‘幽明の道標’ カテゴリーのアーカイブ

進むべき道

2010/05/09

 なぜに人は、善事を言い訳に使おうとするか。

 善き事は、素直に行うが故に汝を救うというのに。

 悪事を行うのも人。そして、善事を行う人も利己の亡者。

 ならば世の中は誰が救うというのか。

 あなたは利己心で人が救えると想うか。本当に救えると想うのか。

 僅かな経験から・・・ああ、人は僅か百年ほども生きるのが難しいというのに。・・・安易に正義を見下して。

・・・・・・・

 苦しければこそ、人は正しく生きずして、その魂が何処に行くというのか。

 当たり前のことを、当たり前に行うために、助けが、賛同者が、必要なのが人間・・・

 心寂しく、悪魔に求められずとも進んで魂を差し出す亡者が人間。

・・・・・・・

 隷属すべき悪魔を探すその前に・・・有りもしない恐れに焦り、必要のない争いのその前に降伏しようとする人々よ。正しく生きよ。

 

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言わなきゃ判らぬようでは・・・

2010/05/01

 まあ、他者には妄想の一種とみなされるかもしれないし、反対に無条件で神聖視してくださる方もいるかも知れない。が、肝心なのはその内容の価値である。意味を汲んでいただければ私にとって幸いで、これをただの霊界物語と受け取られるのは、残念である。または・・・嫌味と受け止められるのは・・・迷惑だ。

・・・・・・・

 入浴中に、ふっと霊視のスイッチが入った。・・・今日は時間があると見越してのことだろう。

 正面には女神と思しき女性(高松塚古墳壁画にある女性のような衣服を着て、優しそうな雰囲気とともに威厳をたたえている)が静坐している。なお、私には見知らぬ若い男性の声で、『アグラの反対の正座、ではなく、静坐である。』と、解説が聞こえたのだが、衣服で足は見えず、体勢的に正座と静坐の違いは分からなかった。ましてやその心境・境涯の差など・・・いや脱線した。

 どうも私は、ある男性(死者)の役(別な表現をすれば、私はその死者の霊に憑依して視点を共有している)であるらしい。

・・・・・・・

男 『私が考えておりますことを、説明させていただけば・・・』

 女性が右手を上げて押し止める。

女 『言(解説)わねば判らぬことなら、(あなたの考えは)無意味です。』・・・括弧内は私が感じ取ったニュアンスである。つまり霊聴的に聞き取ったのは「言わねば判らぬことなら、無意味です。」である。 そして男はうなだれて消え去った。

 光景が代わり、女神(? 相手が名乗るわけでなし、とりあえず保留するが)が、私に解説を試みる。

・・・・・・・

 (あなた方の言う)「死後の世界」とは、 意念の世界、つまり、思うことが形になる世界です。正しい思念は形態を持って発現し、霊たちはそれを実存として感じとります。しかし、矛盾・稚拙な思念であればそれは確固たる形態を表さずに煙のように漂い、その(意の)動機次第で、(それなりに)良い雰囲気を醸し出しもすれば、不快な雰囲気を周囲に拡げもします。

 ですから、きちんとした形態をとらぬ意念など、語るに値せず、育てる価値もありません。強いていうなら、それは持ち主の修行の必要、むしろ、妄想との決別こそが必要であって、その意とするところ、その考えはまるでゴミのようなものです。

 (私の拒絶は相手に対して)「語るにふさわしい人たれ」という意もありますが、「語るにふさわしい人たれ」とは同時に、「そういう内容の話をするようでは駄目だ」という意でもあります。

 あなた(がた)が、自分の思いを(地上・物質界)に実現しようと努力なさるのは結構です。ですが、「思い」は、その人の「人となり」のものであって、「思いを実現出来ない人」というのは、往々、努力が足りないというより、その思うところが間違っている、実現努力よりも、自己研鑽が必要、ということなのです。

 果たして自分に足りないのは、実現努力か、自己研鑽か、という判断は、なかなか自分自身ではつかないものですが、第三者にはひとつのヒントが有ります。

 失敗から学べる人か、同じ失敗を繰り返す人か、ということです。さらには、反省出来る他人に思えても、ある分野では失敗を繰り返すことを、地上の人々が決して免れぬことに留意すると良いでしょう。

 それは善し悪しの問題と受け止めると、反省を誤ります。心霊家は往々、地上生活を学校に例えますが、地上生活は得点を競う場ではなく、失点を減らしてようやく前に進める仕組みなのです。・・・そうであればどう生きるか、どう生きるべきか、いや、何をしてはいけないか、ということが自ずと解ってくることでしょう。

 その上で、周囲の人々を見て、どうも納得が行かない(なぜあの人は・・・)事例は決して少なくないことでしょうが、それは心霊家が当たり前に知っておくべきことに解明の糸口があります。

 「地上を修業の場にしているのは誰か?」……または……「何をもって修行・向上と呼ぶか。」……ということです。 この答えは、己一人で生きているつもりの方々には解けぬ問題でも有ります。

 もしくは・・・人生の課題は、次々と解いていく人もあれば、ひとつも解けない人がいる、ということでも有ります。それでも良いのです。なぜなら…… 「地上を修業の場にしているのは誰か?」……または……「何をもって修行・向上と呼ぶか。」……人は正しい行いからのみ、学ぶわけでは有りません。むしろ過ち、または、悪事の反省から、人はより深く、善行の大切さと、悪の不毛さを学ぶのです。

 世の中には、無駄なものは有りません。ただ、人々には、その価値がわからぬものが多数あるというだけのことです。・・・その事に気づいたあなたは、さらにもう一歩前に進めます。・・・人には学びたくても学べないものが実に多い。……ならばどうするか、どうすべきか、そして、何が出来るか。

 人生は学び尽くせぬ課題です。学び尽くせぬことに気づかぬ人がつまり先に進めぬ者であり、学び尽くせぬことを知る人がつまり、永遠を知る者です。

 永遠は遠い。・・・その遠さを目にしてもなお、不安に陥らぬ人は、一体何を自信の源としているのか。

 自信の源泉を掘り当てた人だけが目にする真実が有ります。それを大切にして下さい。


文字が欠けても敬意は伝わる

2010/03/29

私事多忙で、メールの返事が遅れがちになる。一応、優先順位をつけて、悩み事関連のメールはなるべく早く返事をするようにしてはいるが・・・・・・

礼状メールが来て・・・・・・礼状ならば返事は無用か、と思っていたら、私(老神)の名前を呼び捨てにしていた、からと詫び状が届いた。

詫び状には速やかに返事を書かねば、相手を心配させてしまうだろう、と思いつつも、家を開ける用事があってしばらく返事が出来なかった。

まあ、私からの返事を推敲する時間はたっぷりあるわけで、色々考えていたら、背後から助け舟が出た。

『文字が欠けても敬意は伝わるが、侮蔑は文字が多いほどよく伝わる。』

敬意あってのメールならば文字が多少かけても読み手は勝手に、それこそ脳内補正をしてきちんと意味が伝わります。 反対に、悪口メールや非難メールであれば、文字が欠けると相手にきちんと伝わらないかもしれません。それこそ欠けている部分に脳内補正をして相手に都合よく解釈されてしまうかもしれません。

・・・・・・ いやべつに、正しい非難メールを送って欲しいわけではありませんが。

カルマ・頑張ってもダメなら!?

2010/02/28

2010年 2月 27日


 入浴中に女性の霊から話しかけられた。興味深いが、概要を聞いているうちに心配になってきた。話を曲解する人が出ないか? ……この通信霊に相談したところ、「半年ほど寝かせておけば」というので、忘れても困るし、とりあえずパスワード保護をして公開することとした。

 とはいえ、勿体振るほどの内容でもない。俗に言う、口伝に属する話題である。

 つまり、当たり前な内容であるのに、気がつかない人は気がつかず、気付く準備の出来ている人にのみ有益な内容なのである。 そして下書き後に気がついた。もとより読み手を選ぶ内容であるから、別に隠すほどの話ではない。というわけで、一時パスワード保護をしたが、一般公開に変更した。


 とても叶えたい願いがあるのに、頑張っても上手くいかない。 ……だからもっと頑張る。

 さらに頑張って上手く行くならそれで良し。だが上手くいかなければ? ……さらに頑張る?

 まあ、口先ばかりの横着者ならば、そういう選択もある。 だが、物事には程々(ほどほど)が有る。のんびりしても、また、焦っても上手くいかないことは決して少なくない。

 さて、果たして努力が足りなかったのか。それとも急ぎすぎたのか。または、焦りすぎたのか。 つまりは、1、もっと頑張るべきか、 2、少し落ち着くべきか……さて、どちらだろう?

  この二つの見極めがとても大切なのは言うまでもない。なにしろ、同じ目標に正反対の二つの選択肢が有るのだから。 だが念のため。

 私は上に例題を掲げたのではなく、ただ単に選択肢の存在を示したのみである。つまり、状況に応じて努力の程度、速度を調節している人であるなら、わざわざ指摘するまでもない話であり、それを例題として受け止め、どちらだろう、等と考えた人であれば、上述の二つの選択、つまり、頑張るか、落ち着くか、という話以前に心に止めて置くべき話がある。……その話こそが本題だ。

   もっと頑張るべき……のんびり屋も

   落ち着くべき……焦り屋も 共に気付くべきことが有る。

あなたは、理・知以外の何に振り回されて ……いるのか?

 さらにいえば、願いの成就に最適な方法を取れないあなたは……果たして何のために努力しているのだろう?

 苦しまない生き方が有るとしても、苦しむ人は苦しむ。結局、自分で選んでいるのである。

「イヤ、私は苦しむつもりなどない!!」と、あえて言う人もいるだろうが、知る人ぞ知る……私が問題として指摘しているのは、「苦しまないようにしようと努力して、でも、苦しむのは何故か?」という、いつもの話題なのである。

最もいつもの通り、結論は出さないが。

 私がここに結論的な意見を書き留めなくても、気付く人は直して不幸を退け、気づかぬ人は私が結論づけても気付くことはない。

 その差は実に、自分の努力で答えを見つけるか、他者の努力、ひいては実力以上の答えを求めるかの違いなのだが……自分の器量・実力を知っているものなら、誤るはずのない選択……端的にいえば、世の中には、得られるはずのないものを追いかける定めの人がいると言うことでもある。 すると、気づいた人には夢との決別が必要であり、気づかぬ人には、さらなる苦しみが未来、いや気づかぬだけで足下にすでに危機があるのだろう。


 

 

 

 嫌味のようで申し訳ないが……もう少し付け加える。 いわゆる苦しみには、(成功に至る道の)過程の苦しみと、(至らぬさ故の)結果としての苦しみがある。……あなたの苦しみは、そのどちらであろう?

 言うまでもなく、過程の苦しみはいずれ報われ、結果としての苦しみは、改めることなければ消えることのなく、地獄の亡者の苦しみと同種のもので、死後も苦しみが続く。

 あなたは何のために苦しむのか……正しい努力の結果として幸せを得るためか、はたまた、姑息・あくどい手段で幸せをつかみそこねるためか?


 まあ、悩むのも青春の内か?

新作・人の幸せが辛い

2010/01/15

   久しぶりに、かつての常連からメールを受けた。いろいろと悩んでいる様子だが、これまた久しぶりに盧氏が答えるという。

・・・・・・・

Q 「悩んでこういう時だけメールするなんて都合良いですか?」

A 『真の悩みに会ってこそ、真に相談することが出来る。汝のかつての質問には虚飾が少なからずあった。』

 

Q 「私は寂しがり屋です。そのくせ強がりで嘘つきで頑固で弱虫なんです。そして、また『もがいて』ます。」

A 『人を見る目の無いこと――汝の欠点はただ一つである。真に頼りになるものを知らずにいるから、寂しく、弱い。知らずにいるから、強がらねばならず、嘘をつかねばならず、頑固にならねばならず・・・だが、自分の行くべき道を知るから、もがかずにいられない。』

 

Q 「正しく生きる事と、生きていく上で生まれてくる醜い感情との板挟みです。」

A 『誰にとって正しい生き方か? 汝が行き詰まっているのは他人と自分の価値観との間である。今、汝が良かれと思う生き方は、果たして汝を幸せにするのか、こんなにも苦しめられているのに。』

 

Q 「弱い人間って周りの人間も傷つけるんですね。自分が弱いばっかりに親友を傷つけました。大好きな友達も彼も傷つけました。」

A 『未練――守ろうとしてもがく。だが、何を守っているのか? 本当に守っているのか? 守れているのか? 実は傷つけていないか?』

 

Q 「自分が置いていかれる気がして周りの幸せを心から祈ってあげられないなんて心が狭いですよね。自分に自信が持てないんです。」

A 『才能と境遇との板ばさみ――誰があなたを苦しめているのか? 苦しめているのは幸せな誰かではない。不幸せなあなただ。』

  『なぜもがくのか? その状況から逃れる方法を知らぬからだ。あなたは、何と戦うべきかに気づいていない。あなたは自分を苦しめている者を守ろうとして、自分を救う者を苦しめている。なぜなら、あなたは賢く、賢いが故に直ちに答えを見、その答えに直ちに飛びつく。だがそれは安易な答えだ。』

  『なぜそれを安易な答えというか。・・・なぜなら、あなたの得る答えなるものは、ただ、あなただけの幸せに続いているからだ。――すべてを幸せにしないような答えは、真の答えにあらず。』
  『他者の幸せを思ってこそ、真の幸せを得られる。それは一見回りくどく思えるかもしれなが、他者から幸福を願われぬ人はなかなか幸せにはなれぬものだ。自分の幸せを求めて、他者の幸せを祈るのは決して遠回りではない。……愚直な生き方は、あなたが思うほど格好の悪いものだろうか?』
 

 

(新作) 緊張するのは当たり前

2010/01/12

 多くの人は120%の自分を求めているようだ。つまり、実力+何かの助け、である。私が心霊を学び、知ったのは、人がいかに多くの無駄を抱えながら生きているか、ということで、外部の助けを求める以前にまず、自分の無駄を減らすことが大切だ、と思う。つまり、100%の自分こそが、私の目標である。

 基礎がしっかりしていればこそ立派な建物が建てられるのたとえと同様、自分がだらしなければ外部の援助を生かすことが出来ない。・・・かつて、心霊相談に応じていた頃に私は痛切に、人としての基礎の大切さを思った。助けを求めながらも、信じることが出来ずに助言を生かすことの出来ない人が決して少なくない。・・・そもそも自分が折れてしまうなら、誰かの助けがあっても、折れずには居れまい?

 故に、まずは自分の力を充分に発揮することが大切だと思う。

 ところで、なにゆえ自分の力を発揮するよりも、他者の助けを求める人が少なくないか、を、考えると、「自分を嫌っているのでは?」と思えるのだ。

 自分の人生、自分を嫌い、自分と抗っていては、さぞかし辛かろうと思うのだが・・・

・・・・・・・

 緊張する。

 1月の東京オフ会に、初参加者があって、案内状の返事に、「少し緊張しそうです。」とあった。まあ、緊張するのは人間の生理現象であって避けることは出来ないだろうが、普段のオフ会の状況を知らせることで、参加前の緊張を少しでも解そうと、再度メールをした。そしてオフ会当日、会場に向かう電車内でメッセージを受けた。

『面識の無い人と、行ったことの無い場所で会うのですから 緊張するのは当たり前、ただの生理現象に過ぎません。でも、その緊張をイヤだと思い、緊張する自分を恥ずかしいと思うのは、自分を味方と信じていないことではありませんか。真剣だからこそ緊張するのだ、と、むしろ誇らしく思って欲しいものです。』

・・・オフ会後、この参加者から以下のようなコメントを頂いた。

「最近やっと自分が幸せにならない事には周りを幸せには出来ないと思えてきた所だったので心配しなくて良いと言ってもらいとても安心しました。」・・・もちろん、自分を犠牲にしてでも、家族の幸せを心配する人だからこそ、「まず自分を幸せにしなさい」と言われるわけですが、これは同時に、実力を十分発揮出来てこそ、出来る事がある、という意味でもあります。


 

 

 

新年を迎えて(2010年)

2010/01/01

新年、あけましておめでとうございます。

皆様にとって、本年が飛躍の年でありますように。

また、忙しいさ中にも、自分らしさを失わない年でありますように。

 

自分の強さを誇る人よりも、自分の弱さと向き合える人にこそ、新しい年が、飛躍の年でありますように。

自分を味方に。反省を力に・・・助けを求める事よりも、自分の本来の力が発揮出来ますように。

当たり前のものを大切にし、他に目を奪われぬ自信を胸に・・・あなたが常に真実と共にありますように。

 

 

あれは八岐大蛇だ。

2007/02/22

2007年02月22日


 心霊研究会発足後の浅野和三郎氏の大本教批判は熾烈だ。が、太平洋戦争中の空襲被害や物資欠乏、さらには広島・長崎の原爆被害を知ってもなお、その筆は変らずにいるだろうか。興味のあるところだ。なるほど出口直氏のお筆先の表現は拙かったかも知れない。だが、その誠意が注がれている先を浅野氏が見通していたとは到底、言い得ないとおもう。

 大本教批判も、大本教擁護も、私の念頭にはなく、あえてこの話題は、霊界通信の奥の深さを指摘するに留める。高度な用語を多量に駆使しているからといって、その意図が高尚とは限らないし、幼稚な表現の短文が、えてして的確に真相を言表わしている場合もある。

……さて、結論からいえば、以下に紹介するのは、別段、高尚・高度な内容を紹介しようというのではなく、童話的表現だからといって看過してはいけないということである。


 テレビの報道番組で、中国の話題が取上げられていた。見ている私の霊耳に、かく聞えた。

『かの国等は「八岐大蛇」だ。信用ならぬ』

……いやぁ、古事記・日本書紀ですか?

『そうではない。一つに見えるが、顔・頭が沢山ある。つまり、誰と交渉して良いかが見えない国だ、ということだ。

『すべてがそうだとはいわぬが……ある頭と仲良くなっても、他の頭から狙われる。他の頭とも仲良くしようとすると、仲が良かった頭からも狙われる。全体の論理よりも派閥の論理が優先し、担当者が変れば方針も変る。

『交渉で相手の考えを変えようとしても、他の頭が邪魔をしてうまく行かない。何しろ、派閥抗争に忙しくて、対外的な妥協が出来ずにいるのだから、本質的に交渉の余地はない。かような状況では、相手に理性を求めるのは難しく、ただ、先方の内情が流れ着くままを受入れるしかあるまい。

『そういう内情を抱えていることを指して、「八岐大蛇」に例えたのである。いくら霊界の住人だといって、生きた八岐大蛇を見た事はなく、無意味にその名を使うこともない』

……なるほど、八つの頭、というより、たくさんの頭、一つ一つの頭にはそれなりに理知的な理由があるのだろうけれど、全体としてみると野獣の本能的な反応しかできない、ということ?

『軍事開発(衛星迎撃)が国際的批判の対象、それも軍事的脅威が問題ではなく、環境破壊が問題視されるなど、ナンセンスとしか言いようがない。国威を掲揚しているのだか、卑しめているのか。国を守っているのだか、食いつぶしているのだか……』

……かつての日本も、陸軍は中国と、海軍は米国と戦争を始めて、結局は負けたわけだけど……

『三人寄れば文殊の知恵、とは、助け合ってこその話である。意志の統一がうまく行かなければ、船頭多くして船山に上る、であろう。葛藤は自滅の第一歩だ。そして、葛藤は古今東西ありふれた事である。』

……ところで、北朝鮮の行動なども、八岐大蛇なのだろうか?

『あれは、虎の背に乗る、というべきだ。小心であるほど、一度走り出した席から降りる事も出来ない。皆おびえながら威張っている……相手がおびえている事に気がつかずに迎合する者もいる』


向上心の空回り

2007/01/22

2007年01月22日


Q 「向上したいといいながら、騒ぐばかりで、どうにも進歩のない人がいます。なぜ、こういう事になるのか? また、どう受止めればよいのでしょう?」

頭が滑る……やりたい事が多すぎて努力が追いついていない。気分は舞上がり、うまく行かぬから気が焦る。自分の力を一喜一憂するためだけに浪費し、夢を実現し、また、自己を向上させていくことにまで力が廻らない。そもそも、自己の向上という現実的な成果を求めている相手ではない。ただ、向上した自分の姿を思い浮べて良い気分に浸りたいだけである。

これは若さの持つ副作用の一つである。生気溢れる人は、呼吸しているだけでも幸せなものだ。と同時に、他にも幸せのあることを想像も出来ない。反対にコツコツと物事を為そうとすると、溢れる生気を持て余して苦痛を感じる。

Q 「発散がヘタ?」

こうもいえる。今までの人生を、ただ、親など、自分より上位にあるもの、優位にあるものへの対抗心(反抗ではない)で過してきた。……見下している、ともいえる。だが、見下した相手の真価に気づいた時、自分の本当の価値も知る。

たとえば養育されているときには、親の収入を内心侮蔑するが、いざ働こうとすると親の収入に敵わぬ事に打ちのめされる。誰かに侮辱されるのではない。自分が侮蔑してきた相手に、敵わぬ事で打ちのめされるのだ。

それまでは色々な人々を侮蔑することで発散していたが、侮蔑する相手を失って鬱屈してしまうのである。

その後の人生は大きく二種に別れよう。おまえが問題にするのは、その鬱屈した気持を「霊障である」と思いこむ者であるが、内心の侮蔑・対抗心を、あからさまな攻撃・反抗心に変じる者の方が圧倒的に多いだろう。

優越感に浸る間は、本心を隠すが、優越感を失った後は、見てくれに構うことなく利己的な行動に流されていく。

Q 「子供の頃は良い子だったのに……」

親を尊敬し服従していたのではなく、親を相手にしていなかったのだ。……むろん、誰もがあからさまな攻撃心を露にすることはないだろうが、見る限り、多くの者が親への侮蔑と現実の自分との差に苦しんでいる。

Q 「どう受止めればよいのでしょうか?」

若さのもたらす気分の高揚、溢れる生気に陰りが出れば、いやでも人は冷静に戻り、現実との妥協が当り前に受止められるようになってくる。時間に任せるのも一つの手ではあるが、当然それは莫大な後悔と共に生きることを意味する。だが、同情が必要であるのか?

Q 「確かに自業自得ではありますが、家族にすれば大変かと?」

かつては侮蔑し、今は憎んでいる相手の助言や親切さをどうして受入れようか? 今まで見下し、侮蔑してきた相手の親切ほど、イヤミなものはないだろう。一体、救いたいのか、報復したいのか?

Q 「上手に下手に出る、ぐらいでしょうか?」

取繕いは、たちどころに破綻する。……こういう子も、その親も、侮蔑し、侮蔑されていることに気が付かなかった罪を罰せられているのである。

価値あるもの、自らを生かすものを侮蔑する。限りある人、制約に縛られている存在が決してやってはならぬ事だ。その罪を許されるまで苦しみは無くならぬ。

Q 「何か話題が、とんでもない大事に転じた気がしますが」

だらしなく生きる、それは人として大切な何かを学び忘れたということである。それがどうして大事でないと思うのか?

大事なものが欠けているのだ。地上のものさし、つまり結果だけでその罪を判断すれば、さしたる罪には思えまいが、それはただ、手段を持たぬが故の結果である。歴史を振返れば、大事なものが欠けている(世襲の)君主等がどれほどの被害を社会に及したか。

この罪は重い。ただ、害が外に及ばぬ事だけが救いともいえる。

Q 「自らを生かすもの、助けるものを侮蔑する……大なり小なり人がやっている悪行ですね」

社会を汚し、環境を汚し、子孫の未来を汚している。……人々は過去の時代の人々を未開であると侮蔑するが、未来を汚すことにかけて、今の時代の人ほど悪辣な存在は無い。現代は霊性の暗黒時代である。……良い自分であろうとするが、未来を汚すことを止められないのだから。

Q 「皆同罪だと……」

そうまではいわぬ。ただ、害が少ないからと簡単に考えるな、ということである。また、家族がかわいそうだからと、安易な解決を求めるな、ということでもある。

だらしなく生きるすべての人が、だらしない心の持主であるとはいわぬ。病気もあるだろう。霊障もあるだろう。他にはいえぬ不都合もあるのだろう。

だが、溌溂と生きる人々であろうとも、未来を汚していることに気が付かぬ人が多い。

自分を生かしているもの……地球、環境、社会、家族もまたあてはまる。それらの大切さに気が付かずに生きることが、結局は自分の可能性を狭め、また未来を汚す大罪となるのだ。


何をしたいのか?

2007/01/01

何をしたいのか?

2007年01月01日


新年最初のメッセージには、明るい話題を選びたいと思った。すると返ってきた答が……

『新年が良い年であるなら、自分は幸せになれると思うのか?

『本当にやりたいことを持っている者なら、今年がどんな年であろうとも、為すべき事を為し、目的の実現に向かって進んでいくことであろう。そういう者等に与えるべきメッセージは、「夢が実現しますように」であって、「新年がよい年であるように」ではない。

『渡るべき川の流れが速ければ、流されぬのは望めまい。だが、どこに流れていくのか?

『どこに流れていくのか判らぬから、「良い年」を待ち続けるというのか?

『そうであるなら、今年もまた良い年ではない。いや、今年は特によい年ではない。』

『好景気といわれているが、その実体は、非効率を切り捨てての豊かさだ。不満の強い者を切り捨てて、幸福な者だけを幸福にする仕組が姿を現しているこの最中に、不満を抱くことの何と危ういことか。死ぬしか道がないのではない。死んでも道はないのである。』


「あとちょっと」という強欲

2006年01月03日

上記:「何をしたいのか?」のこと。

今日になり、ああ、この伏線か、と気がついたとき、続く言葉が聞こえてきた。


『多くの者は、「あとちょっと」「もうちょっと」を欲しがることを慎ましい願いと考えている。だが現在は過去という基礎の上に成り立っている。あとちょっと、もうちょっとはゆとりがあれば都合はついても、ギリギリの事であれば大事となる。

『たとえば20本入りのタバコの本数を2本増やすとする。小箱が変り、大箱が変り、箱が変われば箱のデザインも変り、流通の手間も変わる。受ける者にとってはちょっとした利益でしかなくても、与える側の手間は大事なのである。

『話題は地上の商いのことではない。霊界から地上を手助けする、その複雑な仕組の話題である。複雑になればなるほど、ちょっとの変更が大事になる。一体何をして欲しいのか。それを理解しているのだろうか人々は。いや、一体自分に必要な者を理解しているのか?

『欲に流され、事情に流され、流されていることを当たり前としながら、でも変化を求めるのか?

『今を作るのは過去、未来を作るのは今、そういう言葉を知ってもなお、それを活かそうとしない。忙しい忙しいと、辛い辛いと、その時々の手間を惜しんでは、明日に得る物が小さくなるのは無理もないこと。明日に多くを求めるなら、今努力すべきであるし、今の努力を惜しむなら明日はわずかで納得すべきものなのである。

『やり方を間違えたなら、努力が全て無駄になるのが「行為」が持つリスクであるのに、あとちょっとを求める強欲さが判らぬとは。もっと欲しいのであれば欲しい分の努力をすべきだ。

『もうちょっと欲しいのならば、やり方を変えねばならない。だがやり方を変えずに欲しがり、ちょっとだけなのだから寡欲であろうというのは何とも業が深い。』


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