2006年12月04日
最近の私は、仕事に対する不満を抱きやすい。仕事環境の変化も要因であろうが、精神統一中に、ふっ、と気が付かされたのは、適応能力の劣化……端的にいえば、老化の結果なのではないか、ということだ。
手に余る……が、自己責任の部分に気が付かないから、なおのこと他に対して不満が生じるのだ。たとえば周囲が揉め事を持込んでも、私にとって容易なことであるなら、黙って、(でも無意識には誇らしげ)に受止めることが出来たに違いない。自分には手に余ることを自覚していれば、それなりの工夫もあるだろう。重たい荷物は必ずしも抱えなければ成らぬわけではない。背負えば更に多くを運べる。運搬具をつかうという手もある。……何とか出来ると思うから、何とかしようとして、何とも出来ずに腹が立つのだ。
分相応にやればよい。……そうすれば気を乱す必要もない。
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ところで、最近、脳力開発の書籍・ソフトウエアをよく見かける。需要が有るから供給があるのだろう。
むろん、脳の処理能力は大きい方がよい。ああ、ついでにPCも高性能のものが欲しい。PCが遅ければ、イライラしてしまう。いや、案外、新しいものを買えない財布の小ささにイライラするのか?……で、PCで何をするのかといえば、WINDOWS 付属の ソリテアにフリーセル。ちょっと気張らしに……が、ついついそちらが目的になって、気が付けば本業がおろそかになっている。なにより、アクセサリーソフトは高性能なPCを必要としない。
あるから使う、使うから……他がおろそかになる。この悪循環。
必要なのは頭の高性能さなのか? むしろ、真面目に頭を使うことの方が大切なのではないか?
そう思うと聞える囁き声……「イソップ寓話のウサギとカメ」
ああそうだ。子供でも知っているのに大人は忘れる。足が速くても怠け者のウサギは、勤勉なカメに追抜かれる。
むろん、脳の処理能力は大きい方がよい。だが、その処理速度を何に使うのだろう? 仕事を早く終らせて余技に専念するために……が、処理速度が速くなるほど余技が重大になって仕事が更におろそかになる。
たとえば酒飲みが、もう一杯飲んで止めようとする。だが、酒を飲めば自制心も麻痺して、更にもう一杯飲もうとするのを止めることが出来なくなる。……同様だ。本業以外に関心が向くのは、脳の欲求なのである。脳力が向上すればより脱線への誘惑が増すのに、能力向上を役立てることが出来るのだろうか?
穴の開いたバケツで水を汲む……だからイライラする。
で、大きな穴の開いた大きなバケツで水を汲む……更にイライラしないか?
例え小さくても穴の開いていないバケツの方がより効率よく水を汲めるかも知れないが、どうにも人は、「いざとなれば頑張るしかない」と、青臭い考えに潜む矛盾が見て取れない。……怠け者であることに罪悪感があるのか? だから反省し、真面目になるというのか?……怠け心が生じるのは、努力がバカバカしく思えた結果であると、想像することが出来ないのか?
だとしたら本当に間抜けだ。間抜けが間違った努力し、その挙句に自滅したとしたら、何とも自業自得だ。……自分の間抜けさに気が付かず、「こんなに努力しているのに!!」と、天を恨み、神仏を恨み、周囲を憎んで拗ねている人のなんと多いことか。
それでも、脳の処理能力は大きい方がよい。だが、処理速度を上げるだけでよいのか?
軽自動車にスポーツカーのエンジンを積むとする。……早くなるかも知れないが、ブレーキは利くのか? ブレーキが利かぬほど速く走って……ぶつかる。壁に突き当ったのか、壁を作ったのか、どちらだろう?
人生が巧くいかぬから、巧く生きられぬから、頭がよくなりたい、未来を知る力が欲しい、霊感が欲しい……経過があるから結果があるのに、経過を無視して結果を欲しがる。……それは天国への道なのか、地獄への助走なのか、どちらだろう?
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知人等と連れだって、山寺を参拝した。私はめざとく仏像の頭を撫でている友人に気が付いた(気が付かされた)
「頭が良くなりたいの?(^^)」
「そりゃ~。ちゃんと決断できるようになりたいし。(–)」
……頭が良くなれば決断できるのか?
頭が良くなれば、色々なことに気が付いて、更に迷いを深めないか? いっそ、愚かで、流されて生きていれば決断する必要もないだろうに。
なまじ頭が良くて、決断することに責任を感じたりするから、自分の脳力を心配しなければならなくなる。ならばどうして、産まれてくるときにもっと良い頭を用意しておかなかったのか?
「選べるものなら選んださ……」
……自分ではどうにも出来ないことで悩んでどうするのか。そんな無駄なことに頭を使っていながら、自分の頭が悪いと悩む……確かに頭が悪いようだ。ただし、使い方が。
必要なのはハードウエアの向上か? ソフトウエアの改良か?
いや、今、為すべき事は何であるのか?
あなたは穴の開いたバケツで、いつまで水を汲続けるのか?……無駄なことに気が付くから、努力が嫌になるというのに。
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たとえば金遣いが荒い道楽者に、誰が金を貸すというのか?……無駄が多いのに、力が足りないからと助けを求める。だが、誰が無駄なことに援助したがるのか? より高みに登った者ほど、無駄を嫌うのは自明なことなのに。
無駄が多い人なら、どうして守護霊の助けを生かせるのか?
『背後の霊達は、穴を塞ぐことに懸命なのに、あなた方は、水を流し込むことに夢中である。』
進むばかりではなく、時には立ち止り、振返ったなら気が付くであろう事に、……気が付かない。足りないのは力ではなく、反省……より良い方法を見いだすための努力ではないか?
餓鬼のように生きる……それが地獄の境涯であることに気が付かず。
求めるよりもまずは無駄を減らすことが大切とは思えないか?……いや、なによりも無駄なのは、私の説明かも知れない。
今、あるものを上手に使いこなすこともなく、ただ不満をいう。……こういう人を手助けしても、「助けが足りない、まだ足りない、助けてくれているこいつは力不足で役に立たない」……と、助けを求める自分の不甲斐なさを棚上げして、感謝されるどころか、恨まれるのが落ちではないか?
優しいから迷う
2006年12月08日
「頭が悪いのか? 」……で、取り上げた話題である。
『頭が良くなるように』と、願掛けをしている友人にそれが無駄であることを私は指摘した。
……頭が良いから迷う、悪ければ迷うこともない……
学識があればこそ、または、より多くの問題点を発見してしまうような明晰さを持っていればこそ、より迷わなければならないではないか。
逆に、自分の事は棚に上げて、他人の受売りで、他人の批判をしているような人は、果たして迷っているのだろうか? ただ、自分の業に流されて行き着くところに行くだけのこと。その様な「迷いの無さ」が、果たして第三者から見て幸せであるのかどうか。幸せなのは、他人を批判して喜んでいる当人だけであろう。
からかわれたと思ったのか、はたまた、迷いの中にいるのか、友人は私に問い返さなかったし、私も敢えては踏み込まなかった。
が……もう一人の参加者は、頭が良いのに良く迷う。というか、よくよく考えてみれば、オフ会の参加者中で、私が一番の低学歴者ではないか。……いや、学歴と頭の良さは別物という、慰めとも、言い訳とも取れることは他に置いておく。
で、帰り道には、迷いの深い某君をねちねちとイジメ、解散後に生じたちょっとしたアクシデントをネタに、また、ねちねちと「決断力……云々」と、イジメ……いや、いじっていたのだが、そういうイベントが一通り終わった後に、待ちかまえていたかのように、私の背後霊と、いじめ、いや、弄られた対象者の守護霊が、そろって現われて、私にこう指摘した。
『決断せぬ事が問題ではなく、どうして決断出来ないのかを究明すべきではないか?』
……うん。もっともだ。で、どうして決断出来ないのだろう?
『端的にいえば、真剣でないからだ。』
……はい。解決しました。さて○○君。みんなと旅行するときには、もうちょっと真剣になりましょう。
『非論理的な相手に対する、処世術もある。』
……をを! 私も学ばねばなりませんね。
『なによりも、大切なのは……あなたを大切に思うから、あなたにとって良いことを願うあまりに、決断出来ないのだ。』
……うう?
『どうでも良ければ、迷いはしない』
……屁理屈?
『いや、表面的な理由を並べたのだ』
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『人生の選択肢、つまり答はそう多くはない。複数の答があるとせよ、損得で並べ替えれば最善を選ぶことも出来る。……たとえ、思うとおりにならなくても、修正可能であれば充分である。
『たとえ、知識や経験不足から最善を見出し得なかったとしても、それを悔いる必要もあるまい。なぜなら、人は結果に対して、好き嫌いを抱くことは出来ても、実際の損得を計れる者が、地上のどこにいるのか? 計算上の最善値は、事故で消去されるかも知れないのだ。』
……たしかに。結果が出てみなければ、本当の評価は出ない。
『確かに彼の者は、お前から見れば決断力に劣るだろう。だが、本当に問題なのは決断なのか?
『最善を選ぶつもりでいても、物事には事情も絡む。思うとおりにいかぬなら、大切なのはむしろ、最善を追うよりも、最悪を避けることではないか? いや、お前もまた、最悪を避けようとして、別な案を提示したのであろう? 最悪を避けて。でも、最善を選べなかった点において、お前は非難する権利を失う。』
……いや、ああ……屁理屈は捨てよう。
『相手に決断を押しつけた結果ではなく、互いに、最悪を避けようとした結果なのである。その点を、もう少し評価してくれ。』
……確かにそれは分る。大切にするからこそ、切り捨てられないからこそ、優柔不断に見える人はいる。だが……
『判断力が不足しているのではなく、情が篤いのだといってくれ。真理を話すには、まずそれを踏まえなければなるまい……』
……それを踏まえて、話題は続く……