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精神統一会への参加

2005/12/20

05年 12月 19日


Q 「東京・横浜オフ会参加が難しいのだが、修行の方法はないか?」

 ここ数ヶ月、同様の相談を何件かいただいております。その打開の一環として大阪でのオフ会開催となったのですが、外国在住者相手では私が出向いてのオフ会開催には難があります。

●たとえば通信霊査(オンライン・精神統一)

 当サイト開催当初から、「オンライン・精神統一会」と称して、オフ会に参加できない人宛に霊査を取り、メーリングリストで配信するということをやっております。……が、現在募集はしておりませんし、来年2月中(2006年2月・既に休業)に無期休業の予定でおります。

 霊査を取ること自体は、面接せずとも大丈夫なのですが、いかんせん、人間は感情の動物で、発信と受信との間にタイムラグが存在するメールでの交流は、まるで針を箸でつまんで縫い物をするのに似た気遣いを要求されるので、非常にやりにくい部分があります。……むろん、私はこのオンライン精神統一会で様々なノウハウを得たわけで、いずれは整理の上、別な形で活用したいとは思いますが、今すぐ何かを始める予定はありません。

 さらに根本問題として、霊査を得ても活用できなければ意味がないわけで、ここに一番の問題があります。いわば、目の付け所が大切なわけですが、そういう指導は、同じものを見ているときにこそ大きなチャンスがあるわけで、同じ時間、同じ環境にない人と視点についての話題を論じることには困難があります。

●道は複数あるが

 頂上へと続く山道が一つに限らぬように、修行の道にも複数あることに疑問の余地はありません。しかし、オフ会の意義は指導役がいることです。

 山道に例えるなら、案内役が必要な道は、すなわち困難な道であり、敢て困難な道を選ぶことは、つまりそれだけの価値があるということです。

 霊的にいうなら、前世に持ち、今生では忘れているものを、取り戻す為には僅かな切っ掛けだけで済みます。…… ですからメールでヒントを差し上げるだけでも意義があるでしょう。でも前世で持たなかったものを、今生で得るには相応の努力が必要で、ここにも収支のバランスが厳然としてあります。……つまり、結果を得るには相応の代償が必要だということです。

●根本的な問題

 具体的な質問に答えることはメールでも容易です。しかし全般的な指導となると話は別です。

 霊感で千里・万里を超えて指導せよ……というのは、何とも良いアイデアに思えましょうが、人は往々、眼前の者の注意にすら無視し、反発し、素直に受けようとしないものなのです。すなわち、正しく聞き耳を持っている人でなければ、通信指導は意味がなく、正しく聞く耳を持つ人なら、霊媒に頼らなくても、自身の霊覚だけで、相応に向上が出来るはずだからです。


上手な手の抜き方

2005/12/08

大阪オフ会の質疑にて

2005年 12月 07日


 一口に几帳面な仕事というが、失敗をおそれるあまり、胃を悪くしては何のための人生か分らなくなる。……かくして、大阪オフ会にて、上手な手の抜き方について質問を受けた。

 私も一応職業人だ。手の抜き方ならばそれなりに実績(?)もある。また、私自身が受け取る霊査にも、やはり手の抜き方に関するものが多い。とはいえ、木に竹を接ぐのたとえもあり、私に対する霊査が、この質問者に対する答になるとは限らない。 ……一人一人が違う人生を歩んでいるのだから、一人一人に、それぞれの霊査がある。

・・・・・・・

 最初に、お母様の躾の影響と感じます。(質問者は、むしろ父親の躾が厳しかった、と反論する)……そして霊査として、

『全体を見よ、全体を見れば省けるところが見えてくる。

 全部を完璧にこなそうとするから集中力が足りなくなる。まして、人から言われるままに動くから、気ばかり遣って疲れやすい。

(大阪オフ会ではここまでの説明で次の話題に移ってしまった)

 言われたことを従順にこなすのは、美徳な様でいて使う側から見れば面倒なことだ。面倒をこらえて指示をしているのに、しくじられれば腹立ちも大きい。かくして努力するほど怒られやすく、実りが薄い仕事となる。だが、言われる前に行い、気がついたらすぐに済ませておく。……出来ることを印象づけておけば、仕事のアラも隠れて見えない。

 仕事への取り組み方に疑いを抱かれれば、どれほど努力しても重箱の隅を突くようにしてミスをほじくり出されてしまう。だが、仕事への取り組みに信頼を勝ち取れば、粗雑な仕事でも、「要点を押さえた仕事」と評価されるだろう。

 几帳面な仕事が完璧なのではない。要点を押さえた仕事で充分に完璧なのである。…… 全体というのは仕事全体という狭い範囲のことではない。人生すべてにわたる視野のことだ。

 嫌な表現ではあるが、仕事が十分出来ても上役から嫌われれば評価されぬものである。逆に仕事がまるで出来なくとも上役・同僚から好かれれば仕事も評価されてしまう。

 これは神の正義の不在ではなく、社会、ひいては、人間の評価の歪みである。』


悩みに捕まる

2005/11/21

05年 11月 20日


 元来日本語は主語が曖昧な言語だ。だが、主語を言わないのと、主語を知らないのとは違う。いや大きく違う。……そして、深い悩みの持ち主は、大抵の場合、主語の無いまま疑問を抱く。

 主語を言わないなら問えばいい。では、主語を知らずにいるならどうすればいいのだろう?

 疑問が不完全であるなら回答のしようもないが、不完全な疑問を思い悩んでどうなるというのだろう?……解けないと悩むその前に、適切な設問をしなければなるまい。

 と、いうより真に自分が抱いた疑問であるなら、その主語を知らぬはずがない。つまり不完全な疑問とは一体誰の疑問なのであろう?

 主語無き疑問を抱くのは主体性が欠けているからだ。これを一般論として扱うなら、他(主に親)から矛盾を強いられて人生を歩み、他の矛盾が自分の人生の矛盾になり、結局、表面的な問題だけを延々と悩んでいるのだろう。

 ……疑問が不完全であろうと、それを察して答えることを霊媒は期待されているかも知れない。だが、他者からの受売りの悩みとは、一体誰の悩みなのだろう? 親か? 祖父母か? 教師か? 友人か?……いや、果たして一人に絞り込めるのか? 「疑問」はあるが誰の疑問であるか分らない……そんな疑問を霊視するのは幽霊を捕まえるよりも矛盾した話だ。

・・・

 道に迷うとは、道を見失うというより、自分の居場所が分らなくなるということだ。……同様に、主体性を失っているから主語のない疑問、解けるはずのない疑問に囚われるのだ。


つまり・・・問題の組み立て方が下手だから、答えが得られない。

「お前を呪ってやる!!」

2005/11/19

2005年 11月 19日


……たまたま、ケンカを目撃した。

女性が叫ぶ、「お前を呪ってやる!!」

……おお、恐い、怖い、当事者でなくて良かった、等と半分冗談で怖がっていたら耳元で聞こえた。

『あの娘、低級霊(悪霊)にそそのかされているぞ。』

……おやおや。

『低級霊にそそのかされて、やること、為すことうまく行かず、とうとう他まで恨んでいるが、他を恨むその前に、己の祟りを取り除かねばなるまいて。所詮取憑きやすいから、取憑かれたあの娘が、思うように人に祟りなど与えられるものか。出来るのはせいぜい、呪う必要もない弱い者虐めだけだ。悪霊なんぞ、どれだけたくさん憑依しようが、己の苦しみは増しても人を恨む助けになどならぬ。己が悪霊の主ではなく、己が悪霊の標的なのだ。人を恨む者は誠に救いがたい。

『ましてや、己の親まで恨み、憎み、親が我が子のことだからと我慢すれば増長する。かように恩知らず、また、か弱い良心しか持ち合わせなければ、地獄に堕ちても浮かび上がるのは容易ではあるまい。世間では、「人を呪わば穴二つ」というが、他人の穴を掘るヒマもなく、自分の墓穴を掘って終わるだろう。

『そもそも、親に庇われ、周囲が遠慮して、ワガママが通っているうちは善良そうにしていても、いざ自分の力だけで社会と接せねばならなくなって地金が出てどうにもならぬ者は多い。「悪霊も微笑むときはある。他が不幸な時には……」というわけだ。周囲の我慢がなければ微笑むことも出来ぬ者が、死して悪霊と呼ばれるのだ。

『あ奴の祟りなど恐ろしくはないが、あ奴の行く末を思うと、やはり恐いな。』

・・・・・・・

 うまく行かないからと、天を恨み、親を恨み、周囲の人々を恨む。恨む前に自分が祟られていないかを確認しなければなるまい…… 等とつまらない結論で結びたくない。

 要するに、他人に責任転嫁するような俗悪・恩知らずな霊格の持ち主だから、人を苦しめて喜ぶような悪霊に標的にされるのだ。…… ただ、霊界では霊的境涯が異なれば接点の無い相手でも、地上では様々なしがらみに結ばれて、ろくでもない霊格の持ち主に絡まれることもある。注意しなくては。


霊査事例: 2005年10月19日 (ML)

2005/10/19

 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。  以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。


事例1

  •  下腹部の調子が悪いみたい。アルカリ食品が足りないのかも。私は最近、湯飲みに梅干し数個を沈めて、それにお茶を注いで飲んでいます。
  •  精神的な面では、頭に血が上っている感じに見えます。怒っているというのではなく、頭を使いすぎているのでしょう。でもそれは同時に怒りやすくなっていることも暗示します。実際、頭に血が上っているというのは良くできた比喩なのです。
  •  おおらかに……というより、いくつかは気にする必要もないと思います。出来ることから片付けていきましょう。

事例2

  •  お父様が心配そうにしているように見えます。……曖昧ないい方ですが、つまり、強く心配しているわけではありません…… あなたに対して、というよりもお母様に対してでしょう。大切なのはこの受け止め方です。運命を受け止めるということではなく、心配をしてくれる家族の情をいかに受け止めるかということです。
  •  情というのは複雑なものです。たとえば自分が不幸になると、親が自分を心配しているのではないかと心配し、親が子を見るとき、心配掛けていると思い煩っているのではないかと心配します。まるで合わせ鏡のようにお互いへの心配が心配を呼んで複雑になってしまう。
  •  だから、心配の念を受けたら……ありがとう。心がいつも傍にあることを共に喜びます。と、心配で応える代わりに、感謝の祈りで応えてください。
  •  寒さに、そして寂しさに嘆けば、それは不幸です。でも、寒いからこそ、寂しいからこそ感じ取れるぬくもりに気がつくなら、それは幸福の代償なのです。

 

事例3

  •  持つべきものは友……でも、面倒なのも友。あなたが気を遣うほどには誰もあなたに気を遣いません。
  •  心に波風を立てぬように……自分の波の波動と、相手の波とがうまくあえば良し、反発しあえば大げんかになりますから。

 

事例4

  •  今のあなたは落ち着き、歓びの中にあると感じます。……でも妬み・恨みの影も見えます。あなたが悪いというのではなく逆恨みですが、面倒ですね。……朝晩、背後に手を合わせて、大難は小難、小難は無事にと祈りましょう。
  •  お嬢さんは成績が上がったのかな? 誇らしそうな姿が見えました。

 

事例5

  •  ちょっとお二人が私から遠ざかっているのを感じます。別に気持ちが離れたというのではなく、何やら別なものに関心が向いているという感じ。霊査が取りにくいのですが、楽しそうにしていらっしゃるのが何よりです。
  •  精神統一をするヒマがないのかな?
  • 「頭上注意」と聞こえました。箱に入れたまま、積み上げて忘れているものに風を通しなさいと聞こえます。「もったいないよ」とのこと。

 

事例6

  •  恰幅の良い、判断力の優れた雰囲気の方と真剣に話し込んでいる姿が見えました。仕事の事で良き相談相手があるということでしょう。難しい仕事を抱えているようですが、行き詰まりではありませんね。
  •  寝起きが悪くありませんか。あなたも頭がのぼせている感じで、寝てると布団を蹴飛ばして起きたとき冷え込んでいるのではありませんか。入浴中に水で濡らしたタオルで眼を冷やしたりすると、体調が戻ります。

迷い

2005/10/12

狎れという迷い

2005年 10月 12日

 貰えると嬉しい!――確かに、確かに。だが、貰ってばかりだとだんだん有難味《ありがたみ》が失せてくる。…… 不遇の中にあって心の豊かさを保つのは難しいが、大切にされすぎて狎《》れを出さないのも難しい。

 そもそも礼を欠くというのは相手に狎れているのではなく、自分に狎れているのだ。……別にこういう態度でも私は嫌われたりしないさ! と。

 そしてまた人生に狎れている……昨日と同じ今日があり、今日と同じ明日があると。

 人は自分を基準に物事を推し量るが、他人の価値も時間の価値も正しく計れないのは、つまり自分の価値を正しく計っていないと言うことでもある。……その迷いはとてもとても深い。


迷える人の因

2005年 10月 27日

 努力とは結果を得るための手段――目的なき努力はいったいどこへ人を導くのか?

 迷える人は、迷っているが故にさらに迷う……立ち止まり、行いを改めることを知らぬが故に。

 ならば、今現在だけを見れば、「迷える人」も、その因縁……過去を遡ってみれば、目的なき努力、不毛な努力を重ねてきた人だ。それはつまり、いつから迷って、それに気がつかず、さらに迷いを深めてきたのだろうか!?

 いつから迷っているのだろう?……それさえも分らぬのに、人は迷いから抜け出ることが出来るのか?

 人の業は深い。……過ちを犯してから、過ちに気がつくまでに長い時間が掛るから。

 どれほど多くの罪を正さねばならぬのだろうか、人は。


過ちから過ちを学ぶ

2005年 10月 29日

 過ちの結果に学んだことが、「為すな」であるとしたら、その人は輪廻の奴隷だ。人は「為す」ために生れてきたのに、生れてきても「為さぬ」なら、何度生れ変わっても同じ課題を与えられるのだから。

 生の意義を知らぬ者が人生を誤る。


当たり前の鉄則

2006年 03月 06日

 迷ったときには原点に立ち戻ってみる。……初心に戻ることで、当時のインスピレーションが蘇るようにと。

 迷ったときには腹を立ててはいけない。――いらだちは迷いを深くするから。

・・・・

 登り切れば、後は降るばかりだ……人生はそんな単純な原理では動いていない。一つの頂を制覇すれば、その時から次の挑戦が始まる。次はどこを登るべきか。

 魂は常に変化する。向上するか、堕落するか……頂上を極めて安堵し、寛いでいる霊が堕落に向かうのである。

 日本は、経済大国となり、今や豊かな暮らしが当たり前になっている。飽食の社会にあって、なおも不満を抱くのは野心家ではなく、精神的な餓えという病苦を抱えた餓鬼ばかり。そして、次の目標を求めることなく、豊かさを甘受しつつ堕落していく人々。

 魂は変化せずにはいられない。――向上するか、堕落するか、だ。

 迷ったら先ず立ち止まる。迷いを深くしないために。そして、どこに向かう気でいたのかを思い起こす。それから道を探すのだ。


誰のせいか?

2006年 11月 07日

 安易な方法を探すには、それなりの理由がある。……気持ちが焦るには焦る理由がある。
……人生が巧く行っているなら、焦る必要もない。焦る必要がなければ、安易な方法を求める必要もない。

 行き詰まり、遅れているから焦るのだ。――急いでいるから手軽な方法を求めるのである。

 悠長な方法に目を向けるヒマなどない。たとえそれが本来の道であろうとも……たとえ遅れた理由が、遊びに夢中だったからだとしても。

 だが、焦ると油断が生じ、油断すれば魔に狙われる。……ここでいう魔とは、仏教用語の「天魔」や、心霊用語の「悪霊・低級霊」の場合もあるだろうが、おそらく一番危険なのは、悪徳商法の被害だろう。

 そもそもその遅れは、誰の責任において解決すべき問題であるのか。……因果律。原因があって結果が生じるのである。原因を変えることなく結果だけ変えようとするのには無理があり、無理があれば油断が生じる。

 安易な方法を探すのにはそれなりの理由があろう。気持ちが焦るのにもそれなりの理由があろう。だが、その挽回の為にあなたは正しい努力をしているだろうか?

 急ぐが故に焦り、近道のつもりで遠回りしていないか? いや、行き先の定かでない脇道に迷い込んでいないか?

 気がついているだろうか? 道を間違えたら、もと来た道を戻る苦労のあることを。

 若いのだからやり直せばいい……確かにそういう答えもある。だが、安易な道を選ぶにいたる事情に、果たしてやり直させるゆとりがあるのか?

・・・・・・・

 苦労するために苦労していないか? ……霊の祟りよりも自分の愚かさこそが恐ろしいものだ。何となれば、霊は除霊できるが、自分の卑しさはどう捌けるのか? 捨ててもなお離れられない自分の業……無責任に捨てようとしてかえって苦悩を増やしはしないか。……まるで、苦労を増やすために努力してきたかのような人生を歩みながら、いざとなれば逃げる算段を持つというのは、何とも太平楽というべきか。

・・・・・・・

 捜し物が見つからぬ時、答が無いのではなく、一番あって欲しくないところにある。……人生は霊性向上の修行の場、である。つまり、解答は巧妙にセットされている。

 友人が引っ越し先を探している。……二人して片目をつぶって探してはいないか? 互いに触れたくない事情がある。

 あるはずがないと思うから視野が狭まる。あるけれど、仕方がないと思えればもっと視野が広がるのに。

 見つからないのは誰のせいか?


行き詰まる

2007年 7月 18日

 袋小路に迷い込む。――行き詰まった挙げ句に、他に地理(道)を尋ねて渋々と後戻りする。

 どうせ後戻りするなら、助言の通りに大道まで戻ればよいのに、途中で山っ気が萌してまた別の枝道に入り込む。――近道をするつもりで。

  なぜ疑わないのだろう? ――また行き詰まると。

  なぜ改めないのだろう? ――枝道を選ぶ姑息さを。

 挙げ句にまた、後戻りしなければならない不合理さ。一時の利よりも、人生の長さで考える利を大切にすべきだ。

 勝手に道を選んで行き詰まる。――道を聞いても従わない。――経験から学ばずに、また勝手に道を選んで行き詰まる。

 地理を尋ねて、地理だけを聴く。――地理の何たるかを学ばぬまま。

 道に迷うから、地理を聴かねばならぬのである。――道に迷うことよりも、自ら道を探り得ないことこそが問題であるのに。それに気がつかないから、勝手に枝道にそれてまた迷う。

 なぜ迷うのか? なぜ迷うことに躊躇しないのか? なぜ繰り返し迷うことを疑問に思わないのか? なぜ道を聞いても迷うのか?

 繰り返す迷いに誰が真剣に向合ってくれるのだろう?

 もう既に、道に迷うことよりも、躊躇無く迷うことこそが問題ではないのか。

・・・・・・・

人は往々、自分が思うよりも立派な性質を備えている。だが、自分の良さに気がつかぬ人ほど、姑息に生きて長所を隠す。するとまるで、長所を持たずに、卑怯に生きているかのような人ばかりが世間に見られることになる。

・・・・・・・

 それがどうせ、当たり前な自分であるなら、

 隠すよりも、それらしく、

 あるべきように生きれば、それが一番、自分に出来る立派な生き方なのに、

 一番恥ずかしい在り方を、進んで選んで胸張って、カッコがよいとみっともなく生きている。

 自分らしさを知らぬからこそ道に迷うし、自分らしさを知らぬからこそ、過剰演出で演出して顰蹙を買う。

  なぜ格好悪いと思うのだろう。背伸びしない自然な姿勢を?

  神の与えたもうたものを、わざわざ隠して、人の造りしものを、わざわざ飾るというのか?


いいわけ

2007年 9月 21日

「失敗したらどうしよう!?」――と、考える癖が付いて、なかなか最初の一歩が踏出せない。

 後戻りできないのに、考えても仕方がないのに。……前に進まなければ行けないのに。明るく考えなくてはいけないのに。――そう判っているのに、判っているのに足が前に進まない。

 動けずに、でもジタバタしていると、周囲からは「いまさら考えたって仕方がないでしょ!」と、叱咤される。その言葉が益々、私の重荷になるというのに。

 背負う重荷の辛さに泣くか、開き直って呶鳴りまくるか――その選択の中で再び迷う。……迷いの中で目的を見失い、ただ、自分の心の平穏を取戻すことだけを考え始める。

……そして、そして、そして。

 そして、また何も出来ない。……

 少しの自責と、取戻した落ちつきの中で、ハタと自覚する。

『まるで私は、自分から手を挙げておいて、結局、抛り出している卑怯者みたいではないか!!』――慌てて周囲に言訳をして、ますます周囲の信用を失う。

……小細工。

 自分の不安を打消すためだけに、あれこれをして大局を顧みない。

努力して失敗すること、 または、やらぬ言訳を繰返すこと。

『失敗したらどうしよう?』――心配しているようでいて、失敗の種子を播いている。自分の欠点に気が付かぬまま。

……

 誰にでも失敗はある。誰もが失敗の経験を持っているがゆえに、人生経験を重ねる毎に、おおむね人は失敗に寛容になるものだ。……神経質で、大人気ない人もいるだろうが。

 同時に、おおむね人は、小細工、言訳、そして嘘が、得るものよりも失うものが多いことを学ぶがゆえに、人生経験を重ねる毎に、小細工、言訳、嘘の類を、軽蔑するようになるのである。

 人々が、人生経験を重ねる毎に捨去っていくやり方に、いつまでもしがみついていることが、自身の人間関係をどれほど貧しくしていくことか。

 今日の言訳は受入れられるかも知れない。明日の言訳は咎められないかも知れない。だが、明後日はどうか?――より良い言訳を用意する者もいる。その一方で幼稚な言訳にウンザリしている人々も多いことをあなたは気が付いているか?

 いや、そういう性格に到ったなりの事情があることも理解する。理解するが、言訳を繰返すことは、進んで嘘をつくこととどう違うというのか?

 それが病や性質であるというなら、「信じがたい人」という不定型な評価から、「信じられない人」という確定的な評価に変るだけではないか。

  失敗よりも言訳の方が樂――当人にとってはそうかも知れない。

  だが、周囲の評価は一体どちらが有利であるのか?


天使の取り分

2005/09/20

2005年 09月 26日


 誰もが豊かになりたいし、誰もが自分の主張を押し通したい……でも、世界は全人類の(いや全生命の)……共有物なのです。あなたが何かを得れば、大抵の場合、誰かがそれを失っているのです。

「宿命によって、または、神仏や守護霊によって人生が決められているなんて、そんな不自由な生き方は嫌だ!、私は自分で決めた道を歩みたい。」

 確かに、確かに。霊媒である私もそう思います。――大抵の場合。

 でも、一つを得るということは、誰かが一つを失っているのです。

「それがどうした、努力の結果得たものを、どうして他人に気兼ねしなければならないのだ!! 世の中には自分一人が溜め込んで、他に不自由を掛けている人なんていくらでもいるじゃないか。」

 だからこそ……身勝手な人が多いからこそ、世の中には不足ばかりで、窮屈で、肝腎なところがうまく動いていないのです。

 宿命にただ従うことが善であるというのではありません。努力で結果を得ようとするのが悪だというのではありません。……ただ、自分の取り分を「天」に預けた人がいて、その預けた分が回りまわって、それを必要とする人を救う資本となっているのです。でも、自分の権利を主張する人ばかりが多いから、困っていても助けを得られない人が出てくる。それも数多く。数多く、数多く。

 世の中は譲歩の絶対量が足りなくて、窮屈になっているのです。

 寄付やボランティアは、人の知恵の範囲でしか他者を幸せにしません。あなたの謙虚さや必要以上に貪らない気持ちは、それが「天使の取り分(霊達が自由に出来る過剰分)」を生み出して、思いも掛けない幸せを人々にもたらすことが出来るのです。

・・・・・・・

 他が決めた人生なんて嫌だ!!――確かに人間の智慧に従わされて生きるのは窮屈で詰りませんが、運命が紡ぎ出す「妙」というのは世界観を多きく変えるものです。

 たとえば、肉体の死が、精神の死とは別物であるという実感や、五感で感じられる以上の現実があるという実感など……

 自分自身の試行錯誤がもたらす驚きと、良き指導者が与えてくれる驚きとは、格が違うのです。それはつまり、知らぬ者と知る者との違いなのですから。良き指導者は、私たちが当たり前に通り過ぎている現実の中にさえも、驚きの種が潜んでいることを教えてくれます。

 知らぬ者とはつまり、無駄な人生の歩み方をするものなのです。――日々の中で、驚きが、そして感動が無いと嘆き、学ぶべきものを探す人がいるとすれば、その人にとって本当の損失は、感動の不足ではなく、適切な師を持たぬことの無駄なのです。


侮辱に対する私見

2005/06/30

2005年 06月 30日

「良心の試練」掲示板より


 不誠実なる人からバカにされて、いかなる害があるのでしょう。確かに中傷されることは不愉快です。ですが、逆に不誠実な人間からやたら褒められている人というのは、世間からどういう人に思われるでしょうか?

 悪党の元締め? 良いカモ?

 不誠実な人間にバカにされるのは、つまり善良であるということではありませんか。善良であることを恥じるのであれば、あなたは自ら偽善者を名乗るのに等しい。

 善良に、そして誠実に生きようとするから、悪人に狙われるのであれば、恐れるべきは、あなたが善良に生きよう、誠実に生きようとする気持ちを邪魔する悪因縁……悪い人との付き合いではありませんか。

 不平不満の塊、礼儀知らずで無責任、責任転嫁の卑怯者、ワガママを通すための誹謗中傷……悪口をいわれることよりも、無責任な誹謗中傷に迎合したり、屈服することの方が余程恥ずかしいことだと私は思います。


白いものも黒というへそ曲がりが多い世の中で、「黒だ、黒だ」という言葉にいかなる価値があるのでしょう? 大切なのは正しい見識の持ち主の言葉であるか否かなのです。……言葉を信じるのではなく、その人を信じる。

人を信じずに言葉を信じれば騙されて当たり前です。


忠告は聞くべし!……?

2005/06/19

努力は大切です!……?

2005年 06月 18日


 私も師弟関係のしがらみで、非常にやりにくく思っているのですが、どうにも戦前の教育を受けた方々は、「努力」を神聖視しすぎていると感じます。

 昔の常識では身体を鍛えるならウサギ跳び、女性が妊娠したらとにかく肥えさせようとする。ところが現代では、ウサギ跳びは逆効果といわれ、妊婦の肥満も否定されて、それぞれの現場ではその知識を実際に応用されているのに、心霊業界の世代交代はなかなか進まず……

 むろん、私も努力の大切さを否定はしません。むしろ、痩せるために薬や電子機器を頼って、運動しないという考えには反対です。

 確かに年長者の助言は尊重すべきですが、2500年前に生まれたお釈迦様も「何事も程々が大事」と教えている。孔子様やソクラテス様までそう教えている。ならば、努力第一主義の年長者様たちは、人類の大先達を軽んじてはいますまいか?

 まして、悩める人に与えるべき何の知恵も持たぬ人も、「がんばれよ」とは言える。それでうまくいけばよし、うまくいかなければ、「きっとあいつの頑張り方が足りなかったんだろう。」と無責任を決め込める。……だが、うつ病の人に「がんばれ」といえば、相手をますます追い込んでしまう。

 考えてみれば、ニートや、うつ病起因の自殺者の増大やらは、周囲の大人たちの安易かつ無責任に励まし方にあるのではなかろうか。その傍証に、どうも青年たちを見ていると、無駄に努力する子か、開き直っている子の両極端に見える。全く、世界の四大聖人を蔑ろにした人々が、人生の先輩を尊べというのだからやりにくい。

 また、日本文化の悪いところは、物事を学ぶのに、勉強……「勉め強いる」事を当たり前と思うところですが、近年、とくにIT業界において、10代で起業した実業家たちが増えていますが、彼らは、自分の楽しみを事業の対象として成功をつかんでいます。「世界に誇る日本のマンガ文化」も、動機は楽しむ者が勝ち得たものです。つまり、今の日本は、強いられたものが衰退し、楽しむものが勃興しつつあるのです。この期に及んで、努力一辺倒、あげく、先輩は神と思えでは、迷える子羊を誤てる子羊に変えることしかできません。

 これまた孔子様のいうとおり、
「之を知る者は、之を好む者に如かず 之を好む者は、之を樂しむ者に如かず 」……強いられるばかりで、楽しみ方を忘れた人間なんて、死人と同じです。いや、生きた肉体を持つだけ、死人よりも始末に負えません。まあ、努力しすぎで破滅する人よりも、楽しみすぎて身を持ち崩す人の方が遙かに多いのだけれど……

 いずれにせよ、智慧と工夫の欠いた努力は往々無駄になりがちですし、だからといって努力をせずに智慧や工夫、そしてむろん霊感に頼るだけでは何事も成せないのが現実の姿です。


忠告は聞くべし!……?

2005年 06月 19日

 一般的な倫理観念でいえば、他人、特に目上の忠告には素直に従うべきとなるでしょう。もっとも常識という名の束縛を嫌って、わざわざそれに逆らう人もいるわけですが、従うか、従わぬかは、世間の良識云々、または自分の好き嫌いを基準とせず、その内容如何とすべきです。何となれば、多くの人々は自分の好都合を善と呼び、不都合を悪と呼ぶのですから、目上だからといって無条件に従えば、結局利用されて終わります。

 といって、従わなければ往々、後悔を生むわけですが、霊性向上の修行の場である人生に於いて、一番つまらぬ収穫物がこの「後悔」です。……後悔が深ければこそ、チャレンジに臆病になり、また自信を失って他人の助言に頼るようになる。…… 主体性を失った人生は一体誰の修行の場になるのでしょう?

 先に結論を掲げればこそ、見えるものがあります。忠告を受けることが後悔の伏線であるのは正しいあり方ではありません。

 たしかに忠告は有難い……その言葉通り、忠心からの言葉であるなら。しかし、そもそも人は、一人一人の人生を歩んでいるのです。忠告は助言であって命令ではないし、忠告を主体に生きることも出来ません。つまり、人は自ら考え、選び、そして決めねばならないのです。それこそが自分の人生を生きると言うことです。

 でも、忠告を聞かずに後悔する……それは、知恵がついたのではなく、臆病になっただけのことです。

 人の指図に従うことが正しい道ではありません。善悪を見抜き、良いものを取入れ、悪いものを退けることこそが、人生に於いて大切なことです。

 忠告を聞かなかったことが悪いのではなく、忠告された内容を理解できなかったことこそが悪いのです。善悪の区別がつかぬのであれば、例え忠告に従っても、偽善者に、または慢心の未熟者や知ったかぶる者に騙されるかも知れないのですから。


困って始めて見えるもの。

2005年 06月 19日

 忠告を聞かずに失敗して……その後。

 「だからいったじゃないか!」で終わる人と、「全く、仕方がないんだから!」といってそれでもなお助けてくれようとする人がいる。

 ここに真に忠告なのか、ただ、責任回避の偽善なのかが表われます。

・・・・・・・

 これは当然、自分が忠告者を持つか、という判断にも役立ちますし、自分が果たして真の忠告者であろうかという判断にも役立ちます。

 そして、自分が真の忠告者である努力をしていなければ…… そもそも人間の縁というものは複雑怪奇でなかなかその真相を見極めることは出来ませんが……真の忠告は理解するのは難しいでしょうし、真の忠告者を得ることも難しいでしょう。


縁は複雑怪奇

2005年 06月 21日

困って始めて見えるもの。」において、「人間の縁というものは複雑怪奇」と書いたら、背後から「安易」との指摘を受けた。……当人的には思案の結果なので、それこそ、私の思いつく最適な答として、「正しい霊感無くしては”見え”ない」と書きたいところであった。

 「因果律」や「因縁果」など、人はその行いの報いを受けるという説は、東西古今の聖人等が教えるところである。しかし、人生には限りがある。悪事の報いを受ける前に死ぬ人もいる。善事の報酬を得る前に死ぬ人もいる。その帳尻は死後か、来世で受け取ることが出来る……(本当か?)……本当かどうか、あやしいと思う人もいるだろう。そう、だからこそ、死後の個性存続を知るだけでは足りず、強く、強く信じる必要があるのだ。

 はっ! そこに嘘はないだろう。だが、そこには何か隠したいものがある。――まあ、隠したいものを暴くのは下品でもあろう。

 取り敢えず、表向きの話題だけでお茶を濁そう。人生は、この世の努力・行為・実績だけは決まらない。見えざる部分があまりに大きいから、「複雑怪奇」というしかないのだ。――複雑怪奇というしかないが、それを見極める手もある。

 大切なのは素直になることだ。誰かにつけられた付箋、注意書き、裏書き、紹介状……そういう不可物をすべて無視して見ればいい。すべては真実に回帰するのである。


相談事例より:対人関係

2005/06/13

上司とうまく行かない

 兄貴肌・姉御肌の人ほど、目上の人との関係がうまく行かぬのを目にいたします。私(霊媒)もそういうタイプですが、幸い技術系の仕事をしているために、あまり表面化せずにすんでいます。

 仕事熱心な人は、客ばかり目がいって、往々忘れがちですが、自分の収入を事務的に保証しているのは上司であることをお忘れ無く。つまり、自分にとって最大のクライアントは、会社の顧客よりも上司なのです。……変ですよ。でも、人の世の成り立ちはそうなっているのです。

 また、人から認められたいという欲求が強い人ほど、上司との相性がまずい人が多いようですが、それは、上司も又人の子、つまり、部下の成果を認めることが自分の否定に繋がるという、人間性の限界が問題を生じているものです。……変ですよ。でも、人の世の成り立ちはそうなっているのです。

 

上司からねちねちと虐められる

 注意してください。その原因には相反する二つの場合があります。あなたを辞めさせたい場合と、あなたを辞めさせたくなくて虐めている場合です。

 ただし、この二つの区別は案外簡単です。あなたが辞めたくないときに虐められるなら、それは辞めろという意味です。逆なら場、辞めるなという意味で脅しているのです。……どうしてこういう事が起こるか。

 ……勘が鈍くて、不器用な人は存在感が薄いものです。勘が鋭くて器用な人なら不快に思うことはありません。不快な人とは、器用なくせに勘が鈍い人か、勘が鋭くて器用な人のどちらかなのです。そして、他人を、特に部下を虐めるのは、勘の強くて(動機が生じやすく)、不器用(手段がくだらない)な人なのです。……ですから、あなた以上に、あなたの心の変化を見抜いている人と思って良いでしょう。

 

憎い人がいて縁が切れず、具合が悪くなりそうだ(又は、なってしまった)

負けん気(オフ会の質問への補足を含む)」を参照のこと。

昔からよくいわれることですが、他人を嫌うのは、往々、その相手の言動に自分の弱点を見いだすからだといいます。つまり、本当に嫌なのは、相手ではなく自分自身である……。すると、具合が悪くなる理由が判然といたします。つまり、自分を辞めたくなっているのです。これは最悪の選択なのです。……自己改革の努力が必要です。

 

老いた親との仲が悪い

 「仲が悪い」……というと、単なる相性の悪さを連想しがちですが、本当に相性が悪いなら、ケンカするよりも、互いに避けあって、争いも起こらぬ事でしょう。わざわざちょっかいを掛けるのは引かれるものがあるからなのです。……ただ、互いの歯車を合わせる努力無く、自分に合わさせようとするからうまく行かず、うまく行かないのにそれでも引き寄せ、従わせようとするから憎しみが増えていくのです。

 つまり噛み合いが悪いということなのです。……相互理解が足りません。

 それでなくても、老いれば、自分のリズムを見失いがちです。意地もあって、いつまでも若い頃のリズムを守ろうとします。また、親思いの子ほど、親が老いたことを認めたくなくて、無理を強いたりいたします。結局、お互いに適当なリズムのなんたるかを見出すことも出来ずに、うまく行かないことをお互いのせいにしあえば、ケンカが絶えなくもなります。

 

親の健康状態が不安

 病は気からと申します。それにはいくつか異論があるのですが、それはさておき、往々親子で気性が似るもの。つまり、親を思うのも大切ですが、親御さんと同じ過ちをしない配慮も大切ですよ。

 

年上の家族が急に意地悪になった

 相手の健康状態が非常に悪化しています。……ただし、医師の検診にそれが現れるとは限りません。


05年 06月 13日

お知らせBy老神いさお。

・PC再起動成功。
 動かなかったのは湿気のせいか、RAMを抜き差ししたら無事に再起動しました。

・サイト再構築中
移行途中のデータが時折、トップページに掲載されますが、編集作業の都合ですので、今しばらくご容赦ください。旧作については、本文右上に日付が記載されます。
 (最近は復旧する暇がなくて新作が多いですが。)

・東京オフ会: 
 7月度の東京オフ会は7月10日(土)
 に、開催いたします。

・東京オフ会: 
 8月度の東京オフ会は8月14日(土)
 に、開催いたします。

・静岡オフ会: 
 7月度の静岡オフ会は7月17日(土)・18日(日)を予定しています。(申し訳ありませんが、会場は未確保で代替日がなく、中止するかもしれません。)

・大阪オフ会:
 次回の大阪オフ会は10月の予定です。

・ページ更新
 私事多忙で復旧が滞っております。

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