交霊主義


交霊主義とは

2004-06-01

 

 交霊主義とは、聞き慣れない言葉かもしれません。19世紀に欧米で成立したスピリチュアリズムの別称(心霊主義と同様に)……交霊・霊からのメッセージを通じて人生を善くしていこうとする生き方から生じた和名です。

 人の数だけ生き方が有るように、人々が交霊に望むものも人それぞれです。ですが、とりわけ「霊性向上」「永遠の生」というテーマを抱く人々にとって、交霊という手段は重要な意味を持ちます。

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 ここに一冊の書物があるとします。人の数だけ理解の方法があり、人の数だけ応用方法があります。そして、本は書かれていないことは何も答えてくれません。

 では、書かれていないことはどうして知れば良いのでしょうか?

 そしてあなたが正しく理解しているかどうか、どうやって知れば良いのでしょうか?

 スピリチュアリスト達の回答は、交霊会を行うことでした。

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 知識を人と比べることは容易です。ですが、霊性や霊格の高さはどうやって比べればよいのでしょう。(そもそも霊性・霊格の意味を理解している人がどれだけいることでしょう)

 人が死後、皆同じ境遇に有るというならいざ知らず、人は生れてきた段階からその環境は大きく異なるのです。果たして、自分は死後、いかなる境遇に置かれるのか、一体どうやって知ることが出来るのでしょうか。心霊書・霊訓の中の珠玉と讃えられる、シルバーバーチの霊訓ですら、「霊界の様相は言葉で表現することは出来ない」としているのです。

 言葉で表せぬものを感じ取るのに、一体何が必要でしょう?

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 霊界に意見を求めようとする交霊主義は、守護霊を神に祀った宗教ではないし、霊媒を教祖とする宗教でもありません。そもそもスピリチュアリズムとは、古来から有った霊媒現象に、客観的な見方を持ち込んだことに意義があるのです。交霊もまた、客観的に行われなければなりません。

 霊媒の言うことが、信じられるか、否か……そんな論争は、霊性向上・霊格向上の修行法を知らない素人のものなのです。大切なのは信じることではなく、知ることなのです。

 人間関係の構築には、小さな信頼を、時間をかけて積み重ねていく。他のどんな方法が信頼できるというのでしょう。熱しやすければ冷めやすい、容易に手に入ったものはそれなりの価値しかないのです。


交霊の意義

2004-06-02

 

 あなたは地上で学んだ心霊知識だけで、死後に低級霊や悪霊に惑わされたりしないと確信できますか。きちんと霊界でのガイド(案内役)にめぐり合う事ができるでしょうか。

 今、身近に霊による障害を感じていない人も、死後に低級霊に騙されるかも知れません。未経験のこと、いまだ起こらざる事におびえるのは愚かではありますが、自分を過信するのは愚か以上に危うい事でしょう。

 実をいえば、私は、死後の事は死んでから学んでも間に合うと考えています。少なくとも、生きている今、一番大切なのは死後の事よりも人生を全うする事なのです。そして、今の使命をおろそかにする人を一体誰が大切にするというのでしょう。不満屋・皮肉屋を大切にしたがるでしょう。死後の境遇に小細工を労するよりも、すがすがしい人間として生きることのほうが良い……そう思いませんか?

 ですが、縁あって心霊を学ぶ事になったなら、自分が無事に霊界入りするための練習までしておくにこした事はありません。その目的のためにも交霊は有益です。この時大切なのは、霊媒相手に交霊をするのではなく、霊媒の介助の下に交霊を行うのだ……という認識です。霊を信じて、自らの人生を任せるのが目的ではなく、自分が交霊を望んだ時、いかなる霊が語りかけてくれるか……ということも大切なのです。

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 私が心霊相談を通じて感じたことですが、相談を受けて直ちに、素晴らしい回答を受信し、相談者の返事だけに使うのはもったいないと、ホームページで皆さんに紹介した事が多々あります。

 反対に、非常に回答を得るのに難儀する事も多々あったのです。難儀した時には、私も師匠らに意見を求める事があります。その結果などを考えると、この差は私の能力の不安定さというより相談者の持っている縁の違いと言えます。

 誰もが良い助言を得られるとは限りません。しかし、今助言を得る事が出来ず、良い助言を受けるための努力や工夫もないまま死んだとしたらどうなるでしょう?


瞑想

2004-06-03

いかに魂を認知するか

 たとえば、死後の個性存続をテーマにする心霊学は、内外の偏見と差別によって、科学として認知されません。その一方で、同様に科学的な測定手段がない人の心を扱う心理学は科学として認知されています。

 たとえ科学的な測定手段がないとしても、誰もが自分の心の実在を実感している一方で、死者の霊魂を認識する人はそう多くなく、まして人に実在を説けるほど信念を持つ人は稀であるからともいえるでしょう。

 しかし、ここで取り上げたいのは、心霊学の科学的な認知ではありません。心は誰でも実感できますが、魂を実感するのは難しいという事なのです。

 実を言えば、『自己の主体を魂に置こう』という提言は、決して真新しいものではありません。ただ実現方法が非現実的であったというだけで、仏教では全ての人に宿る『仏性』の発現こそが悟りであると教えていますし、キリスト教でも、霊性の向上こそが神へ近づく手段であると瞑想を行います。その目指すところは心霊思想と大きく異なるものではありません。

実践・体験

 たとえば身体を鍛えるなら、運動すればよい事を誰もが知っています。では、人の心や魂は一体どうやって鍛えればよいのでしょうか。オカルト的に言えば、除霊や悪霊との対決は、なるほど、魂や霊力の鍛錬を必要としそうですが、誰もが除霊を行えるわけではありません。

 もしもあなたが知識を向上させるなら、良書に親しむと共に実践を行う事が大切です。良書に親しむだけならば身勝手な理解に陥りかねませんし、机上の空論を元に、他の知識を推し量れば、過ちが真実を押しのける事になりかねません。しかし、心霊知識を一体どうやって検証するというのでしょうか。

 信頼できる先達・先人と友好を結び、その知識や体験を生かす事で机上の空論に陥らないようにする事もできるでしょう。ですが霊的な体験なくして、その先達・先人が正しいと一体、どうして知ることができるのでしょうか。

 実践と体験、それなくしては、『魂を自己の中心に置く』という、心霊主義のテーマは絵に描いたモチに過ぎません。その手段として心霊主義では、仏教やキリスト教などでも用いられる瞑想を行います。しかし、何よりも特徴的なのは、仏教やキリスト教ではまったく省みられなかった手法、むしろ積極的に否定された手法こそが、心霊主義における魂の実感方法……すなわち、交霊なのです。

瞑想 (精神統一・心霊統一とも呼ぶ)

 たとえば修行者が、仏性や霊性を見出す努力を続けて実りがないのも、生きていく上で必要な矛盾と、自身の向上のために必要な理想との間にうまく折り合いがつけられなからといっても過言ではありません。

 ですから仏教でもキリスト教でも、肉体の働きを静めて心を働かせる瞑想(仏教では禅や諦観などと呼ぶ)を行い、一時的に矛盾を棚上げしようと努力します。身体の働きに対する関心を止める事がなければ、心の修行・精神修養などは成り立つはずがなく、肉体的な荒行も、止めるための動きである事を理解しない人では、荒行をこなした分だけ修行者が傲慢になっていきます。

 これは肉体的な修行だけではなく、知的な修行にも当てはまります。知性を止めるための動きとして勉強でないと、勉強した分だけ傲慢になり、見知らぬ現実に直面した時、現実よりもむしろ自分の知識を信じて、現実を無視してしまう傲慢な知者となるのです。本当の知者とは本からではなく現実から真理を導ける人なのです。

 動と静、心の働き、知の働きにブレーキを持たない人は、ありもしない不安におびえ、無駄な妄想に囚われて現実がおろそかになってしまいます。そういう人は、世間になんと多い事でしょう。そういう人が心理的なカウンセリングを受けると、『しっかりと自分を持って……』と助言されるそうですが、自分とは果たしてどう持てばよいのでしょうか……

 という心配はさておき、正しい瞑想は、普遍的でゆるぎない自分を見出す役に立ちます。わざわざ『正しい』と表現したのは、座禅の形だけで妄想していたり、心を空にするのではなく、「空っぽ」や「真っ白」を真剣に考えている人もいるからです。

 心霊主義における、瞑想の特徴は、基本的に霊能者の介助の下で行う点にあります。「空っぽ」や「真っ白」を真剣に考えている人にその過ちを指摘し、心の耐え切る限界を見定め、妄想を生み出す軽度の憑依を取り除く事で円滑で意義ある瞑想をもたらすのです。


交霊

2004-06-04

 


いかに魂を認知するか

 魂の働きだけでは人間は成り立つ事が出来ません。そんな人間が、自らの魂を見出そうとするのは、波にゆれる小船の上で平衡を保とうとするぐらいに滑稽な事です。そして生きている人間に助言を求めるのは相手の利益と自分の利益が噛み合えばよし、相反してしまえば互いが敵同士になりかねない危険性があります。

 ではいっそのこと、すでに利害を超越した……つまり死んだ……相手に助言を求めてはどうでしょうか……このような考え方を一般的に交霊主義と呼びます。(心霊主義の別称でもある)

 ですが交霊は、仏教やキリスト教が、むしろ積極的に否定した手法なのです。果たして、交霊に危険はないのでしょうか。

 はっきり言って多大な危険、多大な悪影響が存在します。しかし、正しい指導者の元に行わなければ仏教やキリスト教の修行にも危険が伴なうのです。禅は発狂と紙一重の荒行ですし、神がかり的な教祖に組織されたカルト教団が、集団自殺や組織暴力に至ることは多々見られることです。

 むろん、他の手段にも危険性があるのだから交霊を行っても良いというのではありません。手段に罪があるのではなく、用い方によって悪影響がでるという事なのです。

 釈迦やキリストが、交霊に対して否定的である理由は実に明白です。このような聖人に比肩するほど、いや、無知な人々を指導できると認められる程の霊・人格の高い霊と、その助言を中継できる霊媒が、その当時にはほとんどいなかったということなのです。

 時代と共に人も進歩し洗練されていくように、霊たちもまた進歩し洗練されていくのです。交霊に関する状況は好転している一方で、二千年も前の主義・思想を現代社会にそのまま当てはめようとするのは無理がある……そういう状況を背景に生まれたのが、スピリチュアリズムであり、日本的なアレンジが為された心霊主義なのです。交霊には必然性があります。

交霊の必然性

 有り余る豊かさと膨大な情報、それらに振り回されず、自己を保つためには自らの心を鍛えざるを得ません。ですが、物質的な豊かさを追求してきた人々は、目に見えぬ心をいかに扱うべきか、という知識を急速に失いつつあります。

 たとえば見えるものならば、図に描き説明する事も出来ます。文書の形で世代を超越して伝達する事もできるでしょう。しかし一体、目に見えない人の心のありようをどう記録し伝達できるというのでしょうか。言葉に出来ず、図にも描けぬ心のありようは、身近なところでは「親の背中を見て」……つまり、身近な人とのふれあいを通じて学び、そして、より高度な手法としては相手の理解力に応じた比喩(いわゆる口伝)などを用いて、細々と伝えてきたのです。

 ふれあいを通じた学び方は、周囲の環境次第で効果に差が出ます。また、口伝で指導するにも精神性と霊性の違い、良心と仏性の違いさえも説明できない人が、何を指導できるというのでしょうか。

 心を育むのには、確かな霊性を備えた人との出会いと交わりが大切なのです。しかし、人は生きている限り、大なり小なり利害に縛られざるを得ません。そこに現世的な利害を超越した死者との交流の必然性があります。

交霊の対象

 もちろん、死んでもなお地上的な欲心を引きずっているような、いわゆる低級霊は、心霊主義・交霊主義が目指す交霊相手にはなりえません。

 たとえ祈祷を聴き入れて願望を満たし、悪霊を退けて安寧をもたらしてくれるような霊であっても……それも重要な仕事です……やはり、心霊主義・交霊主義が目指す交霊相手にはなりえません。

 たとえばあなたが生活苦にあえぎ救いを求め、神がそれを聞き届けたとします。 一つの包みの現金は一時、生活を豊かにしても使えば目減りし、いずれは使い果たしてしまう事でしょうが、しかし、豊かになる手段……たとえば、農作物の種子や、工具の類いであれば、使えば使うほど豊かになっていく事でしょう。

 差し迫った問題があるなら、「助け」は最善の手段ですが、人生に本当に必要なのは一時の助けではなく、継続的な指導であり、必要なのは問題の回答よりも解法の知識なのです。

 そう、心霊主義・交霊主義が重視するのは、個人のレベルに合った指導と、困っている時にその打開方法を示してくれる霊なのです。


交霊の危険性

2004-06-05

 

 進歩は、交霊の危険性を大きく減らしましたが、完全に消え去ったわけではありません。従って、心霊を人生に生かすには、まずその危険性を十分に学ぶ事が大切になります。このテーマは非常に大切なものであるのと同時に、これで充分という知識は決してありえないことです。

 従って詳細は、後述することになりますが、こと、交霊に関する危険について、二点掲示しなければ交霊というテーマを閉じることは出来ません。

妄想のはけ口

 宗教、そして心霊思想の多くは、科学に携わる人々から見て迷信深く思われていますが、それは子供向けの御伽噺や営業活動上の方便……端的にいえば嘘ですが、言った本人も真理と信じている事も多いのです……を、まともに取り上げた結果である事が多いのです。

 大抵の宗教や心霊でも、原因なくして結果なく、労働なくして報酬なしと因果律を説いているのにも関わらず、労力以上の報酬、いや働かずに報酬だけを欲しがる怠惰な人ほど熱心に信じる事も多々見受けられます。

 それは宗教や心霊・神秘思想が、人々の妄想のはけ口になっているという事であって、それに携わる全ての人が迷信に陥っているわけではないのです。しかし、熱心に信じ、祈る人々は、自分の願望を不可知な存在に押し付ける事に精一杯努力するばかりで、真理に耳を貸さず、真実に目を向け様とはしません。

 独善的な人はどこまでも独善的ですし、頑固な人はどこでも頑固なのです。それは、宗教思想の分野に限らず、いかなる人間関係の間においても問題になる事です。

 そして、寛容さを旨とする人々は、独善・頑固を説き伏せるよりも、そのような人々に囚われないで生きることを選んでいるのです。

遠くの灯明

 真っ暗な夜道をさ迷い歩いた人が、突然、遠くに灯明を見出したとします。灯明に向かって駆け出したいのが人情といえましょう。

 ですが、目的地が明らかになったとしても、足元が見えないことには変わりありません。たとえ気が焦ろうと、足元を探りつつ一歩ずつ前に進まなければ、つまづくか、ぶつかるか、落ちるか……せっかくの希望があなたに災難をもたらしかねません。

 心霊には、確かに危険性があります。ですが、一番危険なのはあなた自身が自分の心を押さえられない事なのです。

「心霊」

 薬も過ぎれば毒となります。 心霊主義において、交霊は非常に多くの益をもたらしますが、益に気取られて己のあり方をおろそかにすると、いかなる聖霊の教えであろうと、人生を誤る切っ掛けになりかねません。……拝霊主義

 反対に薄めた毒が薬となる場合もあります。人は失敗からも多くを学べるものですが、それは痛み乗り越えられた時の話なのです。ですから、不可知なものと接する際には、それを受け止める自分の心をしっかりと監視してください。慢心は自らを損なうだけでなく、大切な人々の信頼を損なう事だからです。

交霊の手段

 心霊主義思想に触れ、また、交霊の必然性を感じ取ったとしたら、次の関心は交霊の手段となるでしょう。一般の人々が交霊会に参加するチャンスはまずありませんし、自分自身が交霊会を行うのは才能的な問題もあります。 仮に才能的に可能であっても、低級霊に騙される事なく、有益な知識を得る事は非常に難しいのです。

一体どうすれば、交霊に参加できるか?

 私はその方法を隠しませんが明示も致しません。あなたが心霊主義を学ぶと同時に、寛容さを身につけていけばおのずと明らかになっていく事だからです。


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