どちらへ行きますか?


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たとえば、上り坂を嫌い、下り坂を選んで歩いたとする。それでも目的地にたどり着いたとせよ、帰りは上り坂を避けることは出来ない。・・・このつまらぬ比喩で、「好き嫌いばかりだと地獄に堕ちる」と脅すつもりはない。

ただ、私が時々残念に思うのは、多くの人が、不快な出来事を避けるためだけに未来を知りたがり、一方で、為さねばならぬこと、避けてはならぬ事柄の有無について、無関心、むしろ嫌悪している人が多いことである。つまりは・・・、

当初は大変でも、後で素晴らしい幸福が待っているかもしれないのに・・・それでも労を惜しむのか?

今は楽でも、たちまち状況が変わって、あとは抜け出すことのできない苦労が待っているのに、それでも安逸を貪るか?

まあ、大抵の場合、当事者の好きにすれば良いことである。それを自業(自らの業・行いを)自得(自ら得る)という。いや失礼、動いているものを見て、短時間でその行き先を判断するのは難しいものである。ゆえに、焦るものは結果を失いやすい。

また、逃げるのにも、逃げる方向が大切だ。

以前、テレビで富士山登山中に遭った一時間にも渡る落石事故から生還した家族のことを見た。彼らは、物陰に隠れたのでも(隠れるところはなかった)、一目散に下山したのでもなく、落石の来る方向を向いて家族で一列に並び、先頭の合図と共に、左右に落石を避け続けたのだという。

危機を見据えているが故に避け続けることが出来た。おそらく、そして、他の被害者の失敗談を慮るに、一目散に逃げた者は、迫り来る危機を見ることが出来ずに、避けることが出来ないのである。・・・少なくとも長時間に渡る落石事故であればなおのこと、疲労による中断を避けるためにも、最小限の移動で難を避けるには、後ろを向いてはならぬと判る。

危機が来ると知れば、その代償や責任の有無も考えず、ただ逃げていて果たしてリスクは減るのか? 何が来るか、どう来るかも考えず、ただ逃げていて果たしてリスクは減るのか?

現実から逃げたいのか? リスクを減らしたいのか? または、責任から逃げたいのか?

私もリスクを減らしたいとは思う。その為には多少の犠牲を負う覚悟はある。・・・好ましからざるすべてから、逃げたいのが本音としても。

おそらくは、全てを守れるなら知恵も技術もいらない。犠牲無くしてはいられないから、大切なものの中から、更に大切な物を選ぶことが大切になる。・・・または・・・

古今東西の霊界通信はいう。「人生とは魂の修業の場である」と。それはおそらく、大切な物をすべて大切と思う事をいうのではなく、大切な物の中から、特に大切な物を選び出す作業なのではないか? ・・・精錬。そう、「魂の修行」というより、「魂の精錬」といってくれればわかりやすかったかもしれない。

仮にそうであるなら、大切な物をすべて守り続けることの出来る幸せな人よりも、切なさを堪えつつも、大切な物を秤にかけ続ける人が、よりよい人生を歩んでいるのかもしれない。


霊数

私だって本音をいえば、何ら犠牲を負うことなく、すべての嫌な事から逃げまわりたい。それが叶わぬとせよ、少なくとも選択の基準があってしかるべきではないか?

それ故、私は、私の守護霊との間に、暗黙の判断基準を交換している。名付けてヒネリもないが、内輪の事なのでとりあえず「霊数」と読んで扱っている。

すなわち、選択肢の数である。『○○に巻き込まれそうだけど、そこから逃げる霊数(選択肢は)●●位あるよ。』というのである。霊数がゼロなら、ジタバタしても仕方が無い。

ところで、私からこの霊数の話を聞いた人は、この「霊数」同士の相互作用に思い至っていないかもしれない。例えば、今日仕事を休んでも、給料はちゃんと貰えるかもしれない。明日休んでも給料はもらえないかもしれない。でも、休んでばかりでは、給料が減るだけにとどまらず、仕事を失うかもしれないのである。

果たして、苦労を避けたいのか、苦労を増やしたいのか? ・・・私はそれを前提として最善を選んでいる。可能な限り、ではあるが。

 

霊媒の場合

霊媒の場合、己の霊感を自ら信じられるかどうかが、己が世間から信じられるかどうかよりも大切な事が多い。これはもう、論理ではなく、生理的な問題であって、当事者(その霊媒)の良心(善意)は概ね犠牲者である。

すると、通常、霊媒は社会的に正しい(普遍的)ことよりも、眼前の相手(特殊)の信用を得ることを優先するという誘惑を避けるのが辛く、難しい。・・・不可能とは言わないし、していないとも言わない。ただ、戦いなくして結果は得られない。

つまり、長い目で見れば良い選択というのは、眼前の相手から同意を得るのが難しいのが普通であるから、どうしても、短期的利益を話題にしたくなるのである。・・・短期的な話題に限れば、当事者にとって都合の良い話が嘘になりにくい。

さて、極端な話として、例えば、災難のあることを自らの霊感で知ったとする。

私ならば、必ずしも避けることが最終的な利益にならないと知っているので、災難の暗示にジタバタしない。むしろ、不運を鼻で笑って軽視しがちである。が、嫌なことはなるべく避け様としている人だと、その霊感に一喜一憂、それどころか、ジタバタすることになり、ひいては、(おそらくは)霊から見て騙し甲斐がある、騙して面白い人となりやすい。甲斐があり、面白いなら標的になりやすいし、霊云々を無視しても、ジタバタすれば自損を起こしやすいから、不運の「予感」が不運・災難に繋がりやすい。

不運を予感するがゆえに、不運に見舞わる人がいたら、つまり、自身の予感を信じて、しかも、不運の続く人となる。起こると知りつつ起こり続けるのは何たる不幸であろう? 知らずに遭うほうが、日常を満足に送ることができて、恐怖の少ないだけ楽ではないか?

それ故に私は思う。不幸の起こることを知る人であるより、不幸を避けられる人になるべきであると。

実は、「霊媒」という職務階級は、霊の媒介で、知る者の意であり、私が目指す「霊能者」という職務階級は、霊を能がう者であって、事態をコントロール可能な者の意味である。

故に私は、不幸の予感を恐れないし、流されない。まあ、そう目指してはいるのだ。


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