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2009/12/19老神心霊研究所へようこそ。
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12月20日の霊査事例はこちらに掲載いたします。
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2007年01月19日
人を信じる……だがそれは、騙されたことが無いが故の信念であるのか、疑うことの苦しさから行きついた信念であるのか。
前者は一度騙されると揺らぐ甘さがあり、後者は騙されることを恐れぬ強さがある。
人は信じるべきだ……その信念をきれい事と呼ぶのは、信じる心にも二種類あることを知ってのことだろうか?
・・・・・・・
人が騙されるのは嘘ばかりではない。他者の錯覚を鵜呑みにしても人は騙されたと感じるだろう。だが人は、己の錯覚や理想や希望からも騙されるのだ。人を信じてみないと、自分の過ちに気が付かなくなる。
過たぬ方法はないから、人は真理を学ぶべきだ。たとえ、真理なる物が現実とは相容れない夢想に思えても、進むべき方向性を見失うよりはよほど心強いのだから。
・・・・・・・
疑うことに疲れ、信じることを恐れる多くの人々。……証を切望し、証を切望し、証を切望する。だが、その証が正しいとどうして知ることが出来るのか? 騙される者を愚者と笑えるのだろうか? 正しきものを知らず、ただ疑うことしか出来ぬ者が。
学びは、信じることから始まるのに。学ばずしてどうして正しきものを見分けられるというのだろう?
本当に恐いのは騙されることなのか、むしろ、己の無智を、己の強欲さを見抜かれることではないのか?
2007年01月20日
「人は信じるべきだ」というが、やはり信じられない相手がいる、というメールが来た。
“信じるべきだが信じられない”……なぜこのような堂々巡りに陥ってしまったのか。そして、どのようにこの堂々巡りからどう抜け出せばよいのか?
……信じるか、信じないかよりもさらに重要な問題、心のシコリを明らかにするための良い話題、つまり「循環の一端」を掴む話題だと思う。
・・・・・・・
信じるということが、単に騙される恐れを知らぬ事なら、たった一度、大きく騙されただけで人間不信に陥る。……だがそれは、真実の何たるかを知らぬからだ。確信の持てることだけを信じるなら、人はどうして成長できよう? 未知を信じることから成長が始まるのである。
だが、なぜ、信じられない相手まで信じようとするのだろうか?
私は「人に騙されよ」とは言わないし、「人の過ちに付合え」とも言っていない。だが、誰もが正しいと確信できることが一体どれだけあるだろう? 時には確信が持てなくても信じて行わなければならないことがある。……私が信じよ、と主張するのはその程度のことだ。なぜそれを大袈裟に受取るのか?
暗に、相手を非難していないか?
暗に、自分を過剰に庇っていないか?
相手の嘘を、相手の過ちを自ら見抜けなかったことから、目を背け、忘れようとはしていないか? 自分が悪いのではなく、騙した相手が悪いのだと、大声で泣き叫んでいるのではないか?
あなたが、目を背け、逃げようとしているとしても、私は非難しない。 だが、あなたが騙されることを恐れて何も信じられなくなったら、大切な何かを失うのは誰か?
私は、逃げるな!、というのではない。逃げる必要があるのか? と問うのだ。
誰も追い掛けていないのに、逃げ回る人があまりに多い。しかも、自分が逃げていることにも気がついていない。……いつも息切れして、心が安らがず、頼るべきものを探している。そういう人に、「逃げる必要はないのですよ」といっても信じない。たとえ嘘でも除霊をしました、といえば、感謝の涙を流すのに。
なぜ、信じないのだろう? ……正しい知識がないからだ。
なぜ、嘘を喜ぶのか? ……真実よりも自分を大切にするからだ。
なぜ、嘘を受け入れるのか? ……真実の大切さ、信じることの大切さを知らぬからだ。
たとえ善意から出たものであろうとも、嘘は嘘だ。正しい嘘と、間違った嘘との間にどれほどの差があるのか一体あなたは知っているだろうか? いや、そもそも正しい嘘などというものが本当に存在するのか?
……私は知らない。だから、嘘をつくぐらいなら、ただ、口を噤む。
・・・・・・・
私の言葉にも無意識の嘘、つまり過ちが含まれないとはいえない。だが、失敗を恐れて沈黙しては、何のために生まれてきたのか判らなくなる。
善いと思うことを世に問い、切磋琢磨してこそ人は成長するのではないか?
逃げるなとはいわない。だが、本当に逃げる必要があるのか?
……悲しいかな、人は真実以前に、人間と付合わなければならない。
多くの人は、真実よりも都合の良い嘘を喜ぶ。たとえ出来が悪い嘘であっても、都合の良い嘘を喜ぶのだ。昨今のニュースに多い、不祥事の隠蔽。 それらは結果から見れば隠蔽工作と呼ばれるが、彼らの内部では、都合の悪いことを、都合良く解釈しただけのことなのだ。それぞれが小さな取り繕い、それが集まって大きな社会悪として取り扱われている。
結果から見れば明らかなように、その小さな取り繕いは決して軽い罪ではない。……だが、世の責任者等は、その取り繕いが重大な罪悪であるとは考えようともしないものだ。
真実は大切だ。だが、真実は、真実であるが故に、重大な影響を及ぼす。……責任ある人々が心を閉ざしてしまうほどの。
真実を口にするときには、よくよく考えるべきである。……不幸ではあるが、地上で生きるには必要なことだ。真実を口にする時には、よくよく自分の逃げ道を用意しておくべきだ。
くそ、くそ、くそ。 これが、魂の修行の場であるというなら、地上は悪魔の養成所だ。
2006-04-15
悩みを抱える人、病気や障害を持っている人に、同情してはいけない……といいます。人の苦痛をうわべの知識、書物から得た知識、聞きかじりの知識で理解する事は出来ません。苦しみはそれを味わった人にしか理解できないのです。
苦しんでいる人間を救えるのは、同様の苦痛を乗り越えた「魂」だけなのです。だからこそ、障害や病気に苦しむ肉体には、天使やそれに類する霊が、人々を救う、準備の為に宿っているかもしれないのです。
障害や病気で苦しむ人に同情してはいけません。目の前にいる人は、私たちの魂の救い主かもしれません。そして私たちの霊性を確かめるために、神が送った使徒かもしれないのです。
肉体的な、知的そして経済的な様々な制約を持った人に接するのには、誠意を忘れてはなりません。人を見るときは、その霊性に着目しなくてはなりません。肉体的、物質的な制約は、いずれ死によって解放される時がきます。肉体的な障害を持つ人、そうでない人が共に、死によってその物質的な制約から解き放たれた時、障害者を哀れんできた人が、よりみすぼらしい霊性を持っている事はままある事なのです。
わずか百年程度の人生を基準に、人間の価値を判断してはいけません。
人間の本質は、その程度の時間では測れないものなのです。傍目《はため》には、不幸に見える人が、実は霊性向上の王道を走っているのかもしれないのです。
そして、困難に挫けそうなあなたは、自らの価値を、目先の幸・不幸で判断してはいけません。幸・不幸は結果なのです。過程が辛く厳しいほど、その成功には価値が生まれるものなのです。安易な幸福を求める事は、結局自らの幸福を放棄するという事なのです。
2006-04-15
「神は、乗り越えられない試練を人には与えない」という言葉は、同時に多くの苦しみ・悩みを持つ人は、それを解決できるだけの大いなる霊性があると言う事なのです。そう、生きるのが辛くてしょうがない人生を選んだあなたは、人々の苦しみを救うために困難な道を選んだかもしれないのです。
自分に憐れみをかけてはいけません。 憐れみは解決の助けにはならないのです。
人生をわずか100年程度の人間の寿命で判断すると、なだらかな人生が幸福に思えるかもしれません。しかし、死後の生活も、また来世もある事を信じると、険しい道を歩む方が目的地により近いかもしれないわけです。
困難に直面したあなたは、天国へ一番近い道を歩んでいるのかもしれないのです。決して途中で投げ出してはいけません。
苦難は決して永遠には続かないのです。
2000-03-01
孤独に陥っている人の耳には、自分の声しか聞こえません。……大勢の人に囲まれていてもなお。
人の声を聞きたければ、自分は口をつぐまねばなりません。
人の話しを聞けない者を、本気で相手をする人はいないのです。
2000年
なぜ人は、あなたの良さを認めようとはしないのでしょうか?
なぜ人は、あなたの事を理解しようとはしないのでしょうか?
なぜ人は、あなたの言葉に耳を貸そうとしないのでしょうか?
なぜ人は、あなたに答えようとはしないのでしょうか?
あなたは幸せですか?
不幸だとしたら、誰があなたを苦しめているのでしょうか?
あなたを苦しめているのは、あなた自身です。あなたが他人の目を通さなくては、自分を見つめられないからこそ、他人の心の動きが気に入らないのです。
うじうじしている奴、えらぶっている奴、自分を押し付ける奴、わがままな奴、感情的な奴、責任を押し付ける奴、言い訳がましい奴、すぐ嘘をつく奴、うーーーーん、無能な奴。
嫌な奴が、周りに多いとは思いませんか?
あなたは幸せですか?
あなたが頼ろうとしているから他人の性格が不愉快になるのです。あなたが人に頼らずに本当に自立しているのなら、他人の能力や性格に興味は無いはずです。
何で、嫌な奴ばかり言い寄ってくるのだろう。
何で誰も、私の期待に応えてくれないのだろう。
どうして、寂しい時にこそ、一緒に居てくれないのだろう。
あなたは幸せですか?
あなたが心の奥で、自分の抱えている問題を他人の問題にすり替えようとしているから、他人が思い通りにならないと感じるのです。あなたが自分の問題に、自分で取り組もうと立ち上がれば、人の助けなんて必要なかった事に気がつくはずです。
以上の不幸は、みな、問題の根源があなたの中に内在されているのです。
対人関係に関する質問を二通受けました。
そもそも物事というのは、自他の関係で定まるものです。たとえばいかに、その会社の待遇が良かったとしても、あなたの勤務態度……そこまで行かないまでも、あなたの性格が会社の気風に合わなければやはり勤まらないことでしょう。
腹蔵無くビシバシ発言することが尊重される気風の会社も……無いとはいえないし、気配りと慎みを強要される気風の会社もあるでしょう。問題は単にその会社が良いかどうかではなく、あなたとの相性が大事となります。
むろん、あなたが気に入ったということは、その気風を含めて感じ得たことに基づいているのでしょう。が、あなたが、充分に自分自身を把握していなければ、その判断があてには出来ません。
転職してもうまく行かない。もう一度転職しようか……と思う前に、まず、いくつかの問題の中心にいるのは誰か。について考えるべきです。心機一転も大切ですが、自分が災難の原因であるなら、自分を変えない限り災難から逃れることが出来ません。……思う通りに行かないならば、人生の岐路を選ぶあなたが、現実と認識のギャップを抱えているということです。そのギャップの克服こそが大切な問題解決となります。
…… とはいえ、人は修行ばかりで生きることは出来ないし、世俗的なことには打算も必要です。……というわけで、ここから先こそが、個人相談となります。従って以下は伏せさせて頂きます。
家族と友人に関しての相談ですが、プライバシーに配慮して、詳しい説明は出来ませんが……というのが、この手の話の常套句な訳ですが、説明したくとも詳細が判らぬ相談も舞い込みます。……まあ、詳細がないということもまたヒントなのですが。
身体が悪い……当人の自覚以上に健康が損なわれていると感じます。
とはいえ、病気ならば、話は簡単なのです。でも、明白なる発病がない場合、周囲も家族もその扱いに戸惑います。たとえば、「なんとなく身体がだるい」という症状を考えてみて下さい。ついつい、何事も人を頼ってしまう。頼られる人は、「何で自分でやらないの! 私だって疲れているのに!!」 と腹を立てる。実をいえば日本中そんな争いばかりです。
医者にかかるほどの病気ではないが、身体が思うように動かない。だから、ついつい些末な事まで他に頼ってしまって、人間関係がぎくしゃくしてしまう。
本当は身体が動かない……思うように身体が動かせないことが問題なのに、心は別な問題にばかり気が向いている。時には、心を内側に向けてみるべきです。
Q 親兄弟、自分の将来について悩むことが多い……考えて答えが出るならば考えればよし。でも、現状では考えても答えが出ぬのです。ならば、今は天に預けて今は目の前のことに取り組むべきでしょう。
2006-04-15
孤独さを嘆く人がいます。なんという事でしょう。失敗は成功の母というのに、人と人との繋がりを成功・失敗という両極端で計るなどとは……、失敗すればこそより深く洞察し、より強く成功をつかめるというのに。失敗という助走があればこそ、あなたはより高く、より遠くに飛び立てるというのに……
孤独とは、より広く人々を知り、より深く自分を知るための、最高のチャンスなのです。その最高のチャンスを嘆きで汚す人がいる。なんともったいない事でしょう。そういう無駄こそが、幸せから遠ざけているというのに。
一人では力及ばぬも志を、助け合うためにこそ人は孤独なのです。
2006-04-12
2006年 04月 01日
勉強するにしても、要点を絞らなければ知識が使いこなせず、新聞・テレビで情報収集するにも、取捨選択が無ければ時間が掛かっても役に立たない。
何事にせよ、整理がなければ使い勝手が悪い。
……器用な人は、要不要をすかさず判断し、取捨選択をしていて無駄がない。これは持ち物についても当て嵌まるし、物事の考え方にも当て嵌まる。
シンプルであるのは、それで充分にやりくりできる人だ。
反対に、何でもかんでも抱え込むのは、棄てられない……という性格もあるだろうが、それ以上に価値が判断出来ない場合が多い。その内容ではなく、持ち物の量で自分の価値を判断する……思慮ある人から見たら、決して利口な生き方には思えないだろう。
で、死の意味を考えない人も、生きている時間の長さで人生の価値を判断する。なるほど、長生きには運も必要だから、長生きは祝福すべきではある。が、生き方の内容・価値を考えずに、ただ長生きすれば幸せなのか。……それもまた、思慮ある人から見たら、決して利口な生き方には思えないだろう。
自分に充分な食物の量が分らずに食べ過ぎる……
自分が知るべき事を知らずに無関係な本を読みあさる……
人生の目的を知らずにただ長生きだけを求める……
みんな、無知故に踊っている。
06年 01月 13日
重さでも、体積でも、長さでも……測定するにはそれに適した場所がある。
傾いた場所では、秤《ハカリ》や、枡は使いがたい。凸凹した場所では物差しも使いがたい。
同様に、自分の気持ちを推し量るのにも、体調を調べるのにも、やはり内外ともに落ち着くことが大切だ。
慌てている人への霊査を取る。――「落ち着きのないことがよく分ります」……というのでは霊査に価値がない。だが、「そんなことはわざわざ霊媒に言われるまでもない!」と腹を立てる前に考えて欲しい。
わずかなミス、ちょっとしたタイミングのズレがどれほど甚大な被害の引き金となるか。往々にして、落ち着きのないことが災難の原因なのである。つまり、わざわざ霊媒に聴くまでもない明白なる原因をぶら下げて、霊媒に頼る滑稽さが落ち着きのなさに存在するのだ。
言われるまでもない、指摘されるまでもない……くだらない、と思う前に、まず自分自身でクリアーして、さらにその次の課題を掘り下げるべきだとは思わぬだろうか?
霊媒の努力に甘えるような心霊相談の在り方は、自助努力の虚ろさを明示し、その災難の原因が自業自得によるものであることを暗示するのだ。
さて、体調が悪い……とする。痛い、痛いと騒ぐのは同情してくれる人の前だけにして、まずは我慢し、心を静める。ゆったりと座り、または、横たわり、痛みの部位に手を当て、自問自答する。「悪いのはここ?」
もしも手のひらに緊張感が得られたなら、そこを中心にらせんを描くように手を動かしては自問自答する。「悪いのはここ?」
一通り回れば、また中心に戻り、自問自答する。「悪いのはここ?」
大切なことは、答を得ることではない。自分の意識の大きな部分が、自分の身体の不都合に関心を向けることだ。端的にいえば、潜在意識が自分の不健康さに気がつくことが大切なのである。身体に注意を向ければ、その部位に血液が集まり、温かくなってくる。それが自己治癒の第一歩だ。
手を当てることを手当というが、治癒力は手にあるのではなく、人の心、ひいては魂であり、手はその働きの象徴に過ぎない。
2005年 12月 29日
己の力が足りぬ時、他を頼る。……人の世に当たり前に見る光景ではあります。ただ、これを霊的に見るなら、人は誰もが、守護霊の庇護下にある居候のようなものです。つまり、居候が喰いあぐねて、他の居候の部屋に転げ込むようなものです。はたして、かの居候宅の主達はどのような気持ちでいるのやら……
よい修行と思って状況を利用する守護霊有り、迷惑と感じて追い出そうとする守護霊有り。
物事の結果は、己が望むか、望まぬかだけでは決まりません。相手が望むか、望まぬかも大切なことなのです。―― なかなかそこまで見通すことは出来ませんが。
05年 12月 19日
Q 「東京・横浜オフ会参加が難しいのだが、修行の方法はないか?」
ここ数ヶ月、同様の相談を何件かいただいております。その打開の一環として大阪でのオフ会開催となったのですが、外国在住者相手では私が出向いてのオフ会開催には難があります。
●たとえば通信霊査(オンライン・精神統一)
当サイト開催当初から、「オンライン・精神統一会」と称して、オフ会に参加できない人宛に霊査を取り、メーリングリストで配信するということをやっております。……が、現在募集はしておりませんし、来年2月中(2006年2月・既に休業)に無期休業の予定でおります。
霊査を取ること自体は、面接せずとも大丈夫なのですが、いかんせん、人間は感情の動物で、発信と受信との間にタイムラグが存在するメールでの交流は、まるで針を箸でつまんで縫い物をするのに似た気遣いを要求されるので、非常にやりにくい部分があります。……むろん、私はこのオンライン精神統一会で様々なノウハウを得たわけで、いずれは整理の上、別な形で活用したいとは思いますが、今すぐ何かを始める予定はありません。
さらに根本問題として、霊査を得ても活用できなければ意味がないわけで、ここに一番の問題があります。いわば、目の付け所が大切なわけですが、そういう指導は、同じものを見ているときにこそ大きなチャンスがあるわけで、同じ時間、同じ環境にない人と視点についての話題を論じることには困難があります。
●道は複数あるが
頂上へと続く山道が一つに限らぬように、修行の道にも複数あることに疑問の余地はありません。しかし、オフ会の意義は指導役がいることです。
山道に例えるなら、案内役が必要な道は、すなわち困難な道であり、敢て困難な道を選ぶことは、つまりそれだけの価値があるということです。
霊的にいうなら、前世に持ち、今生では忘れているものを、取り戻す為には僅かな切っ掛けだけで済みます。…… ですからメールでヒントを差し上げるだけでも意義があるでしょう。でも前世で持たなかったものを、今生で得るには相応の努力が必要で、ここにも収支のバランスが厳然としてあります。……つまり、結果を得るには相応の代償が必要だということです。
●根本的な問題
具体的な質問に答えることはメールでも容易です。しかし全般的な指導となると話は別です。
霊感で千里・万里を超えて指導せよ……というのは、何とも良いアイデアに思えましょうが、人は往々、眼前の者の注意にすら無視し、反発し、素直に受けようとしないものなのです。すなわち、正しく聞き耳を持っている人でなければ、通信指導は意味がなく、正しく聞く耳を持つ人なら、霊媒に頼らなくても、自身の霊覚だけで、相応に向上が出来るはずだからです。
大阪オフ会の質疑にて
2005年 12月 07日
一口に几帳面な仕事というが、失敗をおそれるあまり、胃を悪くしては何のための人生か分らなくなる。……かくして、大阪オフ会にて、上手な手の抜き方について質問を受けた。
私も一応職業人だ。手の抜き方ならばそれなりに実績(?)もある。また、私自身が受け取る霊査にも、やはり手の抜き方に関するものが多い。とはいえ、木に竹を接ぐのたとえもあり、私に対する霊査が、この質問者に対する答になるとは限らない。 ……一人一人が違う人生を歩んでいるのだから、一人一人に、それぞれの霊査がある。
・・・・・・・
最初に、お母様の躾の影響と感じます。(質問者は、むしろ父親の躾が厳しかった、と反論する)……そして霊査として、
『全体を見よ、全体を見れば省けるところが見えてくる。
全部を完璧にこなそうとするから集中力が足りなくなる。まして、人から言われるままに動くから、気ばかり遣って疲れやすい。
(大阪オフ会ではここまでの説明で次の話題に移ってしまった)
言われたことを従順にこなすのは、美徳な様でいて使う側から見れば面倒なことだ。面倒をこらえて指示をしているのに、しくじられれば腹立ちも大きい。かくして努力するほど怒られやすく、実りが薄い仕事となる。だが、言われる前に行い、気がついたらすぐに済ませておく。……出来ることを印象づけておけば、仕事のアラも隠れて見えない。
仕事への取り組み方に疑いを抱かれれば、どれほど努力しても重箱の隅を突くようにしてミスをほじくり出されてしまう。だが、仕事への取り組みに信頼を勝ち取れば、粗雑な仕事でも、「要点を押さえた仕事」と評価されるだろう。
几帳面な仕事が完璧なのではない。要点を押さえた仕事で充分に完璧なのである。…… 全体というのは仕事全体という狭い範囲のことではない。人生すべてにわたる視野のことだ。
嫌な表現ではあるが、仕事が十分出来ても上役から嫌われれば評価されぬものである。逆に仕事がまるで出来なくとも上役・同僚から好かれれば仕事も評価されてしまう。
これは神の正義の不在ではなく、社会、ひいては、人間の評価の歪みである。』