霊媒
霊界への掛け橋
霊媒という言葉が生じたのは、そう昔の事ではありません。キリスト教の呪縛を抜けだし、霊界への関心を抱いた人たちが、霊界と人間の間を媒介する職業に与えた職名…… “Mideume” の訳語が霊媒なのです。
しかし、単に霊を感じ取る力の持ち主を霊媒とは呼びません。自分の交霊能力をきちんと自己管理できる人でなければ、狂人と変りがありませんし、霊界の一方的な働きかけの支点にしかなれないのなら、それは掛け橋ではなく、悪霊や低級霊の配下・手下に過ぎません。
そして、「掛け橋」になるということは、交霊能力だけではなく、その志も大切な要因なのです。
交霊能力によって、問題の解決力を得たり、人の知りえない事を知るというのは、霊界の協力があって初めて起こりえることなのです。そして霊界が力を貸すのは、人間社会が豊かな精神性を獲得する事が、結局は霊界の利益になるからなのです。
霊界も自分たちの利益の為に働いているのですが、それは個人的な利益の為ではなく、全体への利益の為なのです。したがって、自分の都合の為にのみ、霊能力を使おうとするのは、霊界への冒涜であり、裏切り行為に等しいものです。
人間の欲望の一方的な働きかけの支点になる人もまた、霊媒とは呼べないのです。
象徴と実体と
他の霊媒と話していて、非常に困る事があります。話が通じない事が多いのです。
霊には肉体がありません。だから肉眼では見えないのです。この実にあたりまえな事を前提にして心霊は語られるべきなのですが、人間はどうしても姿かたちで相手を判断しようとし、名前で相手を特定しようとしがちなのです。それは、地上生活を送る上でとても大切な技能ですが、霊界生活の長い、魂たちには当てはまらないものなのです。
霊媒が、霊たちに肉体同様な姿かたちを目撃するのは、あくまでも象徴に過ぎません。想念の世界において、姿かたちは、人の言葉と同様に自由に変化させられるものなのです。そして、実体の無い象徴を、霊媒たちはさも実体があるかのように説明しているものなのです。
それは比喩ともいえるし、誤解ともいえます。そして嘘ともいえるのです。
低級霊は避け得ない
霊感のある人にとって、交霊相手は自分の精神性……霊格または波動など……が同格の相手に限られるのが普通です。ただし、例外として、因縁があったり、必要性のある霊は、様々な障害を乗り越えてメッセージを送ってくれるものです。
ですから、いかなる霊格を持っていようと、守護霊や指導霊のメッセージを受け取る可能性はありますが、霊媒が自分の霊格を上げない限り、意思疎通には困難が伴い、始終、または、必要な時にすぐメッセージを受けるというわけにはいきません。
喩えるなら、社長や部長と話をするには、それなりの準備や手順が必要で、会社で気楽にできるのは、同僚だけ……と考えると分かりやすいでしょう。
もちろん直属の上司(守護霊など)とはこまめに情報のやり取りが必要ですが、守護霊は、いくら親しくしてくれても決してお友達ではありません。あまり甘えると、守護霊の意図しないところで(つまり状況的に)立場を思い知らされる事になります。
そして、普段、耳に入ってくるのは同僚や友人たちの声なのです。対等な立場な相手ですから、決して騙されてはいけません。
また、命令されても聞く必要はないし、自分の心の中に欲心……誉められたいとか、うぬぼれがあると、おだて方が上手な霊が集まってきます。高圧的で、脅しが上手な霊が来る事もあるし、泣き落としが上手な霊が来る事もあります。暇つぶしには役立っても、自分の為になるような情報は、普通の状態では入ってこない物なのです。
そう、低級霊と接触したくないと望んでも、安易な解決策はまったくありません。大切なのは、低級霊がかかってあたりまえと、覚悟を決める事なのです。そして、自分でそれをふるいにかけていくのです。
そして、交霊相手をふるいにかける過程こそが、自分の精神性・霊性の最高の修練になります。そして多くの交霊相手の中から、自分の信頼できる霊を見出し、その絆を深めていく事によって、確実に交霊ができるようになります。
魔境
反対に、ふるいわけをおざなりにしていると、魔境に囚われます。
魔境というのは仏教・禅宗用語で、乱暴に説明すると「現実逃避」から狂気に陥る事を意味します。周囲から見れば地獄に棲んでいるように見える状態なのに、当人は天国にあると信じきっている状態で、悟りの境地の反対を意味します。
そして問題なのは、魔境に陥った人は、自分が魔境にいる事を否定する為に、周囲の者は助ける事は出来ない事なのです。魔境に陥った人は自ら脱する覚悟を持たない限り、誰にも救う事は出来ません。
2006-04-14