‘その他の霊’ カテゴリーのアーカイブ

PCがON/OFFを繰り返す。

2006/09/23

2006年09月23日


メインに使っているPCが壊れた!!

帰宅後、電源スイッチを入れると、いつもの通り立ち上がり~~停止する。その後は、電源スイッチのパイロットランプが点灯したままになり、ディスクドライブの運転音がして、停まる。運転音がして、停まる。発停、発停、を延々と繰り返し、電源スイッチが切れない。

冷静に電源コードをヌキ、再接続、スイッチオン!! 再び、発停、発停、を繰り返す。

脳裏を最悪のシナリオが駆け回る。予備のノートPCにはMS-ACCESSが入っていないから、今抱えている、マンション管理組合からの委託仕事が出来ない。最近、何度かハムさんと買い物にいった際に自作PCを作る話題が出て、なんとなく気もそぞろになっていたが、まさかこの伏線……では? 電源ユニットの交換で直らないかなぁ……

どのみちメモリーの増設を考慮中だったから、思い切ってカバーを開けてみる。かなり埃が溜まっていたのでついでに掃除。そして電源、キーボード、マウスをつないでカバーを開けたまま電源投入。基板上のLEDが一個光るが、電源スイッチのパイロットランプが点灯しない。動作音もしない。

フッ! と気がついてノートPCのメンテナンス用LANケーブルをつないでみると、見事に作動。組立て直して設置してみると、やはり電源も入らない。で、LANケーブルを交換すると、無事作動。

遠隔でPCの電源を投入する、LANウェイクアップ機能が働いていたらしい。それも、ケーブルの接触不良で……

VISTAが出る前にPCを買い換えるという災難だけは免れたが、これでVISTAが出ていたら、ここぞとばかりにPCを買い換えていたかも知れない。


霊感に憧れる人は多いが、話をしてみると、一体どういう霊感が欲しいのか、と首をかしげることもある。霊視・霊聴……わざわざ誰ぞが出てきて「呪ってやる」というのを待つのは、何とも芝居がかりすぎていないか? 私がTVの心霊番組を嫌う所以である。私自身が芝居音痴であるから、他人の芝居が見ていて痛いのだ。上手ならばともかく。いや、上手な芝居でもあまりベタな題材だとやはり見ていられないが。

今回のPC故障騒ぎでも、ただ、悪いところに目がいく、というだけで充分に事足りた。ついでに掃除、ついでにメモリースロット、ハードディスク増設の可否の点検。……ううう、机の廻りのホコリも点検した。了解、了解。


人間の視線て、クライアントである自我の利にそうものだ。つまり、真実よりも、そうであって欲しい事実を見つようと努力する。……たとえば霊感の強い人も、では隠れた真実を見つけるのに長けているかというと、案外、自分の得意な解釈に至れば、そこで探すのを止めてしまうのは、霊感の巧拙の問題ではなく、人間の本質的な部分の問題なんです。

補足

残念。問題にLANが絡んでいたのは間違いないが、それだけではないらしい。……また出費が。


思うようにいかない

2006年09月27日

自宅のPCが故障し、忙しくて修理もままならず、新しいPCを買うのももったいないと、悩める落胆している私の霊耳に、

『情けない。道具の奴隷となっていることに気がつかぬか。物に頼らず生きてこその自由、自立無くして何の向上か。』

と聞こえた。……確かにその通りだ。通信だけならサブノートもあるし、予備用の自作機(多すぎ?)もある。ただ、主機が壊れていると作業効率が悪いだけだ。まあ、修理するにも手順がある。悪い部品を特定しても代替品を購入しなければならないし、今出来ることはもうないから、とりあえず寝よう……が、翌日に気がついた。

私は、ゲームやショッピングが出来なくて騒いでいるわけではない。……仕事・金儲けで壊れたのであれば、むろんそれは大変なことではあるが、諸経費として事務的に処理していくべき事だ。

が、壊れたPCの主な使用目的は、心霊関係のHP作成と、現在苦労させられている、管理組合関係の管理システム作成ではないか。……どちらもボランティア、無報酬である。特に管理組合の仕事など、自転車の整理も出来ないワガママ住民への対策として、皆がやらない、または出来ないことを肩代わりしているだけのことだ。……朝起きたばかりだというのに、がっくりと疲れてしまった。何のことはない。貧乏くじを引いた挙げ句に行き詰まり、行き詰まりを嘆いていると、貧乏くじを引かせた連中が説教するというのだ。随分とバカにした話である。

むろん、ボランティアであろうと、特に心霊の仕事であろうと、災難に遭わぬ事はない。他のために働いているのだから特別な加護が与えられるべきと思うのは、慢心というより思い違いである。まして形ある物には寿命がある。……私はそれを恨んでいるのではない。

管理組合の仕事を早く終わらせなければ、他の仕事が片付かない。私の手持ちの時間は限られている――今、なによりも惜しいのは時間なのである。忙しい最中に、前に進めぬ事を嘆いているのだ。

休むべき時には休むべきだ。―― むろん、むろん。だから早めに床についた。まあ、早めといっても色々と立て込んだ結果として普段よりも遅くはなっていたが……が、プログラム作成は間があくと、以前の作業過程を忘れている。おそらくプロであれば、その辺をフローチャートやメモ類などでカバーするのだろうが、こちらは行き当たりばったりの素人である。

たくさん間が明いた。そして、今までの過程の大部分を忘れてしまった。

たかが道具、されど道具である。――現代人はなるほど、金や物に支配されているかも知れない。だが、金も物も持たぬ人が本当に自由なのか。……分かり切ったことではないか。より自由になるために人は金を発明し、様々な道具をこさえてきたのだ。それを否定してどうなるというのか? 積み重ねてきた文明の成果をただ僻んでいるだけではないか。……批判だけなら誰にでも出来る。

金、道具……どう使うかだけでなく、金や道具に使われないだけの精神性も現代人は要求されているのである。

……つまらない霊言に丸め込まれた自分がつまらなく思えた。

まあ、焦ったところで、解決すべき時が来なければどうにもならぬのである。そして、時至り、これをしたためる。振り返ってみれば、メーカーに返送修理を依頼するよりも、早く、安く片付いた。


人にもよるのだろうが、努力忍耐我慢工夫が必要である、という答は概ねの人々を説得しやすい。だが、耐え難いのに忍耐や我慢、これ以上は無理があるのに努力と工夫を要求されても何が出来るというのだろう? ―― そこに無理がある。そして、無理を強いるのが果たして適切な回答であるのか?

事例。(というより不真面目な冗談)

『あなたの願いを叶えるためには、金星の石が必要です。それがなければあなたの願いは永遠に叶えられないでしょう』

……事例はあまりに露骨であるが、実現不能な代案を提示する助言は世の中にとても多い。

正直にいえば、私のサイトの中にも頻繁にちりばめられている。ただ、私の意図は、読者を混乱させたり、私の私的な利益に誘導することにはなく、単に読者の問題提起力を喚起するところにあるのだが……皆、大丈夫だろうか?


大人・・・かな?

2006/09/07

2006年09月07日


「手に余ることは関わらない」……と助言した相手から、「大人だな」といわれたことがある。相手は侮蔑の意図を持っていないと言明していたが、何か心に引っかかるものがあったのは、もう、一月以上前のことであった。

今朝、ふっと背後から声が掛った……

『大人、とは意味が違う』……声と共に過去の記憶が呼び覚される。

……今頃解説ですか。

『時機に合わぬ事を慎む事が大切なのであって、ただ慎むだけなら腰抜けだって、卑怯者だって、立派な大人となってしまう。腹の立つことがあろうとも、時が至らなければ耐え、機の訪れを平静に待つ、それが出来てこそ、大人と呼べよう。

『そもそも、生に対する気構えが違う。善く生きることに諦めがあるなら大人ではなく、腰抜けである。』


神秘に畏敬の念を持つ

2006/09/06

2006年09月06日


風呂にはいると、久しぶりに支配霊の小嬰氏が「礼節、礼節」と語りかける。意味がピンと来なかったが、風呂上がりにゆっくり聞き取らせていただきますと、約束していた……そして風呂上がり、何とはなしに、テレビをつけたら、たまたま魔女達が魔法の使い方について語っていた。(チャームド 魔女三姉妹) セリフはうろ覚えだが、「神秘に畏敬の念を持つこと」……それを聞いた途端に、背後(小嬰氏ではない)がかく語る。

・・・・・・・

『畏敬の念、確かに大切なことである。……見よ!

……過去の相談事例のいくつかが、フラッシュバックする。

『畏敬の念どころか、神秘を侮り、利用しようとする。姑息にも霊媒を騙し、つけ込み、スキャンダルをでっち上げて脅してまで、神秘を私利せんとするのだから愚かしい。……その愚かさの挙げ句、何を得たのか?

「さあ? 人はしょせん無一物、持っていないものを失いようもなく」……等と知った風な事を思う。どうせ、もうどうでも良い思い出のいくつかである。

『確かに、人は無一物、だからこそ、失ってはならぬものもある。……出家者はなにゆえに鉢(衣鉢のハチ・むしろお椀というべきか。)を与えられるか。粥を与えられても鉢がなければ受け取れぬではないか。粥を受けるのに鉢が必要なように、人は助けを受けるのに誠意が必要なのである。誠意がなければ、助けを得てもこぼして利が残らぬのである。

……うーーん。出家者ではないので、衣鉢の意味は取り違えているかも知れないが、何とか理解できる。確かに……薄汚れたお椀を差し出しておきながら、盛られたお粥が汚れていると不平不満の者の何と多いことだろう。

すると、別の背後霊(武士)が……

『されば、である。人の魂は、一つ生前の境涯に支配されているもので、その時理解していたことよりも高度なことは理解できぬ。祟りを恐れて、難を逃れることの大切さは理解できても、修行して向上することの意義がどうあっても理解できぬのだ』

……再び僧侶の霊が表われ、

『ともかくも、不可知なものに接する態度如何で、その者の霊格は明らかになる。畏敬の念の理解できぬ者の無事を祈るのはよい。だが、諭そうとは思うな。生前に知っていたことは「言葉」で思い出す。だが、生前に知らぬ事はいくら言葉を聞いたところで、身に付かず、理解できぬのだから。』

……それぞれが、それ相応な人生を歩む。背伸びをしても躓くだけのこと。 謙虚に、謙虚に……

すると武士の霊が

『うむむ、おぬし(私)のいう、謙虚とは単に苦労を嫌うだけのことに聞こえるが?』

「……確信犯です。」と、私。

またまた、僧侶の霊が

『何にせよ、時期に叶わなければ手出しはむしろ足手まといである。時節が整うまでは慎む……「可《》し」!!』

最後の「可し」は、なぜかわざわざ字を見せられた。

確認すると、私が「慎むべし」と聞けば命令形と理解するだろうが、本来の意味は好意的了解のニュアンスだからだそうだ。


まあ、時間に余裕のあるときの、私(霊媒)の心中のサンプルである。ところで小嬰氏は……? ああ、これまた私の日常である。


畳水練

2006/06/07

2006年06月07日


「素人修行は畳水練」と聞こえた。耳を傾けてみる。 「畳の上で水泳の練習か。なるほどそれなら溺れることはあるまい。だが、水に入った時に役に立つのか? 役に立たずになんのための練習か。 「一生、水に入らぬ覚悟ならば畳水練も結構だ。……だが、霊的修行は一生を終えた後にこそ必要となる。 「私は畳の上で数十年間泳ぎの練習をしましたから……そんな経歴で胸を張るなら、なんら修行をしない者よりも危うい。もとより、修行や練習は自信をつけるためにするものだが、実際の役に立たぬ修行で身に付いた自信が役に立つのか。そうまでしてもエセ自信を欲しがるならば、なおのこと危うい。……まして、その危うさも予測できずに、正しい道を歩めるのだろうか。 「溺れるから危ない、のではなく、溺れる経験を持たぬ事がなお危ういのだ。何も深みで溺れてみよというのではない。足のつく浅瀬で、経験者に見守られて泳ぐことで、少々水を飲んでも、それがよい経験になるというのである。 「水を飲めばパニックにもなろう。だが、たった一度のパニックが取り返しのつかぬ過ちに繋がるかもしれない。 「最初から本番に挑むのと、普段から水に慣れておくのでは、一体どちらが安全だと思うのか」

・・・・・・・

質問に答えて、くたびれ果て、「どうもつかれると思ったが、この質問は愚問だよなぁ」と、思うことは多々ある。いい加減私も、くたびれる前に愚問かどうかを判断すれば良さそうなものだが、最近では相談も受付けていないので、往々、手管を忘れがちになる。 知ってはいても、実際に生かすには普段からの慣れが必要なのである。……回答者にとっては。だがこれは質問者にも当て嵌まる。有益な質問をするためにも、ある程度の慣れが必要なのである。 互いにチャンスを与えずして、向上することは有り得ない。……それは間違いない。ただ、地上で心霊を学ぶということが、畳水泳と同じであることに気がつかなければチャンスを生かしようがあるまい。つまり、泳ぐこと(回答を得ること)に意義があるのではない。泳ぎ方向上のヒントを得ることに意義があるのだ。 つまり、どう考えるのか……が大切であって、答えに執着するべきではないのだ。 たとえば、あなたの守護霊は○○です……と聞いて感心していては、畳水練で終わる。どうやってそれを調べ、どうやってそれを確かめるのか、その工夫にこそ意味がある。……と私は思う。畳水練ではなく、水泳に関する座学が、わずか百年前後の人生を無駄にしない過ごし方であると私は信じる。


畳水練

2007年7月3日


いわゆる畳水練が無くならない。畳水練とは、水に入らず、畳の上で水泳のホームを行う、一種のイメージトレーニング……もしくは、水恐怖症の現実逃避だ。……かつてはそう見做されていた。

なるほど、水に入ればおぼれる危険がある。泳ぎが得意でも、体調しだいで心臓麻痺の恐れもある。おぼれる人を助けようとして、上手な人が二次被害に合うという話もある。……水不要の水泳ができればなるほど有意義であろう。だが畳水練は、水に落ちた時や、おぼれている人を助けるのに役に立つのだろうか?

畳水練の趣味が、一部の変わり者だけのモノであれば、「滑稽」という評価で済ませられるが、ある程度、同好者が増えてくれば、これも一種のファッションと化すだろう。そもそも芸事に実用価値を求めるのは無粋でもある。

形式に拘り、実用性に乏しい……そういう価値観を尊ぶ境涯もある。まして、人生に何が必要となるか分からないし、霊格の階梯を飛ばして先に進む事も難しい。特に妄想癖のある人は、妄想の中でどんどん出世して基礎を軽視するためになかなか向上しない……というより、下品に流れない事のほうが難しかったりもする。

何の話か?……霊媒を蔑視した心霊思想の事だ。それは実際の役に立つのか?

「霊媒の言うことは信用ならぬ」という意見も聞かれる。だが、霊媒の言うことなるものは、いったい誰の意見であるのか? 1、霊媒の個人的意見か? 2、霊媒に憑かれる霊魂の意見か? この二つは似て非なる。

1、霊媒の個人的意見が信用ならぬ、というのであれば、それは霊媒固有の問題ではなく、人間性の問題ということだ。――果たして、霊媒の言うことだけが信じられぬのか?

根拠もなく他者を蔑視したり、悪人視したりと、偏見に富んだ人が、果たしてすべての霊媒よりも信用できるというのか?

2、霊魂の意見が信用できぬというなら、それは果たして霊媒だけの問題か。いずれあなたも死を向かえ、いずれ霊媒抜きで、その信用できぬ霊魂たちと直接に交渉する事になるのだ。――あなたはそれをこなして上級霊界に進む事が出来だろうか?……なるほど信じなければ騙される事もない。だが、上級霊界がどこにあるのかをあなたは知っているのか? 上?――なるほど、だが、そんな簡単な答えで成仏できるなら、なぜ信用ならざる霊魂が霊媒に憑依しようというのだろう?

あなたの心霊知識は、あなたの死後を救えるか?

そもそも、あなたは知らぬ土地で道案内を求めて、目の見える人と、目の不自由な人のどちらをガイドに選ぶだろう? 「目に見える人に騙されないように注意しなさい」と、目の不自由な人が言ったら、あなたは道案内にその人を選ぶか? 道案内に求めるのは、あなたよりもより多くを知り、見分けられる人であろうに。

……それも選択肢のうちだ。だが、あえて問う。もしもあなたが、あえて誰かを騙すとするなら、目の見える人と、目の見えない人のどちらをターゲットに選ぶだろう? 真実はむしろ肉眼にこそ映じ難いものであるが、周囲を侮る者の考える事はストレートだ。

 

・・・・・・・

霊媒も間違いを犯す。だがそれは、霊媒だから間違いを犯すのではなく、霊媒が人間であるから間違うのである。……ならば、霊媒でない人が間違いを犯さないといえるか?

であるから心霊を研究して、霊媒の間違いを正せるのは、人として間違わぬように努力している人である。自分に不都合なことをすべて間違いというなら、人は夢幻の中でしか生きられまい。……そう夢幻、または妄想の中だ。

すべては人の問題に帰結する。――霊媒にだけ、霊界通信の困難を押し付けて、霊界通信の危険を伝々するのは、心霊思想が何を目的とするのかを分かっているのかと、私は不審に思う。

直接扱っているのは霊魂、霊界であろうと、私達が生きている限り、すべての問題は人に、人間性に帰結する。または、人がいかに生きるべきかに帰結するのだ。

霊媒を遠ざけただけで安心するのは、畳水練だけで、泳げると過信するに等しい。本を読んだだけでは、飛行機も飛ばせないし、手術も出来ないのと同様である。技能と知識はどちらも大切であるが、技能試験にパスしなければ免許証が与えられないのと似ている。

畳水練もいまや一つの文化かもしれないが、文化である以上の価値があるのだろうか。私は危険があろうとも水に入って練習する。

・・・・・・・

本音を言えば、うちのサイトの常連であれば、このような誤解をする事もないと信じている。だが、すべては連関していて、順番に解いていく必要があるのだ。

足元を見ず明日を聴く

2006/05/07

2006年05月07日


私も人の子、功名心が皆無というわけでもない。オフ会での霊査で、参加者の反省を促すばかりではなく、たまには先のことを暗示して驚かせてやりたいものだ、等という気持ちが心中で頭をもたげることもある。……たとえば今夕、母親の買い物に付合って退屈している時に、そんな想いがきざした。すると……

・・・・・・・

『足下の小石につまずくことさえ避けられぬ者に、明日のこと、明後日のことを教えて何になる? 明日の話などを聴いた者が、今日の足下を疎かにし、明日を失う事も良く聴くこと。つまらぬゴシップの種を蒔くのはつまらぬだろう。

『売り言葉に買い言葉で余計な苦労を背負う。言葉に思慮が足らずに恨みを買って後悔の種にする。大切な人を軽んじて別離に至り、人のものを欲しがって自分のものを失い、強がりをいって残りも失う。強情を張って身体を壊し、迷信療法で金を失いさらに身体を壊す。……穴の開いた船に乗っていて、「明日もまた浮いているか?」等と愚問を発する愚者どもめ、明日は浮いていても、明後日には沈んでいるかも知れぬのだ。今為すべきは、穴を塞ぐことである。

『他人に指図されなくても、足下がしっかりしている者なら、霊媒などの助けを借りずとも明日を知れるし、指図されても足下のだらしない者なら、霊媒が何を言おうが、明日の不幸が見て取れよう。……愚問愚問。愚問を発するのは愚者だけだ。愚者を諭すよりもやるべき事がある。

『神仏も救えぬ者に気を掛けたところで、心がすり減るだけである』

そこまでいえば読者が引くぞ。いや、……え? あれ? つまり私が今、小石につまずいていると……?

『杖を持つ愚者は容易に転ばぬな。ハハハァ……』

……やられた。他人への小言と見せかけて、しっかりと小言を聞かされてしまった。


心の使い方

2006/05/05

2006年05月05日


『あの若造は……』と聞こえる。知り合いの天狗霊だ。

『心(?)の使い方が下手だ』という。

へー。……心というより頭という方が適切な気がするが、言葉にするのは難しい。

『素人が力仕事をすると、腕ばかり使って腰が遊んでいる。だから腕が疲れ易くて、すぐに動けなくなる。全身で重荷を分担すればより多くの仕事が出来るのにだ。

『同様に、知恵を出すのにも使いやすい脳の一部ばかりを働かして、肝腎な肝が働いていない。そして出た答えに納得しているが、何のことはない。理解できるほど頭が働いておらぬだけだ。』

なるほど、力仕事には身体の使い方があり、頭脳労働にも脳の使い方があるわけだ……

『ある。だが一番の問題は、使い方が悪いことではなく、工夫の無いことだ。これでよいと思えば、人の才能はそこで止る。』


更年期的災厄

2006/05/05

2006年05月05日


人間、年を取れば大人になる……と思えるのは子供の頃の話であって、人生の大部分において、人は年を取るにつれて衰えていくのを感じている。

青年期に自信の無い者は、加齢と共に衰えていく中で一体、どうやって自分を支えればよいのだろう。……という話題は、あまりに重すぎるのでこれ以上は触れない。

男も女も、自分の性に対して自信を失う時期があり、その時期は往々夫婦の危機となりがちだ。……というの注意を喚起せよと、入浴中にいわれて、ここに書き留める。


男が、自分の性に対して自信を失うと、廬氏いうところの「事を通そう」と仕勝ちだ。つまり見栄を働くのである。この場合の見栄には、仕事上で男らしさを示そうとする人もいれば、風俗店通いを誇る者もいる。……歳をとってもまだまだ絶倫ですよ、と言いたいのだろうが、商売人達にしてみれば、見栄の強い客ほど、金払いが良くて、あしらいやすい客はない。大抵が経済的な損失を増やして行き詰まる。

女性も、自分の性に対して自信を失うと、やはり大抵、浮気に走るようだ。

男女双方とも、損失が経済的なものだけであるならまだ良しとすべきだろう。配偶者や子供等、または社会的な信用失墜は、残りの人生を辛く寂しいものに仕勝ちだ。……盛んなことを誇るのも良いが、浮気だからこそ相手をして貰えても、本気になる相手がいなければ傷つくのは誰か。大人なら大人らしく、リスクマネジメントもしっかりと考えた上で行動すべきだ。

なお、心霊的見地、霊媒の経験としていうのであれば、自信がないのは魔が差しやすい時であり、見栄を張るのは魔を払いにくい時である。……当人が覚悟するリスクよりも遙かに大きな損失を受けやすいのが、自信を失って見栄を張る時なのだ。


まあ、これを読んで想いを募らす人も多かろうが、私が受信したメッセージを端的に言い表すなら……「奥さんを大事にしないと後悔するぞ」という、オフ会時でも間に合うメッセージであったりする。


気がつけば、自分を救っていた

2006/04/27

2006年04月27日


 以前世話になった、某霊媒・先生から通信を頂いた。……自分の指導霊に「ここで学んだことを試すつもりで通信を送ってみよ。良い経験である」と告げられたそうだ。

・・・・・・・

『私はかつて、人々の霊障を救ってきたのだと思っていた。だが、こちらに来て気がついたのは、私は誰を救ったのでもなく、実は自分の霊障を解消していたのだということだ。……生きている内はそこが見えなかった。

『相談に乗ることが独り善がりだというのではない。ただ、相手と同じ霊障を自分も背負っているからこそ、相手を理解し、相手を癒し、相手を正して、良い未来へと繋げていけたのだ。

『自分は、救ったのではなく、救われたのである。……自分自身に。

『なまじ霊力があればこそ、自分が気づくこともなかった霊障を……微細であるが、疎かに出来ない霊障を、人の悩みを通じて自覚し、解消していったのだ。

『多くの人々が、一生の間に気がつくこともなく、解消せざるまま、死後に慌てるところを、私は、自分が人助けと信じていた行為の中で解決していたのである。

『だから後進の者に伝える。

『救いの中には自分が含まれている。……人の苦しんでいる様を見て、助けようとか、助けまいとか、下らぬ心を働かすな。他を救うために働くのではなく、自分が救われる機会であると信じて行え。

『行う前には空しく見えても、達成感で報われることもある。今は報われなくてもいずれ報われる日が来る。明日に報われないとしてもガッカリすることはない。報われる日が遠いことはそれだけ価値のある行い……誰もが出来ぬ事をしたのだから。』

・・・・・・・

……なお、通信を取り始めて三十秒ほどで意念が混濁して意味不明な文章になってしまい気がついた。他の霊界通信でも読むことだけれど、肉体に近い雰囲気の中にいると、霊達の意識が混濁するのである。こういう時には息継ぎが必要なのだ。

 というわけで、書き上げた半分を削除し、今度は息継ぎしつつ、すー、はぁ、で書き、休んでは、すー、はぁ、でまた書くを繰り返した。…… あなたももし直感が混濁したら、さらに集中するよりも一呼吸休んだ方が良いのかも知れない。


胎教と幼児教育

2006/04/19

 (A)廬氏の回答

心霊主義掲示板への回答として

06年4月19日 

Q 「胎教、および、幼児教育について教えを乞う」

 個々の手段については割愛する。

顰蹙――にならう犬猫を育てるだけならエサを与えさえすればよい。だが人の子を育てるというのは、その心を育てるということだ。音楽を聴かせ、オモチャを与え、教材を与える……だが子供の欲求を酌み取ることなくただ与えるだけなら、犬猫を育てるのとどう違うというのだろう?
 大切なのは、目をかけ、気配りをし、子供の欲求にしっかりと応えることである。……つまりは愛情をかけるということである。その愛情の発露としての胎教や、幼児教育であるならことさらにいうべき事など無い。昔から智慧ある婦人等が心掛けてきたことであるから。
 だが、子供の欲求を損なう形で押しつけるような、物まね胎教、物まね幼児教育は、思うような結果を得られまい。

顰蹙: 「蹙(美女)の顰み(しかめつら)にならう(真似する)」

純粋さを育てる――私には子供がいない。だが、私は多くの純粋なる「子供等」を育ててきた。いや、大人の邪気を取り去って子供としたのである。

 であるからいう。

汝に邪念はなしか?――分不相応の子を得て、誉れの美酒に酔いたいという欲はないか? 今時の子等はアレルギーなどで苦しむとか。水や空気や食い物に安心が出来ぬということだが、世の親が子を思う気持ちには毒が含まれていないのか?

胎教よりも邪気を抜くべし……子の非行を見て涙で邪気を吐くのではなく、日常生活の中で邪気を吐き、無邪気な子供を毒さぬようにすべし。それを忘れて何の胎教か!


(B) 某氏の霊より

心霊主義掲示板への回答として

06年4月19日 

心霊主義掲示板の投稿を読んだ後、 入浴中に懸り、いくつかビジョンを見せた後、「(ラフ原稿を)適当に味付けして出しておけ……」とのこと。努力してみた。

1,胎教について

 母親の笑顔(が醸し出す雰囲気)に敵う音楽はなし。母親が聞いてリラックスできる音楽を聴くなら良い。瑣事を忘れて聴くときには一心に聴くべし。だが、胎教と特別な気持ち、義務感から音楽を聴くなら、音楽を馬鹿にする子に育つ。

2,幼児教育について

 気配りの出来ない親が、いくら熱心に教育したって、犬に芸を教えることも出来ない。子供に為すべき事は「子供」に訊け。 


(C) 小嬰氏より

心霊主義掲示板への回答として

06年4月19日 

Q「胎教、および、幼児教育について教えを乞う」

 私が思いますに、胎教・幼児教育はとても大切です。それの施されていない子と比べて見ると、よく分ります。ですが、せっかちな人では良く教育が出来ません。早くから教育をすべきであるというのは、日常生活の何たるかを理解しない大人のいうことです。

 先ず、真の胎教・幼児教育には、目標を定めねばなりません。たとえば君子に育てたければ、親は君子に接するが如き気分で日々を送るべきです。士に……(武士というても良さそうです)……育てるなら、親も士として振るまい、鳶が鷹を生むかのような不自然な願いはお止めになることです。

 親が子に嘘をつきながら、子供の非行に涙するなどというのは、天罰と思わねばなりますまい。……自然に接すれば、その子の持っている天与の才が開花いたします。

 作為で引き出そうとするのは助長……折角の才能も親が不躾でダメにしている例は非常に多うございます。


幼児向けの教育が必要なのは親の方だ

2006年04月20日

 胎教・幼児教育に関する質問(質問者を、ではない)は掘り下げると奥が深い。

 必要なのは胎教や幼児教育の手段だろうか? 親の個性、子供の個性に合わない方法であれば、教育が親子間の信頼関係を歪めはしないか。親が嫌々勉強しているのに付合わされたら、体感的に子供も勉強が嫌になるだろう。

 大体、農作物に与える肥料や農薬だって、効果を観ながら適宜に調整するものだし、犬馬の調教だって、動物の反応を見ながら行うものだ。それを子供の躾・教育に関しては、方法論ばかりが先行するのは、人が幼児に対して不自然で過大な期待をしているのか、もしくは、人間の幼児が農作物や犬馬以下の存在として扱われているのではないか。…… 少なくとも、犬馬の子供らの方がよほど個性を大事にされているかに見える。――または、職業教育者が営利主義に陥って市場拡大を図っているのに、人々が知らずに踊らされているのか。

 丁度、インスタント食品の普及で味音痴が増えている(といわれている)ようなものではないか。箸や鉛筆の正しい持ち方が出来ない子供が多いというのも、親が子供と、まともな時間の過し方をしていないことを暗示する。単に食べ物を買え与えて後の世話をしないのではないか。それでは食事のマナーなどが身に付くはずもない。

 いや、もっと対外的な問題がある。子供が子供同士で遊ぶのは当然のこととして、休日も子供だけで過すか、親に連れられて行楽地に出掛けるだけでは、住宅近隣地での子供達の態度が悪いのも当然だ。ガラスの前でボール遊びしてガラスを割って逃げる、看板をボールの的にしては看板を壊す、立体駐車場で自転車を乗回す。注意すれば屁理屈で返し、叱れば逃去る。……親は一体何をしているのか。

 ああ、マンションのエントランスのド真ん前で、井戸端会議を開いて通行の邪魔をし、子供等は郵便ポストにイタズラをしている。まあ、親のマナーもその程度のものである。

 なるほど、親が忙しいのも理解するが、教育というのは教材を選ぶことではなく、子供に時間を割くことではないだろうか。大人と付合う機会がなくて、子供同士の中でだけ人間関係を育てさせるから、身勝手で、感情的で、非論理的な(というか、短絡的な)コミュニケーション能力しか持てない。……子供ぽい人間が増えているのではなく、大人と接する機会が少なくて、どう他人と接して良いのか判らない人間が多いのだろう。だから嫌われて途方に暮れる……嫌われて、慌てて、かえって傷口を拡げてしまう。

 で、自分らが苦労したから、子供にはちゃんと教育の機会を与えねば、というわけで、又教材に頼る。……破綻的論理の輪廻だ。グルグルと同じ事を繰返すように見えて、実際はどんどん事態が悪化している。

 良い教材よりも、親が心のゆとりを持って子供に接せられるようにすることが、本当の意味での子供の教育に必要なことだろう。…… だが、教材や教育法に目がいく。子供を迷わせる現代の親たちは、一体何から目を背けているのだろう?


欲が神仏を拝む

2006/04/16

 私も、社寺を歩くのが好きですが、参拝というよりも拝殿で精神統一をすることを目的にしています。この精神統一というのは、「心・霊」の統一ではなく、「心・霊・体」の統一のことです。

 ある時、熱心に(延々と)参拝している人がいて、拝殿前が開くのを待っていた時のことです。

『祈りが長いのは、欲が拝んでいるからだぞ』と、突然聞こえました。

 欲が拝んでいる……?

『宗教などといっても、人が神を拝んでいるのは稀で、大抵は欲が神を拝んでいる。魂が呼ぶなら応えもしようが、どうして欲心などに応えよう』

 なるほど、同じ人が拝むのでも、欲もあれば、魂の祈りもあるというわけか……しかし、地上で生きている限り不足が付きまといますから、自然と欲が出る事もあるでしょう。すると、自身の祈りが欲なのか、魂の発露なのか、自分で判断するのも難しいものですよね。せめて、欲心に自身の主導権を取られぬように注意いたしましょう。


2000年

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