審神者(さにわ)


霊格を見る

 『自分を審神者《さにわ》なさい』

 私の師匠の言葉です。

 審神者《さにわ》とは交霊会などで、霊媒に降りてきた霊との折衝を務める役の事です。しかしこの場合は、霊格の判断を見抜くものという意味で審神者《さにわ》という言葉を用いています。つまり、常に自分の霊格を意識して、低級霊的な行動を慎むようにという教えなのです。私は常にこれを心がけています。

 霊格というのは、単に魂の境涯を示すだけではありません。霊格は行いに現れる物であり、霊格を知るということは、相手が何かを行う前に、何が行えるのかを見抜くということにもなります。当然、人間観察力が要求されるわけですが、人生を霊性向上の場と考えるならば、人間観察の能力は必須といえます。言うまでもなく、向上するためには自己の欠点を見出し、その修整を心がけなくてはいけません。また、人を見て自分に無い美点を見出し、それを取り込むことも大切な向上の手段なわけです。

『世の中には、悪い人などいない、必ずどこか一つぐらいは良い点を持っている』という言葉は、うわべは綺麗ですが、建前以上であってはならないのです。確かに人の悪い点をあげつらえば付き合いが嫌になってしまうものですし、自分の欠点と向き合えば、生きるのが嫌になるのが人間の心情でしょう。しかし、嫌なことから逃げていても問題は解決しないのです。むしろ嫌なことをいつまでも放置せずに、さっさと解決すべきでしょう。問題点を明らかにすればこそ向上があるのです。

『人生は霊性向上の場である』その実践には、今の自分の霊格を測り、自分の成長を確実に把握していく必要がありますし、人の霊格を見抜き、悪い所を真似せずに、反面教師とし、良いところを学び取っていくことが大切なのです。

 霊界通信が教えるところでは、死後、霊界においてはそれぞれの魂の境涯に応じて、自然と住み分けが生じてしまうのです。それは、自分より高い境涯の者から良い生き方を学ぶことも、低い境涯の者の欠点を見て、我が欠点に気がつくこともとても困難だということなのです。

 霊格を見る。その技能が霊性向上をどれほど加速することでしょう。審神の智慧は異界からの学びを得る心霊主義者には必須の智慧といえます。

審神者《さにわ》

 審神者さにわ》とは、霊媒にかかる神霊の格を判断する能力者を指します。その漢字は意訳的な当て字であり、もともとは沙庭と表現しました。上古、霊媒は寄り代といわれた時代のことです。寄り代は髪の降りる場所ということで社殿や神宝の意味があり、沙庭掃き清められ、砂(沙)を撒かれた庭を意味しますから、霊媒と審神者の組み合わせは生きた神社とも言えるわけです。また、審神者《さにわ》は日本の心霊界特有の存在です。

 古事記中に「仲哀天皇が熊襲国を討とうとして、天皇が琴を弾き、武内宿禰を沙庭として、(神功)皇后に神懸りさせて託宣を求めた」という記載があります。

 ここで皇后は「霊媒」・「寄り代」、または、「(本来の意味での)巫女」を務め、天皇は寄り代を入神(トランス)状態に導く為に音楽を奏でる「侍座者」を、そして、武内宿禰を「沙庭」のちにいう審神者を務めたわけです。ちなみに霊能者・吉田綾先生の審神者をお勤めになられた吉田正一先生は、同時に「侍座者」を兼ねられて、石笛《いわぶえ》をお吹きになられたそうです。

 さて、古事記という古い書物を引き合いに出したのは、日本における心霊が千年以上の歴史を持つことを誇るだけが目的ではありません。時折、神道の神と、欧米型の一神教の神とを混同して考えていらっしゃる方がいますが、少なくとも審神者《さにわ》が扱う神というのは、日本古来の考え方、すなわち『尋常ではない、力や、勢い、属性を持つ偉大な存在』というもので、宇宙の造物主といった、高度な理論性を持った存在よりも、より人間に近い存在を意味しています。そして、この神を知ることが審神者《さにわ》を理解する上でとても重要なのです。

 上古の史書に神懸りの記載があることを見てもわかるとおり、この時代は神の意を持って国を治める事が行われていたわけです。それは逆にいうと、霊媒に降りる心霊の真偽を見抜くことは、国の進路を誤らない為の非常に重要な職責であるという事になります。もしも降りる霊の真偽の判断まで、霊媒に求められたとしたら、霊媒は責任感がもたらす重圧で何も言えなくなってしまうことでしょう。つまり、審神者《さにわ》の存在があればこそ、霊媒は安心して、異界の声に耳を傾けられるのです。その意味で、この役割分担はより高い精度の交霊を、効率よく行うための智慧であるといえます。

鎮魂法

 審神者《さにわ》というのは、鎮魂法と呼ばれる交霊術……儀式における、一つの役割でもあります。単なる能力でもなければ、覚えれば使える知識でもありません。ですから、鎮魂法を収めていない審神者《さにわ》というのはまがい物といえます。

 とはいえ、交霊に必要なのは儀式ではありません。霊媒が二人いれば一人が寄り代、一人が審神者になるのは合理的です。しかし、安易な交霊が危険な事は、審神者の有無によって軽減されるわけではありません。

欧米に審神者《さにわ》が無い理由

 審神者《さにわ》の存在は、霊媒の労力を軽減します。ただしこれは交霊に対して利害が絡む為に必要な責任分担なのです。一国の運命を決する、その重圧に耐えられるだけの霊媒などそうそう見出せる物ではありません。しかし利害が絡まなければ、霊媒は比較的リラックスして交霊に望むことが出来ます。19世紀に発生した、スピリチュアリズム・心霊主義において審神者《さにわ》が誕生しなかったのは、それほど重要な案件を扱う必要がなかったからといえます。

 しかし、審神者《さにわ》をおくには責任分担以外にもいくつかの利点があります。

 まず、霊感の無い人にはあまり実感が湧かないことかもしれませんが、言葉というのは霊たちにとってとても不自由な通信手段であり、その一方で人間は言葉で思考するという癖があります。言葉と真意のギャプが交霊会のネックになるのです。その際に交霊経験が豊富な審神者《さにわ》が質問を吸い上げ、整理するなら制約をいくらか緩和することが出来ます。

 また、完全に入信し、自己の意識を失うタイプの霊媒にとって、自身が無防備なのはとても不安感がありますから、霊力が上の霊媒がそばに控えていてくれることは、安心して交霊を行うのに良い影響があります。

 特に優秀な交霊能力者は、五感が過敏な者も多く、交霊会参加者の心無い行動が、入神状態下の霊媒に深刻な影響を及ぼすことがあります。そういった事柄を防ぐ為にも、審神者《さにわ》が参加者を見張ることも重要な役割となります。

 そのせいでしょうか、数年前来日した、英国の物理霊媒・リンカーン氏も、霊媒・クランレー氏の介助の元で交霊会を進めて行きました。


コメントをどうぞ

コメントを投稿するにはログインしてください。

お知らせBy老神いさお。

・スマートホン
iPhone/Androidで閲覧時に、最適化したページが表示出来るようになりました。よろしければ、ご感想をお寄せ下さい。

・サイト再構築中
移行途中のデータが時折、トップページに掲載されますが、編集作業の都合ですので、今しばらくご容赦ください。旧作については、本文右上に日付が記載されます。

・ページ更新
 現在:1021㌻
 復旧予定: 残り480㌻位・・・

老研カレンダー
2月 2012
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
272829EC
3月 2012
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
老研イベントリスト
サブ・サイト