‘その他の霊’ カテゴリーのアーカイブ

心の使い方

2006/05/05

2006年05月05日


『あの若造は……』と聞こえる。知り合いの天狗霊だ。

『心(?)の使い方が下手だ』という。

へー。……心というより頭という方が適切な気がするが、言葉にするのは難しい。

『素人が力仕事をすると、腕ばかり使って腰が遊んでいる。だから腕が疲れ易くて、すぐに動けなくなる。全身で重荷を分担すればより多くの仕事が出来るのにだ。

『同様に、知恵を出すのにも使いやすい脳の一部ばかりを働かして、肝腎な肝が働いていない。そして出た答えに納得しているが、何のことはない。理解できるほど頭が働いておらぬだけだ。』

なるほど、力仕事には身体の使い方があり、頭脳労働にも脳の使い方があるわけだ……

『ある。だが一番の問題は、使い方が悪いことではなく、工夫の無いことだ。これでよいと思えば、人の才能はそこで止る。』


更年期的災厄

2006/05/05

2006年05月05日


人間、年を取れば大人になる……と思えるのは子供の頃の話であって、人生の大部分において、人は年を取るにつれて衰えていくのを感じている。

青年期に自信の無い者は、加齢と共に衰えていく中で一体、どうやって自分を支えればよいのだろう。……という話題は、あまりに重すぎるのでこれ以上は触れない。

男も女も、自分の性に対して自信を失う時期があり、その時期は往々夫婦の危機となりがちだ。……というの注意を喚起せよと、入浴中にいわれて、ここに書き留める。


男が、自分の性に対して自信を失うと、廬氏いうところの「事を通そう」と仕勝ちだ。つまり見栄を働くのである。この場合の見栄には、仕事上で男らしさを示そうとする人もいれば、風俗店通いを誇る者もいる。……歳をとってもまだまだ絶倫ですよ、と言いたいのだろうが、商売人達にしてみれば、見栄の強い客ほど、金払いが良くて、あしらいやすい客はない。大抵が経済的な損失を増やして行き詰まる。

女性も、自分の性に対して自信を失うと、やはり大抵、浮気に走るようだ。

男女双方とも、損失が経済的なものだけであるならまだ良しとすべきだろう。配偶者や子供等、または社会的な信用失墜は、残りの人生を辛く寂しいものに仕勝ちだ。……盛んなことを誇るのも良いが、浮気だからこそ相手をして貰えても、本気になる相手がいなければ傷つくのは誰か。大人なら大人らしく、リスクマネジメントもしっかりと考えた上で行動すべきだ。

なお、心霊的見地、霊媒の経験としていうのであれば、自信がないのは魔が差しやすい時であり、見栄を張るのは魔を払いにくい時である。……当人が覚悟するリスクよりも遙かに大きな損失を受けやすいのが、自信を失って見栄を張る時なのだ。


まあ、これを読んで想いを募らす人も多かろうが、私が受信したメッセージを端的に言い表すなら……「奥さんを大事にしないと後悔するぞ」という、オフ会時でも間に合うメッセージであったりする。


気がつけば、自分を救っていた

2006/04/27

2006年04月27日


 以前世話になった、某霊媒・先生から通信を頂いた。……自分の指導霊に「ここで学んだことを試すつもりで通信を送ってみよ。良い経験である」と告げられたそうだ。

・・・・・・・

『私はかつて、人々の霊障を救ってきたのだと思っていた。だが、こちらに来て気がついたのは、私は誰を救ったのでもなく、実は自分の霊障を解消していたのだということだ。……生きている内はそこが見えなかった。

『相談に乗ることが独り善がりだというのではない。ただ、相手と同じ霊障を自分も背負っているからこそ、相手を理解し、相手を癒し、相手を正して、良い未来へと繋げていけたのだ。

『自分は、救ったのではなく、救われたのである。……自分自身に。

『なまじ霊力があればこそ、自分が気づくこともなかった霊障を……微細であるが、疎かに出来ない霊障を、人の悩みを通じて自覚し、解消していったのだ。

『多くの人々が、一生の間に気がつくこともなく、解消せざるまま、死後に慌てるところを、私は、自分が人助けと信じていた行為の中で解決していたのである。

『だから後進の者に伝える。

『救いの中には自分が含まれている。……人の苦しんでいる様を見て、助けようとか、助けまいとか、下らぬ心を働かすな。他を救うために働くのではなく、自分が救われる機会であると信じて行え。

『行う前には空しく見えても、達成感で報われることもある。今は報われなくてもいずれ報われる日が来る。明日に報われないとしてもガッカリすることはない。報われる日が遠いことはそれだけ価値のある行い……誰もが出来ぬ事をしたのだから。』

・・・・・・・

……なお、通信を取り始めて三十秒ほどで意念が混濁して意味不明な文章になってしまい気がついた。他の霊界通信でも読むことだけれど、肉体に近い雰囲気の中にいると、霊達の意識が混濁するのである。こういう時には息継ぎが必要なのだ。

 というわけで、書き上げた半分を削除し、今度は息継ぎしつつ、すー、はぁ、で書き、休んでは、すー、はぁ、でまた書くを繰り返した。…… あなたももし直感が混濁したら、さらに集中するよりも一呼吸休んだ方が良いのかも知れない。


胎教と幼児教育

2006/04/19

 (A)廬氏の回答

心霊主義掲示板への回答として

06年4月19日 

Q 「胎教、および、幼児教育について教えを乞う」

 個々の手段については割愛する。

顰蹙――にならう犬猫を育てるだけならエサを与えさえすればよい。だが人の子を育てるというのは、その心を育てるということだ。音楽を聴かせ、オモチャを与え、教材を与える……だが子供の欲求を酌み取ることなくただ与えるだけなら、犬猫を育てるのとどう違うというのだろう?
 大切なのは、目をかけ、気配りをし、子供の欲求にしっかりと応えることである。……つまりは愛情をかけるということである。その愛情の発露としての胎教や、幼児教育であるならことさらにいうべき事など無い。昔から智慧ある婦人等が心掛けてきたことであるから。
 だが、子供の欲求を損なう形で押しつけるような、物まね胎教、物まね幼児教育は、思うような結果を得られまい。

顰蹙: 「蹙(美女)の顰み(しかめつら)にならう(真似する)」

純粋さを育てる――私には子供がいない。だが、私は多くの純粋なる「子供等」を育ててきた。いや、大人の邪気を取り去って子供としたのである。

 であるからいう。

汝に邪念はなしか?――分不相応の子を得て、誉れの美酒に酔いたいという欲はないか? 今時の子等はアレルギーなどで苦しむとか。水や空気や食い物に安心が出来ぬということだが、世の親が子を思う気持ちには毒が含まれていないのか?

胎教よりも邪気を抜くべし……子の非行を見て涙で邪気を吐くのではなく、日常生活の中で邪気を吐き、無邪気な子供を毒さぬようにすべし。それを忘れて何の胎教か!


(B) 某氏の霊より

心霊主義掲示板への回答として

06年4月19日 

心霊主義掲示板の投稿を読んだ後、 入浴中に懸り、いくつかビジョンを見せた後、「(ラフ原稿を)適当に味付けして出しておけ……」とのこと。努力してみた。

1,胎教について

 母親の笑顔(が醸し出す雰囲気)に敵う音楽はなし。母親が聞いてリラックスできる音楽を聴くなら良い。瑣事を忘れて聴くときには一心に聴くべし。だが、胎教と特別な気持ち、義務感から音楽を聴くなら、音楽を馬鹿にする子に育つ。

2,幼児教育について

 気配りの出来ない親が、いくら熱心に教育したって、犬に芸を教えることも出来ない。子供に為すべき事は「子供」に訊け。 


(C) 小嬰氏より

心霊主義掲示板への回答として

06年4月19日 

Q「胎教、および、幼児教育について教えを乞う」

 私が思いますに、胎教・幼児教育はとても大切です。それの施されていない子と比べて見ると、よく分ります。ですが、せっかちな人では良く教育が出来ません。早くから教育をすべきであるというのは、日常生活の何たるかを理解しない大人のいうことです。

 先ず、真の胎教・幼児教育には、目標を定めねばなりません。たとえば君子に育てたければ、親は君子に接するが如き気分で日々を送るべきです。士に……(武士というても良さそうです)……育てるなら、親も士として振るまい、鳶が鷹を生むかのような不自然な願いはお止めになることです。

 親が子に嘘をつきながら、子供の非行に涙するなどというのは、天罰と思わねばなりますまい。……自然に接すれば、その子の持っている天与の才が開花いたします。

 作為で引き出そうとするのは助長……折角の才能も親が不躾でダメにしている例は非常に多うございます。


幼児向けの教育が必要なのは親の方だ

2006年04月20日

 胎教・幼児教育に関する質問(質問者を、ではない)は掘り下げると奥が深い。

 必要なのは胎教や幼児教育の手段だろうか? 親の個性、子供の個性に合わない方法であれば、教育が親子間の信頼関係を歪めはしないか。親が嫌々勉強しているのに付合わされたら、体感的に子供も勉強が嫌になるだろう。

 大体、農作物に与える肥料や農薬だって、効果を観ながら適宜に調整するものだし、犬馬の調教だって、動物の反応を見ながら行うものだ。それを子供の躾・教育に関しては、方法論ばかりが先行するのは、人が幼児に対して不自然で過大な期待をしているのか、もしくは、人間の幼児が農作物や犬馬以下の存在として扱われているのではないか。…… 少なくとも、犬馬の子供らの方がよほど個性を大事にされているかに見える。――または、職業教育者が営利主義に陥って市場拡大を図っているのに、人々が知らずに踊らされているのか。

 丁度、インスタント食品の普及で味音痴が増えている(といわれている)ようなものではないか。箸や鉛筆の正しい持ち方が出来ない子供が多いというのも、親が子供と、まともな時間の過し方をしていないことを暗示する。単に食べ物を買え与えて後の世話をしないのではないか。それでは食事のマナーなどが身に付くはずもない。

 いや、もっと対外的な問題がある。子供が子供同士で遊ぶのは当然のこととして、休日も子供だけで過すか、親に連れられて行楽地に出掛けるだけでは、住宅近隣地での子供達の態度が悪いのも当然だ。ガラスの前でボール遊びしてガラスを割って逃げる、看板をボールの的にしては看板を壊す、立体駐車場で自転車を乗回す。注意すれば屁理屈で返し、叱れば逃去る。……親は一体何をしているのか。

 ああ、マンションのエントランスのド真ん前で、井戸端会議を開いて通行の邪魔をし、子供等は郵便ポストにイタズラをしている。まあ、親のマナーもその程度のものである。

 なるほど、親が忙しいのも理解するが、教育というのは教材を選ぶことではなく、子供に時間を割くことではないだろうか。大人と付合う機会がなくて、子供同士の中でだけ人間関係を育てさせるから、身勝手で、感情的で、非論理的な(というか、短絡的な)コミュニケーション能力しか持てない。……子供ぽい人間が増えているのではなく、大人と接する機会が少なくて、どう他人と接して良いのか判らない人間が多いのだろう。だから嫌われて途方に暮れる……嫌われて、慌てて、かえって傷口を拡げてしまう。

 で、自分らが苦労したから、子供にはちゃんと教育の機会を与えねば、というわけで、又教材に頼る。……破綻的論理の輪廻だ。グルグルと同じ事を繰返すように見えて、実際はどんどん事態が悪化している。

 良い教材よりも、親が心のゆとりを持って子供に接せられるようにすることが、本当の意味での子供の教育に必要なことだろう。…… だが、教材や教育法に目がいく。子供を迷わせる現代の親たちは、一体何から目を背けているのだろう?


欲が神仏を拝む

2006/04/16

 私も、社寺を歩くのが好きですが、参拝というよりも拝殿で精神統一をすることを目的にしています。この精神統一というのは、「心・霊」の統一ではなく、「心・霊・体」の統一のことです。

 ある時、熱心に(延々と)参拝している人がいて、拝殿前が開くのを待っていた時のことです。

『祈りが長いのは、欲が拝んでいるからだぞ』と、突然聞こえました。

 欲が拝んでいる……?

『宗教などといっても、人が神を拝んでいるのは稀で、大抵は欲が神を拝んでいる。魂が呼ぶなら応えもしようが、どうして欲心などに応えよう』

 なるほど、同じ人が拝むのでも、欲もあれば、魂の祈りもあるというわけか……しかし、地上で生きている限り不足が付きまといますから、自然と欲が出る事もあるでしょう。すると、自身の祈りが欲なのか、魂の発露なのか、自分で判断するのも難しいものですよね。せめて、欲心に自身の主導権を取られぬように注意いたしましょう。


2000年

自分を味方に

2006/04/16

あなたは誰?

2000年

右手を挙げてみてください。あがりますか?

左手を挙げてみてください。あがりますか?

肉体は素直なものです。

他人なら、このようには動かせませんね。

辛いときには、胃が痛み、恥ずかしいときは赤面する。

本当に肉体は素直なものです。

でも自分が嫌いな人がいます。

自分が嫌いな人は、誰なら好きになれるのでしょうか?

いや、あなたの知っている誰よりも、

あなたに対して素直な……

そのあなたを嫌っているのはいったい誰なのです?

あなたは自分の良い所を知っていますか?

    あなたは自分の悪い所を知っていますか?

自分を知らないままに、自分を嫌いになれるのでしょうか?

自分を知らない人が、他人を知ることが出来るのでしょうか?

・・・・・・・・

知りもしない他人をどうして、好きになれるのでしょうか?

そう、自分を知らない人は、愛の意味を知らない人です。

自分を知らないままに、人が好きになる、

人に愛されたいと願うのは、

 自分のなすべき努力を人にゆだねようとする怠惰な心です。

 それは、愛ではなくて、誤解と怠惰と不誠実です。

相手にも自分にも不誠実な行為です。

これでは自分も相手も不幸になります。

・・・・・・・・

 自分の良い所を伸ばし、悪い所を減らそうとせずに、自分を好きにはなれません。その努力を怠って、「自分が嫌い」と言っていたら、誰があなたを好きになってくれるのでしょう。誰よりもあなたの事を知っているはずの、あなた自身、そんなあなたを嫌っているのは、いったい誰なのです?

 確かに、人の姿は当たり前のように見えても、鏡でもなければ自分を見ることは容易ではありません。姿形は鏡に映せても、心を映す鏡を持っている人はまれですね。霊能者にだって、自分の心を映す鏡を持っている人はまれです。自分のことは霊視出来ないなんて、いっているのですから。山の姿が、山の中にいては見えないように、私たちの心も、自分の利害から離してみなくては、自分の本当の姿が見えないのです。

・・・・・・・・

さあ、自分の心を見つめてください。

あなたはいったい誰なのですか?


あなたは不幸ですか?

ある天気の良い、穏やかな日、      

あなたは他人に煩わされること無く、   

日当たりの良い場所で、昼寝をしています。

物質的な心配事も無く、心は穏やかです。 

 しかし、このような平穏な時は、長くは続きません。天気は変わるものですし、季節は巡るものです。物質的な財産は時と共に減るものですし、穏やかさは退屈に繋がります。外部の影響をまったく受けないというのは、理想的な人格というよりも怠惰な霊性といえましょう。

・・・・・・・・

 悲しい時に泣き、辛い時に嘆き、不正に怒り、幸せな時に喜ぶ。

 それは、当たり前の人間ではありませんか。

そして、当たり前の人生ではありませんか。

 幸せも、不幸も、目の前にあるのではありません。それは遠い先にあります。目の前にあるのは、努力しながら、苦しみながら、悩みながら乗り越えていく障害です。そして、楽しみながら、笑いながら、歌いながら、踊りながら乗り越えていくべき人生の課題です。

本当の幸せは、その障害に取り組んだ先にあるのです。

本当の不幸は、その障害の迂回路に潜んでいるのです。

 目前の障害に、不幸を感じた時、あなたはすでに真の不幸への第一歩を踏み出しているのです。


なぜ苦しむのでしょう?

 目先の不幸を嘆く人は、真の不幸を知りません。目先の問題を取り除けば、幸せになったと信じられる幸福な人です。しかし、人生の帳尻は、必ず合うことになっています。取り除かれた問題とは、いずれ人生のどこかで再び取り組まねばならぬのです。

人生の諸問題をすべて解き終わるまで、

真の幸せはありえません。

 人の助けで、または責任を回避することで回答を先送りにした人は、いずれ訪れるであろう再試験を恐れつづけなくてはなりません。

恐れは、人間を卑屈にします。

年老いても、卑屈な人間は惨めです。

 人生の諸問題をあざけり、回答を拒む人もいます。

これは傲慢です。

年老いても傲慢な人は孤独です。

傲慢な人は、死んでも孤独です。

彼らには、死んで無になるか…霊界の存在を最後まで信じないか

彼らには、死んで地獄に落ちるか…努力を怠って高級霊界に行けるはずも無く

やはり、人生の帳尻は、必ず合うのです。

目先の不幸を嘆く人は、真の不幸を知りません。

不幸の真の原因を明らかにしなくては、真の解決を得られないのです。

目先の問題に囚われていると、真の幸せも得られません。

人生の帳尻は、必ず合うことになっています。

努力という、代償を惜しむと、結果としてより多くの不幸という形で帳尻を合わされることになるのです。

・・・・・・・・

あなたは幸せですか?

 

不幸だとしたら、誰があなたを苦しめているのでしょうか?

・・・・・・・・

 人は往々、自分を不幸にするために努力します。なぜでしょう?


沈黙の意味

2006/04/13

盧氏との間で、「霊媒の義務」について通信中、突然割り込んできた通信が、このページの元になっています。


 交霊能力を得る為に修行を志す者は多いのですが、慎みを知らない霊媒を、重要視する霊はおりません。顕幽交通に誠実であろうとする上で霊媒の慎みは非常に重要です。

 私達が、質問者に対して沈黙を守ろうとした時に、霊媒が代わりに意見を口にする事は顕幽両者の信頼を損ねますし、または、霊媒自身が興味惹かれる話題に対して、支配霊の意を無視して自らの私見を述べる事は、霊界の意見を求める質問者を騙す事にも通じます。

 私達は、肉体に閉じ込められた方々の質問に総てお答えするわけには参りません。きちんとした質問者であるなら、一時に総てを質問することなく、まず、お互いの信頼関係を築いた上で、重大な質問をしていく事でしょう。私達にとっても、質問者の真意を適切に捉える上において、重要な質問を受ける前に、幾度か簡単な質問をしたいと思うのです。それは質問者にとっても有益なはずです。

 私達が、様々な思慮の上に、わざと質問をはぐらかし、又は沈黙を守る事も、質問者が自身の思慮で問題の真意にたどり着く為には必要なことなのです。大切なのは質問者に回答を示す事ではなく、質問者が回答を理解する事なのですから、沈黙こそが最善の回答である事も往々にして起こりうる事です。

 それをもしも霊媒が自己の私見を持って、顕幽交通の沈黙を破るとしたら、質問者と回答する霊達の努力は水泡に帰するでしょう。こういう失敗は数多いのです。霊媒能力者の大半は、沈黙の大切さに気がつかぬ故に、人々の失笑を買っているのですから。

 悩める者は、自らの苦しみから逃れる為に懸命に知識を求めているものです。それゆえに、往々に一点については専門家顔負けの知識を有している事も多いのです。このような人への回答に必ずしも専門用語が必要なわけではありません。大抵の場合、質問者が見落としている問題解決の鍵を指摘するだけで事が足りるのです。

 果たして高度に専門的な回答か、果たして含蓄に富んだ回答か、その両極端の回答こそが質問者を満足させる事ができるものです。しかし、霊媒の私見は含蓄もなく、高度な知識も無い中途半端なものになりがちです。これが質問者の失笑を買うのです。

 霊媒に大切なのは、いかなる時にも言語明朗に回答する事ではありません。相談者に適切な回答をする事なのです。ですから必要な時には沈黙を守れなければなりません。そして・・・霊感を求める人、更に強い霊感を求める人はとても多いのですが、そのような人々の中に、沈黙というメッセージを読み取れる人は一人も居ません。

 沈黙というメッセージを正しく読める人ならば、自分が充分な霊能力に恵まれている事に気がつく筈だからです。

・・・・・・・・・

 世の霊媒の欠点として目に付くのは、往々に余計な事まで言葉にしたがる事です。このような霊媒を通信手段として用いる霊は、自分の言葉だけでなく、霊媒の発言まで責任を負う事になりかねません。ですから分別のある霊は、まず、霊媒の資質として慎み深さに注目するのです。

 その意味で、霊媒になりたがる、霊と言葉を交わしたがる人々というのは、その動機から言って、霊媒には不向きなのです。そのような人々は、余計な一言によって霊界の信頼を失墜させかねないのですから。


2006-04-12

 

――忘我――

2006/04/12

 我を忘れて物事に打ち込む。幸せなことである。どんな困苦が待ちかまえていようが、我を忘れて努めている限り、その苦しみが心身を痛めることはない。傷つくべき「我」をもたぬからである。

 が、痛み、苦しみ、悲しむ人は、『なぜ私(我)が……、どうして私(我)が……』と、「我」ばかりを問題にする。傷つくのは「我」であり、その「我」を置き去れぬことが苦しみなのに。

『「我」を置き去って、自分はどこにある? 我を充たすことが満足ではないか、満足が合ってこそ幸せではないか!!』……そういう人が何を目指すのか?――悦楽に我を忘れて過ごすことではないか。

 人の心に「我」が持ち上がるのは、泣き言、不平、不満を心に貯めた時だけである。「我」とは即ち、「思うようにならぬ悪因縁」のようなものであり、「疫病神の手先」とも見なせよう。――自らの「我」がいかに悪しき存在であり、己を間違いに導く元凶であるかを認めがたいなら、周囲を見回してみればよい。我の強い人がいかに迷惑を及ぼし、また、独善的な幸福感に縛られていることか。……彼・彼女らがいう「幸せ」とは、果たしてあなたがうらやむべきものであろうか?

 憑依も誘惑も「我」が有ればこそのものだ。なるほど「我」を捨て去るのは難しかろう。だが、己を不幸にし、誤った道に誘い込もうとする意識である、「我」を大切にすることの愚かさを知れば、幸せへの道が開けてくるのである。

2006-04-12


苦手意識

2006/04/12

2006年 04月 12日


得手不得手があるから、人は助け合う・・・

苦手があることは、恥じるべき事ではありません。

恥じるべきは、苦手があることを隠そうとすることです。


意地

2006/04/10

06年 04月 10日


「意地悪がなんと多いことか。」、という言葉に、フッと気が付いて漢和辞典を引いてみる……「意地」は、「意」、つまり動機が生じる「下地」の事なんですね、「下地」が悪ければ生じる「意」が良いはずもない。まあ、引いた辞書にはそこまでは書いてありませんでしたが。

すると、「意地悪」というのはその時の意念の善し悪しを問題にしているのでなく、その意念を生み出す人間性を指して「悪い」というわけです。

世に愛が足りない……というか、意地悪が多いのは、人間性の下地を正す必要があるということなのでしょう。

しかし、人に親切にする必要があるとしても、痩せた土地に種を播けば芽が出ず無駄になる。少なくとも時期が合わなければやはり種を播いても無駄になります。

人は生れた時から意地が悪いわけでもないでしょうに、無駄な種まきを繰返して、種なんて播いても駄目じゃないか…… 人に親切にしても無駄だよ、と思いこんでしまうのでしょう。実は、その先こそが重要なのですが……


お知らせBy老神いさお。

・スマートホン
iPhone/Androidで閲覧時に、最適化したページが表示出来るようになりました。よろしければ、ご感想をお寄せ下さい。

・サイト再構築中
移行途中のデータが時折、トップページに掲載されますが、編集作業の都合ですので、今しばらくご容赦ください。旧作については、本文右上に日付が記載されます。

・ページ更新
 現在:1056㌻
 復旧予定: 残り480㌻位・・・

老研カレンダー
5月 2012
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031EC
6月 2012
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
老研イベントリスト
みにみにぶろぐ
  • ・その後悔の帳尻が合う生き方をしているか?
  • ・我が国だけが原子力を全廃しても、隣国が原子力発電を推進すれば、危険性は無くならない。
  • ・生きるとは生むことである。
  • ・いろいろなる不平不満はあるだろう。だが人は歩んでいる。
  • ・与えられる事を当たり前に思っている者が飢える。
  • ・なぜ、争うのだろう? 事態はただ現実への妥協を求めているだけなのに。
  • ・ 見せられると信じたくなる
  • ・豊かな者は足りぬものに気が付かず、知りたる者は、知らざることに気が付かぬ。……
  • ・ 心に不満が生じるのは、あなたが焦っている証。もう少しゆっくりと生きなさい。
  • ・不平不満が生じるから醜いというのではない。不満を溜めたままでいるから醜いというのだ

More »

サイト内検索
サブ・サイト