霊査事例: 2005年10月5日(ML)
以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。
夏の疲れでしょうか。それとも私の廻りの雑音でしょうか? どうも愚痴が多いようです。
事例1
物事を一心に思い詰める姿が見えます。精神統一の基本は、いわば聞く耳を持つことであり、特例として、語りかける・祈る、事がありますが、思い詰めることは時間の無駄です。物事はなるようになるし、ならぬようにはならぬのですから、考えても仕方がないことを考えるのはおろかですし、考えなくてもどうにかなることを考えるのもおろかです。
それはそれとして、思い詰めるのは悪夢への恐れでしょうか?
事例2
誰もが親切するためにのみ生きられるわけでなし、例え親切な人だって、人に親切にするだけで生きていられるわけでもありません。
心のささくれだった人が多いのではなく、環境が悪くて皆、心がささくれだっているのです。ならばむしろ、このような時代の中で人に親切に出来る人のなんと幸せなことかと感謝することが必要なのです。
不親切な人がいても、腹を立てぬ事、陰口を言わぬこと……その人の立場になってみなければ、その人の行為の理由はわからぬ事なのですから。
時代が悪ければ、善き行いをすることも難しい。人の悪しき行為が不快に思えるならば、それはあなたが時代に流されずにいられる幸せな人であると思うことです。
事例3
理屈ばかりが頭を駆けめぐり、行動が起せないのは、過ちに気がついているようでいて実は独りよがりに不満を並べているのと代りありません。
そのようなときにいろいろ考えることは有益なようでいて無益、正しいようでいて小罪なのです。
疲労がたまっている……労多くして功少なし……すると、どうしても安易、単純、そして侮った見方をするようになります。簡単にできそうだからという理由で始めたことがうまくいかないのは、疲労で判断が鈍っているからです。
事例4
勘違いでなければ……精神統一に時間に充てられるのは仕事時間中だけのようで、『大変に見える仕事の山も、無心に働けば消えていく、無駄な考えが少なければ、一杯のお茶がとてもおいしい。会社で人に煩わされなければ子供との時間がとてもうれしい』と感じます。
大過なき時間を過していらっしゃるようですね。お幸せに。
事例5
ボンヤリといらだちに沈んでいる姿が見えます。
心は真実を映し出す鏡ですが、汚れていれば見えません。
不平不満、いらだち……不浄に見えても心に備わった仕組ですから毛嫌いする必要はありませんが、薬もすぎれば毒になります。…… 現状に不満が生じ、思うようにいかずにいらだつとするなら、それは自分が身を置いておくのに良い環境ではないということです。
行き詰れば手段を変えてみる。敵わないなら逃げてみる。身動きできなければせめて息抜きの風穴を開ける。いずれにせよ、いつまでも不満やいらだちを抱え続けていれば病気になります。
……情動とは次の動作に移るための引金なのです。喜びにせよ、楽しみにせよ、いつまでもそれに浸っていれば必ず故障が出てきます。
事例6
外部に関心を持たず、淡々と仕事を片付けている姿が見えます。
環境に応じた対応ということで是非もないのですが、働くためだけに生きるのであれば魂が枯れてしまいます。まあ、今は忍耐の時でしょう。いずれにせよ、心霊家にとって沈黙と忍耐は美徳以上のものです。一見不毛な努力にも価値はあります。
でも、出来るならば沈黙よりも瞑想を。瞑想をしなければ応援の霊声が届きません。
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