‘その他の霊’ カテゴリーのアーカイブ

難多く、福少ない生き方

2006/03/27

2006年 03月 26日


宗教に関する通信を受けた直後、伝えたいことがある、という霊を感じた。知らない相手ではないので耳を傾けてみる。


 先ほど、宗教に関する通信を行っていらっしゃいましたが、誠にその通りと感じ入ります。私はここで、精神統一がうまくいかない或者の守護霊として、お時間を頂きたく思います。

 まず、いけないと思うことは、最初に理想の自分をもって統一にはいることです。確かに、精神統一の初期には、心を静めるために多少過剰気味に自信を持つことは結構です。しかし、修行が進んでも尚、同じ理想を懐き続けるのは、むしろ進歩を妨げていることを知るべきです。

 理想を持ちながらもちっともそれに近づかず、延々と統一を繰返しても飽きるだけです。実現しないのであれば、何故それが実現しないのか、または、自分に適切な理想であるのか、そういったことに疑問を持たなければなりますまい。

 生真面目であることは、その守護霊として誇りに思うところですが、(と、頭を下げられてこちらは赤面する)、要領が悪いのは何とも焦れったいところです。

 空虚な理想に決別して、真に理想を実現すること……それこそが地上に生れ出ずる意義であるのに、それをなおざりにすることは心霊学徒として不誠実であるばかりではありません。安全・順調な線路から外れているのですから危険が多くて遅れがちの生き方なのです。遅れるというのはチャンスを逃すという意味でもあるのです。

 難多く、福少ない生き方をしておいて、私(守護霊)を恨んでくださいますな。しなくても良い心配をさせられて、私が恨み言を言いたいぐらいなのですから。(ハラハラドキドキが伝わってくる)


 そう、幸運を求める人は、「幸運」を自家用車的に考えて、自分の元へ一直線に来ることを想像しているようだけれど、観念的には、バスや列車に例えるのが近いと思う。それはあちこちの人を繋げて、余る物を受取り、足りぬ所に運んでくるようにして、人に幸運をもたらす。

 だから、必要な時に必要なものを受取るためには、ジタバタせずに物事の流れに身を任せることが必要になる。でないと、乗り遅れて、次の機会を待たねばならなくなる。といって、焦って前のに乗ろうとすると、既に配る相手が決まっているからと断られもする。…… 人の物を欲しがる事がいたく嫌われるのも、こういう仕組みがあればこそだろう。


いつまで悩むのか?

2006/03/25

2006年 03月 24日


 とある霊が語る。

・・・・・・・

 思春期であるならいざ知らず、人、三十歳にいたらんとする時に、あれこれといろいろと思い煩うことは、危ういことであります。それは、自分の人生がいまだに自分の手中に納まっていないということ。生きるために必要な人生の智恵をいまだに持ち合わせていないということなのです。

 今般、このサイトで教えていることは、人生を手中に納め、もって、自分らしく生きることであるのに、それを読む者が、当座しのぎの問題解決策ばかり拾い読みしては、あれが足らぬ、これが足らぬ、私の人生をよく生きるためには足らぬものばかりだ、と不平を申しておりますが、世に摂理といわれ、神様のお計らい、などとも呼ばれる物事の自然な流れを、小手先の技、小ざかしい知識でどうこう出来るはずもなく、それでも何とかしようと摂理を欺く算段は、天につばを吐いてわが身を汚すような愚かなことでしかありません。

 いま、あなたを苦しめている諸問題にも、それぞれに原因があり、縁があり、そして今の苦しみがあるにせよ、それを事前に取り除けず、大きくなるのを止められず、悪い結果を消してなくせない、……乗り越えられるはずのものがぶつかって前に進めない、その己の非力さにも問題があるのです。

 中学生が、高校生の問題を解けないならば、分不相応をたしなめます。中学の問題が解けないなら、一生懸命に面倒も見ましょう。でも、小学生の問題が解けずにいるなら……嘆いて恥をかくのではなく、虚心・誠実に頭を下げて教えを請い、もって年齢相応の智識を身に付けることが大切でしょうに。

 個々の問題が解けない、その事も無論、当事者にとっては大変なことではありましょう。ですが、守護霊の立場から見れば、至るべきレベルに達することなく、いまだにそんな問題に引っかかっている、あなたの成長の遅れこそが一番の心配の種です。

 愚かさを心の中にしまって置けると思ったら大間違い。人の世にある限りは、心は心の中にとどまりますが、ひとたび霊魂として活動するなら、そして肉体を捨てて旅立つならば、心はそのままあなたの見る風景にもなるのです。

 愚かであるのもまた分相応で諦めねばなりませんが、隠したつもりで騙されているのが自分だけではあまりに情けなくもあります。そのような霊格がどれほど惨めな境遇であるのか……その場限りの対策がいつまで続くと思いますか。すでに破綻しているのに。


独立自営への道

2006/03/15

2006年 03月 14日


オフ会常連者の守護霊が眼前に現れた。何度も通信している相手である。そして言伝を頼まれた。

・・・・・・・

ええぃ。まったくしょうがない奴だ。仕事で酒を飲まねばならぬことはわかるが、用が済んでもまだ飲んでいる。金が問題なのではない。酒を飲めば自分がだらしなくなり、酔っている間は時間が無駄になるのである。そんなことでは独立自営などは出来はしない。そもそも当人は、独立自営など夢のこと、チャンスがあればありがたい程度でしか考えてはおらぬのだろうが、独立の気鋭を持たなければ、人間としてだめになる。

これからだんだん年をとり、頭を使うのが億劫になっていくのに、人の指図を待っていてはますます頭を使わなくなる。ましてや、相手の意図するところを見抜けなければ使われていても愚鈍扱いされてしまうだろう。そして経営者の意図するところを見抜くには、経営者の視点を持たなければならない。それは自社の経営者にとってもありがたいことであり、取引先とのコミュニケーション上も大切なことである。つまり、独立自営の道を選ぶとは、良い部下であるためにも必要なことである。

そしてまた、独立自営への道は、人を使い、人を扱い、何より人を磨くことである。自分を磨くだけでなく、人を磨けるようになってこそ、真の意味での独立自営の道が開ける。人を磨くことなく自営をはじめれば、人を頼って人に悩まされ、人を扱いかねて人に騙されることが多くなる。

社長に成れたら、ラッキー、ハッピー、金と名誉がついてくる・・・などと思うのは倒産するために会社を興すようなものである。独立自営の道とは、人としての完成を目指すものであって、何も背後の霊たちも、金と名誉を与えたくて、自営を目指せというのではない。背後の者たちにとって、物質的な成功というのはいわば二の次なのである。その視点を持たず、背後の意図するところを汲むこともなくいるから、自営の道を進めといわれても、まだ、流されることに安住しているのだ。

これから一家を構えるにしても、今までのように会社の責任だけを果たせばよいと安穏とはしていられない。一家を構えれば、家の責任も生じてくるのだ。その板ばさみでどれほど多くの人が涙ながらに神仏の加護を求めているのか、ぜひ聞かせてやりたいものである。

問題の切り口には向き不向きがあって、どこからきればよいかを見極めるのは難しいものだが、それを同時に二つも切らねばならないときには、もっと難しくなるのである。つまり、ひとつに責任を果たすのも難しいが、二つの責任を同時に果たすのはもっと難しい、その問題解決の要点のつかみ方、その取り組みの姿勢がまだまだ出来ずにいるのである。

ひとつがまだなのに次々と責任を抱えて、助けてくれるものがあるからと油断すると助けも呼べなくなるぞ。


誠意をどう表わす?

2006/03/12

2006年 03月 11日

騙された経験も財産

参照: 疑り深いと騙される

『疑うよりも誠実であれ。誠実であれば小さな裏切りを無数に経験するとしても、大きな裏切りからは守られるものだから。』

・・・・・・・

『小さな裏切りや、嘘のあった人ならば、それを口実に、借金や保証人の申し入れを断ることも出来ます。……裏切られ、騙されることも人生の財産になり得るのです。』

 互いに最大の誠意を持って交際を重ねられるのはなによりも幸せなことです。しかし、いくら誠意があろうとも、人は誤るかもしれず、力が及ばぬかも知れず、誤解があるかも知れません。それらから生じる不信を、どう克服していくかもまた、人として学んでいかなければならぬ一つです。


為すべき事から逃げぬ為に

参照: 霊査事例 3月5日(横浜)

『胃が弱い。胃が弱いからストレスを恐れる。恐れるから大人ぶった態度でストレスから逃れようとする。そこに弱みがあるのを知らぬのは大人だけである』―― ストレスから身体の不調を起しやすいあなたは、他人の面倒事を避ける様なボディーランゲージを多発しています。ところが、それを理解してくれる人ばかりではありません。子供や、子供っぽい人は、逃げようとする態度を見抜いてしまいます。どうせ逃げられないのだから……

・・・・・・・

体質が気質を方向付ける――胃が弱から、胃を庇いたくてストレスを避けようとする。胃薬を飲んでストレスと向き合っても、今度は腸が悪くなる。困苦から逃げ腰だからそこをつけ込まれて苦労する。そんな苦労が嫌になり、自分を変えようと努力すると……胃を患い、薬を飲めば腸を患う。なによりも、不健康だから努力が報われず、不健康だから不安が断てず、努力が報われないから焦り、焦るから不安がこみ上げ、不安が心を支配するから、胃腸どころか、目眩だ、動悸だ、立ちくらみだ、とあちらこちらの具合が悪くなる。

 こういう体質・気質の人にとって大切なのは、努力よりも誠実であることです。慌てて大きな成功を追い掛けるのではなく、小さな成功を重ねて、自信を育てていくことです。

 そもそも、不安というのは未だ起らぬ事を思い悩むことです。でも、未だ起らぬ事なら、起らぬように努力することも出来ます。その努力を止めて不安に浸ることにいかなる意義があるのでしょう! 不安に苦しむことは不安を実現する助けでしかありません。

 自信を得て、不安を遠ざけられるようになれば、同じ困苦に取り組んでも、それで受けるストレスは大きく緩和できるでしょう。…… すると、なんの能力開発もなく実力が向上することになります。

急がば回れ――小さな成功を重ねていく努力は、一見遠回りのように見え、また、新しい才能を獲得するよりも無益のように見えて、実は確実な成果をもたらすものです。

 努力の為の努力は、どれほど成果を上げても不毛です。為すべき事から逃げぬ為に努力することこそが有益な事でしょう。


なるほど奴には骨がない。

2006/02/20

2006年 02月 19日


 入浴していたら、ふっと某知人の事が頭に浮かび、『夢が叶わぬ事で日々ジリジリと暮らして、だんだん態度も悪くなって迷惑だなぁ…… 』等と思って、ふと我に返った。

 私の想いではなく、通信だ、と。面白そうなので耳を傾けてみる。

・・・・・・・

『素人建築家は、家屋を思うに柱の太さも、基礎の深さも考慮しない。間取りの工夫に、部屋の広さ、そして内外装の美しさだけを気にする。そう考えれば何とか実現が叶いそうだと浮かれて省みないから実現がしない。それどころか往々、柱を立てるのも基礎を掘るのも勿体ないなどと考えている。だが、デザインが悪かろうが、基礎と柱さえしっかりしていれば家は建つ。

『夢を実現するのも同じ事だ。基礎も柱もなく、見てくれだけに凝っている……夢の中だけでしか実現しないから夢のままなのである。夢を理想に高めていかぬから、いつまでも実現に進まぬのだ。

『お前は(霊媒)は、某氏を指して、とんとん拍子に物事が好転していき不可思議な物だと思っているが、なんのことはない。彼にはそれだけの実力があったのだ。ただ、柱と基礎を想わずにいるから実現が今まで滞っていただけである。

『一歩前に進みたければ、足下にも、裏にも留意することだ。現実的であるというのは、夢を否定することではなく、夢を実現する力でなければ成るまい。』

……嗚呼、確かに彼奴(某知人)には日常生活力が不足しているなぁ。

『人生の基礎を疎かにする者が、自分の夢に丈夫な基礎や柱を用意できるものか。無理に実現を図っても、自重に耐えきれず倒壊するのがオチである。それみよ、夢が実現しないというだけでも自分の重みに耐えきれずにもがいているではないか。』

 あ! と気がつき、悪寒が走る。

『ああ、そうとも。夢幻の住人……実現出来ない夢しか持てぬ者は、死後においては独り引き籠もって安穏と、夢幻界で暮らすが、地上においては夢と現実の間に挟まれて地獄の苦しみを味わうものだ。そして、夢幻の住人であることの苦しみを、一度でも地上で味わえば、死後においても夢が崩れる恐怖に戦く。

『なんのことはない、基礎や柱をケチって、バカにして、それが夢が理想に転じていかぬ原因であることに気がつかぬ結果なのだ。本来ならば努力など必要としないのに(楽しめばよいのだから)、努力を必要とする生き方をして、努力が嫌だと泣き喚くのである。

『楽しめばよいのである。基礎も柱も、夢の実現の一部として楽しみながら創造すればよいのに、それが出来ぬ。夢を実現する者と、夢の間まで終わらせるものとの間に、境涯があるという所以である。』

 成るほど彼奴には骨(柱)がない。あげく、家族(基礎)にも不平不満ばかりだ……まあ、他人の夢の実現よりも、今は自分が湯冷めをしないようにしなければ。


霊感の強い子を持つ親へ

2006/02/10

2006年 02月 09日


霊感の強い子を持つ親に一言いいたいという霊が来た。

『兎に角、霊感の強い子供を授った親は、子供に「霊査」を要求するな。言ってはならぬ事まで強いられれば、困る者が出るし、板挟みとなれば嘘も往々現れる。嘘が当り前に出るようになればそれも大変に困ったことだし、口が軽すぎるのも信用に傷が付く。

 出るものを使うのはよいが、出さぬものを強いては大変な罪となり、悪影響が出るのである。それもすぐに影響が出るなら反省もしようが、長ければ数十年もの歳月を経なければ表面に出ぬ悪影響を、舐めてかかって我子に害を残すのは親として許されることではない。

 往々、人は味を占めると要求がエスカレートしていくものだ。それを称して頭に乗る、増長する、というわけだが、親が子に増長するのは子に対する最大の暴虐である。

 そういう想いをさせたくないから、背後の霊達はインスピレーションを出し渋り、出し渋るから自ずと練習の機会も減り、せっかくの才能も練習させぬから萎れていくのだ。

 親が焦って、子の可能性を損っていくのは世間では良く目にすることではあるが、霊的才能を損わせるのは、この世だけの損ではなく、あの世にも引きずる大きな損失である。』


生前墓の管理

2006/01/16

06年 01月 15日


Q 「生前墓はどのように管理していけば良いのでしょうか?」

 私は墓相等を特に勉強しているわけではありません。一般常識として知っているのは、生前墓は縁起がよいということだけです。…… ので、背後に尋ねてみました。

・・・・・・・

 墓は家族の中心……といえば、今時の人々は呆れる者も多いだろう。だが、歳を重ね、祖父母を亡くし、父母を送り出す歳になれば、我が身が逝く時のことを想い、残された子供達が、仲良くするだろうか、時には父母を思い出してくれるだろうかと、思い煩うようにもなる。

 不安は魔が狙う。特に疑心暗鬼は魔の虜というべきだ。……せめて、我が子と逝く末を話し合えるなら良い。だが、婚期が年々伸びる中、親の不安はなかなか解消出来ずにいる。また、子がないままに生前墓を建てる者もいよう。

 そこで、生前墓のめでたきことは、無駄に子を頼ることを辞め、自らの覚悟で、不安や疑心暗鬼を拭おうとする努力である。―― それは魔を遠ざける。

 そこで、生前墓の管理で大切なことはといえば、裏表の二点がある。

 表の理由はといえば、生前墓といえども、清掃を疎かにしないことだ。……なるほど、その墓には霊はいない。いや、本来墓に霊がいるのが良からぬ事ではあるが、清掃が必要なのは、他家の墓に迷惑を及ぼさぬ為だ。また、墓誌に名が刻まれてはいなくても自家の墓には祖先の霊が様子を見に来る。大切にするが良い。

 裏の理由は、せっかく子供に頼らぬ覚悟で用意した生前墓を、また子供に頼る理由に用いぬ事だ。それをするなら、せっかくのめでたき生前墓が、かえって子に禍となってしまう。

・・・・・

 諸々の理由があって言い難きことではあるが、祖先の霊が、供養を求めて子孫を頼るという話が多いが、その多くは誤解と、また、悪しき心根から発しているものだ。それを踏まえて考えねばならない。

 誤解や悪しき心根を手本とせぬ事だ。……世に流布する心霊談で、当たり前のように供養を求めて祟り為す霊が紹介されるからといって、それを真似てはならぬ。殺されて資産を奪われるのでもない限り、生きた人に供養を強いたりしてはならない。


病気平癒の加持祈祷

2006/01/12

2006年 01月 11日

参照>「1月7日(横浜)


 時々、精神統一会前に、メモ用紙に個人的な質問事項を箇条書きにする。懸案がある場合には。――10月7日の横浜オフ会にも、「某氏の健康上の問題について」の質問があったが、箇条書き後、それらすべてを忘れて精神統一会の進行に打ち込んだ。

 途中、個人宛でない二点の霊査が降りた。敢て順番を逆にするが、

2, 冷気と換気で皆、呼吸器を傷めております。マスクは病原菌を防ぐだけが目的ではありません。適度に湿気を保つ働きもあります。活用してください。

……これは頷ける。まあ、私を含めて皆、面倒がってマスクなどしないだろう。

 だが、それに先だって降りた霊査はいささか唐突だった。

 敢て表記するが女性の声が、叱りつける勢いで、

1,「病気の平癒を祈願するなら、せめて肉食を断ち、火食断ちをすべきです。それもせずに神仏に祈っても、誰が聞くものですか。」

……一応、オフ会で報告する際には少々、語調を柔らかくした。

 少し説明しておく。火食とは加熱調理した食材を食べることだ。当然、お茶やコーヒーも禁止となる。冷水抽出したお茶やコーヒーもだ。なにせ、お茶ッ葉やコーヒー豆も加熱焙煎されている。これはいわゆる「潔斎」に相当するが、これには相応、実践的な意義がある。

 食材にも意念が籠る。調理は食材に意念を焼き付ける働きがある。さて、肉体=物質を対象とした霊査は、死者たちから見れば顕微鏡を覗く仕事に似て、微細な集中を必要とする。加熱調理の記憶はその集中を乱すのだそうだ。

 むろん、不可能ではないのが、本気で祈願するなら相手に無駄な努力をさせぬようにすべきだというわけだ。……心霊相談者には往々、この配慮が不足している。概ねそれは正しい心霊知識のないためとも言える。いわば無邪気の結果なのであるが、忙しければ無邪気の相手は後回しにされがちなのは避けようもない。

 で……、オフ会レポートには記載しなかったものの、後で改めて掲載しようと考えて……忙しさに放置していたところ、上述、質問者から、「フグを食べ過ぎて……」とのメールが来て気がついた。健康問題に関する回答はこれ一通であることに。

 別に贅沢を妬むわけではない。まあ、話としては贅沢を妬む方が面白くもあるし、それ故に説明が微妙に不足していたのだろう。だがもう一つ無言の示唆がある。

 疑問があるなら、まず自分の心を静めるべきだ。

 身体についての疑問があるなら、まず身体の働きを静めるべきだ。

 霊査を求める人がいても、私が出し惜しみするのは、言葉を得る前にまず、自分の心を静める練習をすべきと思うからだ。それこそが霊界の者達への礼儀なのである。その立場から見れば、なるほど、健康上の問題を相談するに当たり、潔斎を忘れることの非礼さにも関心を向けるべきだろうと思う。

 ――で、回答はしないが、回復祈願はしてある。これが現状では無難なところか。


修行の栞

2006/01/06

2006年 01月 05日


 修行をしたいという申し込みが増えている。しかし、私はいささか前を歩いているかも知れないが、ゴールにたどり着いたわけではない。それもあってか、改まって教えを乞われて戸惑うことがある。ついては「修行の道標」となる事柄を霊達に質問してみた。

Q 「どう修行すべきでしょうか?」

A 「あまり修行、修行とあらたまらぬが良い。人の数だけ修行の形があるのに、下手に修行の知識が広まれば、大勢が形に嵌ろうとして窮屈になっていく。自由闊達に自分を伸ばすのがよいのじゃ」

……なるほどと思ってしばらくこの質問は棚晒しになっていた。ところが、廬氏がこの件につき回答しようといいだした途端、それを遮るように話が広がった。

A 「己の過ちを認め、足らぬものを認め、弱いところを認め、欠点を認めることが、地上の生で学ぶべきことだ。

 霊界では、過ちがあろうとも魂の行き方が鈍ることなく時は過ぎていく。つまり、魂の行いが悪いことは、すなわち地上の人のいうところの妄想となって、ただその妄想が大きく膨らんでいくだけのことだ。正す必然がない世界では間違いを正すのは容易ではない。指導の神々(通信のまま、スピリチュアリズム的には高級霊と呼ぶべきか)が口を酸っぱくして言い諭しても開き直って、ワガママを改めようとしない霊魂の何と多いことか。……実をいえば、地上に再生する魂の中には、妄想をあらためぬ為に、『ならばその信念を地上で試してみよ!』と、送り出される者もいる。

 であるから人は、自らの信念を地上で貫いて自分の正しさを証明するか、心掛けを改め、素直に、そして誠実に生きるようにと勉めるかを選ばなければならない。……であるからこそ、隠しておきたいことがあるのだ。ただ苦労に信念を曲げ、死後は再び、夢幻界でワガママ放題をしようとする安易な霊魂に、抜け駆けの知識を与えたくなかったのである。……まあ良い。わしらもズルを認める気はないでな。」

Q 「素直で誠実に生きる、とは、魂の修行の完結の目的ではなく、人生の修行の完結に関する助言ですね。」

A 「うむ、廬氏の口出しを恐れたのは、氏が自らの努力による魂の完結を目指す方であるからだ。それに対してわしらのやっていることは、いわば、『授業を受けるなら師に敬意を払え』という程度の話で、無論必然もあってのことだ。ただ、情けないことにこの程度の課題さえも解けぬ者の何と多いことか……」

……ああ、たしかに……

A 「そう、心霊を学ぶというのは、素直に生きるということである筈なのに、大多数の者が、 無理を通す為に心霊を学ぼうとする。霊媒も神仏も騙してまで、自分のワガママを通そうとする魂の何と多いことか。その様に先のない行き方をする霊魂と関わらず、己の修行に専念することだ。」


どう修行するか?

2005/11/15

どう修行するか?

2005年 11月 15日

Q「最近、統一会がマンネリ化しつつある気がします。良き道をお示し下さい」

意図的な物――修行に形式を取入れると、進み具合の如何に関わらず、形式を守ることに満足しがちだ。特に、理解していない者ほど形式に従うことに満足してしまう。現状は自覚を促している時期である。

Q「オフ会参加が困難な遠隔地の方から、個人的な修行の方法について質問を受けました」

某女の守護霊より……「それについては、私がお話しいたします。」

・・・

 まず、池に指輪を落としたものと想像してみてください。ある人はがむしゃらに手探りで探すでしょう。またある人は息を凝らして水面をのぞき込み、さざ波が収まった水面からおよその指輪の位置を捕らえて、それから手を差し伸べて指輪を拾うでしょう。

 むろん水は光の屈折が異なりますから、思う位置へと指を運ぶのは容易ではありません。ですが、この比喩のいわんとすることはもっと精神的な答です。

 迷った時、困った時、自らの能力を超えた出来事と出会った時にあなたはどうするのか? この時の態度こそが、心霊主義者とそうでない者との差なのです。

 地上世界は助け合いで成り立っています。いえ、争いで成り立っているという見方もありますが、ならばなおのこと助け合うことが大切であるといえるのです。さらに心霊主義者の理念を再認識するなら、死者と生者とが助け合わずして、どうして地上の生が魂の向上に繋がるというのでしょうか?

 むろん、努力は大切です。でも、ただ努力するだけならば真の心霊主義者とは申せません。最初に心を静め、己が為すべき事をしっかりと見据えた上で努力する。努力の合間、合間にも一時は手を休め、目指すことと努力の方法が違ってはいないかを確認し、限界のある物質的肉体に無理がかかっていないかと点検する。…… そういう生き方が出来てこそ真の心霊主義者なのです。

 ただ信じるだけ、頼るだけで、何ら生かす努力がないなら、それは心霊主義者ではなく、心霊信者、心霊教徒に過ぎません。つまりそれは偉大な理念の協力者ではなく、他者の進歩向上に寄生する扶養家族に過ぎないのです。

・・・

 ここで、一つ大切なことがあります。心霊を学んだ人は自らも霊感を磨こうといたします。そしてしばし……しばし精神を統一し、心を澄まして異界からのメッセージを得ようと努力し、そしてたちまち諦めます。しかし、答のない物は答えようがないのです。…… 上述の例で行くと池の水面を覗いても指輪が見つからなければどうすべきでしょう? 泥に埋まったと疑うべきか、思わぬ所までとんでいったと思うべきか? はたまた自分には見つからぬと諦めるのか?

 心霊主義者が霊媒に指導を仰ぐのは、共同でカンニングをするためではありません。そこに無いことを確認するためなのです。そして在りかの探し方の指導を得る為なのです。

 無い答えを諦めることは利口なことです。ですが、自分の霊的才能を諦めることは、顕幽両界にわたる修行の旅の否定となるのです。もしもあなたが何ら霊的センスを発揮できないというのであれば、それはつまりあなたはごく初歩的なトレーニングの最中、つまり、修行の旅の代りに、旅に必要な基礎的知識の習得中であるということなのですから。

 忘れてはいけません。あなたが霊的センスを発揮できないのは見捨てられたからではなく、あなたが諦めているからです。あなたがヒントを得られないのは、あなたが見捨てられたからではなく、他者が答えられない質問をするからです。

 人生に責任を持つべきはまさに当事者、当事者なのです。他の誰でもありません。するとどうしても、他者には決して答えられない質問に心囚われることもあるでしょう。問うても答が得られぬ事に心を悩まさぬ事です。それはつまり現実からの逃避でしかありません。だから、答が得られなければ質問を変えてみることです。すると糸口が掴めるかも知れません。… …いつかは。

 多くの人は歪んだ問いを延々と続けて、答が得られぬと天を恨み、恨みの念がさらに必要なる答を隠すことに気がつきもいたしません。心を清らかに保つことの大切なのはそういうわけです。

「やはりダメだ」……という言葉は、つまり努力を放棄する者の言い訳です。世の人に霊感の無い人はいません。霊感という言葉に語弊があるなら、地上に直覚のない人はいないのです。……ただ、真実からあえて目を背ける人と、下らぬ事にばかり目を向けて、大切な物を見落とす人がいるだけのこと。

 心霊主義者とは、大切なことから目を背けぬ人をいいます。何よりも魂のあるべき姿から目を背けぬ人をいうのです。

 最後に……世の中に霊感の無い人はいません。それゆえに「自信とはつねに守護霊と結びついている事」という見方をお伝えしておきます。大切なのはコミュニケーションの手段・手法ではありません。それは努力で補えることなのですから。でも、あなたが守護霊を信じないのなら、守護霊も力を発揮出来ぬ物なのです。それもまた、答えられぬ事の一部なのです。


どう修行するか 2

2005年 11月 15日

某女の守護霊より……

Q 「心霊主義者であることは重要であるのか?」

 人生において心霊主義は必須の答ではありません。私の庇護者にも心霊主義者であることを強いはしません。ただ、地上に死者と手を携えて修行・向上の道を歩もうとするの人がいるのと同様、死者の中にも修行・向上の手段として、地上の人々を助けることを選ぶ者達がいるのです。

 つまり、心霊主義者であるかどうかを重視するのは、霊界にある「霊心主義者」なのです。むろん、この重視とは単なる主義思想の異同ではありません。互いにどれだけ共鳴・協調するかというものなのです。

 一人でコツコツと学ぶのも良いでしょう。でも、助け合うことで人はより広く、より客観的に学ぶことが出来ます。これはとても魅力的な選択肢です。


Q 「人と共に学んで、他者の間違いを鵜呑みにしたらどうなるでしょう?」

 間違うことも学びです。間違いを正すことはもっと大きな学びです。何よりも悪いことは無関心であること……違いますか? 心霊主義に限らず当たり前のことかと思います。


Q 「それぞれの求めることと、行うことの違いが対人関係の重荷です」

 違いに気づこうともせず、違いを思い知った時に「裏切られた!」と大騒ぎする。……確かに重荷でしょうね。素直に与えられた物だけで満足し、足りないものは自らの努力で得るようにすれば、きっと無様なことをせずに済み、無様なことを恥じることもなく生きることが出来るのに。

 でも私の庇護者はそういうことはしません。


Q 「かつての私は急ぎすぎたのでしょうか?」

 あなたに限らず、皆、あまりに不足を来していたのです。飢えているのに急に食べるから腹痛を起してしまう…… 足りないぐらいがちょうど良いのです。

 広い世の中、足りなければ大騒ぎする人があまりに多すぎます。でも、自らの努力もなく足りぬと騒ぐ者に真剣に応対することも愚かといえます。


Q 「次のステップへのヒントをいただけますか?」

 これは私の庇護者一人に宛てるものではなく、あなたのオフ会参加者一般にあてはまることです。

 まだまだ不平不満を吐き出さねばなりません。確かに足りぬものはあるでしょう。ですが、充足すれば人は往々安穏としてしまいます。適度に足りず、でも、充足する希望がある状況こそが在家の修行者にとって満足する環境なのです。

 それこそ、廬氏ではありませんが、足りぬ事が問題ではなく、充足する希望のないことこそが問題、いえ大問題なのです。それを、少々の不足で不平不満をいうなら、充足の希望が遠のいてしまいます。


守護霊のこと

2005年 11月 18日

上記「どう修行するか 2」において、通信をくれた某女の守護霊についての問い合わせを受けました。

参考: 「失せ物探し……焦るな

・・・

「溺れる者は藁をもつかむ」と申しますが、溺れている人に不用意に泳ぎ近づくと、必死にしがみつかれて、水泳のベテランでも共に溺死することがあります。

 同様に、悩める人に安易に守護霊からの通信を与えたりすると、しがみついて大変なことになり兼ねません。自分の気に入るメッセージを得るまでは延々と愚にもつかないことを質問攻めに質問攻めし、その返事が小言ばかりだと、心の空虚感を感じた相談者は、それこそ、明日の天気から、時事問題の細々としたことまで質問攻めにし、質問のくだらなさに辟易とすると、ますます質問がエスカレートするという悪循環に陥ります。

 水泳中にしがみつかれたら、わざと水に潜るとしがみついた人が手を離すそうですが、質問者が緊張しているときには、わざと回答をずらすのも霊媒が共倒れしないためのテクニックの一つです。

・・・

 さて、霊感の仕組みを知らぬ人は、必死な問いかけには相応の回答がもたらされると誤解しがちですが、その必死さは想念(誤った希望=妄想)の壁を作ってむしろ交霊の邪魔になります。ですから、必死な人が回答を得るのは疲れ果てた末のことです。疲れて想念の壁を維持できなくなって始めてインスピレーションが得られるわけです。……これでは非常に疲れます。

 世の中には、「私がこんなに必死に祈っているのに守護霊は応えてくれない!」という方もいらっしゃいますが、その心情は同情に値するとしても、仕組みから見れば無理難題に等しいのです。もっとも、一種ヒステリー体質的な人ならば、トランス状態にはいることでより高次なインスピレーションに浸れるかも知れませんが、よほど前世の因縁などに恵まれない限りは難しいでしょう。

 これに対して霊媒は、たった一度祈って、あとは待つものです。たとえ悩める人に同情してしつこく祈ったところで出来ないものは出来ません。かえって自らを想念の壁に押し込めて一時霊感が失われるのがオチです。……この、待つことが出来ない人が、インスピレーションから遠い生き方をしているわけです。

 とにかく、守護霊の返答を受けるのに重要なのは、動機よりもむしろ手段なのです。だから、悩める人が霊媒に相談するなら、どんなに焦っていても(どうせ相談中には何も出来ないのだから)五分でも、十分でも、落着き、精神統一する必要があります。

 困っているから助言が得られるのではなく、心を落着け、静かに祈れば、いつでも可能な限り手助けを与えてくれるのが守護霊です。しかし、心が乱れ、大騒ぎをしているなら、たとえ問題解決に可能な手段がたくさんあっても、それを伝達する手段を失ってしまうのが守護霊なのです。


お知らせBy老神いさお。

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 動かなかったのは湿気のせいか、RAMを抜き差ししたら無事に再起動しました。

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・東京オフ会: 
 7月度の東京オフ会は7月10日(土)
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 次回の大阪オフ会は10月の予定です。

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