2007年01月22日
Q 「向上したいといいながら、騒ぐばかりで、どうにも進歩のない人がいます。なぜ、こういう事になるのか? また、どう受止めればよいのでしょう?」
頭が滑る……やりたい事が多すぎて努力が追いついていない。気分は舞上がり、うまく行かぬから気が焦る。自分の力を一喜一憂するためだけに浪費し、夢を実現し、また、自己を向上させていくことにまで力が廻らない。そもそも、自己の向上という現実的な成果を求めている相手ではない。ただ、向上した自分の姿を思い浮べて良い気分に浸りたいだけである。
これは若さの持つ副作用の一つである。生気溢れる人は、呼吸しているだけでも幸せなものだ。と同時に、他にも幸せのあることを想像も出来ない。反対にコツコツと物事を為そうとすると、溢れる生気を持て余して苦痛を感じる。
Q 「発散がヘタ?」
こうもいえる。今までの人生を、ただ、親など、自分より上位にあるもの、優位にあるものへの対抗心(反抗ではない)で過してきた。……見下している、ともいえる。だが、見下した相手の真価に気づいた時、自分の本当の価値も知る。
たとえば養育されているときには、親の収入を内心侮蔑するが、いざ働こうとすると親の収入に敵わぬ事に打ちのめされる。誰かに侮辱されるのではない。自分が侮蔑してきた相手に、敵わぬ事で打ちのめされるのだ。
それまでは色々な人々を侮蔑することで発散していたが、侮蔑する相手を失って鬱屈してしまうのである。
その後の人生は大きく二種に別れよう。おまえが問題にするのは、その鬱屈した気持を「霊障である」と思いこむ者であるが、内心の侮蔑・対抗心を、あからさまな攻撃・反抗心に変じる者の方が圧倒的に多いだろう。
優越感に浸る間は、本心を隠すが、優越感を失った後は、見てくれに構うことなく利己的な行動に流されていく。
Q 「子供の頃は良い子だったのに……」
親を尊敬し服従していたのではなく、親を相手にしていなかったのだ。……むろん、誰もがあからさまな攻撃心を露にすることはないだろうが、見る限り、多くの者が親への侮蔑と現実の自分との差に苦しんでいる。
Q 「どう受止めればよいのでしょうか?」
若さのもたらす気分の高揚、溢れる生気に陰りが出れば、いやでも人は冷静に戻り、現実との妥協が当り前に受止められるようになってくる。時間に任せるのも一つの手ではあるが、当然それは莫大な後悔と共に生きることを意味する。だが、同情が必要であるのか?
Q 「確かに自業自得ではありますが、家族にすれば大変かと?」
かつては侮蔑し、今は憎んでいる相手の助言や親切さをどうして受入れようか? 今まで見下し、侮蔑してきた相手の親切ほど、イヤミなものはないだろう。一体、救いたいのか、報復したいのか?
Q 「上手に下手に出る、ぐらいでしょうか?」
取繕いは、たちどころに破綻する。……こういう子も、その親も、侮蔑し、侮蔑されていることに気が付かなかった罪を罰せられているのである。
価値あるもの、自らを生かすものを侮蔑する。限りある人、制約に縛られている存在が決してやってはならぬ事だ。その罪を許されるまで苦しみは無くならぬ。
Q 「何か話題が、とんでもない大事に転じた気がしますが」
だらしなく生きる、それは人として大切な何かを学び忘れたということである。それがどうして大事でないと思うのか?
大事なものが欠けているのだ。地上のものさし、つまり結果だけでその罪を判断すれば、さしたる罪には思えまいが、それはただ、手段を持たぬが故の結果である。歴史を振返れば、大事なものが欠けている(世襲の)君主等がどれほどの被害を社会に及したか。
この罪は重い。ただ、害が外に及ばぬ事だけが救いともいえる。
Q 「自らを生かすもの、助けるものを侮蔑する……大なり小なり人がやっている悪行ですね」
社会を汚し、環境を汚し、子孫の未来を汚している。……人々は過去の時代の人々を未開であると侮蔑するが、未来を汚すことにかけて、今の時代の人ほど悪辣な存在は無い。現代は霊性の暗黒時代である。……良い自分であろうとするが、未来を汚すことを止められないのだから。
Q 「皆同罪だと……」
そうまではいわぬ。ただ、害が少ないからと簡単に考えるな、ということである。また、家族がかわいそうだからと、安易な解決を求めるな、ということでもある。
だらしなく生きるすべての人が、だらしない心の持主であるとはいわぬ。病気もあるだろう。霊障もあるだろう。他にはいえぬ不都合もあるのだろう。
だが、溌溂と生きる人々であろうとも、未来を汚していることに気が付かぬ人が多い。
自分を生かしているもの……地球、環境、社会、家族もまたあてはまる。それらの大切さに気が付かずに生きることが、結局は自分の可能性を狭め、また未来を汚す大罪となるのだ。