お茶を召し上がれ
ネット上での交流になんとなく停滞感が漂う昨今。まあ、私も忙しいのでこのぐらいのスピードがちょうど良いのかも知れないと思いつつ、でも、皆が必要としている事があれば逃すことなく伝えたいと考え込んでいた今朝の事です。
廬氏の気配を感じたと同時に、
『人を褒めず、人を貶さず、ただあるがままを見る事』と聞こえてきました。
うーんそうだよね、ああ、あの人にも当てはまるし、この人にも当てはまる。で、この話をどうつなげていくのかな……すると再び、
『人を褒めず、人を貶さず、ただあるがままを見る事』と聞こえてきました。
うん。そこまでは判った。だからなに?……え、まさか?
『お前がそうせねばならない』
あ……
『怠惰に流れて得るものは言い訳の口実ばかり。といって焦って掴むのはろくでもないものだ。まず、お茶を召し上がれ。』
……あ、「名禅百話」という本の中に、入門した僧侶にまずお茶を勧める逸話があったなぁ。
『急いでうまく行かず、焦ってはしくじる。たとえ霊感が鈍くとも、人心に疎くとも、相手が焦っているか、冷静であるか、ぐらいは見抜けるものだ。そういう人にどう接するのか。
焦るなといって落ち着けるぐらいならば、人の指導など受ける必要もないし、努力しろといわれてがんばれるならば、怠惰になど陥りはしない。
人に対して何が出来るのか? 冷静な人ならばなすがままにさせておき、焦っている人ならば茶を勧めて冷静さを取り戻させればよい。霊感が無くとも人にしてあげられる事がここにある。』
……たしかに。
『説教臭くなるのは、お前も焦りがあるからだ。焦って何が出来るというのか?』
……まったくだ。
『まずお前もお茶をお上がり。』
……手元にお茶はないけれど、熱いコーヒーを一口飲み込む。
『今までは誰がお茶を飲んでいたのか? お前か、お前の葛藤か?』
まあ、私が腹の中でかっている豚が呑んでいたんでしょうね。……その辺は気がついていたのだけれど。
そうか。人にお茶を勧められない状態で、何か言えば説教臭くもなりますね。
(2004年5月2日)