霊査事例: 2004年11月7日 (静岡オフ会)
以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての代表的な霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。 以下に紹介するのは、精神統一の練習中に得た、参加者・個人あての霊査です。当然、対象となる相手によって正反対の霊査も出てくる事でしょう。
静岡オフ会の夜は長い。会場設定の問題から精神統一にかける時間は短いが、その分、しっかりとアフターフォローが出来る。……まあ、愚痴が多すぎる嫌いはあるが、時期的なものとしてあまり気にしないようにする。
霊査事例(補足1)
『二者択一で悩む……いえ、二者に限りません。いろいろの選択肢があって、一つを選ぶのが難しい時に考えるべき事です。……迷うのは真の答えがそこにないからなのです。』
心霊思想、特に欧米の心霊思想を学んだ人々(スピリチュアリズムにかぶれた人)が、陥る過ちとして、「霊性向上」の意味の取り違えがあります。本当に向上したのか否か? 実は向上という幻想に取憑かれているだけではないか? 容易にいける死後の世界は夢幻界・サマーランド、すなわち、妄想が実体化し、妄想の中だけで満足を得る境涯なのです。
迷える人こそが真実を知る機会を得ます。すなわち、人が迷いの中にいるのは真の答えが見いだせぬ時なのです。真の答えが見いだせぬが為に、一長一短ある複数の回答もどきを選びかねて迷わなければなりません。二者択一の条件下で迷うなら、真の答えは第三の選択肢であり、三者択一の条件下で迷うなら第四番目の選択肢こそが答えなのです。
これはすなわち、迷うのは、より高い視点で物事を見るべき時が来たことの証ということなのです。背伸びをしない限り真の答えは見えない。迷いながらも答えを見いだせないのは、成長すべき時に成長の出来ない人なのです。
霊査事例(補足2)
『幸運も実力の内といいますが、もらうまであなたのものではありません。今まで幸運だったから……きっともらえるだろうと思って高をくくってはいけません。与えられるまであなたのものではないからです。』
他人の物をあてにして、計算が狂って怒り狂う……他の所為にするのはワガママな話です。
季節に四季があるように、人生の巡り合わせにも座して多くを得る時機と、努めて多くを失う時機とがあります。しかし、これは巡り合わせであって、常に失うばかりでなく、また常に得るばかりでもありません。今まで多くを得た人が常に多くを得るとは限らず、常に多くを失った人がこれからも失い続けるとは限らないのです。ですから、得たものを我が物とするのは構わなくとも、未だ得ぬものをあてにしてしくじらぬ事です。
運も実力の内といいますが、運を持つのが実力なのではなく、運を生かせるのが実力なのですよ。
霊査事例(補足3)
『今まであなたは、幸運と才能とに甘えてきましたね』――ちょっと解りにくい霊査ですが、こういう事です。人生には多大な選択肢があり得ます。それぞれを辿って大過なく過ごすのは奇跡に近いことなのです。思慮無く生きていたなら、人生はうまく行かないのがむしろ当たり前、おおよそ幸運に生きられたとしたら、それはあなたの守護霊や祖先の霊達がどれほど手間ヒマ愛情を注いだのか、その事に思いをはせて下さい。
無思慮ならば、むしろうまく行かないのが当たり前。いや、思慮した所で人間の浅智慧では拗らせて当たり前。しかし、いくら祖先や守護の霊達が愛情を注いだ所で、やはり季節が巡ることには逆らえません。すなわち、真冬にスイカを実らせるようなことを祖先に望むのはナンセンスであります。
あなたが苦しみもだえて、必死に努力している姿は見て取れます。しかし、真冬には真冬の生活、真夏には真夏の生活態度が大切なのです。真冬に薄着で歩けば、どれほど祖先が大切に思っていようが、あなたは風邪をひき、辛い思いをするのはなによりもあなたであるということです。
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