冷静に生きる
Q「冷静さを保つにはどうしたらよいか。」
死を恐れるように激情を恐れよ。――おおむね人は死を恐れる。そはなにゆえか。人の数だけ、死の受け取り方があるだろう。しかし、死への不安の一番大きなものは、死を自己の損失と見なす事だろう。
自分を失う事はかくも恐れられるというのに、冷静さを失い、激情に流されて自己を失う事は何故避けがたいものと思われるのか。なるほど死からよみがえる事はまれでも、自失から立ち上がる事は可能だ。しかし、たとえ短くとも、自失の状態が大切な時の浪費であるには変わらぬ。
まして、激情に流された結果、自らの立場を危うくするのも多々ある事だ。それはあたかも、古代インドの輪廻思想のように、苦悩を永遠に繰り返す姿である。我を取り戻すたびに、より苦悩が増えていくのではなんとも救いがない。
激情をおそれよ。自失をおそれよ。そは、汝の来世のひな形なのである。地上で悪しかる輪廻の繰り返しに囚われていて、どうして来世が楽になるというのか。激情に流され、自失し、無茶な行いをすればそれが汝の人生を汚し、来世を暗くするのである。ましてや、善友から見放されては、何のために混沌の支配する地上に生まれたというのか。
なるほど激情は押さえがたい。それは主として、魂よりも肉体的な要素である。いかな怜悧な魂でも、情緒不安定な家系に生を受ければ、やはり衝動や激情に支配されやすい。ましてや、争いごとを好む魂ならば激情を克服しがたいのはいうまでもない。なるほど肉体は御しにくい。しかし、肉体を使いこなしてこそ地上の生を全うできるのである。その意味に於いて肉体を御する段階を経なくては、あなたは人生を生きているとは言い難い。ただ生かされ、流されているだけの事に過ぎぬ。
そう。激情を押さえよ。自我を手放すなかれ。そは汝にとりて死にも均しき試練である。しかも、人生の初等の課題に過ぎぬ。
Q「かなり厳しいお話ですが」
肉体こそが我と思うものにとりて、激情にあらがうは独り相撲の世なもの。勝敗は思い過ごしにすぎぬ。真に魂の目覚めを得たものこそが、自分を御する技を求めんとする。つまり激情を押さえるか、否かは、本当に初等の初等の課題なのである。
むろん、幼少時の家庭環境次第、または、肉体の性質次第によって、穏やかに生きられるものもいれば、喧噪さに付きまとわれる者もいる。しかし、すべては己が選んだ人生である。
より過酷なコースを選ぶのは、自信があればこその事。また、神仏もむやみに苦労へ人を押し出しはせぬ。
当人が選んだのである。当人が全うする事こそが大事であり、当人が勝負を投げる前に周囲が助けようとするのは、困難に挑戦する勇気への冒涜である。
私は激情家に辛辣なのではない。一人一人の努力を尊重するのである。
(2004年7月23日)