小言がうるさいぞ! あの我が師の支配霊め!
質問者に対して説教臭くも、「己を審神《さにわ》せよ」……などと口幅ったい言葉を使って返信しようか、と考えていた午後。そのまま、思い出の中に沈んでしまった。
二十代の前半、心霊の師匠宅に押しかけて、晩御飯をご馳走になるのがなによりも楽しみだった頃、私は経験則として、到着直後、先ず、師匠を審神するように心掛けていた。師匠に強い影響を及ぼしているのが、支配霊の某武家であるなら長居は無用である。たちまち小言の十字砲火を浴びてタダ飯がもたらす幸福感よりも遙かに多くのストレスを抱えて帰ることになるからだ。一方、師の守護霊の尼様が表面に出ているなら、もう、何もかも忘れて、自宅、自室にいるよりも寛げる。
「いや、君ぃ、心霊主義を学んで真の高級霊から癒された経験がないなんて、寂しいことだね、アハハハハ」と、天狗になって高笑いをしたくなるほど幸せな気分に浸れる。もうまったくあの尼様には、実にお世話になった。おかげで我が師にはまったく頭が上がらない。相当に無理難題というよりも支離滅裂をいう師であるが、あの守護霊と、師の祖母の霊が立っていたらもう返事はタダ一言、「イエス、マム」である。
その一方……まったく、あの金沢藩の某武士め、自分に芸の無いのを棚に上げて、無理矢理人を変えようとするな!!!! …… だいたいケンカになるのは、境涯が似ているからだろうがぁぁぁ!! などと未だに感情が高ぶるぐらい、私は師の支配霊の何人かと相性が悪い。
思えばおかしなものだ。私と師匠の相性は良いのか、悪いのか。その日によって大きく変るというのだから。等と思いつつ、ふっと我に返った。 「北風と太陽」の寓話ではないが、小言で人を変えようとするのは無理があるというよりも無駄である。
「和顔愛語」――人を押すよりも良き方に導く方が効率が良いに違いあるまい。そう考えるなら…… 思わず冷や汗が流れるようだ…… 最近私のブログは小言が多すぎるかも知れない。小言は簡単ではあるが効果は薄いものなのに。
我が師の、守護霊と、支配霊の某武士――我が師の、守護霊と、支配霊の某武士――どうせなら、我が師の守護霊のような態度をとりたいものだ。うん、そうだ、手本にするなら、あの小言の多い、大人気のない武士の霊などではなく、守護霊の尼様のように寛容で鷹揚な態度だ。私はそれを追求しよう!!
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もっとも、ブログのネタを作るのには、小言が一番手軽なのは、この原稿を読み返すとよく分る。