心霊主義という表現


 今では「心霊主義」というと、一般的には怪奇物と同一視されているのを嫌って、心霊思想の支持者は「スピリチュアリズム」という表現を主に用いているようです。

 そして、スピリチュアリズム  (spiritualism)  にはさまざまな分派があるにせよ、「死後の個性存続を前提にした生き方で、より心豊かな人生を送ろう」というのが基本的な考えと見なして差し支えないでしょう。


 さて、私が怪奇物と同一視される不遇を受け入れてもなお、心霊主義という言葉にこだわるのは、日本における心霊思想普及の先駆者である、財団法人・日本心霊科学協会への敬意の表れであり、単なる欧米の心霊思想の追従ではなく日本古来の心霊思想を受け継いだことへの誇りの現れであり、そして同時に、心霊に携わる人間として、決して忘れてはならない意義を「心霊」という二文字に見出しているからなのです。

 霊からの働きかけを、予言や占いとして用いる人もいらっしゃいますし、死霊を新たな神として見出した新興宗教もありますが、私自身は、死者の言葉を拝し奉り、死者の指導の元に生きようという「拝霊思想」に陥ることなく、そして、他人の思想や霊言、霊媒の霊査などは、あくまでも助言として人生に生かし、間違っても自分の主体を失う事がないようにと自分を戒めています。

 つまり、私にとって「心霊」という言葉は、人間の精神的働きである「心」と、死者の精神的働きを表す「霊」とを対等に扱い、神秘思想や死者の霊と親しく交わっても、決して追従しないという誓いが込められているのです。

 とはいえ、どんなにすばらしい言葉であっても、人生に生かせなければ意味をなしません。いかなる高級神霊とめぐり合おうと、与えられた叡智を受け止める器量がなければ意味を為しません。そう、人生でめぐり合う、すべての出会いや経験、言葉や叡智は、私たちの心が適切に働いて、上手に活用できてこそ価値が生じるのです。


 もしも、神や仏……又は、高級神霊が、ほんとうに世界を支配しているなら、一体どうして不幸な人々が現れるのだろうか……そういう疑問をお持ちの方も、いらっしゃることでしょう。

 しかし、わたしたちは、高級神霊の力を受け止め、幸せになるための知識や器量をもっているのでしょうか?

 座して待てば幸せになれる……ならば、わたしたちの自由意志とは一体なんの役に立つというのでしょう? そしてまた、私たちはちゃんと、差し出された手を握る努力をしているのでしょうか。差し出された手さえ握ろうとしないで、境遇を嘆いてはいないでしょうか。

 助けてもらうにしても、私たち人間にも、なすべきことが有るはずです。 私の提案する、「心霊主義」とは、死者の叡智を人生に生かそうという提言であり、いわば、神秘思想や死者の霊を介助役として、自分自身を主人公にした生き方なのです。


2004-12-04

 

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