餓鬼の心と救い方

2007年03月24日


とある女性の供養を頼まれた。……かいつまんで話すと、その人の修行の妨げになっている霊を引き出し、別な所・境涯に送るという手順だ。アー、たいして珍しい話ではない、ないが……今日は珍しく、引き抜かれた霊の行き先を見せられた。場所は広いお堂(大寺の講堂)のような所で、畳の上に板が引かれて、その板がテーブル代り、アグラをかいて一列に座っている霊達(ほとんど亡者という雰囲気、以下は亡者と呼称する)に、一人の僧侶(霊)が、椀に入った薄そうなお粥を配っている。

今さっき、引き抜かれた亡者の前にも、その椀が置かれた時、亡者は不遜な態度でお椀をひっくり返した。すると、品のよさげな着物姿の女性がさっと私の視野に飛び込み、それを片付け始めた。とっさに私は、この女性が除霊対象者の守護霊であることを認識した。

が、お椀を配っていた僧侶がそれを見咎めて言った。

『自分でやらせるのです。そうしなければどんなに飢えても次は与えられません』

女性守護霊は、やむなくお椀を置いた。

亡者は、と見ると、ひきつけを起している。席を立ってどこかに行こうとしたのだろうが、床に縫いつけられたかのようにもがいている。

僧侶は続けて言う

『彼の霊は、生前もろくに働くこともなく、母親の差し出す食事を蔑ろにしたものです。だから飢えて餓鬼のようになっている。粗末に思えるものも大切にしてこそ、この者の罪は許されます』

女性守護霊はいう、

『なるほど自分の責任を果たすまでは、許されないということですか』

……理屈はそうだが、正直、三文芝居というか、子供だましの仏教説話にも思えて気が萎えてしまった。

すると、眼前に私の守護霊がにこやかに現われて言う。

『つまらぬか。お前の性格ならばそう思うだろう。では、もうちょっとひねった解説を聞かせてやろう。

『霊界で粥など啜ったところで腹はふくれぬ。まして見るからに薄そうな粥のこと、その水のような粥ですらご馳走に思える者ならいざ知らず、お前のように普段充分に食べてきた者であれば、こんな物、食べればかえって腹が空く、位に思うことだろう。』

……確かにそう思う。

『かえって腹が空くと思うから突っ返した。苦しみを救うと言うからついてきた所で、責め苦が待っていたのかと思ったから出ていこうとした。だが、そうはさせぬと皆が思うから、地面に張り付きもがき苦しんでおる。』

『やれやれ、まったく気の利いた霊共の慈悲などというのは乱暴で敵わん。と、助けまで求めておる。……ほら、お前が助けてくれるのではと、哀願しているのが見えぬか?

『だが、本当に足らんのは何か? 餓鬼だというが、一体誰が飢えさせているのだ? わし等(僧侶の霊達)は、水のように薄くともまずは一杯の粥を与えたぞ。 足りなければ何杯でもくれてやる。もっと固い物がよいのならば、それだってくれてやろう。

『だが、彼の霊は、欲しがらず、受取らず、蹴り飛ばしたのだ。……とっくに死んで胃袋もなく、時間の流れも分らぬというのに、空腹に苦しみながら、でも、与えられた物を欲しがらず、受取らず、蹴り飛ばすのだ。

『彼の霊が欲しがっているのは飯ではない。彼の霊は喰いたいのではない。目の前に、自分のために、ご馳走を並べて欲しいのだ。自分のためにわざわざ用意して欲しいのだ。チヤホヤされることに飢えているのだ。足らんのではなく、欲しいのだ。

『足らん物なら満たせば終わる。だが欲しがる事には終わりがあるか? 味も見ぬまま、もっと良い物、もっと良い物と、欲しがるばかりで切りがない。それでは相手をするのも面倒になるし、なによりも不毛である。……くだらなかろう?

『その心の餓えを癒すには、与えることよりも、自ら生み出すことの喜びを教えることが大切なのだ。

『こぼれた粥など、どうでも良い。あの世でこぼれた粥など、まったく幻想となんの違いがあろうか。皆が忘れれば、そこには無が広がる。そういう世界なのである。こぼした事さえ忘れれば、そこは綺麗さっぱりと新品の如き床が現われる。

『わし等がさせているのは後片づけではない。……こぼした物から椀一杯の粥を生み出す作業だ。それが出来れば、次は亡者達への食事の仕度を手伝わせる。その後は子孫の者等の世話係だ。

『説教臭いことなど、実は何もしておらぬ。わし等がさせているのは、理屈ではなく、物を生み出すことを楽しむことである。散らかしたから片付けろというのではなく、それを材料に生み出せというのだ。』

……ふーん。面白そうだけど、でも、出来るかな、意地悪じゃない?

すると、私のよく知る笑顔がそこにある。底抜けに無心なようでいて、何やら意地悪げな笑顔が。

『たとえ真意に気がつかなくても、それを考えているうちは他に迷惑を掛けまい?』

……え!? それで良いの?

『わしはお前の守護霊であって、あの亡者のではないわ!』と、笑いながら視界から消えた。そしてフッと見ると、亡者はしきりに謝っている。自分の行いに、自分の過去に…… 一体いつまで続くかは知らないが。

・・・・・・・

与えられる事を当たり前に思っている者が飢える。…… 一方で、与える者から見れば、この苦労を誰が判ってくれるのか、と不平を募らせている。与える側も、与えられる側も、不足を感じて苦しんでいる。

餓鬼の心って、地上では本当にありふれているのかも知れない。たとえば新しい心霊知識を欲しがりながら、でも、霊媒を嫌っている人など……自分で蹴りながら、でも欲しがるという苦しみの中で生きている。

ああ、そして。

こんな餓鬼を引きずって生きていたあの方は、やはり、苦労を認めようとしない世間に対して、知らず知らずに不満を溜め込んでいたのかも。改めて手を合わせてみる。誰のためでなく、認めるのも恥ずかしいことだけれど、努力が報われぬと、時々不平が心によぎる自分のために。

ちょっと意地悪で、でも、温かい、我が守護霊の願いに触れる。(というか、スパイスが効いていない配慮は私の心に届かぬのか) この一件は事実であったのか、やらせであったのか。どちらにしても、この願いはあったのだろう。自分を見失わぬようにと……第三者の例を題材にして、私に、自分の置かれている立場を客観的に観察するチャンスをくれたのだ。


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