心の汚物


2002年4月20日の精神統一会にて

2002年5月23日追加

 ちょっと複雑な霊査内容です。

 突然汚い話で申し訳ありません。

「人は毎日顔を洗うけれど、心を洗う人は稀……」という話がありますが、身体は動けば垢も出るし、皮脂も浮きます。心だって、喜怒哀楽すれば、汚れた妄念が生じるものなのです。

「美人は絶対に排泄しない」という戯言がありますが、お腹の中に排泄物が溜まった美人なんて、想像するにあまり香しくはありません。ですから排泄物はお腹に貯めずに、どんどん吐き出していただきたいと思うのです。

 同様に、善良であろうとする人の多くは、心の汚物(愚痴や恨み言など)を出さないことを美徳と考えていらっしゃいますが、人前で排泄したり、はたまた、人に汚物をぶつけたりするような事は論外として、やはり心の中を汚物でいっぱいにするより、ちゃんと出すべきところで排泄するほうがより善いと思います。

 具体的には湯船につかりながら愚痴るとか、トイレの中で一人で愚痴るとかの、工夫が必要でしょう。ただし、二つ、大切なことがあります。

  1. まず、拭くことを忘れない……最後には気分を切り替えて明るく前向きになることです。
  2. ドアを閉めて用を足す……これから心の排泄をしますと、背後に宣言し、または自分でドアを閉めるところを想像してから始めるといいでしょう。ただし、閉めたら出るところも想像しましょう。

 人からなじられて、いつまでもそれが心のわだかまりになっている人は、相手の汚物をぶつけられた・心の毒気に当てられたと考えてください。復讐を思うのはナンセンスですし、相手の態度を見れば反省すべきかどうかが判断できるはずです。

 突然話題を変えますが、善人だって怒る時もありますが、「発つ鳥跡を濁さず」で、捨て台詞を残したりはしません。下手に捨て台詞を残したりすると、追い掛けられたりして再び面倒ごとに巻き込まれてしまうからです。つまらない相手とは関わらないほうが結局、自分の心を健やかに保てます。

 ところが、腹黒い人の場合、怒った後は捨て台詞を残すものです。普段から自分を善良そうに見せるために無理をしているから、決別する時にバネが弾けるように抑えきれなくなるのですね。

 人の腹の底を覗いたら、誰とも付き合えなくなるものですが、別れ際の態度を見ると、覗かなくても性根が判るものです。そこで問題なのは、いくらお腹に汚物を溜め込んでいても、性根が正しい人は、いずれ汚物を吐き出して素直になれるけれど、性根の曲がった人は、汚物を吐き出して、そこから叩き直さないと真っ直ぐにはならないのです。


 タオルで汚物を拭う。

 身体を拭うのには、タオルを使いますね。中にはブラシを使ったり、また手ぬぐいの愛好家もいるかもしれませんが、まず、入浴時に雑巾を使って身体を洗う事はしないでしょう。

 しかし、汚物が身体に付いたときには、洗い流せるならばともかく、タオルよりもむしろ雑巾を使います。無論、タオルで拭いてもかまいませんが、汚物を拭くのに使ったタオルはいくら洗ってもあまり入浴の際などに使いたくないものです。

 さて、普段、仏など拝みもしない人、説法などに関心を持たぬ人が、苦しいとき、特に霊障を感じた時などは、にわか仏教徒になって般若心経などを唱えたりする。霊媒の中にも、読経を進める人もいますが、なるほどそれで楽になる場合もあるでしょう。

 私は、読経するよりも読み解く方が大切だと思う性質なのですが、心鎮めて読経していると、目の前に光が現れ、聞き届けようとする霊が現れるのを確かに感じます。こうした時に読経者に憑依霊でも憑いているなら、きっと取り去ってくださるでしょうね。

 一方、霊媒の中でもベテランに属する人は、素人が霊障時に読経すると、かえって、供養してもらいたい低級霊が集まって危険だという人もあります。これは要するに心構えの問題なのですが、心鎮めて読経するのでなければ害が出る事もあるということは心に留め置くべきでしょう。

 また、私も除霊を求めて素人が読経することには反対の立場をとります。まるでタオルで汚物を拭うようなものだからです。

 いえ、お坊さんなどでは、「心の汚物を拭うのに読経するのは大いに結構、仏は穢れぬ」……という立場をとる方もいるでしょうが、困ったときだけ読経をするような人は、お経を雑巾扱いして、つらい時、苦しい時だけ読経し、心を清める為という、本来あるべき目的には使わぬのではないかと思うのです。……つまり、汚物をぬぐうのにタオルを使ったら、その後はタオルを雑巾にしてしまうでしょう。なるほど仏は穢れなくとも、使う人が仏を雑巾扱いする事はあるのです。

 除霊が必要ならば、一回、般若心経をあげるより、『助けてください』と十回唱えた方が、手っ取り早く、効果的だと思います。そして、助かったら、感謝の意を表すつもりで、静かにお経なり祝詞なりを上げればいいわけです。

 苦しみから逃れたくてあげるお経や祝詞というのは、聞いていてあまり美しいものではありません。それはまるで魔術的で、素直ではありません。素人が知りえるお経の大半は、要するに仏様にゴマをするための言葉の羅列ですし、祝詞だって神をたたえる言葉だけで、こういう言葉を唱えるというのは、助けてもらう為にへつらうような醜さがあります。ですから、つらいなら、はっきりと「たすけて」という方がよほど嘘が少ないではありませんか。

 ほっと一息ついたとき、受けた恩を忘れずに、極力静かに感謝の祈りを捧げられるなら、単に災難から逃れられるだけでなく、難が転じて福となる事もあるでしょう。私はこういう祈り方をしています。


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