、馬車が売れないし、人が死なないと、棺桶屋は商売にならないからだ。」

とあります。

いくら馬車大工が人が金持ちになるのを待っているにしても、人に金を与えようとはしないでしょうし、いくら棺桶屋が人が死ぬのを待っていても自ら人を殺そうとまではしないでしょう。

人の心が、職業に影響されるとしても、人は職業に流される必要はありませんし、職業の善し悪しで、人が犯罪を犯すわけでもないでしょう。……従って、特別な心構えなるものが存在するとは思えません。

むしろ……

ある人が老僧に向かって、「仏教徒は何ぞや?」と質問したところ、老僧の答は「善い行いをし、悪い行いをしないことだ」と答えたそうです。

「そんなことは3歳の子供でも知っている」と笑うと、老僧は

「だが、70歳の老人でもなかなか出来ない」と返事したとか。

ようするに人なのです。……善悪は、その人の職業に主体があるのではなく、その人そのものの在り方なのです。

・・・・・・

この質問を敢えて愚問とはいいませんが、恣意的なものを感じます。いえ、真の相談内容を秘匿したくて、無理に例を作り出しているのは理解しています。ですが、同時に結論まで強要している意図を強く感じるのです。

「悪いのはあなたではなく、職業です」……といわれたいのでしょう。

でも、私がそう返事をしたところで、気休め以外の何か良い結果が生じるでしょうか?

あなたは明らかに論理的袋小路に入り込んでいて、問題はもう心霊相談の回答では解決しません。心理的なカウンセリングや、法律相談などをご利用なさる方が直接の解決に結びつきやすいはずです。次の一歩を踏み出すのに勇気が足りないとしても、今のあなたに一番不足しているのは時間の筈です。


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