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	<title>老神心霊研究所（７） &#187; 循環の一端</title>
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		<title>アクセル全開？！</title>
		<link>http://www.oigami.com/archives/3026</link>
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		<pubDate>Sat, 22 May 2010 05:14:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>OIGAMI Isao</dc:creator>
				<category><![CDATA[循環の一端]]></category>

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		<description><![CDATA[
    　これは私が直接受けた相談ではなく、行きがかりで耳にした話題。その経緯はそれなりに面白いかもしれないが・・・本題とは無関係である。強いて言えば、どうも関係者全員の守護霊等はこの時を有効活用したのだろう、という話で、いずれ機会があれば。もしくは、暇があれば。


    ・・・・・・・


    　旅先に同行していた友人が、そのまた友人から久しぶりに電話を受けた。なにやらかなり深刻な話、というより、深刻な状況らしい。


    　家を出る、の、死にたい、等といった言葉が聞こえてくる。が、知る人ぞ知る、私はそういう話題というより、そういう言葉を乱発する人には無関心である。はっきり言って私には不向きな話題であって、もとより私宛の相談ではないし、返事をする話題ではない。


    ・・・・・・・・


    四路五動


    　ところで、このメンバーには大分以前に、『四路五動』という話をしたことがある。これは私の造語ではなく、つまりは受け売りであり、当サイトでも何度か話題に上げている言葉である。（ただし、引越し途中の現時点ではデータが上げてないかも）　これは兵法で、軍が行く道（路）は、前後左右にあり、軍の動きには前進後進左折右折の四動に加えて、不動・・・動かぬ、または、待機や待ち伏せ、という選択肢がある、というものだ。


    　ところがこの、不動という選択肢は、わかる人にはわかる一方、わからない人にはトコトンわからない。いつもジタバタして、拗らせつくして泣き寝入りか、他人に丸投げして自分は耳目を塞いで、そんなことは無かったと自分を信じ込ませている。


    　というか、この問題は、当事者のみのものというより、一種の躾に属して先祖伝来のものらしく、当たり前に思っていて直そうとしないし、問題に気づいてもとかく変えられない。変えようにも周囲がみな邪魔をして変える事が出来ない。


    　変えることが出来ない・・・といえば、それこそ不動であるはずが、動かないのは結果だけで、当事者・関係者はとにかくあくせく色々努力して、結果が変わらないのであれば、それは無駄な努力と呼ばれそうなものなのに、無駄な努力と認識する以前に、その努力を「苦しみ」と受け止めるから、辛い・死にたい、と始まる。


    本末転倒


    　まあ、そりゃ人間いつかは死に至って、その事実には逃げ道が無い。であるから、「死にたい」というのはおそらく是非を論ずる余地なき話題であろう、と、（人々には色々反論もあろうが）私は思う。ただ・・・『死』が避けられぬ話題であろうが、果たして今すべき話題であろうか、とも思う。


    　つまり、途中・過程を省みることなく、一足先に最終問題に飛びついて、本当に正しい答えが得られるの？　と思うのである。


   [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
    　これは私が直接受けた相談ではなく、行きがかりで耳にした話題。その経緯はそれなりに面白いかもしれないが・・・本題とは無関係である。強いて言えば、どうも関係者全員の守護霊等はこの時を有効活用したのだろう、という話で、いずれ機会があれば。もしくは、暇があれば。
</p>
<p style="TEXT-ALIGN: center">
    ・・・・・・・
</p>
<p>
    　旅先に同行していた友人が、そのまた友人から久しぶりに電話を受けた。なにやらかなり深刻な話、というより、深刻な状況らしい。
</p>
<p>
    　家を出る、の、死にたい、等といった言葉が聞こえてくる。が、知る人ぞ知る、私はそういう話題というより、そういう言葉を乱発する人には無関心である。はっきり言って私には不向きな話題であって、もとより私宛の相談ではないし、返事をする話題ではない。
</p>
<p style="TEXT-ALIGN: center">
    ・・・・・・・・
</p>
<h3 style="TEXT-ALIGN: left">
    四路五動<br />
</h3>
<p>
    　ところで、このメンバーには大分以前に、『四路五動』という話をしたことがある。これは私の造語ではなく、つまりは受け売りであり、当サイトでも何度か話題に上げている言葉である。（ただし、引越し途中の現時点ではデータが上げてないかも）　これは兵法で、軍が行く道（路）は、前後左右にあり、軍の動きには前進後進左折右折の四動に加えて、不動・・・動かぬ、または、待機や待ち伏せ、という選択肢がある、というものだ。
</p>
<p>
    　ところがこの、<span style="FONT-WEIGHT: bold">不動</span>という選択肢は、わかる人にはわかる一方、わからない人にはトコトンわからない。いつもジタバタして、拗らせつくして泣き寝入りか、他人に丸投げして自分は耳目を塞いで、そんなことは無かったと自分を信じ込ませている。
</p>
<p>
    　というか、この問題は、当事者のみのものというより、一種の躾に属して先祖伝来のものらしく、当たり前に思っていて直そうとしないし、問題に気づいてもとかく変えられない。変えようにも周囲がみな邪魔をして変える事が出来ない。
</p>
<p>
    　変えることが出来ない・・・といえば、それこそ<span style="FONT-WEIGHT: bold">不動</span>であるはずが、動かないのは結果だけで、当事者・関係者はとにかくあくせく色々努力して、結果が変わらないのであれば、それは無駄な努力と呼ばれそうなものなのに、無駄な努力と認識する以前に、その努力を「苦しみ」と受け止めるから、辛い・死にたい、と始まる。
</p>
<h3>
    本末転倒<br />
</h3>
<p>
    　まあ、そりゃ人間いつかは死に至って、その事実には逃げ道が無い。であるから、「死にたい」というのはおそらく是非を論ずる余地なき話題であろう、と、（人々には色々反論もあろうが）私は思う。ただ・・・『死』が避けられぬ話題であろうが、果たして今すべき話題であろうか、とも思う。
</p>
<p>
    　つまり、途中・過程を省みることなく、一足先に最終問題に飛びついて、本当に正しい答えが得られるの？　と思うのである。
</p>
<p>
    　噛み砕けば、人が死を免れぬとしても、人は果たして死ぬために生きているか、それとも生きていれば死が避けられぬのか、どちらだろう？
</p>
<p>
    　物理的・客観的に死の瞬間を迎えようとしているならまだしも、五体満足のうちから生きることを諦めるというのは何ゆえか。過程を跳び越して結果に至るのは果たして正しい思索の結果といえようか？　それは飛躍と呼ぶべきであろう。その様な思考の飛躍をする人を指して、周囲の人々が気・・・狂い・・・と呼ぶにせよ。
</p>
<h3>
    それこそが結論か？<br />
</h3>
<p>
    　私は思うのだ。本来至るべき結論とはかけ離れたことを考えていないかと。つまり、最初に飛躍があるなら、着地点がずれるのも仕方が無いのでは？　と思うのである。
</p>
<p>
    　たとえば・・・本当に死にたいのか、それとも今の状況（？）を終わらせたいのか、真の悩みは果たしてどちらであろう？
</p>
<p>
    　どうも、そのような人の思想、というか発想には『止まる』という選択肢が見当たらない。　ダメでもともとで何かにチャレンジするとか、いっそ諦めて死んでしまおうとか・・・時期が訪れるまで待つという考えが見えないし、「待て」、「落ち着け」という助言を無視するどころか、腹を立てている。いわば『四路四動』であって、選択肢が無いという思い込みゆえに正しい発想、いわば、ジタバタしない、という選択が出来ないのでは、と思うのだ。
</p>
<p>
    「動かぬ」、という答えに至れないのは、決して頭が悪いからでなく、あえて言えば、その自我を育ててくれた周囲の親族等を疑うことなき素直さの持ち主ゆえであろうと・・・いや、私も、『この世界には愛が足りない』とは思っているが、その一方で、<strong>この世界は愛ゆえに拗れてはいないだろうか？</strong>・・・どうしても巧くいかないなら、不足しているのは努力や工夫であるのか、反省か、どちらであろう？　もしくは、壁にぶつかっているのは、押しが足りないからか、道を選び間違えたのか、どちらであろう？　さらには、そういう相談を受けるあなたもまた、生き方に焦っていないか。と。
</p>
<h3>
    不動の覚悟。<br />
</h3>
<p>
    　放っておけば結果が変わらぬ、どちらか、または双方が動かなければ結果は変わらぬ。
</p>
<p>
    　さてどちらが動くべきか。さて、もしも自分が動かぬ結果に焦れて、相手が動き出したなら・・・相手がこちらの都合に合わせて動いたなら、それはつまり、動かぬことで相手を支配したということではないか。
</p>
<p>
    　動かぬことで相手を支配する術があるというのに、そもそも、人はなぜ動くのか？　なんのために待たず、動き・・・いや、なぜジタバタするのか？
</p>
<p>
    　多くの人が、敵や状況を支配することよりも、ただ、ジタバタすること、つまりは状況に支配されること、を選ぶ。
</p>
<p>
    　無思慮で安易な選択である。　往々、その結果に苦しい思いをすることに気づきながらもその生き方を変えない。
</p>
<p>
    　まるで石がただ転がり続けるような生き方である。そういう生き方をしているなら、その人の未来も予測しやすくもあろう。
</p>
<p>
    &nbsp;
</p>
<h3>
    たとえば、「声が聞こえて苦しい」という。<br />
</h3>
<p>
    　ジタバタ、といえば・・・なにやら「（人も無いのに）声が聞こえて苦しい」という悩みを良く聞く。端的にいえば聞かなければ良いのである。が、それが出来ない。出来ないから悩んでいるのである。
</p>
<p>
    　しかし、たとえば雨風の音や潮騒、川の流れの音、虫や蛙の鳴き声が煩くても、多くの人は寝る。音が煩くて眠れない人もいるが、果たして周囲に音があふれている人だけが、気になって眠れないのだろうか？　眠れる人と、眠れない人との差は果たして外にあるのか、内（自分の心）にあるのか。
</p>
<p>
    　声が聞こえて煩い、というのは、果たして語りかける人（？）に責任があるのか、それとも耳を塞げない自分に問題があるのかどちらだろう？
</p>
<p>
    　自分の状況が、そのどちらであるか。わかる人はわかる。わからぬ人にはわからない。では、なぜわからないのか？
</p>
<p>
    　おそらくは、ジタバタしているからだ。つまりは、自分を思うようにコントロール出来ずにいるからだ。では、なぜ自分をコントロールできないのだろう？
</p>
<p>
    　</p>
]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>稼ぐより損を避けよ</title>
		<link>http://www.oigami.com/archives/3022</link>
		<comments>http://www.oigami.com/archives/3022#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 17 May 2010 14:34:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>OIGAMI Isao</dc:creator>
				<category><![CDATA[循環の一端]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.oigami.com/archives/3022</guid>
		<description><![CDATA[
    『稼ぐよりも損を避けよ』と聞こえた。まあ、いつもの話題である。一見、消極的な話題ではあるが、趣旨は少し違う。（というか、本文は霊査ではなく解説に尽きる）


    「虎穴に入らずんば虎児を得ず」というわけで、時として冒険も必要ではあろう。が、自分の失敗を隠すために大騒ぎしたあげくに損失を拡げ、後で泣きつくな、というのである。


    そういう失敗を繰り返す人に対して、「問題解決力を求めるよりも、失敗を避ける工夫（というより冷静さ）が大切である。」ともいうのだが・・・まあ、俗に「救いようの無い◯◯」とか。または、「神も仏もない」とか。


    ・・・・・・・


    「そういうこと（常識論）は百も承知、私は尻拭いが欲しいのではなく、前に進む方法を知りたいのだ。」という人もいる。


    　私はそういう人に対して、相反する二つの想いを抱く。



        　１、そういうあなたは穴だらけ。・・・どう指摘すれば角が立たないかな。
    

        　２、でも、前に進まなきゃ、自分の欠点が自分で見えるようにならないよな。
    


    ・・・・・・・


   [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
    『稼ぐよりも損を避けよ』と聞こえた。まあ、いつもの話題である。一見、消極的な話題ではあるが、趣旨は少し違う。（というか、本文は霊査ではなく解説に尽きる）
</p>
<p>
    「虎穴に入らずんば虎児を得ず」というわけで、時として冒険も必要ではあろう。が、自分の失敗を隠すために大騒ぎしたあげくに損失を拡げ、後で泣きつくな、というのである。
</p>
<p>
    そういう失敗を繰り返す人に対して、「問題解決力を求めるよりも、失敗を避ける工夫（というより冷静さ）が大切である。」ともいうのだが・・・まあ、俗に「救いようの無い◯◯」とか。または、「神も仏もない」とか。
</p>
<p align="center">
    ・・・・・・・
</p>
<p>
    「そういうこと（常識論）は百も承知、私は尻拭いが欲しいのではなく、前に進む方法を知りたいのだ。」という人もいる。
</p>
<p>
    　私はそういう人に対して、相反する二つの想いを抱く。
</p>
<blockquote style="MARGIN-RIGHT: 0px" dir="ltr">
<p>
        　１、そういうあなたは穴だらけ。・・・どう指摘すれば角が立たないかな。
    </p>
<p>
        　２、でも、前に進まなきゃ、自分の欠点が自分で見えるようにならないよな。
    </p>
</blockquote>
<p align="center">
    ・・・・・・・
</p>
<p>
    　人は無力な赤子の姿で生まれ出て・・・という、抹香臭い話は棚に上げる。　たとえば、自動車の免許制度を考えてみよう。日本の現行制度は、完璧な運転技能・知識の持ち主にのみ免許が交付されるわけではない。最低限とされる知識と技能（とその他）の持ち主に交付されているのだ。つまり、運転しながら上達していくことも織り込んだ上で免許が交付されているのである。
</p>
<p>
    　なお、こういう説教臭いことを中継する霊媒ですら、未熟を克服するのに天与の才能だけでなく、努力・精進が求められている。結局、未熟であろうと前に進まずにはいられぬではないか。
</p>
<p>
    　そう思っていると、霊感に『別な相反する二つの視点』が示される。
</p>
<blockquote style="MARGIN-RIGHT: 0px" dir="ltr">
<p>
        　１、往々、チャンスを与えたくても、無い袖は振れない。（環境に不足がある）
    </p>
<p>
        　２、不適当なことばかり選り好みする者が・・・
    </p>
</blockquote>
<p>
    　　つまるところ、文句を言われてもどうにもならない事情（もしくは文句を言うからどうにもならない事情）がある。ならば、文句を言っても拗れるばかりということだ。
</p>
<p align="center">
    ・・・・・・・
</p>
<p>
    　整理する。
</p>
<p>
    　どうにもならなくて、前に進めない（修行ができない、境遇がよくならない）時に、文句を言っても良いことはない。むしろそういう時には、『稼ぐ（前に進む、向上する）より、損（挫折、堕落、脱線、迷子）を避けよ。』というのだ。
</p>
<p>
    　というか、<strong>うるさい。黙ってろ。</strong>
</p>
<p>
    　・・・これは意見というより、道理だから。
</p>
<p>
    　
</p>
<p>
    &nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>行き止まり。</title>
		<link>http://www.oigami.com/archives/3014</link>
		<comments>http://www.oigami.com/archives/3014#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 08 May 2010 15:43:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>OIGAMI Isao</dc:creator>
				<category><![CDATA[循環の一端]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.oigami.com/archives/3014</guid>
		<description><![CDATA[
    　人々は懸命に想う・・・己の行いの言い訳を。自己への虚飾を。もしくは、相手を丸め込むための嘘を。


    　私はそれを責めない。だが、その想いを共有しようとも思わないし、共有出来るはずも無い。・・・あなたは誰かの言いなりに生きたいと思うか？　迷った時には指示を心待ちにするのに。


    ・・・・・・・


    　誰とも共有出来ない想いを抱く人は多い。そのような想いを抱く人は、一体どのような境涯か。


    　忙しく心を動かして・・・まるで、一人であるのを忘れようとするかのように。・・・袋小路に向かって急ぐ人々。


    　何度も、何度も、なんども、なんども繰り返してきたその行き詰まり。・・・その循環、その輪廻。逃れ得ない鎖、が、実は単なる自縛。　自暴自縛の日々に苦悩する人々。


    　その苦しみから逃れたくて、心霊を選び、学んでもなお、言い訳と、虚飾と、そのための嘘を止めない人々。


    　火宅とも呼ばれる、苦しみ絶えないこの世界に安らぎを見出すのはいかなる人々か。


    ・・・・・・・


    　救いを求めるなら、せめてその悪魔（焦り）の手（苦悩）を放せば良さそうなものを。


    　いや、その手（苦）を放せば、あえて神の救いなど必要としないものを。


    &#160;


    &#160;


   [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
    　人々は懸命に想う・・・己の行いの言い訳を。自己への虚飾を。もしくは、相手を丸め込むための嘘を。
</p>
<p>
    　私はそれを責めない。だが、その想いを共有しようとも思わないし、共有出来るはずも無い。・・・あなたは誰かの言いなりに生きたいと思うか？　迷った時には指示を心待ちにするのに。
</p>
<p align="center">
    ・・・・・・・
</p>
<p>
    　誰とも共有出来ない想いを抱く人は多い。そのような想いを抱く人は、一体どのような境涯か。
</p>
<p>
    　忙しく心を動かして・・・まるで、一人であるのを忘れようとするかのように。・・・袋小路に向かって急ぐ人々。
</p>
<p>
    　何度も、何度も、なんども、なんども繰り返してきたその行き詰まり。・・・その循環、その輪廻。逃れ得ない鎖、が、実は単なる自縛。　自暴自縛の日々に苦悩する人々。
</p>
<p>
    　その苦しみから逃れたくて、心霊を選び、学んでもなお、言い訳と、虚飾と、そのための嘘を止めない人々。
</p>
<p>
    　火宅とも呼ばれる、苦しみ絶えないこの世界に安らぎを見出すのはいかなる人々か。
</p>
<p align="center">
    ・・・・・・・
</p>
<p>
    　救いを求めるなら、せめてその悪魔（焦り）の手（苦悩）を放せば良さそうなものを。
</p>
<p>
    　いや、その手（苦）を放せば、あえて神の救いなど必要としないものを。
</p>
<p>
    &nbsp;
</p>
<p>
    &nbsp;
</p>
<p>
    &nbsp;
</p>
<p>
    　人々は、己が心を救う、正しき道を求めずにいる。　どんどん苦悩の深みに嵌り込みながら。
</p>
<p>
    　達成感をもたらしてくれる障害を厭い、ささやかな障害を厭い、僅かな障害を厭い、達成感のない状況を退屈と厭う。
</p>
<p>
    　
</p>
<p>
    　陳腐な助言は腐るほどある。が、大抵は言い訳を得るまで足踏し、言い訳を得て道を誤る。
</p>
<p>
    　一人で生きることをやめようとせずにいる過ち。
</p>
<p>
    　
</p>
<p>
    &nbsp;
</p>
<p>
    　自ら邪魔をしなければ、どれほどのことが出来ただろうと、省みることもなく。</p>
]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>二律背反</title>
		<link>http://www.oigami.com/archives/3008</link>
		<comments>http://www.oigami.com/archives/3008#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 05 May 2010 14:14:21 +0000</pubDate>
		<dc:creator>OIGAMI Isao</dc:creator>
				<category><![CDATA[循環の一端]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.oigami.com/archives/3008</guid>
		<description><![CDATA[
    &#160;　老若男女、同じ時を共有していても、それぞれが体感する、いわゆる主観的な時間は異なる。それゆえに男女は互いに理解し難く、老若は互いに理解し難い。


    　もしくは、同じ世代の同性同士だって、細かく見ればやはり主観時間は異なる。誰も彼もが流行を追うわけでないのと同様だ。


    　相手の思想に歩み寄ろうとする者は多い。お互いに歩み寄ろうとする者たちも決して少なくはない。だがそれらの多くは、相手を知ろうと急ぎ、解り合えたいと焦《あせ》り、うまく行かないもどかしさから焦《じ》れる。


    　まずは、足を止める。 ・・・歩きながらでは行き違うことなら、まずは足を止めることから始めるべきなのだ。


    　が・・・相手を思うからこそ、急がずにいられず、急ぐからこそ、相手を傷つけずにいられない。


    　それはつまり、相手がわからぬから焦るが、自分自身を判らぬからなお、相手がわからぬという悪循環に気づかぬから故のこと。



    　愛し合う二人よ。


    　思うことで人は疲れ、思われることで人が疲れるのは何故か。・・・焦ってはいないか。恋焦がれる相手とは、実は自分の思いの影にすぎないのに。


    　故に人は往々、自分の思いとはかけ離れた相手と気づいて恋が冷める。


    &#160;


    　子を持つ親よ。


    　子供らの浅薄な、そして敏感というより過敏な感覚に振り回されてはいないか。子供の行いというのは、実は親の行いの影にすぎないのに。


    　子の過ちとは、己が過ちと気づかぬ愚者が、親ばかと呼ばれるのに。


  [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
    &nbsp;　老若男女、同じ時を共有していても、それぞれが体感する、いわゆる主観的な時間は異なる。それゆえに男女は互いに理解し難く、老若は互いに理解し難い。
</p>
<p>
    　もしくは、同じ世代の同性同士だって、細かく見ればやはり主観時間は異なる。誰も彼もが流行を追うわけでないのと同様だ。
</p>
<p>
    　相手の思想に歩み寄ろうとする者は多い。お互いに歩み寄ろうとする者たちも決して少なくはない。だがそれらの多くは、相手を知ろうと急ぎ、解り合えたいと焦《あせ》り、うまく行かないもどかしさから焦《じ》れる。
</p>
<p>
    <strong>　まずは、足を止める。</strong> ・・・歩きながらでは行き違うことなら、まずは足を止めることから始めるべきなのだ。
</p>
<p>
    　が・・・相手を思うからこそ、急がずにいられず、急ぐからこそ、相手を傷つけずにいられない。
</p>
<p>
    　それはつまり、相手がわからぬから焦るが、自分自身を判らぬからなお、相手がわからぬという悪循環に気づかぬから故のこと。
</p>
<hr />
<p>
    <strong>　愛し合う二人よ。</strong>
</p>
<p>
    　思うことで人は疲れ、思われることで人が疲れるのは何故か。・・・焦ってはいないか。恋焦がれる相手とは、実は自分の思いの影にすぎないのに。
</p>
<p>
    　故に人は往々、自分の思いとはかけ離れた相手と気づいて恋が冷める。
</p>
<p>
    &nbsp;
</p>
<p>
    <strong>　子を持つ親よ。</strong>
</p>
<p>
    　子供らの浅薄な、そして敏感というより過敏な感覚に振り回されてはいないか。子供の行いというのは、実は親の行いの影にすぎないのに。
</p>
<p>
    　子の過ちとは、己が過ちと気づかぬ愚者が、親ばかと呼ばれるのに。
</p>
<p>
    &nbsp;
</p>
<p>
    <strong>　なぜ振り回されるのか！？</strong>
</p>
<p>
    　あなたが己を知らぬからだ。<strong>人の思いは常に「二律背反」</strong>、人は誰かを愛す時、その人を憎まずにはいられない。・・・憎しみという一面を忘れた人だけが恋に落ちるが、何かの折りに思い出して破綻する。・・・もしくは、思わぬ相手は憎まずに、ただ無私をして心がゆるがない。
</p>
<p>
    　結局、人は誰かに悩まされ、苦しめられているようでいて、実は、自分の思いを扱い兼ねている。
</p>
<p>
    　相手を忘れることが出来ず、他の誰かを思うことが出来ず。
</p>
<hr />
<p>
    　<strong>子供の日におもう。</strong>
</p>
<p>
    　人への思いは、相手への思いの形を借りた、自分の、自分への思い。
</p>
<p>
    　それゆえに思うようにならぬだけで恨み、憎む。・・・相手を在るがままに認めぬが故の過ちと気づかず。
</p>
<p>
    　子供への怒りとは、実は己の子供らしさ、すなわち未熟と気づかぬが故なのに。または、子供への愛の何たるか。
</p>
<hr />
<p>
    　人々はみな愚かで、ただ、反省出来る者と、反省出来ぬ者とがいる。・・・それこそ年齢にかかわらず、一体どちらを大人と呼び、子供と呼ぶべきか。
</p>
<p>
    　大人であるとか、子供とか。・・・その区別は一体何処にあるべきか。身体か、精神か。
</p>
<p>
    　子供の日に思う。・・・肉体的大人が寛容に非ずして、何の子供の日か。
</p>
<p>
    &nbsp;
</p>
<p><span id="more-3008"></span>
<p>
    　つまりは、寝言は寝て言え。・・・愚痴をこぼす日を間違ってはいないかと
</p>
<p>
    &nbsp;</p>
]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>先人の足跡</title>
		<link>http://www.oigami.com/archives/3002</link>
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		<pubDate>Sun, 25 Apr 2010 14:23:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator>OIGAMI Isao</dc:creator>
				<category><![CDATA[循環の一端]]></category>

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		<description><![CDATA[
    　我が行く道は、先人が踏み固めたもの。


    　我らは、親の愛を受けてその道を行く。


    &#160;


    　一人に思えても、無数の人に支えられてこの旅がある。


    　……その旅が孤独に思えるのは我が見識の狭さ。


    　……その旅が苦痛に思うのは、己が勤めを知らぬが故。


    　真っすぐ行けば良いものを……曲がるは心の迷いの表れ。


    　誰が難しくするのではなく、己が未熟ゆえにその旅が辛い。


    &#160;


    　未開の荒地を目指してもなお、先人の足跡からは逃げ難い。


    　なぜ逃げられず、なぜ逃げようとするのか……


    　そして、先人の足跡を追いながら、先駆者を気取る愚か者。


    &#160;


   [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
    　我が行く道は、先人が踏み固めたもの。
</p>
<p>
    　我らは、親の愛を受けてその道を行く。
</p>
<p>
    &nbsp;
</p>
<p>
    　一人に思えても、無数の人に支えられてこの旅がある。
</p>
<p>
    　……その旅が孤独に思えるのは我が見識の狭さ。
</p>
<p>
    　……その旅が苦痛に思うのは、己が勤めを知らぬが故。
</p>
<p>
    　真っすぐ行けば良いものを……曲がるは心の迷いの表れ。
</p>
<p>
    　誰が難しくするのではなく、己が未熟ゆえにその旅が辛い。
</p>
<p>
    &nbsp;
</p>
<p>
    　未開の荒地を目指してもなお、先人の足跡からは逃げ難い。
</p>
<p>
    　なぜ逃げられず、なぜ逃げようとするのか……
</p>
<p>
    　そして、先人の足跡を追いながら、先駆者を気取る愚か者。
</p>
<p>
    &nbsp;
</p>
<p>
    　人は思い、思うから行う。……そして思いを実現し、思いに縛られて破滅もする。
</p>
<p>
    　何から逃げようというのか？　目指すところは足跡だらけだというのに。
</p>
<p>
    &nbsp;
</p>
<p>
    　先頭を行く者は、一人でないことを知っている。
</p>
<p>
    　多くのものの助けを得てこそ、辿りつける境地であるが故に。
</p>
<p>
    　故に、真の道を歩むものは、敬うことを知っている。
</p>
<p>
    &nbsp;
</p>
<p>
    　敬うものを知らないものが、荒野をさまようのは心の狭さゆえに。
</p>
<p>
    　大衆の中にあって、目を閉じ、耳をふさいで「孤独」と呟くがごとく。
</p>
<p>
    　……なぜ目を閉じ、耳をふさぐのか。
</p>
<p>
    　その結果得たる苦しみに見合う価値のあることか。
</p>
<p>
    　・・・・・・・・・</p>
]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>不完全であるが故に。　（補足あり）</title>
		<link>http://www.oigami.com/archives/2991</link>
		<comments>http://www.oigami.com/archives/2991#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 17 Apr 2010 12:16:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator>OIGAMI Isao</dc:creator>
				<category><![CDATA[循環の一端]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.oigami.com/archives/2991</guid>
		<description><![CDATA[
    　私たちは、不完全な世界に、不完全な存在として生を受けた。


    　さて、この世界における、私たちの役割は何であろうか。


    　成長するため、という人もあれば、育てるため、という人もある。己の未熟から目をそらして、ただひたすらに他者と世界の粗を探す人もいる。もしくは、不完全ならば、不完全なりに楽しむ人もいるし、単に満足している人もいる。・・・もしくは、変化を恐れぬ人と、変化を恐れる人と二分すべきか。


    　未完成なものに在る自由と、完成されたものにある不自由。　人が自由意志をもつというなら、選ぶべきはどちらであろうか。


    　その選択にあるのは、正誤でなくして成果である。つまりは自分をより生かすための選択である。


    　にも関わらず、不毛な選択をする人ほど、より大きな成果を求めるのは、苦労が生み出す満足を知らぬからだ。


    　そう、不完全な世界であるからこそ、私たちが必要とされているのである。たとえ不完全であっても。いや不完全であるが故に。


    　そして、この世界にあって、完成している人が何を必要とするのだろうか？　他者への非難のその他に。　歩むのをやめて罵るばかりの人々。　でも、道ははるか先まで続いている。


    　私たちは不完全であり、努力を強いられる。が、努力の喜びを知るからこそ、己が不完全であることを受け入れることが出来るのだ。それは往々、苦痛ではあっても幸せなことであろう。少なくとも、自尊心の牢獄に閉じ込められて前に進めない者よりも。他者を嬲らなくても生きられるのだから。



    補足：　 2010年4月19日


    　不完全であるから利益を得る者あり、反対に、利を失い、難を得る者あり。


    　難を克服するのに、静かに淡々と前進する者あり、他を傷つけ、己を傷つけて進む者あり、それでもなお進まぬ者あり、ひたすらに拗らせる者あり。


    　とはいえ、克服する者と、拗らせる者との間には、賢愚の差があるというよりも、むしろ体質・体癖の差があって、つまり、目的に対して必要な手段をじっくり見定めるか、それとも、好むものにすぐ飛びつくか、という程度の安易な差で、大方決まってしまうようだが。・・・それを、体質だから仕方が無いと諦めるか、克服しようと努力するのか？


  [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>
    　私たちは、不完全な世界に、不完全な存在として生を受けた。
</p>
<p>
    　さて、この世界における、私たちの役割は何であろうか。
</p>
<p>
    　成長するため、という人もあれば、育てるため、という人もある。己の未熟から目をそらして、ただひたすらに他者と世界の粗を探す人もいる。もしくは、不完全ならば、不完全なりに楽しむ人もいるし、単に満足している人もいる。・・・もしくは、変化を恐れぬ人と、変化を恐れる人と二分すべきか。
</p>
<p>
    　未完成なものに在る自由と、完成されたものにある不自由。　人が自由意志をもつというなら、選ぶべきはどちらであろうか。
</p>
<p>
    　その選択にあるのは、正誤でなくして成果である。つまりは自分をより生かすための選択である。
</p>
<p>
    　にも関わらず、不毛な選択をする人ほど、より大きな成果を求めるのは、苦労が生み出す満足を知らぬからだ。
</p>
<p>
    　そう、不完全な世界であるからこそ、私たちが必要とされているのである。たとえ不完全であっても。いや不完全であるが故に。
</p>
<p>
    　そして、この世界にあって、完成している人が何を必要とするのだろうか？　他者への非難のその他に。　歩むのをやめて罵るばかりの人々。　でも、道ははるか先まで続いている。
</p>
<p>
    　私たちは不完全であり、努力を強いられる。が、努力の喜びを知るからこそ、己が不完全であることを受け入れることが出来るのだ。それは往々、苦痛ではあっても幸せなことであろう。少なくとも、自尊心の牢獄に閉じ込められて前に進めない者よりも。他者を嬲らなくても生きられるのだから。
</p>
<hr />
<h3>
    補足：　 2010年4月19日<br />
</h3>
<p>
    　不完全であるから利益を得る者あり、反対に、利を失い、難を得る者あり。
</p>
<p>
    　難を克服するのに、静かに淡々と前進する者あり、他を傷つけ、己を傷つけて進む者あり、それでもなお進まぬ者あり、ひたすらに拗らせる者あり。
</p>
<p>
    　とはいえ、克服する者と、拗らせる者との間には、賢愚の差があるというよりも、むしろ体質・体癖の差があって、つまり、目的に対して必要な手段をじっくり見定めるか、それとも、好むものにすぐ飛びつくか、という程度の安易な差で、大方決まってしまうようだが。・・・それを、体質だから仕方が無いと諦めるか、克服しようと努力するのか？
</p>
<p>
    　つまるところ、
</p>
<p>
    　不完全であるから利を失い、難を得る者あり、反対に、不完全であるから利益を得る者あり。
</p>
<p>
    　難を克服するのに、すぐ諦める者あり、たゆまず努力する者あり。
</p>
<p>
    　それは別に、善悪の差ではなくて、可否、つまり自分はどのような結果を求めるのか、ということだが・・・その至る結果の真価を知らぬ者がすぐ諦める。</p>
]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>拗らす人</title>
		<link>http://www.oigami.com/archives/2985</link>
		<comments>http://www.oigami.com/archives/2985#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 09 Apr 2010 04:53:00 +0000</pubDate>
		<dc:creator>OIGAMI Isao</dc:creator>
				<category><![CDATA[循環の一端]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.oigami.com/archives/2985</guid>
		<description><![CDATA[自分を責める
　他者から責められるのは辛い。・・・赤の他人よりも親に責められるのはもっと辛いが、それは別の話題。・・・とりあえず、他者から責められるのが辛くても、４６時中顔をつき合わしているはずも無く、人には大抵、逃げ場がある事を忘れてはいけない。
　　が、自分が自分を責めたらどうか。人は逃げ場を失う。
　他者の責めを真に受けて、自分で自分を責める。・・・それでは辛い。辛くてしかも逃げ場が無ければ、あなたならどうするか？
　自己欺瞞？、責任転嫁？　まあ、頭を切り替えてさっさと忘れるのが良いが・・・それがつまり、逃げ場があるということだ。
　あなたは、自分を責めていないか？　心の中で言い訳を繰り返していないか。嘘を繰り返していないか。物事を拗らせていないか。
　仕方の無いことをガタガタ言うな・・・自分の大切なものなら責めるよりも庇え、自分を自分で庇わずに、誰が自分を庇ってくれるのか。
　あなたが苦しんでいるのはなぜか？
　誰か他者から責められているのか？　他者ならば庇うことも出来よう。だが、自分で自分を責めている人が、一体誰が庇えるのか。
・・・・・・・
　つまり、そういうことである。解決できる問題は解決できても、解決できない問題は解決できない、なのになぜ、人はわざわざ問題を拗らせるのか。
　人々は、その抱える問題に悩む。だが、本当に手当てが必要なのは悩みを拗らせるその人の性（さが）であろうに。

　ああ、つまり、この手の問題には神がかりも役に立たない。

　親子の場合
　ところで、自分で責めるほどには辛くないとしても、親に責められるのは辛い。で、親に責められた子はどうするのか、といえば・・・子供の反抗に悩む親は多い。が、ひょっとして子供を責めてはいないか・・・自分も気づかぬうちに、自分が気づかぬ方法で。もしくは、自分の意図せぬ方法、または拗らせてしまって。

　愚か
　苦しみから一刻も早く逃れたい気持ちは良くわかる。だが、逃れるよりもまず解決すべきである。解決を心がけずにただ逃げようとして、結果、拗らせ、苦しみを増しては本末転倒であろう。まあ、そういう人を指して愚かという言葉があるのは不愉快でも心に留めておくほうが良い。
　つまるところ愚か者を救う術は無く、ただ、知恵をつける事のみが逆境を救うのであるから。・・・それは一見当たり前のようではあるが、同時に苦しみが伴うことを忘れてはいけない。とくに、当たり前の事柄を、他者に強いようとする者は。

　ところで、往々賢そうな人も特定の事柄には愚かであるものだが、愚かな人に賢さを期待しないほうがいい。大抵の愚者は、救いの手を差し伸べられてもなお、同じ過ちを繰り返したがるし、心底救いを求めながらも、自分の過ちを改めようとしないからだ。
　拗らせる・・・本来、物事が上手く行くほうが稀なのである。種モミもまかない水田に豊作を期待するほうが愚かなはずだ。が、実にそういう不精な人ほど、多くの助けを集めているのに、どうしてこうもたくさんの助けがあってなお、人は不幸になれるのだろうかと、不思議に思わずにいられない。

（蛇足であるが。ゆえに、不幸な人に同情することは慎むべきだ。それは相手の守護霊への侮辱であるし、相手の拗らせる能力を過小評価していると思えるからだ。）
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<h3>自分を責める</h3>
<p>　他者から責められるのは辛い。・・・赤の他人よりも親に責められるのはもっと辛いが、それは別の話題。・・・とりあえず、他者から責められるのが辛くても、４６時中顔をつき合わしているはずも無く、人には大抵、逃げ場がある事を忘れてはいけない。</p>
<p>　　が、自分が自分を責めたらどうか。人は逃げ場を失う。</p>
<p>　他者の責めを真に受けて、自分で自分を責める。・・・それでは辛い。辛くてしかも逃げ場が無ければ、あなたならどうするか？</p>
<p>　自己欺瞞？、責任転嫁？　まあ、頭を切り替えてさっさと忘れるのが良いが・・・それがつまり、逃げ場があるということだ。</p>
<p>　あなたは、自分を責めていないか？　心の中で言い訳を繰り返していないか。嘘を繰り返していないか。物事を拗らせていないか。</p>
<p>　仕方の無いことをガタガタ言うな・・・自分の大切なものなら責めるよりも庇え、自分を自分で庇わずに、誰が自分を庇ってくれるのか。</p>
<p>　あなたが苦しんでいるのはなぜか？</p>
<p>　誰か他者から責められているのか？　他者ならば庇うことも出来よう。だが、自分で自分を責めている人が、一体誰が庇えるのか。</p>
<p style="text-align:center;">・・・・・・・</p>
<p>　つまり、そういうことである。解決できる問題は解決できても、解決できない問題は解決できない、なのになぜ、人はわざわざ問題を拗らせるのか。</p>
<p>　人々は、その抱える問題に悩む。だが、本当に手当てが必要なのは悩みを拗らせるその人の性（さが）であろうに。</p>
</p>
<p>　ああ、つまり、この手の問題には神がかりも役に立たない。</p>
</p>
<h3>　親子の場合</h3>
<p>　ところで、自分で責めるほどには辛くないとしても、親に責められるのは辛い。で、親に責められた子はどうするのか、といえば・・・子供の反抗に悩む親は多い。が、ひょっとして子供を責めてはいないか・・・自分も気づかぬうちに、自分が気づかぬ方法で。もしくは、自分の意図せぬ方法、または拗らせてしまって。</p>
</p>
<h3>　愚か</h3>
<p>　苦しみから一刻も早く逃れたい気持ちは良くわかる。だが、逃れるよりもまず解決すべきである。解決を心がけずにただ逃げようとして、結果、拗らせ、苦しみを増しては本末転倒であろう。まあ、そういう人を指して愚かという言葉があるのは不愉快でも心に留めておくほうが良い。</p>
<p>　つまるところ愚か者を救う術は無く、ただ、知恵をつける事のみが逆境を救うのであるから。・・・それは一見当たり前のようではあるが、同時に苦しみが伴うことを忘れてはいけない。とくに、当たり前の事柄を、他者に強いようとする者は。</p>
</p>
<p>　ところで、往々賢そうな人も特定の事柄には愚かであるものだが、愚かな人に賢さを期待しないほうがいい。大抵の愚者は、救いの手を差し伸べられてもなお、同じ過ちを繰り返したがるし、心底救いを求めながらも、自分の過ちを改めようとしないからだ。</p>
<p>　拗らせる・・・本来、物事が上手く行くほうが稀なのである。種モミもまかない水田に豊作を期待するほうが愚かなはずだ。が、実にそういう不精な人ほど、多くの助けを集めているのに、どうしてこうもたくさんの助けがあってなお、人は不幸になれるのだろうかと、不思議に思わずにいられない。</p>
</p>
<p>（蛇足であるが。ゆえに、不幸な人に同情することは慎むべきだ。それは相手の守護霊への侮辱であるし、相手の拗らせる能力を過小評価していると思えるからだ。）</p>
]]></content:encoded>
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	</item>
		<item>
		<title>カルマ・頑張ってもダメなら！？</title>
		<link>http://www.oigami.com/archives/2834</link>
		<comments>http://www.oigami.com/archives/2834#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 27 Feb 2010 14:43:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator>OIGAMI Isao</dc:creator>
				<category><![CDATA[その他の霊]]></category>
		<category><![CDATA[循環の一端]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.oigami.com/archives/2834</guid>
		<description><![CDATA[
    2010年　2月　27日



    　入浴中に女性の霊から話しかけられた。興味深いが、概要を聞いているうちに心配になってきた。話を曲解する人が出ないか？　……この通信霊に相談したところ、「半年ほど寝かせておけば」というので、忘れても困るし、とりあえずパスワード保護をして公開することとした。


    　とはいえ、勿体振るほどの内容でもない。俗に言う、口伝に属する話題である。


    　つまり、当たり前な内容であるのに、気がつかない人は気がつかず、気付く準備の出来ている人にのみ有益な内容なのである。 そして下書き後に気がついた。もとより読み手を選ぶ内容であるから、別に隠すほどの話ではない。というわけで、一時パスワード保護をしたが、一般公開に変更した。



    　とても叶えたい願いがあるのに、頑張っても上手くいかない。 ……だからもっと頑張る。


    　さらに頑張って上手く行くならそれで良し。だが上手くいかなければ？ ……さらに頑張る？


    　まあ、口先ばかりの横着者ならば、そういう選択もある。 だが、物事には程々（ほどほど）が有る。のんびりしても、また、焦っても上手くいかないことは決して少なくない。


    　さて、果たして努力が足りなかったのか。それとも急ぎすぎたのか。または、焦りすぎたのか。 つまりは、１、もっと頑張るべきか、　２、少し落ち着くべきか……さて、どちらだろう？


    　&#160;この二つの見極めがとても大切なのは言うまでもない。なにしろ、同じ目標に正反対の二つの選択肢が有るのだから。 だが念のため。


    　私は上に例題を掲げたのではなく、ただ単に選択肢の存在を示したのみである。つまり、状況に応じて努力の程度、速度を調節している人であるなら、わざわざ指摘するまでもない話であり、それを例題として受け止め、どちらだろう、等と考えた人であれば、上述の二つの選択、つまり、頑張るか、落ち着くか、という話以前に心に止めて置くべき話がある。……その話こそが本題だ。


    　　　もっと頑張るべき……のんびり屋も


    　　　落ち着くべき……焦り屋も [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p align="right">
    2010年　2月　27日
</p>
<hr />
<p>
    　入浴中に女性の霊から話しかけられた。興味深いが、概要を聞いているうちに心配になってきた。話を曲解する人が出ないか？　……この通信霊に相談したところ、「半年ほど寝かせておけば」というので、忘れても困るし、とりあえずパスワード保護をして公開することとした。
</p>
<p>
    　とはいえ、勿体振るほどの内容でもない。俗に言う、口伝に属する話題である。
</p>
<p>
    　つまり、当たり前な内容であるのに、気がつかない人は気がつかず、気付く準備の出来ている人にのみ有益な内容なのである。 そして下書き後に気がついた。もとより読み手を選ぶ内容であるから、別に隠すほどの話ではない。というわけで、一時パスワード保護をしたが、一般公開に変更した。
</p>
<hr />
<p>
    　とても叶えたい願いがあるのに、頑張っても上手くいかない。 ……だからもっと頑張る。
</p>
<p>
    　さらに頑張って上手く行くならそれで良し。だが上手くいかなければ？ ……さらに頑張る？
</p>
<p>
    　まあ、口先ばかりの横着者ならば、そういう選択もある。 だが、物事には程々（ほどほど）が有る。のんびりしても、また、焦っても上手くいかないことは決して少なくない。
</p>
<p>
    　さて、果たして努力が足りなかったのか。それとも急ぎすぎたのか。または、焦りすぎたのか。 つまりは、１、もっと頑張るべきか、　２、少し落ち着くべきか……さて、どちらだろう？
</p>
<p>
    　&nbsp;この二つの見極めがとても大切なのは言うまでもない。なにしろ、同じ目標に正反対の二つの選択肢が有るのだから。 だが念のため。
</p>
<p>
    　私は上に例題を掲げたのではなく、ただ単に<strong>選択肢の存在</strong>を示したのみである。つまり、状況に応じて努力の程度、速度を調節している人であるなら、わざわざ指摘するまでもない話であり、それを例題として受け止め、どちらだろう、等と考えた人であれば、上述の二つの選択、つまり、頑張るか、落ち着くか、という話以前に心に止めて置くべき話がある。……その話こそが本題だ。
</p>
<p>
    　　　もっと頑張るべき……のんびり屋も
</p>
<p>
    　　　落ち着くべき……焦り屋も 共に気付くべきことが有る。
</p>
<p align="center">
    <strong>あなたは、理・知以外の何に振り回されて　……いるのか？</strong>
</p>
<p>
    &nbsp;さらにいえば、願いの成就に最適な方法を取れないあなたは……<strong>果たして何のために努力しているのだろう？</strong>
</p>
<p>
    <strong>　</strong>苦しまない生き方が有るとしても、苦しむ人は苦しむ。結局、自分で選んでいるのである。
</p>
<p>
    「イヤ、私は苦しむつもりなどない！！」と、あえて言う人もいるだろうが、知る人ぞ知る……私が問題として指摘しているのは、<strong>「苦しまないようにしようと努力して、でも、苦しむのは何故か？」</strong>という、いつもの話題なのである。
</p>
<p align="center">
    最もいつもの通り、結論は出さないが。
</p>
<p>
    　私がここに結論的な意見を書き留めなくても、気付く人は直して不幸を退け、気づかぬ人は私が結論づけても気付くことはない。
</p>
<p>
    　その差は実に、自分の努力で答えを見つけるか、他者の努力、ひいては実力以上の答えを求めるかの違いなのだが……自分の器量・実力を知っているものなら、誤るはずのない選択……端的にいえば、世の中には、得られるはずのないものを追いかける定めの人がいると言うことでもある。 すると、気づいた人には夢との決別が必要であり、気づかぬ人には、さらなる苦しみが未来、いや気づかぬだけで足下にすでに危機があるのだろう。
</p>
<hr />
<p>
    &nbsp;
</p>
<p>
    &nbsp;
</p>
<p>
    &nbsp;
</p>
<p>
    　嫌味のようで申し訳ないが……もう少し付け加える。 いわゆる苦しみには、（成功に至る道の）過程の苦しみと、（至らぬさ故の）結果としての苦しみがある。……あなたの苦しみは、そのどちらであろう？
</p>
<p>
    　言うまでもなく、過程の苦しみはいずれ報われ、結果としての苦しみは、改めることなければ消えることのなく、地獄の亡者の苦しみと同種のもので、死後も苦しみが続く。
</p>
<p>
    　あなたは何のために苦しむのか……正しい努力の結果として幸せを得るためか、はたまた、姑息・あくどい手段で幸せをつかみそこねるためか？
</p>
<hr />
<p align="right">
    　まあ、悩むのも青春の内か？</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.oigami.com/archives/2834/feed</wfw:commentRss>
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	<xhtml:link rel="alternate" media="handheld" type="text/html" href="http://www.oigami.com/archives/2834" />
	</item>
		<item>
		<title>迷いの解消・前は後ろの正反対（新編集）</title>
		<link>http://www.oigami.com/archives/1589</link>
		<comments>http://www.oigami.com/archives/1589#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 17 Jan 2010 05:53:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>OIGAMI Isao</dc:creator>
				<category><![CDATA[循環の一端]]></category>
		<category><![CDATA[心霊相談（事例）]]></category>
		<category><![CDATA[異界の窓]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.oigami.com/archives/1589</guid>
		<description><![CDATA[

    前は後ろの正反対


    2004年 06月 17日


    　前を見れば欲が出る。あれもしたい、これもしたい。


    　前を見るから脇道に入りたがる……一体前ってどっちだろう？


    　一生懸命に生きるから、どうしたいのかが判らなくなる。


    　そんな時は真後ろを向いてみる。自分が一番イヤな選択肢は何であるか？　それを真剣に見つめてみる。そして、その正反対を見てみると……自分が絶対に目をそらしてはいけない前が見る。


    　一刻も早く、一歩でも前に。そう思う気持ちが道をそらす。


    　真っ直ぐな道より、近道はないというのに。頭で判っても気がつけば曲がっている。曲がっていることに気がつかずに、道が見えないと絶望する。迷っているのではなく自分を信じていないだけ。自分を信じずにいては、自信がなくなるのは当たり前だ。



    迷いは万病の元


    2004年 07月 13日


    「君は迷いが多いね」と指摘されてもピンと来ない人も、設問を逆さにしてみるとわかりやすいもの。「打ち込んでいる物がないでしょう」違いますか？


    　何かに打ち込んでいる人は、自分の力の大部分を目的に注ぎ込めます。ゆえに猛烈な力を発揮できる物ですが、迷っている人はいつまでも足踏みを続けます。迷って足踏みをしていると、前に進まないのだから楽なようにも錯覚するけれど、実は泥沼に落ちた自動車宜しく、エンジンを吹かしても車輪は空回りを続けるようなもので、浪費される活力は相当な物なのです。……迷うことに焦るから……迷った時には様子を見る。様子を見るというのは、一念専心休むことが大事なのです。身動きできなければ精神統一するぐらいの気持ちが大切です。それが出来なければ、全力疾走している人よりも心身をすり減らすのが迷いだとおもうべきです。これは全く、迷いを万病の元と呼んでも差し支えないほどです。



   [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<hr />
<h3>
    前は後ろの正反対<br />
</h3>
<p align="right">
    2004年 06月 17日
</p>
<p>
    　前を見れば欲が出る。あれもしたい、これもしたい。
</p>
<p>
    　前を見るから脇道に入りたがる……一体前ってどっちだろう？
</p>
<p>
    　一生懸命に生きるから、どうしたいのかが判らなくなる。
</p>
<p>
    　そんな時は真後ろを向いてみる。自分が一番イヤな選択肢は何であるか？　それを真剣に見つめてみる。そして、その正反対を見てみると……自分が絶対に目をそらしてはいけない前が見る。
</p>
<p>
    　一刻も早く、一歩でも前に。そう思う気持ちが道をそらす。
</p>
<p>
    　真っ直ぐな道より、近道はないというのに。頭で判っても気がつけば曲がっている。曲がっていることに気がつかずに、道が見えないと絶望する。迷っているのではなく自分を信じていないだけ。自分を信じずにいては、自信がなくなるのは当たり前だ。
</p>
<hr />
<h3>
    迷いは万病の元<br />
</h3>
<p align="right">
    2004年 07月 13日
</p>
<p>
    <strong>「君は迷いが多いね」</strong>と指摘されてもピンと来ない人も、<strong>設問を逆さにしてみるとわかりやすい</strong>もの。<strong>「打ち込んでいる物がないでしょう」</strong>違いますか？
</p>
<p>
    　何かに打ち込んでいる人は、自分の力の大部分を目的に注ぎ込めます。ゆえに猛烈な力を発揮できる物ですが、迷っている人はいつまでも足踏みを続けます。迷って足踏みをしていると、前に進まないのだから楽なようにも錯覚するけれど、実は泥沼に落ちた自動車宜しく、エンジンを吹かしても車輪は空回りを続けるようなもので、浪費される活力は相当な物なのです。……迷うことに焦るから……迷った時には様子を見る。様子を見るというのは、一念専心休むことが大事なのです。身動きできなければ精神統一するぐらいの気持ちが大切です。それが出来なければ、全力疾走している人よりも心身をすり減らすのが迷いだとおもうべきです。これは全く、迷いを万病の元と呼んでも差し支えないほどです。
</p>
<hr />
<h3>
    衣食足りて礼節を知る<br />
</h3>
<p align="right">
    2004年 07月 13日
</p>
<p>
    　<strong>衣食足りて礼節を知る</strong>――といいます。豊かさと善良さは比例するというのです。これは反対にも働きます。つまり衣食が足らず礼節を失う――というわけです。特に小心な人ほど……と表現されて、「ああ、自分のことか」と思える人は幸いですが、ともかく、僅かな不足、欠乏、不安、などから、衝動的な行動に打って出て、挙げ句の果てに自分の立場をますます悪くする人がいます。
</p>
<p>
    　まずい！――と感じたならば、自分の立場が良くなるように工夫すべきなのに、ますます悪くなるようにがんばってしまう。これはつまり、迷いが迷いを呼んでいる状態です。
</p>
<hr />
<h3>
    迷いの原因<br />
</h3>
<p align="right">
    2004年 07月 13日
</p>
<p>
    　<strong>知識の不足が迷いを呼ぶ</strong>……というのは、ありがちな解釈です。確かに、知識の不足も迷いの原因の一つには違いないのですが、もっと大きな要因は、理想と現実のギャップに求めることが出来ます。つまり、人は理想の実現に困難さを感じると、ついつい、理想と現実を結びつけるような奇抜なアイデア（というより妄想)を弄んでしまうわけです。
</p>
<p>
    　これを業《<font size="1">カルマ</font>》に振り回される等と呼ぶのですが、自分の欲が人を迷わせるというわけです。
</p>
<p align="center">
    ・・・・・・・
</p>
<p>
    　穏便とはいいがたい話です。迷いの主たる原因が欲にあるとします。すると、迷いを断つためには、まず欲を断つ必要が出てきます。欲さえ断てれば後は摂理、すなわち自然の法則に任せるだけで、自ずと真理の大道に合流していくわけです。
</p>
<p>
    　ところが、どうしても欲を断てないとすると、迷いも断つことが出来ません。しかし、人は自分の欲の強いことには往々我慢が出来ますが、自分の迷いの強いことは往々我慢しがたいものです。すると、人は迷っていたことを忘れようとします。つまりは、ボーっとしていればいいのですから、迷いを忘れるのは比較的簡単です。
</p>
<p>
    　それでも問題が残ります。迷いは人の活力を浪費するのです。そして、迷いを忘れ、浪費も忘れたとしても……実際に浪費は続きます。疲れた、気力が萎える、めんどくさい、誰かに頼りたい、大事にされたい。更にあなたが相対的な情念を理解できるならこうもいえます。自分が相手を大事にする以上に、相手から大事にされたい。自分が相手を愛する以上に、相手から愛されたい。
</p>
<p>
    　これらは、迷いを忘れた迷い人の症状です。そして魂はゆっくりと堕落していきます。
</p>
<p>
    　迷いの苦しみに欲を断てる人は、すなわち人生の試練をこなせる人です。反対に、欲を断てぬ人は、試練を自らの躓きに変える人です。ある人にとってのチャンスが、別の人の災難となる。人はこうしてふるいにかけられています。これをして無情というのは簡単ですが、宇宙は広くても、人類が使える資源は限られているのです。限られている以上、ふるいがあるのは避けがたいのですよ。
</p>
<hr />
<h3>
    工夫の無さは迷いの証<br />
</h3>
<p align="right">
    2004年 07月 13日
</p>
<p>
    　<strong>押してダメなら引いてみな</strong>――うまく行かないなら、無理をするよりも工夫すべきです。やり方を変えてみたり、ちょっと間をおいてみたり、無理をしても自他共に傷つくだけなのですから。
</p>
<p>
    　ところが、押してダメならもっと押せ――と努力する人の多いこと。それでも開かなければ、人の助けまで借りて更に押そうとする。引いたりズラしたりすれば簡単に開く仕掛けであっても……このような人は無益な苦悩を生み出します。そして、無益な苦悩を人々に振りまきます。
</p>
<p>
    　身近にこういう人がいて、縁が切れなければ……無益な苦悩以前に、自分の因縁に苦悩してしまうのが霊能者の苦労と言えましょうか。
</p>
<hr />
<h3>
    ヒントを遠慮して答えは欲しがる迷い<br />
</h3>
<p align="right">
    2004年 07月 14日
</p>
<p>
    　心の迷いが起因する問題について、いくつか相談を頂いております。しかしながら、霊査がなかなか出てきません。では、回答以前に何を語るべきかと探ってみますと、こういう事なのです。
</p>
<p>
    　相談者の方は、気を遣い、ヘルプを乱用しないつもりで、霊媒（老神いさお）に相談するのを堪えている。そして、行き詰まって相談するが、それは結局、問題集に取り組んで回答を見るのと変わりがないというのです。なぜ、ヒントを見ないのか。
</p>
<p>
    　ヒントを見ることを遠慮しながら、でも、答えを見ようとする。その間の相談者の努力とはただ迷いの生み出す苦しみに耐えるだけで、ちっとも成長がない。大事なのはヒントであって、答えではないのです。
</p>
<p>
    　にもかかわらず、皆様は、ヒントは遠慮して答えを求める。……というのも、欲を棄てられず、また迷うことを棄てられないから、ということです。
</p>
<hr />
<h3>
    人の迷いを背負い込む<br />
</h3>
<p align="right">
    2004年 07月 14日
</p>
<p>
    　前述、「迷いを忘れた迷い人」――なる者がいたとします。自分自身は迷いを忘れても、迷いを棄てたわけではありませんから、そこにどうしても矛盾が生じます。その矛盾のしわ寄せを一人で背負うのは自滅行為ですが、ありがたいことに、又は、とても迷惑なことに、人は一人で生きられず、家族や社会の中で暮らしています。するとつまり、自分の生み出す矛盾や葛藤を、第三者に押しつけられる場面が往々存在し、それが悲劇の源となっていることを散見いたします。
</p>
<p>
    　迷いの生み出す問題を解決するためには、迷いを棄てるほか有りません。しかし、誰かに押しつけられるなら、迷いが生み出す苦しみからは逃れることが出来ます。そして……苦しくないなら待つことも辛くはありませんね。
</p>
<p>
    　迷いは苦しいからこそ、迷いを棄てようとする……冷酷なようで破滅を避ける仕組みがそこにはあるのに、迷いの苦しみだけを誰かに押しつけてしまえるから、迷いを棄てられずに魂の破滅を招くことが生じるわけです。
</p>
<p>
    　自分の愛しい人の矛盾や葛藤を受け止める……一見、利他的な行為ではありますが、でも、因果応報、自らの迷いは自らが解決せねばならぬのに、迷いの苦痛を逃れたら、迷いを棄てることがますます出来なくなるもの。恋人や親兄弟の業《<font size="1">カルマ</font>》を消すならいざ知らず、ただ苦悩ばかりを預って、利子を付けて返すのでは残酷な話です。
</p>
<p>
    　表面的にいうならば、人は業《<font size="1">カルマ</font>》よりも苦悩を嫌いますから、ただ、苦悩を取り去ることを善として、苦痛を伴い業《<font size="1">カルマ</font>》の消滅は嫌がるのが普通です。そうして人々は愛する人々と一緒に「危地」を進むわけです。――感情的な不安よりも、真実の危険を軽視するなんて、私には耐え難いことですが、それが世間の良識であり、覚者だろうと抗いがたい強制力を持った誤解がそこにあるわけです。
</p>
<hr />
<h3>
    人の迷いをなぞる<br />
</h3>
<p align="right">
    2004年 07月 14日
</p>
<p>
    　まったく、まったく。迷いから醒めるには何が必要なのでしょうか？　人類の歴史はおそらくは迷いの歴史。ならば、迷いから抜け出る手だては、いくらでもヒントが見つかりそうな物……ええ、有るのです。ただ、迷える人が考えたことなら、それは迷いをますます深めるような表現を多用しているのが当たり前。
</p>
<p>
    　いや、解脱者もいるけれどね。彼曰く「色即是空、空即是色」
</p>
<p>
    　結局、迷いを棄てた人だけが理解できそうで、迷える人はますます訳の分からぬ言葉に出会ってしまう。
</p>
<p>
    　要するに、迷える人が解脱しようとすれば、人の迷いをなぞることになります。すると、自分の迷いの他に人の迷いまで背負うことになるのです。……勉強で迷いを断つのは難しいものです。
</p>
<hr />
<h3>
    心で、心の迷いは解きがたい<br />
</h3>
<p align="right">
    2004年 07月 14日
</p>
<p>
    　前述のように、迷いに関しての相談をいくつか受けました。そして、その霊査はなかなか得られません。それは心の問題を、ただ心だけで解決しようとするから生じるのだと私は思います。
</p>
<p>
    　簡単なことから、行動に移せば、それだけで糸口が見つかり、突破口が広がっていく。案外そういう物なのです。
</p>
<p>
    　ある人の霊査も、なかなか降りずに心配していたら、先方からオフ会参加の打診がありました。すると途端に霊査が降り始めたりして、結局、行動しようとしたことが呼び水になったのでしょうね。もっとも、オフ会の準備に忙しくて、まだ筆記していませんが。
</p>
<p>
    　迷える時は、出来ることから行動を始めるべきです。行動しながら考えることが良い。つまり、人は、考えすぎを防ぐ仕組みを持っているのです。自分を守る仕組みを寝かせておいて、苦しい、助けてというのは、ナンセンスというより、危険なことかも知れませんね。
</p>
<hr />
<h3>
    痛い相談<br />
</h3>
<p align="right">
    2004年 07月 15日
</p>
<p>
    　ここ数日、『迷い』をテーマにした更新を続けています。私としてはこんな辛気くさい……でも重要なテーマよりも、取りかかりたいテーマがいくつか出かかっているので心掛かりなのですが、必要な手順を省く事は後々面倒の種となる事を知らないわけではありません。
</p>
<p>
    　迷いの生み出す苦痛について、霊感の鈍い方々は、「苦痛』として自覚していない場合も散見します。ところが、これを霊媒などが共感すると、胃の周囲が痛くなるのでやっかいです。つまり、霊媒能力の強い人が、『あの人、どうしているかな？』……などと思うと、とたんに自分の胃が痛くなるわけです。
</p>
<p>
    　まあ、痛みを感じる事に恐怖するようでは霊媒はつとまりません。本当の交信は、感覚や体験の共有という形で行われるのですから、痛みを表現しようとする霊が居たら、その痛みをそのまま感じるのが霊界での交信なのです。胃が痛くなる相手が何人か居います。
</p>
<p>
    　つまり、交霊で痛みを感じるのは、地上で、痛みに関する話をするのと同じ事です。別段自分の身体に悪いところがあるわけで成し、交信をやめればたちどころに痛みが消えるので、じたばたするほどの事もありません。
</p>
<p>
    　ところが、特に人間相手で困るのは、交霊と比べて話がしつこくなりがちで、しかも、相手の切り替えが下手だから、いつまでも痛みが伝わってくる事です。さらに悪い事に、精神的な痛みの感じ方というのは非常に個人差があり、当人はせいぜいが不平不満の解消程度しか認識していなくても、その話を聞く霊媒には激痛が感じられる場合がある事です。幼少時の体験が原因だったりすると、もう痛みになれて悪夢を見たり、無意識に自傷行為に走ったりする程度で、自分の抱えている問題を適切に認識できない場合があるのです。
</p>
<p>
    　こういう場合、当人にしてみれば、ただ愚痴を聞いてもらいたいだけなのですが、それに付き合わされる霊媒にしたらたまりません。愚痴を聞いているだけなら何年も、何十年もその苦しみを共有させられるのですから、うんざりです。特に、当事者が問題解決に乗り気でなければ、痛みに耐える事が不毛な努力に過ぎないのですから。
</p>
<p>
    　もう一言付け加えるなら、<strong>人間の持ち時間には限りがあります。どうせ不毛な事をするなら楽しい事をしたいし、どうせ耐えるなら有益な事をしたいものだ</strong>――そうは思いませんか？　私は強く、強くそう思います。
</p>
<p align="center">
    ・・・・・・・
</p>
<p>
    　さて、強く痛みを生じる相談が三件ほど寄せられています（中には相談の自覚がないが）。例によって詳細は書けませんし、そもそも痛みを生じるという事は、当人が解決するのに迷いがある事を暗示しています。というわけで、直接のお返事の他に、相談者を想定しつつ、普遍的な回答をする事は、冷静に問題を受け止める良いチャンスかもしれません。
</p>
<h3>
    Q「願望成就しない。自分には縁がないと諦めた。」<br />
</h3>
<p>
    　適切な譬喩とは申せませんが、良く引き合いに出す話を流用致します。
</p>
<p>
    　「お金持ちになりたい」という願望が成就しない人がいます。障害を明らかにしようと、「なぜお金持ちになりたいのか？」と問うと、「もっとお金を使いたいからだ」と答える。……使っていたら貯まるはずがありません。まして、安物買いの銭失いというわけで、お金の使い方次第では効率の悪い事、おびだたしくもあります。
</p>
<p>
    　この「願望が成就しない」という件も、守護霊様の意見とは別に、私が霊査致しましても、どうも無駄な事に力を注ぎすぎて、肝心な部分に力不足を感じます。
</p>
<p>
    　それは結局のところ、正しい努力をしているというより、自分のカルマに振り回されている状況といえましょう。
</p>
<p>
    　すなわち、自分が幸せになるための願望成就ではなく、自分の欲に引きずり回されている状況での願望成就……すなわち、不幸になるための努力の過程にあるのだと私は判断致します。
</p>
<p>
    　もっとも、あなたの守護霊の判断と私の判断の違いは、視点の違いに過ぎず、問題は縁の有無というより、時機を失して、次の時機がまだ先にあるという事です。待つのもつらいが、待つ間にもすべき事があります。そして、待ち時間を有効に使ったものだけがチャンスに遭遇してそれを無駄にしないのです。
</p>
<h3>
    Q「伴侶との行き違いについて。」<br />
</h3>
<p>
    　心霊相談を休業する以前から、恋愛相談などはお断りしてきましたが、家族・特に夫婦間の問題や、恋人との間の問題についても、相談したくても相談できずにいらっしゃる方、また、断りの対象になっている事を失念していらっしゃる方などがあります。
</p>
<p>
    　大事な事は、<strong>相手の心をどうにかしようとするのは邪である</strong>、そして、<strong>邪な事を手伝わせようとするのはもっと邪である</strong>。という事なのです。
</p>
<p>
    　人生の伴侶に相対するのに、他人の手助けを必要とするなら、それはもう伴侶とは呼べません。つまり大切なのは、<strong>どうしたら自分は伴侶たりえるか</strong>、という事であり、相手が悪いと思えても、それを補えてこその伴侶、至らぬ同士が助け合うのが伴侶であるとしっかり認識する事といえます。
</p>
<p>
    　もっとも、人生の伴侶に関する悩みの大部分は、「相手が責任を果たそうとしない」という事でして、これがとても難しい。一方的な依存、つまり、夫が、稼がず、かといって家事もせず、あげくに女を作った、なんて話なら、「別れろ……」としか言いようがありません。
</p>
<p>
    　しかし、相談の大部分は、相手の長所を無視して、欠点ばかりが目につくという場合が大部分です。こういう問題は、実は心霊相談よりも整体などの方がよほど効果的な回答を提示できるでしょう。この手の不平不満は、大抵の場合、不健康が理由だからです。
</p>
<p>
    　不健康というのは、病気を意味しません、ただハツラツと生活が出来ず、だるいとか、面倒だとか言って、人の手を煩わせてしまうから、そこに不満が生じ、不満が積もり積もってイライラしてしまい、イライラが高じて感情的になっていく、という悪循環に陥っていると見なすわけです。
</p>
<h3>
    Q「親・子との行き違いについて。」<br />
</h3>
<p>
    　ここでは、親・子との問題に集約しましたが、縁を切りがたい相手と広く捉えてかまいません。
</p>
<p>
    　特に相手との関係が重荷になるのは、要するに縁を切りがたいからです。で、そこまで問題がこじれてしまうのは、当事者の一方、または双方が、姑息な人間関係の手法を使うからといって良いでしょう。つまり、相手の好意を確認するのに相手を困らせてみる……という事をやるわけです。
</p>
<p>
    　たとえば仕事に行こうとすると病気になるとか、無理難題を吹きかけ、応じなければ泣きわめくとか……こういう無茶な行動に出るのは信頼関係が破綻している……痛みでしか相手の存在感を確認できなくなっているという状況です。
</p>
<p>
    　これは正直辛いし、はっきり言って痛い。そして、解決策もまた無数に見いだせるでしょうが、この手の問題も、やはり、心霊的な解決よりも整体的な解決策の方が効果的でしょう。
</p>
<p>
    　つまり、お互いが不健康だから、不健全な見方・視点で相手を見てしまうのだ、また、不健康だから依存心が強くなり、不健康だから相手の依存心が重荷に感じ、お互い辛いからイライラして和解策もとれなくなっていく。
</p>
<p>
    　この問題の解決は忍耐を要します。また、ここでは不健康と表現しましたが、加齢も、問題の一因となりますね。
</p>
<h3>
    抑圧された心<br />
</h3>
<p>
    　特に女性に多いのですが、親に対する不平不満から迷っている人が多いのです。もう霊媒だけが分かる痛々しさというより、誰でもこのいびつさに気がつくのではと思えます。
</p>
<p>
    　そして、この問題を大げさにしているのは、親の悪口への病的な嫌悪です。親の悪口をいわず、親の欠点を見まいとする……自分の親を無理に尊敬する為に、自分を騙し、自分をだますから何が真実であるかが分からなくなるのです。
</p>
<p>
    　褒めるの価値観もゆがみ、貶す価値観もゆがみ、何を言わんとしているのかがわかりにくい。こうした事例がすべて、親への不平不満が言えないためとは申しませんが、私の知る限り、こういう事情の持ち主がとても多いのです。
</p>
<p>
    　しかし、赤の他人の行為なら許せる事も肉親の言動ならば許せぬ事もあるはず。他人に冷たい仕打ちをされたところで所詮は他人なのですが、身内が冷たい仕打ちをすれば恨む気持ちも生じますよね。つまり、親だからこそ許せない事の一つや二つ、ないとしたら、それは他人に接するような冷淡さで親と接していると言えなくもないのです。
</p>
<p>
    　大事な事は、親への復讐ではなく、欠点は欠点と正しく認識する事で、適切な……つまりいびつではないフォローが出来るようになる事です。
</p>
<p>
    　ところが……これがなかなか出来ないものです。自分は変われても親を変える事は出来ず、親が変わらなければ悩みは増すばかりですよね。こういう場合、親が死ぬまで治らぬのかな……と思います。
</p>
<h3>
    総論<br />
</h3>
<p>
    　以上、四点の事例を紹介したわけですが、実はこれらの回答事例は、枝葉末節に過ぎません。こういう回答もしなければ、へっぽこ霊能者が相談者を煙に巻いているようだから書いているだけの事で、もっと簡潔に指摘する事がよほど大切だと私は考えます。
</p>
<p>
    　これら、迷える人は、果たして問題に悩んでいるのだろうか？　と私は考えます。むしろ思考過程にだまされて悩んでいるのではないかと思うのです。
</p>
<p>
    　まず、各事例は、自分の大事な人をかばおうとするが故に生じる苦しみです。いわば自分の愛情に苦しめられているようなものですが、なぜかばう事で苦しむのでしょうか？
</p>
<p>
    　その迷いの原点は、<strong>物事を善悪で計る</strong>ところにあると思われます。つまり、善ならば良し、悪ならば拒絶するという価値観と、大事な人に悪いところがあればそれを受け止めようとするところに、矛盾と葛藤の種があるのです。
</p>
<p>
    　善悪で考えるというのは、宗教で言うところの二元論に相当します。つまり、善悪は相対・不離の、たとえば電気にプラスとマイナスがあるように、また、光があれば影が生じるといったように、相対不離で一方には必ず他方がつきまとい、相互に争いを続けるといった思想です。
</p>
<p>
    　しかし、近代心霊思想は、一元論で受け止めます。プラスとマイナスは中性の揺らぎ、光と影はただ濃淡が違うだけ。善とはより高度な存在であり、悪とは未熟な存在を指す。いや、老子の思想を考え合わせれば、影があるから光を認識できるのです。
</p>
<p>
    　悪だから異質の存在……なのではなく、<strong>未熟だからあなたが補わなければならない</strong>。そう受け止められれば、ここに迷いはなくなるはずなのです。
</p>
<p>
    　つまり、愛しい人に悪があれ、それをどう取り除くかに心を痛めなければなりません。それはつまり、相手の欠点が二人の間の障壁であるという事です。
</p>
<p>
    　しかし、愛する人にあるのが悪ではなく欠点ならば……相手はあなたを必要とするという事、すなわち、欠点があるからこそお互いが、強く結ばれざるを得ないという事です。
</p>
<p>
    　愛する人の、または、あなたの親の欠点を正しく認識しなさい。というのは、あなたが大切に思う人の悪を見つけろ、相手との断絶を直視しろと言うのではなく、あなたがより強く結びつけなければならない点を見つけなさいという事なのです。
</p>
<p align="center">
    ・・・・・・・
</p>
<h3>
    人生の伴侶がなかなか見つからない<br />
</h3>
<p>
    　まあ、以上で終わりにすれば話もきれいなのですが、ちょっと強欲な質問にも答えておきましょう。
</p>
<p>
    　むろん、人生の苦楽をともにするのですから、その相手はなるべく頼りがいがあり、また、迷いや不正の少ない方が良いものです。……で、速やかに伴侶を手に入れる人は、ほとんどの場合、「私がいなければこの人はだめだから……」と、欠点を補うつもりで相手と接しています。（そのくせ、不健康になると、相手の欠点を重荷に感じて不平を言うのだから……いえ、そういうカップルを支える事も友人の勤めですよね）
</p>
<p>
    　対して、伴侶を得がたい人は、「この人がいなければ私はだめだから……」と、欠点を許さぬ態度でいます。
</p>
<p>
    　不幸にして……欠点のない人はいませんから、このような態度では死んでも伴侶を見つけられません。往々、「あの世で伴侶を見つけろ」と怒鳴りたくなるような強欲な人もいるぐらいです。間違って見つけた人がいるなら、人を見る目のない人か（当事者さえ幸せならば、ねえ）――控えめな人なのでしょう。
</p>
<p>
    　いや、いや既婚者から恨まれるような発言は慎みましょう。
</p>
<hr />
<h3>
    迷いは霊感の大敵<br />
</h3>
<p align="right">
    2010年1月17日
</p>
<p>
    「霊能者は自分の未来は見えない」・・・等という。なんのことはない、そもそも迷いが生じたとしたら、それは背後霊の庇護を外れたということなのだ。――庇護下に無いのに霊感を使えば、回答者がいないのに良い返事が得られるはずも無い。イヤそれどころか、野次馬な霊にミスリードされる危険もある。
</p>
<p>
    　私もまあ、誰かの助言を欲することもあるが、なんとか自分の霊感内で収まるか、追認程度で済むことが多いのは、ちょっとしたコツがある。
</p>
<p>
    　まず、迷いが生じた事自体を楽観視しない。行き詰まったら元きた道を戻るぐらいの覚悟を決める。
</p>
<p>
    　また、答えが無いのも答えのうち、とも覚悟する。つまり、何も答えがなければ、まあ、何とかなる、ということだ。
</p>
<p>
    　そして要領の得ないメッセージを受け取ったら、それこそ、とことん行かなければならない、ということだ。途中下車は許されまい。
</p>
<p>
    　人生で横着する様々な事態は、所詮、途中経過であって、良いことも、悪いことも、最終結論ではない。つまり、どう転がるか、わからないのである。だから、今は悪くてもジタバタしない。それよりも何よりも、霊媒にとって恐れるべきは、状況・事態の悪さではなく、背後霊らとの絆の有無なのである。それゆえ、たとえ不幸を味わっているさなかでも、自分が愛されていることを信じなければならない。
</p>
<p>
    <strong>「人生は、背後霊（守護霊・祖霊）との二人三脚」</strong>と思うなら、迷いとは、チーム全体の危機なのです。眼前の事態だけの問題ではありません。それに気がつかなければ・・・視野が狭いということです。ならば・・・運が悪いならそのうち改善するかもしれませんが、自分が悪いなら、決して改善しないことを暗示します。
</p>
<pre>
　それはもう、ただの迷いではなく大問題、いや大問題というより、救いようの無い問題、ではありますが。
</pre>
<hr />
<h3>
    船頭多くして船山に上る<br />
</h3>
<p align="right">
    2004年 11月 15日
</p>
<p>
    　兎角、気弱な方は、いろいろな方面の意見を求めます。確かに多方面からの情報は物事を立体的に浮き上がらせるものですが、情報が増えれば増えるほど、物事の理解には高度な分析能力が求められるものです。
</p>
<p>
    　特に分析中に難しいのは、取捨選択で、人の意見には主観もあれば偏見もまじり、切り捨てることがなければ、立体的に浮き上がらせるどころか、矛盾だらけで組み立てようがなくなることもよくある話です。
</p>
<p>
    <strong>「船頭多くして船山に上る」</strong>といいますが、あちこちの意見を聞いて廻り、かえって迷いを増やすのであれば、気弱さから迷うという悪循環に呑み込まれてしまいます。
</p>
<p>
    ……さて、気弱さ故に迷ってしまった人が、そこで己を反省したとします。
</p>
<p>
    <strong>「なぜ、私は迷ったのだろうか？……そうだ！　きっと船頭が悪いからに違いない。今度は別な船頭を頼もう！！」</strong>
</p>
<p>
    　しかし、気弱さからまた、たくさんの船頭を雇い入れればやはり船はやはり山に登っていくのでしょう。
</p>
<p>
    ……この意見は、迷える者をあまりに見下していないか！　そう思われますか？
</p>
<p>
    　<strong>智慧あれば助言に頼らず、分別あれば助言に迷わず</strong>――智慧も分別も無いから助言を受けて迷うのです。すべての迷える者が救いがたいとは申しません。しかし、間違った助言の受け方をしている人は救いがたいと思います。
</p>
<hr />
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		<title>当たり前のこと</title>
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		<pubDate>Sat, 29 Apr 2006 06:29:06 +0000</pubDate>
		<dc:creator>OIGAMI Isao</dc:creator>
				<category><![CDATA[循環の一端]]></category>

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		<description><![CDATA[
    2004年 06月 29日



    　先週、足の悪い母を連れて、とある気功師を何度か訪ねた。私にも整体の知識はあるし、それなりに実績も持っているけれど、母の足に関しては、「（主に再婚先の）祖先の因縁」と出ていて、簡単には治らないことを確認している。反対に、背後が「やれ！」という時の効果のすごさも知っているが……ここで言っても強がりにしかならない。私は母の足を治していないのだから。


    　幸い、母はとても困ったことに（？）偽薬効果の出やすい人で、新しい所に連れて行くと慣れるまでの二、三回は非常に喜ぶ。まあ、話題はそこにはない。


    　昨今、癒しを求めている人が多い。母を連れて行った先でも頭を抱えるほど、嫌みったらしい「癒し」を感じた。癒し効果のある水、そして石、土地、訳の分からぬ機械に、偉大なる先生様。確かにそれは素晴らしいものだ。だが、その水、その石は、いかなる命を生み出すのだろうか？　それに比して……往々、ぼろくそに悪口の対象にもしているが……我が母・父は私を生み出したのである。


    　赤の他人に親身になってくれる、この気功師もありがたいが、なにやら大事にすべき者を、一つ二つ見落としているかのような気がするのは、私の気のせいか？


    ・・・・・・・


    　足の悪い母を送って、私は車を玄関前に横付けし、母を降ろして、ちょっと離れた駐車場へ車を持っていく。それを見た気功師が、「あなたの息子さんは親孝行だねぇ」といったとかで、母が喜んでいた。単純な話である。


    　私は別段、いや、特別に親孝行を心がけているわけではない。ただ、駐車場から歩かせると日が暮れて、朝日を迎えてしまいそうだから、玄関前に落とすだけだ。要するに合理的なのである。母もその辺は心得ているが……どうやら内心では気がついているようだ。私のいう合理的とは、本来当たり前のことであり、当たり前なことが出来ないのが周囲の人々であることを。要するに、老いた親を「役立たず扱い」する事でストレス発散している人々が多いということを。


    　先日、叔母が私を気の毒がった。「あなたもお母さんの世話ばかりしてないで……」でも、昨年末の渡米とその前後の準備・整理期間、合わせて一ヶ月強の間、母に顔を見せなかったら、久しぶりにあった母の顔が歪み、呂律《ろれつ》が回らなくなっていた事を話した。


    「まともに話をしてやらないと、ぼけるし、ぼけたら目も当てられないからね。」


    　うーん。孝行息子の化けの皮が剥がれそうだが、私としてはやはり親孝行というより合理的なつもりなのだ。因果応報。善因善果、悪因悪果。……私を褒める人々を見ると思う。


    老子より、「大道廢、有仁義。知慧出、有大偽。六親不和、有孝慈。國家昏亂、有忠臣。」……大道が廃れて仁義が有り、智慧を誇るから偽りも現れ、親族が不和だから、孝行が評判になり、国家が乱れるから、忠臣が評判になる。


    　私は親と当たり前に付合っているだけなのです。歩かせるのが面倒だから車を横付けし、ぼけられると困るから、相手をする。……そうしない人々が当たり前で、そうする人が褒められる？　現代人類って、レベルが低いんじゃない？



 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p align="right">
    2004年 06月 29日
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    　先週、足の悪い母を連れて、とある気功師を何度か訪ねた。私にも整体の知識はあるし、それなりに実績も持っているけれど、母の足に関しては、「（主に再婚先の）祖先の因縁」と出ていて、簡単には治らないことを確認している。反対に、背後が「やれ！」という時の効果のすごさも知っているが……ここで言っても強がりにしかならない。私は母の足を治していないのだから。
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    　幸い、母はとても困ったことに（？）偽薬効果の出やすい人で、新しい所に連れて行くと慣れるまでの二、三回は非常に喜ぶ。まあ、話題はそこにはない。
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    　昨今、癒しを求めている人が多い。母を連れて行った先でも頭を抱えるほど、嫌みったらしい「癒し」を感じた。癒し効果のある水、そして石、土地、訳の分からぬ機械に、偉大なる先生様。確かにそれは素晴らしいものだ。だが、その水、その石は、いかなる命を生み出すのだろうか？　それに比して……往々、ぼろくそに悪口の対象にもしているが……我が母・父は私を生み出したのである。
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    　赤の他人に親身になってくれる、この気功師もありがたいが、なにやら大事にすべき者を、一つ二つ見落としているかのような気がするのは、私の気のせいか？
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    ・・・・・・・
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    　足の悪い母を送って、私は車を玄関前に横付けし、母を降ろして、ちょっと離れた駐車場へ車を持っていく。それを見た気功師が、「あなたの息子さんは親孝行だねぇ」といったとかで、母が喜んでいた。単純な話である。
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    　私は別段、いや、特別に親孝行を心がけているわけではない。ただ、駐車場から歩かせると日が暮れて、朝日を迎えてしまいそうだから、玄関前に落とすだけだ。要するに合理的なのである。母もその辺は心得ているが……どうやら内心では気がついているようだ。私のいう合理的とは、本来当たり前のことであり、当たり前なことが出来ないのが周囲の人々であることを。要するに、老いた親を「役立たず扱い」する事でストレス発散している人々が多いということを。
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    　先日、叔母が私を気の毒がった。「あなたもお母さんの世話ばかりしてないで……」でも、昨年末の渡米とその前後の準備・整理期間、合わせて一ヶ月強の間、母に顔を見せなかったら、久しぶりにあった母の顔が歪み、呂律《<font size="1">ろれつ</font>》が回らなくなっていた事を話した。
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    「まともに話をしてやらないと、ぼけるし、ぼけたら目も当てられないからね。」
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    　うーん。孝行息子の化けの皮が剥がれそうだが、私としてはやはり親孝行というより合理的なつもりなのだ。因果応報。善因善果、悪因悪果。……私を褒める人々を見ると思う。
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    老子より、「大道廢、有仁義。知慧出、有大偽。六親不和、有孝慈。國家昏亂、有忠臣。」……大道が廃れて仁義が有り、智慧を誇るから偽りも現れ、親族が不和だから、孝行が評判になり、国家が乱れるから、忠臣が評判になる。
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    　私は親と当たり前に付合っているだけなのです。歩かせるのが面倒だから車を横付けし、ぼけられると困るから、相手をする。……そうしない人々が当たり前で、そうする人が褒められる？　現代人類って、レベルが低いんじゃない？
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<p align="right">
    2004年 06月 30日
</p>
<p>
    ６月２９日「当たり前のこと」の中で、私は、
</p>
<p>
    「子を産めぬ気功水や気功石よりも、大切にすべきものがあるのでは」と、主張した。しかし、こういう表現が回りくどく感じる人が多々いるようだ。
</p>
<p>
    「子を産めぬ気功水や気功石よりも、我が身を生んだ親を大事にせよ」となぜ主張しないのだろうか……と。
</p>
<p>
    　私はいつもこのように重点をぼかす。わざとであるし、信念でもある。さてそれをどう語ろうか。
</p>
<p>
    　一つの事実は、見る人によって様々な解釈が成り立つ。その多様性こそが精神世界・霊界の美しさであり、強さでもある。私は誰かに自分の考えを押しつけたくはない。それは一様化であり、もろさであり、侵略であるから。
</p>
<p>
    　私は心霊知識を学んだ。そして得たのは自己の正しさと、他の思想への敬意と、違いを乗り越えて助け合うことのすばらしさだ。たしかに世の中には他と共存が出来ないものがいる。しかし、神経質にならねばならぬほど、世間は狭いわけでもない。
</p>
<p align="center">
    ・・・・・・・
</p>
<p>
    　私の師ならば、ここぞとばかりに先祖供養の大切さを語るだろう。だが出来の悪い私は思う。「先祖供養って何だろう……？」と。私のHPの読者なら、先祖供養が、高価な墓石や仏壇、又は僧侶の読経、お花・お香の事だとは思うまい。……おそらくは。
</p>
<p>
    　祖先を尊敬し、敬うことだ……と、言葉にすることも出来る。でも、その言葉にうなずいた人も、腰が痛かったり、足が痛かったりしたら、気功やら何やらにすがりつき、「ああ、老神やらご先祖様よりも、この気功石・波動石の方が霊験あらたか」等と思うかも知れない。まあ。老神いさおについては実際にはその通りかも知れないが、……生まれてきたら祖先は用済み、後は現世利益の多い方が……等という考えは戴けない。そもそも、生まれてこなければ苦しみもないはずで、それでも生にすがりつくから癒しに頼るのである。
</p>
<p>
    　私は先祖供養さえあれば、気功やら健康器具・医薬品が不要であるというのではない。自分の親や子と向き合うことを面倒がり、嫌がりながら暮らす……生活の基盤に嫌悪を残しながら、自分の幸せを外に求める滑稽さを指摘したいのだ。
</p>
<p>
    　そういう目で改めて見て欲しい。<strong>癒し……結構だけれど、現実逃避としての癒しが何の救いになるのか？</strong>　現実を正せてこそ、本当の癒しではないのか？　ところが、どうも癒しブームで注目されるのは、少々浮世離れした場所、物、人だ。　……それって変とは思わないか？　どう変であるのか……を自分で考えられないなら、あなたは生きる術を持っていると言えようか？
</p>
<hr />
<p align="right">
    2010年 02月 15日
</p>
<p align="left">
    &nbsp;母はその後、再婚相手と離縁、手術で人工股関節を入れて、元気に遊び歩いております。</p>
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