‘小嬰氏’ カテゴリーのアーカイブ

神秘に畏敬の念を持つ

2006/09/06

2006年09月06日


風呂にはいると、久しぶりに支配霊の小嬰氏が「礼節、礼節」と語りかける。意味がピンと来なかったが、風呂上がりにゆっくり聞き取らせていただきますと、約束していた……そして風呂上がり、何とはなしに、テレビをつけたら、たまたま魔女達が魔法の使い方について語っていた。(チャームド 魔女三姉妹) セリフはうろ覚えだが、「神秘に畏敬の念を持つこと」……それを聞いた途端に、背後(小嬰氏ではない)がかく語る。

・・・・・・・

『畏敬の念、確かに大切なことである。……見よ!

……過去の相談事例のいくつかが、フラッシュバックする。

『畏敬の念どころか、神秘を侮り、利用しようとする。姑息にも霊媒を騙し、つけ込み、スキャンダルをでっち上げて脅してまで、神秘を私利せんとするのだから愚かしい。……その愚かさの挙げ句、何を得たのか?

「さあ? 人はしょせん無一物、持っていないものを失いようもなく」……等と知った風な事を思う。どうせ、もうどうでも良い思い出のいくつかである。

『確かに、人は無一物、だからこそ、失ってはならぬものもある。……出家者はなにゆえに鉢(衣鉢のハチ・むしろお椀というべきか。)を与えられるか。粥を与えられても鉢がなければ受け取れぬではないか。粥を受けるのに鉢が必要なように、人は助けを受けるのに誠意が必要なのである。誠意がなければ、助けを得てもこぼして利が残らぬのである。

……うーーん。出家者ではないので、衣鉢の意味は取り違えているかも知れないが、何とか理解できる。確かに……薄汚れたお椀を差し出しておきながら、盛られたお粥が汚れていると不平不満の者の何と多いことだろう。

すると、別の背後霊(武士)が……

『されば、である。人の魂は、一つ生前の境涯に支配されているもので、その時理解していたことよりも高度なことは理解できぬ。祟りを恐れて、難を逃れることの大切さは理解できても、修行して向上することの意義がどうあっても理解できぬのだ』

……再び僧侶の霊が表われ、

『ともかくも、不可知なものに接する態度如何で、その者の霊格は明らかになる。畏敬の念の理解できぬ者の無事を祈るのはよい。だが、諭そうとは思うな。生前に知っていたことは「言葉」で思い出す。だが、生前に知らぬ事はいくら言葉を聞いたところで、身に付かず、理解できぬのだから。』

……それぞれが、それ相応な人生を歩む。背伸びをしても躓くだけのこと。 謙虚に、謙虚に……

すると武士の霊が

『うむむ、おぬし(私)のいう、謙虚とは単に苦労を嫌うだけのことに聞こえるが?』

「……確信犯です。」と、私。

またまた、僧侶の霊が

『何にせよ、時期に叶わなければ手出しはむしろ足手まといである。時節が整うまでは慎む……「可《》し」!!』

最後の「可し」は、なぜかわざわざ字を見せられた。

確認すると、私が「慎むべし」と聞けば命令形と理解するだろうが、本来の意味は好意的了解のニュアンスだからだそうだ。


まあ、時間に余裕のあるときの、私(霊媒)の心中のサンプルである。ところで小嬰氏は……? ああ、これまた私の日常である。


胎教と幼児教育

2006/04/19

 (A)廬氏の回答

心霊主義掲示板への回答として

06年4月19日 

Q 「胎教、および、幼児教育について教えを乞う」

 個々の手段については割愛する。

顰蹙――にならう犬猫を育てるだけならエサを与えさえすればよい。だが人の子を育てるというのは、その心を育てるということだ。音楽を聴かせ、オモチャを与え、教材を与える……だが子供の欲求を酌み取ることなくただ与えるだけなら、犬猫を育てるのとどう違うというのだろう?
 大切なのは、目をかけ、気配りをし、子供の欲求にしっかりと応えることである。……つまりは愛情をかけるということである。その愛情の発露としての胎教や、幼児教育であるならことさらにいうべき事など無い。昔から智慧ある婦人等が心掛けてきたことであるから。
 だが、子供の欲求を損なう形で押しつけるような、物まね胎教、物まね幼児教育は、思うような結果を得られまい。

顰蹙: 「蹙(美女)の顰み(しかめつら)にならう(真似する)」

純粋さを育てる――私には子供がいない。だが、私は多くの純粋なる「子供等」を育ててきた。いや、大人の邪気を取り去って子供としたのである。

 であるからいう。

汝に邪念はなしか?――分不相応の子を得て、誉れの美酒に酔いたいという欲はないか? 今時の子等はアレルギーなどで苦しむとか。水や空気や食い物に安心が出来ぬということだが、世の親が子を思う気持ちには毒が含まれていないのか?

胎教よりも邪気を抜くべし……子の非行を見て涙で邪気を吐くのではなく、日常生活の中で邪気を吐き、無邪気な子供を毒さぬようにすべし。それを忘れて何の胎教か!


(B) 某氏の霊より

心霊主義掲示板への回答として

06年4月19日 

心霊主義掲示板の投稿を読んだ後、 入浴中に懸り、いくつかビジョンを見せた後、「(ラフ原稿を)適当に味付けして出しておけ……」とのこと。努力してみた。

1,胎教について

 母親の笑顔(が醸し出す雰囲気)に敵う音楽はなし。母親が聞いてリラックスできる音楽を聴くなら良い。瑣事を忘れて聴くときには一心に聴くべし。だが、胎教と特別な気持ち、義務感から音楽を聴くなら、音楽を馬鹿にする子に育つ。

2,幼児教育について

 気配りの出来ない親が、いくら熱心に教育したって、犬に芸を教えることも出来ない。子供に為すべき事は「子供」に訊け。 


(C) 小嬰氏より

心霊主義掲示板への回答として

06年4月19日 

Q「胎教、および、幼児教育について教えを乞う」

 私が思いますに、胎教・幼児教育はとても大切です。それの施されていない子と比べて見ると、よく分ります。ですが、せっかちな人では良く教育が出来ません。早くから教育をすべきであるというのは、日常生活の何たるかを理解しない大人のいうことです。

 先ず、真の胎教・幼児教育には、目標を定めねばなりません。たとえば君子に育てたければ、親は君子に接するが如き気分で日々を送るべきです。士に……(武士というても良さそうです)……育てるなら、親も士として振るまい、鳶が鷹を生むかのような不自然な願いはお止めになることです。

 親が子に嘘をつきながら、子供の非行に涙するなどというのは、天罰と思わねばなりますまい。……自然に接すれば、その子の持っている天与の才が開花いたします。

 作為で引き出そうとするのは助長……折角の才能も親が不躾でダメにしている例は非常に多うございます。


幼児向けの教育が必要なのは親の方だ

2006年04月20日

 胎教・幼児教育に関する質問(質問者を、ではない)は掘り下げると奥が深い。

 必要なのは胎教や幼児教育の手段だろうか? 親の個性、子供の個性に合わない方法であれば、教育が親子間の信頼関係を歪めはしないか。親が嫌々勉強しているのに付合わされたら、体感的に子供も勉強が嫌になるだろう。

 大体、農作物に与える肥料や農薬だって、効果を観ながら適宜に調整するものだし、犬馬の調教だって、動物の反応を見ながら行うものだ。それを子供の躾・教育に関しては、方法論ばかりが先行するのは、人が幼児に対して不自然で過大な期待をしているのか、もしくは、人間の幼児が農作物や犬馬以下の存在として扱われているのではないか。…… 少なくとも、犬馬の子供らの方がよほど個性を大事にされているかに見える。――または、職業教育者が営利主義に陥って市場拡大を図っているのに、人々が知らずに踊らされているのか。

 丁度、インスタント食品の普及で味音痴が増えている(といわれている)ようなものではないか。箸や鉛筆の正しい持ち方が出来ない子供が多いというのも、親が子供と、まともな時間の過し方をしていないことを暗示する。単に食べ物を買え与えて後の世話をしないのではないか。それでは食事のマナーなどが身に付くはずもない。

 いや、もっと対外的な問題がある。子供が子供同士で遊ぶのは当然のこととして、休日も子供だけで過すか、親に連れられて行楽地に出掛けるだけでは、住宅近隣地での子供達の態度が悪いのも当然だ。ガラスの前でボール遊びしてガラスを割って逃げる、看板をボールの的にしては看板を壊す、立体駐車場で自転車を乗回す。注意すれば屁理屈で返し、叱れば逃去る。……親は一体何をしているのか。

 ああ、マンションのエントランスのド真ん前で、井戸端会議を開いて通行の邪魔をし、子供等は郵便ポストにイタズラをしている。まあ、親のマナーもその程度のものである。

 なるほど、親が忙しいのも理解するが、教育というのは教材を選ぶことではなく、子供に時間を割くことではないだろうか。大人と付合う機会がなくて、子供同士の中でだけ人間関係を育てさせるから、身勝手で、感情的で、非論理的な(というか、短絡的な)コミュニケーション能力しか持てない。……子供ぽい人間が増えているのではなく、大人と接する機会が少なくて、どう他人と接して良いのか判らない人間が多いのだろう。だから嫌われて途方に暮れる……嫌われて、慌てて、かえって傷口を拡げてしまう。

 で、自分らが苦労したから、子供にはちゃんと教育の機会を与えねば、というわけで、又教材に頼る。……破綻的論理の輪廻だ。グルグルと同じ事を繰返すように見えて、実際はどんどん事態が悪化している。

 良い教材よりも、親が心のゆとりを持って子供に接せられるようにすることが、本当の意味での子供の教育に必要なことだろう。…… だが、教材や教育法に目がいく。子供を迷わせる現代の親たちは、一体何から目を背けているのだろう?


迷惑なる者への心構え

2005/05/28

 なにやら、人の為す事にイライラとなさっているご様子。それを見て叱ろうなどとは考えておりません。ただなるべく心穏やかになさいませと、ご意見申し上げます。

 人が何ゆえにこの世に生まれいずるかといえば、いうまでも無くそれは未熟さを克服するが為。その第一歩がまず、己の未熟さに気がつくことであることを知れば、世の中、己が欠点に気が付かない迷惑なる人が多いのは、腹を立てるまでも無くあたりまえの事。

 かように未熟者が多い世に、生まれ出るにおいては、腹立たしき事もさぞかし多き事でしょうが、それを覚悟でお生まれになったことは常に身命に刻み込んでいただきたく思います。苦労は避けがたく、逃れがたいが、決して乗り越えがたくはありません。

 向上の第二歩目が、己の未熟さの克服であれば、素人もまた、素人なりに己が才能を発揮したいと思わざるを得ず、してみれば、未熟な話、未熟な才能に突き合わされて辟易ともなさいますでしょうが、これもまた地上の生の特色であります。

 未熟なる者との付き合いは、いわば霊界が徴収する税金のようなものでして、未熟者には手厚く指導がなされ、向上を果たすほど、より未熟なる者の世話が肩にのしかかるのは、この世の摂理に他なりません。それによりて御神命が損なわれては一大事ですが、あまり神経質には成らぬようにお心やすくお願いいたします。

 だれもが、自分なりに満足の行く人生を歩みたいもの。未熟な者が指導を嫌うのは、それが自分の向上につながらぬがゆえ。また、巧みなる者が未熟者を嫌うのは、それが足手まといなため。それぞれが自分の技量に見合った環境を得れば、おのずと住む世界も分かれて心地よく暮らせるようになります。

 迷惑な者を退け、清々と気持ちよくお過ごしになりたいのは、誰もが同じ事でしょう。しかし、地上は兎角狭苦しく、住む世界を分かつまでにも肘も当たれば、足も踏みます。入れ替えには時間がかかるがゆえに、少々の狭苦しき思いや、面倒ごとは寛大なる気持ちでお許しください。何も成さぬのではなく、後に恨みの残らぬように、様子を見ながら勧めておりますゆえに。

(2003年5月27日)


退屈だ!!

2005/05/22

Q 「小嬰さん、助けて! とても退屈です!!」

1, まずは礼儀を正しなさい。ここでいう礼儀とは姿勢や儀礼の事ではありません。心のあり方のことです。他を侮蔑せず、他を恐れず、真心で接することです。

 人は恐れるから他を攻撃し、他を無視し、他を憎みます。……あなたが真の勇気を心に抱いているなら、自ずとあなたは礼儀正しくするはずです。

2, そして信じることです。あなたは幸せになるため、向上するためにこの世に生まれてきた。だから、今あなたが心を悩ませるものも、そして報われぬ努力も、あなたが気がつかぬだけで、実は真の意義が潜んでいるのだと信じることです。

 もしかしたら……何の意義もないかも知れません。ですが、意義無くとも誠意を尽すあなたの行為に意義が生じてきます。

 信じることです。自分のみではなく、神仏天に頼るのでもなく、自分の持って生まれた宿命を信じることです。

3, さらには、待つことです。待つことが辛いからこそ、退屈と叫ぶのでしょう。ですが、それは待ち方が下手なのです。…… 待つことに自信があるなら、退屈するより期待します。退屈するのは期待を忘れているからなのです。それはつまり、心の姿勢がだらけているということでもあります。


 私が申し上げたいのは心の姿勢の美しさです。むろん、心の有様は人の眼には見えません。しかし、心の姿勢の乱れは、あなたの心に直ちに反映されます。

 あなたが恐れ、憎み、妬むとき、また、退屈や不満を感じるとき、あなたはその理由を自分以外の他の誰かの所為《せい》にし、それを責めて心を安らげようとします。

 それは礼儀正しくないばかりか、卑怯ですらあります。

 卑怯の証を肉体に見出すのは難しい……しかし、死後の世界では卑怯の証は当たり前に見えるものです。

 常に礼儀正しくありなさい。出来る限り礼儀正しくありなさい。……形だけでなく、心のあり方の中に正しさを身につけなさい。そうすれば、あなたも礼儀正しく扱われ、そこに興味の尽きぬ関心が生じます。


2005-05-22

 

倹約の心構え

2003/05/28

 なにやら倹約の話が話題とか。

 私が思いますに、倹約の第一は、居住まいを正す事です。

 (普段)だらしない態度を取っていればこそ、(いざという時)無駄金を使わねば体面が保てなくなり、いざという時に人を使わねばならぬから、そこで礼金を用意しなければ成らなくなります。

 普段から居住まいを正し、要所要所に労力を惜しまずにいれば、おのずと無駄が減っていきます。忙しくなれば無駄金を使う機会も無く、居住まいが正しければ、高価な服、きらびやかな服などを着なくても、泰然と威厳が整うものです。

 普段だらしない人々が、冠婚葬祭の質を落とせば世から嘲られますが、普段から居住まい正して暮らしている人は、冠婚葬祭を謹んで世から尊敬を受けるもの。

 豊かさは、金の有無に決まるのでなし、あなたの生活態度一つで決まるのです。


 なに、肥満について答えよとか――私は、人の身体の仕組みは深く知りませんが、背筋を伸ばし、姿勢正しく暮らすだけで、息は深くなり、気は身体に巡り、無駄食いは減り、酒も減る事でしょう。

 だらだらと暮らしているから、酒飲みの霊などに付け込まれます。

(2003年5月27日)


戦乱の時の心構え

2003/04/05

 この通信者を仮に、「小嬰(腰が低くてとても背が低く見えたことから)」と呼びます。


・・・イラク戦争に関して・・・

 私がここで申し上げたいのは、世に戦乱ある時の、心構えであります。

 戦争は確かに痛ましく、憎しみは確かに厭うべきものです。しかし、憎みあう者同志も人間であり、殺し、殺される者もまた人間なのです。殺す者のみを憎み、殺される者を愛するというのは、大きな偏見であります。大きな偏りであります。もしもあなたが、その争いの最中に割って入ろうとするのであれば、くれぐれも冷静さを失わぬことです。そして、冷静さを失わぬためには、まず理《ことわり》を見失わず、礼節を正して語るべきです。

 くれぐれも、争いの道が愚かであるとか、暴挙であるなどと言つてはなりません。それは仲裁者の態度ではなく、一方の加担者であるということです。

 勝敗は必ずしも善悪を現しません。弱者は必ずしも善ではありません。堂々と宣戦を布告するのが悪であるなら、宣戦を布告せず、兵を動かさずに殺し合えば卑怯でもあります。

 かの地、イラクは、喧々と争いが絶えず、殺し合いが絶えずにありました。その地に平和をもたらすのに、果たして戦争が必要であるのかといえば、わたくしもまた、反対ではあります。

 しかし、人々が愛し合い、分かり合おうとしなければ、銃弾が飛び交う事が無くても、それだけでは平和と呼べません。子供達を銃弾が貫くのも心痛む光景ですが、殺伐とした雰囲気が子供達を毒していくのもまた百年近くも続く心の汚染なのです。

 ただ祈れとは申しません。あなたが本当に平和を愛する人ならば、一方に荷担することなく、冷静で平等な仲裁者の立場を大切になさってください。一市民に過ぎぬあなたが、国家間の戦争の仲裁者足らんという態度をとるのは、笑止に思えるかもしれませんが、戦争に反対しながら隣人との諍いを止めぬような事こそが、真に笑止なことです。

 まず、隣人を大切になさる事です。時間がかかろうが、隣人との調和をひろげてこそ、真の平和に世が包まれるのですから。

 皆様は、人生を考えるのに、生死を超越した心霊の立場より考えるとの事。そうでありますならば、正義や善悪を超越して、相手が人間である事も、どうぞお考えくださいませ。争いで平和は勝ち得ませんが、差別や憎しみからも平和は生じません。

 どうぞあなたの御心が平和に包まれます事を。そして、どうぞ皆様が仲良く暮らせます事を。

(2003年4月4日)


霊媒の義務

2002/12/10

Q 『霊媒に対して人々は様々な期待を抱いています。霊界と人々との間に入って、私たちは何を心掛けるべきでしょう?』

 この回答は盧氏以外から回答がありました。セリフ中に括弧で括ったのはニュアンスとして受け取った部分です。……
 品良く、そして丁寧に、深々と頭を下げる男性の霊が見えます。

A 「あなたは、天(不可知なもの全般)に対しては謙虚に、人(他)に対しては親切に生きるべきです。」

Q 『……?(質問の趣旨とは異なる回答に戸惑う)』

A 「あなたはただ、天に対しては謙虚に、人に対しては親切に生きるべきです。そして、人々に何かを求められたら、『あなたは天に対しては謙虚に、人に対しては親切であるように勤めなさい』と、答えればよろしいのです。皆が天に対して謙虚であれば、世に不安が広がる事も無く、皆が人に対して親切であれば、世の中の憎しみが減っていきます。」

Q 『あっ……!』

A 「私が見ておりますと、あなたが心霊相談を受けて対応に苦慮する人々は、天に無理を言おうとし、自分は親切なつもりでも思慮の浅い人である事が多いのです。ですから、あなたは、霊媒であると気負うことなく、ただ、天に対しては謙虚に、人に対しては親切であるように心掛けるのです。その心掛けがあなたの言動からにじみ出るようになれば、おのずと無理な質問に苦しむ事も減るでしょう。あなたは、
いえ、あなた方は無用な気負いで自ら苦しんでいらっしゃいます。」

同様の問題を、盧氏からも返答いただきました。

Q 『霊媒にとって背後霊団の獲得はとても大切です。霊界の援助、志の賛同者を得る為に心掛けるべきは何でしょうか。』

 自覚が大切である――人々の為に働くというのは容易ではない。人の為に働けば、往々に自分の務めがおろそかになる。それは善行とはいえない。善事よりも悪事の方が多いからである。自分の務めを果たしてなお、その余力を人々に向けて初めて善行と呼べる。

 その意味で、もしもあなたが人助けを志すなら、確かに多くの霊達の助けを得られよう。だが、それが果たして大切な事であろうか。そうして得た背後霊の意図に埋没して、あなたは自分を見失わずに済むだろうか。

 人々の意思と力の焦点になること。それは決して容易な仕事ではない。背後霊団・霊界における心霊作業の協力者を得ることよりも、あなたがその援助を正しく世の中に引き出す事が、本当に大切な事である。

 私などが見回したところ、適切な霊媒がいれば顕幽交通に携わりたいと思う霊は多い。問題はこの適切な霊媒という意味である。力を望むものは多い。しかし、その力に押しつぶされない強さを持つ者は少ない。

(2002年12月09日)


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