‘幽明の道標’ カテゴリーのアーカイブ

見ると信じたくなる

2007/03/17

2007年03月17日


心霊否定論者の意見として、「見たことがないから信じない」というものがある。反対に、

体験から心霊肯定論者になったという人も多い。……その経験が、正しく心霊現象であるという根拠がどこにあるかは、別としてである。

反対に、心霊否定論者の意見として、「見たことがないから信じない」というものがある。……見たものが正しく心霊現象であると判断できるだけの心霊知識があるのだろうか、ということも別としてである。

・・・・・・・

一時、テレビの情報番組でのねつ造が、大問題となったが、今朝方、テレビをつけた時に、インタビューを受けている人が「見せられると信じたくなる」と言っていて、ハッと感じた。そして……


『見ると信じる、見ないと信じない。人間の霊性は眼球に宿るというのか? それもまた、その人の有り様である。切っ掛けは人それぞれであるが、いつまでも眼球に信・不信の判断を任せているのは、つまらぬ事である。

『事は、善悪の問題ではない。うわべの良さに手を伸ばして、ガッカリすることの繰り返し。その経験から学ぶことがなければ人生は労多くして実り少ないことになる。

『何かを為すためには人生はあまりに短いという人は多いが、効率よく生きようと心掛けている人はあまりに少ない。そして、無駄を惜しまず不平が余計な者はあまりに多い。だが、自らが疎かにしているものを、誰が与えてくれるのか? 無駄があなたの人生を蝕んでいるに。

『結局は、自分を疎かにするということなのだ、安易に信じ、安易に疑うことは。

『もっと真剣に生きるべきだ。見たものを信じるというのは、あまりに感覚的、反射的な生き方である。』


不足という祝福

2007/03/15

2007年03月15日


地上の人々は(地縛の霊も含めて)、肉体がいかに厳重にして、光の差込む余地の乏しい牢獄であるのかを理解しない。心霊を学びて知識に溢れると自負する者ですら、いや、自負する者ほど理解しない。

牢獄に囚われ、乏しい資料と経験とを持って霊界の様相を理解に努める……それがいかに陳腐な学習法であるのか。……物質的な障壁のない霊界においていう障壁とは、移動を妨げるものでなくして、理解と認識を妨げるものである。

世界は余りに広く、人の知り得ることはわずかしかない。……それを知識として知りながらも、人は己の知ることを鼻にかけ、十分に知りたることを誇り、そして、新規な物を嘲笑する。……それは、魂の本来の有り様ではなく、永く幽閉された囚人が自由の何たるかを見失った痛ましき姿である。

彼等は真の自由を恐れる。……真の自由が意味することは、己の境遇の余りにみすぼらしきを認識することだからだ。

ああ、牢獄に囚われようとも、心の自由までは失ってはなるまいに……偽の自由に没我してまでも、人は己の自由を信じたいのか?

この拘留は永遠には続かない。……なぜなら、自由の真義を理解するための体験でしかないから。だが、もしも地上で、真の自由の何たるかを見失えば、人は何に拘束されるのか? 肉体を捨去っても、誤解に縛られれば、人は死しても自由を選べず、地縛の霊として救いを夢見る……それは決して珍しい姿ではない。

あなた方は知るまい。……真実は向上の何よりの助けとなるが、誤解がどれほど多くの障害になるかを。真実は人を解き放つが、誤解は人を縛るのである。……己の間違いを恐れる人ほど、強く誤解に縛られる。

そしてあなたは、真実と誤解の区別が付くか? 地上に縛られし、狭い視野で。地上に溢れる情報すら、真偽を選びかねるというのに、真理の真偽を見抜けようか?

地上の知識のいかに危ういかを、知りたる者こそが霊的真理を求めるというのに、地上の知識の中に霊的真理を求めるのは何事か?

言葉は手がかりに過ぎない、真の意図を察するための……その、意図を察する力こそが霊性であり、その霊性を磨くことこそが、地上における魂の修行の目的である。

不自由な暮しの中で、いかに真実を選別し、吸収していくか。……満足するなかれ、囚人の有り様に。あなた方は不自由で、心貧しく、そして愚かだ。その惨めな境遇の中でベストを尽すからこそ、恵まれた境遇よりも遙かに早く向上するのである。

・・・・・・・

豊かな者は足りぬものに気が付かず、知りたる者は、知らざることに気が付かぬ。……惨めな人よ、その惨めさこそが、あなたが一番に誇りに思うべき事なのだ。

飛躍の可能性を秘めたる人よ、惨めな境遇は決してあなたを呪うものではなく、あなたを祝福するものなのだ。それに気が付いた人こそ幸いである。

知らぬ事も、出来ぬ事も、手の届かぬ事も……あなたが成長し、達成の悦びを知るための祝福なのだ。肉性に囚われたる囚人達よ、あなた方が牢獄と信じるのは祝福である。祝福に挫折し、祝福から目を背けて、囚人であることに幸福を求めてはならない。

たとえ、死後の生を信じぬ人であろうと、死した後にも自我の継続することに気づいたなら、誰もが天国を目指そうとする。……が。地上の生が牢獄であることに気がつかなかった者は、牢獄の天井を目指して、天国とは異なることに挫折する。

人は自由である。たとえ一時は幽閉を強いられるとしても。だが、自ら外に出ようとしない限りは、ずっと牢獄の中である。それこそが地縛であり、自縛である。

不足を素直に認めよ。そこから、真価の追求が始まる。

不自由を認識せよ、そこから自由への旅立ちが始まる。

人の弱さを理解せよ、そこから霊性の発揮が始まる。

限界を意識せよ、そこから進化が始まる。

貧しい自分、不自由な自分、無能な自分、それをどうすることも出来ない自分、霊性進化はそこから始まる。……そして豊かな者は、自由を過信する者は、己を誇るものは、限界に気がつかない者は、牢獄の中を踊り回っているだけであることに、死してもなかなか気がつかないのだ。

不平にしがみつくなかれ、不平は、不足を克服するための動機なのである。

不足に諦めるなかれ、不足は向上を促す仕組なのだ。


忙中小言有り

2007/03/13

2007年03月13日


手持ちの書籍の整理に手間取って、メールの返事もサイトの更新も滞っています。お返事が出来ずに申し訳ありません。

・・・・・・・

心霊を学び、修養を積んでいれば経験することですが、心を開けば、答が飛び込んできます。……ところが、長らく放置された問題に対して心を開けば、パニックを起しかねぬほど大量の答が飛び込んできます。

無理に解決しようとせず、一つずつ片づけていけば必ず片付くものですが、あいにくと私も読書が好きなものですから、どうしても手が止ってしまいます。……霊感がなくても出来る仕事に懸命になるのは本末転倒の感がありますが。

というわけで、私の耳元に届いた小言(一部は私宛、または、出しそびれた返事用)を纏めてみました。


本は程々に。

『地上でどれほど本を集めてみようとも、死して霊界に入れば、それが実につまらぬコレクションであることに気がつく。時にも場所にも縛られないのが霊界である。その図書館の豊かさは、地上と比べるなら日光とロウソクの灯火の差ほどもある。

『なれば死者と知識の量を比べることに意義があるか? 地上には地上でしか出来ぬ事がある。……行為をおろそかにしてまで知るべき事があろうか?

『無駄とはいわぬ、だが極端に走らぬように。知と行いとを両立させなければ、成果は得られぬ。どちらが欠けても後悔を招くのだ。』

 

辛ければ手を弛める

『不平不満を心に溜めた、醜い自分に気がつきながら、愚痴は三度までなら許されると、改めようとしない。

『是非を問うのではない。だが、それであなたは幸せか?

『不平不満が生じるから醜いというのではない。不満を溜めたままでいるから醜いというのだ。それであなたは幸せか?

『真剣に生きるから、真面目に努力するから、あなたは周囲とぶつかり腹が立つ。車だって、自転車だって、歩行中だって……前の人よりも速く進めばぶつかることに気がつきそうなもの。

『心に不満が生じるのは、あなたが焦っている証。もう少しゆっくりと生きなさい。……それでもなお、気が焦るなら、何か他のことを始めなさい。』

 

焦るから苦しむ

『試して上手く行かないものを、焦ってはなおのこと上手く行くはずもない。焦っているなら他人の忠告も耳に入らず、冷静でいれば気がつくはずのミスも見逃す。

『どんな知識も、行なえなければ役に立たない。知識を役に立てられなければあなたは役立たずだ。知と行いのバランス。あなたに必要なのは行うことだ。

『だが行うと聞けば、直ちに頭と身体を動かし始める。どうやってやろうか……と……考えながらも身体が動いている。

『だが、どんな時でも、一呼吸、二呼吸するヒマぐらいはあるものだ。まずは深呼吸、ついで、よく事態を見極め、タイミングを計って動き出せ。

『失敗が多いから、評価を取り戻そうとしてなお焦る。そして焦るからまたしくじる。……だから、本当に問題なのは、あなたの失敗ではなく、あなたの焦りなのだ。

『人が人である限り、失敗を無くすことは出来ないし、過去の失敗は消すことが出来ない。だが、焦ることは減らせるはずだし、その努力には手が届くはずである』

 

不安とは

『人は未来を予測できても、全ての事態を予測は出来ない。なるほど、人が不安になる要素はいくらでもある。だが、思いつく限りの悪しき要因は、解決や回避の努力が出来よう。

『それでも不安が残るとしたら、何が悪いのか?

『悩んでも仕方のないことを悩み続けて、どうなるのか? 不安に身がすくんで難にはまりはしないか? 難を避けそびれはしないか? 不安が災難を呼んではいないか? 不安が悪霊を招いてはいないか? 不安が不安を集めていないか?

『……そんなことは百も承知というか? よろしい。つまりあなたは、なぜ不安になるかが分らぬということだ。ならばきっと、問題は外にある。

『霊障……あるかも知れぬ。だが地上でもっとも良く目にする不安性は……かんしゃく持ちの親に育てられた心の傷だ。

『それは自分の不安なのか? 自分が取り組むべき不安なのか? 不安を感じていてはいけないのか? 不安だっていい、諦めて前に進むなら。不安だっていい、とにかく前に進めるなら。不安だっていい、希望を捨てずにいられるなら。不安だっていい、心の清さを大切に出来るなら。

『自分の心とケンカをするな。黙って受け入れて前に進め。前に進めば自信が身に付き、自信があれば、不安は自ずと去っていくのだから。自信を育てずに不安だけを追い出そうとするから、挫折するのだ。』


あれは八岐大蛇だ。

2007/02/22

2007年02月22日


 心霊研究会発足後の浅野和三郎氏の大本教批判は熾烈だ。が、太平洋戦争中の空襲被害や物資欠乏、さらには広島・長崎の原爆被害を知ってもなお、その筆は変らずにいるだろうか。興味のあるところだ。なるほど出口直氏のお筆先の表現は拙かったかも知れない。だが、その誠意が注がれている先を浅野氏が見通していたとは到底、言い得ないとおもう。

 大本教批判も、大本教擁護も、私の念頭にはなく、あえてこの話題は、霊界通信の奥の深さを指摘するに留める。高度な用語を多量に駆使しているからといって、その意図が高尚とは限らないし、幼稚な表現の短文が、えてして的確に真相を言表わしている場合もある。

……さて、結論からいえば、以下に紹介するのは、別段、高尚・高度な内容を紹介しようというのではなく、童話的表現だからといって看過してはいけないということである。


 テレビの報道番組で、中国の話題が取上げられていた。見ている私の霊耳に、かく聞えた。

『かの国等は「八岐大蛇」だ。信用ならぬ』

……いやぁ、古事記・日本書紀ですか?

『そうではない。一つに見えるが、顔・頭が沢山ある。つまり、誰と交渉して良いかが見えない国だ、ということだ。

『すべてがそうだとはいわぬが……ある頭と仲良くなっても、他の頭から狙われる。他の頭とも仲良くしようとすると、仲が良かった頭からも狙われる。全体の論理よりも派閥の論理が優先し、担当者が変れば方針も変る。

『交渉で相手の考えを変えようとしても、他の頭が邪魔をしてうまく行かない。何しろ、派閥抗争に忙しくて、対外的な妥協が出来ずにいるのだから、本質的に交渉の余地はない。かような状況では、相手に理性を求めるのは難しく、ただ、先方の内情が流れ着くままを受入れるしかあるまい。

『そういう内情を抱えていることを指して、「八岐大蛇」に例えたのである。いくら霊界の住人だといって、生きた八岐大蛇を見た事はなく、無意味にその名を使うこともない』

……なるほど、八つの頭、というより、たくさんの頭、一つ一つの頭にはそれなりに理知的な理由があるのだろうけれど、全体としてみると野獣の本能的な反応しかできない、ということ?

『軍事開発(衛星迎撃)が国際的批判の対象、それも軍事的脅威が問題ではなく、環境破壊が問題視されるなど、ナンセンスとしか言いようがない。国威を掲揚しているのだか、卑しめているのか。国を守っているのだか、食いつぶしているのだか……』

……かつての日本も、陸軍は中国と、海軍は米国と戦争を始めて、結局は負けたわけだけど……

『三人寄れば文殊の知恵、とは、助け合ってこその話である。意志の統一がうまく行かなければ、船頭多くして船山に上る、であろう。葛藤は自滅の第一歩だ。そして、葛藤は古今東西ありふれた事である。』

……ところで、北朝鮮の行動なども、八岐大蛇なのだろうか?

『あれは、虎の背に乗る、というべきだ。小心であるほど、一度走り出した席から降りる事も出来ない。皆おびえながら威張っている……相手がおびえている事に気がつかずに迎合する者もいる』


向上心の空回り

2007/01/22

2007年01月22日


Q 「向上したいといいながら、騒ぐばかりで、どうにも進歩のない人がいます。なぜ、こういう事になるのか? また、どう受止めればよいのでしょう?」

頭が滑る……やりたい事が多すぎて努力が追いついていない。気分は舞上がり、うまく行かぬから気が焦る。自分の力を一喜一憂するためだけに浪費し、夢を実現し、また、自己を向上させていくことにまで力が廻らない。そもそも、自己の向上という現実的な成果を求めている相手ではない。ただ、向上した自分の姿を思い浮べて良い気分に浸りたいだけである。

これは若さの持つ副作用の一つである。生気溢れる人は、呼吸しているだけでも幸せなものだ。と同時に、他にも幸せのあることを想像も出来ない。反対にコツコツと物事を為そうとすると、溢れる生気を持て余して苦痛を感じる。

Q 「発散がヘタ?」

こうもいえる。今までの人生を、ただ、親など、自分より上位にあるもの、優位にあるものへの対抗心(反抗ではない)で過してきた。……見下している、ともいえる。だが、見下した相手の真価に気づいた時、自分の本当の価値も知る。

たとえば養育されているときには、親の収入を内心侮蔑するが、いざ働こうとすると親の収入に敵わぬ事に打ちのめされる。誰かに侮辱されるのではない。自分が侮蔑してきた相手に、敵わぬ事で打ちのめされるのだ。

それまでは色々な人々を侮蔑することで発散していたが、侮蔑する相手を失って鬱屈してしまうのである。

その後の人生は大きく二種に別れよう。おまえが問題にするのは、その鬱屈した気持を「霊障である」と思いこむ者であるが、内心の侮蔑・対抗心を、あからさまな攻撃・反抗心に変じる者の方が圧倒的に多いだろう。

優越感に浸る間は、本心を隠すが、優越感を失った後は、見てくれに構うことなく利己的な行動に流されていく。

Q 「子供の頃は良い子だったのに……」

親を尊敬し服従していたのではなく、親を相手にしていなかったのだ。……むろん、誰もがあからさまな攻撃心を露にすることはないだろうが、見る限り、多くの者が親への侮蔑と現実の自分との差に苦しんでいる。

Q 「どう受止めればよいのでしょうか?」

若さのもたらす気分の高揚、溢れる生気に陰りが出れば、いやでも人は冷静に戻り、現実との妥協が当り前に受止められるようになってくる。時間に任せるのも一つの手ではあるが、当然それは莫大な後悔と共に生きることを意味する。だが、同情が必要であるのか?

Q 「確かに自業自得ではありますが、家族にすれば大変かと?」

かつては侮蔑し、今は憎んでいる相手の助言や親切さをどうして受入れようか? 今まで見下し、侮蔑してきた相手の親切ほど、イヤミなものはないだろう。一体、救いたいのか、報復したいのか?

Q 「上手に下手に出る、ぐらいでしょうか?」

取繕いは、たちどころに破綻する。……こういう子も、その親も、侮蔑し、侮蔑されていることに気が付かなかった罪を罰せられているのである。

価値あるもの、自らを生かすものを侮蔑する。限りある人、制約に縛られている存在が決してやってはならぬ事だ。その罪を許されるまで苦しみは無くならぬ。

Q 「何か話題が、とんでもない大事に転じた気がしますが」

だらしなく生きる、それは人として大切な何かを学び忘れたということである。それがどうして大事でないと思うのか?

大事なものが欠けているのだ。地上のものさし、つまり結果だけでその罪を判断すれば、さしたる罪には思えまいが、それはただ、手段を持たぬが故の結果である。歴史を振返れば、大事なものが欠けている(世襲の)君主等がどれほどの被害を社会に及したか。

この罪は重い。ただ、害が外に及ばぬ事だけが救いともいえる。

Q 「自らを生かすもの、助けるものを侮蔑する……大なり小なり人がやっている悪行ですね」

社会を汚し、環境を汚し、子孫の未来を汚している。……人々は過去の時代の人々を未開であると侮蔑するが、未来を汚すことにかけて、今の時代の人ほど悪辣な存在は無い。現代は霊性の暗黒時代である。……良い自分であろうとするが、未来を汚すことを止められないのだから。

Q 「皆同罪だと……」

そうまではいわぬ。ただ、害が少ないからと簡単に考えるな、ということである。また、家族がかわいそうだからと、安易な解決を求めるな、ということでもある。

だらしなく生きるすべての人が、だらしない心の持主であるとはいわぬ。病気もあるだろう。霊障もあるだろう。他にはいえぬ不都合もあるのだろう。

だが、溌溂と生きる人々であろうとも、未来を汚していることに気が付かぬ人が多い。

自分を生かしているもの……地球、環境、社会、家族もまたあてはまる。それらの大切さに気が付かずに生きることが、結局は自分の可能性を狭め、また未来を汚す大罪となるのだ。


何をしたいのか?

2007/01/01

何をしたいのか?

2007年01月01日


新年最初のメッセージには、明るい話題を選びたいと思った。すると返ってきた答が……

『新年が良い年であるなら、自分は幸せになれると思うのか?

『本当にやりたいことを持っている者なら、今年がどんな年であろうとも、為すべき事を為し、目的の実現に向かって進んでいくことであろう。そういう者等に与えるべきメッセージは、「夢が実現しますように」であって、「新年がよい年であるように」ではない。

『渡るべき川の流れが速ければ、流されぬのは望めまい。だが、どこに流れていくのか?

『どこに流れていくのか判らぬから、「良い年」を待ち続けるというのか?

『そうであるなら、今年もまた良い年ではない。いや、今年は特によい年ではない。』

『好景気といわれているが、その実体は、非効率を切り捨てての豊かさだ。不満の強い者を切り捨てて、幸福な者だけを幸福にする仕組が姿を現しているこの最中に、不満を抱くことの何と危ういことか。死ぬしか道がないのではない。死んでも道はないのである。』


「あとちょっと」という強欲

2006年01月03日

上記:「何をしたいのか?」のこと。

今日になり、ああ、この伏線か、と気がついたとき、続く言葉が聞こえてきた。


『多くの者は、「あとちょっと」「もうちょっと」を欲しがることを慎ましい願いと考えている。だが現在は過去という基礎の上に成り立っている。あとちょっと、もうちょっとはゆとりがあれば都合はついても、ギリギリの事であれば大事となる。

『たとえば20本入りのタバコの本数を2本増やすとする。小箱が変り、大箱が変り、箱が変われば箱のデザインも変り、流通の手間も変わる。受ける者にとってはちょっとした利益でしかなくても、与える側の手間は大事なのである。

『話題は地上の商いのことではない。霊界から地上を手助けする、その複雑な仕組の話題である。複雑になればなるほど、ちょっとの変更が大事になる。一体何をして欲しいのか。それを理解しているのだろうか人々は。いや、一体自分に必要な者を理解しているのか?

『欲に流され、事情に流され、流されていることを当たり前としながら、でも変化を求めるのか?

『今を作るのは過去、未来を作るのは今、そういう言葉を知ってもなお、それを活かそうとしない。忙しい忙しいと、辛い辛いと、その時々の手間を惜しんでは、明日に得る物が小さくなるのは無理もないこと。明日に多くを求めるなら、今努力すべきであるし、今の努力を惜しむなら明日はわずかで納得すべきものなのである。

『やり方を間違えたなら、努力が全て無駄になるのが「行為」が持つリスクであるのに、あとちょっとを求める強欲さが判らぬとは。もっと欲しいのであれば欲しい分の努力をすべきだ。

『もうちょっと欲しいのならば、やり方を変えねばならない。だがやり方を変えずに欲しがり、ちょっとだけなのだから寡欲であろうというのは何とも業が深い。』


嫌いな言葉

2006/12/30

2006年12月30日


私の背後霊が嫌う言葉遣いがある。助言に対して「だって、~~だから。」と、言い訳をすること……いや、むしろ、これを口癖にする人を嫌う。そして大抵の場合、助言を拒否されてしまう。

私がその言葉を苦にしないのは、要するに他人事だからだろう。と同時に、当事者の態度もまた興味本位なのではないか。……巧く行けばめっけ物、というか、奇蹟とまでは行かなくても興味深い話ではないか。

だがさすがに放置はまずいと思い至った。ダメな物なら事前にダメだと注意すべきが霊媒の義務であろうと思うのだ。

ところがこの件の調査は案外と手間取った。感情論が主であるのか、拒絶の念だけはたちどころに届くのに、その理由を尋ねるとどうも要領が得ない。で、色々な意見を積み重ねて要点を整理すると、

『原因を肯定するなら、黙って結果を受け入れろ。結果が気に入らないなら、原因を取り除け。……原因については「仕方ない」と受け入れているのに結果が気に入らないから何とかしろとはどういう事か。馬鹿にするのも程々にせよ。』

……と、まあ、かなり激しい。で、さらに探ると……いやこれは言葉としては得られなかったこを前提にするが、

『自分で原因を生み出しながら、それを何とかしろと願って、「巧く行けばめっけ物」と心の中で思うのはどういう事か。そんな者の相手をするよりも大切な仕事がいくらでもある』

……ここまで聞いて、さすがに拙いと感じた。仲介者が適切に誘導しないから至った結果だ。

祈る側に真剣さが足りない、その割には頻繁に、つまり安易に頼る。――それは必ずしも、信じていないからではない。頼ることを恐れているのだろう。周囲はそう感じられたとしても当人からしてみれば、案外真面目、または、比較的素直な心の現われなのだろうが、その心の在り方は危うい。……例えるなら、リスキーな投資先だ。

いや、私は、この疑問の発端となった質問者をかなり信頼しているが……すると、再び声が聞こえる。

『初心者に任せられる相手ではない。年長者が携わるほどの功徳の持ち主でもない。』

なるほどと思う。たとえば「自殺者の霊」に憑依されたりして自殺願望を持っている人から相談を受けても、「私は死にたいのです」等とネガティブな言語表現を使われたら、私は相手をしないだろう。当事者が逃げ腰なのに、赤の他人の私が、無料で本気になれるか、と思うのだ。それと同様だ。真剣味が足りない……いくら当人が真剣のつもりでも、しっかりと逃げ道を用意して、しかもそれに気がついていない。少なくとも、逃げ道を用意するための努力を、自分の真剣さと錯覚している。


酷い世の中だと思う。有料に誠意を感じて、無料に裏や下心を疑うなんて。

なるほど昔から「地獄の沙汰も金次第」とはいうが、金さえあれば天国に行けるという話を聞いたことはない。この差をお分かりだろうか? つまり、金さえあれば地獄のような状況でも楽が出来る、というだけであって、金持ちが天国に行けるという譬えではない。そもそも、貧しくて死にたがる人はありきたりではあるが、豊かで幸福だから死にたいという人を私は知らない。

そもそも、地獄で楽をするのと、天国で暮らすことの差を誰が知っているのだろう? いうまでもない、その差を知っているのは天国の住人だけだ。

死後に天国に行く者は沈黙し、地獄に堕ちる者は「皆楽」を口にする。……なんてことだろう。なんてことだろう。なんてことだろう。


正義漢

2006/12/23

2006年12月23日


買い物を済ませ、支払をしていると、ふと、レジ脇の注意書きに目が留まった。

「返品はレシートを添えて、食品は三日以内、その他の商品は七日以内にお持ち下さい」

なかなか時間に厳しい。と思った瞬間、私に言葉が流れ込む。歩きながらその要点を整理すると……


『物事の善悪には時機がある。善き行いのつもりが時機を失せば悪となる。普段は悪しく思えても時期が合えば善となりうる。

『発端が義憤であっても、しつこければ迷惑がられる。ましてや、事が終わってから大騒ぎしてどうなるのか? 為すべき事を為さずに、為せざる事を為そうとする。……成らぬ事に努力して空しくならないか? なる、当然空しく、悲しく、切なく、そして腹立たしくなるだろう?

『その一連の気持ちの動きは論理的意味づけが可能だろうが、たった一言で言い表すことも出来る。……人情

『有意義ではあるが、不毛なことを延々と続けて、悪念を振りまいている。……まるで悪臭製造器だが、一体誰がその後始末をするのか? 無駄に腹を立てて。

『それでもあなたは正義を欲するのか? ……稚拙さを棚に上げて? 自分の境遇には激しく憤るのに、他者の境遇にはただ同情を寄せて口を噤んでいるのに。

『どんなに綺麗な言葉で言い表そうとも、執着とわがまま、それが露骨に現われているなら、あなたにどんなに言い分が有ろうとも、それはあなた一人の戦いでしかない』


……別な霊がいう。

『気持ちの整理ぐらいは自分で行わなければ、誰に何を期待できるのでしょうか?』


真摯な態度

2006/12/22

2006年12月22日


先祖供養の大切さを説く霊媒は多い。だが私は、供養を強いるのは変だと思う。

『私に感謝しなさい!』……て、いわれて変には思わないか?

だから私は、先祖供養の代りに、日々の歓びを大切にするように人々に説く。日常の幸せの中で、もしも、

『ああ、これは自力では出来ないことだ。きっと天の助けに違いない』

と、感じられたのなら、それこそが感謝の発端、先祖供養の第一歩だと思うのだ。

……という私の理念は決して間違いではないと思うのだが……

突然、聞こえた。

『ダメです。』

え!? どうして。

『昔から勉強は形を真似ることから入ります。』

……つまり、私のやり方では怠惰に流れやすいと。

『流れていますよね、何人も。』

……あああああぁ。でも、方向性は間違っていないのではないかと!!

『上から押しつける形が、うまく働かないことは理解します。でも、やはり形を真似ることも大切です。少なくともその方が楽であることを認識すべきです。』

……でも、笛吹けど踊らずで。

『それだけで良いと思うのが、怠惰に流れるということです。』

……よく考えてみれば、それは私の問題じゃないぞ。

『まあ、各家庭の躾の問題ではありますが……』

……大の大人を躾直すなんて、当人から頼まれないか切りできないぞ!。

『……はぁ(ため息)』

逆転?

『だから人は、怠惰に流れて困るのです。足りない物に気がつこうともしない』


頭が悪いのか?

2006/12/04

2006年12月04日


最近の私は、仕事に対する不満を抱きやすい。仕事環境の変化も要因であろうが、精神統一中に、ふっ、と気が付かされたのは、適応能力の劣化……端的にいえば、老化の結果なのではないか、ということだ。

手に余る……が、自己責任の部分に気が付かないから、なおのこと他に対して不満が生じるのだ。たとえば周囲が揉め事を持込んでも、私にとって容易なことであるなら、黙って、(でも無意識には誇らしげ)に受止めることが出来たに違いない。自分には手に余ることを自覚していれば、それなりの工夫もあるだろう。重たい荷物は必ずしも抱えなければ成らぬわけではない。背負えば更に多くを運べる。運搬具をつかうという手もある。……何とか出来ると思うから、何とかしようとして、何とも出来ずに腹が立つのだ。

分相応にやればよい。……そうすれば気を乱す必要もない。

・・・・・・・

ところで、最近、脳力開発の書籍・ソフトウエアをよく見かける。需要が有るから供給があるのだろう。

むろん、脳の処理能力は大きい方がよい。ああ、ついでにPCも高性能のものが欲しい。PCが遅ければ、イライラしてしまう。いや、案外、新しいものを買えない財布の小ささにイライラするのか?……で、PCで何をするのかといえば、WINDOWS 付属の ソリテアにフリーセル。ちょっと気張らしに……が、ついついそちらが目的になって、気が付けば本業がおろそかになっている。なにより、アクセサリーソフトは高性能なPCを必要としない。

あるから使う、使うから……他がおろそかになる。この悪循環。

必要なのは頭の高性能さなのか? むしろ、真面目に頭を使うことの方が大切なのではないか?

そう思うと聞える囁き声……「イソップ寓話のウサギとカメ」

ああそうだ。子供でも知っているのに大人は忘れる。足が速くても怠け者のウサギは、勤勉なカメに追抜かれる。

むろん、脳の処理能力は大きい方がよい。だが、その処理速度を何に使うのだろう? 仕事を早く終らせて余技に専念するために……が、処理速度が速くなるほど余技が重大になって仕事が更におろそかになる。

たとえば酒飲みが、もう一杯飲んで止めようとする。だが、酒を飲めば自制心も麻痺して、更にもう一杯飲もうとするのを止めることが出来なくなる。……同様だ。本業以外に関心が向くのは、脳の欲求なのである。脳力が向上すればより脱線への誘惑が増すのに、能力向上を役立てることが出来るのだろうか?

穴の開いたバケツで水を汲む……だからイライラする。

で、大きな穴の開いた大きなバケツで水を汲む……更にイライラしないか?

例え小さくても穴の開いていないバケツの方がより効率よく水を汲めるかも知れないが、どうにも人は、「いざとなれば頑張るしかない」と、青臭い考えに潜む矛盾が見て取れない。……怠け者であることに罪悪感があるのか? だから反省し、真面目になるというのか?……怠け心が生じるのは、努力がバカバカしく思えた結果であると、想像することが出来ないのか?

だとしたら本当に間抜けだ。間抜けが間違った努力し、その挙句に自滅したとしたら、何とも自業自得だ。……自分の間抜けさに気が付かず、「こんなに努力しているのに!!」と、天を恨み、神仏を恨み、周囲を憎んで拗ねている人のなんと多いことか。

それでも、脳の処理能力は大きい方がよい。だが、処理速度を上げるだけでよいのか?

軽自動車にスポーツカーのエンジンを積むとする。……早くなるかも知れないが、ブレーキは利くのか? ブレーキが利かぬほど速く走って……ぶつかる。壁に突き当ったのか、壁を作ったのか、どちらだろう?

人生が巧くいかぬから、巧く生きられぬから、頭がよくなりたい、未来を知る力が欲しい、霊感が欲しい……経過があるから結果があるのに、経過を無視して結果を欲しがる。……それは天国への道なのか、地獄への助走なのか、どちらだろう?

・・・・・・・

知人等と連れだって、山寺を参拝した。私はめざとく仏像の頭を撫でている友人に気が付いた(気が付かされた)

「頭が良くなりたいの?(^^)」

「そりゃ~。ちゃんと決断できるようになりたいし。(–)」

……頭が良くなれば決断できるのか?

頭が良くなれば、色々なことに気が付いて、更に迷いを深めないか? いっそ、愚かで、流されて生きていれば決断する必要もないだろうに。

なまじ頭が良くて、決断することに責任を感じたりするから、自分の脳力を心配しなければならなくなる。ならばどうして、産まれてくるときにもっと良い頭を用意しておかなかったのか?

「選べるものなら選んださ……」

……自分ではどうにも出来ないことで悩んでどうするのか。そんな無駄なことに頭を使っていながら、自分の頭が悪いと悩む……確かに頭が悪いようだ。ただし、使い方が。

必要なのはハードウエアの向上か? ソフトウエアの改良か?

いや、今、為すべき事は何であるのか?

あなたは穴の開いたバケツで、いつまで水を汲続けるのか?……無駄なことに気が付くから、努力が嫌になるというのに。

・・・・・・・・

たとえば金遣いが荒い道楽者に、誰が金を貸すというのか?……無駄が多いのに、力が足りないからと助けを求める。だが、誰が無駄なことに援助したがるのか? より高みに登った者ほど、無駄を嫌うのは自明なことなのに。

無駄が多い人なら、どうして守護霊の助けを生かせるのか?

『背後の霊達は、穴を塞ぐことに懸命なのに、あなた方は、水を流し込むことに夢中である。』

進むばかりではなく、時には立ち止り、振返ったなら気が付くであろう事に、……気が付かない。足りないのは力ではなく、反省……より良い方法を見いだすための努力ではないか?

餓鬼のように生きる……それが地獄の境涯であることに気が付かず。

求めるよりもまずは無駄を減らすことが大切とは思えないか?……いや、なによりも無駄なのは、私の説明かも知れない。

今、あるものを上手に使いこなすこともなく、ただ不満をいう。……こういう人を手助けしても、「助けが足りない、まだ足りない、助けてくれているこいつは力不足で役に立たない」……と、助けを求める自分の不甲斐なさを棚上げして、感謝されるどころか、恨まれるのが落ちではないか?


優しいから迷う

2006年12月08日

頭が悪いのか? 」……で、取り上げた話題である。

『頭が良くなるように』と、願掛けをしている友人にそれが無駄であることを私は指摘した。

……頭が良いから迷う、悪ければ迷うこともない……

学識があればこそ、または、より多くの問題点を発見してしまうような明晰さを持っていればこそ、より迷わなければならないではないか。

逆に、自分の事は棚に上げて、他人の受売りで、他人の批判をしているような人は、果たして迷っているのだろうか? ただ、自分の業に流されて行き着くところに行くだけのこと。その様な「迷いの無さ」が、果たして第三者から見て幸せであるのかどうか。幸せなのは、他人を批判して喜んでいる当人だけであろう。

からかわれたと思ったのか、はたまた、迷いの中にいるのか、友人は私に問い返さなかったし、私も敢えては踏み込まなかった。

が……もう一人の参加者は、頭が良いのに良く迷う。というか、よくよく考えてみれば、オフ会の参加者中で、私が一番の低学歴者ではないか。……いや、学歴と頭の良さは別物という、慰めとも、言い訳とも取れることは他に置いておく。

で、帰り道には、迷いの深い某君をねちねちとイジメ、解散後に生じたちょっとしたアクシデントをネタに、また、ねちねちと「決断力……云々」と、イジメ……いや、いじっていたのだが、そういうイベントが一通り終わった後に、待ちかまえていたかのように、私の背後霊と、いじめ、いや、弄られた対象者の守護霊が、そろって現われて、私にこう指摘した。

『決断せぬ事が問題ではなく、どうして決断出来ないのかを究明すべきではないか?』

……うん。もっともだ。で、どうして決断出来ないのだろう?

『端的にいえば、真剣でないからだ。』

……はい。解決しました。さて○○君。みんなと旅行するときには、もうちょっと真剣になりましょう。

『非論理的な相手に対する、処世術もある。』

……をを! 私も学ばねばなりませんね。

『なによりも、大切なのは……あなたを大切に思うから、あなたにとって良いことを願うあまりに、決断出来ないのだ。』

……うう?

『どうでも良ければ、迷いはしない』

……屁理屈?

『いや、表面的な理由を並べたのだ』

・・・・・・・・

『人生の選択肢、つまり答はそう多くはない。複数の答があるとせよ、損得で並べ替えれば最善を選ぶことも出来る。……たとえ、思うとおりにならなくても、修正可能であれば充分である。

『たとえ、知識や経験不足から最善を見出し得なかったとしても、それを悔いる必要もあるまい。なぜなら、人は結果に対して、好き嫌いを抱くことは出来ても、実際の損得を計れる者が、地上のどこにいるのか? 計算上の最善値は、事故で消去されるかも知れないのだ。』

……たしかに。結果が出てみなければ、本当の評価は出ない。

『確かに彼の者は、お前から見れば決断力に劣るだろう。だが、本当に問題なのは決断なのか?

『最善を選ぶつもりでいても、物事には事情も絡む。思うとおりにいかぬなら、大切なのはむしろ、最善を追うよりも、最悪を避けることではないか? いや、お前もまた、最悪を避けようとして、別な案を提示したのであろう? 最悪を避けて。でも、最善を選べなかった点において、お前は非難する権利を失う。』

……いや、ああ……屁理屈は捨てよう。

『相手に決断を押しつけた結果ではなく、互いに、最悪を避けようとした結果なのである。その点を、もう少し評価してくれ。』

……確かにそれは分る。大切にするからこそ、切り捨てられないからこそ、優柔不断に見える人はいる。だが……

『判断力が不足しているのではなく、情が篤いのだといってくれ。真理を話すには、まずそれを踏まえなければなるまい……』

……それを踏まえて、話題は続く……


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