価値ある奉仕か?
川の対岸(彼岸)には、素晴らしい世界が広がっていると聞きます。
しかし、川に架かった橋は、腐っていて向こう岸にわたるのは危険であると人々はいいます。
あなたは渡らずに、ただ対岸を眺めて済ましますか?
渡ることが出来ないけれど、向こうの世界はとても素晴らしいと、自慢げに話す人がいます。渡れないならどうして、素晴らしい世界があると知っているのでしょう。
その人は、本当にあなたを危険に晒すまいとしているのでしょうか。
川の対岸に素晴らしい世界が広がっている。しかし、橋は腐っていて渡ると危ないという。
ではなぜ、誰も橋を直そうとしないのでしょう?
進歩とは身を危険に晒すことではありませんが、危険だからと前に進まないことも進歩ではありません。腐って危険な橋なら、通れぬようにするのも確かに大切な事です。ですが、橋を直す努力は、よほど崇高な仕事といえましょう。
いや、あの橋は本当に腐っていて、渡るのは危険だ。私も落ちた事があるからよく解る。
橋が腐っていなくても橋の欄干や手すりによじ登るのも危険ですよ。
交霊には確かに危険が伴います。しかし、無茶をしても危険がなく、そして有益なものというのが一体世の中のどこにあるというのでしょうか?
川に架かった橋は、腐っていて向こう岸にわたるのは危険であると人々は言います。……では、誰一人渡った事がないのでしょうか?
危険だからと「橋を渡るな」というのは、本当に価値ある奉仕でしょうか? 橋をなおしたり、道案内をしたり、そういう建設的な奉仕こそに価値があるのではないでしょうか。まして、人は望まなくても交霊に直面する事もあるのですから。
いかなる意図の元に無意義な奉仕をするものがいるのか。様々な人がいるものです。
心霊否定論者にも無理なことをいう人が少なくありません。
最終更新日 2003年5月28日