自己中心

(123, ‘人に良く思われたい’, ‘自分だけ良くなりたい’, ‘


Q 「『人に良く思われたい、自分だけ良くなりたい。』と、自己中心的な自分をクリアできずにいます……」

 欠点と向き合い、欠点に負けぬように勤める事は良き事である。それでこそ我が声を発する意味がある。それゆえ、その欠点を直す為に何が必要であるか、とくと教えよう。

結果には原因がある――人がそうあるためには、そうさしめる要因がある。いわば環境がそうあらしめているのである。

 空を羽ばたく鳥にはエラはないが、海を泳ぐ魚には羽根がない。一つ部分だけを見ればそれは欠点に見えるかも知れぬが、環境を含めてみればそれは必然である事が多い。問題は、人は様々な環境を移り住む事である。子供自分の必然から生じた特質が、別な環境に移れば欠点ともなる。ある環境での欠点が別な環境での長所ともなる。

 ならばこそ、人が求めるのは円満なる向上にあらず、見性であり、覚悟であり、成仏である。必然から生まれた性質に善悪も無し、例えば気候の関連なる土地では田畑を作らず肉のみを喰らう、これが果たして欠点であり、魂の罪であるのか? また、気候が温暖な地では労せず食物を手に入れるとか、これは果たして福徳といえようか? 温暖な地に生まれたものが極楽に近く、寒冷な地に生まれたものが地獄に近いのではない。ただ、人の本質のみが人を高みに導くのである。――境遇や、自らの欠点に囚われてはならぬ。それは必然の結果であり、本質的な問題にあらず。

 他に自分を認めさせたいとか? ……人は一人で生きるにあらず、ならば、人々とより良く交わりを持つ事は人生に於いて大切な事である。そうであるから、人は本能として自分をよく見せたがる。だが、人から羨まれるのも困りものである。だが、質問者は、自分だけが良くなりたいと願っている。これはすなわち厳しき環境の中にあって、そこから移る事を考えられぬ者の発想である。

 思え……欠点はただ人の性質にあらず、そは環境の必然で決まるものだ。故に答えは二つある。汝が環境を変えるか、汝が環境に合わせるかである。

 さて、汝は人によく見られたいとか? その欲求の強さを知り、さらに推し進めて考えよ。自分がそうであるなら、人はどうであろうか?  汝の周囲は、さぞや、自分を認めさせたい人ばかりが集まっているのだろう。それは、おだてがとても効きやすい環境であるという事だ。 欠点とはすなわち弱点である。弱点とはすなわちつけ込む所である。と同時に、つけ込まれぬように気をつけるべきところである。

 汝はその弱点故に……己が弱点を知るが故に、周囲に勝される。それに誇り・自信を抱くべきである。そは、汝が苦しみを抱く環境の中にあって、汝のみが勝れる長所であるのだから。

欠点に囚われるな――直すべきは欠点にあらず、間違った問いに取り組むから答えが見えぬのだ。考えるべきは、 己が性質を生かす事である。そこには必ず答えがある。

2006-04-12


コメントをどうぞ

コメントを投稿するにはログインしてください。

お知らせBy老神いさお。

・スマートホン
iPhone/Androidで閲覧時に、最適化したページが表示出来るようになりました。よろしければ、ご感想をお寄せ下さい。

・サイト再構築中
移行途中のデータが時折、トップページに掲載されますが、編集作業の都合ですので、今しばらくご容赦ください。旧作については、本文右上に日付が記載されます。

・ページ更新
 現在:1021㌻
 復旧予定: 残り480㌻位・・・

老研カレンダー
2月 2012
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
272829EC
3月 2012
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
老研イベントリスト
サブ・サイト