‘心霊相談(事例)’ カテゴリーのアーカイブ

謎の仏像お片付け事件 (3)

2016/01/04

フィールドワーク2日目。

約束の時間ぴったりに、相談者の義母宅に訪れる。・・・早めに来る気は合ったのだけど、種々、生理的欲求を満たしつつの移動はいささか時間が掛かって・・・

すでに相談者も、古物商も来ていて、仏像の鑑定が始まり、隣では相談者が、かの『誓詞』を探し回っている。昨日、「大切なものだから、ここに置く」と言っておいたのに忘れたのだろうか?

・・・まあ、それも無理はない。自分は大病を患って、遺品の片付けは出来ず、自宅に幽霊?は出るし、息子は足を痛める。疑心暗鬼に陥っても不思議ではない、というより、「なるほど!」と、得心する方がむしろ非常識であろうと想う。

そこで私が、「ここにあるはず、」と手を出したところに、「誓詞」が無かったのは、物理的霊現象でも何でも無くて・・・そんなことに霊たちがリソースを割く必然がない。・・・たぶん、相談者が探しているうちに掻き回したのだろう。まあ、私の記憶も怪しいものだが、何より、紙束の中から茶色い紙一枚を探すというのは、難しいということを、再確認した次第。

少々、辺りを探した挙げ句、再度「誓詞」を見つけて、今度は滞りなく、文箱に納めた。

古物商からは、「仏像だけで無く、花器や、水杯などもあったのではないか? セットの方が値をつけられる。」といわれたのだが、今更、ゴミの山の中から探す気も無く、「無い」と答えて、これで精算。その額が、相談者がお子さん達と相談して私への礼金と決めていた金額と同じだったものだから、私も相談者も想わず失笑してしまった。

とりあえず、これで問題解決とばかり、私はこの場を辞した。帰路、人1人やっと通れるような路地を見つけて、思わず探検してみたのは別な話。というか、心霊とは全く関係が無い。たぶん。そういえば、私が初めて滝行に参加した後も、寒さの折、しかも、山陰の山深いところで、濡れた行着を着て山中を徘徊した事があったが、霊的充足感を感じていたから・・・半分、酔っぱらったようになっていたのかも知れない。少なくともこの状態は、気分も良いし、悪い結果も残さなかった。

宿泊先の友人宅に立ち寄り、荷物を回収して、その後、この件で頼った神社を詣で、更に数カ所、初めての訪れる神社を詣でた後、土産物を購入して、帰路についた。

 

後日談。

このフィールドワークについて、2ページをアップロードした後、気がついた。相談者にその後の結果を訊ねる前にホームページに掲載するのはいかがなものだろうか?と。・・・と、思い、ページの公開を取りやめたのだが、忙しさにかまけて、相談者に連絡すること無く、日を過ごしていた。ところが、年末が近づいたある日のこと、車を運転中に、突然、相談者と電話が繋がった。いったい何がどうなっていたのか、ポケットに入れていたスマホがポケット内でこすれたのか電話を発信し、歩行中に二回、私の母を呼び出しているのに気付いて慌てて切ったその後のこと。もう無いだろうと油断していた時に突然繋がったので、一瞬、何が起こったのか理解できなかった。折角なので本件のその後のことを訊ねたところ、私の使っているハンズフリーユニットでは音声が聞き取りにくかったのか、後で電子メールを打つ、とのこと。その夜に受け取ったメールによれば・・・(筆者が箇条書きに変更)

  1. 仏像は、骨董祭にて仏像収集家(?)に転売された。値段はトントンだったとか。
  2. 実家の片付けが急に進み出した。
  3. 自宅の人影が、パッタリ見なくなった。
  4. 自分の活動が巧く行くようになった。(守られているのを感じる)
  5. 片付け時に痛めた膝もいまは大部良くなった。

 

というわけで、まあ、多少の行き違いはあったかも知れないが、大旨、解決に向かったようで何よりと思う。

折角なので、三点ほど解説する。

1.「守られているのを感じる」というのは、ちょっとした霊界のルール、の様なものが働いている。ここで言葉をぼかすのは、ルール/法則というほど大げさでは無いから。

元々、祖霊は、高級祖霊であれ、直近祖霊(私の造語、高級とまでは言えない祖霊に対するコジツケ。)であれ、子孫を幸せにしたい気持ちは多いが、子孫に隠れて、陰から手助けする、というのは、あまり良しとしていない。一つには、「自分は運が良い」と、過信、増長してしまうのを恐れているからで、また、おそらくは、「代償を求めるから」といえば語弊もあるが、祖霊との信頼関係を得た人であれば、緊急時に霊媒を通じて、本件の様な回りくどいやり方をショートカットすることも出来る、というのもありそうで、つまり、祖霊たちがまず、自ら名乗り出るまで援助を控える、という場合も多々あり、私を含めた霊能者等の話を聞いて、「ああ、いろいろな霊が私を守っているのだ!」と感じた人が、「その後、色々不思議な偶然が多数重なり、護られていることを確信する様になった。」と言い出す例を私も多々見てきている・・・まあ、一筋縄には行かないのだけど。だ。・・・実はここが難しい、耳障りの良いことだけ聞いて、後は勉強会などに参加しなくなる人もいて、結局、各々の祖霊は面倒な方法を使い続けるしかなさそうな事例も目にしなくはない・・・結論を急ぐのは間違いの元だろう・・・結局は人の繋がりに関することで、ルールや法則では割り切れないのである。

 

2.「巧く行く様になった」・・・共同作業、わかりやすく喩えると、二人三脚の様な競技を思い浮かべて欲しい。それぞれの行動のタイミングを合わせるには、お互いに声を掛け合うことが大切となる。または、簡単な道でも、自信が無ければ前に進むことが出来ない。

以前、私が師匠と共に静岡県の秋葉神社に向かって車を走らせているとき、静岡の一宮である、「小国神社」に通り掛かったときのこと、とりあえず、駐車場に車を止めて、私が「挨拶してきますが、先生はどうしますか?」と訊ねたとき、高齢で、自分の足腰に自信の無かった我が師は、駐車場内の案内図を一目見て、「坂道が大変そうだから、私は待っている。」と、答えたことがある。そもそも案内図というのは、目的地が図の上、現在地が図の下というのは普通に使われる表現であろうが、我が師は(私も)それを、坂道と誤認したのである。

実のところ、小国神社は、平坦な神域を持っていて、坂道など無かった。その参道を私が1人で歩いているとき、後ろから師がとことこと私を追い越して本殿に向かったのは、何か神霊が降りてきたからだろう・・・

結局、自分でも行ける、と、信じさえすれば、霊魂が憑かる必要すら無い。つまり、「自分を信じること」が必要なのである。自分を信じればこそ巧く行く事も多い。

または、自分が護られていることを信じることが・・・巧く行く、というのは、自分の進む道にレール(巧く行く仕組み)が引かれていると信じることなのだが、この事もあまり普遍的な事では無く、つまり、ルール/法則とは呼びきれない。なにしろ、大抵の人は、正しい道を選ぶよりも往々、正しくあって欲しい(欲望)道を選びがちなのだから。となると、つまり、素直に物事を見る力が大切なのかも知れない。その点でいえば、今回の相談事例は、護られている事を自覚する良い機会だったのかも知れない。

 

3.適切なスピードがある。または、動くものは動くし、動かぬものは動かない。

解決すべき時期でないなら、どんなに努力しても解決しない。解決しないものを解決しようとすると、その努力が内攻して、身体を壊しかねない、という事だ。時期、または、条件が揃えば、水が流れるがごとく、当たり前の様に解決するものなのである。押してだめなら引いてみる。開いてないなら開店するまで待つが良い。

運の良し悪し、というが、もとより、運というのは自分以外の物/者達の都合であるから、自分の都合を押しつけても得られない結果なのです。

 

と は い え。

まさか、紙一枚で家族の営みにストップが掛かる、というのは、私自身、全てを信じる事が未だに出来ない気分ではあります。

「死者が何でこの世にある誓詞に拘るのか? そんなもの、あの世で見繕えばいいじゃ無いか。」というのが本音。でも、まあ、「自分の子孫に手本を見せる。」というのも、それこそ、将来にわたって働き続けるかも知れない大切な作用でしょう。

机上の空論、または、シンプルな法則から離れて、人情物語を見た・・・何より私が(いや当たり前か。)今回のフィールドワークから一番多くを教わったのかも知れません。

謎の仏像お片付け事件 (2)

2015/10/30

仏像の処分(初日)。

市内の地下鉄某駅で、すでに頭痛の癒えた相談者と待ち合わせ、青空の下、徒歩で、義母様の家に向かいます。

家について、電気の契約が泊めてあることを今更ながら思いだし、天袋、さらには天井をのぞき込むかも知れないのに、懐中電灯が無いことに気付き、相談者に買ってきてもらうことにしたのです。

光源なら、スマホだって、出張には持ち歩くスマホの外付けバッテリーだって懐中電灯代わりに使えるのですが・・・正直、1人になりたいという気持ちがしたので、そこは黙って懐中電灯を買いに行ってもらいました。

1人になり、簡易祭壇・・・二つ折りにした白紙を敷いて、小さなカップにそれぞれ、白米、塩、水を入れて並べただけ、邪魔を減らす為に祝詞をあげたのち、精神統一に入ると・・・何も邪悪な物は感じません。ただ、『縁起物を先に片付けよ』と聞こえてきただけです。

元々、お年寄り世帯の家のせいか、縁起物やら、お札やらが家のあちこちにあります。

相談者が帰ってきたので、片付け前の無事を祈って改めて祝詞をあげ、私は踏み台を置いて天袋の片付けを始めました。よく見ると、天袋の左の引き戸を開けると、そこは簡易仏壇になっており、右側の引き戸を開けると、神棚が姿を現すという、なんともグッドアイデア(?)な祭壇となっていたのです。

天袋の中には、箱入りの仏像が大小二セット、その他三体、神棚と祭具、多数の教本、多数の祝詞、多数のお守り袋・・・一つずつ取り出し、また、お札などの紙類も一枚一枚確認しつつ、仏像は仏像は別に、神棚や、お札など、お焚き上げが必要なものは黄色い紙袋にいれ、花器などは燃えないゴミ、包装紙などは燃えるゴミにと、分別を進めていきます。

分別を進めながらも、気配に関して気を配っていたのですが、全く何も感じません。仏像も制作者らしき銘が入っているようで安物ではなさそうですが、といって、信仰の対象にするような、「魂」の入った品物ではありません。ただし、小石の入った袋が三つあったのは、不快な念がこもっているのを感じて、取り分けておきました。確認すると、願が叶った暁には新しい小石を添えて神社にお返ししなければならない、という物でこれに関しては、結局、私が携えて代わりに神社にお返しに行くことにしました。ただし、悪い念を感じるといっても、頭痛や、足のケガなどの原因になりそうなほど強い物ではありません。

整理の途中、小さくたたまれた黄ばんだ紙を開いてみると、「誓詞」と書かれていたので、相談者に渡したところ・・・ちらっと中を見てすぐにたたんでお札などの紙の山に戻してしまいました。

また、二本見つけた破魔矢のうち一本が私の手からこぼれて落ちたので、私は「あ!、逃げた!」といったところ、相談者に笑われましたが、後に落ちた先の周辺を探してみたところ捨ててはならない物を見つけたのは、まあ、お駄賃のような物です。その近くには、更に文箱があり、もしやそこにもお札が入っているのでは、と疑った私が文箱の確認をしていたら、その文箱は、相談者の結婚時に贈った物だとか、折角ですが、包み紙が詰め込まれており・・・物を大事にする方だと思わず笑みがこぼれたものです。

天袋が空っぽにしても、病気が起こりそうな原因物も無く、そのまま片付けを進めます。そして、お焚き上げに出すお札類を確認したところ、再度、あの「誓詞」に目が止まりました。改めて内容を確認すると・・・相談者の義父母が神前結婚をするに当たって作成した「誓詞」だったのです。これは、捨ててはいけない物として別におくことにしました。

 

問題の整理

敬意を払うべき物ではあっても、仏像もお札も、人が作ったものなのです。捨てるにしても過度に心配するのはナンセンスではあります。ですが、この家の場合、空き家になったのは十数年前、血が繋がっている肉親であれば、情があって捨てられない物ばかりになるかも知れませんが、理性的に捨てる捨て内を決められる、お嫁さんが整理しようというのに、十数年間、遅々として片付けられなかったのです。第三者から見れば、怠けていたのでは? と疑うのが自然かも知れませんが、当事者にしてみると、「何でこんなに障害が出るのだろう?」と悩んで当然です。仏像やお札が、原因と疑い、恐れる気持ちもよく分かります。それを察した上で私は、魂も入っていなさそうな仏像を、わざわざ私の知り合いの寺に運び込む覚悟をしていたのです。

ですが、原因に気付いた今となっては、仏像を恐れる理由もありません。

そして、改めて対策に付き、相談者と話すことにしました。

  • お札、お守りの類いは、近所の神社でお焚き上げしてもらえば良い。
  • 神棚についてもお焚き上げで大丈夫である。
  • 仏像は障るほどの事は無いし、例えば古物商に譲れば、誰かの役に立つのでは無いか?

問題は、仏像です。お寺で魂を抜いてもらえるとしても、抜いた後の仏像は自分で処分しなければなりません。まあ、私の聞くところでは、『燃えるゴミに出しても良い』 というので悩むほどではありませんが、ともかく、処分には手間が掛かりますし、それならいっそ、売れるなら売った方が良いはずです。

相談者にしてみると、縁が切れればそれで良いということと、知り合いに古物商がいるということで、電話で確認してみたところ、翌日には見に来ることが出来る、とのこと、ならば、私が滞在中に、引き取ってくれるか、そうでないか(その場合は私が引き取らなければならない)、が判明することとなりました。なので、(内心、片付けの後は遊びに行く気満々だったのに断念して)・・・朝、もう一度この家を訪れることとし、改めて家の中を一回りして縁起物を片付け、私の簡易祭壇を片付け、お焚き上げの物と、燃えないゴミとをそれぞれ袋に詰め、近くにある相談者の家に行って手を洗うことと致しました。

 

次の相談

さてその次に、私がすっかりの忘れていた、もう一つの相談の話題が出ました。

過去、義父母の家から引き上げ、自宅で使っている仏壇へ、男の人が入っていくのを、相談者とその夫が見ているという話です。

確認の為、仏像の前に座ろうとすると、和室の光景が見え・・・そこも和室でしたが・・・敷かれた布団の中に寝ている老婦人の姿が見えます。・・・そして、自分の足が攣りそうになっているのを感じて、思わず、座るのをやめてしまったのですが、そのまま声を聞いていると・・・

 

『(故人である相談者の義母は)病み疲れで未だ寝ている、起きると夫を恋しがるだろうが、夫は早々に目覚めてただいま修行中である。会わせると障りがあるので、そのまま寝かせている。』と聞こえました。どうも、夫に先立たれた後、寂しさと、自身の病への恐れとで心に不安を育てていたようで、それ故に、宗教に頼ってみたりはしたけれど、困ったときの神頼みで突然、自信や、生きる力が湧くわけも無く、結局は救われない思いを抱いて帰幽(肉体を捨てる=死)をした、ということで、霊/幽界(物質と隔絶した世界が霊界、物質と霊とがうすく干渉し合う世界が幽界)で目覚めると、夫に会いたがり、お互いに心を乱す恐れがある、ということで、『どうしようか?』というのです。

 

私が、「せめて、夫を感じられるようなものをあてがうのが良いのでは?」と、ピント外れな祈念すると、『なので、「結婚の誓詞」が大事になる。仏像やお札などは、一時の頼り(個人一代)で、死後に持って行く必要のないものである。だが、(神前での)結婚の誓いは、死後にも続く、有効な物である。とはいえ、目が覚めたときに夫の修行が終わっていて、会いに行けるのであれば良いが、修行が終わっていなければ寂しく、また、不安な思いをするだろう。そんな時に、せめて心のよすがとして、子孫に結婚の「誓詞」を保管していて欲しいのだ。』という。

 

付け加えると、子孫が「誓詞」を保管するとは、保管者が結婚を承認している・・・子孫が結婚の保証人である、ということです。反対に、結婚が続く限り保証人=子孫との縁が続く、という意味でもあります。

 

・・・では、「仏壇に入っていく男」の正体はなにか?

 

それはともかく、(?)・・・私たちは昼食に向かい、私はそのあと、「お札」を社寺に返しに行き、さらにそのあと、臨時勉強会・・・終わって、皆と飲みに出かけました。

 

高級祖霊

私がすっかり、常連ぶって、出かけた先の店は、過去に勉強会に参加したことのある人がやっています。この人との話もいろいろエピソードがあるのですが、それはいずれ紹介するとして、今回は、「謎の仏像お片付け事件」のほぼ、打ち上げです。最終的な解決には、古物商との打ち合わせ次第ですが、どちらに転んでも何とかなりそうなところまで来ています。

件の相談者と、その息子さんも交えて、改めて今回の事件を総括してみますと、まず、不可思議なのが解決までにかかった時間です。

  • 義母様が亡くなってからおよそ十数年年。
  • 相談者が勉強会に参加したのは3年ほど前。
  • 振り返ってみれば、「謎の仏像」事件は、真の問題とは違うだけでなく、真の問題を覆い隠すところがありました。
  • なぜ今、この問題が片づいたのか・・・

一つには、私が相談者から信頼されるまでに必要な時間だったのかもしれません。もちろん、すべての問題が霊達の働きというのではなく、多くは行き違い、ボタンの掛け違いを糺す行為だったと思いますが。

もう一つには、相談者には健康上の不安があって、先にそちらの克服が必要だったということもあります。その健康上の問題は、これらの仏像を見つけたとき、相談者を過度に不安にしたのはやむをえなかったことです。

もう一つ、考えたいのは、今回の事件が、地味に難しかったことがあります。例えば、仏像をとっておけ、というのであれば、仏像には存在感がありますから、指示はしやすかったはずです。ところが、とっておくべきが、仏像の陰にあり、経本やお札にまみれた中に挟まった、一枚の紙です。「木を隠すには森の中」といいますが、森の中から木を探すことを強いる話なのです。

『一つのことを伝えるのに時間が掛かった』・・・霊界通信て、案外コストが掛かるのです。コストというより、リソースの方が適切なのですが、現金はさほど必要としなくても、多くの人の手を煩わせることを意味します。すると、どうしても最小の通信に最大の内容を盛り込もうとします。

必然的に、受け取る方、にも多くの理解を要求してきます。

一方では、最大の効果を求めるために、多少の乱費・・・主に霊界側のコストに関してはおおらかな事があります。・・・つまり、霊界側では十分なリソースがある・・・場合ですが。

ところで、私たちは、たとえ短期間であれ、両親がそろっていて、初めてこの世に生を受けることが出来ます。知る、知らないは別として、少なくとも現代の生命科学の元においては、人は必ず両親を持ち、両親もそれぞれ両親を持ちます。

私たちには必ず、両親、祖父母、曾祖父母・・・という具合に尊属を遡ることが出来ます。この事は、心霊を学ぶ上において、「人には、祖霊がある」と考えます。

ここでいう祖霊ですが、近親者、特に祖父母の霊たちは、自分の子孫を往々、「猫かわいがり」をしがちです。私などが霊感でいろいろ伝えられるときには、もう、可愛くてかわいくて仕方がない・・・という感じで受け取ることが多いものです。ただし、修行中ゆえにあまり力は強くなく、利用できるリソースも多くありません。

ところが、祖霊たちも、霊界生活を重ね、修行を積んでいくに連れて、「長い目で見た優しさ」を備えていきます。それは往々、「短期的には厳しい優しさ」も意味していて、同じ「祖霊」でも、性質の異なる優しさを持つことになります。ただし、力も強ければ、それなりにリソースも多く使える様になります。

(近親の)祖霊: 子孫を甘やかせがち、力は強くない。

(遠い)祖霊(または遠祖・神祖・高級祖霊などと呼ぶ): 子孫にいささか厳しい、力は強い。

という、区分けが出来るのですが、今回の事件は、子孫である相談者にとって長期間の作用と、負担の大きい解決法を取っている点から見ても、近親の祖霊ではなく、高級祖霊が働いていることは明らかなのです。

そして高級祖霊には、リソース・・・例えば、誰かに貸しがあったり、配下が多かったり、または単に、顔が広かったりと、使える手段が多くなります。

前述の、「仏壇に入る男」は、今回の件を仕切っている高級祖霊が、「通信霊」(つまり、人に通信を送るのが上手な霊、霊を感じる力を持った霊媒の霊界版)を使って、『おまえ達(相談者家族)だけでは解決困難な問題がある』と、知らせた、というのが私の理解なのです。

もちろん、高級祖霊なり、雇った通信霊が、直接、十分な通信を送れるならばいうことはないし、問題によってはそうすることも出来たはずですが、いかんせん、この問題は伝えるには地味すぎました。・・・いや、私の霊媒能力が、おおざっぱなだけか。

 

多くの意味が・・・

ところで、高級祖霊・・・まあ、単に祖霊でも当てはまることですが、今回の事件で何を伝えたかったのでしょうか?

死後も続く結婚の誓い・・・神前結婚の素晴らしさか? まあ、少なくとも「結婚の大切さ」は、未婚の孫達にも、おそらくは、無事な結婚生活を送っている子供達らにも、大きな刺激を与えたことでしょう。

「一代限りの願い」と、「永遠の誓い」の差を伝えたかったのかもしれません。

あまり積極ではなかったようですが、他者が敬うもの(例として仏像)には敬意を払うべき、ということも、この世の孫達に伝わったかもしれません。つまり、好き嫌いが働いたり、理解が及ばなくて、尊敬が出来ない相手であっても、立場が立場であれば、敬意を払うことは大切です。

これは例えば・・・大災害に遭ったときは、防災リーダーには従うべきです。または、学生・生徒であれば、教師・先生の指導に従うべきです。こういうことをおろそかにする人は自力の小ささ、自分の器の小ささに直面することになります。

そういった、あれこれを指して、日本では古来から、正道とか人の道といった言葉で表すのかもしれませんが・・・お酒を飲む合間に、そんな話をしつつ、夜は更けて、そう遅くならないうちに店を後にしたのでした。

帰り道の途中で相談者親子と別れた後、私と友人は日本酒を買い込み、友人宅で、酒臭くも熱く人生を語り合ったのは、本事件とは別な問題の解決のためでしたが、それはいずれまた紹介します。

 

・・・続く。

謎の仏像お片付け事件 (1)

2015/10/27

ここ数年来、私は個人相談を原則断っていますが、その理由の一端は、私には読んでも趣旨が理解不可能なメールが多くなってきたことにあります。まあ、説明が巧く行かないのは、説明不可能なほどの大きな問題に、押しつぶされそうになっているのだ、と見て取ることも出来ます。・・・他にも感じることがあったとしても、・・・そもそも、メールによるコミュニケーションが成立しない相手では、メール相談、ひいては個人相談が成立しません。

なので、多少なりともコミュニケーションが成立しそうな人には返事を出していますし、勉強会の参加者で、多少なりとも気心が知れれば、かなり不可解な問いかけにも、それなりに答えることをしています。

さて、今回、取り組んだ心霊相談は、盛り沢山ではあったけど、一つ一つの問題は、そう不可解な話ではありません。むしろ、簡単に解決しそうな相談に思えました。

しかし、目に見える問題と真の問題が必ずしも同じとは限りません。特に心霊相談の場合、見えない、または、見えにくいからこそ、霊能者に相談するのであって、問いかけは「氷山の一角」に過ぎないことを、私は知っていたはずでした・・・

 

 

相談内容について

某所での勉強会に、最初から必ず参加して下さっている女性からの相談でした。過去の勉強会でも、ちらっと話題は出たのですが、遠慮があったのか、忙しかったのか、「困っていることがある」というだけで、その先の話がなかなか聞けずにいました。それが今回、10月10日の勉強会で、始めて問題の一端を聞かされたのです。

しかし、翌日の勉強会に備えて、移動とレポートのまとめをしなくてはならず、「今、聞かされても忘れるかも知れませんので(確信)、すいませんが空メールで良いので、長文が扱えるPC用のメールアドレスからメールを一本送っておいて下さい。」と答えておいた。少なくともメールが一本入っていたら、回答しなければいけないことを思い出すだろうし、返事を書くのに細切れにしなくてはならないキャリアメール(携帯用メール)では、霊査を取る前に返事を書くストレスで回答が終わってしまう・・・等という私の心配をよそに、日も変わらぬうちに受け取ったメールは、以下のようなものでした。(筆者が箇条書きに変更)

 

  1. 20年ほど前に夫の父親が、その3年後に義母が亡くなった。義父母の家は空き家になった。
  2. 義母は何でも取っておくタイプの人で荷物が多く、遠方に嫁いだ義姉の物も残っているので、義父母の家の片付けが進んでいない。
  3. 空き家になっている義父母の家のことで近所からのクレームが来ているので早く片付けなければならない。
  4. 1年半ほど前のこと、義母の寝室を片付けている最中、天袋を開けたところ5~6体の仏像を見つけた。
  5. その仏像を見た途端、「何とかしなくては!」という思いで苦しくなったが、どうして良いか判らない。勝手に処分したら身体に障りがあるのでは無いかと心配になった。
  6. 義母は、夫との死別後、どこかの宗教に入れ込んでいたようだった。

 

ということなので・・・では早速、精神統一の上、霊視してみると・・・といけばカッコが良いのだが、まず、義父母様の家がどこだか分からない。義母様の名前も知らない。それで霊視しようとしたところで、脳裏に勝手なイメージを作り上げるのがオチである。そもそも・・・まずは翌日の勉強会を終わってから、と、一端、この問題は棚上げにすることにしました。

 

通信霊

今回の宿から、30分ほどの距離にある勉強会会場に、2時間前に出発した私は、地下鉄に乗って、この地の勉強会の前に必ず立ち寄る某神社にお参りしました。この神社、この地で初めて勉強会を行った、その前日、宿に向かって歩いている途中に、こざっぱりとして、それでいて敷地内に多くの花が咲く、美しい神社の様に好感を抱き、つい立ち寄ってからのご縁です。拝殿前で『明日の勉強会をお守り下さい。』と祈ったところ、『良いことである、私も手伝おう。』との霊声が聞こえました。

この霊声の主が、果たしてご祭神であるのか、そのお使いであるのか、代々の神官の霊であるのか・・・私はそれを確認していません。しかし、木の種類を見るには、花や実を見るに越したことはありません。「名前」や「身分」よりも、「結果」こそが何より大事だと思うからです。・・・まして、その結果なるものは、霊のみの力に非ず、それを表に出す霊媒の実力次第の所もあります。つまるところ『協業』、私がだらしなければ、たとえ力のあるご祭神であっても、霊媒の私共々物笑いのタネになりかねないのですから、相手の氏・素性よりも私との相性が大事といえます。

すると、私との相性が良さそうなので、霊声をかけてくれたのかも知れませんが・・・

それはともかく、「霊能者」と威張ってみても、生きている人間ですから、食べなければならないし、寝なければならない。集中力だってそう長くは続かない。会社勤めもしているし、野暮用だってある。四六時中、心霊のことばかりやっているわけには行きません。ならば、霊界のことは霊界に任せ、私は現世の役に立つことに専念する。・・・「あの世のことはあの世で解決していただき、その結果を伝えるのが霊媒・霊能者(この場合は私)の仕事」だと考えています。

これはつまり、地上に霊能者(霊媒)がいて、人の悩みを聞くのに対して、霊界にも、霊媒との通信が上手な「通信霊」がいて、必要な霊との交信を手助けしている、という形になります。

相談者 ⇔ 霊能者(=霊媒+通信霊のチームのこと)⇔ 対象の霊

そこで、さっさと霊界に丸投げすることとして、まずは私の背後霊(私の支援をしてくれている霊)の1人に調査を依頼しました。彼女なら、相談者の守護霊とコンタクトして詳細を得られるはずです。さらに新興宗教絡みらしいので、荒事に備えて上記神社の霊声の主に協力を求めました。

回答は、たちまち来たのですが、浮き世にある私は、今回の勉強会、夕食、散歩、その後に勉強会のレポートを仕上げてHPにアップロードして・・・回答を聞くのはその後になったのでした。たちまち来た回答を、勉強会絡みの仕事はともかく、娯楽の後にまで待たせに、待たせるのは、現世の常識に照らし合わせるとだいぶ失礼なこととは思いますが、浮き世のしがらみと、霊界の自由さの差ということ、そして、時間の自由さこそが、霊界の問題は霊界に依頼するしか無い理由でもあります。

 

回答について

2日目の勉強会から帰宅した後、改めて霊査をとり、回答を纏め、下記のような内容で、相談者にメールしました。

 

● 通信霊より 「仏像・神像について。」

この仏像・神像は、宗教団体への寄付に対する、謝礼、というか、布教の一環で送られたものです。義母さまはお付き合い以上の関心がなかったが、仏像・神像だけに処分に困って天袋に仕舞ったものです。

 

【補足】

結果からいえば、もらって処分に困った物もあったでしょうが、自分自身で買いそろえた物の方が多かったかもしれません。ただし、この通信の目的は仏像類の出自では無く、「どうでも良い」ということにありました。

 

以下は、主に一般論として

● 仏像・神像が気の毒? (と感じたことについて))

その志が高いかどうかは別として、贈った方にも「想い」がありますし、義母さまにも、残した事への「心配」もあるでしょう。

また、面倒なことに、仏像・神像というのは、たとえ造りが悪く、材料も陳腐な安物であったとしても、「信仰の対象物」というだけで、おろそかに出来ませんし、なにより、他者の前で処分するのも憚られます。

「力(加護)を発揮できずに死蔵された」といういきさつもありますので、扱いに礼を失すると(程度ものですが)暴れる気配もあります。

 

● 対策について。

まず、ご本人が、仏像・神像を見て、「同情」・「感応」してしまった、いきさつもあります。なので、本人が、「代が変わってしまい、自家には別な宗教もありますのでお祀りすることが出来ません。伝えたいことをお持ちでも、私には力もありませんので、専門家にお渡しいたしますのでどうぞ、そちらへお移り下さい。」と、祈念いたしましょう。これは縁切りの為で、ここまでは、他者に頼むことは出来ません。

その後、神社同様、二度柏手を打ちます。これは祈祷ではなく、気分を切り替える為のものです。(引きずらないことが大事です)

上に、「暴れる」といったのは、「人目に触れようと努力する」例えば、「箱に入れて持ち出そうとしたら、落として中身が出た」といった感じです。

なので、仏像・神像は一つずつ、黄色、または、黄色っぽい紙で包み、纏めて段ボールなどに詰めます。ここでのポイントは、「信仰物だから敬意を払う」ということです。黄色い紙もそういう意味で使います。この紙は、さすがに古新聞などは使わず、百円均一で買ったもので良いので模造紙などを使うか、古布などでも大丈夫だと想います。

また、包装と箱詰め、運搬には、息子さんに頼むべきです。

そもそも、霊障に弱いのは、身にやましかったり、なまじ同情心のあつい人なので、この片付けは奥様とは相性が悪い問題です。一方、息子さんは、信仰心に篤くても、言いがかりには断固たる態度が取れる人だから、この問題に耐性があります。

終わった後のみそぎなどは不要ですが、気分を切り替える為、ポンポン、と柏手を二度打って、験を正すのは良いと思います。

または、私が包装し、運んでも良いのですが・・・時期が合えばですが。ただし、霊感が強い=敏感=人より弱い、という意味でもありますが、まあ、その辺の霊にケンカは売りませんが、負ける気もしません。

 

● その他の注意点

  1. 念のため、片付ける前日と、片付け終えた後にメールを下さい。大丈夫だと思うけど、念のため背後霊に安全確認します。
  2. 【私的なことなので掲載を割愛】
  3. 霊障があるか、ないか、というなら、心が乱されただけでも十分に霊障のきっかけとなり得ます。片付けた後は、「言い分は、処分したお寺へどうぞ」とばかり、毅然とした精神的態度を取りましょう。

 

そして暴れた・・・

回答メールへ、相談者からの返信が来た。(筆者が箇条書きに変更)

  1. 仏像について、謎が解けた気がする。
  2. 処分を依頼できる、または、預かり下さるお寺、神社で知っているところは無いか?
  3. 自信が無いので対策を依頼したい。交通費などの実費は負担する。
  4. 仏像・神像に意識を向けないようにしてなら、その家の掃除や細かい修理はしても良いか?
  5. 肝心の息子が、左足のくるぶしのひどい痛みで歩くのも大変なことになっている。
  6. 相談者自身も2日ほど頭痛で困っている。

お寺については知り合いに心当たりがありました。仏像の魂を抜くのに、何体あろうと一式数千円で程度のお布施で良いとのことです。これはかなり良心的だと思います。ちょっとググると、1万数千円以上掛かるようですから。

ただ、解決の為、現地に行くのには抵抗がありました。面倒とかではなく、なるべく金銭的負担を少なく、問題解決を手伝って差し上げたかったからです。現地の友人宅に宿泊するとしても、交通費だけで三万円ほどかかります。とはいえ、疑問なのは相談者の頭痛と、息子さんの足の痛みです。

相談者のメールを読んでいると、『あんな仏像、燃えないゴミで充分なレベル。』と聞こえます。では、頭痛と足の痛みは何故か?・・・振り返れば、ここで気付かない自分の鈍さに呆れもしますが・・・私は、「ご招待である」と感じ、とにかく、現地に向かう覚悟を決めました。

スケジュールの調整でも、多少のグダグダがあったのは、別の問題の解決へと繋がるのですが、ここでは割愛します。また、出発直前に思い立って、簡易祭壇(ただの白紙だが)と祝詞の準備をしたのですが、これについても、付け焼き刃では逆効果なので割愛します。

 

もう一つの問題

出発の前々日、相談者から、追加の質問メールが届きました・・・

—– 引用開始 —–

気になっていることがあります。

夏ごろから、我が家の仏間に時折人影がさっと見えます。

小柄な男性で、ひょこひょこと小走りに仏壇の中に入っていくのです。少し昔の風体です。

私は何度か目の端の方に見えていました。先日、主人が初めて見ました。さっと横切り仏壇の中に入っていったそうです。

なんなのでしょうか?因みに、我が家の仏壇には主人の祖父母、叔父、叔母、父母、のお位牌があります。

—– 引用終了 —–

相談者のご主人は、心霊嫌いの方らしく、そういう人も目撃した、いや、見たものを口に出した、というのは興味深い話なのですが、仕事のことやらで疲れていた私はもう、考える力も無く、「その件はお目に掛かってから」、と回答を避けてしまいました。ただし、後から考えてみると、『とにかく現地に来い!』とばかりに霊たちが私の思考力を抑えに掛かったのかも知れません。

 

・・・続く。

貸借(バランス)感覚

2012/06/05

先日の横浜オフ会で質問があった。

「身内に病人が多いので、ある霊能者に相談したところ、お墓に問題がある。と、言われた。」とのこと。

私が、「でも、(病人の)皆さん、いいお歳(年齢)でしょう?」と、問うと、そうだ、とのこと。

私はお墓の問題を軽んじはしないけど・・・

 

もう少し、わかりやすい事例でいうと、

「あなたには背後霊(?)が付いている。それはよくない。」と、占い師(?)にいわれた、という相談者がいた。でも、背後霊のいない人なんて、私は見たことがない。もっとも、鑑定を頼まれると面倒なので黙ってはいるが。


仮に霊的な障害(いわゆる「霊障」)を借金に例えてみる。

たとえば数万円の借金だって、支払い能力が無い人ならば大問題だ。

一方、 一千万の借金を持っている人であっても、・・・たとえば年収が数億円もあって、支払い能力が十分にあるなら、その借金は問題とはなり得ない。いやむしろ、金貸しは喜んで貸すのではないか? ・・・この不景気なご時世、優良な投資先は貴重であろうから・・・


よく聞き話として、たまたま霊感に目覚めた人が、神社・仏閣を訪れた時に、その聖域に、案外、低級霊が多いことに驚くという。

だが、患者のいない病院が良い病院であろうか?

客のいない料理屋で、味が期待できようか?

たぶん、町で行列を見かけたら、並んでみるのも一興だと思う。特に、頑張っている人は往々、冷静な周囲を愚かに思ったりもするけど、多数意見を無視すると大抵損をするものだから。

 

同様に、徳の高い祖先霊がいる家系(余力のある)の人に低級霊を預けて、修業を積ませる事例も多々あるようだ。こういう預けられた霊のことを「随伴霊」と呼び、油断すると悪事をなす低級霊ではあるが、いちおう、守護霊や高級祖霊の目こぼし・承認を得ていることから、背後霊の一柱に勘定されることがある。


心霊相談を求める人の目的は、「難を逃れる」にあるだろうが、相談者が想定する解決方法は、払う、取り除く・・・霊障を借金に例えると、「借金から逃れる方法を求める」と例えられる。これ、難しいというより副作用が強い。

「私が借りた金じゃない!」・・・と、ゴネル人もいるかもしれないが、それはさらに副作用を増やす。

そもそも人間は、知らぬうちに不幸の種を捲くもの。いや、良かれと思った行いが非難の対象になったことは誰しも経験があるだろうし、それが嫌だと引き籠れば、誰かに養ってもらわねばならない。親が面倒を見てくれるうちはまだ良いが、甘えた態度が嫌われて、周囲から相手にされなくなれば行き詰る。

災難・障害に出会ったときは、責任追及の前に解決に努め、

不満があっても誠実に努めるが吉である。

人をなじっても解決しないし、不満だらけなら周囲から人が去る。

反対に、いわれなき苦労(他人の目から見て)を黙々とこなす人は、人の同情を得て助けの手が入りやすい。

人が助けてくれなくても、見えざる者の援助、いわば陰助を受けやすくなる。

そして、陰助を持つ人が、霊能者にすがって救われやすく、不満を持つものは低級霊に構われやすい。・・・迷いが難を呼び、難がさらに迷い深くして、誰も信じられなくなる。・・・当事者にとっては。これを第三者が見ると、「苦しむために努力する」=「業が深い」となる。

ゆえに私は、障害は逃れるよりも乗り越えようとする。

・・・借金の肩代わりをしてくれる人は期待するだけ無駄。

つらい時、人の助けがほしい時ほど、他者への親切を心がける。

・・・心の柔軟さを心がけるため。

迷う時ほど、人の言葉に耳を傾ける。

・・・救いは人の手を借りてやってくる。

とはいえ、我の強い人、支配欲の強い人から、遠ざかるように努力する。

・・・随伴霊はあの世の奴だけで沢山だから。


利を追う者はいずれ損に追いつかれ、損から逃げる者は当然利を逃す。

損得勘定に敏い者と、付き合うのは疲れるかもしれない。・・・特に私は、最初は、損得抜きで付き合おうとするので、計算高い人間と付き合うのはうんざりとする。

でも、利(または理)だけを追って、他は見えないとか、リスクから逃げるばかりの責任転嫁魔などと比べると、計算高い人間のほうが、よほど信頼できる気がする。・・・何しろ、裏切りがコントロール可能なのだから

最初から裏切る気・満々なのに、そもそも裏切りとは気づかない身勝手(傲慢)な人間と付き合うより、よほど良い。


せっかく購入した家の家相が悪くても、家族一致団結して工夫をすればなんとかなるが・・・互いに責任転嫁していては・・・

私の知る限り、家族仲に問題のある人ほど、家相の悪い家を選びやすい・・・奇をてらうとしくじる。

むろん、3.11以降の放射能問題やら、今年五月のホルムアルデヒド問題などは、家相問題ではなく、とうぜん家族仲に原因を求めるのは間違っているだろうが。

禁断の恋愛相談。

2011/07/14

私は現在、メールによる相談をお断りしています。

—————————————

 「ひとつだけ、願いが叶います。」・・・と言われた。

 ならば、安易に妥協しなくても良いのでは?

 むしろ、高望みするべきではなかろうか? 

 もしも、その願いが、恋愛・結婚に関することならば、「結婚」は願い事のゴールであると同時に、新生活・新人生のスタートである。が、そこに「願い」の担保は残っていない。で・・・どうする?

 どんなに才能溢れる人でも・・・諦めたら何も実現できない。

 才能は大切であるが、才能よりも大切なモノがある・・・と、私は思う。

 で・・・才能も大切であるが、信念、または、信仰も、人生に有益ではなかろうか?

—————————————

「・・・で、私の恋愛運は?」と問われた。

 眼前に、期待満々の人がいて、まともな霊査が取れるはずもない。

 遥か遠く、縁薄い神々の意思を感じ取るより先に・・・目の前の欲望を読み取ってしまうだろう。啓示と信じて。

 まったく。人ならぬ相手のメッセージを受け取れるなら、安易に妥協せず、高望みするべきではなかろうか?

 ダメというなら是非もないが、可能なかぎり、有益な果実をもぎ取るべきであろう。・・・疲れるが。

 ・・・というわけで、静な環境で、真剣にこの問題を、質問者に代わって問うてみた。

 

『で、どうして見たいの?』・・・と、反対に問われた。

—————————————

 特に、若い人が恋愛に望むのは、

 相手に何(非物質・もしくは肉体)を与えられるか、ではなく、何を得られるか・・・で、あることが多いようだ。

 見返りも考えずに、相手に与えることを考えられるのは、年齢の問題ではなく、その人なりの霊性にあるのだろうが。

 そして恋愛に限らず、人間関係全般は、ギブ・アンド・テイクに支配されている。・・・だれも、長く奪うことは出来ないし、だれも、無駄に与え続けることは出来ないのである。

 あのね。

 突き詰めれば、真の恋は、無償の愛、見返りを求めぬ愛に帰着するのでしょうが、その恋が実るためには、互いが、無私に目覚めなければならず、それは結局、与えられる者しか得られないという、富者の原理に支配されている、ということなのです。

 強く求める者には、得られない。・・・ゆとりが大切というべきか。はたまた・・・

 多くの人は、互いに奪い合う関係を、その結果ではなく、その過程に着目して、「楽しい」というのですが。

 

 恋愛問題というのは、その質問者の人格・霊格の問題をさておいても、やはり難しいのです。

 なにをもって、幸せ、というか。

 恋の成就は、誰もが望むけれど、何をもって幸せと評価するかは、人により、その性(さが)・その人格・霊格によって異なるのです。

 または、何をもって、退屈というかは・・・

というか、「霊界通信」を、中継する私の価値観、というか。

・・・・・・・

 人は、幸せを求めているつもりで、往々、満足を求めているもの。でも、「満足」は、僅かな時を経て飢えに変わるのが、不幸の元だ。

 

 

 

 うーん。

諍《いさかい》

2011/05/12

 好きになれ、とはいいません。でも、嫌いにならないことです。

 なにしろ、嫌いなものとは、一緒にいるだけで苦しいもの。 嫌いなものと離れられぬだけで、自分が苦しむのです。
 
 あなたが嫌えば、あなたの負けです。

・・・・・・・

 目的は、問題から離れることですよね?

 たとえ相手に嫌われ、憎まれたとしても、自分は嫌わず、憎まぬことです。

 朝夕、明るく挨拶して、普段は礼儀正しく、たとえ抗議し、叱らねばならぬ時は、さらに礼を尽くす。

・・・不仲の相手が、あなたの誠意に打たれて居住まいを正すようであれば、不仲の原因は、今までのあなたの傲りでしょう。 礼儀正しくするあなたを、侮るような相手なら、相手は傲りから破滅していくでしょう。

 相手が道理に反しても、なお、自分は道理を通す。・・・その諍いを、周囲の人々も見ているのです。一人で戦っているわけではない・・・その事を忘れないように。

 諍いや、争いごとは、引き際が大切です。

 破滅していく人の道連れとならないように。・・・取っ組み合って相手の破滅に付き合うよりも、頭をさげる方がよほどうまい手です。・・・不幸を軽く見ないように。傲りが招く不幸は、一度では終わらぬものだから。

(さらに…)

代償を軽視しない。

2011/04/27

 あれは、いつのことだったか。つまり、事の発端は、あまり記憶に残っていない。

 おそらくは20年程前のこと、隣国の核実験の事と思うが、ニュースで、放射能濃度が上がる、というのを聞き、不安になって、わが心霊の師に電話をかけた時のこと。

 そう、私もかつて、放射能を恐れて、霊能者に相談したのである。

 他にも同様の電話があったのかもしれない。わが師は、いかにもめんどくさそうに、

「あら、私は被爆者だけど、未だにピンピンしているけど?」

・・・私は、時間を割いてもらたことに対してわびをいい、電話を切った。

 日時も忘れてしまったことだが、たしかあの時、私は二つの事を、理解したと思う。

  1.  不安を相談されても、答えようがない。
  2.  人の命を奪うのは、リスクではない。

 いうまでもなく、放射能が降らなくても人は死ぬのである。・・・避けられるならば、リスクは減らすほうがいい。でも、逃げれば助かるのか? 

「禍福は糾える縄の如し」・・・逃げた先が安全だと、または、逃げることが安全だと誰が知れよう?・・・心がふさがっている時に、神助を期待するのは難しい。

 繰り返すが、放射線・放射能の害を軽視するわけではない。

 しかし、これ以後原発の事故が二度と起こらなかったとしても、日本国内には五十もの原子炉があり、地球全体では四百以上の原発がある。(その他軍事用)それらが引き起こすかも知れない、原子力事故を不安に思いながら生きねばならぬのである。・・・逃げるのは結構。だが、それでほんとうに安全なのか? ただ、不安から逃れるために自分を忙しくしていないか?

 わが師は、今は加齢でそれなりに故障はあるようだが、私は未だに頭があがらない・・・

・・・・・・

 私は、放射線・放射能の害を軽視したいわけではない。私だって、出来ることなら避けたい。・・・とはいえ、自分だけ安全な場所にいることを潔しともしない。それを、「格好付けて」 と思う人もいるかも知れないが、私としては、どちらかと言えば、「恨みを買わぬように」・・・という部分が強いと思っている。

  逆恨みなら、力づくで解決することもできるが、己の卑怯な行いを、力づくで解決しようとすると、かえって拗れる・・・

 人間の行いには、ソロバン勘定や、論理的帰結だけでは解決しきれない代償を求められることがあるからだ。

・・・・・・・

 無論・・・道を歩いていたところに、車が突っ込んできたなら、私だって避けようとするだろう。避けられる難を避けないのも罪深い。・・・事故を甘受すれば、相手を加害者にしてしまうのだから。

 同様に、原発事故の影響を恐れて、避難する人や、風評に流されて食品を買い控える人がいるとして、それが悪いことだというのではない。

 でも、誰かがやらなければいけないことから、逃げたらどうか? ・・・誰かが替りに犠牲になる。

 私はそれを罪とは数えないが、何ら負債とならないとも思わない。

 まあ、あえて下品(かつ単純)な表現をするなら、自己犠牲を厭う人は運が悪くなる。

 一得一失。・・・まあ、人生というのは結局のところ沢山の選択肢があるようでいて、自ら進んで行うか、無理強いされて行うか、の二者択一でしか無いと私は考えている。避けることが出来たなら、まあ、避けても良かったのだろう。

 ただ、避けるに当たって、支払うべき代償は、思うよりも多いのではないか、というのが私の見解である。

 ぶっちゃけ逃げても、、眼に見えるリスクが減るだけで、眼に見えないリスクは増えるだろう。


  やってしまった事を批判しよう、というのではない。言葉は取り返すことが出来ないのに、あとから兎や角いっても仕方が無い。・・・不毛なことに時間を費やすのは、趣味の人か、愚か者だ。

 おさらいしよう。

 大切なものなら、大切に扱うべきである。・・・その大切なものをいかに扱うか。人智に任せるか、神智に任せるか。

 別な言い方をするなら、後から訊ねるか、先に訊ねるか、ということだ。

 ・・・・・・・

 取り返せない、というのではない。でも粗末に扱えば赤字は増えていくだろう。私はそれを危うむ。

 

安産祈願の裏面

2011/03/21

 3月13日に、東京オフ会の常連が、無事、出産した。

 この場合、何をもって無事というのか。それを果たして一男性が論じて良いものかは棚上げとする。

 ただし、当人は無事、もしくは救われていたと思っているようなので、とりあえず、無事、と決めておく。

 赤ちゃんの体重が大きく、難産で、出血も多かったとのこと。

 そして、予定日を一週間過ぎたために、地震後の出産となった幸運、土曜日からの出産で、遠方の女系親族の援助を得られた幸運と、無事に親族が帰宅できた幸運、地震後の停電絡みで友人(父親)の時間に余裕が出来た幸運。

・・・おめでとう。守られたようで何よりです。

 ところで、念のため。物事には一長一短がある。ならばこの幸運には、どのような支払義務(代償)がつきまとうのだろう?・・・続く。:lol:

・・・・・・・

(以下、かなり不謹慎な話題ですが、現実というか、人の器量の問題もありますので、広い心で受け止めてください)

 話は遡ること、出産予定日前。私は、この常連の静岡オフ会参加を断り(出先で産まれたら困るし、早まるかもしれないし)、その代案として、静岡オフ会で訪れる、某大寺(の門前甘味処)で、安産祈願をすると、私は断言した。

 そう。大寺で祈願するのではなく、甘味処で祈願すると断言したのである。

 ところが当日、参加者の皆は、何を考えたのか、考えていないのか、甘味処を素通りして、大寺の本堂に向かって行く。仕方なく付いて行ったところ、皆がなにやら祈願しているので、まあ、ついでに私も安産祈願した。

 見えたのは・・・「うふ。:lol:」・・・「出血多量で大変そうだ:lol:」・・・「こりゃ、事前に言わないほうがいいな。:lol:」・・・「えへ:lol:。うん。まあ、安産祈願した、と言っておこう。:lol:」・・・「ま、祈願はウソじゃないし。:lol:」・・・で、あとはすべてを忘れて、美味しいジェラートを食べに繰り出した。

・・・・・・・

 念のため(?)いうが、祈願なんて、どこでやっても同じだ。

 神社仏閣とは、この世の人のためにあるのであって、そこに神霊が鎮座在すわけでは・・・無くはないが意味もない。その場所(という物質、物質した理由に縛られて)、そこで祈らなければ伝わらぬ霊なんて、低級であろう?

  とはいえ、なにぶん、神社仏閣というのはこの世の人のためにあるのであって、そこなら、「返答」が聴きやすい。つまり、普段であれば祈った結果が聞き入れられたかどうかが、イマイチ、腑に落ちない処が、良い聖域・霊場、大抵は神社仏閣を訪ねることで、腑に落ちることがある。

 というわけで、安全祈願はとっくに済ませていて、(わかっちゃいたけど念のため)、その祈願が聞き入れられるかどうかを尋ねたのである。

 で、見えたのは、やはり血の海(大げさか?)で、事実は、現場を見たわけではないが、やはり出血では苦労したらしい。 とはいえ、私に難産を知らせる霊たちに悪意もなく、下品さもなく(あ、それを受け取っていたときの私はそれなりに下品だったが)、『苦しむ必要がある』と思っているのではなさそうだった。ただ、『子供は一番良い時期を選んでこの世に生まれ出る』・・・というのは、言わずもがな。

 大変なのには、大変なりの事情や理由もあるだろうし、今それを明らかにしたとしても、誰が楽になるか?・・・妊婦が身構えては、難産がより苦しくなりはしないか。

 苦しむという一点を、私が野次馬的に、またHPの原稿にするため、いささか、または、大げさに面白おかしく書くにしても、その時、私に「血の海」の図(なお、見えたのは純粋に、床に溢れる大量の血(多分大げさ)で、妊婦や子供の姿は見ていない)を見せた霊は、真面目で、しかも、「(事前に)公言するなよ!?」的な雰囲気をもっていた。 さらに言うと、私が今回、東日本大震災を切っ掛けに献血に行ったには、念頭に、この友人の出産があった。時期の間に合う、間に合わないではなく、量の差し引きが合うことが大切だろうから。それゆえ、友人(父親)にも、2リットルほど献血してこい! と言ったのだが・・・

・・・・・・・

 まあ、いい加減、おめでたい話題を、スプラッター混じりで、おもしろ(?)おかしく(?)書くのにも飽きてきた。そう、物事には一長一短があり、下品なお笑いには飽きが伴うのである。それ故、下品なままで、終わりを急ぐ。私も眠いし。

 友人の出産には幸運がつきまとった。だが、物事には一長一短がある。ならばこの幸運には、どのような支払義務(代償)が求められるのだろう?

 私はよく、下品を承知で、霊たちを「せこい」と表現する。私の知る限り、霊たちは、やりくりするばかりで、何も与えようとしない。あくまでも手持ちの中で問題を解決させようとする。相談者の中でちょっと大きな財布をお持ちの方と、霊の間に入って、価値観の違いに平衡することもある。

「まあ、あんた財布が大きいんだから、お金で何とかすれば?〉とは言わないが。

 そう、友人(母親)の出産時には様々な幸運があった。とはいえ、このようなことは心霊を勉強し始めると、よく体験することで、何か特別な施しを得たというのではなく、時期が合った、歯車が巧くかみ合った・・・いろいろな物が順調に動いたと言うことである。つまり霊たちは一切出費をしていない。 結局のところ、出産時期を遅らせた結果として得た幸運なのである。その代償は、と言えば・・・母胎中で順調に胎児が育ったということか・・・つまり、出産時の幸運は、難産という代償のもとに得たことで・・・ 某大寺で、私に難産を知らせた霊が、慎み深い態度であったのは、無理もないことだ・・・そりゃ、出産前の母親にそんなことは言えない・・・少なくとも、東日本大震災という大天災が訪れると明言できるのでない限り・・・

・・・・・・・

 果たして、この友人(母親)、本当に幸運だったのかどうか・・・ちょっと私には判断がつかない。強いていうなら、これまた私の指導霊(♂)がいうには、『出産という得難い経験をするにはそれなりの代償が伴うさ』というのは、本来、女性が言ってこそ正論と成るのでは・・・と思う。おそらくは、真理だろう(その趣旨で選ばれたタイムスケジュールであろう)が・・・真理は理解者を選ぶのだから。

 一方、友人(父親)は、幸運だったろう。苦労という人生では当たり前に要求される代償だけで、大事が順調に推移したのだから。・・・解説するなら、家事諸々について、頭を悩ませずにすむなら、男は幸せではないか。その幸せを得るためなら、2リットルぐらいの献血は・・・以下、つまらないので略。

 思うに、当事者の中で、一番幸運、言い換えれば、タナボタを得た・・・不労収入を一番多く得たのは、ここで生まれた子であろう。その子が果たして思春期に至りても、親を罵倒しないかどうか。なにやら、私の目にも見えているような、いないような。

 いっそ、出産時の血の海を動画で撮影しておいて、生意気いった時に、トラウマになるまで見せてやれば・・・面白いかも(帳尻も合いそう)・・・などと、意地の悪いことを考えるのは、結局のところ、第三者だからだろうね。 もっとも、物事は一長一短。両親(又は母親ばかり)がいろいろ苦労して、この世に生まれ出て子供である。そりゃ、期待されていることも少なくは無かろう。・・・そこまで考えると、やはり、帳尻があって、誰も幸運には恵まれてなさそうである。

(たぶん) 終わり

でも、ちょっとだけ補足。

世の男性陣へ。

女性から見れば、まだまだ妊娠出産は、命の危険を伴う、難事であることに敬意を抱こうよ。なにしろ、物事は一長一短なんだから。

(さらに…)

念をブロックしたい

2011/01/20

Q 送られてくるネガティブな念をブロックするのに、指環(宝石)を持つのはダメか?

・・・・・・・

 ダメとはいいませんが・・・アクセサリーの類で念をブロック出来るというなら霊能者はもとより失業です。また例えばドアに鍵をつけても、出入りの際に鍵を掛け忘れては意味がありません。持っていれば安心だ、という、いわば偽薬効果を狙うのなら、他者に相談した段階で効果は薄いと思うべきです。・・・さらにいえば、自己暗示は諸刃の剣です。

 そもそも、ご自身の霊感が強い(からこそ、念を感じることを問題視する)なら、問題点は別にあると考えるべきです。

 多くの方が、ご自身の霊感をあてにしないというのは、そもそも設問に問題があることが多いと私は思います。

・・・・・・・

 そもそも、人が悩みながらも答を得られないのは何故か。

 むろん、難しすぎて解答に至れないこともあるでしょうが、多くの場合、とくに、心霊相談を頼る人に見られるのは、予め、自分の心中に結論が決まっていて、それが事実とそぐわない事に悩んでいることが多いのです。ですから、霊能者を引き摺り出さなくても、第三者がみて、答えは明らかであるのに、「私にはわからない」といいます。人に分からないから神仏にまで答(同意)を求めるわけですが、まあ、その結果幸せになったか、はたまた、幸せのふりを続けなければならなくなったかは・・・

 脱線しました。

 ともかく、私が往々感じるのは、質問者には、もう、答が決まっていて、それ以外の選択は嫌で嫌でたまらないから、無意識に、問題を二者択一に絞ったり、三択に絞ったりします。でも、問題を絞ったところで答に至らないなら、そもそも、その選択肢を絞る段階に間違いがあると悟るべきでしょう。

 ですから、二択の答えは三番目にある、と、半場冗談めかして私が言うのですが。


追加: 2011年1月23日 

未知への心構え。

 少なくとも、自身で考える「選択肢」というのは、自分の想像力の限界を超えることが出来ません。そして、問題解決が困難なのは、解決策が、自分自身の想像力を超えているからです。それゆえに、二択の答えは三番目にあり、といい、想像力を超えた部分に霊感があるわけです。

 ところが、自身の想像力を超えたところに答がある、とすると、それぞれの人間性に起因する大きな障害が目に付く事になります。・・・ある人は、未知なることに眼を開かれ、またある人は、未知なることから眼を背けます。・・・つまり、三番目の答を受け入れられる人と、聴くことすら拒絶する人とがいるのです。

 したがって、たとえすべての人に霊感が備わっているにせよ、その霊感を活かせる人と、活かすことの出来ない人がいるし、自身の霊感を活かせない人が、必ずしも他者の霊感を活かせるとは限らないということです。・・・心霊相談が役に立たぬ人も居るのですね。

 ところで、これもまた、ある意味主題からの脱線ですが、私は、この未知への心構えが、実は信仰心と密接につながり、その人に備わる霊性の表れである、と考えます。

・・・・・・・

  言えないこともある。

 さて、質問者は自身の霊感で、「気にするな」と、言われたとのこと。・・・実はここに、大きな落とし穴が潜んでいる。

 私は、声や画像で送られてくる(つまり、送信者を意識する)霊感・霊査をあまり重視しない。重視するのは、交感や共感、すなわち通信相手を意識しない霊感の表れ方である。なぜなら、送信者を意識する、ということは、「立場の違い」や「利害の違い」が、存在するということだからだ。・・・真に受けてはいけない。

 もしかしたら相手は、気遣い、または、真実を告げることがめんどうだからそう言っているのかもしれないからだ。

 たとえば、この事例。「ネガティブな念を受ける」という質問なら、ひょっとして・・・可能性としてだが、

「(なに低級霊と波動を合わせているんだよ! でも、そう叱って、ストレスを与えたら、もっと低級霊と波動を合わせてしまうかもしれないから・・・) そんなに気にしなくていいよ。」と、思ってのことかもしれない。

 立場が違えば、いいたくてもいえない。・・・本当に霊的な支援を求めたいなら、この立場の違いを克服する必要があると、私は思う。

 

・・・・・・・

 その質問は適切なのだろうか?

「失せ物を見つけてくれないか?」という相談があったが、お断りした。そもそも、「どうしたら失せ物が減るか?」・・・ということのほうが、人生においては大切と思うのだが、眼前の問題である、物にこだわっているなら、質問者のそのコダワリの心が邪魔をして、適切な答えができないと思うからである。

 さて。当ページの本題である、「ネガティブな念を受ける」ということにも、同様の不適切な設問を私は感じる。

 例えるなら、いたずら電話を受けない方法より、いたずら電話が掛からなくなる方法の方が大切ではないか?

 または、「なぜ、いたずら電話が掛かってくるのか・・・」のほうが・・・

 『そんなことを気にすることはない、(その問よりも、もっと大切な質問があるのではないか?) 』・・・と、いってはいなかったか?

二者択一の答えは三番目。

 せっかく霊感に恵まれて、ネガティブな念に苦しむだけなら勿体無い。もう少しリラックスしてもう一度、問いかけてみてはいかがか?

 (もしかしたら、続く。)

 

墓地を選ぶには?

2010/09/20

 その昔、知人の親族の葬式からしばらくして、故人が影に追われている姿を霊視させられたことがある。
「早くお墓を立ててくれないと、逃げこむところがない!!」と叫んでいる。
『こりゃ大変だ! 助けてあげなきゃ!』と思ったとたん、いわゆる龍神(白っぽい格好の老人姿)が、視界を遮った。
『あれは生前、人付き合いが剣呑だった反動である。やたらに人に怒りを投げつけてきたから、今その「怒り」が我が身を追いかけているのだ。墓などあっても助かるわけでなし。いずれは落ち着くだろうから、放っておいて良い。』という。
 まあ、いくら便利な世の中とはいえ、コンビニ等では未だお墓は買えないし、安い買い物ではないし、買ったところですぐに役立つものでもない。
 知人を急かしてどうなる物でもないだろうし、霊感商法と誤解されても面倒である。
 というわけで放っておいたが、その後どうしたか、私は見ていない。


 その事があって、私は、我が親をそそのかして生前に自分の墓を買わせた。自分で買った墓だから、場所が悪いとか、方向が悪いとかいう苦情は一切受けない。死んでから文句を言っても知ったことじゃない。
 墓に立つのは公園墓地のちんまりした墓石であるが、私は結構気に入っていて、自分が入るにしても好都合に思っている。霊能者・心霊家が豪盛な墓に眠るなんて、人は知らず、私には恥ずかしくて出来ないと思うからだ。
 要は、縁者が訪ねて、額づくだけの場所があれば良い。・・・思い出すことで波長が合い、通信が成立するならなお良い。とはいえ、場所や道具に大きく依存するのもナンセンスだ。・・・これで充分である。


 東京オフ会にて、「義母(から)の供養」に関する霊査が出た。
 ちょっと脱線すると、わが師も精神統一の指導を受けていた頃に、お姑さんの小言を頂いたことがあるという。なぜ我が子に言わず、嫁に言うのかは心霊的問題というより、女性心理の問題であろう。はたまた家庭内権力の問題か、夫婦間の実行力の差か。・・・は、当事者に考えてもらうことにする。
 私が、「心霊勉強しているのに、よく、墓を後回しにするねぇ。」と、いささか皮肉をいえば、当然、どうすべきか、という質問がある。だが私は間に入るだけのことだから、どんな質問にも動じることはない。まあ、答えられるとは限らないけれど。
 で、得た霊査は、『大阪』『都内』『東の方角』『◯◯(そりゃ西だろう!?)』『どうせ三年もすれば向上して墓なんていらなくなる』『デカイ墓』『小さい墓』・・・「いい加減にしてくれ。結論だけでいいってば!
 というわけで、解答は棚上げ。というか、故人の遺志なんてどうでもいいから、夫婦で勝手に決めてくれ。というのが私の結論。

 それではだいぶ乱暴なので、もうちょっと分析すると、(たいていの)故人はおそらく、墓を建てることに過大な期待がある。自分の死後の境涯の低さ、また、その境涯の環境の悪さを、墓や先祖供養の有無・多少のせいと穿っているのだろう。
 また、一部の故人は、墓や先祖供養による利益を感じていないがために、意義を過小評価している。でも、墓が無いと家族の座りが悪いものだが・・・一方、墓があっても座りの悪い家はあるし。

 墓に期待しない故人(霊)であれば口出しせず、墓に期待する故人(霊)は、それぞれ言いたいことを言う。であれば、話がまとまらないのはむしろ自然である。ならばいっそ、建ててしまえば文句も言われまい、と思う。
 思いつきや好き嫌い以外の、いわゆる「道理ある霊査」が降りればそれなりに伝えもするけれど、現状は無意味に近い。というか、今回、一番高位な霊からの霊査が、そもそも、「勝手に買え」というものであるけれど。


 あえていえば、墓を買うなら、霊の加護を求めるよりも、家が収まるように買え、ということだとおもう。収まる家だから霊の加護があるのであって、霊の加護があるから家が収まるというのは、往々、やむを得ないが、本来は本末転倒なんだよね。

 どうも、皆、器を用意せずに、中身を得ることばかりを願っているように感じる。真空パック入の幸福では、さすがに味気なくはなかろうか。


 もとより、このご時世、墓地を選り好みするのは、かなり恵まれた人だけではないか? ならば答えなんて初めから決まっている。

 良いところが得られるように祈って、あとは努力するだけであろう。

お知らせBy老神いさお。

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