成長の助けに


自分を知る

2004-12-07

 

基礎を大切に

 地上には千年を経た建物は滅多に見られませんが、数千年前の建物の基礎は、各地で見つかります。立派な建物、豪華な建物も人々の前には見えない、又は、人々が見ようとしない基礎の部分が支えているのです。

 さて、あなたがなにかを学ぶに当たって指導者に師事すれば、たとえ面倒であっても、基礎からキチンと指導されることでしょう。ところが、独学者は往々に、自分の興味の対象を追いかけるばかりで、基礎をなおざりにしてしまいます。

 ただし、「人はすでに霊界で正しい心霊知識を学んでいるから、学習の意味と目的を間違えない限り、独学でも一向にかまわない」と心霊知識は教えています。ですが、傲慢な人であれば、いかなる素地素養があろうとも、何を学ぼうと、誰に師事しようと、結局は身勝手な解釈しか出来ないものです。結局、あなたが学べるものは、あなたの人間性なりのものでしかないのです。

 しかし、学校の勉強ならば、成績は知識の目安に過ぎませんが、心霊の勉強というのは人間性をどう磨くか……であり、正しいか、否かというのは、そのまま人間性の評価に結びつくのです。 つまり、傲慢な人が勝手な解釈で心霊を学べば、その人はますます傲慢に見えるようになるでしょうし、謙虚な人が心霊を学べば、謙虚であることを幸せに思えるようになるのです。

未熟さを楽しむ

 趣味や芸事に命をかけるのも、その人の人生ですし、何事も突き詰めてみると、異なるものが見えてくるものです。ちょうどふもとから見ると雲にさえぎられて山並みの山頂が全く見えなくても、一つの山に上れば、雲の上に飛び出た数々の山の頂きが見えるようなものですね。

 ですが、心霊は知識の多さを競うものではなく、自分の人生を賭けた大勝負である事をご自覚ください。心霊を学べば否応無く、自分の欠点や未熟さ、何よりも悪行の数々、それも前世に及ぶ悪行の数々があらわになっていきます。それらをひとつずつ償い、繕いながら学ばなければならないのです。

 自分の過去を振り返った時、羞恥心を感じないとすれば、立派な人生を歩んだのではなく、成長が無いという事なのです。過去の自分の未熟さを喜ばしく思える人でないと、心霊はとてもとても学びつづける事が出来ないのです。

 知識の矛盾

 高度な医学に支えられながらも人々は出産に苦しみ、犬や猫は誰の介助がなくても子を産み育てます。人は大自然に生かされているのであって、知識に生かされているのではありません。むしろ、知識があるために人は不安におののき、妄想に時間を無駄にするのです。

 知識を尊ぶ人こそが尊び、人生を尊ぶ人は実践に裏付けられた知識だけを尊びます。人がただ生きるだけならそう多くの知識を必要とはしません。ですから、どんなに莫大な知識を蓄えても、その知識で人間を屈服させることは出来ないのです。

 一体何が行えるのか。それこそが真の知識の有無を計る目安となるのです。


人生の意義

2004-12-08

 

  一体、私たちの心はどこから生まれ、死んでどこに行くのでしょうか。

 

 無から生じて無に帰っていく……だとしたら、なんと寂しい事でしょう。心霊思想の中には輪廻や再生と呼ばれる「生まれ変わり」に関するテーマもありますが、ほとんどの人々は前世の記憶を持ちません。

 もしも、人々が前世に関する記憶を持ったまま生まれてくるのであれば、誰も死を恐れず、科学的な証拠がないからといって、心霊思想を否定する事もないでしょうに、再生論を信じるかどうかは別として、誕生は前世との断絶であり、死は現世との断絶であるのは、こと、心に重点をおく限り一般的な事実として認めざるを得ません。

 そう、私たちの人生の前には、死が恐怖を伴なって立ちはだかっています。

 生まれてこなければ死を恐れる必要がありません。もしも、世のオカルト話がみな本当で、死後の世界が怨霊の跋扈《ばっこ》する恐ろしいところであるなら死とは単なる恐怖に留まりません。

 反対に、霊界がすばらしいところならなぜ、わざわざ地上に生まれ変わり、労働に従事し、天候を憂い、飢餓や病気、そして老衰と争わなければならないのでしょうか。

地上に生を受ける事、それに一体いかなる意味があるのでしょうか。

 人生の意味、それを知らずに、どうして人生の意義を感じ取ることができるというのでしょう。


調和

2004-12-09

 

「人は死後も個性を保ち、肉体が滅んだ後も人生は継続する」

 この「死後の個性存続」こそが心霊主義の大前提といえます。そして死後により良い環境を得ることは、心霊知識の正しさを測る、一つの試練といえます。

 さて、物質的な助けがなければ人生を維持できない人の世において、助け合うのは義務というより必然性が大きい事は誰でも思うことでしょう。様々な雑事に付き合わされてなかなか、自分のやりたいことに没頭できない。その事に苦悩する人のなんと多いことでしょうか。

 しかし、必然性があればこそ、どんな嫌われ者でも、全くの孤独に陥ることがありません。理解者がいないというだけで、人は十分に孤独ですし、孤独は人を死に追いやることもありますが、必然性に結びついた人間関係がある限り、理解者を得るチャンスは無ではないのです。

 それに対して、霊界では衣食住の心配がありません。義務さえ負わなければ、好き勝手にいくらでも時間を浪費することが可能です。それは同時に、身勝手な人が容易に完全なる孤独、全くの虚無の中に閉じ込められかねない事や、理解者を得るチャンスが地上よりもはるかに少ないことも暗示しています。

 それ以外にも、人は死後にとても孤独に陥りやすい様々な事情があることを、心霊を学ぶ上であなたは知ることになります。しかし、あなたはまだ、地上にあってこの文章を読んでいます。そして死後の苦しみを少しでも減らしたいと考えるなら、調和の大切さを理解しなければなりません。

 霊界では人間同士が助け合う必然性がとても薄いのです。ですから、仲良くする、調和を保つという感覚に薄い人は、人間関係も同様に希薄になります。何より、あなたに調和の気持ちがないなら、どうして霊界からの援助や支持を受けられるというのでしょう。


善悪を論じない

2004-12-10

 

口を持って生まれた以上、誰も罪なく生きることはできません。

正しく善悪を論じるなら、裁きの刃からは誰一人逃れることができません。

人々にできるのはただ、罪よりも多くの善事をなして死の時を迎えることだけなのです。

 

 私どもは、ことさら善悪を論じません。それは善を軽視するのでも、悪に寛容なのでもありません。誰にでも多少の罪があり、そして純粋に善悪を語れる人はごくわずかです。結局、善悪を論じようとすれば、自分を守ろうとして真実をゆがめ、その矛盾が議論を非難合戦に変えてしまいます。

 いくら互いに思い遣りを抱いていても、真実を語れないなら、そこに友好はあっても誠実さがありません。目の前の誰かを庇おうとすると気が付かぬうちに別の誰かを非難しかねません。気配りは小さな誠実さであって万人に対する誠実さとはなりません。

 たとえ真実は、避けがたく痛烈な刃だとしても、真実こそが万人に対して平等に誠実なのです。何よりも、真実を受け入れられぬことほど哀しい人生がありましょうか。配慮すべきは、真実を隠すことではなく、痛み少なく真実を受け入れる助けをすることと言えましょう。

 特に心霊学は、よりより善い心を持つことが楽に生きられること、悪しき心の持ち主が葛藤の泥沼に陥ることを提示します。すべてはあるべき様になるから、ことさら罪を裁く必要を感じません。それが天、又は、神の摂理に従うということです。


何を求めるのか

 2004-12-11

 

 「健康は大切です!」……確かに、しかし、健康に関心を持つのはどういう人でしょうか。 溌剌と日々を過ごしている人なら、わざわざ健康論に関心を抱く必要はありませんね。健康論に関心を持つのは、むしろ不健康な人でしょう。

 たとえば、手の存在を認識するのはいつか考えてみてください。手が不自由なときか、怪我などで痛みを感じているときではありませんか? もしも手足が順調に動いているなら、人はわざわざ、『腕を挙げ、ひじを伸ばし、指を伸ばして、物を包み、指を閉じて掴み挙げる……』などと考える事はありません。順調に動いている限り、人は手の存在を忘れているものです。

 では、人はいつ自我を認識するのでしょうか。多くは迷い、悩み、そして葛藤する時に、ふと、『私とは何者だ?』と思う瞬間があるのでしょう。自分自身が思うように成らぬとき、初めて人は自我に直面するのですね。

 さて、私ども心霊主義者は、死後の個性存続を信じ、そして、感情のうねりに自己を任せず、永遠不滅の魂を自己の中心としようと努力をしているわけですが、その肝心な、魂が果たしてどこにあるのか、いったい何時《いつ》気がつくというのでしょうか。魂に気がつく瞬間が無ければ、どうして自己の中心を魂に置くなどといえるのでしょう。

 その多くは、霊障などの障害時であることは、以上のたとえから容易に想像がつく事です。でも、それが全てだとは思いません。


すべてを大切に生きる

 2004-12-12

 

 よい人生を歩みたい……人として生まれてきて、そう思わずにいられるものでしょうか。

幸せに生き、そして心安らかに死んでゆく。

 今はまだ若さにあふれ、老いや死などカスミの向こうにあると思っている人も多いでしょうが、死の直前にあわてても手遅れであることは、賢明な方々にはいうまでもありません。仮に死の直前に、救いや意義を見いだしたところで、急場しのぎの安易な結末を免れません。

 あなたが人生の中で体験してきた様々な経験、その中には決して思い出したくない辛い想い出もあるでしょう。そして恥ずかしい想い出、愉快な想い出、暖かな想い出、ハッピーエンドには終わらなかったけれど、時折は回想に浸りたい甘酸っぱい想い出……これらの想い出のすべてはあなたそのものです。

 人生の意義を考えるに当たって、過去の記憶を振り返えるなら、楽しく、美しい想い出は、決して外したくない大切なもののはず。では、辛い記憶や恥ずかしい記憶はどうでしょうか。たとえどれほど消し去りたくても、忘れたくても、あなたの人生の一部であり、捨てたいという願いが叶ったとしても、一部なりとも捨て去れるような、あなたの人生とはそんなに軽薄なものなのでしょうか。

 辛いからこそ、恥ずかしいからこそ、そして記憶から消し去ることが難しいからこそ、それを成功や大成にむすびつけたいものですね。

 『あの時は、辛かったけど、それを乗り越えて今の自分がある。私の人生はいい人生だった』……今は忘れ去りたい失敗も、振り返って良い思い出になる、いえ、それどころか、『私以外の誰が、これらの苦難を乗り越えてこれだけの成果をあげうるのか!』……そう誇れるのならなんと素敵な人生となるのでしょうか。

 人生は無駄に出来ない。無駄にすべきではないのです。人生を無駄にするのは、生きた自分を無駄にする事なのです。死の直前、いえ、可能であるなら死後においても、人生を、生前を振り返ってみて、『ああ、いい人生だった』と思える。そういう人生を歩むために私たちは生まれて来たのです。それが出来ないなら、生まれて来たのは愚か者でしかありません。

 苦しむために生まれてきた愚か者なのか、人生の真義に気がつかぬ愚か者なのか、いずれにせよ、いい人生を歩めた人から見たら、不幸とは愚かと同義であるといえましょう。

 幸せになりたい。幸福に暮らしたい。あなたが自らを幸せにしないで、誰が幸せにしてくれると言うのでしょう。そして、あなたが自分をおろそかにするなら……一部とはいえ自分の記憶を消し去らんとして……誰があなた以上に、あなたを大切にしてくれるのでしょう?

 ご自分を大切に生きてください。それが幸せへの第一歩です。人生の全てを、何一つおろそかにせず生きてください。悲しみも、苦しみも、別れも、そして老いや病気さえも、あなたが幸せに生きるためにあるのです。そして、死さえもあなたを生かすためにあります。…… その苦しみの意義がわからぬだけで、自分を不幸と決め付けるのはやめましょう。


死もまた生の為にある

2004-12-13

 

 ここで問題になっているのは、人生の最も基本的な葛藤です。

「己の心の赴くままに生きたい」……独善的な動機に思えても、自由への渇仰が人間の本質である事は否定できない事です。

 しかし、どんなに強く願おうと、人は境遇や環境の全てを覆す事は出来ません。長生きしたくても永遠には生きられず、人の心は変えられず、時が移り行く事は止めようも無いのです。

 人と文化の向上によって、人間の自由度は増したかもしれません。でも、何もかもが自由になるわけでもありません。……やりたい。でも出来ない……私たちは、より自由に生きるべく努力を重ねる一方で、現実と妥協する事も必要になるのです。

 つまり、「老病死苦」といった諸問題を人生の敵としてみなせば、その闘争に多くの時間を費やし、闘争はまた苦痛も生み出しますが、これら諸問題を人生の味方とみなせば、人生のより多くの時間を幸せのために費やす事が出来ますよね。

 たとえば、一生同じ楽しみを追いかけたければ、老いは楽しみを奪う敵となりますが、年齢なりの楽しみを見つければ、人生を通じてさまざまな楽しみを味わう事が出来ます。

 また、死を恐れればこそ、一瞬一瞬を大切にもするでしょう。明日は死別するかもしれないと思えば、大切な人と喧嘩していつまでも仲直りせずにいることは到底出来なくなるでしょう。「続きは明日にしよう」……そうやって、明日の自分に雑用を押し付ける事も減る事でしょう。

敵味方は心得次第。敵が多い人生は、無駄が多い人生でもあります。

 確かに世の中には、「他人との闘争・競争が無ければ人生がつまらぬ」とばかりに、わざわざ敵が多い生き方を選ぶ人もいます。砥石がなければ刃物は研げませんから、わざわざ摩擦を生むような人と同じ世界に暮らすのも、いわば修行の一課題ともいえます。

 しかし、人生が魂の修行の場である事を知ったなら、もっと静かで敵の少ない生き方を選ぶべきです。たとえば、宝石を得るには、ハンマーで余分な部分を落とす作業も必要ですが、未だ光らぬ原石を扱うための初期の一工程に過ぎません。研磨とは、乱暴な課程をすぎた後のデリケートな作業なのです。


虚栄と誇り

2004-12-14

 

 苦しみが耐え難いのは、誇りを失ったときです。周囲を侮蔑してまで己を誇ろうとする……「虚栄」は醜いものですが、逆境や差別にも自分らしさを捨てない……「誇り」は人を強くします。

 「虚栄」と「誇り」の違いは、むろん、自分の価値を正しく評価できるか否かにあります。そして自分が虚栄に陥っているか否かを自己判断するのは難しいものですが、自分に不都合な意見に対して、どれだけ客観的になれるかが一つの目安となるでしょう。他の意見に耳を貸す事は大切とはいえ、感情的になりやすい人の意見は、大抵が独善的で役には立ちがたいものです。

(役立たぬというのは、人生を無駄にする事であればこそ、役立たぬ意見からも学べることがあります。)

 他人の感情的な意見が嫌だと思えばこそ、人には意見をするときは、冷静・平静で、かつ論理的であるように心がけなければなりますまい。そうでなければ相手にとって自分はつまらぬ相手になるということであり、それはつまらぬ自分であるということなのです。まして、不都合に対して感情的になるというだけで、虚栄家である事を世に知らしめているのですから。こんなばかげた事はありません。

 そして、他人の感情をぶつけられてもなお、平静さを失わず、感情論に妥協しない事が誇りであるということであり、感情論にさらされるのは誇りを試されていると言う事なのです。

・・・・・・・

 「誇り」の宿敵を「侮蔑」であると勘違いしてはなりますまい。誇りとは自分らしく生きるということであり、人の数だけ生き方がある以上、誇りのありようも人それぞれで、他人の評価、特に侮蔑が入りこむ余地はありません。

 むろん誹謗中傷は不快なものですし、なにより、誹謗中傷を行う人が不快なものですが、他人に見せびらかそうとする虚栄心だからこそ他人の侮蔑が苦痛に思えるのです。もしも、人の侮蔑で傷つく事があるなら、自分が誇りと信じてきたものは、虚栄心であったと知るべきでしょう。

 己の誇りを真に汚すのは己の増長であり、増長を許すのは、誇りと虚栄の区別をしない自分自身なのです。

・・・・・・・’, ‘

「虚栄と誇り」を最後までお読みの方へ

 あなたの未来には希望があることをどうぞ確信なさってください。己の虚栄心を恥じ入り、暴かれた事に苦痛を感じたからといって絶望する必要はありません。

人間社会、特に競争を重視する社会には、虚栄を必要とする仕組みがあります。

 虚栄心を持たずに生きられる人は稀というより奇跡と呼ぶべきでしょう。いえ、虚栄心を持たずに生きたいというのは生に対する甘えと呼ぶべきかもしれません。

 そうであればこそ、虚栄と誇りの違い対する知識は、魂の修行において大きな分岐点を成すのです。つまり地上で生き抜く上での技術(虚栄)と善く生きるための技術(誇り)とを混同してはなりません。生活の糧を得るのに虚栄しても、善良であるかのように虚栄してはいけないのです。

善悪で物事を捉えずに、適うか、適わぬかで判断してください。

 虚栄と誇りの違いを知り、そして誇りの大切さを知った人は、少なくとも虚栄のもたらす袋小路に囚われる恐れは無いのです。そうであるなら、あなたが学びの途中で羞恥や悔悟に苦しんだとしても、それはより向上するための一経過を歩んでいると言うことなのです。


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