行き詰まり時の精神統一


Q「今までがんばってきましたが、いよいよ行き詰まって来ました。こういう時こそ精神統一だと思うのですが、雑念がどうしても消えません。どういう心構えで望めばよいのでしょうか?」

学びて迷うは試練――物事には原因があって結果がある。人はそれを心の奥に理解しているが、往々、真理を突き止める前におおよその言葉で理解し、納得してしまう。

 いわば、戸を叩きて家に入らぬようなものである。仮に客間に通されても、奥座敷にまで招き入れられる人は希だ。知識も同様である。そこにある事を知っても、何があるかは知らない。何があるかを知っても、何に使えるかを知らない。

 使えぬ知識にいかなる価値があるのか?……智慧者とは、智慧の保持者を呼ぶのではなく、智慧の活用者をそう呼ぶのである。……ただ、多くの知識を集め、開陳することは智慧を活用しているとは呼びがたい。それはただ、一知半解の愚かさを他人に見えているだけである。

 多くの人々が、真理の追究を目指していることは見て取れる。だが、皆、戸を叩きて家に入らぬ。客間に通されても奥座敷までは進まぬ。……すなわち、学びて質問せず、質問して活用しないのである。知識を、より良い人生の完成に使うのではなく、他人に披露して、さも自分は知者であるが如く振る舞うためにだけ使う。だが、借り物の智慧が果たして真に役立つのか? 困った時はあの人に聴けばよい……というのでは、なんの向上があるのだろう!?

 迷い、行き詰まるのは、智慧が身に付いていないからである。止まれ、そこで新たな智慧を求めるのではなく、どうすれば智慧が身に付くかを思わねばならぬ。……即ち、試練である。試練が苦しいのは自ら乗り越える力がないことにある。もしも、自ら乗り越える力があるのなら、腕試しの如く試練が楽しめるのだ。

 人生に置いて試練を嫌う……試練無くしてどうして日頃の修行の成果が分かるのか? そこに思い違いが潜んでいることを自ら見いださなければならぬ。

日頃の努力が大切――人生に伴う様々な処置、それらを先送りして行き詰まる。日頃解決できない問題を、行き詰まり、せっぱ詰まった状態でどうして解決できるというのか? 止まれ……このような対処は地上に多いが、それは正しい精神統一、正しい瞑想の知識を持たぬ者の行為である。

 すなわち、追いつめられ、表面意識が悩みに病んで衰弱に陥いり、反対に必要性から本性(潜在意識)が強まって、表面意識に打ち勝ち、ようやくにその人が本来もっている解決力が発揮できるという仕組みだ。

(なんと煩雑な説明が必要なものか、現代日本語は……生前ならば三語程度で説明できたものを)

 このようなやり方はとても酷い。心の表と裏を争わせていては心身に負担が多き過ぎよう。葛藤が心身を痛めて病を得たり、注意力の衰えが事故を招いたりと迷いが失わせるものはとても多い。

 精神統一・瞑想・座禅の意義とは、心の裏表の闘争をやめることである。闘争をやめることで、自然と本性の持つ能力を発揮することが精神統一の意義なのである。

 それを、行き詰まってから精神統一を始めるのでは遅きに失する。心の表と裏、その両軍が健全であればこそ、力強い和平が得られるが、両軍相争い双方傷ついた上で講和しても、夜盗が跋扈するのは当たり前ではないか。日頃精神統一を怠けていた者が、困って慌てて精神統一することは憑依霊を招くようなものである。

……正しき道のりならば苦のないものを、力みすぎて大事にしてしまう。それ故に人は試練を嫌うのだ。

まずは人の手を借りて問題を解決せよ――精神統一がうまく行かぬ人が自分の本性を頼って問題を解決しようとしても、むしろ魔が差すことが多い。それ故に、まずは他人の手を借りて問題を解決し、解決しても油断することなく精神統一に励むことだ。

悩みを分類せよ――むろん、人の手を借りるといっても、自ら為すべき事は多い。そもそも、人が横着する悩み事には、努力が足りぬものと、智慧が足りぬものの二つに分けなければならない。この時注意が必要である。

 人は無駄な努力を嫌うし、愚か者と見なされるのも嫌うものだ。……すなわち、悩める者は往々、智慧を求めずに努力の肩代わりを他に求める。これが大きな間違いである。

 己が嫌うのと同様、人は皆、無駄な努力を嫌うのである。と同時に、愚か者と見なされるのも嫌い、むしろ、知者と見られようと努力するものである、。……すなわち、智慧を求められると人は歓ぶが、努力の肩代わりを好むものは希なのである。このような心がけで相談してどうして援助が得られようか?

 人を頼る時、往々、相手の智慧を軽んじ、相手の努力を期待するのが人情だが、見つからぬ答えは、あって欲しくないところにある。それ故、人々は答えを見いだしにくい。悩んで答えがえられぬ人は、往々、智慧が足りぬというより、好き嫌いが激しく、探せぬ場所が多いことに苦しんでいるのである。

 ならば、好き嫌いを押さえて、自分の弱点を直視し、自らが努めるべき事は素直に受け入れる覚悟をもたねば、人に頼ってもうまく行かないものだ。そして、人に弱点をさらけ出すのを嫌って、一人で解決しようとするのは間違いである。そもそも自分の弱点を完全に直視できる人は悩みに足を止めることがないからだ。それがつまり、見つからぬ答えは、あって欲しくないところにあるということなのだ。

(注: 打開策については保留の感が強く、以下は純粋なる廬氏よりの通信とは言い難い)

流されて生きるものは援助が得られぬ――これは心霊的な見地からの助言である。目的の明確なる者を応援するのは単純である。その目的とすることを後押しすればよいのだ。だが、無目的な者が相手では、背後の者達も見守ることしかできない。

 自ら考え、自らが決断した人生で出会った問題であるなら、答えは見いだしやすい。が、他人の真似、他人の指示で生きている人ほど、行き詰まっても、何に行き詰まっているのかを理解しないのである。……問題を知らずに動答えを得るというのか?……また、何を質問したいのか分からないという人は多いが、それでどうして答えが得られるというのだろうか? それは知的な悩みというより、自分をもてあましているのである。そういう人に必要なのは知的な学習よりもむしろ、身体的な教練である。

(注: 質問の真の回答は、「問題解決に必要なのは精神統一ではなく、自分が目を背けている事実を直視することだ」と言わんとしているようである)


2006-04-12

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