霊能者の憂鬱
学校生活中にクラスに一人ぐらいは、霊感が強い子がいた記憶がないでしょうか。その事から、単に霊を感じやすいといった人は、おそらく五十人に一人以上の割合でいると推測できます。
中には自分の能力をひけらかす者もいますが、感じ取れない人にとって見れば、「君さえ騒がなければ何の問題もない」事でしかありません。普通には見えない、感じない物を感じ取っている人にとって、霊の存在は大変重要な問題かもしれませんが、それは普遍的な問題になりえないからこそ、多くの霊感保持者は歳を重ねるにつれて沈黙の道を選びます。
一般常識的にいえば、人に見えない物が見え、感じるというのは、普通ではありませんから、周囲に警戒されるのは当然ですし、何よりも、霊能者という言葉には、超人的な者が期待されているものですから、霊感を口にする事で二重の責め苦にさらされる事になります。
力への期待と、理想と現実とのギャップです。
実に多くの人が霊能力にあこがれます。しかし霊能力というのは目標ではなく、手段に過ぎないものなのです。霊能力を得たから何でもできるのではなく、次には霊能力を使いこなす努力が必要になるものなのです。いくら霊感を得ても使いこなせなければわが身を傷つけます。実に私に寄せられる相談には、霊感がほしいという相談よりも霊感を止めたいという相談のほうが多いのです。
そして、欲しい、止めたいという相談の双方に対して、私の回答はただ一つしかありません。「才能は天与のものです。自分の才能を活かすことを忘れたら天罰が下ります」 霊感が欲しいというは、自分の才能を活かすことを忘れて、人の才能を欲しがるという悪行があり、霊感を止めたいという人には、天与の才能を生かすことなく無駄にするという悪行が在るのです。
それにしても世の中には、人に言えない悩みというのが存在するものです。中でも、人に見えない物が見える、感じる事の悩みは、相談が最も難しい悩みといえましょう。
一体誰に相談すればいいのか?
常識的にいえば、霊能者ということになるのですが、一匹狼の多い霊能者の世界は、我流や思い込みによって支配されていて、個人から指導を受けると同時に偏見を植え付けられる事も多いのです。そして、霊能力について書かれた書籍は、机上の空論か、または職業霊能者の自己PRが大部分で、霊感の持ち主には役に立たない情報が多すぎ、一方でどれが役立つ情報なのか、判然としない事があります。
2006-04-14