‘その他の霊’ カテゴリーのアーカイブ

戦う相手を間違わない

2012/09/04

先日来、棟のなかでわだかまっていた問題・・・なにか、こう、霊査内容と相手の返事にちぐはぐなものを感じていて、その差異を特に問われたわけでもないが(それこそが大問題)、その理由を詮索していた。

来る日も来る日も(あー忙しいにも関わらず)問いかけ続けて、でもいなされる。

『これでいいのです。』 (某女性の霊)

・・・でも、なんだか違うような、誤解されているような・・・

『これでいいのです。』

・・・でも、私が疑われちゃいそうな(ちょっとおもねる)・・・

『これでいいのです。』

・・・そうですか。(あきらめた)

というのが数日前。すっかり忘れていたのに、今日、寝ようと思ったところに、あまり付き合いの無い霊から通信が入る。

・・・・

『戦うべきは己である。

己の戦いと思えば、悩むべきも変わるし、心の置きどころも変わるのに、誰が悪い、彼が悪いと思えば、その怒りが、正義と悪(愚)との対立となって、わが心を正義とおもえば、周囲がみな悪(愚)に思えてくる。

他と争うから火が広がる。争うことを正しいと思うから、争うことがやめられなくなる。』

で、と、私に向き直り・・・この場合の向き直るというのは顔の向きではなく、集中先、つまりは「これは、お前のことだ!」というニュアンスである。

『いちいち、代理で相談しない。当事者に考えさせよ!』・・・と、えらくご立腹の様子。

・・・え、私が悪いの?

『自分で考えさせねば、修行にならぬ!』と、うろたえる私に対してテンションが上がる。

・・・ちょちょちょ、ちょっと待って!。 と私。

修行といったって入門編もいいところ。仕事の合間、月に一回の集まりに、何を期待しているの?

すると、薄笑いの感覚が遠ざかっていく。

あ、『やっていることが中途半端で結果が期待できない。』ってか。まあ、そうなんだけど。

・・・・

きっとまあ、霊査を正しく受け止めるか否か・・・中継の霊媒(私)に非があり、また、質問者の受け止め方に非があったとせよ、私たちのささやかな勉強会を守る霊たちは、失敗もまた修行と見なしているんだろうと思う。

巧く行く、スムースに生きられるコツを見つけろと。

いやまあ、それこそが己と戦い、己に克て、ということなんだろうけど。・・・外の敵と戦う前に。

・・・私は己と戦う以前に、自分の抱えるスケジュールをこなすのに精いっぱいで・・・あ、怠け心に負けなければ何とかなるのか・・・

新年を迎えるにあたり。

2011/12/30

あるべき様に有ろうとすると、自ずと一番良い形に収まる。

ふんぞり返っていては、重い宝を背負えまい?

 

未知なるものには謙虚に接し、あなどらず、おろそかにしない。

 

無理をするから崩れる。

格好をつけるから無駄が出る。

知らぬふりをするからすべてを失う。

当たり前ではないか?

 

あなたが憧れ(それがなんであれ)、欲するものは、あなたはただ、存在を知っているだけで、中身は未知である。

・・・未知でないなら、あなたはすでに得ている筈。

未知なるものに手を伸ばすなら、謙虚であるべきだ。言い換えれば、慎重であるべきだ。

すなわち、あなたが本当に心のそこから欲するなら、その思いの強さの分だけ、欲することに慎重であるべきなのだ。

・・・ 一得一失。

価値有るものを得るには、手を伸ばすだけでなく、(己が)身も、慎まねばならない。

・・・ふんぞり返っていては、重い宝を背負えまい?

にも関わらず、欲しがる者は手を伸ばすばかりで、身を慎まず、仮に与えればひっくり返って大ケガしそうな不届き者で、己を知らぬからなおのこと、得られぬことで他(神仏)を恨む。・・・時として、「転んでも良いから寄こせ」という。だが、誰が溢れると知って宝酒を注ぐ?

・・・強欲が嫌われるのではない。己を知らぬものが避けられるのである。

無礼者ゆえ与えられず、不届き者ゆえ保てず、愚か故に己の欲を持て余す。

謙虚たれ。・・・強欲な者ほど謙虚たれ。

無欲であることは美徳でない。・・・それ故、山川草木、無欲(そもそも欲を持てない)であるが美徳を持たない。

大切なのは、その欲にふさわしい人物、器量ある人物であるべきだ。

つまりは程々、ほどほど。または、分相応。

・・・であるから。己の頭を、目一杯に下げて乞え。

「新年が、良き年でありますように。」

・・・良き年を迎えるに、ふさわしい人物であることを心がけつつ。

人は無力じゃない

2011/09/29

先日、車を運転中のこと。カーラジオでは、リスナーの投稿が読まれていて・・・

「人は無力なものだから・・・」

実をいえば、なにゆえ、人は無力と言い出したのか、記憶に残っていない。ただ、「人は無力」という言葉だけ、ハッキリ記憶に残り、と同時に、

人は決して無力ではない(この怠惰な奴め!)』と聞こえた。(括弧内はその時に感じた、ニュアンス)

その時は、運転中のことゆえ、帰宅後に改めて聞くことにした。


『人は非力ではある。だが、無力ではない。

『非力であるから、コツコツと務める。何度でも、やり直す。

『今日に間に合わない事なら、前日から準備する。それでも間に合わなければ前々日から、更に前から。

『時として、いや、往々にして、予想外の事柄に、今までの努力を覆される。それでも、生きていればまたやり直す。

『例えば、この度の大災害(311)も、多くの被害が出て、それも、人の過ちから、更に大きな被害をなしたところもある。それをもって人は無力というのか?

『だが、先人の努力が実り、難を逃れた者も決して少なくない。それは必ずしも、巨大な堤防とは限らない。避難訓練や、いざという時の覚悟と決断の結果もあろう。

『なるほど非力な人間では、何も出来ぬうちに、流され、押しつぶされた者も多い。その被害者を無力と呼ぶのか? 無であると、取るに足らぬと言うのか?

『いや、足らなかっただけだ。目の前の現実に、努力が及ばなかっただけであろう。』

・・・・・・・

『この世に、無力な人などない。

『努力が及ばなかった人を、結果だけで詰ってはいけない。

『そして、たとえ非力でも無力ではないのに、力を尽くさず、無力だなどといってはいけない。

『(自ら無力というものは)本当に無力なのか? それとも怠惰なのか、無能なのかどちらだろう?

『力が及ばぬことであれば、百年も前から備えれば良い。人は非力ではあるが、文明は偉大な結果を残してきたのだから。その文明さえも、大自然の脅威の前では、幼稚に思えるとしても・・・幼稚であればなおのこと、人々は努力を続けなくてはならない。』

・・・・・・・

『結果だけを欲しがる者には、その努力こそが苦しみに思えるかもしれない。

『だが、努力なくして成し得た結果はない。たとえ、努力の過程が他者には伺えなかったとしても。

(さらに…)

言わなきゃ判らぬようでは・・・

2010/05/01

 まあ、他者には妄想の一種とみなされるかもしれないし、反対に無条件で神聖視してくださる方もいるかも知れない。が、肝心なのはその内容の価値である。意味を汲んでいただければ私にとって幸いで、これをただの霊界物語と受け取られるのは、残念である。または・・・嫌味と受け止められるのは・・・迷惑だ。

・・・・・・・

 入浴中に、ふっと霊視のスイッチが入った。・・・今日は時間があると見越してのことだろう。

 正面には女神と思しき女性(高松塚古墳壁画にある女性のような衣服を着て、優しそうな雰囲気とともに威厳をたたえている)が静坐している。なお、私には見知らぬ若い男性の声で、『アグラの反対の正座、ではなく、静坐である。』と、解説が聞こえたのだが、衣服で足は見えず、体勢的に正座と静坐の違いは分からなかった。ましてやその心境・境涯の差など・・・いや脱線した。

 どうも私は、ある男性(死者)の役(別な表現をすれば、私はその死者の霊に憑依して視点を共有している)であるらしい。

・・・・・・・

男 『私が考えておりますことを、説明させていただけば・・・』

 女性が右手を上げて押し止める。

女 『言(解説)わねば判らぬことなら、(あなたの考えは)無意味です。』・・・括弧内は私が感じ取ったニュアンスである。つまり霊聴的に聞き取ったのは「言わねば判らぬことなら、無意味です。」である。 そして男はうなだれて消え去った。

 光景が代わり、女神(? 相手が名乗るわけでなし、とりあえず保留するが)が、私に解説を試みる。

・・・・・・・

 (あなた方の言う)「死後の世界」とは、 意念の世界、つまり、思うことが形になる世界です。正しい思念は形態を持って発現し、霊たちはそれを実存として感じとります。しかし、矛盾・稚拙な思念であればそれは確固たる形態を表さずに煙のように漂い、その(意の)動機次第で、(それなりに)良い雰囲気を醸し出しもすれば、不快な雰囲気を周囲に拡げもします。

 ですから、きちんとした形態をとらぬ意念など、語るに値せず、育てる価値もありません。強いていうなら、それは持ち主の修行の必要、むしろ、妄想との決別こそが必要であって、その意とするところ、その考えはまるでゴミのようなものです。

 (私の拒絶は相手に対して)「語るにふさわしい人たれ」という意もありますが、「語るにふさわしい人たれ」とは同時に、「そういう内容の話をするようでは駄目だ」という意でもあります。

 あなた(がた)が、自分の思いを(地上・物質界)に実現しようと努力なさるのは結構です。ですが、「思い」は、その人の「人となり」のものであって、「思いを実現出来ない人」というのは、往々、努力が足りないというより、その思うところが間違っている、実現努力よりも、自己研鑽が必要、ということなのです。

 果たして自分に足りないのは、実現努力か、自己研鑽か、という判断は、なかなか自分自身ではつかないものですが、第三者にはひとつのヒントが有ります。

 失敗から学べる人か、同じ失敗を繰り返す人か、ということです。さらには、反省出来る他人に思えても、ある分野では失敗を繰り返すことを、地上の人々が決して免れぬことに留意すると良いでしょう。

 それは善し悪しの問題と受け止めると、反省を誤ります。心霊家は往々、地上生活を学校に例えますが、地上生活は得点を競う場ではなく、失点を減らしてようやく前に進める仕組みなのです。・・・そうであればどう生きるか、どう生きるべきか、いや、何をしてはいけないか、ということが自ずと解ってくることでしょう。

 その上で、周囲の人々を見て、どうも納得が行かない(なぜあの人は・・・)事例は決して少なくないことでしょうが、それは心霊家が当たり前に知っておくべきことに解明の糸口があります。

 「地上を修業の場にしているのは誰か?」……または……「何をもって修行・向上と呼ぶか。」……ということです。 この答えは、己一人で生きているつもりの方々には解けぬ問題でも有ります。

 もしくは・・・人生の課題は、次々と解いていく人もあれば、ひとつも解けない人がいる、ということでも有ります。それでも良いのです。なぜなら…… 「地上を修業の場にしているのは誰か?」……または……「何をもって修行・向上と呼ぶか。」……人は正しい行いからのみ、学ぶわけでは有りません。むしろ過ち、または、悪事の反省から、人はより深く、善行の大切さと、悪の不毛さを学ぶのです。

 世の中には、無駄なものは有りません。ただ、人々には、その価値がわからぬものが多数あるというだけのことです。・・・その事に気づいたあなたは、さらにもう一歩前に進めます。・・・人には学びたくても学べないものが実に多い。……ならばどうするか、どうすべきか、そして、何が出来るか。

 人生は学び尽くせぬ課題です。学び尽くせぬことに気づかぬ人がつまり先に進めぬ者であり、学び尽くせぬことを知る人がつまり、永遠を知る者です。

 永遠は遠い。・・・その遠さを目にしてもなお、不安に陥らぬ人は、一体何を自信の源としているのか。

 自信の源泉を掘り当てた人だけが目にする真実が有ります。それを大切にして下さい。


文字が欠けても敬意は伝わる

2010/03/29

私事多忙で、メールの返事が遅れがちになる。一応、優先順位をつけて、悩み事関連のメールはなるべく早く返事をするようにしてはいるが・・・・・・

礼状メールが来て・・・・・・礼状ならば返事は無用か、と思っていたら、私(老神)の名前を呼び捨てにしていた、からと詫び状が届いた。

詫び状には速やかに返事を書かねば、相手を心配させてしまうだろう、と思いつつも、家を開ける用事があってしばらく返事が出来なかった。

まあ、私からの返事を推敲する時間はたっぷりあるわけで、色々考えていたら、背後から助け舟が出た。

『文字が欠けても敬意は伝わるが、侮蔑は文字が多いほどよく伝わる。』

敬意あってのメールならば文字が多少かけても読み手は勝手に、それこそ脳内補正をしてきちんと意味が伝わります。 反対に、悪口メールや非難メールであれば、文字が欠けると相手にきちんと伝わらないかもしれません。それこそ欠けている部分に脳内補正をして相手に都合よく解釈されてしまうかもしれません。

・・・・・・ いやべつに、正しい非難メールを送って欲しいわけではありませんが。

カルマ・頑張ってもダメなら!?

2010/02/28

2010年 2月 27日


 入浴中に女性の霊から話しかけられた。興味深いが、概要を聞いているうちに心配になってきた。話を曲解する人が出ないか? ……この通信霊に相談したところ、「半年ほど寝かせておけば」というので、忘れても困るし、とりあえずパスワード保護をして公開することとした。

 とはいえ、勿体振るほどの内容でもない。俗に言う、口伝に属する話題である。

 つまり、当たり前な内容であるのに、気がつかない人は気がつかず、気付く準備の出来ている人にのみ有益な内容なのである。 そして下書き後に気がついた。もとより読み手を選ぶ内容であるから、別に隠すほどの話ではない。というわけで、一時パスワード保護をしたが、一般公開に変更した。


 とても叶えたい願いがあるのに、頑張っても上手くいかない。 ……だからもっと頑張る。

 さらに頑張って上手く行くならそれで良し。だが上手くいかなければ? ……さらに頑張る?

 まあ、口先ばかりの横着者ならば、そういう選択もある。 だが、物事には程々(ほどほど)が有る。のんびりしても、また、焦っても上手くいかないことは決して少なくない。

 さて、果たして努力が足りなかったのか。それとも急ぎすぎたのか。または、焦りすぎたのか。 つまりは、1、もっと頑張るべきか、 2、少し落ち着くべきか……さて、どちらだろう?

  この二つの見極めがとても大切なのは言うまでもない。なにしろ、同じ目標に正反対の二つの選択肢が有るのだから。 だが念のため。

 私は上に例題を掲げたのではなく、ただ単に選択肢の存在を示したのみである。つまり、状況に応じて努力の程度、速度を調節している人であるなら、わざわざ指摘するまでもない話であり、それを例題として受け止め、どちらだろう、等と考えた人であれば、上述の二つの選択、つまり、頑張るか、落ち着くか、という話以前に心に止めて置くべき話がある。……その話こそが本題だ。

   もっと頑張るべき……のんびり屋も

   落ち着くべき……焦り屋も 共に気付くべきことが有る。

あなたは、理・知以外の何に振り回されて ……いるのか?

 さらにいえば、願いの成就に最適な方法を取れないあなたは……果たして何のために努力しているのだろう?

 苦しまない生き方が有るとしても、苦しむ人は苦しむ。結局、自分で選んでいるのである。

「イヤ、私は苦しむつもりなどない!!」と、あえて言う人もいるだろうが、知る人ぞ知る……私が問題として指摘しているのは、「苦しまないようにしようと努力して、でも、苦しむのは何故か?」という、いつもの話題なのである。

最もいつもの通り、結論は出さないが。

 私がここに結論的な意見を書き留めなくても、気付く人は直して不幸を退け、気づかぬ人は私が結論づけても気付くことはない。

 その差は実に、自分の努力で答えを見つけるか、他者の努力、ひいては実力以上の答えを求めるかの違いなのだが……自分の器量・実力を知っているものなら、誤るはずのない選択……端的にいえば、世の中には、得られるはずのないものを追いかける定めの人がいると言うことでもある。 すると、気づいた人には夢との決別が必要であり、気づかぬ人には、さらなる苦しみが未来、いや気づかぬだけで足下にすでに危機があるのだろう。


 

 

 

 嫌味のようで申し訳ないが……もう少し付け加える。 いわゆる苦しみには、(成功に至る道の)過程の苦しみと、(至らぬさ故の)結果としての苦しみがある。……あなたの苦しみは、そのどちらであろう?

 言うまでもなく、過程の苦しみはいずれ報われ、結果としての苦しみは、改めることなければ消えることのなく、地獄の亡者の苦しみと同種のもので、死後も苦しみが続く。

 あなたは何のために苦しむのか……正しい努力の結果として幸せを得るためか、はたまた、姑息・あくどい手段で幸せをつかみそこねるためか?


 まあ、悩むのも青春の内か?

(新作) 緊張するのは当たり前

2010/01/12

 多くの人は120%の自分を求めているようだ。つまり、実力+何かの助け、である。私が心霊を学び、知ったのは、人がいかに多くの無駄を抱えながら生きているか、ということで、外部の助けを求める以前にまず、自分の無駄を減らすことが大切だ、と思う。つまり、100%の自分こそが、私の目標である。

 基礎がしっかりしていればこそ立派な建物が建てられるのたとえと同様、自分がだらしなければ外部の援助を生かすことが出来ない。・・・かつて、心霊相談に応じていた頃に私は痛切に、人としての基礎の大切さを思った。助けを求めながらも、信じることが出来ずに助言を生かすことの出来ない人が決して少なくない。・・・そもそも自分が折れてしまうなら、誰かの助けがあっても、折れずには居れまい?

 故に、まずは自分の力を充分に発揮することが大切だと思う。

 ところで、なにゆえ自分の力を発揮するよりも、他者の助けを求める人が少なくないか、を、考えると、「自分を嫌っているのでは?」と思えるのだ。

 自分の人生、自分を嫌い、自分と抗っていては、さぞかし辛かろうと思うのだが・・・

・・・・・・・

 緊張する。

 1月の東京オフ会に、初参加者があって、案内状の返事に、「少し緊張しそうです。」とあった。まあ、緊張するのは人間の生理現象であって避けることは出来ないだろうが、普段のオフ会の状況を知らせることで、参加前の緊張を少しでも解そうと、再度メールをした。そしてオフ会当日、会場に向かう電車内でメッセージを受けた。

『面識の無い人と、行ったことの無い場所で会うのですから 緊張するのは当たり前、ただの生理現象に過ぎません。でも、その緊張をイヤだと思い、緊張する自分を恥ずかしいと思うのは、自分を味方と信じていないことではありませんか。真剣だからこそ緊張するのだ、と、むしろ誇らしく思って欲しいものです。』

・・・オフ会後、この参加者から以下のようなコメントを頂いた。

「最近やっと自分が幸せにならない事には周りを幸せには出来ないと思えてきた所だったので心配しなくて良いと言ってもらいとても安心しました。」・・・もちろん、自分を犠牲にしてでも、家族の幸せを心配する人だからこそ、「まず自分を幸せにしなさい」と言われるわけですが、これは同時に、実力を十分発揮出来てこそ、出来る事がある、という意味でもあります。


 

 

 

新年を迎えて(2010年)

2010/01/01

新年、あけましておめでとうございます。

皆様にとって、本年が飛躍の年でありますように。

また、忙しいさ中にも、自分らしさを失わない年でありますように。

 

自分の強さを誇る人よりも、自分の弱さと向き合える人にこそ、新しい年が、飛躍の年でありますように。

自分を味方に。反省を力に・・・助けを求める事よりも、自分の本来の力が発揮出来ますように。

当たり前のものを大切にし、他に目を奪われぬ自信を胸に・・・あなたが常に真実と共にありますように。

 

 

イジメッ子を虐めるのか?

2007/04/07

2007年04月07日


散歩の最中、女性の声が聞こえる。

『社会問題となっている虐めの原因は何だと思いますか?』

世の中には、いろいろ言われていることもあるだろうが、それはそれ、面白い意見があるなら是非聞きたいと耳を貸す。

『虐めの原因は、自己表現力の不足です。相手とちゃんと分かり合えるなら、虐める必要がありません。むしろ、気持ちを理解できる相手なら、誰に虐められても痛みを共感してしまいます。他者が虐めていても辛いのに、自分が虐めて苦しくならないはずがありません。』

……しかし、いくら自己表現が上手でも、相手の理解力が悪ければ、やはり腹が立つのでは?

『なぜ、自分よりも理解力の劣る相手に、腹を立てる必要がありましょう? 劣っている相手なら、腹を立てるよりも情けを掛けるなり、優越感に浸れば良いではありませんか。』

それはまあ、確かに……

『いえ、確かに、子供により小さな子供の世話をさせるのは難しいものです。何しろ忍耐が出来ませんから。

『多くは、相手が愚かに見えるから腹を立てるのではなく、相手が自分の意を汲んでくれぬから腹が立つのです。つまり、赤子がつれない母親相手に泣き喚くのと同じです。これがもし、更に幼い弟・妹に手こずっている子供であれば、一緒に泣き出すことでしょう。』

なるほどそうだ。

『そもそも、「相手の気持ちを察して!」ということに無理があります。自分の気持ちさえ、充分に表現できない人が、どうして相手の気持ちを察することが出来ましょう? 自分の気持ちすら理解できないのですから、他者の気持ちを理解するなんて、それこそ冗談の対象です。まして、大人ですら難しいのが自己表現なのに、子供達に何を期待するのですか? ダメ、ダメ、ダメ、もっと相手の気持ちになって考えなさい!! と、叱るばかりで、ちっとも子供の理解力を理解しようとしない大人達が、結局、自己表現できない子供達に、高圧的に愛する者と接するやり方を教えているのです。

『彼らの心に憎悪があるとしても、憎悪で虐めているのではありません。愛から虐めているのです。もしも本当に愛がなければ、虐めようとすらしないでしょう。関わりを持たずに抛っておかれるでしょう。……皆で無視することも虐めの一つだと思うかも知れません。でも、いじめの対象にならない人であれば、誰かしらと友好を結べるものです』

でも、対人関係の下手な人は大勢いるけれど。

『つまり、自己表現が下手な人です』

確かにそれは当て嵌まる。

『自己表現が上手であれば、いつまでもイジメの対象にはなりません』

でも結局それは弱い者イジメでしょう?

『虐められる者が悪いというのではありません。また、虐めることが良いというのでもありません。ただ、虐める者が強い者であるという偏見を正していただきたいのです。

『心が弱いから、腕力の弱い者・意志の弱い者・自己表現の下手な者を餌食にするのです。そうしなければ、自分が餌食になると知っているから。人々には、または社会的には、強者が弱者を虐めているように見えるかも知れません。でも実際には、弱者が弱者を責めているのです。やらなければ自分が虐められるという恐怖から。彼らもまた、イジメを止めたいという気持ちを持っています。ただ、それを自己表現する力に不足しているのです。

『止めたいけれど、止められない。……それを周囲が・大人達が「止めろ!」というのは、結局、虐める側の弱者を虐めているのに過ぎません。虐めてはいけません。どうすればイジメを止められるか、どうかその相談役に大人達が成ってください』

言わんとする趣旨は判るけれど、社会的認知を得られるかどうか?

『確かにそうですが、更に話を進めます。――子供達が心の危険に直面して、悲鳴をあげ、訴えても聞いて貰えず、非常な手段に訴えてまで自己表現しているのに、気がつくどころか、悲鳴を圧殺しようとさえしています。

『自分と意見の違う者は、圧殺して良いものでしょうか? それは、子供達が意見の違いを理由に他者を虐めるのとどう違うのですか?』

確かに同じに見えるけれど、何もしないのは更に悪ではないか?

『そこなのです。……イジメは、原因不明なのではありません。人が他を虐めるのはむしろ自然なのです。それではいけないからこそ、愛することが大切なのに、虐められている人間ばかりを助けようとして、虐めている人を助けようとしません。なぜ、人が人を愛することが本質であることを信じようとしないのでしょう? 虐めることが異常だと、異常であるが故に救いが必要であるとなぜ思わないのでしょう?

『大人が薄情で、悪しき者を攻撃することだけをするのです。子供達が、子供達なりのルールで、ある子供を攻撃することがどうして不思議なのでしょう? 誰もが当たり前のことをして、事態がどんどん悪化しているのです。

『いえ、押さえ込みには成功し、このままでは、いずれイジメは無くなります。しかし、そんな強権的な社会に属して、あなたは幸せでいられますか?』

私は絶句した。

『自己表現が下手だからこそ、意が伝わらぬことがもどかしくて、暴力や嫌がらせに走ります。伝える努力を放棄しながら、相手の理解には執着して、広がる溝と、嫌悪には気がつかずに、ただ得られぬ理解にもどかしさを感じています。人は一体、好かれたいのか、嫌われたいのか? ――目的と手段とが食い違って見えることでしょう。それは、間違っているからではなく、幼いからなのです。

『地上の法律でも、大人よりも子供への暴行の方がより罪が重いもの。そして大人の罪よりも子供の罪の法が寛大に扱われるもの……でも、地上では、幼い魂ほど、より重い罪に服させようといたします。

『子供の行いは、大人達の鏡。――精神的に幼い者を叱るよりも、成長を促すために努力なさってください。それこそが、社会の成熟に大切なことです。幼い者達と本気で争わぬように、それでは幼稚なままで社会が推移いたします。

『我慢できない子供達より、我慢するだけで本質的な解決をしない大人達が善良であるというのですか? 子供がイジメに走るのは、大人達が子供を虐めるからです』

判るけれど、子供をのびのびとさせていたら社会が破綻するのではないか?……そう、判るけれど、出来ぬ話だ。

『いえ、あなたは知っているはず。親たちは、子供を放置するか、叱りとばすかだけ。口にエサを運んで体は大きくするけれど、その心をなんら豊かにいたしません。……ここでイジメを根絶しても、それは人を救いません。』

反論するのも切ないが……しないよりマシではないか?

『いずれは破綻する――いずれは行き詰まる選択肢なのです。行き詰まるまで前に進むというのは決して利口な解決策ではありません。いえ、子供達は行き詰まって苦しんでいるのに、大人まで行き詰まるまで突き進むというのですか?』

……ぽんと手を打ち、私は言う。 「いや。私ならばそうしないが。」

『そう。事態は、あなた一人の同意を得てもどうにもなりません。でもあなたはイジメに荷担しませんように。それを願って私は退きます』

そして声が止る。

……進んで虐めることはしない。だが、無意識に誰かを虐めていないか? それは私には知りようもない。


自己主張

2007/03/18

2007年03月18日


時計を横目に見ながら、今日のネタを考える。『もうこんな時間だから、短いネタが良いな……』そう思って、フッと冷静になる。むろん、事情はある。だが、事情を優先していたら、いつまで経っても短文を拾い集めることしかできない。そんな手抜きをしてまでも、わざわざ更新しなければならないことか。私にとっても、読者にとっても、あまり有益なことには思えない。なによりも……義務感から更新しているようなものだ。すると……

・・・・・・・

『人はなんとも、自己を主張し、自らを確認したいものか。求めるものと、必要なものが果たして同じかどうか。そもそも、人の考えることに不足がなければ、信仰心など生まれるはずもない。

『人はもとより、己に必要なものを理解していない。理解しないまま、あれこれと欲しがり、試行錯誤を繰り返す。繰り返したところで、理解が深まるというわけではない。そもそも、知っている者は教えられるまでもなく、知らない者は、教わることさえも嫌う。……口出しすることに意義などはない。

『正しき道を歩むものは歩み、間違った道を選ぶものは、どう引寄せようとも歩む。人々を導く霊達の為すことなど、誰を救うでもない。人を救おうというところに価値がある。そう、救われた人に価値があるのではなく、救おうとする人に価値があるのである。……それは意図した結果ではなく、摂理が導いた結果だ。結局、何をしたかが問題ではなく、その人が何を思って行うかが大切なのである。

『結果が大切だというのではなく、動機が大切だというのだ。……徒労に終わっても構わないというのではない。結果が出るべく用に努力したかどうかが問題なのだ。

『目的と真の動機があまりに違う、……結果として不幸になるための努力を続ける者はあまりに多い。』

・・・・・・・

要約すれば……「何をやっているのか?」ということだ。やりたいこととやっていることが異なる。まあ、それはよい。だが、私の師の支配霊などがいうことは実に興味深い。疑問を抱く前に切り捨てる……自らの志を要約できない者など、意見を語る権利はないかのように。驚くなかれ、私もまた、それこそが正しい答だと信じつつある。

どうせ、失敗し、行き詰まるまで、他者の言葉に興味を持たぬのだから。

自らが勝手するか、他者に全部を背負わすか。――それでは誰も上手くならない。


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