どう修行するか?
2005年 11月 15日
Q「最近、統一会がマンネリ化しつつある気がします。良き道をお示し下さい」
意図的な物――修行に形式を取入れると、進み具合の如何に関わらず、形式を守ることに満足しがちだ。特に、理解していない者ほど形式に従うことに満足してしまう。現状は自覚を促している時期である。
Q「オフ会参加が困難な遠隔地の方から、個人的な修行の方法について質問を受けました」
某女の守護霊より……「それについては、私がお話しいたします。」
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まず、池に指輪を落としたものと想像してみてください。ある人はがむしゃらに手探りで探すでしょう。またある人は息を凝らして水面をのぞき込み、さざ波が収まった水面からおよその指輪の位置を捕らえて、それから手を差し伸べて指輪を拾うでしょう。
むろん水は光の屈折が異なりますから、思う位置へと指を運ぶのは容易ではありません。ですが、この比喩のいわんとすることはもっと精神的な答です。
迷った時、困った時、自らの能力を超えた出来事と出会った時にあなたはどうするのか? この時の態度こそが、心霊主義者とそうでない者との差なのです。
地上世界は助け合いで成り立っています。いえ、争いで成り立っているという見方もありますが、ならばなおのこと助け合うことが大切であるといえるのです。さらに心霊主義者の理念を再認識するなら、死者と生者とが助け合わずして、どうして地上の生が魂の向上に繋がるというのでしょうか?
むろん、努力は大切です。でも、ただ努力するだけならば真の心霊主義者とは申せません。最初に心を静め、己が為すべき事をしっかりと見据えた上で努力する。努力の合間、合間にも一時は手を休め、目指すことと努力の方法が違ってはいないかを確認し、限界のある物質的肉体に無理がかかっていないかと点検する。…… そういう生き方が出来てこそ真の心霊主義者なのです。
ただ信じるだけ、頼るだけで、何ら生かす努力がないなら、それは心霊主義者ではなく、心霊信者、心霊教徒に過ぎません。つまりそれは偉大な理念の協力者ではなく、他者の進歩向上に寄生する扶養家族に過ぎないのです。
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ここで、一つ大切なことがあります。心霊を学んだ人は自らも霊感を磨こうといたします。そしてしばし……しばし精神を統一し、心を澄まして異界からのメッセージを得ようと努力し、そしてたちまち諦めます。しかし、答のない物は答えようがないのです。…… 上述の例で行くと池の水面を覗いても指輪が見つからなければどうすべきでしょう? 泥に埋まったと疑うべきか、思わぬ所までとんでいったと思うべきか? はたまた自分には見つからぬと諦めるのか?
心霊主義者が霊媒に指導を仰ぐのは、共同でカンニングをするためではありません。そこに無いことを確認するためなのです。そして在りかの探し方の指導を得る為なのです。
無い答えを諦めることは利口なことです。ですが、自分の霊的才能を諦めることは、顕幽両界にわたる修行の旅の否定となるのです。もしもあなたが何ら霊的センスを発揮できないというのであれば、それはつまりあなたはごく初歩的なトレーニングの最中、つまり、修行の旅の代りに、旅に必要な基礎的知識の習得中であるということなのですから。
忘れてはいけません。あなたが霊的センスを発揮できないのは見捨てられたからではなく、あなたが諦めているからです。あなたがヒントを得られないのは、あなたが見捨てられたからではなく、他者が答えられない質問をするからです。
人生に責任を持つべきはまさに当事者、当事者なのです。他の誰でもありません。するとどうしても、他者には決して答えられない質問に心囚われることもあるでしょう。問うても答が得られぬ事に心を悩まさぬ事です。それはつまり現実からの逃避でしかありません。だから、答が得られなければ質問を変えてみることです。すると糸口が掴めるかも知れません。… …いつかは。
多くの人は歪んだ問いを延々と続けて、答が得られぬと天を恨み、恨みの念がさらに必要なる答を隠すことに気がつきもいたしません。心を清らかに保つことの大切なのはそういうわけです。
「やはりダメだ」……という言葉は、つまり努力を放棄する者の言い訳です。世の人に霊感の無い人はいません。霊感という言葉に語弊があるなら、地上に直覚のない人はいないのです。……ただ、真実からあえて目を背ける人と、下らぬ事にばかり目を向けて、大切な物を見落とす人がいるだけのこと。
心霊主義者とは、大切なことから目を背けぬ人をいいます。何よりも魂のあるべき姿から目を背けぬ人をいうのです。
最後に……世の中に霊感の無い人はいません。それゆえに「自信とはつねに守護霊と結びついている事」という見方をお伝えしておきます。大切なのはコミュニケーションの手段・手法ではありません。それは努力で補えることなのですから。でも、あなたが守護霊を信じないのなら、守護霊も力を発揮出来ぬ物なのです。それもまた、答えられぬ事の一部なのです。
どう修行するか 2
2005年 11月 15日
某女の守護霊より……
Q 「心霊主義者であることは重要であるのか?」
人生において心霊主義は必須の答ではありません。私の庇護者にも心霊主義者であることを強いはしません。ただ、地上に死者と手を携えて修行・向上の道を歩もうとするの人がいるのと同様、死者の中にも修行・向上の手段として、地上の人々を助けることを選ぶ者達がいるのです。
つまり、心霊主義者であるかどうかを重視するのは、霊界にある「霊心主義者」なのです。むろん、この重視とは単なる主義思想の異同ではありません。互いにどれだけ共鳴・協調するかというものなのです。
一人でコツコツと学ぶのも良いでしょう。でも、助け合うことで人はより広く、より客観的に学ぶことが出来ます。これはとても魅力的な選択肢です。
Q 「人と共に学んで、他者の間違いを鵜呑みにしたらどうなるでしょう?」
間違うことも学びです。間違いを正すことはもっと大きな学びです。何よりも悪いことは無関心であること……違いますか? 心霊主義に限らず当たり前のことかと思います。
Q 「それぞれの求めることと、行うことの違いが対人関係の重荷です」
違いに気づこうともせず、違いを思い知った時に「裏切られた!」と大騒ぎする。……確かに重荷でしょうね。素直に与えられた物だけで満足し、足りないものは自らの努力で得るようにすれば、きっと無様なことをせずに済み、無様なことを恥じることもなく生きることが出来るのに。
でも私の庇護者はそういうことはしません。
Q 「かつての私は急ぎすぎたのでしょうか?」
あなたに限らず、皆、あまりに不足を来していたのです。飢えているのに急に食べるから腹痛を起してしまう…… 足りないぐらいがちょうど良いのです。
広い世の中、足りなければ大騒ぎする人があまりに多すぎます。でも、自らの努力もなく足りぬと騒ぐ者に真剣に応対することも愚かといえます。
Q 「次のステップへのヒントをいただけますか?」
これは私の庇護者一人に宛てるものではなく、あなたのオフ会参加者一般にあてはまることです。
まだまだ不平不満を吐き出さねばなりません。確かに足りぬものはあるでしょう。ですが、充足すれば人は往々安穏としてしまいます。適度に足りず、でも、充足する希望がある状況こそが在家の修行者にとって満足する環境なのです。
それこそ、廬氏ではありませんが、足りぬ事が問題ではなく、充足する希望のないことこそが問題、いえ大問題なのです。それを、少々の不足で不平不満をいうなら、充足の希望が遠のいてしまいます。
守護霊のこと
2005年 11月 18日
上記「どう修行するか 2」において、通信をくれた某女の守護霊についての問い合わせを受けました。
参考: 「失せ物探し……焦るな」
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「溺れる者は藁をもつかむ」と申しますが、溺れている人に不用意に泳ぎ近づくと、必死にしがみつかれて、水泳のベテランでも共に溺死することがあります。
同様に、悩める人に安易に守護霊からの通信を与えたりすると、しがみついて大変なことになり兼ねません。自分の気に入るメッセージを得るまでは延々と愚にもつかないことを質問攻めに質問攻めし、その返事が小言ばかりだと、心の空虚感を感じた相談者は、それこそ、明日の天気から、時事問題の細々としたことまで質問攻めにし、質問のくだらなさに辟易とすると、ますます質問がエスカレートするという悪循環に陥ります。
水泳中にしがみつかれたら、わざと水に潜るとしがみついた人が手を離すそうですが、質問者が緊張しているときには、わざと回答をずらすのも霊媒が共倒れしないためのテクニックの一つです。
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さて、霊感の仕組みを知らぬ人は、必死な問いかけには相応の回答がもたらされると誤解しがちですが、その必死さは想念(誤った希望=妄想)の壁を作ってむしろ交霊の邪魔になります。ですから、必死な人が回答を得るのは疲れ果てた末のことです。疲れて想念の壁を維持できなくなって始めてインスピレーションが得られるわけです。……これでは非常に疲れます。
世の中には、「私がこんなに必死に祈っているのに守護霊は応えてくれない!」という方もいらっしゃいますが、その心情は同情に値するとしても、仕組みから見れば無理難題に等しいのです。もっとも、一種ヒステリー体質的な人ならば、トランス状態にはいることでより高次なインスピレーションに浸れるかも知れませんが、よほど前世の因縁などに恵まれない限りは難しいでしょう。
これに対して霊媒は、たった一度祈って、あとは待つものです。たとえ悩める人に同情してしつこく祈ったところで出来ないものは出来ません。かえって自らを想念の壁に押し込めて一時霊感が失われるのがオチです。……この、待つことが出来ない人が、インスピレーションから遠い生き方をしているわけです。
とにかく、守護霊の返答を受けるのに重要なのは、動機よりもむしろ手段なのです。だから、悩める人が霊媒に相談するなら、どんなに焦っていても(どうせ相談中には何も出来ないのだから)五分でも、十分でも、落着き、精神統一する必要があります。
困っているから助言が得られるのではなく、心を落着け、静かに祈れば、いつでも可能な限り手助けを与えてくれるのが守護霊です。しかし、心が乱れ、大騒ぎをしているなら、たとえ問題解決に可能な手段がたくさんあっても、それを伝達する手段を失ってしまうのが守護霊なのです。