‘顕幽の境界’ カテゴリーのアーカイブ

それは自滅の道だけど・・・あなたの人生なのだから。

2012/06/07

つい先日、「霊能者に頼むのは怖いので・・・」という、質問?/相談?メールが来たが、・・・私は、霊能者ではなかったかな?・・・時折、返事をしても、返事をしなくても叱られそうなメールが私の元に届く。 (どうせ怒られるなら手間を惜しんで返事をしない。相談は断っているし・・・)

とはいえ、一般の人が霊能者という、わけのわからない者に期待するのは、自分の代わりにカサブタを剥がす・・・様な、汚れ仕事かもしれない。自分の心の闇と向き合う前のワンクッションというか・・・

私の経験上、一般的な相談者が「霊能者」に求めるものは、的中率であって、問題解決力ではない。

原因を確認後に・・・つまり、返信を読んでから、解決策の提案と考えていたら、「ありがとうございました!」と、相談をやめてしまう人がかなり多かった。おそらく、「深入りすること」の危険、または、不快を感じてのことなのだろう。・・・これは相談者側の都合。

回答者(霊能者)側にしてみれば、体調・都合・仕組みを無視して無理強いをされた揚句、せっかくの努力が開花・結実まえに手折られるようなものである。

・・・別に、霊媒・霊能者であることの愚痴をこぼしたいのではない。

霊能者が、相談者の問題を見る、言い当てるには、体調・都合・仕組みといった制約があることを、まずは確認したかったのだ。

相談者は、霊能者の苦労も知らずに回答を求めるが、霊能者にとって、無理や矛盾には回答しにくい。体調の悪いこともあるし、取り急ぎの返事を誤解されることもある。または、時事問題に振り回されて判断を誤ることもある。条件が万全な時でさえ、霊能者に過ちがないとは言えない。

特に、主観に属する回答の成否は、相談者の気分(霊能者の気分にも)にさえも左右されるのである。さらには、相談者の主観的な問題を、霊能者が断定すると相談者を追い込むことにもなる。

間違えるのは仕方がない。・・・人間だもの。

また、時にはあいまいに答えざるを得ない時がある。・・・相手だって人間だもの。

ここまでが、いまだ前提。

霊能者・霊媒・または、霊感を持っている人が、断言してはずれ、引っ込みがつかなくなるとどうなるか?

思慮のある人なら、断言する価値のない事柄、断言すべきでない問題には深入りもしないし、断言もしない。・・・傍目には小賢しく見えても、それが人生の智慧である。まして、霊能者が、当てることにこだわりすぎると、相談者に付け込まれる。世間話や、一般的な相談のフリをして実は懸賞狙いだった、なんてこともある。霊能者にとって、知らんぷりを決め込むことは身を守る重要な術である。

ところが反対に、負けず嫌いであったり、変な具合に訂正できなかった言葉があったっとしたら・・・

・・・引っ込みがつかない。

ムキになっている人には、到底受け入れがたいことだけれど、古今東西、私などが及びもつかない大霊能者が、引っ込みがつかないことを言って訂正できず、破滅していった。

例えは悪いが、集団自殺や、大量殺人を犯すに陥ったカルトも同様である。そのカルトの指導者が、引っ込みがつかなくなった結果として、自虐・自滅的な行動に出て、大事件が起こるのである。

むろん、大言壮語が常に誤っているとは限らない。・・・が。敬虔なノアと、空気が読めない現代人とではその判断の重みが違う。

ご親切に、誰が何を言おうが、申し訳ないが私は全く、津波や大洪水への対策を、いまさらする気がない。(すでにしているかもしれないが)

つまりは、警告は人を見てするべきであって、無差別にするものがいるとしたら、お門違いということだ。ああ。箱舟を作ったノアは偉大であったのだろう。

・・・・

窮鼠猫を噛むという。・・・ただ、愛情あふれる人が救いの手を差し伸べたとしても、追い詰められたネズミは、その手を噛むであろう。だからおびえる者に私は手を差し出したくない。私の手には、自らの生活がかかっているからなおのこと。

・・・・

ところで、引っ込みがつかなくなって、一転、玉の輿に乗った人を何人か知っている。・・・人間て逞しい。その逞しさを知っているがゆえに、「人々を憐れむ人」に同意する気に全くならない。かつての言葉を訂正するより、価値ある行い(?)をしたほうが、建設的であると思うから。

いや、言葉や論理よりも行為そのものにこそ、価値があると思うから。

 

うーん。玉の輿という解決方法(だって、しょうがないじゃない! この人が好きになっちゃったんだから! 主義主張の多少の変更は仕方がないわよ!)は、いかにも負けず嫌い的な行動で、なおかつ、ちょっとずるい気もするけれど、そもそも心霊って、解決の過程よりも結果を重視するところがあるので、とりあえず、「結果、羨ましい」ということにして、話を終える。

というか、責任を持つべきは自身の人生なのだから、他人を評価しても始まらない。または、他人の破滅を心待ちにする人がいるとすれば、そういう人と話したくもない。

夢中の白虎

2011/09/16

「人生山あり谷あり」・・・困苦が付いて回るのは仕方のないこと、とはいえ、道を間違えば困苦の先に得るものがない。

職場が変わって以降のことだが、最近、とにかく忙しい。ページの更新もままならない。あまり忙しいと、色々と粗末にすること出てきて、それが失敗を生む。失敗があると、それを取り繕うのに、また忙しくなるという悪循環。

職場を変えたのは失敗だろうか。これは道を間違ったかな・・・と思う。もしも道を間違えば、困苦の先に得るものがない。

ひと通り逡巡はしてみたが、まあ事情が許す範囲での最善の道であったろうとも思う。人生山あり谷あり、仕方が無いかな。

と、気持ちに整理をつけた。そして、その翌朝の夢のこと。


眼前の檻の中に小さな白い虎がいる。ネコよりは大きいが・・・まあ、恐怖感を抱くほど大きなわけではない。

その檻越しに、手を伸ばし、座っている虎にぺたぺた触れている老婆がいる。

私はふと、、『ああ、危ないな。可愛く見えても獣だぜ? おそらく、力も強いだろうに・・・』と思う。

すると、瞬きする間に情景が変わり、今度は公園風の中にあって、檻がない。しかも、数人の人が、やはり座っている虎を取り囲んで、やはりぺたぺた触っている。「ご利益、ご利益」と言いながら。

忍耐強く、おとなしく座り続けている虎を、しばらく眺め続けた。気づくと、人影も消えて、虎と私だけが残り、その白い小虎は、数歩私に近づいて、「ニャア」と啼いて、私の目が覚めた。


夢が覚めて、理性的・・・当社比・・・になった私は、その意図を理解した。

白虎は幸運の兆し。それをぺたぺた触っていた連中は、ご利益のおこぼれに与ろうと集まってきた、あまり高くない霊たちだった。

上級霊界の知らせというのは、降りてくる先が高くなればなるほど、邪魔を受ける。

邪魔といっても、害意があるとは限らず、むしろ、無邪気に自分のことを考える結果である。・・・嫉妬は恐ろしい。

・・・自分のことばかり考えている者を誰が支援するというのか? だから、他人のおこぼれを狙おうとする。これもまた悪循環。

 

人生は、複数の選択肢の結果。・・・素直に生きているように見える人も、大なり小なり、幾つかの悪循環を抱えて、せっかくの行動力を無駄にしている。さらには、己を知らず、己の抱える無駄に気づかず、己を苦しめながら、己の実力不足を嘆いている。・・・自分を嫌い、ますます嫌いになる悪循環。

人のおこぼれを狙うより、己のムダを慎むほうが、有意義であろうに。

というわけで(?)・・・、人生は山あり谷あり。いずれは良いこともあるかと、今の災難には目をつぶることにした。なにしろ、幸運の兆しを見たのだから。


で、幸運の兆しのご利益や如何に?

・・・なるほど、どおりで小さな虎でした。

子供の育て方を思う。

2011/05/04

「私は霊感を持っていない」という人がいるが、心霊家、または、私にとって、霊感を持たぬ人はいない。というのは、つまり心霊家は、『発想の源』を霊感と見做すからだ。大雑把にいえば、いわゆる霊感の持ち主は、アイデアを贈り物と見做し、そうでない人は自らの才能と見做す。

 それ故、必要なアイデアが得られないとき、霊感の持ち主はリラックスしようとし、才能と思う人は、努力して自分を追い込む。・・・答えが見つからずに身体を壊す人は決して少なくない。

 ところで、アイデアを贈り物と思うか、才能と思うか・・・その差には、もう一つ、視点の差があることに注意していただきたい。――視点の差とは、つまり贈り物には他者の視点がつきまとい、それゆえ、アイデアを与えられたことを「幸い」と思い、名もなき送り主(往々、人々はそれを神に例える)感謝する。・・・ 一方、才能と思う人には、受けて当たり前と思うがゆえに、得られない時にはなお苦しく思う。

 それは例えば、「いわゆる霊感を欲しがる人が、実は与えられるだけでは満足しない」・・・必要な答えは立処に欲しがる短気な人だろう・・・ということも暗示している。いや、これは真理とはいえない、私の経験則である。

 そして、「私は、霊感を持っているようだけど、巧く使いこなせない・・・」という人によく見られるのは、視点の移動を、無意識に拒絶していることだ。――「霊を感じた」、という時には大抵(私の知る限り)、褒められている。・・・ただ、私は思うのだが、「なぜ、自身の選択に肯定を求めるのだろう?」・・・自分を信じていないのか? もしくは、安易に自分を信じているのではないか?

 失敗も大切な経験であるし、屈辱は、向上のための大きな原動力になる。

 または、「怒られ慣れていない=失敗できない・失敗が怖い」――等ということは無いか?

 (私の)ボキャブラリーが貧困で申し訳ないが、大航海(帆船)時代、船乗りたちが恐れたのは逆風ではなく、無風であったという。たとえ逆風でも船が動けば、目的地に近づくことができるが、無風であれば、それも叶わない。もしくは、交通機関や自身の車が渋滞で身動きできないことをイメージしてみて欲しい。・・・たとえ反対方向でも動けるならどれほど気楽なことか。

 つまるところ、良き助言者というのは、耳に痛いことでも言ってくれる相手であろう。・・・過ちから目を逸らし、被害を増やすに任せる相手ではなかろう。

 そう、私が相手の霊感の有無、または、巧拙を見るに、相手・当事者の利害から自由であるかを見る。なにしろ、人は追い詰められばヒステリーを起こすこともあるのである。――過ちをおかせない人が、追い詰められて、ヒステリーを起こし、それを霊感というのは・・・だいぶ、痛い。

 そのような人に霊感がないというのではない。ただ、その人の(いわゆる)霊感には、面白みがない――創造性に欠ける。面白みがないというのは、(少なくとも)縛るものが多い、つまりは、低級霊界(もしくはエゴまみれ・・・当事者の境涯が低い)と思わざるをえない。

 または(どちらにせよ)・・・、聞くに値しない。

 結局のところ、霊感というのは聴き手(持ち主)の霊格を超えない。いや、実は超える実例は数多くあるのだが、それは私の知る限り、例外なく(つまり私は例外を知らない)・・・他者の事は良く見えても、自分のことは見えないという。――それゆえ、利はあっても幸せにつながらないことが多い。

・・・・・・・

 さて、本題。 これは真理ではなく、私の経験則・・・

 人の生きる正しい道は、中道・中庸などというが、あえて難しい言葉を使わなくても判るはず。腹が減っても、食べ過ぎても苦しむのが人だ。

・・・だが一方で、執着は絶対にいけないとか、愛情はいくらあっても良い・・・などという人もいる。(個々の意見の揚げ足を取りたいわけではない)――これはさて、どうであろう? 当事者(与える者)はそれで満足でも、与えられる側は果たしてどうか? 例えば、相手が迷惑していても、付き纏う人は、おそらく、「この程度のことで」と思うだろう。愛情を注がれた相手も、果たしてそれを喜ぶか、過干渉と嫌うかどうか。

 特に、反抗期前の、可愛いさかりの子どもを持つ親。又は、手塩にかけた子供(年齢的にはオトナ)に反抗されて傷つく親・・・へ。

 近親者が可愛がらずに、一体、どこの誰が可愛がってくれるというのか?・・・私は、「親バカ結構(上等)」と思う。とはいえ、それは、第三者的な考えだ。当事者、すなわち子どもにとってはどうか?

 人は、難事・試練が多くても、己の人生を不幸と思うが、難事・試練が少なくとも、生きがいがなくつまらないと思うものだ。――または、親の可愛がる気持ちに、子どもが答えて(相手をして)くれない時に、親が寂しいと思うのと同様・・・すなわち、子供らが、『少なすぎず、多すぎない、人生の試練が良いな・・・』と思っているのに、親が自らの我を表に出して、『(子供の)試練』を取り上げていないか・・・子どもの喧嘩に親が出て・・・

 

 比喩の視点を変える。

 温室育ちを、真冬に外に出すのと、屋外育ちを、真冬に温室に入れるのでは、一体、どちらの鉢植えが長持ちするだろう?

・・・・・・・・

 親が、子を可愛がるのに、私は口出しをしたくない。(まあ、それは親の自由であろう。)

 ただ、思うのだけど・・・子供の時に甘やかせて、親の目の届かぬ、成人後に苦労させるのと、子供の頃に厳しくして、成人後に(それなりに)それなりの生き方をさせるのでは、一体どちらが、愛すべき子供の為であるか?

 おそらく(まあ、確信があるが)、人が一生にこなすべき苦労は(多分)定められている。それ故、幼少児に難が少ないことは、親の目の届かぬところでの愛児の苦労を増すのではなかろうか?

 一方・または・・・子供の頃に、あまりに苦労した人は、保身に走って、苦労を先延ばしして、結果、人生をおろそかにするようだ。

 では、一体、どの道筋が、一番、愛児のためになるのかどうか?

・・・・・・・・

 可愛がるのは良いと思う。・・・近親者が可愛がらずに誰が可愛がるのか?

 ではあるが、愛情もまた、ほどほど――やはり、中道・中庸が良いのだろうと、私は憶測するのである。 

 ・・・または。

 その親は、愛児に背中を見せて、導いているだろうか? ・・・と、私は危ぶむ。

  苦労している姿(背中)を見せずに、作り物の表ばかりを子供に見せて育てる。・・・意地を見せるのも、それはそれで、親の心意気かも知れないが、生身の人(背中)を見ず、つまりは、他者の生身を知らずに育った人は、果たして、己自身の醜さ(生身)に、打ち勝っていけるのだろうか?

・・・・・・・・

 自分の、心の惨めさ(背中の貧弱さ)を隠してきた者が、溺愛という形で、因縁(己の弱点)を、愛児に押し付けていないか?

 年に一度の子供の日(5月5日)。あなたは、子供等を祝福できようか? ・・・無意識に己が悪因縁を押し付けていないか?

 (親の)眼の届く限りの(子供の)幸せを追求して・・・つまりは、愛という名の、苦しみを押し付けていないか?

 または、深みのない愛情表現に満足してはいないか?・・・つまらない親になっていないか。

 

 子供の日。・・・あなたの愛念の清らかさを、確認する良き時期ではなかろうか・・・・・・・

師を見送る……

2006/03/26

 師を見送る……といって、別に幽界/霊界に送ったわけではない。ある意味、もっと近くて遠い米国に送り出しただけだ。


 今日は、師の帰国日。師の宿泊先を午前11時に訪れて荷造りを手伝い、昼食を食べた後、1時に宿泊先を立って一路、成田に向かう。ところが二時半頃には成田周辺に付き、時間があるからと成田山新勝寺に立ち寄る。ちょうど、ご祈祷が始まったのでうろうろとご祈祷のご相伴に与り、立ち去り際に、ふと後ろ髪を引かれた気分でおみくじを買ったら、その二行目に……

「胡僧引レ途帰《こそうみちをひきてかえる》」……徳の高い師が、教えを広めて帰ろうとしている。

 とある。思わず師と爆笑してしまった。

 ちなみに、師に従い、その教えを守って実績を積むうちに成功するが、短気やわがままを出すとさんざんな目に遭う。神仏を信じて吉。…… だそうである。こちらについては、驕っていると誹られるかも知れないが、言われるまでもないと思う。まあ、師の言うことには時折怪しいことも多いし(?)、赤信号をわたって犬連れのオジさんに叱られもするが(!)、こと、霊憑っているときの師は言うことは端的、簡明、反論の余地無く、また、行うに無理もない。私は満点の弟子では無かろうが、落第点も貰っていない。

 等ということは後にして、一路空港に向かう。空港反対集会があるとかで、車の入場制限中とのことだが、難なく車は空港に乗り入れて、出発ロビー前に何とか停車スペースを確保し、師の大荷物をカートに積み替える。そして私は駐車場へ。駐車後に師を探しに行くと、もう姉弟子等が土産物を持って集まっていた。それでなくても荷造りに苦労したのに、ここでまた荷物の詰め直しに苦心する羽目になる。…… まあ、毎年の行事であるが、今年は特に酷い。

 そしてチェックインをハラハラしながら見守り、一同でお茶をし、ここで例のおみくじの話を開帳した。

「三行目を読んでみて、面白いから」と私はおみくじを回したが、読んだ姉弟子の顔がどうも面白そうではない。途中めんどくさくなった姉弟子が読み上げて気がついた。……面白いのは二行目だ。ちなみに三行目には……

「光花映2晩暉1《こうかばんにえいず》」……修行した甲斐があって自分にも徳が備わり、夕陽のように輝いている。

 無意識に自慢話をしてしまった v(^^)>

 十人の姉弟子に一斉に拍手されてバツの悪いこと……そんなこんなで、出国検査の時間がきて皆で師を見送る。師は次々に姉弟子等と握手し、私とも握手して、その直後に師はこういった。、

「八月頃は、注意しなさい」……へ!? (–?

時間の凍り付いた私をよそに、師と姉弟子達が手を振り合っている

「それじゃあねぇ~~」

 え!? えぇぇ!!! 六時間も一緒にいたのに、立ち去り際に警告だけぇ~~~!

「ええええ、立ち去り際に警告だけぇ!」と思わず声を出したら、姉弟子等が怒ること、怒ること。それ以上を求めるのは贅沢だという。

「そりゃそうだけどさぁ~~~」……(@@;

 まあ、毎年、二月八月は色々としんどいから油断はし無いつもりだし、どのみち出来ることは、大難は小難、小難は無事に、と祈るだけだけどさ。

 なんか、これ罠っぽくない? おみくじも、褒めているようで、どこか釘を刺しているしさ、姉弟子相手に自慢を放《こ》いて、褒め殺しに合うしさ……ちきしょう、成田山の天狗め、仕組んだな! (‘_’メ

 で、帰り道は、アクアライン経由。(^^;

 高速料金は往きのほぼ倍の五千円強。贅沢かな……とも思ったが、珍しく我が守護霊が表に出てきて、『明日の仕事に差し支えぬように、帰路は楽な道を選べ』……というので、自分を甘やかすことにした。渋滞でストレスが溜まると寝付きが悪くなって明朝は寝覚めが悪い。寝覚めが悪ければ午前中は頭が働かない。会社でボーッとしているわけにも行かないから無理はしない。結果、途中、夕食を摂り、海ほたるで夜景を撮影したりしたが、成田から二時間弱で神奈川中部の自宅にたどり着いた。

……成田山の天狗は、お茶目ではあるが、意地悪ではなかった。

お彼岸の話題

2006/03/23

 精神統一をしても、なかなか先祖の霊格が上がらない人が居る。いくらなんでも進歩がないのは、指導する側が無能ではないかと自責せずにはいられない。当然、その問題点を洗い出したいと思っていたが、思い詰めていると受信がおろそかになるのは心霊研究的エッセイに纏めているとおりである。

 ぶっちゃけた話、忘れた頃に教えられた。

・・・・・

仕事中に『ちょっと覗いてみよ』と小言でいわれる……といって私は、PCの前に座ったままで動くわけでもない。…… 心を充分に静めると、そこは小さなお堂の前、戸の置くを覗き込むと、神道風の祭壇に大きなロウソクが二本燃えさかっている。祭壇の前には巫女風の装束を着た、白髪の老婆。……こちらはまるで萌えていない。いや、この表現を一度使ってみたかっただけだ。

 その背後にはおよそ5列4行の二十人の老若男女が詰めかけて一心に祈祷をしている。祝詞なのやら、お経なのやら、良く聞取れないのは精神統一が浅いためだ。(念のため後で確認してみたが、この数字は別にどこかの家の祖先の数を表しているのではなく、まあ、お堂の規模を教えているのだそうだ。)

 案内の老翁が口元に指を当てて、「静かに」のジェスチャーをする、一緒にそっとお堂から離れて、広場の石に腰を下ろす。

『どう見たぁ?(どう思う)』……なにやら語尾が妙に間延びして聞える。なんだか、トンネルの中で話しているような感じである。

「お願いします! とねだるばかりで神様も返事が出来ないでしょう。」

『そうよぉ。信心深いのも程ほどにせねば、神を強請《ゆす》って、神がおびえる。』

「神がおびえる?」……

『そうさぁ。手出しは出来んわさぁ。』

 何となく表現に違和感があるが、意味は何となくわからなくはない。話の続きを促す。

『神を強請れば霊覚が上がると思うから、若造霊媒なんぞ相手にするのも詰らんことさぁ。』

「当人等に向上の手応えがなければ、途を変えるのでは?」

 老翁は大笑いしていう。

『要は、何の不自由も無いのさぁ。生前も死後も。だから、「真剣」という意味がわからず、下らん真剣をやっている。真剣というのは相手を切る覚悟であって、刃のついた刀の事じゃない。切る覚悟がなければ木刀よりも役にタタンのが真剣さぁ。』

「はぁ?!」……なるほど、真剣とは使い手の心にあって、物理的な刀をいわぬというのは面白い。

『自分らは、「懸命に修行しています。向上いたします」と祈ってはいるが、祈って向上するかぁ?』

老翁がまたもや大笑いする……

『神様が向上させてください、と大勢が、大音声で祈りを捧げる。やれやれこれでは、自分の神格が汚されてしまうと、神様もびくびくものじゃ』……さらにまた大笑い。

確かに……指導して貰わなくても格が上がるなら楽だな。そこで、お約束のつっこみを入れる。

「私も仲間に入れて貰おうかなぁーなんちゃって。」

『だから神様は、なおびくびくものじゃぁ!!』……一声大笑いして、老翁は立去った。

 そう、類は友を呼ぶ……この同類に集られては確かに神様の無能の証と受取られるだろう。……オイ待てよ? 原因は教えて貰ったが、対策は教えてくれてないぞ? しかもいっちゃったぞ!!

 仕方がない、後は自分で捜すか。

 再び、お堂に意識を合わせ、覗き込む。今度は女神とおぼしき女性が奥に座って、皆に語りかけている。

女神『修行というのは、ただご祈祷三昧ではなく、自ら学び、心を浄め、人様をお助けして徳を積重ねていくなのですよ』

一同からブーイングが上がる。

『だって、私のような無学者が、一体何を勉強せよというのです。お経なんて読んでも意味はちんぷんかんぷん、祝詞だって有難いけど、有難いだけだし』

女神『学ぶべき本はまだまだあります』

更にブーイング。

『生きている内に出来なかった勉強を、死んでからせよなんていうのは、地上で教わった神様とは全然違う。あんたはニセモンじゃないか!!』

……困惑する女神。すると、再び老翁から肩を叩かれ、うながされてその場を再び外れた。

『もう十分じゃろ、今の問答は本当ではない。ただそうなるのだ、ということを示して見せたのみ。』…… 続けて見ようにも後はないらしい。

『生前に間違った信仰をすると、こういう事になる。神のなんたるかも知らずに、有りがたや、有りがたや、と拝んでいるから、真の神のなんたるかを見分ける力がない。

『まっこと無信心も困るが、信仰が篤ければよいというものではない。大切なのはただ、ありがとう、どういたしまして、という日常の挨拶の延長にある信仰かも知れん。それは俺《わし》等が強いるべきものでもない。

『まあ、悪さをするわけでなし、抛っておけばよい』

……? 良いの? それで?

『今、生きている子孫が、真の信仰に目覚めたら、祖先も恥じて修行に打込むであろうさ。言い諭すよりも簡単さ。何せ、時間だけは何百年でもあるからなぁ』……とまた大笑い。

・・・

いいか、私が呑気にしているんじゃないぞ!! と、次のオフ会では釘を刺しまくってやろう。

・・・

 あう!?。この女神様は萌えるかって? なるほどではもう一回お堂に集中しなくてはなるまい……………………が、眼裏に映るのはPC画面のまま。私用は不可であった。


 先祖供養を重視する霊媒が多い中で、どうも私は仏事を覚えるのが苦手だ。その場が来ればやらねばと思うが、普段はまったく関心が生じない。墓参もなにも、時機もなくその時々に思い立ったが吉日で出掛けていくからだ。まして、混み合う時期に出掛けることをバカにもしている。おかげで盆と彼岸を取り違えることはしょっちゅうだ。

 祖先にしてみれば肩身が狭いかも……とも思うが、彼岸の前にはお墓も掃除にいくし、本来お彼岸は祖先の霊が家に帰る時期だし、厳密に言えば我が家に帰る死者はいない。というわけで、別段この時期、墓参に行くこともないし、祭壇を祀るわけでもない。いや確かにこの時期、知人の祖先の霊から援助を求められることは多い。そういう時には私の守護霊と引き合わせて私の仕事は終わる。

 お彼岸にも意味はある。地縛の霊を救う切っ掛けになる事を私は知っている。ただ虚礼には意味がない。とは私の持論だが、人の中には死んでからも虚礼に頼って神仏に救いを求めているらしい。

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体調不良につけ込む霊

2006/02/23

体調が悪いと気が滅入り、気が滅入ると感応する霊まで低くなる。といって、無理をすればかえってつけ込む隙を作る。疲れやねじれが取れるまでは大人しくしているに限る。とはいえ、体調が悪いと時間の流れまで遅く感じる。というより自分が鈍いだけだが。

・・・・・・

 私は、仕事が煮詰ると、目をつぶり、心を落着け、高山の山頂で深呼吸する所を望画する……すると今日に限って、品悪く、薄気味悪い笑みを浮べた男が側に立ってこういう。

『(憑依して)おまえの欲を糧にして、私は地上の欲をほしいままにする……』と、相手が言い終らぬうちに私はそいつを突き飛し、こう叫んだ。

「注意しろよ!!」

 延々と山の斜面を転がりながら男が叫び返す、

『突き飛しておいて、何だ!!』

私が二の語を継ぐ

「勝手ばかりをしていると、誰も引留めてくれないぞ!!」

 なおも転がる男が憂いを籠めた声で改めて叫んだ。

『嗚呼!!』

 肩がちょっと軽くなり、改めて高山の山頂で深呼吸する自分を望画する。……さて、仕事に戻ろうか。

 あ、その前に、折角だから足下の石を蹴り落しておこう。いやはや、体調の悪いときには大人しくしているに限る。

体調不良につけ込む霊

2006/02/23

体調が悪いと気が滅入り、気が滅入ると感応する霊まで低くなる。といって、無理をすればかえってつけ込む隙を作る。疲れやねじれが取れるまでは大人しくしているに限る。とはいえ、体調が悪いと時間の流れまで遅く感じる。というより自分が鈍いだけだが。

・・・・・・

 私は、仕事が煮詰ると、目をつぶり、心を落着け、高山の山頂で深呼吸する所を望画する……すると今日に限って、品悪く、薄気味悪い笑みを浮べた男が側に立ってこういう。

『(憑依して)おまえの欲を糧にして、私は地上の欲をほしいままにする……』と、相手が言い終らぬうちに私はそいつを突き飛し、こう叫んだ。

「注意しろよ!!」

 延々と山の斜面を転がりながら男が叫び返す、

『突き飛しておいて、何だ!!』

私が二の語を継ぐ

「勝手ばかりをしていると、誰も引留めてくれないぞ!!」

 なおも転がる男が憂いを籠めた声で改めて叫んだ。

『嗚呼!!』

 肩がちょっと軽くなり、改めて高山の山頂で深呼吸する自分を望画する。……さて、仕事に戻ろうか。

 あ、その前に、折角だから足下の石を蹴り落しておこう。いやはや、体調の悪いときには大人しくしているに限る。

霊媒の修行に便乗

2006/01/16

 霊感の強い人に、ちょっかいを欠けている霊を一体見つけた。話しかけてみる……

「何でこの人に憑いているの?」

『霊媒の卵に憑依するとな、その霊媒の修行になるからと神様からお目こぼしをいただけるし、霊媒が一人前になる時に、憑依霊を皆、成仏させてくれるから、長いこと成仏できなかった霊は、皆、霊媒の卵を探しているモンなんだ。』

「へー! 霊媒の卵に憑く方が安全なの!?」

『皆、妙な縄張り意識があって、やたらな奴に憑こうとすると、先住者が追い出すんだ。そこに行くと、霊媒の卵は、皆成仏させるから意地の悪い先住者もいないし、気楽なんだよ』

「だけど、成仏した霊たちと再会したことはあるのかい? 『仏に成る』て、いうぐらいだから、それこそ苦しんでいるあなた達を助けに降りてきても良さそうなものだけど。」

『いや、一人も見たことはないなぁ』

「本当は地獄に追い落とされているんじゃないのかな?」

『そういえば、そういう噂もある……』

「他人の修行に便乗するよりも、高級霊についてきちんと指導を受けた方が良いと想うのだけどなぁ。」

『うぅん…………』 煮え切らぬ返事。だが……


 状況的には除霊が成功したというところか。だが私は除霊を意図して上記のような会話を試みたわけではない。一には情報収集、二には霊媒としての義務意識……媒介・仲介者としての努力……人・霊双方の最大利益を目指すことだ。

 その後、上記の霊から通信が来た。指導者を得て修行しているとのことだ。

秋の昼寝の金縛り

2005/10/10

 何やら振り回されている。……忙しい。

 身内、友人からひっきりなしにトラブルを聞かされる。全くいい加減にして欲しい…… などと思いつつさして為すべき事のない休日の午後、昼食を済ませた後にやたらと眠くなってかなり長い昼寝をした。

 ……起きなきゃいけない。せっかくの休みなのだから、休みでなければ出来ないことをしなければ!! 気が焦る。寝ていて気が焦ると当然……金縛りに遭う。

 うぁ~~玄関から人の気配がする。戸が開く音がし、足音が聞こえる。でも身体が起きない。目が開かない。声も出せない。でも気配が近づく。近づく、近づく、でも声も出せない。身体が動かないまでも声を出せば威嚇になるだろう。ハッタリをかますだけでも良いだろう。だが……ああ、枕元に男の気配がするよ、やばいよ、でも、悪霊じゃないよ。そして再び眠りに落ちる。

 しばらくしてハッと目が覚めた。時計を確認すると二時間も昼寝をしたらしい。外はドンヨリ曇っている。しばらくぼーっとしたまま時間を過ごし、家中を見回るが異変はない。玄関の鍵もちゃんと掛っている。

 改めて、夢幻の境界で感じ取った気配をリプレーしてみると地主神の見回りだったらしい。…… 怖くはないがバツが悪い。とてもバツが悪い。そもそも霊気というのは打たれると鳥肌が立つ。それは別に恐怖でも冷気でもない。霊気もまた鳥肌が立つのである。鳥肌が立つから身体が冷えた気がして、また、恐怖を感じた気がするのは素人の感想だ。…… 霊感を持ちながら霊気の一つや二つでビビッてたまるか。が、寝ぼけて暴れるのはバツが悪い。

 睡眠中では身体が不自由なだけではなく、判断力も不自由なのだと今ならば思うが、それはそれ、あんなに昼寝して今夜はちゃんと寝れるのだろうか、とそれを心配する夜。


 あー、一時半まで起きていて、翌朝は仕事になりませんでした。

何のための修行か?

2005/10/01

何のための修行か?

 ここは伊良子カーフェリー埠頭。私は愛車に乗って、鳥羽港に向かうカーフェリーへの搭乗待ちをしている。目的地はむろん伊勢神宮。各自それぞれに主張はあろうが、一般的にいって、日本の最高霊地だ。

 関東から伊勢神宮に向かう道で一番心躍るのが、このカーフェリーへの搭乗だろう。そのワクワク感が高調したところで……夢から覚めた。


 例えるなら酒によって乗ったエスカレーターから、急に降りたような違和感と共に夢から覚めた。と、同時に、当たり前のように霊夢であることを感じ取って、この夢への招待者とその目的を探った。しかし、招待者は逃げも隠れもしていなかった。ただ、カーフェリー埠頭の風景の蔭になっていただけだ。

 この招待者は、雰囲気からするといわゆる天狗霊と感じた。ただし、その衣装はいわゆる修験者風のものではなく、モーニング姿のつまりは現代風の礼装である。そしておもむろに私に懇願する。

『これから伊勢神宮に参って、私が眷属となれるように口添えしてくれないか?』という。

 伊勢神宮に用があるなら、霊界で話をつけるか、せめて現職の神職に懸かればよさそうなものだ。一兼業霊媒に頼むような話でもない。… …すると、

『行き詰まったら発想を転換せよというではないか』という。無茶な論理だが興味を持つ。なにしろ、伊勢旅行の夢を見るのに伊良子カーフェリー乗り場を選んだ霊である。つまらぬ霊ではない。つまらぬ霊ならそもそも楽しい夢を切っ掛けなどにせず、ただ、霊聴で要求を伝えてくることだろう。何やら面白そうなので、出来る範囲で手伝うことに決めた。

 まずその動機をモーニング姿の天狗に尋ねてみると、

『ずいぶん長いこと修行を続けたが一向に霊格が上がらぬ。そこで、いっそ修行するなら天照大神様の元が良かろう、だがそれについては、きちんとした紹介者がなければいつまでも下積みで働かされてやはり修行にならぬと思い、貴殿に頼む次第だ。』

 そこで、私も背後を通じて祈願してみたが、それに応じたさる龍神は、

『お社造営用の木材確保するための森林の世話係ならば開いている。そこでチャンスを待つのはどうか?』という。が、モーニング姿の天狗の態度は煮え切らない。後で考えてみれば当然だろう。赤の他人である私が骨を折った職である。気に入らぬからといって断るのも失礼だが、志とは相反する。ともかくその時に私は、何やらその間のコミュニケーションにしっくりとしないものを感じて、問題を整理してみた。

Q なぜ霊格を上げたいのか?

天狗『霊格を高く上がるほど、より多くを学ぶことが出来る。霊格が低いまま修行をしても僅かなことしか学べぬではないか。旅をするのに歩くよりも車が欲しいのと同様だ。私はここ数百年、変らぬ努力をしているのにちっとも格が上がらぬ事に不満を抱いていた。私はもう限界に達したというのだろうか? 神界には私などが及ばぬ高みに登っておられる神々が大勢いらっしゃるというのに?』

Q なぜチャンスを与えないのだろうか?

龍神『たとえば具体的に、武芸であるとか、学問であるとかの指導を受けたいというのであればいくらでも指導する。だが、「格だけ上げよ」と願われても返事に窮する。そもそも、「長」という職があるのではなく、それぞれの職の優れたものを長というのだ。したがって、なにか、とくに秀でたものを磨いてからのち、その職責の長を目指すのが順当だろう。ただ偉くなりたいと思うだけの霊なら、まだまだ下積みの仕事が適当だ』

 はたと気がついた。この天狗さん、決して知識技能に劣っているのではない。おそらく真面目に修行を続けたであろう霊なのだ。ただ、その修行の目的が単に出世することだったので、いつまでも下積み止まりだったのである。

『天狗さん。なんだか一生懸命修行するよりも、もっと毎日楽しく過ごした方が霊格が早く上がりそうだねぇ。』

天狗『修行のためと思って一生懸命人助けに働いても、霊媒などには「所詮は天狗のすること」等と悪しくいわれると私もさすがに張り合いがない。霊格を上げねば、人助けも迷惑に思われるだけなら、まず先に霊格を挙げようと思い至った次第。だが、なんということだ。霊格で差別する霊媒に非があるというのか。ならば今までの負けず嫌いな修行もつまらぬ事だし、お伊勢様で修行をしたいという考えもあまり面白くないことだ。なるほど、これからは自分の道楽を見つけ、その一芸を磨いて修行とすることにする。ありがとう』

 その後に貰った通信では、機織りや陶芸、園芸などを趣味とする人の背後に憑いては、自分の手助けできることをしてみたり、または一緒に考えて自分の芸を磨いたりと、楽しく暮らしているらしい。

『そのうち腕を磨いたら、霊格ではなく実力で指導霊として独り立ちしたいものだ。わっははは……』

 一口に修行というが、その目的を選べば大変な回り道になるらしいことを私は学んだ。

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